第二十七話:モラルの乱れだよモラルの乱れ
……僕はどうやらエティの実力をまたも見誤っていたようだ。
彼女の評価を僕は後何段階上げてあげないといけないのだろうか。
『巡回機構』により街を出て数十分、僕達は『機神の祭壇』の入り口から一キロ程離れた岩石地帯に辿り着いた。
入り口から四方五百メートルあまりが『機神の祭壇』周辺を縄張りとする『機兵型』の機械種の生息域だ。まるで線を引いたかのように、機兵型の機械種はこの範囲から外には出ない。
まぁ、外に出ないだけであって、こちらを認識すると銃弾や光線を浴びせかけてくるので、『機神の祭壇』攻略の際はまず、隠れる場所が多い岩石地帯で乗り物から下りるのが通例となっている。
「乗り心地は如何でしたか?」
「……ああ、バッチリだよ」
たった今まで乗っていた移動装置をもう一度観察する。
驚くべきことに、十六脚を交互に動かし移動する装置にもかかわらず、この乗り物、揺れがほとんどない。もしかしたら専用のスキルを積んでいるサファリよりも乗り心地がいいかもしれない。
酔い止めを飲んだ意味が全くなかったと思える程に、その動きは静かで滑らかで、そして変な言い方をさせてもらうと、快適だった。これは画期的な事だ。
よほどよい緩衝装置を積んでいるのか、あるいはスキルを積んでいるのか。風は感じたので恐らくサファリが積んでいるスキルとは別物だろうが、考察は後回しにしておく。今わかるのは彼女の類まれな移動装置構築の才能だけだ。
ブリュムは、初めは物珍しさを感じていたようだったが、目的地に辿り着いた今では、特に感想はないようだった。まぁトネールの『飛の船』に乗って特に影響のない種族である。それも仕方ないだろう。
「さて、どうしましょうか……フィルは以前アムと一緒に突入したと言いましたよね? どうやって内部まで入ったのですか? 入り口は警戒されているので生半可な事では突破出来ない……少なくとも、アムの実力では相当困難なはずなのですが……」
決して突破出来ないわけではない。周囲をうろつく機械種のランクはBの中位からAの下位程度。あの時のアムでも一体ならばそう時間をかけずに倒せただろう。エティは若干、アムの能力を過小評価している。
だが、機神の祭壇は迷宮に入るまで一苦労という言葉は間違えていない。
僕がアムと一緒に突入した時も力技ではなかった。アムが一体倒している間に別の個体に僕がやられる可能性が高かったからだ。迷宮内部とは異なり、地上部の機械種は分布が散らばっている。まとめて相手取るわけにはいかないのである。
これが迷宮内で魔物の群れに出会った際と地上部で群を相手にする際の差異。灰王の零落でも気をつけなくてはならない点の一つだ。
しかし、心配はいらない。
前回は機械種が格上だったが、今回はこちらが格上だ。
エティの背を押す。抱きしめれば折れそうな程ちっぽけな背中。この背中に全てを背負わせると思うと罪悪感がわきかけるが、冷静に考えて探求者になってから僕はいつだってそんな感じだった。
「さ、頼んだよ」
「フィル……やっぱり私がやるのですが……」
当然である。
ブリュムが呆れたような視線を向けてきているが、この意見を変えるつもりは毛頭ない。
というか、エティにやってもらわないと無理。
豆粒のように見える機兵型の機械種。
それと僕の一対一の相対をシミュレートしてみる。ほら死んだ。三秒である。誰が死んだかは言うまでもないだろう。
つまり、むーりー。
「……はぁ……」
大きな溜息。
エティが椅子のような岩石に腰をかけた。ブリュムがきょとんとそれを見る。
きつい口調。
「……いまさらですが、言っておくのです」
眼が細められる。黙っていても伝わってくる感情の励起。
冷たい視線が――まるでゴミでも見るかのような視線が僕に向けられている。敵意とも軽蔑とも言える負の感情だ。
心臓の鼓動が僅かに音を速くする。その眼にはどこか覚悟が見えた。
そしてエティはもう一度溜息をつくと、満を持して口を開いた。
「貴方は勝手すぎるのです、フィル。大規模討伐を直前にしているというのにいきなり目的も言わずにA級迷宮に連れ出す。挙句の果てにここまで全て私任せ。これからも全て私任せにするつもりなのですか?」
「イエス」
