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Tamer's Mythology  作者: 槻影
第二部:栄光の積み方

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第二十三話:で、何か質問ある?

「いやぁ、貴方程の高ランクの探求者が参加してくれるとは……『灰王の零落』も成功したようなものですな」


「あははははは、いえいえ、一人の探求者として街の危険は放っておけません。若輩ながらお力添えさせて頂きますよ」


 肥えた男だった。

 頭頂に生えた耳に豚に酷似した鼻、外見的特徴からヴィータの一種であるオークの系譜に違いない。

 強い性欲と食欲を持つオークは一般的に魔物の一種だと思われる事が多いが、それは間違いだ。一部のオークはその本能を超越した極めて強固な理性によって人社会に溶け込んでいる。

 その贅肉が付いているかのような突き出た腹を僕達プライマリーヒューマンと一緒にしてはいけない。彼らのそれは種族特徴の一つであり、そのほとんどは筋肉でできている。人種から醜悪に見られるその顔形も同様にただの一つの特性であり、価値観が違うだけだ。


 僕は諸事情があって反吐が出る程、オークが大嫌いだが、この人のように理性的なオークは嫌いじゃなかった。むしろ窮屈だろうに、本能をねじ伏せ地位を得るまでに精進し、こうして今、会話を交わしている様子は好ましくすらある。


 名をバルディ・バルディと言う。豚面とも呼べる独特の顔つきと身長二メートル程度の巨体を持つ老年のオークだ。そして、レイブンシティの最高権力者――領主でもあった。


 顔つき、体つきは豚に似ていても彼はれっきとした知識人であり、その佇まいは洗練されていた。

 その屋敷も広く、貴族の屋敷のように装飾さえ無いものの清潔に保たれており、彼の人柄が知れる。出された紅茶とケーキの食器もアンティーク調で、高くはないが上品なものだ。


 応接室にも見たところチリ一つない。その動作、会話した様子から彼の敏腕さは知れる。

 このレイブンシティが機械種という強大な魔物の只中にあって、まだ高い治安の良さを保っているのは彼の手腕によるものが大きいのだろう。仕草からして戦闘の経験はないようだが、そんなものは領主には不要なのでデメリットでもなんでもない。


「いやいや、本当に少し心配だったのですよ、最高ランクの探求者なくして大規模討伐を越えられるか。ランド君もエトランジュ君も確かにやる男なんですが、大規模討伐にはやはり高いリスクがありますからね。ご存知かもしれませんが、この街にはSSS級探求者がたった一人しかいないのです。古くからこの街に居る変わった男で、能力は極めて高いのですが、何分、分野が戦闘ではなく――」


 探求者にも種類がある。むしろ僕が恐ろしいのはただ戦闘力が高い探求者ではなく、この街を根城にしている男のようなそれ以外を専門分野にした探求者だ。

 だがまぁ、こういった事態に直接的に役に立たないのは確かな話。バルディさんの憂慮も分かるので、僕は余計な事を言うのをやめた。後、エティは男じゃないからセットにしないで欲しい。


「まぁ、人それぞれ得意分野ってのが有りますからね。そして多様性は決して悪いことではない、SSS603型クイーンアント――アルデバランは必ずやその事を知るでしょう。その身を持って……ね」


 そもそもの話、例え数が数千いたとしても機械種という単一種族で混成軍と戦うのはハードルが相当に高い。

 僕がアルデバランの立場だったら絶対に逃げるね。


 僕の言葉を自信と受け止めたのか、バルディさんがふごふごと笑う。


「さすがの自信ですな。大規模討伐の経験がおありで?」


「ええ。そうは言っても、たった二回ですが」


 王国の大規模討伐は抽選である。探求者が多すぎるのだ。

 最後に受領できたのは三年前だが、それ以降何度か発生した大規模討伐依頼は全て抽選で落ちた。落とされた。まぁ二回目でやり過ぎたので、仕方のない事だ。


「十分ですよ。土地柄、ここらの地域で大規模討伐ってのは滅多に起こらないものでして……前回がもう五十六年程前で、経験者が少なく困っていたのです。やはりグラエルグラベール王国では大規模討伐も多いのでしょうね」


