第二十八話:僕はまだ高みに上れる。
「んー……無理なのです。やっぱり、対策を打たれているのですよ」
階段の床を触れていたエティが顔をあげた。
もうその表情は探求者の顔で、スイッチは切り替わっている。先ほどまでの醜態は残っていない。
「まぁそりゃそうか。対策を打たれていなかったら電信雷身で最奥まで一気にいけちゃうしね」
「……なるほど、床、かぁ……街で使ったスキル、だよね?」
「電信雷身は操作が難しいのです。完全な絶縁体……というわけではなさそうですが、少なくとも移動に使用するのはやめておいた方がいいのですよ……」
「その調子だと壁も天井もアウトか」
「ですね……大体、その辺りはギルドでもう調査済みだったはずなのです。ここだけでなく、近辺の他の迷宮に対してもアクティブ・パルスによるショートカットは不可能だったはずなのです」
なるほど……ね。
まぁ、概ね予想できていた事だ。もし可能だったら楽だったのだが、人生そう楽にはできていないらしい。
『機神の祭壇』の入り口は幅数メートルにも及ぶ大きな階段だ。周囲には巨大な柱が立ち並び、高くに、象牙色の屋根――ブロックを支えており、まるで神々を祭った殿のようで、この迷宮を機神の祭壇と名づけたギルドの気持ちがなんとなく分かる。
階段に一歩踏み出せばそこはもう迷宮の中だ。外の機械種の索敵域はそこを範囲としていない。まるで入り口の敷居に境界が引かれているように。
階段の上段で、どうしていいのかわからず立ちすくんでいたブリュムに手を差し伸べる。
「そもそも、迷宮ってそういう『ずる』は出来ないようにできてるし……ね」
「……あ、ありがとう、お兄さん。へぇ……そうなんだ……何か理由があるの?」
ブリュムをエスコートしながらも、天井付近を観察する。以前アムと突入した時に破壊したカメラは既に修復されている。ここから先ももう修復済みだろう。また破壊しながら進まなくてはいけない。
隣を行くエティに対して指を指し、カメラの方に動かす。エティが呆れた表情で一度頷いた。
「本来、迷宮には……一種の加護があるんだよ。加護によってその手のスキルのほとんどは無効化される」
「……加護?」
そう。加護だ。
本来の迷宮とは物理法則から隔絶した魔境である。そこでは地上でまず見られぬ不可思議な現象が多々発生する。
ざらざらした金属の階段を足で確かめながら、ブリュムの問いに答える。
「……ああ。……それこそがこの世に十二種存在する超越種の一柱、神霊の領域――種族ランクで言うSSS級の幻想精霊種『回廊聖霊』の仕業だ。その種の加護――種族スキルによって迷宮の建造物は外部からの干渉を初めとした迷宮そのものに対する干渉を殆ど受けつけないんだよ」
「超越……種? ……そ、そんな怖いのがいるんだ」
何を想像したのか、ブリュムが怯えるように大きく身体を震わせた。
種族ランクSSS
それはまさしく、万物を超越した種である。
絶対者としての側面を持つ有機生命種――竜種の種族ランクであるSS級を超える事から、竜超えとも表される数少ない種の一つだ。
特にプレジャー・ワンダーは、その性質上、単一な個体が多い幻想精霊種において、『個』ではなく『種』としてのランクを冠される極めて稀有な種でもあった。
まぁ、そうは言っても、別にプレジャー・ワンダーは恐ろしいものではない。竜の方がよほど恐ろしいくらいだ。それどころか、むしろプレジャー・ワンダーは探求者にとっては歓迎すべき種なのだが、人は度々、上位種に対して本能から恐怖を抱くものだ。
僕は何も言わずにこれ見よがしとブリュムの手を握った。
「……脅すのはやめておくのです。ブリュム、プレジャー・ワンダーは滅多に表に現れない種族なのです。いや、種族というよりはもはや『現象』なのですが……どちらにせよ普通に探索を進める上でなら、私達に害はないのですよ」
エティが溜息をついて指をカメラに向ける。空気中を奔った電光が音を立ててカメラを破壊した。
それが両の手の指、合計十本から放たれているから、音も光もめちゃくちゃに派手だ。数百メートル先からでもはっきりわかるだろう。