「……イエスじゃないのです。無理やり連れて来られたブリュムはともかくとして、今の私とフィルは対等なはず。パーティを組んだにもかかわらず私にだけ働かせるのはいくらなんでも理に反してるのです」
「僕はエティの補助をするよ。本来ならばスレイブにしかしないんだけど、特別にね」
ブリュムが僕とエティの様子におろおろとしていた。
慌てている様子はいつもの無邪気な様子とは少し異なっていたが、可愛らしい。
だがしかし、これもまた必要な儀式だ。エティは人がいいし、僕とそれなりに親しいが、それとこれとは話が別。
彼女の意見は至極尤もなものだから、絶対にどこかで言ってくると予想していた。むしろ、痼を残したまま迷宮に突入する方がまずいのだ。
だから僕の手は指は感情は震えていない。エティの意見に対して真っ向から微笑みを返せる。
「ならばフィル。貴方を試させて貰うのです。大規模討伐で総指揮を立候補し、勝率百パーセントで『灰王の零落』を達成すると堂々と宣言した貴方の力を。拒否はさせないのです」
「拒否なんてしないよ。僕はいつ、いかなる時でも真っ向から挑戦を迎え打つ」
「……今、嘘つきましたね。大事な所で……」
やっぱりわかっちゃったか。
それは言わない約束なのに……
試す。この僕を試す。その意味を僕は正しく理解していた。だから次のエティの言葉も予想できている。
いや、僕は彼女と探求をする事を思いついた時点で――ずっと予感していたのだ。
粛々と言葉を待つ。
呆れたような表情を一瞬で怜悧なものに変え、エティが厳かに、神聖な儀式でもするかのように、かつてと同じように宣言する。
「さぁ、フィル。以前言ったことを、もう一度貴方に言うのです。フィル、今日だけ――」
エメラルドグリーンのような碧眼が見定めるように細く開き、同色の髪が風もないのにさらりとゆれた。
音も景色も、遠くにいる機械種の気配すら僕の感覚から消え、僕の世界にはエティだけが残る。
こくりと。エティの白い喉が嚥下するように動いた。
「――今日だけ、私の事を貴方のスレイブだと思ってくれていいのです」
僕は微笑んだ。エティは素直だ。僕の予想を上回らない。
ならば、せっかくだから僕の方からもエティを試させてもらおうか。
淡々と問いかける。
「僕の命令を最優先で実行する」
「イエス、なのです」
「僕の命令に背くことはしない」
「イエス、なのです」
「エティの命運はこの瞬間から僕の手に握られる」
「イエス、なのです」
「僕が君を捨て駒にする事を選択したのならば、君は死ぬ」
「イエス、なのです」
「君は今この瞬間から、今日という日が終わるまで――僕の奴隷だ」
「イエス、なのです」
その眼には見事に一片の躊躇いもない。
エティはこの瞬間、明確な契約もないのにその存在全てを僕に預けていた。
先ほどまであった負の感情は嘘のようにその眼に見えない。演技だったのか、あるいは――
それはそう、余りにも強固な意志。全存在の委託は易易と決定出来るものではない。
勿論、契約してないので裏切ろうと思えばいくらでも裏切れるだろうが、彼女がそういう人柄でない事は既に知っている。
「エティは奇特だね。僕みたいな見ず知らずの魔物使いに全てを預けるなんて」
本心からの言葉。もし僕がエティだったならば、僕に全ての命運を預けたりしないだろう。
エティは余りにも余りな僕の台詞に一瞬戸惑い、しかしはっきりとした声で答えた。
「私も――そう思うのです。でも……」
一拍置く。その眼は真剣そのもの。そこから伝わってくる真摯な感情。
次の言葉を待つ。ブリュムも黙ってエティの意志を聞いていた。
「――でもきっと、貴方は私よりも上位の探求者で、貴方の見ているものは私の見ているものよりもきっと広い。だから――」
言霊が僕の魂に直接吸い込まれるように吸収される。
そして、風に混じって彼女の囁きが僕の脳を通り過ぎた。
『貴方の見ているものを少しでも私に見せて欲しいのです』
ぞくりと稲妻が背筋を駆け抜けた。その瞬間、彼女はついに僕の予想を上回っていた。
ああ、なんということだろうか。
彼女は聡明で、そして何があろうと目的を成し遂げる強固な意志がある。人はそれを無謀と呼ぶだろう。だが、彼女のその無謀は勇気でもある。
そうだ。自らの未来のためにこの僕に全てを預ける決定したその尊い覚悟を勇気と呼ばずして何を呼ぼうか。
僕はその瞬間から、エトランジュ・セントラルドールを評価する事をやめた。