「ええ、まぁ。年に一度か二度は発生しますね」


「年に一、二度ですか……恐ろしい土地ですな」


 大量の迷宮に大量の魔物、そして大量の探求者。

 あの場所は正しく――魔境である。魔境とそれに対抗するための強大な兵力を包括した王国。

 それがグラエルグラベール王国だ。

 あの国程、常在戦場の言葉が相応しい国はないだろう。


 だが……まぁ、それは置いておこう。今重要なのはこの街の事だ。


 紅茶を飲みながら、ケーキを食べながら雑談を続ける。穏やかな時間だ。

 紅茶も美味しいしケーキも美味しい。良い材料を使っているのだろう。

 僕はこの街に来て初めて自分の調理したもの以外の料理で美味しいと感じていた。運んできたメイドさんもちゃんと可愛かったし、この人、やっぱりいい人だ。


 事前に調べた情報によると、バルディさんは領主になるまでは一介の商人だったらしい。叩き上げ、というやつだ。オークという偏見を抱かれやすい種族のハンデを持った彼が商人となり、そして領主となるまでの間には僕がSSS級に上がるのにかけた労力以上の労力を費やした事だろうに、その佇まいからは苦労を感じさせない。


 まぁ、只者ではないよね。


 そんなことを考えていると、ここを訪れた際に接客してくれたメイドさんが扉を開けて入ってきた。猫人(ワーキャット)の女の子だ。メイド服はアリスの物と違って装飾が少なく、実用的なものだがよく似あってる。ぴょこんと生えた耳は黒猫のそれで、とても可愛らしい。尻尾弄りたい。頭撫でたい。


「……え? な、なんでフィルがいるのですか!?」


「エトランジュ様がお越しになりました」


 メイドさんに案内されてきたエティが目を丸くしてソファに座る僕を見た。早速、ぽんぽんと隣を叩いてみせる。

 よほど驚いたとみえる、メイドさんが去った後も棒立ちになったままだ。

 きょろきょろと所在なさ気に周囲を見ていたが、やがてその視線がバルディさんで止まった。


「……バルディ、どういう事なのです? なんでフィルがここにいるのですか?」


「おお、エトランジュ君は既にフィルさんと知り合いだったか……」


 まぁ、大規模討伐の話をしにきていきなり知り合いがいたら驚くだろう。


 エティは胡散臭いものでも見るかのような表情でこちらを見ていたが、諦めたように僕の隣に座った。

 この間と異なり、エティの格好は機神ではなかった。普段着なのか、図書館で初めて会った時と同じ灰色のベストに黒のレギンス。全体的に地味目なのは機械種をいじる種族であり、汚れてもいい服装を心がける習性が染み付いているだろう。


 素材が悪くないのでまだ見れるが、今度、(ソウル・ブラザー)として可愛い服装を選んであげよう。


「……何なのですか? ジロジロこちらを見て……」


「いや、勿体ないなあって。こういう場に来る時くらいちょっと華やかな格好をすればいいのに」


 TPOは弁えなくてはならない。

 特に権力者の前ではそうだ。そういった細やかな心配りが後々に効いてくるのである。


 だから僕は全身を決めている。初対面での印象は最も重要な物だ。


 深い藍色のコートに同系統のインナー。鉄色のベルトにはグラエルグラベール王国で使用していた黒の鞭がこれ見よがしとささっている。魔物使いなので戦士系クラスの鎧のように目立つ装備ではないが、魔術師職のそれとしてはハイレベルの代物で、多種多様なパッシブスキルがかかっているので探求時などの長丁場で着ていくと僕の場合は魔力不足で簡単に倒れる。