ブリュムはエティの話を聞いても、手を振り払おうとはしなかった。
「……まぁ……お兄さんが変な事を言うのはいつもの事だし……?」
「酷い評価だね。嘘なんてついた事ないのに……」
「……それ、詐欺師の手口なのですよ」
何が詐欺師の手口だというのか。詐欺に手を染めたことなんて……あまりないよ、多分。
破壊しそこねたカメラがないか確認するが、見事に全て破壊されているようだ。
さすが、SS級の探求者……アムとは違うね。でも、こうしているとアムのヘマがとても懐かしくなるのは何故なんだろうか……
まぁ、いいだろう。
階段に腰を下ろし、『機神の祭壇』内部のマップを開く。ここまで電光石火で辿り着いたが、最低限のブリーフィングは必要だ。目標を伝えておく必要もあった。
現在、『機神の祭壇』の攻略状況は七割だと言われている。最深到達階は地下三階で、そこに至るまではほぼ全ての道が詳らかにされている。
地図には途中で切れている部分があるが、それは『新たに出来た』通路だろう。
迷宮内部は人工的で、その道はそれぞれ立体的に複雑に絡み合っており、本来、迷宮にあるべき『帰還の泉』――途中から脱出する施設が存在しない。奥に行けば行く程、帰還が困難になるので、十分な戦力と事前準備を行わない限りは、奥まで行くべきではない。勿論、今回も奥まで潜入するつもりはない。
今広げている地図はギルドで購入した正規品であり、最高級品だ。
地図を作成する専門クラスでありレアクラス――地図作成術師の作ったものである。
冒険者のクラスの持つスキルにも地図作成のための補助スキルはあるので、冒険者でも普通の地図は作れるが、かのクラスが保有するスキルはその域を遥かに超えた『魔法の地図』の作成を可能にする。
その正確性は極めて高く、方角、距離、高さなどを始めとし、情報量、質ともに精緻極まりないが、何よりの強みなのが新たに道が増えた際に、自動的にマップにそれが記載される点だ。道の奥の詳細まではさすがにわからないが、増えた道が分かるというのは大きなメリットになる。
地図の製造年月日は三ヶ月前になっているので、攻略最深部に至るまでの道筋で途切れた分岐部分は、この地図が作られた三ヶ月前以降に増えた通路だという事になる。
エティとブリュムがしっかりと地図に視線を向けている事を確認して、僕は地図の一枚目のある部分に指で丸を書いた。
嘗てアムと挑戦した際に結局たどり着けなかった区画。アムと一緒にもう一度来るはずだった区画だ。よもや、エティとブリュムという組み合わせで訪れる事になるとは、奇妙な因果もあったものである。
「今回の目標はA203監視警備機兵アイズだ。行動ルーチンは決まっているし、戦闘能力もそれ程高いわけではない。道中に何種類か厄介な機械種がいるが、最高でもAの上位だからエティなら特に問題ないはずだ。もしかしたら、B級の機械種だったらブリュムでもダメージは与えられるかな? まぁ、殆どはエティに倒して貰うけど……」
地図をなぞる僕の指を追いながら、ブリュムが拍子抜けのような表情をする。
エティが何を考えているのか、すこぶる真剣な表情で僕の言葉を、説明を聞いていた。
「ふーん……なんか思ったよりも普通だね。……で、それを何体倒すの?」
「いや、数じゃない。目的は――」
「――『偵察』のスキルチップ、なのですね」
エティが僕の指の先をじっと見つめていた。
真っ赤になっている顔もいいけど、研ぎ澄まされたような刃のような真剣な表情はそれにもまして素晴らしい。
まるで独り言でも呟くように淡々と言葉を続ける。
「確かに……監視警備機兵は『偵察』のスキルが、スキルチップが組み込まれているのです。……フィル、貴方はそのために、ここに挑戦すると言ったのですか? 私が、『無人偵察機構」を使えないと聞いたから」
「それは――」
事情を知らずにここに連れて来られたブリュムは可哀想なくらいに一人置いてけぼりだ。
エティは僕が何も言わないのを確認すると、顔を挙げてはっきりと、どこか寂しそうに宣言した。