彼女には既にSSS級に相応しい覚悟がある。そして多分その運命も。
エティには僕よりも遥かに強い探求者となる素質がある。だからきっと、彼女を評価するなんておこがましい事だ。
ならば、僕はその覚悟に対して覚悟を持ってそれに応えよう。
ならば、それならば――僕は彼女の期待に沿い、運命に導こう。
このまま僕が手を加えなければ彼女は死ぬかもしれない。死なないかもしれないが、それだけの土壌が、危険がこの地にはある。
ならば、それならば――僕はこの可愛いスレイブのマスターとして、そして先達の探求者として、彼女の障害を取り除こう。取り除き方を教え、祝福しよう。
それが彼女の信頼に、期待に応える方法なのだから。
ここに来て本当によかった。エティと出会って本当によかった。
僕は今、猛烈に感動していた。多分、もしかしたらそれはアリスと出会いスレイブとした際の感動に勝るとも劣らない。
アリスが浮気がどうだとか脳内でぎゃーぎゃー騒いでいたが封殺した。
多分、エティは僕が思っている以上に僕の事を評価し、そして信頼してくれていたのだろう。
僕の視線に感動が現れていたのか、エティは真剣な表情を崩し、少し照れるようにはにかんで要請した。
「さ、フィル。では、記念すべき第一の命令を私にするといいのです。時間がないのでしょう?」
「……ああ、そうだね」
時間はない。三、四時間もすれば日は暮れ、七、八時間もすれば僕はきっと眠くなる。
時間は貴重だ。
彼女が今日一日だけのスレイブとなる宣言をした瞬間から、第一に何を命令するのか決めていた。
エティはその覚悟をこれ以上ない方法で僕に示したが、重要なプロセスを、忘れてはいけないプロセスを忘れている。
手の甲を差し伸べる。かつてはエティの方から取ったものだが、今回だけは僕の方から差し伸べてあげる。
それはスレイブとマスターが結ぶ敬意の印だ。ただの意味のない慣例だが疎かにしてはいけない。
そして、第一の命令をした。
「さぁ、エティ、僕にキスをしろ」
エティの表情が僕のオーダーを聞き、笑みのまま凍りついた。
待つこと数秒。その表情が慈愛の笑みから真っ赤に染まる。
「……え……ッ……!? ……フィ、フィル……あ、な、たは……ッ!!」
照れているわけではない、これは憤怒だ。余りに落差のある変化。
僕がその意味に気付いた時には全てが遅かった。
一瞬、ほんの一瞬だけ間が空いた。
宣誓を貰うべく差し伸べた手を強く弾かれる。
その繊細だが強靭な足腰でまるで体当たりでもするかのように飛び込んできて――
避けるべきだった。だが、避けられなかった。
僕はまさかエティが怒るなんて予想すらしていなかったのだ。性能の低い僕の身体は覚悟がなければまともに動かない。
エティの腕が伸び、僕の背に絡まった。
気がついたら唇と唇が重なっていた。全身に感じる柔らかな、そして華奢な重み。どこか甘い匂い。
碧眼が極至近距離からまるで睨みつけるよう僕の眼を見ている。目の端から僅かな涙が溢れていた。想定外の事態に僕が考えられたのは、泣くほど嫌ならよせばいいのにという事だけだった。
接触は数秒かあるいは数分か。久しぶりに完全停止した思考が再び動き始めた時には既にエティは僕の身体の上から離れていた。
エティの双眸は憤怒で燃えている。
だが、もう遅い。僕の記憶の中には既にエティとのキスは刻みつけられていた。忘れられるようなものではない。
零れ落ちる涙とその奥に見える憤怒と悲哀。それを慰めたかったが、全身の力が抜けてしまっている。
十数秒置いてようやく実感が奔流となって脳内を駆け巡った。
僕は今、取り返しのつかない事をしてしまったのだ。されてしまったのだ。
そして、僕は理解した。エティが、エトランジュ・セントラルドールが僕の言葉をどう曲解したか。
きっと今の僕の顔は――真っ青だ。
エティが戦慄く声で叫ぶ。
「ッ……フィル、貴方、ほんっとうに、さいっていなのです……ぐす……わ、私がどれだけ、覚悟して、あんな事、言ったか……」
違う。そうじゃない。
エティの悲鳴がわからない。怒りがわからない。いや、理屈ではわかる。けれど、同情してあげられない。
「エ……ティ。違っ。手」
僕は、違う。唇にしろなんて言ってない。手にしろって言ったんだ。だから手を差し出して言ったんじゃないか。
言おうとしたが、口から出たのはぶつ切りのような台詞だけだ。
