第二十一話:そして、ここで決めゼリフ
探求者ギルドは今日も人が多い。
雑多とした雰囲気は規模や探求者の種族分布こそ異なるものの、王国のそれとよく似ていた。
フォルモ・スコーピオンロード。
このレイブンシティ近郊を根城にしていたSSS級の機械種の一体。
近郊といっても数百キロは離れているが、それでもこの近辺を縄張りとしていた王の一柱。
レイブンシティに出ていたSSS級依頼の一つ。だが、僕の脳内のリストのその名前の項目には既に線が引かれている。
生命の残量の懸念はあるものの、アリスの方がまだまだ強い。全て想定の範囲内の事だ。
想定内とは言え、この街の探求者が討伐しあぐねていたその機械種を昨晩のうちに倒し、帰還まで果たした彼女の事を、寝過ごしてしまい褒めてあげられなかったのは僕の痛恨のミスと言えるだろうか。まぁ一回一回褒めていたら埒が明かないので後でまとめて褒めてあげよう。
閑話休題。
機械種
この世に存在する種族の一つ。正式名称を無機生命種と言う、創られた命を持つ種族だ。
その存在のルーツは彼らの心臓である『存在核』の生成まで遡ると言われている。今から遥か数千年の昔、それを成したのは、全ての機械魔術師の祖と言われた男だ。
当時の時代をこの目で見たわけではない。
数千年の時を生き延びられる存在は竜種をはじめとした、ひどく限られた時の流れに惑わされぬもの――超越した種だけだ。
だが、自らの目でみなくてもわかる。それは画期的な発明だ。
画期的な発明だった。そう、
――この世界のパワーバランスが揺らぐほどの。
相剋
万物には相性がある。
水剋火を初めとする、一般的な五行が有名だが、それは種族に置いても当てはまる。
悪性霊体種は有機生命種に強く、善性霊体種に弱い。
そう、機械種はかつて最強だった一つの種族に終止符を打った。
それ即ち――幻想精霊種に分類される種族群に。
人の心に潜む幻想から発生するその存在は、明確な理によって生み出された機械種を嫌う。
無機生命種は幻想精霊種に強い。
この街の住人分布もそれに準じている。
レイブンシティは勿論、隣の街であるセントスラムやリュクオシティを合わせても、幻想精霊種の数は最も少なかった。
それを考えると、アシュリーがこの場に居ない事はある意味、幸運だ。
彼女は確かに強いが、天敵たる機械種を飲み込むほどの幻想に満ちているが、それでも彼女に負担をかけるのは僕の本意ではない。
そもそも、相手は機械種。
いくら僕が弱かったとしても――負けるわけがないのだ。
無機生命種は有機生命種に弱い。
それこそがこの世の真理であり、セオリーなのだから。
依頼受領のカウンターの前には今日も多くの探求者が並んでいる。
大規模討伐が近い。
それに参加する探求者達が受領しなくなった分、いつもよりも依頼が残っているため、一定レベル以下の探求者がそれを狙って駆けつけているのだろう。
探求者の強弱の指標は数多あるが、その中の一つが探求者の装備だ。
上位の探求者であればあるほど、その戦果を紡いできた装備は一般人が一目見てもはっきり分かる輝きを放つ。
眼の前に並ぶ者達の姿を眺めていると、カウンターの小夜と目があったので笑顔を向ける。
小夜は眉を顰め、そっぽを向いた。
そういう意味では、ここの探求者のレベルはやはりそれ程高くない。
威力こそ高い銃器系の装備が多いので、討伐依頼はこなせるだろうが、其の佇まいは近接系武器の使用を推奨していたグラエル王国の探求者と違って稚拙だ。……アムと同じくらい稚拙だ。
離れた位置から仕留めるためだろう、後衛特有の隙がある。火力特化という言い方もできるが、上位の探求者になれば後衛職も近接戦闘の心得くらいは持つものだから、彼らは発展途上なのだろう。……アムと同じくらい。
ただ、武器の威力は高い。
機械種の魔物蔓延る地でその弾丸が機械種の装甲を貫けぬという事はあるまい。
銃器の特性は簡単だ。
威力が武器依存であり、担い手の筋力値に影響されない。
他にも弾丸を消費するだとか命中させるのにそれなりの経験がいるだとか武器とする銃器の種類によって色々特性はあるが、それは筋力値に影響されないという特性の前では霞む。
「……おはようございます、今回は何の用で?」
銃器そのものでぶん殴りでもしない限り、その威力は一定、探求者の筋力値に影響されることはない。
基本ダメージは高いが、そのメリットは持ち主のレベルが上がれば上がるほどに霞んでいく。
銃士のクラスを持っていれば話はまた別だが、銃士のクラスはレアなクラスである。ここにいる全員が持っているとはとても思えない。
さて、彼らは一体どうするつもりなのだろうか?