「ならばフィル。気持ち的には私は嬉しいのです。だけど、そうだけれど――私はフィルへの評価を下げざるを得ないのですよ」
僕は語られる言葉をただ黙って聞いていた。
「機械魔術師ではないフィルにはわからないかもしれませんが、例え監視警備機兵からスキルチップを取得したとしても……実は、機械種のスキルチップは――再利用不可能なのですよ」
「……」
何故黙ったまま聞いていたか。
面白いからである。真面目な奴が間違えた事を真剣に語る様子は少々趣味が悪いが、酷く滑稽で『面白い』
先ほどキスされた時にも感じた事だが、彼女は少々結論を急ぎすぎている。
恥をかかせるのは好きじゃないんだけどね。
これ以上言わせておくと取り返しのつかない事を言い出しそうだし、ブリュムも不安がるので僕はそこでエティの言葉を止めた。
「いや、誰もスキルチップが目的だなんて言ってないけど……」
「……え?」
僕の目的の看破を確信していたのだろう。エティが眼を丸くする。
だが、これはエティが悪い。
何故ならば、スキルチップが再利用不可能なのは――
『常識』
だからである。少なくとも僕の中では。
彼女は僕を――事前準備と知識量とほんの少しの勇気だけでSSS級まで至ったこの僕を舐めている。
スキルチップは再利用不可。
それは、クリーナーの『消化』のチップも、監視警備機兵の『ウォッチ』のチップも変わらない。
理由だって知ってる。機械種の歴史を勉強していれば知っていて当然の事である。
スキルチップには製造時に付与する個体の情報を埋め込まなくてはならないのだ。だから、既存の個体に付与するにしろ、一から個体を作るにしろ、どちらにせよスキルチップはその固体用に製造する必要があるのだ。
目の付け所自体は間違えていないが……
「いや、ごめん。違うな……『偵察』のスキルチップが目的なのは合ってる。僕にはエティの『ノーマン・リサーチ』が必要だ。だけど今回の探求で成さねばならない事は、スキルチップの回収じゃない」
大体、チップが再利用できたとしても、それじゃ偵察機を作るたびに機神の祭壇に潜らねばならなくなってしまうじゃないか。そんなの……ナンセンスだ。
エティの頬に手を当てる。
一日限りだが、僕が君を磨いてあげよう。
エティは聡明だ。聡明でなければ、如何に適性のある種族であっても機械魔術師のクラスなんて得られはしない。
黙って見つめる僕の眼をエティが覗きこんでいた。
言葉の意味を咀嚼し、その真意に辿り着いたのか、徐々に感情が、視線の色が変わる。愕然、忘我。
そうだ。
かみ砕き、理解しろ。僕の思考を、行動を考えろ。
思考を止めるな。勇気を持て。常に自身を研鑽し、恐怖を乗り越えろ。未知を愛せ。
目的を違えるな。
そして、自身の天井を――狭めてはならない。
エティの眼がついに大きく見開かれ、唇を親指で擦る。
「馬鹿な……そ、そんなの……いや、でも……絶対、無理――」
「大丈夫、例え今は出来なくても、僕が――出来るようにしてあげる」
もし相手が他のスレイブだったら――
もしアシュリーだったら、ただ眠そうに頷くだろう。
アリスなら笑うかもしれない。
夜月はきっと何も言わない。だけど、決して慄きはしない。
僕のスレイブ達ならば、出来ないわけがないのだ。
アムは、うん、まあ今の状態ではしょうがない、としても。
「フィル……貴方――狂ってる。絶対、死んでしまうのです。せめて、もっと準備を……戦力も準備も全然足りていないのです……」
「戦力、準備、か……大丈夫、そんなものがなくたって何とかなるさ」
酷い顔色だ。まるでこれから禁忌を踏むかのような、生存率ゼロパーセントの依頼に挑むかのような、そんな表情。
だが、然もありなん。SSS級になるとは、SSS級に挑むとはそれ即ち、自ら地獄に足を踏み入れるという事。試練を、恐怖を乗り越えねばならぬという事。
最上級の探求者はいついかなる時でも目の前の障害を恐れる事はない。
「ソウルシスター。僕が、君を『SSS級』にしてあげよう」
――この僕の魔物使いのプライドにかけて。
ならば、勇気が足りないのならば。僕はエティに魔法をかける。