 アリスのアナザースペースに格納していたもので、シィラ戦に着ていったものではない。


 つまり、完全な見た目装備である。お城に呼ばれた時などは着ていくが、探求時に着ることはない装備群だ。

 エティは僕の言葉をスルーすることにしたらしい。こちらの全身をじろりと見て溜息をついた。


「……どうしたのです、そんな装備をして……一応言っておきますが、バルディは貴方の普段の姿をこの間、酒場で見ているので今更取り繕っても意味ないのですよ」


 知っている。そんなことは知っている、が、重要なのはそこではない。

 TPOをわきまえている人間だと考えられる事が重要なのである。

 確かにこの間オフの時の姿を見られているが、あの時は自己紹介すらしていない。

 だから僕は格好を変えてここにいる。自らの存在を誇示するために。


 エティの中での僕の評価は既に大分低い。アリスが来た際の命令が効いているのだろう。彼女自身のためとはいえ、やりすぎた感がある。じわじわと真綿で首を絞めるように教えるべきだった。

 仕方ない。『死んで欲しいのです、フィル』の評価から『仕方ないのです、フィルは』の評価にするために頑張ろう。


「ギャップ萌えを狙ってるんだ」


「……そんなもの狙わなくていいのですよ……」


「似合ってる?」


「……はいはい、とっても似合ってるのです」


「心が篭ってない!」


「にーあーってーるーのーでーすーよー」


 間延びした声。欠片も心が篭っていないが、まぁいいだろう。

 ふざけた回答から読み取れた事もある。僕の評価はまだ挽回可能のようだ。


 エティが僕の隣を一個分開けてソファの端に座る。僕はすかさずその距離を詰めた。


「……フィルのその貪欲さを、私も見習うべきなのかと思うのです。……一応聞いておきますが、それ出来なくてもランクはあがりますよね?」


「ランクを決めるのはポイントだけだよ。まぁ、貪欲に依頼を受けないとSSS級には上がれないのは確かだけど、でもそれはこの貪欲さとは別種のものだね」


「……ふむ、ずいぶんと仲がいいようですな……」


 バルディさんが目を細めて手持ち無沙汰げにティーカップに触れる。

 僕は少しだけ考えて答えた。


「いや、別に仲がいいわけじゃない。これは僕の――基本的な姿勢です」


「……フィル、貴方ってたまに最低なのです……」


 好感度の上下。感情のぶれ。

 それは隙だ。そしてプロフェッショナルの僕はその隙を見逃さない。


「今日は……オンなんだよ」


「……そういう態度を出さなければもっとうまくいくのですよ、きっと」


「あははははは、嘘をつくのは……苦手なんだ」


 仮初の態度で好感を稼いだ所でいつかボロが出る。意味がない。

 誠意とはそういうものではないのだ。だから、僕がこういった態度を取って嫌われるのならばそれはそれで仕方のない事なのであった。


「…………」


 エティの碧眼がまるで何かを窺うように僕の眼を見上げている。何も隠している事はない。僕は正真正銘の清廉潔白で、だから目をそらす必要もない。

 そのまま、エティは僕を睨みつけた。


 無言の攻防。


 ビリビリくるような魔力の波動が視線に乗せられ送りこまれてくる。機械魔術師の内包する莫大な魔力は僕の十倍じゃ二十倍ではないだろう。

 存在としての格の違いが視線に乗せられて僕の魂を揺さぶる。ある種の耐性がなければ抵抗出来なかっただろうそれは物理的な力を用いない暴力だ。このレベルの探求者になると視線で人を殺せるのである。


 僕とエティの間にある攻防を感じ取ったのか、バルディさんも言葉ひとつ出さない。

 やがて、それは開始と同様に唐突に終わった。


「……はぁ。大したものなのです……本当に」


「探求者になってもう九年も経つから、まぁ経験はあるよね」


「……はぁ、もう何も言わないのです。バルディ、それで、なんでフィルがここにいるのですか? なんとなくわかりますが、一応貴方の口から聞きたいのですよ」


 エティの視線が外れる。だが、距離感は肩と肩が触れ合う程に近い。僕が詰めたせいだが……今はこの距離感で満足しておこう。


「ああ。フィルさんがクイーンアント討伐に参加して頂けるとの事だったので急遽呼び出させてもらった。後一週間で開始予定だし、新たなメンツとの顔合わせは早ければ早いほどいいだろう? 尤も、エトランジュ君の様子を見るにそんな心配不要だったようだがね」