自らの弾丸で貫けぬ敵が現れた時に。
「フィルさん? ……聞いてます?」
……まぁ奥の手でもあるんだろうなあ。
僕に心配される程、柔ではないだろう。銃器を武器として選択した以上、その特性は僕よりも遥かに熟知しているはずだ。
うん、無用な心配は辞めることにしよう。自己責任が基本の探求者を心配するだなんて、いくらなんでも彼らに対して失礼だ。
ようやく自分の中で決着をつけ、不機嫌そうな表情をしている小夜に向き直った。
「おはよう、小夜」
「……気付いてて無視してました?」
無視していたのではない。タイミングを見計らっていたのだ。
勿論、微笑む表情が一番だが、不機嫌そうな顔もどこかコミカルで好きだった。
僕は小夜の色々な感情が見たいのだ。別に嫌がらせでもない。
「……はぁ」
見た目こそ変わらないものの、小夜はどこか心なしやつれていた。
頭のアンテナがその感情を表すようにやや下向きに揺れている。
「……で、何か用ですか? 知ってると思いますが、依頼の件はまだ受領者が現れていませんよ?」
用などない。嘘だ。
「前に預けた手紙を返してもらおうと思ってね」
「……」
僕が小夜に手紙を預けたのはもう十日以上前の事だ。色々あってずっと預けっぱなしになっていた。アリスの策謀が詳らかになった以上、意味のない代物である。
だが、いつまでも小夜に預けておく訳にもいかない。機械種は命令に忠実で、だからきっと意識的には特に感じていなくても無意識の領域で僕の依頼は負担になっている。
小夜との繋がりを残すために預けっぱなしにしておくことも少し考えたが……僕と彼女の間にそんなもの不要だ。いや、不要でなかったとするのならば、不要になるように努力すべきなのだ。
「……ああ。手紙、ですね……ちょっと待って下さい」
何か思う所があったのか、僕の差し出した手をしばらくじっと見ていたが、決心したように足元をごそごそ弄り、手紙の束を取り出した。
ちゃんと守ってくれたようで、封書された束を受け取り、無造作にしまう。
「ありがとう、助かったよ」
「……結局その手紙に意味はあったんですか?」
「勿論だよ」
結果論として今回は必要なかっただけで、意味はあった。
囮としての意味が。そして、小夜に僕の印象を強くつけるという意味が。
魔法を使うまでもない。残りの手紙は手ずから出す事にしよう。
「……ちなみに、これは興味本位なんですが……その手紙、何を書いたんですか?」
「……秘密だよ」
「そうです……か」
ただの近況報告だ。あえて小夜に言うまでもない。秘密にするようなことでもないが、ここはあえて秘密にしておく。
整った眉がわずかに下を向き、アンテナが動揺するように揺れる。
僕の視線に気付いたのか、ばつが悪そうにタブレット端末に指を滑らせた。
「……それでは、新たな依頼などは如何ですか?」
「今日はいいかな。忙しいし」
「……ああ、白夜から受けるんでしたっけ……」
「うん。まだ一個も受けてないけどね」
隣のカウンターで忙しげに依頼を処理していた白夜がぎろりと視線をこちらに向ける。
まー、落ち着け。急いては事を仕損じる。探求者で大切なのは肉体よりも精神だ。焦りは取り返しのつかない失敗を生む。
「ずいぶんとゆっくりなんですね……」
「ここで『商売』をするつもりはないからね」
王国だったらこうはいかないし、アムを育てていたらやはりこうはいかなかっただろう。
「商売……?」
「ああ、商売だよ。ここでの探求は採算度外視ってやつだ……メリット・デメリットは考えない」
どうせ地元でもないし、白夜の依頼も手段は問わなかろう。
採算度外視
なんでもありなんて久しぶりだ……このタイプの戦争で僕は負けたことがない。
評判を気にする必要もないし……なんてね。
自分自身に生じた下らない冗談に思わず笑みを作る。
悪評は思っている以上に広まりやすい。特に、人の眼がなくたってばれないとは限らないのだ。この世には……僕には到底不可能な手段で奇跡を可能にする存在がある。それもいくらでも。