「それを貴方は踏みにじ――え……?」
エティの表情がさらに凍りつく。だが僕は彼女の事を気にしてあげられない。
混乱の中、ただ数えた。僕が口と口で接吻した回数は今まで二回だ。二回だった。
アシュリーの初めての我儘で一回。アリスが僕を転移させる時に無理やり一回。
そしてこれで――三回目。
ブリュムが呆然と僕とエティを見ている。彼女は証人だ。ブリュムに食って掛かった。
「今の、セーフ? セーフだよね?」
「え? あ……え? お、兄さん? い、いや……」
馬鹿な。アウトだと?
絶望。いや、わかっていた。わかっていたのだ。理解していたのだ。僕はエティにキスされた。
自身の身体が足元から崩れ落ちてくるかのような感覚。
「ちょ……フィル。手? 手って言ったのです? 今。じゃ、じゃあ私は――」
エティが憤怒ではなく、顔を真っ赤にして狼狽している。
弄りたい。弄ったらとても面白いだろう。だが、それどころではない。
僕はその瞬間、その瞬間だけ大規模討伐の計画全てを忘れ、白夜からの依頼の全てを忘れ、気持ちを切り替えるために慟哭した。
今感じている絶望を全て吐き出すように。
「……やっちまった……ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ……ど、どうしよう……」
いや、考えるまでもない。どうしようもない。ああ、どうしようもないとも。
もう諦めるしかない。事故だ。事故だが、言い訳は効かないのだ。
誰がなんと言おうとこれが三回目。僕の計画は終わった。
魔物使いの行動全てには意味がある。
キスされた唇を触れる。
僕は今まで、自身のスレイブを含め、口と口の接吻をした事がほとんどなかった。親愛を表すために額にした事はあったが、愛おしさを示すために頬にした事はあったが、口にした事はなかった。
キスの回数が三回未満である事。
それが特定種族と親愛を結ぶために必要な条件だったからだ。ユニコーンが処女のみを求めるように、世界には多種多様の文化を持った種族が存在する。
僕が今まで、いつかとある善性霊体種と契約を交わすために『あえて』とっといた三回目のキスは、僕のつまらぬミスによってあえなく消え去った。これで僕がそのスピリットと契約を交わす目はまずない。
確かに、契約する機会がない可能性の方が高かったし、それ程、固執していたわけでもない。が、ゼロパーセントと一パーセントでは全然違うのだ。自分から諦めるのと強制的に諦めさせられるのとでは全然違うのだ。切り札が一枚、無様に消え去ってしまった。
悪いのはエティか? 二度目を許可無く消費させたアリスのせいか? 否、そうではない。全ては僕の責任だ。
格好つけて省略せずにちゃんと手にキスをしろと命令すればよかったのだ。くそったれが。
勿論僕はこういう時のために次の計画を考えてある。ああ、そうだとも。準備していないわけがない。
崩れ去った計画を元に新たな計画を構成する。失ったものは大きいが、得たものもまた大きい。
失われた切り札の代わりに新たな切り札が手に入った。
ああ、本当に最低の気分だ。計画外の事が起こるといつも僕の精神は波立つ。冷静さはこれっぽっちも失われていないが、気分は最低だ。くそったれが。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
何事も切り替えが大事だ。終わった事は仕方ない。
頭のスイッチを切り替える。切り替えてみせる。切り替えないと死んでしまう。
全てを全て吐き出し、絶叫を止めた。
震える手。両手で自身の頬を叩く。よし、大丈夫。これで僕はいつもの魔物使い。みんなの味方、正義の味方のフィル・ガーデンだ。
息を整える。深呼吸をして今が平時だと自身の身体に理解させる。
落ち着くのに十秒ほどかけ、僕は顔をあげた。
大丈夫、僕は――冷静だ。
……さて、と。
エティの方を向く。エティがびくりと震えた。
勘違いさせてしまった。彼女には悪いことをしたかな。
微笑んでみせる。
そして、僕は脳内で時間を数えながら、エティに問いかけた。
「エティ、手だ。手にしてくれって言ったんだよ、僕は。以前みたいにね。スレイブとマスターの儀式みたいなものだ。わかるだろ?」
「あ……ああ……は、はい……」
はい? 本当にわかっているのか?