「……どういう風の吹き回しかわかりませんが、まぁいいのです。高レベルの探求者は多ければ多い程いいですから……」


 エティはそう言ってそっぽを向いた。


 然もありなん。

 僕の場合は例外だが、高位のランクを持つ探求者は本来、低位の探求者が束になっても敵わない存在だ。大規模討伐の時は高位探求者――特に大規模の魔物を相手としたスキルが多い魔術師系の探求者の数が物を言う。

 そういう意味で言うと、魔物使いという一種の魔術師系クラスを持ち、SSS級という高いランクを持つこの僕は見た目だけならばかなり大規模討伐に適した存在なのだ!

 まぁ内側はあれなんだが、見た目って大事だよ。


「そんな事を話すために呼んだのですか? 参加するなら参加するでギルドの方から依頼を受領してもらえば――」


「失礼します。ランド様がお越しになられました」


「バルディ、いきなりの招集だけど何かあったのかい? ……あれ? なんでフィルさんがいるんだ?」


 やってきたランドさんがエティと同じ事を尋ねるのを見て、僕は溜息をついた。



*****



 錚々たる顔ぶれが揃う。どうやら全員招集したらしい。


 見知った顔、オフの際に自己紹介した顔、話したことすらない顔もいるが、そのほぼ全員を僕は既に把握していた。

 SSS級の探求者こそ居ないものの高いランクを持つ探求者に大規模クランの長、ギルドの副マスター、それらを全員殺せばこの街は回らなくなるであろうメンバーだ。数が少ないのは、急な話であり、本当にメインのメンバーのみを集めたからだろう。S級の探求者であるガルドがいない事からもわかる。

 僕が直接会話を交わしたことがあるのはランドさんとエティを除けば副ギルドマスターのマクネスさんくらいである。その後ろについて回る全身鎧を付けた二メートル近い巨漢の男は彼の護衛だろうか?


「バルディ、いきなりの呼び出しだが何かあったのか?」


「ああ。朗報だ、マクネス君。『灰王の零落』にSSS級の探求者が参加してくれる事になった」


 マクネスさんを初めとするほぼ全員が眼を見開いた。驚嘆の感情。

 そのような反応をしていないのは既に僕と関わりあいがあるエティとランドさんだけだ。


 そこまで、この街の探求者は高位の探求者に飢えていたのか。


「……討伐開始まで一週間と迫ったこの時期に、か。しかし、この街の探求者でSSS級というと――」


「いや、彼じゃない。ここにいるフィル・ガーデンさんだ」


 視線が僕に集まる。

 驚嘆の視線、物珍しげな視線、恐怖の視線、怒りの視線、悦びの視線、不審の視線。

 僕はそれら全てに笑顔で返し、立ち上がる。さて、ファーストコンタクトだ。


「初めまして、フィル・ガーデンです。クラスは魔物使い、一応SSS級の探求者をやらせていただいています。以後、お見知り置き下さい」


「……君が、SSS級の探求者、だと?」


 マクネスさんが表情を歪めて僕の全身を再び舐めるように精査した。

 おそらくステータス閲覧系のスキルも行使しているのだろう。無駄である。そのステータス閲覧系は人の能力値は測れるが地位は測れない。僕は一山いくらの探求者の実力しか持っていないのだ。


 だから、それを証明するためにギルドカードを差し出す。

 白銀色の輝きは探求者の最上位たるSSS級の証。マクネスさんが差し出されたカードと、そこにパーソナル情報が表示されている事を確認する。


「間違いない……だが、君がSSS級探求者……いや、魔物使い(テイマー)のクラスと言ったか。マイナーなクラスではあるが……ありうる、のか?」


「貴様が、SSS級の探求者ぁ? とてもじゃねえがそうは見えねえなぁ」


 マクネスさんの声を遮り、紺色の髪の男が前に出た。紺色の長髪を縛った偉丈夫。背の丈は僕よりも高く、威圧するかのような釣り上がった瞳。見るからに喧嘩っ早いその容貌は一般人の考える探求者の姿そのものだ。