それらの眼を掻い潜って無法な手段を使用するのは困難だ。そんな事するくらいならルールに従い正当な手段で叩き潰したほうがよほどの事、心臓にいい。
ひゅんひゅんと風を切る音。小夜の頭に生えたアンテナが音を立てる程の勢いで回る。
それをずっと見つめていたら――眼が回ってしまうかもしれない。
小夜の眼が不審そうに顰められている。
「……何を企んでるんですか?」
「……ちょっと待った!」
自身の左手を見る。アムとの契約の紋章が施された手の甲を。
眼をつぶって感覚を左手に集中する。知識こそあっても、僕が一般の契約手段でスレイブと契約したのは二十日程前だ。
アシュリーと交わしていた魂の契約とは異なる感覚が左手から伝わってくる。
後ろを向く。ギルド内は盛況だ。僕の後ろに並んでいた探求者達が、いつまでも会話が終わらない僕の事をいらいらしたような表情で睨みつけていた。
「……うん、ちょっと失礼……」
「きゃ……ちょ……フィルさん!?」
カウンターに手をつき乗り越える。依頼を受けるための機械類を壊さないように慎重に。
小夜があっけにとられて僕の動作を追っていた。背中に感じる好機の視線も気にしている余裕はない。
「な、何してるんですか!? カウンターのこっち側は立ち入り禁止――」
「僕、いないから」
そのままカウンターの裏側に身を低くして潜り込んだ。
職員側から見る依頼受付デスクはひどく雑多とした印象があった。
白い縁のコンピュータにタブレット端末。コンピュータのディスプレイにはノイズがはしっており、覗き防止のためだろう、僕の眼からみても何もわからない。
幸いな事に、スペースはあった。小夜には悪いが少し失礼させていただこう。
「ちょ……」
袖机と袖机の間に膝を抱えてすっぽり嵌る。靭やかに伸びた小夜の足が眼の前にあった。ガイノイドとはいえ、機械種なので特に匂いはない。ここらへんもまた人工生命体と自然種の違いといえるだろうか。
小夜がいきなり足元に潜り込んだ僕を見下ろす。その眉が引きつっており、その頭のアンテナは先ほどよりも遥かにダイナミックに動いていた。
「え??? な、にして――」
「しーっ」
人差し指を口元に当てて窘める。機微を察してほしい。
僕の感覚は繊細だ。刻まれた紋章がより強く脈動する、僅かな感覚の違いが分かる程に。
アムが近づいてくる。
決して僕に会いに来ているわけではないだろう。一時的に距離を取るという選択を取ったのは僕ではなく彼女自身だ。
アムは現在リンと一緒に探求者としてのノウハウを学んでいる。いわば修行期間のようなもので、それの達成条件を僕は知らないが、マスターであるこの僕がその意志を邪魔をするわけにはいかない。
何もかもが終わったらリンの方から報告があるはずだった。だから僕はその時がくるまでアムの前には姿を現さない予定なのだ。
「……あー……なるほど……」
アムがギルドの中に入ってきたのか、小夜が小さく呟く。
僕とアムの事情を一応知らせておいたのが功を奏した。きっと聡明な小夜ならば理解してくれるはずだ。
眼の前にある小夜の膝頭を睨みつける。手を出すのはやめておいた。機械種に性器があるかどうかは機種によるだろうが、一般的にいって下半身は相当仲が良くても抵抗があるはずだ。
余計な事はしないほうがいい。今後のためにも。
「しかしそれにしてもこれは……」
小夜が白夜ばりの冷たい視線で僕を見下ろす。
仕方ないじゃないか。あそこまで近づかれてしまえば身を隠す手段なんてここ以外には――けっこうあるけど。
しばらく視線と視線で戦っていたが諦めたのか、小夜は一度深い溜息を漏らした。
余計な事をしなかったのも良かったのだろう。手を出していたら叩き出されていたに違いない。
「……お次の方どうぞ」
後ろに並んでいた探求者に僕の動作が見えなかったはずないのだが、どうやら僕の蛮行は見なかったことにされたらしい。