「大体、年頃の女の子なのにそういう風に無闇矢鱈と唇の接吻を試みるのはどうかと思うんだよね。モラルの乱れだよモラルの乱れ。例え命令されたと『勘違い』したとしても、倫理的にありえないね。そりゃマスターとスレイブ間の忠誠の印として手の甲へのキスは慣例だよ? だけど、だけどいくらなんでもさぁ、唇は……ねえ? いや、僕は悪いって言ってるわけじゃない。むしろエティみたいな女の子にキスされたら嬉しいんだけどほら、僕にも計画ってのがあるからさ……そういうの、いきなりだと――正直、困るんだよね」
エティの迂闊な行動のせいでアリスが騒いでるよ。
待てがいつまで効くのか甚だ疑問だ。こちらに転移してこなかったのが奇跡に近い。
最近のアリスを抑えるために僕がどれだけ苦労しているのかエティは知らないのだろう。いや、それは魔物使いのマスターとしてやってしかるべきタスクなので全然構わないんだけど。
別に怒ってるわけじゃない。怒ってるわけじゃないんだけど、僕は一人の人として教えてあげなくちゃいけない。今後、エティが恥をかかないためにも。
エティが涙目で頭を抱えうずくまる。頬も耳も真っ赤っ赤だ。
「うぅ……わ、悪かった、のですぅ。わ、私……とんでもない勘違いを……」
「それに、知ってた? 魔物使いの知識の一つなんだけど、キスの箇所では意味があるんだよ、エティ。手の甲なら忠誠だし、額なら親愛、頬なら思慕とかね。ねぇ、エティ。唇なら何だと思う? 分かるよね?」
「お、お兄さん……その辺に……その辺にしてあげて……」
「そうだよ、愛情だよ。あ、い、じょ、う! 分かる? 何? 君は僕がまさか命令で愛を強要するような人間に見えたの? もしそうなら、とても残念だよ。というか酷い誤解だ。僕はそれを強要した事がない。いや、今までなかった。エティ、魔物使いの行動には意味があるんだよ。そして、魔物使い学的にはスレイブの全ての行動にも意味があるんだ。何? エティ、君、知り合ってまだ二週間しか経っていない僕に愛情を感じていたの?」
そんなの、僕の知識にはない。
みんなそんな軽いんだったら僕は自身の魔物使いとしての理論を更新しなくてはいけないだろう。確証があれば更新するのは構わないが、僕がスレイブにヒアリングした感じだとそんな事実は――ないのだ。
エティの顔はまだ真っ赤のままだ。よほど自身のしでかした事が恥ずかしかったのか。
僕は数えてきっかり三分の間、言葉でエティを嬲り、最後に溜息で締めた。
あー、面白かった。ちょっとは溜飲も下がったかな。
さて、余計な時間を費やしてしまった。探索を開始することにしよう。
「じゃー、そろそろ進もうか。あ、エティ。キスだけど――後でもう一回やってもらうから」
「ふぇ??? ……あ、ああ、手の甲ですね。わ、わかったのです……もう二度と勘違いしないのです」
エティが俯き、ささやくような声で同意する。
んなわけあるか。くそったれが。
「唇に決まってるだろ。さっきのはいきなりだったし、一瞬で味もわからなかった。凄くもったいない。次はゆっくりやってもらうよ……」
「え? えええええ? な、ななな、なんで私がそんなことを――」
そんなの決まってる。
「エティ、いい事を教えてあげよう。二回と三回には隔絶した差があるけど――三回と四回の間に差はないんだよ」
三回でも四回でも結局アウトなのだから。
それが僕が君に求めるペナルティ。初めて行使する『愛情』の強要だ。
自身の唇をぺろりと舐める。上唇と下唇を撫でるように。
エティの想いなんて知らない。そんなくだらない事よりも、温存していた切り札を失い新たに手に入れた切り札。
『接吻』を『武器』にできるように練習しなくてはいけないのだから。
*****
さて、『機神の祭壇』の周辺は確かに強力な機械種が徘徊しているが、内部に入るのは難しい事ではない。