 探求者ランクS、槍士(ランサー)のクラスを持つ豹人(ワーパンサー)の探求者。

 ギルドからは性格にやや難ありと評価され、しかしその疾風迅雷の槍術による高い戦闘能力と、その見た目にあわぬ細やかな判断力でこの街における上位の探求者となった男。


 ハイル・フェイラー。

 この街では数少ないS級の探求者が、そのちりちりくるような熱い敵意の篭った視線を僕に向けていた。

 背に背負った槍は長槍と比べれば短いものの、剣と比較すれば遥かにリーチに優れている。ましてやランサーのクラスを持っているのならばそのリーチは槍の長さ以上に広いはずだ。


 この手の獣人種(ワーアニマル)には群れ意識と呼ぶべきものが――強者を見極め強者に従う本能がある。言葉での説得は無駄だ。

 ましてや彼はソロの探求者、俗にいう『はぐれ』である。

 本来群れを作る種族から外れて一匹で戦い続ける者。一般的に言ってその傾向はより強いはずだった。

 だから、仲間となるために僕は彼を御さねばならない。


 僕はその哀れな獣を見下した。


「試してみるかい?」


「……上ッ等じゃねえかあ!」


 激高。容易く沸点を突破し、その槍が抜かれる。彼の髪色と同様の紺色の槍だ。


 槍頭から漏れ出る冷気。

 保持する魔力は氷。属性武器は強力だ。当たらなくても対象にダメージを与えられる。氷は炎と比較すると威力は劣るが行動阻害の効果はともすれば高い威力の炎の武器よりも厄介なものだ。


 バルディさんが息を飲む。

 マクネスさんとエティ、ランドさんやその他の探求者はまるで見定めるかのように僕を見ている。わかっているのだ。腕っ節を示すことこそが他の探求者に認められる最短の手段だと。それは探求者ならば誰もが通る通過儀礼でもあった。


 瞳の奥。戦意の炎の奥底に垣間見える怜悧な意志。ハイル・フェイラーはチンピラみたいな風体だが、力馬鹿ではない。

 まるで見定めるような知的な光がその奥にはある。ただのチンピラがSランクの地位を得られるわけがないではないか。多分。


「……おい、てめぇ。武器はどうした?」


「不要だね。『スレイブ』すら不要だ。遠慮なくかかってくるといいよ、ハイル・フェイラー。大丈夫、手加減してあげるから」


「てめえ……俺の名を――」


 その表情に奔る一瞬の情動。怯え。

 それを振り切るように、槍が大きく旋回した。残像が紫紺の円を描き、付与された氷の元素属性(エレメンタル)が室温を急速に下げる。

 その速度は音速すら容易く突破し、巻き起こされる風はそれだけで身体を吹き飛ばす程に強い。

 本来ならば数アクションが必要とされる槍が時すらも切り刻み、穂先が僅かの隙もなく閃光のように煌めいた。それは間違いないS級探求者の名に相応しい熟練の技だ。


 例え同じ槍を持っていたとしても僕程度の筋力でそれを受けきれるわけもなく、受け流した所で再度襲いかかる槍に討ち取られるだけだろう。

 僕は目の前に迫る死をポケットに手を入れたまま見ていた。


 僕程度のステータスじゃ抗うことすら考えられぬ一撃。そもそも魔術師系のクラス持ちではその技は受けきれるようなものではない。


 ――だが、何事にも例外はあるものだ。


 確実に僕の脳髄をぶちまける勢いで放たれた槍は、僕に傷一つつける事なく眼の前で停止していた。


「……何のつもりだ」


「本当にフィルは度胸だけはSSS級なのですね……」


 眼の前僅か数センチの所で、槍の先は透明な壁に止められていた。


 『遮断障壁(シェルター)』は機械魔術師の好んで使う防御スキルだ。透明な壁を顕現するスキルで、面積こそ狭いものの、その防御性能は僧侶などの防御魔法と比べても圧倒的に高い。