両頬に手をあて、固定する。
魔物使いのキスは――こうやって使うんだよ。
額へのキスは親愛の証だ。
沈黙するエトランジュ・セントラルドールの額に静かに唇を触れさせる。
スレイブを落ち着かせるためのセオリー。
信頼を与え、そして得るための強力な呪いだ。
さぁ、これがこのフィル・ガーデンの――
『愚者の喝采』
ブリュムが呆気に取られて僕とエティを見ていた。
手の平から伝わってくる熱。目の前に迫り来る探索に対して乱れていた呼吸が落ち着くのを待って、手を離す。
エティは混乱している。混乱しているが、なんとかして自分を立て直そうとしている。
まるで言い聞かせるようにエティが呟く。
「フィル……機械種の製造工場は今の所、見つかっていないのです。いえ、地上部に立てられた他の機械種の工場は何箇所か見つかっていますが、少なくともこの迷宮を根城にする機械種の製造工場は見つかっていないはずなのです。もし見つける事が出来たならば……ギルドから多額の報奨金が与えられるくらいに、困難なのです」
王国ではなかった制度だ。
工場かあるいは、特殊なスキルでのみ個体数が増える機械種を相手にした土地柄ならではの制度。
まだ理解出来ていないのか、ブリュムが僕とエティを交互に見る。
「……あ……え? ちょっと待って、ど、どういう事?」
エティの視線がブリュムに、哀れにもただ一人この状況に追いつけていない少女に向けられた。
「ブリュム……貴女は――逃げたほうがいいかもしれないのです。フィルは……フィルはあろうことか、『偵察』のスキルチップの設計図を手に入れるために、機械種の製造工場に――『強襲』をかけるつもりなのです……」
この状況で合法で『偵察』の設計図を手に入れるためには、それを使用した機械種を製造している工場まで行くしかない。監視警備機兵を製造している以上、そこには組み込むスキルチップを作成するための設計図がある。
選択肢が一つしかないのならば、それを成す、それだけの事。
「工場は機械種にとっても随一の重要施設。護りは万全のはずなのです。今までの傾向から言っても、一段、二段格上の『守護者』が守っているはずなのですよ。地上にある工場を潰す際も――犠牲者がかなりの数、出たのです」
なるほど……然もありなん。
それが種族の存亡をかけているのならば、例えプライマリー・ヒューマンだったとしてもあらゆる手段を取るだろう。
窮鼠猫を噛むとも言う。
僕だってそういう手合が相手ならば万全の準備を行い、人数を揃え、覚悟を決め、満を持して探索を進める必要がある。
だが、僕の推測だと、今回の場合はそういう類の話でもないはずなのだ。
存亡を掛け死活の覚悟で抵抗してくる種を滅ぼすのは骨が折れるが、そもそもルーツの異なる無機生命種がそのような本能を持つわけがない。
だから、僕が越えなければならないのはそういう本能ではなく――それの創造主の思惑だ。
ブリュムがようやくエティの言葉の意味を実感したのか、不安そうに僕に視線を移す。
「お兄さん……」
「……ほら、不安にさせるんじゃない。……大丈夫、もし死ぬんだとしたら僕が一番先だ」
「……それ、全然大丈夫じゃないんだけど……」
ちょっと考える。
ブリュムを内部まで連れて行かず、ここに残しておくリスクを。
即座に却下した。駄目だ。僕には彼女が必要だ。彼女には僕が必要だ。
ブリュムの視線に対して僕は首肯によって応えた。
「大体、そもそも工場の場所をどうやって見つけるのですか? 地図には載っていないし」
「それをこれから探索で探すんだよ」
「何人もの探求者が挑戦して発見出来なかった工場を、ただの思いつきで発見できると?」
「その発見出来なかった探求者の中にSSS級の探求者は存在しているのかい?」
「それは……」
この程度の敵の強いだけの迷宮で探索を成功させられないとは……探求者としての質の低下は甚だしいといえるだろうか。
いや、油断は禁物、か。
考えを改める。
エティは今、何人もの探求者が挑戦した、と言った。