その周辺を徘徊している機械種は一定のルーチンで動いているからだ。種類も違うし、攻撃範囲も違うが、そのルートを考慮し、タイミングさえ見計らえばその監視の網の目をくぐり抜ける事は不可能ではないのだ。
アムとの探索で作成した地図を取り出し、岩の上に広げる。機械種の徘徊ルーチンを記載済みの地図だ。
徘徊している機械種が討伐されたりして新たな機械種が投入されたり、戦闘を行う事で行動に遅れが出たりしても、驚くべきことにこのルーチンはほとんど変わらない。それは外を徘徊する機械種達が相互に連絡を取り合い高度な連携を行っている事を示している。
八百メートル離れたここからでも機械種の動きは見える。その種類と場所によって今現在どのようなルートで機械種が動いていて、どの位置にいて、どの方向を向いているのか予想できる。後はそれに従い覚悟を決めて潜り抜けるだけだ。
「中でも一番やっかいなのはA203遠距離狙撃機兵アサルトナイトだ。広範囲の空間認識力と一撃必殺の狙撃能力を持った『機神の祭壇』外の最強の敵だ。その認識範囲は驚くべき事に八百メートル。中央付近を巡回範囲にしているからここまでは認識できないけど、もし数百メートルも前に進むような事があればここまで狙撃してくるだろう。こいつさえ攻略できれば内部に入ったも同然だ。わかる?」
「お兄さん、切り替え、凄いよね……」
「……え?」
……別に凄くもない。これはプロの探求者として当然の事だ。
顔をあげると、エティはまだ頬を染めたまま俯いていた。状態異常でもかかっているのだろうか。それとも精神汚染でもかかっているのだろうか。
アリスの恐怖が効いたように、この手の身体能力が突出している種族も状態異常耐性や精神汚染耐性は高くない事が多い。
いや、切り替えができていないだけか。
エティの前で音を立てて両手を叩く。今気付いたようにエティは視線をあげ、きょろきょろと周囲を見回した。
「エティ、ぼーっとしてるんじゃない。ここはもう……戦場だよ?」
「あ……え……ええ。わかっているのです。……はぁ」
これは重症だな。
まず、すべき事はエティの調子を戻すことだ。この状態で死地に踏み込むわけにはいかない。
作戦を変更する。こそっと忍びこむ方から正攻法に。
彼女は探求者、ならば無理やり精神を切り替えてあげればいい。
幸いな事にエティは有機生命種、その実力は精神に余り作用されない。ましてや繰り返し使っているはずのスキルだ。動きは精彩を欠くかもしれないが、スキルに大きな影響はないだろう。
こっそりブリュムの肩を叩く。
「ブリュム、悪いんだけどさ……手伝ってもらっていいかな?」
「……し、仕方ないなあ。あ、か、勘違いしないでね。私は一日でもお兄さんのスレイブになるつもりないから!」
「わかってるよ。だからちょっと手伝ってもらうだけでいい」
現在見えている機械種の種類と位置から、ルーチンを計算し入り口周辺に配置されているユニットの場所を推定する。ずっと止まっているわけではないので位置は随時変わっているが、遠距離狙撃能力に特化しているアサルトナイトの機動能力は高くない。
ブリュムに作戦概要を話す。その表情が浮足立ったものから真剣な表情に変化してくる。陽気な性格とは裏腹に彼女の探求に対する姿勢は真摯だ。
「なるほど……お兄さん、このために私を呼んだの?」
「意味もなく他のパーティのメンバーを巻き込んだりしないよ」
「……どうしよう、勘違いしてた。後でトネに怒られるかも」
その時は僕が庇ってあげよう。
今日は魔力回復薬のストックは大量にあるから、いくらでも魔法を使うといいよ。
ブリュムが大きく深呼吸をし、呪文を唱え始めた。
エティの機械魔術とは異なる元素魔術。この世界を構成する元素を利用した魔術だ。