小夜が何も文句を言わなかったこともよかった。何か事情ありとされたのだろう。
膝を抱え込んで顔を伏せる。
大した効果はないが、聴覚に神経を集中する。紋章を通じて近づいてくる気配はひしひしと感じるが、喧騒に混じって声などは聞こえない。
「……こんにちは、アムにリンさんに広谷さん。今日は依頼ですか?」
頭上で声が聞こえた。僕にわかりやすいように、少しでも状況がわかるように名前を出してくれた小夜に感謝する。
さすがに頭上の声はよく聞こえた。リンとは割と頻繁にコンタクトをとっているが、アムの声を聞くのは久しぶりだ。
「はぁ……疲れた……」
「こんにちは、小夜さん。討伐の達成報告を」
弛れたようなアムの声に凛としたリンの声。
仮とは言え、預けられたマスターの眼の前で相変わらずしまらない事だ。だが、多分それもアムのいいところなのだろう。
「B213四脚動体モデルリザード十体の討伐ですね。討伐証明部位の状態を確認します……十対の存在核を確認しました。特に問題ありません――」
B213四脚動体モデルリザード
蜥蜴型の機械種である。ランナーであるサファリと比較し一回り大きく、大地を砕く膂力を持つ機械種で、牙や爪の他にその長い尾による攻撃も強力な機械種だ。
防御力と攻撃力が高い反面それ以外の能力値については並程度であり、特殊能力も少ないため、広谷程の鬼種がリンの持つ魔物使いの補助スキルを受ければさして苦労しない相手だ。勿論、王国にはいないので直接見たことはない。
だが、リンも魔物使い。彼女の流儀で相手は選定しているはずで、安全マージンをとって、という理由ではないだろう。
アムが僕と離れて修行するといった時、僕は、探求をする際はリンと共に進める事を条件に許可を出した。
それはアム一人で挑むことが危険だったからもあるが、それがリンの成長にもつながると思ったからだ。
リンは僕よりも魔力がある。後は経験次第で僕よりも遥かに強い魔物使いとなれるだろう。同じクラスの探求者が増えるのは良い事だ。それも強力であれば尚の事よい。
いつか彼女は僕が手をかけた以上に僕を助けてくれるだろう。
尊敬してくる後輩程、扱いやす……いざという時に頼りになる存在はいないのだ。経験から言って。
小夜がつらつらと処理を続ける。
「15000ポイント獲得しました。B級昇格の条件まで、後218000ポイントと探索依頼『蒼風の雫』の達成が必要になります」
探求も着々と進んでいるようで安心する。
リンは現在C級の探求者だ。
広谷が元B級探求者らしいので、B級まではスムーズに進められる事だろう。経験者がいる以上、アクシデントが起こらない限りこのレベルの依頼で広谷が負ける事は考えられない。
そしてアムの声は相変わらず脳天気だった。
「リン、もう少し難しい依頼やらない? リザードもそんなに苦労しなかったし……」
「……はぁ。もう少し慎重にならないと、貴女またさんざんな目に遭うわよ? 大体、貴女に傷をつけたらフィルさんに申し訳ないんだから……」
そんな事気にしなくていい。
もしアムが死んだらそれはアムをリンに預けた僕の責任だ。
途中で死ぬなら所詮その程度の存在だったというただそれだけの事。とても悲しいが仕方の無い事だ。探求者になった時点で覚悟してる。
そんなリンの言葉、思考を気にすることもなくアムが自信満々に言う。
「安心して! 私、フィルさんとA級昇格条件の討伐相手まで倒したんだから!」
「……それは貴女がすごいんじゃなくて、フィルさんが凄いんでしょ?」
「……戦ったのは私なんだから!」
どうやらアムはいつまでたってもアムのようだった。
へっぽこなアムを見ていると安堵してしまうのは何故だろうか。セーラと比べるとやはりセーラが可哀想か。
大言を吐いてモデルアント相手に手も足も出なかった時から根っこの部分が変わってない。
