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Tamer's Mythology  作者: 槻影
第二部:栄光の積み方

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第十九話:彼らは――神秘だ

「どうでしたか? 黒鉄の墓標は」


「ああ、とても楽しかったよ……セイルさん達もいい人だった。これ、お土産だよ」


 差し出した銅の葉を、アギさんはどこか嬉しそうな表情で受け取った。

 何の機構を持つわけでもないただの金属片だが、その表面に刻まれた葉脈は幾何学的に美しく、緻密な細工物のようにも見える。


 物としては価値のない品だ。言うまでもないことだが、モデルクリーナーの食糧なわけでもない。彼らの部品に銅は使われていない。だが、興味をそそるものではある事は確かだ。

 あの金属樹の創造主は一体何を想ってあれを生み出したのだろうか。想像はできても真実はわからない。一つの浪漫と呼べるだろう。


 お茶を飲みながら、黒鉄の墓標の地上部――無数に生えた銅の樹を想起した。整然と生え並んだ金属のなる樹を。

 あんな光景、一生で何度も見れるもんじゃない。


 アギさんは摘んだそれをランプの光に透かすと、大切そうにエプロンのポケットに仕舞った


「……ありがとうございます。大切にしますね」


「むしろ、そんなものしか持ち帰れなくて申し訳ないくらいだよ」


 かと言ってクリーナーの死体を渡すわけにもいかないしね。

 無数のクリーナー及びワードナーの遺骸は未だアリスの管理空間(アナザー・スペース)の中だ。それを知っているのはセイル達と、僕とアリスだけ。

 黒鉄の墓標に残されているのはワードナーが暴れたお陰で刻みつけられた破壊跡くらいだ。

 だが、その在り方は僕の脳内に鮮明に残されている。それが僕にできる唯一の手向けなのだろう。


「……そういえば、アリスさんはまた外ですか?」


 既に外は淡い夕闇に沈んでいる。夕食にはまだ少し遠い時間。食堂にはまばらにしか人がいない。


 アリスの時間が今日もまたやってくる。


 僕は休みを入れないと身体も精神も持たないが、彼女は休みを必要としない。生きていくだけで疲労する僕と違って彼女のあらゆるダメージ、疲労はそのスキルにより洗い流されている。


 だから僕は止めない。それはマスターのすべき事じゃない。

 彼女の意志は――彼女のものだ。


「まぁ……そうだね。アリスは働き者だから」


「……全く、主人(マスター)であるフィルさんももっと頑張らないと……」


 まったくもって耳の痛い事だ。


 そろそろ休日も終わる。


 手持ち無沙汰だったため、道具袋から一枚のコイン――僕が出した依頼の達成証明を取り出した。

 灰色のコインで表に依頼の番号が、裏に精緻な林檎の絵が刻まれている。当然だが、銅の葉とは違ってただの金属片ではない。魔術的なアルゴリズムに則って生成されたれっきとした魔道具だ。受託者が出ればギルドが対となるコインに処置を行う。それは遥かな距離を物ともせずにこのコインに反応を齎す。

 依頼してからもう三日も経つが見たところまだ受託者が集まっていないのだろう。証のコインは預かった時のままだった。


 まぁ、大規模討伐依頼のせいでギルド全体がもたついていたし、仕方のない事なのかもしれない。

 C級の探求者が『灰王の零落』に参加するとは思えないが……


「しかし、アリスさんの仕事って……具体的には何を?」


「秘密だよ」


 如何に恩あるアギさんと言えど、さすがに口が裂けても言えない。

 手を止めて眉を顰めるアギさんに指を一本立てて教えてあげる。


「一流の探求者には秘密が多いものだよ」


「……何ですかそれ?」


 何故多いか。答えは簡単、後ろ暗い事をしているからである。

 探求者というのは自身の意志、自らの欺瞞に殉じる者が多いので半分くらいが犯罪者なのだ。多分。

 僕はそれでもなるべく一般的な法を犯さないように細心の注意を払っているが、それだってもし例えば仮に法に守られた敵が現れ、僕の前に立ちはだかったとしたら――躊躇いなくそれを殺すだろう。