この『機神の祭壇』が周囲の探求者のアベレージを大きく超える迷宮であるにもかかわらず、だ。
つまりそれは、専門のメンバーを派遣して何らかの壁に阻まれたということ。
僕はその瞬間、ほんの僅かな瞬間だけ、エティの実力を過剰評価していた事を心底後悔した。彼女が偵察機を扱える事を前提としていた事を後悔した。
機神の祭壇。現状はともかくとして、過去まではまだ調べきれていない。まぁ、今回は仕方がないとしても次回以降は気をつけなければ。
「SSSの探求者が挑戦したという話は聞いたことがありませんが、SS級の探求者が挑戦した事があるのですよ……」
「結果は?」
「結局見つからなかったのです。『機神の祭壇』の機械種は種類も多くランクも高いのでもし見つかれば莫大なメリットがあるのですよ。私の知っている限りでは三度、機械魔術師を含めた大規模な調査パーティが組まれたのです。でもその全てが――工場の影も形も見つけられなかった。巷の噂では、最深部に存在しているのではないかとされているのです」
ふむ。なるほどね。
つまりそれは――全員の眼が節穴だったという事かな。
というか、如何にエティが不利な材料を出した所で、僕の意志が変わることはない。
いや、それは僕にとって不利な材料ですらない。
何しろ、あるのかないのかわからない物を調べようとしているわけではなく、存在している事はほぼ確定しているのだ。
「ならば、僕達が第一発見者になるわけだ」
「……もう! そう思うなら好きにすればいいのです。ただ、フィルは既に知っているかと思いますが、この迷宮、攻略の最前線までほぼ最短ルートを辿っても丸一日かかるのですよ。『帰還の泉』も途中にないので、帰る事を考えると殆ど調べる時間はないのです」
エティは心配性だ。考えすぎて悪い事はないのだが、やはり、結論を出すのが尚早にすぎる。
予測を立てるのは良いことだが諦めが早すぎる。
「最奥まで行くつもりはないよ。さしあたっての目標は監視警備機兵の巡回地点までかな。とりあえず指示は僕が出そう」
「……はぁ。了解、なのです。まぁ、今日の私はスレイブなので……気が済むまで付き合ってあげるのですよ」
エティの表情は僕の勝利を確信していない。
マスターとスレイブの間にあるべき信頼関係。
盲目的に信頼されるのもまたよくないが、信頼されていないのも当然良くない。
それでも、懐疑的ではあるが、彼女は僕に従おうとしている。僕はその信頼の種を花となるまで育てなくてはならない。
「あの……お兄さん、結局私はどうすればいい……?」
「エティが前衛と中衛と後衛。僕とブリュムはその後ろから、敵に補足されないようにこっそり付いて行く。勿論、僕もするけど警戒だけ怠らないようにする事。何か異常をキャッチしたら報告だけ忘れずに」
「実質、私ソロみたいなものなのですよ……」
「まぁ、アリスと僕の関係もそんな感じだったよ。エティは今日は僕のスレイブなんだろ?」
「……わかったのです」
マスターが戦わない事の不満。マスターの決定への不満。
きっとエティの脳裏に浮かんでいるのであろう、それらは、なったばかりのスレイブにありがちな考えだ。
強力な戦闘能力を持っているからこそ、エティは僕と同じ、スレイブを持つ『マスター』だというのに知らないのだろう。
スレイブとは――マスターのために主体となって戦闘するものなのだ、という事を。
僕はエティの視線を無視して、今後の経路をもう一度、指でなぞった。
前回、途中で敗北したオプティフロッガーの生息域もその途中にあるが、今回は警戒も特にいらない。エティの高い戦闘能力――僕の言うとおりに動いてくれれば特に問題ない。
「さ、エティ。行くよ?」
エティの頭を慈しみを込めて撫でる。
不満を消し飛ばすための『喜びの唄』
ぎょっとして手を振り払うエティを見て、僕は笑った。
*****
熱を伴った雷が回廊を警備していた人型の機械種に襲いかかる。
如何にぶ厚く硬い装甲を持っていたとしても、専用の処置を成されていない限りその攻撃スキルは機械種にとって致死の魔術だ。