「大体、さっさと昇格しないと大量討伐に間に合わなく――」
そこで、小夜が呆れたような口調で言葉を挟む。
「一応言っておきますけど、例えA級昇格条件の一つである暗黒機兵の討伐を達成したとしてもA級には昇格できませんよ?」
「……え? な、なんで?」
「……はぁ」
小夜とリンの溜息がシンクロした。
当たり前だ。僕が前回A級昇格を成した手段は正道ではない。
続いて、広谷の声。
「A級昇格の条件がB級探求者である事だからだ」
それは常識である。物には道理がある。
僕の下で経験以上の実力を得てしまったアムにはその意味がまだわからないようだった。
そして、それを教えるのは僕の仕事でもある。まぁ、時間をかけて教えてあげる予定だった。
「で、でも、フィルさんの時は――」
「……フィルさんはもともとSSS級の探求者だったから……」
「?? なんで? SSS級探求者とか関係ないでしょ? SSS級探求者なら条件を達成しなくても昇格できるの?」
それは違う。
昇格条件とはギルドに昇格するに相応しい事を認めさせるに足る条件の事であり、有り体に言えば条件を達成しなくても昇格するに相応しい事を認めさせることができれば昇格できる。
僕がB級をすっとばしてA級に昇格できたのは元SSS級探求者だったからではない。
かつて僕が昇格した際の白夜の言葉。
『いいでしょう。その資格はあるようですし、私の権限でA級への昇格を認めます』
認めさせる事。それが、それだけが必要なプロセス。
あの言葉は……飾りではないのだ。
まぁ、大抵の場合は出された条件を達成する方が簡単なのでよほど実力が突出していない限り僕はそちらの道をおすすめするが……
リンは窘めるようにアムを説得する。迷惑掛けてる……悪いね。お礼は今度改めてさせてくれ。
「アム、正規の手段で段階を踏んで昇格するわよ。大体、一足とびで昇格してもそれに相応しい実力がなきゃ意味ないでしょ?」
「でもそれじゃ『灰王の零落』に間に合わなく――」
『灰王の零落』か。本当に最近良く聞く単語だ。
小夜の黒のストッキングに包まれた脚を見ながら考える。
灰王の零落の参加条件の一つはB級以上の探求者である事である。如何に広谷が元B級探求者だったとしても、そのランクはスレイブとなった瞬間に凍結されており、どこまで言ってもリンの持つC級探求者という地位が彼らの全てだ。
依頼の実施自体は一週間後に行われるはずで、C級からB級に昇格するのは至難である。ポイントを貯める事が、ではない。いや、それも難しいし、昇格試験の討伐対象もそれなりに強いが、一番の問題は探索依頼『蒼風の雫』だ。
基本的に探索依頼は時間がかかるものが多い。アレリナ草を採取するのに十時間かかったが、僕がいなければその数倍はかかったはずだ。
おまけに、見つけるのは勿論、採取に特殊な作法、準備を必要とするものも数多くあり、そこでは基本スペックではなく経験が物を言う。
特にB級の昇格条件である蒼風の雫は特殊な風の中から採取する魔力要素で、運の要素が非常に強く面倒くさい。僕がSSS級のカードを取り戻す前に一足飛びにA級昇格の条件を認めさせたのもそれが一因だった。
月単位で時間のかかる採取クエストだ。まず一週間で達成することはありえない。
しかし、元B級探求者である広谷はB級相当の力を持っている。
それにリンの補助がかかれば文字通り鬼に金棒、アムだって種族ランクが高いだけあって戦闘能力ならばそれなりだ。
中位から上位の下程度のモデルアントならば特に問題なく討伐できよう。
何より、大規模討伐依頼はアムへの大きな経験になる。僕がいずれ一緒に受けようとは思っていたが、早ければ早い方がよく、ついでにリンの成長にもつながるだろう、一石二鳥どころではない。
僕よりもリンがマスターをやった方がアムへの負担も大きいだろうし……うん、良い事だよそれは。若い内は苦労しなくちゃね。