 当たり前だが僕が使ったスキルではなかった。


 隣に座っていたエティが深い溜息をつく。

 ワンフレーズすらなく、一瞬でのスキルの行使。馬鹿げた才能を持つ小人(ピグミー)


「せめて目ぐらい瞑って欲しいのです。度胸があるのはいいことですが、そこまでいくとただの馬鹿に見えるのですよ……フィル、今貴方、私が助けなかったら『死んでた』のです」


「助けてくれると思ったから動かなかったんだよ」


 だから言っただろう。スレイブを使うまでもない、と。

 これが信頼。これこそが信頼だ。それに対して命を賭ける事を僕は厭わない。

 愛おしげに(ソウル・シスター)の髪に触れる。エティはくすぐったそうに、そしてとても面倒くさそうに首を振った。


 ハイルの表情が獰猛な笑みに歪んだ。


「面白え! 面白えよ、お前! だが、次はどうだ!?」


 槍が再び翻る。残滓すら残さず、一瞬で引かれたそれ――氷柱にも似た切っ先が腕の動きすらなく先ほどよりも遥かに疾い速度で放たれた。

 先ほどの槍術は完全に腕前だったが、今度の攻撃はスキルだ。槍士の基本スキル。


 『連閃』


 モーションのない二連続の突き。

 貫通力と速度は筋力に依存するが、基本的にはスキルを使わぬ刺突より疾い。

 スキルを使わない先ほどの一手は様子見に過ぎない。長き探求者としての鍛錬の末に身に付けたクラスと、それに付随するスキルこそが彼らの本領。


 基礎スキルではあるが、それは槍士のクラスを持たない者には放てぬ一手だった。槍術の単位を半年で取得した僕でも不可能だ。


 それを、僕は瞬き一つせずに見ていた。

 それを、エティは鼻で笑った。


「やれやれ、無駄なのですよ……『無人軌道要塞(ノーマン・フロート)』」


 以前アムに喧嘩を売った時(売られた時?)に気付いていた事だが、エティはなかなか喧嘩っ早い。戦闘能力の高い高位探求者にありがちな事だ。僕のためだとかそういう話ではなく、彼女たちはいつだってその力を行使できる機会を望んでいる。


 魔力がこの世の現象を歪める独特の違和感。

 金属同士がぶつかり合う激しい音を立てて、必中だったはずの槍が大きく弾かれた。

 ほとんどラグなく再び斜め上空より降ってきた閃光もまた、真横から飛び出してきた黒い影に容易く叩き落とされる。


「な、なんだそりゃ……」


 エティの周囲で拳大の黒鉄の球が五つ、ゆっくりと回っていた。


 いや、正確に言えば球ではない。それは一つの魔導機械(マキーナ)だ。変幻自在に動き回るための噴射口と翼を持ち、独立して動く防衛装置。

 ランサーのクラスのスキルの中でも速度だけなら上位を誇る『連閃』に追いつき、叩き落とす程の速度と、魔槍を受けて傷一つ付かぬ防御性能。


 まるで女王蜂を守る兵隊蜂のように忠実に周囲を守るそれはたった一機で数千万を超える高性能の魔導機械であり、それを召喚し操るスキルこそが機械魔術師のスキルの一つ、『無人軌道要塞(ノーマン・フロート)』だ。


 三度、槍が薙ぎ払われる。もはやそのターゲットは僕ではない。

 目にも留まらぬ蒼の閃光がエティに降りかかり、黒鉄の守護者とぶつかり合った。立て続けに発生する銃撃のような音にバルディさんが身を縮め、耳を塞ぐ。


 槍の速度も無人軌道要塞の速度も、あまり優秀な動体視力を持たない僕の眼には同じ『超速い』としか映らない。本来ならば熟達したランサーの速度に一介の魔導機械が追いつけるわけがないが、その速度、要塞としての機能はエティのスキルによってブーストがかかっている。


 エティは完全に護りに徹することにしたらしい。

 然もありなん、ハイルの槍術はなかなかだが、エティはSS級の機械魔術師である。その強力なスキルの数々は、不意打ちでもなく真正面から争って勝てるものではない。ハイルも恐らく全力を出してはいないが、エティは完全に遊んでいる。