何かを撃ち貫くようなずどんという音とほぼ同時に警備機兵が崩れ落ちる。外傷はない。だが、内部構造には致命的な被害を与えているのだろう。
通路を遮っていた機械種二体を一瞬で無力化したエティは、ただルーチンワークをこなすかのように視線を天井、床に向けカメラ探る。
繊細な動作。機械魔術師の持つパッシブスキルに強化された五感は隠されたカメラを察知するのに十分だ。
追加で放たれた稲光は何十にも別れ床、壁、天井を奔り、全てのカメラをスパークさせる。
もしエティがカメラを補足できていなかったとしても、その電光は通路全体を舐めており、巧妙に隠された監視カメラを自動的に破壊していただろう。
その動きは滑らかで、あらゆる全ての障害を力づくで突破する。
「す、凄い……」
「ブリュムは機械魔術師の探求を見るのは始めてか……」
「う、うん」
彼らの殆どはその力の高さ故に、余りパーティを組まない。
特に、その力は相手が機械種の時に最も発揮される。
絶え間なく放たれる雷光に、次々と機械種が動きを止める。後に残るのはまるで残骸のように転がる機械種の数々。
対策を取っていない機械種の中枢を破壊する電撃系の魔術。B級の警備機兵を破壊している魔術も、A級の迎撃機兵を破壊している魔術も、信じられない事に――下級の電撃系魔術に分類される。
それこそが、機械魔術師の有用性。
転がった残骸を分解しギルドに持っていくだけで一般人にとっては『一財産』になる。
今回の目的ではないため、残骸はすべて放置だ。
地面に無造作に転がる機械種の死骸を見て、隣を警戒しながら歩いていたブリュムが恐恐と眼を見開いた。
なるほど、これだけの力を持った探求者がこの地でソロで働くのは納得の判断だ。
何より、他種の魔物を相手にしてさえソロで戦い抜けるのが機械魔術師というクラス。この地方の魔物の分布ならば、その力は他の上級クラスの力を遥かに凌駕している。
やがて、通路の床の色が変わる。区画が変化した印。
アムと一緒に攻略したのはこの辺り。ここからはこれまでよりも強力な機械種が出現する事になる。
エティと僕達の間の距離は凡そ十メートル。これより先はもっと詰めたほうがいい。
僕はさっき、ブリュムより僕の方が先に死ぬと言った。言ったが、あえて言わなかったことがある。
僕とブリュムが並んでいた場合まず第一に狙われるのはブリュムの方だと言うことだ。
ブリュムの背後に回り、肩を掴んで前に押す。
「? お兄さん?」
「さ、詰めるよ。此処から先は――危険だ」
近すぎるとエティを狙った攻撃に巻き込まれ、遠すぎると万が一不意打ちを受けた際に殺られる。緊張感が僕の繊細な感覚を研ぎ澄ます。
ブリュムが僕の言葉を受け、上目遣いで僕を見上げた。
「お兄さん……なんか迷宮に踏み込んでから、少し真剣だよね」
「気を抜くと死ぬからね」
「やっぱりお兄さんもこういう時って怖い?」
「怖い。怖いさ。何が怖いって――」
――僕のミスでエティやブリュムが死ぬ事が何よりも怖い。
唇を湿らせる。ゆっくりと歩いているにもかかわらず消耗する肉体、精神。
僕の中にある訓練によって獲得した時計はここに突入してまだ一時間程度しか過ぎていない事を示している。体感では既に数時間も歩いているように感じるというのに。特に問題は発生していないというのに。
迷宮のマジック。
四方を囲まれる事による閉塞感と歪んだ時間感覚。敵陣にいるという緊張感。
全てが過去克服したものだが、同時に克服後でも決して油断してはならない。
それは自分との戦いだ。
僕はブリュムの髪をゆっくりと撫で、自身の精神を調律する。
エティは強い。強いから危険だ。
彼女が裏切る可能性があるとかそういう懸念ではなく、彼女にはこれまでずっと強者であった経験しかない、それが危険なのだ。
そして、それに頼り切ってしまいそうになる自身が何より――危険。
僕はまだエティの力の半分も見ていない。アリスやアシュリー……年単位で付き合いのあるスレイブとは違う。
自分の武器で何が出来て何が出来ないのか。借り物の刃では知識はあっても実感がない。