「灰王の零落の下限ランクはBです。条件未達成の探求者の参加はリスクを考えて認められません。今回は諦めて――ひゃ!?」
「!? ど、どうしたの!?」
小夜が引きつった眼で、小夜の脚をすりすりと撫でる僕を見下ろす。なるほど、やはり感覚があるらしい。
人工生命体に自然種と同じ感情があるのかは知らないが、小夜が考えている事が分かるのが不思議である。これもまた一つの神秘といえるだろうか。
今、小夜は、飛び上がらんばかりに驚いてる。
「……な、何でもありませ――ッ!?」
小夜は優しいなあ。ここまで来ても僕の事を慮って僕の名を漏らさない。
脚に腕を絡ませ膝の裏を検分しながら考える。いい子だ。いい子だよ。どんな思考回路を積めばそんな性格が生まれるのか。
小夜は戦闘型のガイノイドだ。しかもギルドの窓口に座っている以上、その力は最低でもS級並。一般人と同等の耐久力しかない僕なんて僅か一蹴りで屠れるだろう。
だけど僕は好き勝手に触れられる。
これが信頼だ。彼女が僕を蹴り殺すわけがないという信頼。
優しさというのは時に人を増長させるのである。今の僕は客観的に見て最低かもしれない。
ストッキング越しの皮膚、独特な滑らかな肌触り。
時と場合によってタブーを侵さねばならぬ時がある。今がその時だった。僕は小夜の意識をこちらに集中させねばならない。そのためならばあらゆる行為が正当化される。
これはセクハラではない。探求者として培った僕のスキルの一つなのだ。
逃げようとした脚を両腕で抱きしめ捕まえる。一瞬浮きかけた腰が再び降ろされる。
狭い空間内だったため、頭をぶつけた。痛い。
「? なんか今変な音しなかった?」
「っ……ちょ、ちょっと膝をぶつけてしまって……」
明らかに動揺した小夜の声。
じとっとした視線が、しかし矢のような鋭さでこちらを射抜く。
僕はそれに対して笑顔で応対した。人差し指と親指で丸を作って見せる。
小夜の顔が苦々しいものに変わった。ほら、こちらばかり見てると、下に僕がいることがバレちゃうじゃないか。
「……」
「……どうかしたの?」
「……いえ――」
これ幸いと脚をいじくりまわしている僕に、身が切れるような冷たい視線を向け、再び前を向いた。
声に動揺は見られないが、アンテナを見ることができないのが残念だ。
「……まだリンさんはC級探求者ですが……望むのならばSSS級大規模討伐依頼――『灰王の零落』への参加を認めましょう」
「……え!? な、なんでいきなり?」
「……最上位の探求者の方からの『推薦』があったので。これもまたルールの一つです」
そうだ。ルールの一つ。
ギルドの規定には特例がある。
一定ランク以上の探求者が率いるクラン全体で参加する場合、下限のランクを下回るランクの探求者も大規模討伐に参加できる。
一定ランク以上の探求者の推薦があった場合、下限のランクを下回るランクの探求者も大規模討伐に参加できる。
これはギルド全体のルールであり――小夜の意志には左右されない。
「……最上級の探求者? それって――」
「……名前は言えません。が、『彼』はリンさんの大規模討伐への参加を望んでいるようです。依頼受託については作戦開始の一週間前――明日までになっていますのでお早めに」
……さすがにふざけ過ぎたか。まだぎりぎり隠しているようだが、いつ僕の名前をばらすかわかったものではない。
いや、もうリンもアムも感づいているだろう。この街に最上級の探求者――SSS級の探求者は僕を含めて二人しかいないのだから。
だが、それでいい。これで参加しない理由はなくなった。
リンは何故か僕の事を尊敬しているようだ。僕の推薦を蹴るわけがない。
「リン」
「……ええ、参加しましょう」
「……はぁ。気をつけてくださいね。相手はモデルアント、量で攻めるタイプの機械種です。特性の調査を忘れないように」
「わかってるって!」
アムの気合の入った声。だが僕には不安しか感じない。
……本当にわかっているのだろうか?