 それを実行するに足る牙を持っているのだから尚更だ。そこに躊躇と呼ばれるものは微塵もない。


 その事を僕は恥じ入るべきなのかもしれないが、それは死んでからでも遅くはないだろう。

 後悔は後に悔やむと書く。僕は探求者として歩むことを決めた時、それを行うのは一番最後にすると誓ったのである。


 アギさんはしばらく考えていたが、理解できていなかったのか、眉をハの字にして僕を見た。


「……はぁ、まぁなんでもいいですけどね……秘密の一つや二つ誰にだってあるでしょうし」


 だが君にはないはずだ。


 その言葉を喉の奥に飲み込む。一般的な機械種は隠し事をすることはあっても嘘はつかない。そういう風にできていない。

 だから嘘をつく機械種に出会ったとしたらそれは、もともとそういう動作を期待して作られた悪意を持つ者かあるいは……とても人の機微に敏感な優しい機械種のどちらかだろう。


 そこまで考えかけて、僕は面白くなって思わず笑いを漏らした。


「? どうしたんですか?」


「……いや、この街に来てよかったと思ってね」


 王国で待つ僕のスレイブの一人――無表情で機能的な要人護衛の人型、守護人形(ガーディアン・ドール)の夜月を思い出す。絶対的な防衛能力とその性能に比例した鋼鉄の仮面を持つ乙女。


 人の機微に敏感な優しい機械種……ね。ここにきた当時の僕ならばその選択肢は出さなかったはず。


 どうもいつの間にかこの地に染まっていたようだ。

 だが、さもありなん。そう考えてしまうくらい、この地の人型(アンドロイド)は自然種に近い。

 この街に来てよかった。今の僕ならばもう少し夜月に対する反応を変える事ができるだろう。


 再会する日を楽しみに待つとしようか。


 だが、それはまた今度だ。

 まだ僕にはここでできる事がある。やらねばならぬ事がある。やってあげたい事がある。


 ぎしりと椅子が軋む。弄んでいたコインをテーブルに載せ、足元の道具袋から折りたたまれた地図を取り出した。


 図鑑を見るのも好きだが地図を眺めるのも同じくらい好きだ。

 未知はいつだって僕に熱い衝動を与えてくれる。


「? ……また地図ですか?」


「せっかくこの街に来たんだから、体験できる光景は全て体験しておこうと思ってね」


 そしてやるべきことは全てやる。


 美しいもの。

 悍ましいもの。

 驚嘆すべきもの。

 悲哀に満ちたもの。


 その全てが欲しい。


 この土地は不自然だ。このあたりの生態は明らかに人の手が入っている。

 だが、結局の所、僕はそんなものはどうだっていいのだ。


 地図に引かれた線をなぞる。まるでその道を進んでいるかのように。いや、事実進んでいるのだ。この身がその場にいなくたって。

 ここのギルドで購入した地図はこの二十日、既に事ある毎に開かれ、傷だらけだ。だが、その傷は大切なものだった。


 アギさんが覗き込むように腰を落とし、その視線で僕の指を追う。亜麻色の髪が微かに視界を遮った。


 その距離、僅か数十センチ。


 パーソナルスペースという言葉がある。

 人が互いに近づいた時に不快感を感じる距離の事だ。

 勿論それは彼我の関係性によって変化する。恋人に近寄られて不快感を感じなくとも、見ず知らずのものに十センチの距離まで近づかれたら強い不快を感じる事だろう。


 僕はごく近くにあるその髪の束を数秒だけじっと見て、もう一度地図に視線を落とした。


 まだレイブンシティの近辺には大量のダンジョンがある。

 さて、以前アムと探索した『機神の祭壇』も『黒鉄の墓標』と同様に明らかな人の手の入ったダンジョンだったが――ダンジョン? いや、施設と呼ぶべきか? まぁどちらにせよ一種の魔境であることに変わりあるまい。