 しばらく様子を伺っていたが、応酬は止まる気配がない。誰も止める気配がない。


 口を挟む事すら許さない神業による応酬。

 仕方ない、僕が止めてあげることにしよう。もう十分遊んだだろう。


 絶え間ない連撃の隙間を見計らって、僕はエティの後頭部にチョップした。嵐のような槍撃を前に僕の手刀は攻撃であって攻撃でない。優先度は最低限だ。

 凄まじい速度で飛び回り、主を守護していた魔導機械はあっさりと殺意の……いや、戦意すら乗らない僕の手刀を通す。


「痛っ……な、何するのですか、フィル!」


「僕は意味のない時間の無駄が嫌いなんだよ」


 意味のある無駄な時間は大好きだが……意味のある無駄な時間……矛盾しているかな?


 エティが頭を抑え、こっちを恨みがましく見上げた。それを無視し、まるで『親しい仲』であるかのようにエティの頭にそのまま手を置く。


 そうしている間も魔導機械はハイルの攻撃を針に糸を通す緻密さで完璧に防いでいた。

 だが、それは無駄だ。時間の無駄。実力差はもうわかっているだろう。


「ハイルも手を止めろ。十分わかっただろ? 実力は」


「……てめえのじゃねえけどなッ!!」


 売り言葉に買い言葉。しかし、その視線は口から吐いた言葉とは異なり、僕の手を見つめていた。

 防衛機構をすり抜けエティの頭を打った僕の動きはまるで魔法のように見えるだろう。


 視線の質が変わる。戦意の向き先が変わる。エティからこの僕に。

 経験で分かった。これが最後の一撃だ。僕を試す最後の一撃。


 槍閃が煌々と赤く発光する。槍を撃ち放った残心に混じる氷の属性武器特有の蒼の光とは違った輝き。

 槍自体が輝いているのだ。僕は一目で次に来るスキルを看破した。


 見知ったランサーのアクティブスキル。突きの波を放つ中級のスキルであり、槍本体だけでなくその残滓に攻撃の属性を与える『ピアシング・ウェイブ』

 基本的に一対一を得意とする戦士系のクラスではあまり見られない『面』の制圧を可能とする攻撃スキルだ。


 防御スキルはそれこそ星の数程存在するが、それぞれ長所と短所ががある。

 自動で動きまわりあらゆる攻撃を受け止める機械魔術師の無人軌道要塞(ノーマン・フロート)は点や線での攻撃を受け止めるのには優秀な効果を発揮するが、面の攻撃を相手取るのには適していない。