リンや広谷がいる限りフォローは十分なはずだが……そうだな。リンは分からないが、広谷のランクならば大規模討伐経験があってもおかしくない。人のスレイブに頼むのも何なんだが、広谷、アムの事は任せた。
僕は僕の最善を尽くそう。
自身の討伐への参加を決める。直接顔をあわせなくとも、アムが参加するのであれば僕が参加する意味もある。魔物使いの何たるかを、SSS級探求者の何たるかをその記憶に焼き付けるのだ。彼女の成長のために。
ついでにエティ達の実力も見せてもらおうか。
高鳴る鼓動を抑え、手を滑らせる。
そのまま脚を上り、透ける程薄い布地に包まれた太ももを撫でる。びくんと大きく揺れる脚の様子に集中しつつも、僕は試練の気配に舌なめずりをした。
*****
「フィルさん、正座ッ!!!」
そこには阿修羅がいた。
阿修羅とは悪性霊体種の一種で、この世で最も恐ろしいとされるSS級の鬼種である。
根源は東方の有名な守護神の逸話が元になっているが、当然ながら僕が使っている単語は種族名を指しているのでそれとは別物である。ただ、戦神とされるその名を付けられる程の種族だと言えばその力の大きさはなんとなくイメージできるのではないだろうか。
「フィルさん、余計な事を考えてますね? せ・い・ざ!!」
「……はい」
おとなしく正座をする。
アムとリンは既に去り、カウンターの上には受付停止中の札が立てられていた。
ここは依頼受付カウンターの奥まった所、ギルド職員の事務机が並ぶその最奥である。探求者は決して立ち入ってはならぬ事務所の奥、休憩スペースだ。
棚や衝立には囲まれているものの隙間は大きく、仁王立ちになっている小夜と正座をする僕という図は非常に目立つ。
さっきから絶え間なく向けられる視線と、天井に取り付けられた監視カメラがこちらを追っているのが気になって気になって仕方ない。
アンテナがぴんと立ったまま制止している。
まるでゴミでも見るかのような感情の乗らない瞳はいつもよりも遥かに機械種じみていて、何故かとても恐ろしい。
それでも、彼女の中に渦巻く感情が分かる。戦慄く唇。何から言い出そうか考えているのか。アンテナなど所詮は――ただの指標に過ぎないのだろう。
腕を組んでこちらを見下ろす小夜は、今まで見たあらゆる機械種の中で最も人間らしく、そして美しかった。
「……フィルさん、私が何を考えているのか……いや、何故怒っているのかわかりますか?」
勿論だ。アリスの試練を乗り越えレベルアップした僕を舐めないでほしい。
「小夜の脚に誤って触れてしまったからだ」
「……フィルさん、土下座ッ!!!」
声と同時に土下座する。
見るがいい。僕のこの華麗なる土下座を!