元素魔術を正道、その他の魔術を邪道と呼ぶ者がいるくらい、由緒正しい魔術でもある。
「貴き水の恵みよ。精緻なる銀幕を今ここに示せ。『席巻する銀霧』」
ブリュムの髪が魔力の励起によりふわりと浮き上がる。
視界を完全に遮る純白の霧がスキル行使と同時にブリュムの足元から湧き上がった。勘違いする者も多いが、スキルの行使で発生する現象は決して物理現象に従わない。
霧が風もないのに流れ、『機神の祭壇』の入り口付近を白い靄で覆う。
「ブリュム、居場所を特定される。発生源がここだとまずい。発生源をずらせ」
「や、そんな事やったことないよ……」
「出来るはずだ。出来るに違いない。いや、出来なければおかしい。僕は実際にやっている術者を見たことがある」
魔術とは術者の精神に、イメージに大きく影響される。
時間を与えるつもりはない。そう易易とばれるとは思えないが、予防線は張れば張るだけいい。
ブリュムは目を瞑り難しい顔をしていたが、やがて糸口を見つけたのか足元から発生していた霧が数メートルずつ徐々にずれていった。
「で、出来た……しかも結構簡単……かも」
出来ると気づかない事は出来ない。思考を停止してしまえば思いつかない。
後は動かすのではなく最初から起動点をずらせるようにすべきだが、あえて口には出さなかった。いつか彼女自身でその可能性に思い当たるだろう。
程なくして、機神の祭壇の出入口付近が完全に深い霧に閉ざされる。アサルトナイトはその範囲内に全て入っているはずだ。
「お兄さん、範囲を覆ったよ」
「上出来だ」
霧の外。巡回している機械種の動きが変わる。異常に気付いたのだろうか。だがもう遅い。
ぼんやりしているエティの頬をつねる。後輩探求者にばかり仕事をさせるなんてダメな探求者だ。先ほどまでの凛々しいエティはどこにいってしまったのか。
僕のスレイブに甘えは許されない。
「ひゃ!?」
「ブリュムは役割を果たした。さぁエティ。僕に君の力を――見せてくれ」
僕の言葉にエティがよろよろと立ち上がり、霧の集まっている周辺にぼんやりとした視線を向ける。
そうだ、僕のスレイブ。
その脳内の霧を晴らす。指を指す。指揮を取る。
そして、僕は声高く『命令』した。
「さぁ、エティ。『電撃光線砲』」
「ッ!! 『電撃光線砲』」
僕の命令に続き、スキルが行使された。
膨れ上がった閃光が一瞬だけ視界を塞ぐ。
稲光を伴いエティの向けた手の平から放たれた蒼き閃光が、ブリュムの囲んだ霧を真っ直ぐ貫き、空気中の無数の細かい水の粒を伝播して周囲一帯を電撃で焼きつくす。
一キロ近く離れたこの場所まで轟く程の音と光は信じられないくらい大規模で現実感がない。機械種が苦手とする電撃系の魔術。A級下位の機械種などひとたまりもあるまい。
その間に召喚されたままだった機動装置に乗り込む。事前に説明してあったブリュムも速やかに飛び乗った。
唖然とした表情で結果を見ているエティの腕を引っ張りあげ、無理やり前の席に乗せる。
「さぁ、この隙に突入するよ」
「は、はい!」
雷光と雷鳴で目が覚めたのか、エティの目に光が戻っていた。
機動装置が跳ねるような動きで入り口に向かう。一キロ程度の距離など僅か十数秒で踏破する速度。
霧と雷撃で優先順位の選定がうまくできていない機械種なんて存在していないに等しい。
予想通り、狙撃の洗礼を受ける事もなく危険地帯を通りぬけ、機神の祭壇の入り口――広く開かれた階段の手前に大きく着地した。十六脚の鉄柱が床を貫く鈍い音が響き渡るが、電撃系の魔術をぶちかましておいて今更おとなしくも何もない。
これはもはや潜入ではなく――強襲なのだ。
ブリュムは初めて眼の前にするA級迷宮に酷く不安そうだったが、エティは目を白黒させていたが、僕は反対に気持ちが楽だった。
アムと二人きりで潜入した時と比べ、何と充実した戦力だろうか、と。