 そこはとりあえずは次のターゲットからは除く。機神の祭壇は、最後にこの街を去る際にアムと共にもう一度探求する事になるだろう。アムに残された『傷』を取り去るために。

 今度は優秀なパーティのお荷物としてではなく……一人の魔物使いとして。


 だがそれもまたもうしばらく後の事だ。


「で、アギさんのおすすめの迷宮は?」


「……懲りないですねえ。セイルさん達の顔色、大分悪かったですけど……」


「多分疲れたんだろ。僕みたいなお荷物を背負って迷宮をクリアしたんだから当然だよ」


「……それにしては酷すぎたような……」


 釈然としない表情でアギさんが首を傾げる。


 探求はエネルギーを使う。たとえ一日程度の短期の探求だったとしてもそれは変わらない。

 ちょっとしたアクシデントがあった事もあるし、仕方ない事だろう。セイル達は中級の探求者だし……


 そもそも、今回の黒鉄の墓標の探求が僅か一日程度で終了したのはセイル達が強かったこともあるが、何よりトネールの『飛の船』の魔法の力によることが大きい。

 長丁場になればなるほど体力の消耗が激しくなる以上、移動時間を大幅に短縮する事は最も重要な要素のうちの一つだ。あれがなければ疲労は跳ね上がっていただろうから、顔色が大分悪かった程度で済んだ事は幸運だろう。


「あ、そういえばセイル達は何号室なの?」


「……お客さんの部屋番号はロックがかかっています。教えられません」


「……なるほど、ね。まぁそうか」


 融通が利かない、などと思ってはいけない。

 教えたくないから教えないのか、教えられないから教えないのか。行間から読めるそのニュアンスの違いは機械種(マキーナ)を相手とする上でとても大切だ。

 小夜や白夜とは異なり、正攻法で聞き出すのは不可能に近い。

 まぁ、あえて聞き出す意味もないわけだけど……


 壁に掛けられた振り子時計の鐘の音が十八時の時を知らせる。

 ちょうどその時、入り口から人影が入ってきた。

 僅かな風が頬を撫でる。視覚、聴覚、嗅覚、触覚。彼らにはそれぞれがそれぞれである所以、特徴があった。

 だからなんとなく近づいてくると分かる。別に魔物使いだからというわけではない。


 強いていうなら……友だからだろうか。


 体勢を変えて僕は友人を振り返った。


「やぁ、セイル。おはよう」


「……もう夜だよ」


 セイルが、翡の目を数度瞬かせた。

 黒鉄の墓標に行った時とは異なり、随分とラフな格好だ。ゆったりとした布の服、武器はない。辛うじて腰に小さめのナイフこそ差しているが護身以上の効果は見込めないだろう。

 鎧は動きを阻害し、疲労を蓄積される。だから探求者と言えど、フル装備のままずっと居続ける者はそうそういない。

 そうそうということは逆にたまになら居るって事なんだけど……


 他愛もない事を考えながら笑顔で迎える。


「昨日は本当に助かったよ」


「……ああ。昨日は本当にひどかった。命の危険を感じたのは久々だ」


「あはははは、たまにはそういうのも悪くないよ」


「……そう、かな」


 セイルが目をむいて僕を見てくる。失礼な人だ。

 死線は人を成長させる。停滞は探求者に取っては最も忌避すべき、そして抗い難き敵だ。

 だから僕はレベルが上がらなくなってからも戦地に赴く事を躊躇った事はない。


 それでもずっとそんな事を続けていたら命がいくらあっても足りないわけで、全てはさじ加減次第といえるが……。


 セイルの全身を一度見直す。魔力に満ちた細身の身体、特徴的な耳。

 少なくとも、セイル達にはやや余裕を持って探求を進める権利がある。

 僕よりも――プライマリーヒューマンよりも、数倍長い寿命を持っているのだから。


 僕のワガママに付きあわせてしまったのは……申し訳なかったかもしれないね。


 全ては終わった事だから今更そんな無粋な事は言わないけど。


「あれ? お兄さんじゃん、何やってるの?」


 続いてセイルの後ろからトネールとブリュムが顔を出す。

 つい昨日、一緒に探求をこなしたばかりなのにもうずいぶんと久しぶりな気がした。

 こちらも昨日と同様に普段着だろうか、それぞれ薄水色と薄緑を基調とした精霊衣と呼ばれる緩やかなローブの姿だった。


 トネールもブリュムも服装はぱっと見では見分けがつかないくらいによく似ているが、ブリュムだけワンポイント、首元にシンプルなチョーカーのようなものをつけている。


 見たことがない道具だ。


 魔道具は身に付けているだけで魔力を消費するから日常生活で装備するには負担が大きいが、探求者たるものいつ命を狙われるのかわからないのでお守り代わりに日常生活でも装備している者もいる。