僕は土下座学の単位を僅か三日で取った男だ。嘘だ。
だが、頭を下げる事には慣れていた。僕のプライドは時価であり、ここぞという時以外は犬に食わせても何ら問題ない価値しかない。
頭下げて状況が動くなら下げるわ。悪いの、僕だし。
「……私はフィルさんの事を信頼していました。初めて出会った時に名前を付けてくれたし、ちょっと変わってはいても、それなりに誠実な人だと思ってました」
「……過去形?」
僅か三週間で性格は変わらない。僕の性格は昔からこんなもんだ。
「それが何ですか!! 今は! 久しぶりにあらわれて思わせぶりな事をへらへら言ったと思ったら、今度はいきなり椅子の下に潜り込んで……あ、あんな事を――」
「なかなかいい脚だったよ」
さすがテスラ社、いい仕事してる。僕も一体欲しいくらいだが……まぁお預けかな。
高評価を与えたのに小夜の怒りは収まる気配がない。カウンター内は酷く静まっているため、怒鳴り声は余計に大きく聞こえるのだ。
この調子じゃギルド内で僕の評判はガタ落ちだろう。どうでもいいことだった。小夜の脚にすりすりできるのならば評判なんてどうでもいいのだ。
「だ……誰が感想を言えと――大体、誤って触れた? 誤ってって言いました!? 頬ずりまでしておいて、間違い? あ、あまりにもふざけると、資格を凍結しますよ?」
「凍結、か……すれば?」
「なっ!? こ、の――私がやらないとでも思っているんですかっ!?」
「いや」
小夜、君にはその権利も動機もあるだろう。
感情を窺うまでもない。機械種をこれだけ怒らせたのは僕くらいかもしれない。今の小夜の怒りはきっと――死の間際のワードナーのそれより重いだろう。
プライドをきっかり空になるまで売り終わった僕は、大仰な動作で立ち上がった。
眉を釣り上げる小夜の表情。その距離、僅か一メートル足らず。
そして、ここで決めゼリフ。
機敏な動作で腕を伸ばし、指で眉間をびしっと指す。
さぁ、これこそが僕の持つ唯一自慢できるスキルだ。
小夜、刮目して見るがいい。
「フィル・ガーデンはSSS級だが、SSS級だからフィル・ガーデンなわけじゃないんだよ」
『愚者の喝采』
「ッ!?」
小夜の怒りが吹き飛ぶ。いや、吹き飛んでいないが、動揺が表情に現れる。
ランクなんてどうでもいい。遠回りには慣れている。
僕がなりたいのは、なりたかったのは、L級の探求者などではなく――L級に相応しい実力を持つ探求者。
ランクがあればあるだけいいのは確かだが、だからこそ僕はSSS級の地位には拘らない。地位は僕の歩みを止める障壁にはならない。
小夜の双眸が歪み、動揺が徐々に広がる。怒りを押しつぶす程の困惑が。
高度なセンサーを持つからこそ、そして僕がそれを欺く術を持たないプライマリーヒューマンだからこそ通じるそれはスキルでこそなかったが、紛れも無い技術だった。
「馬鹿な……嘘を……ついていない?」
理屈に従う機械種だからこそ理解出来ないだろう、一片の理屈もない情動に従う意志は。
やはり君たちは――機械種だ。そして僕は機械種に強い有機生命種。
強者を尽く打ち破ってきたこの僕が、例え負い目があったとしても機械種に敗北するわけがない。
理屈で考えるから困惑する。感情を下に置くから動けない。動けない理由に気づけない。
小夜が今の僕の台詞が割とどうでもいい類のものである事に気づき、糾弾する権利がある事には変わらない事を思いつく前に畳み掛けた。
「小夜……次は二人っきりの時にメンテナンスしてあげるよ」
「は、え、あ……な……こ、これが……SSS級!?」
あまりに理解不能な展開だからからだろうか、小夜の頭から煙があがり、意味の分からない事を言う。
だが、そうだ。いいだろう。
正体不詳。理解不能。
そうだ……これが、これこそがSSS級だ!