だから、僕が信じられるのは今まで僕が積み重ねてきた魔物使いとしての経験だけで――でもきっと……それでいいのだろう。
ブリュムがふと振り向く。言いづらそうな表情で僕に言う。
今の所、視界の範囲内、僕の感覚の範囲内に敵はいない。前を歩くエティはこちらを含めた周囲全体に注意を払ってくれている。
「お兄さんさ、この間、私が言ったの覚えてる?」
「……?」
「ほら、真面目にしてたほうが格好良いよってさ……」
「ああ……そんな事もあったね」
『黒鉄の墓標』に突入する時の事を思い出す。
あの時、僕はブリュムの事をよく知らなかった。今も全てを知っているとは言いがたいが、少なくとも以前よりは知っている。経験している。
ブリュムが流し目で僕の表情をじっと見ていた。
殺しきれていない僕達の足音が微かに閉ざされた迷宮に反響する。
「……あの時、私が言った言葉――撤回するよ。お兄さんは……真剣な表情よりも、不敵な笑みを浮かべていたほうがずっと格好いいよ」
「……惚れた?」
「……お兄さんさ、そういうの鏡見てからいいなよ。今のお兄さんの表情――ちょっと怖い。水で鏡でも作ってあげようか?」
……なるほど、怖い、か。
少々、不安にさせてしまったみたいだ。失敗したな。
気を引き締めすぎるのも……考えものだね。
溜息をつき、自身の頬を、眉間を、揉みほぐす。
マスターの不安はスレイブに伝わる。マスターが信頼せずして誰がスレイブを信頼するというのだ。
エティの力には確かに不安がある。が、彼女が珠玉の才能を持っている事は間違いない。
現段階で足りない部分は僕が補えば、彼女は最強のスレイブだったアシュリーにも劣らない……だろう。
考えすぎ、か。
どうやら僕は臨時スレイブという存在に自分が思った以上に影響されていたらしい。まだまだ修行が足りないな。
大体、まだ彼女の力を理解出来ていないのならば、今から理解すればいいだけじゃないか。
溜息をつく。
やれやれ、この醜態。本当にこの環境はいい『経験値』になる。
悪くない。ああ、悪くない。この状況は悪くないよ。
だからこそ、魔物使いとして僕はまだ高みに上れる。
数秒置いて、ブリュムに再度評価を求めた。
「……どう?」
「……なんで私あんな事言っちゃったんだって今、後悔してるよ」
ブリュムがこれ見よがしと目を背ける。
「格好いい?」
「……格好いいとか格好悪いとかじゃなくて、やっぱり切り替えが早過ぎるよ。どんな心の変化があればそうなるのさ……」
心の変化、か。
「ああ……強いて言うなら――愛、かな」
スレイブに対する愛。そう、それこそが僕の原動力。
多分、僕は今まで手を抜いていたのだ。
一日限定のスレイブなんてスレイブとは呼べないと。それはきっと彼女の覚悟を馬鹿にした卑下すべきものだ。
決してエティが嫌いなわけではなかったが、僕は今から――エティに対して本当のスレイブとして接する。
「!? あ……あ、愛? 愛って愛情の愛!? お兄さん、今、愛って言ったの?」
「まぁ、その愛だよ」
ブリュムが何故か頬を染めて食い入るようにして聞く。
知っている。元素精霊種は人の精神的な感情の起伏が大好きなのだ。
間違いない。僕がスレイブに対して抱いている感情は間違いなく愛情だ。胸を張って言える。
ブリュムはその答えを聞いて、落ち着かなさそうに髪の毛先を弄る。頬を染めたまま。
大声で叫んだり、あからさまな動作には現れていないが、掴んだ肩を透してその魔力の乱れが伝わってきた。
勿論僕にはそこから意志を察するすべはないが、それをあえて言葉にするなら狼狽といったところだろうか。
沈黙する事数十秒、ふと、ブリュムが呟いた。
「……お兄さんさ、その……勘違いだったら恥ずかしいんだけど……私の事……好きなの?」
「もちろん」
「……そ、そう」
勘違いなんかではない。
いくらなんでも好きじゃなかったら――信頼に値しなかったら、パーティに誘ったりしない。
ブリュムはその言葉を最後に沈黙してしまった。
まぁ、今はエティの話だ。
前を行くエティを呼び止める。
マスターとして、そしてスレイブに対して指示を出すために。