 機械魔術師との戦闘経験はなさそうだが、わずか十数秒のやりとりでそれを看破したのだろう。まぁ、出来て当然である。


 それでも、機械魔術師の持つ豊富な防御スキルならば防げるものはある。

 だが、僕はエティの頭をもう一度撫でて、エティの身体をその攻撃の射線から退けた。


 まだ発動していないのに、衝撃が伝わってくるかのような武技。例え才があったとしても、並大抵の努力ではなかったはずだ。

 僕は唇を舐め、初めてSSS級の探求者としてハイルに向き合った。


「……やるじゃん」


「っ、これでも平然としていられるかぁぁぁぁぁあ!!」


 咆哮に刹那の瞬間、気圧される。


 やれやれ、今回は僕の負けだ。君は強い。

 だが、この敗北は決して無駄ではない。何しろ今回、彼は味方だ。味方は強ければ強い程いいのだ。


 槍の波(ピアシングウェイブ)が確かな実体を持って僕の身体を貫く。

 僕は眼の前に迫るそれをただ、見ていた。


 そして、その瞬間、全てが止まる。

 空気が音をたてず凍る。


 槍のまとった真紅の光が、淡い黒に輝き消える。スキルがキャンセルされた際の現象。槍が無理やり引き戻された。


 エティが全身を撥条(ばね)にして前方に転がる。同時に、蹴りを放ち重厚な木造りのテーブルをひっくり返す。盾にするために。

 食器の破砕音が応接室に響き渡る。だが、誰一人その事を意識していない。


 ハイルがバックステップで距離を取る。スキルの強制キャンセル、戦意を止めてまで退避を選んだのだ。その表情には先ほどまでの獰猛さはなく、ただ無我があった。

 頭髪が逆立ち、藍色の虹彩がまるで夢現でも追うようにあたりを探る。両手に握られた槍は光こそ残っていなかったが、先ほどは見えなかった殺意が溢れている。


 ランドが腰から護身用にしては大振りのナイフを抜き取る。いや、その大きさはナイフと言うよりは山刀(マチェット)に近い。刀身の厚さこそ薄いが、人の首くらいならば容易く刈り取れるだろう。いや、ドラゴニアの膂力なら機械種の装甲さえ両断できるかもしれない。


 マクネスさんは後に立っていた全身鎧の巨漢と入れ替わるように後に退いた。

 鎧が殺意も焦りもなくその背に背負っていた金属の塊――バスタードソードを抜き、流麗な動作で構えた。緻密な動きと感情の振れ幅の少なさ。あの全身鎧、マクネスさんが契約している機械種のスレイブに違いない。


 唯一の一般人、バルディさんはまるで蛇に睨まれた蛙のように立ちすくみ、呆然とこちらを見ている。


 ソファの上で脚を組み替える。僕の一挙一動が注目されていた。

 せっかくの高級な紅茶は絨毯にぶちまけられ、足元まで染みを作っている。


 まぁ悪くない。デモンストレーションとしては上等だ。


「な、に……今の――」


「悪いね。スレイブは不要だとか言っておいて……あまりにハイルが強いから『少し』だけ使ってしまった」


 いや、正確には主の危機に勝手に暴走してしまった。

 暴走する事は分かっていた。さっきからずっと脳内に聞こえるアリスの声からは容易く読み取れた結果だ。

 まぁ、だがまだみんな生きている。許してくれるだろうか。許してもらおうか。

 

「スレ……イブ?」


「馬鹿な……何だ今のは……物理攻撃でも魔法攻撃でもない」


 細かに震える腕、先ほどとは何も変わらぬ槍の穂先を見てハイルが呟く。

 見当違いの言葉だ。経験がないか。ならば教えてあげよう。


「あはははははは、攻撃じゃない。攻撃でなんかあるはずがない」


 何も起こらない。これ以上は起こさせない。待て(ステイ)だ、僕のアリス。


 殺意を感じる能力は探求者にとって重要だ。

 五感によらない第六感とも呼ぶべきそれは、あらゆる時と場所で自身の事を守る。

 だから、彼らは誇るべきだった。見えもしない脅威に対して僅か一瞬で反応できるというのは、一人の戦士として優れているという証だから……だから、ハイルは自分の手が震えている事を恥じるべきではないのだ。


 僕は唇を舐めて教えてあげた。睥睨して教えてあげた。とても偉そうに教えてあげた。

 そう、攻撃でもなんでもない。


「今のはただの――殺気だよ。ちょっとだけ、僕のスレイブが怒っただけだ」


 悪性霊体種はこの手の能力に秀でている。

 殺気、いや、それをさらに突き進めた位置にある同系統の種族スキル――恐怖(フィアー)


 特に有機生命種(ヴィータ)に根源の恐怖を与えるアリスのそれが、憑依を介して放たれただけ。

 ただ、それだけだ。何も心配はいらない。

 彼女は僕の――スレイブだから。


 さて、『予期せぬ』事故で空気が悪くなってしまったね。


 再び脚を組み替え、全員を威圧するようにもう一度、睨みつけると、僕はこの空気を飛ばすべく、改めて自己紹介をさせてもらった。


「さぁ、座りなよ。自己紹介が途中だったね。僕の名前はフィル・ガーデン、SSS級の魔物使い。スレイブは悪性霊体種(レイス)のアリス。今回の大規模討伐では――君たちの『総指揮』をさせてもらう。で、何か質問ある?」

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