 それが功を奏して命を救われたという者もいるので、馬鹿にはできないのだろう。尤も、死人はレイスを除いて基本何も言えないので、もしかしたら装備している事により命を落としている者も相当数いるのかもしれないが……


「ん……地図?」


 トネールが手元を覗きこんでくる。


 しかし、僕の意識はもう地図にはなかった。

 自慢じゃないが、僕はこの世に存在する六種の生き物全てに興味があるが、本体だけではなく外側にも興味がある。

 特に持つだけで効果がある魔道具の類には目がない。目を凝らしてブリュムの首元を覗きこむ。


 一部の探求者の中には生来の才能で魔力を視覚化する事ができる者がいるが、僕にはその適性がなかったため魔道具かどうかの判別は完全に知識と勘だ。

 今ではなんとなく違和感を感じるようになってるけど……分からないなあ。普通のアクセサリーかな?


 じろじろ見ていたのが悪いのか、ブリュムが不審そうに聞いた。


「……何? お兄さん」


 不快感。

 言葉には見えない感情がブリュムと、そして何故かトネールから感じる。誰だってジロジロ見られていい思いをする者はいない。

 これもまた僕の悪い癖の一つだ。スイの核を探って嫌われかけたのを忘れたのか、フィル・ガーデン。

 まだ時期尚早だ。たった一度クエストを一緒にやっただけで身内面するなど言語道断。

 もうちょっと好感度が上がってから手を出さなくては……貴重なエレメンタルの友、失ってしまっては元も子もない。


 しかし既に視線はばればれだ。僕は少しだけ考えて言った。


「いや……そのチョーカー、似合ってるなあと思ってさ」


「……え?」


 予想外だったのか、ブリュムが目を瞬かせ、照れたように自らの首元に触れた。


「……そ、そう? 実は、買ったばっかりなの……」


 凄く詳細を聞きたい。

 だが、ここでつっこんだ事を聞いてはいけない。

 詳しく聞きたいが聞いてはいけない。目的がチョーカーの方だとばれてしまうからだ。印象がよろしくないのである。


 また、聞く必要もない。やはりただのアクセサリーのようだ。

 今の話の流れ、もし魔道具の類だったら間違いなく性能を教えてくれていたはずだ。それがないという事はただのアクセサリーだという事だ。


 ……多分。


「……僕も買おうかなぁ……」


 どうかしたのか、トネールがふてくされたようにちらりと姉の方を見る。割とどっちでもいいと思う。ただのアクセサリーだし……

 ただ、そうだな。似合う似合わないで言うなら……


 トネールの顔を、容貌をもう一度、確認する。

 薄緑色の綺麗な髪は顎の下あたりまで伸びたショートストレート、ブリュムと図ったように一致した髪型はどこか中性的で男にも女にも見える。

 より深い孔雀石のような虹彩の瞳が長めの前髪の隙間からちらちらと覗いていた。


 指が疼く。

 そうだな、ありえない仮定ではあるが、トネールが僕のスレイブだとしたら……


「? どうかしたの、お兄さん」



 ……うん、そうだな。


 僕は魔物使いだ。そのための道具は常に所持するようにしている。


 いや、違うか。

 魔物使いの性質上、むしろ探求中に道具を持って行くことはほとんどない。魔物使いの戦いとは戦場で行われるわけではなく、日常で行われるものなのだから。


 隣の椅子を引く。身振りだけで勧めると、訝しげな顔をしながらもトネールが腰をかけた。

 

 いつも携帯しているポーチ型の道具袋から器具を取り出し、地図の上に丁寧に並べた。

 当たり前だが品質には気を使っている。そうそう劣化するものでもないが、その程度の穴に嵌る程、僕の経験は浅くない。


 さぁ、『二重群霊(ダブル・リンカー)

 トネール・クリマ。我が力を受けるがよい!


「ッ!?」


「な、何してるの、お兄さん?」


 髪に指を通す。トネールが小さなうめき声をあげた。

 さすが元素精霊種、現世の影響は受けにくいのか、綺麗なものだ。

 枝毛もほとんどない。


 だが、それだけだ。傷んでなければ良いという話でもない。

 マイナスをゼロにするのではなく、プラスにしてこそ一流の魔物使い。

 スレイブのケアはマスターの最重要タスク。ブラッシングは魔物使いの基礎中の基礎だ。


 元素精霊種に櫛を通す機会は早々無い。


 僕は内心で舌なめずりして、櫛を構えた。髪が細いから櫛は細かい目ものを使用する。

 ブラシも持っているが今回はいらない。軽く整えるだけ、軽く梳かすだけだ。


 そう、軽く梳かすだけ…… 


「お兄さ――」


「静かに!」


「ッ!? そ、そんな真剣な表情で――」


 これは僕の戦場だ。僕の数少ない戦闘なのだ。

 戦闘中に邪魔はしない。だから今は誰にも邪魔はさせない。

 トネールは僕の意志を感じ取ったのか、じっと身じろぎせずに待っていた。

 触れた髪の一本一本からその身に秘める魔術要素が伝わってくる。

 元素精霊種。この世ならざる地からやってきた精霊種。彼らは――神秘だ。神秘なのだ。


 僕は今それに――触れている。


 指先の一本一本に神経を集中する。頭皮を傷めないようにゆっくりと櫛を入れた。


「……お兄さん、それ楽しいの?」


「凄く」


 やはり元素精霊種は悪性霊体種とは違う。どちらかと言うと髪質は幻想精霊種のそれに近いだろう。

 魔力を活性化させる櫛に触れる事でトネールの髪が穏やかに発光する。


 隣で興味深げに僕の手元を見ていたセイルが僅かに息を飲む。


 言うまでもなく櫛は魔道具の一種である。効果は梳いた髪質の向上。

 髪の質が上がった所で戦闘に役に立つわけでも、高い効果が出るわけではないが、やらないよりはやったほうがずっといい。


 感嘆の溜息をつきながら手を動かす。こうしている間も僕の魔力は削られていっているはずだ。もっとも、それは魔力量の少ない僕からみてもそう大した量ではない。

 魔道具であるが故に高価で、大きく役に立つわけでもないので持っている者はそうそう多くない。魔物使いの中でも使用しないものがいるくらいだ。これは完全に僕の嗜好である。


 指に触れた柔らかな髪束から伝播するようにぞくぞくするような快感が上ってくる。

 絶妙な感覚が櫛を通して伝わってくる。


 ショートストレートの髪型に手を加える余地はあまりない。

 もとより、トネールは男である。選択肢は多くない。物事にはTPOがある。いくら中性的な容貌をしているからといって本人の意志を無視してそこに手を入れるのは魔物使いの矜持に反する。

 また、長ければ結うなり編むなりまとめるなりやりようがあるが、この程度の長さではできることは多くない。


 ……ああ、切ってみてえ。


 だが、ここは我慢だ。さすがにそれはない。


「……くすぐったいんだけど……」


「我慢、我慢」


 とかいいつつ、トネール、君なんか嬉しそうだよね。


 その表情を見ながら考えた。


 ……そうだな、この際一通り試してみるか。

 僕のスレイブは全員が全員、女の子である。だから道具も概ね女性用しかもっていない。

 だが、僕はもう気にしないことにした。冷静に考えたら今日は……オフなのだ。矜持に反する? 矜持なんて犬に食わせてしまえ。


 右手に櫛を、左手にリボンを手に、唇を一度舐め、サイドに髪をまとめ始める。


 僕はプロだ。練習は欠かしていない。スレイブを得る前、学生時代からよく後輩を使って遊ん……練習していたのだ。

 櫛を駆使して髪をまとめ、リボンで丁寧に結い上げる。


 できた。完璧だ。


「ショートポニー」


「……なんでそんな楽しそうなの?」


 しばらく悦に浸り、リボンを解く。

 本当に髪質だけだったら手塩にかけたアリスに匹敵するだろう。これが元素精霊種のポテンシャルなのか!?


 再び櫛を入れる。

 もはや諦めたのか、誰も何も言わない。じとっとした視線をスルーし、手を動かす。

 もう一度言うが、ベースがショートとなるとできることは多くない。

 モクモクと手を動かす。かつて練習した頃の思い出が脳内に蘇る。手の動きもコツも全てはかつてのあの頃と同じ、十全なまま。だがそれはまた同時に、成長していないという事でもあった。


 しかしこうして女の子みたいに髪型を整えると本当に女の子にしか見えない。

 この中性的な容貌は本来、明確な性別を持たない元素精霊種特有のものだ。種族差(リース・ギャップ)と言えるだろう。


 さぁ、できた。完璧だ。


「ツインショート」


「……なんでそんなに手馴れてるの?」


 短いがサイドで結ってみた。久しぶりだが納得の出来栄え。スキルを使える本職には及ばないが、これも一種の匠の技だ。

 しばらく悦に浸って再びリボンを外す。

 櫛の柄が耳に掠り、トネールがくすぐったそうに身を捩った。


「……まだやるの?」


「やる」


「……楽しいの?」


「楽しい」


 楽しくなかったらやらない。

 例え効果がなかったとしても、自らのスレイブに手を加えるのは至福の悦びなのだ。

 まぁ、今回は別にスレイブというわけでもないんだけど……


 トネールが恐る恐る聞いてくる。


「……似合う?」


 難しい質問だ。素材もいいし、僕が手を加えているのだから似合わないわけがない。

 しかし、似合わないわけがないが、仮にも男に女の子の髪型をさせて似合うと即答してしまうのは如何なものか。

 まぁ嘘をついても何にもならないんだが。


「ああ、とっても似合ってるよ」


「!? あ、ありが……とう……」


 嬉しそうにはにかむトネールさん。自分でやっといてなんなんだが、それでいいのかトネールさん。


 しかし……あれだな。


 癖のない髪を手の平で遊ばせながら、周囲を見渡す。


 物足りない。長さが足りない。ボリュームが足りなーい。


 かと言ってブリュムはトネールと対して変わらないし、セイルさんも短い。アギさんも首元までしかない。

 ロング……腰までとは言わない、せめて背中まで――リンかアムくらいの長さがあればもっと色々できるのに……

 半端に髪をいじったので指がうずく。久しぶりだったので尚更である。

 不完全燃焼だ。新たな獲物を要求するぞ、僕は!


「? どうしたの?」


 手を動かさないできょろきょろしていると、トネールが微かに振り向きこちらを見上げる。

 いや、君は悪くない。君は悪くないぞ。……だがまて、火をつけたトネールにも責任の一端は――いやいや。

 

 葛藤は指を鈍らせる。

 僕は結うのを一端止めて、指を擦り合わせた。髪を痛めるわけにはいかない。


「そろそろ終わり?」


「……ああ。終わりかな」


 仕方ない。

 いくらいじろうがこの欲求が満たされることはないだろう。

 もう一度髪を整えて最初に戻して終わりだ。もともと、ストレートだったので程なくして元の髪型に戻る。


「やっぱりトネールはいつもの髪型が一番似合ってるね。今のままでよし」


「え? そ、そうかな? ……あはははは、散々いじり倒して結局それなの?」


 整え終えると、太陽のような笑みでトネールがからからと声をあげ、椅子から立ち上がる。

 一体何が起因だか知らないが、笑顔が戻ったようで何よりだ。


 さて、長居をしてしまったし、そろそろ僕も部屋に戻ろうかな……


 と、立ち上がりかけたちょうどその時、食堂の扉が再び開いた。

 入ってきたのは、たった一人、ここにいなかった『水霊の灯』のメンバーだ。


 遅れてきたメインディッシュ、スイ・ニードニードが、食堂の一画に集まっている僕達を見て目を丸くした。


「……?」


 異質な空気に気付いたのか、きょろきょろと周囲を見渡す。

 だが、僕にはそんなのはもう目に入っていなかった。

 僕の視界を釘付けにしたのはたった一つ――スイの足元近くまで及ぶ長い長い美しい蒼の髪だけだ。


 道具袋をいじる。複数種類のブラシと櫛、ヘアスプレーに整髪剤の小瓶を次々とテーブルの上に広げていく。

 いやまて、だがまて、冷静に考えるんだ。


「椅子……いや、ここの椅子じゃ――小さい、か? いける、か?」


「ちょ……お兄……さん?」


「まー待て、落ち着け」


「!?」


 さすがに食堂でこれだけの代物を使うわけにはいかない。ほぼ無臭とは言え、食べ物を扱う場所でやることじゃないし、周りに人がいては――集中できない。

 仕方ない、部屋に連れ込むか。


 唇を再度舐める。

 僕はちょうどベストなタイミングで来た水精霊(ウィンディーネ)を睥睨し、声を出さずに笑った。






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