第十六話:その力を義のために振るおう
死の臭いを纏っている、と言われた事がある。
『魔物使い』の上級クラス
『血の支配者』
それは、魔物使いの職の中でも悪性霊体種の扱いに傾倒した上級クラスだ。死霊魔術師とは異なり、人類の天敵の力を借りるだけでなく、人類の天敵を育成する酔狂なクラスである。
他にも魔物使いのハイクラスには鳥獣を専門に育成する『百獣の主』や人型の種をメインとして扱う『疑身の王』など幾つかあるが、僕が結局その中でも『血の支配者』となったのは、偏に僕にレイスという種に対して知識が少なかったからに過ぎない。
アリスをスレイブとすると決定した時、自身の知識不足をハイクラスの取得で補おうとした僕は恐らく魔物使い界の中でも上位の愚か者だろう。
今ならば間違いなく一笑に付すであろうその選択は僕が今まで行った無数の決断の中でも痛恨の失敗だ。
なにせ、一度上級クラスを取得してしまうと、職を完全に変えない限り他の上級クラスを取得できないのだから。
結局、それは完全に無駄な行為だった。
僕はアリスと契約魔法を介した正式な契約を交わしていない。アリスの能力があまりにも僕とかけ離れていたせいだ。
だから、ハイクラスを得た後も結局、『血の支配者』のクラスが持つレイスへの大きな適性はほとんど生かされていない。
魔物使いのクラススキルのほとんどはスレイブにしか効果がないのは以前言ったが、その上級クラスについても当然その特性を踏襲している。
まぁ、そもそもアクティブスキルを一身上の都合でほとんど使えない僕では、例えアリスが正式な契約で結ばれたスレイブだったとしても大したことはできなかったのだが……
目を覚ますと夜中だった。
また長時間寝てしまったのか、がんがんと頭が痛む。それに反して、今朝か昨日かは分からないが、ちゃんと寝る直前の記憶はあった。
王国でも長期間の探求の後は度々この長い眠りに見舞われていたが、それでもその頻度は今よりも遥かに少なかった。
「……頭痛え……寝過ぎた……」
レイブンシティに飛ばされてからも何度か呟いた言葉を癖のように吐き出す。
久しぶりに体力を消費したとはいえ、いくらなんでもこれは酷い。僕の人生の半分は睡眠で潰れているんじゃないだろうか。勿体無い。
頭は未だ朦朧としていた。ベッドの上で上半身を起こす。大きめの窓からは月光が差し込んでいて、室内を静かに照らしている。
薄ぼんやりと見える光景は僕の滞在している部屋のものだ。アリスはちゃんと僕の事を運んでくれたらしい。
くしゃくしゃっと髪を手櫛で整えると、僕は全身でしがみついているアリスの腕を引き離した。
僕がもし本当に死の臭いを纏っているとしたらそれはきっと、ずっと側にいたアリスの臭いに違いない。レイスは基本的に臭いはほとんどないが、そんな常識を覆せると感じられる程度にアリスの存在は悍ましい。
やれやれ、仕方の無い子だ……
まぁ、でも、きっと甘えさせてあげなかった僕も悪いんだろう。
足に絡みついているアリスの素足を足で蹴っ飛ばして外す。力は入れていなかったのだろう。アリスが僅かに吐息を漏らし、身動ぎをする。
しかもこの子……裸だ。
「ほら、アリス。起きるんだ」
レイスの肉体とはそれ即ちその魂の、精神の顕現だ。魂に傷のないレイスの身体に傷はない。
その肌は滑らかで傷ひとつなく、信じられないくらい白い肌と、触れることで感じられる柔らかな弾力は確かな生と、そして深い死の匂いを感じさせた。
手の平でゆっくりと一糸まとわぬアリスの背を擦るが、起きる気配がない。
僕は声に出さずに内心でため息をついた。
そんなわけがねえだろ。
いくら宿の中とはいえ、いくらマスターの側だとはいえ、ナイトウォーカー程の上位個体がそこまで深い睡眠に呑まれるわけがない。
かつてアムが寝た振りをしていた事を思い出す。レイスはこういうのが好きなんだろうか?
いや、かつてのアレを見ていたが故の行為か?
どちらにせよ、魔物使いである僕にできる事は限られている。
僕は頭を抑えながら、完全に身を起こした。
さすがに二人が一つのベッドに入ると、酷く狭い。よくもまあこんな所に潜り込んでこようと思ったものだ。
だが、同時にままあることでもある。こういう場合の対応方法も魔物使いの心得には存在していた。
魔物使いの心得その四
スレイブの好意を無碍にしてはいけません。特に霊体種や精霊種のスレイブの場合、顕著に能力値に影響します。
異性のスレイブを持った場合、特にスレイブ側が情欲を抱く可能性が高くなります。発散させてあげましょう。それもまたマスターとしての甲斐性です。
気づかない振りをするのはそういう教育方針でない限りやめたほうが無難です。
また、スレイブが可愛いのはわかりますが、のめり込み過ぎて身持ちを崩さないように注意しましょう。境界線を明確に引くのがベストです。
薄い布団を思い切り剥ぐ。
月灯りの下で輝く、染み一つないアリスの肢体はぞくぞくする程に美しい。吐息に連動するように微動すらどこか艶かしく、どこかまだ幼さの残った切れ長の睫毛が部屋に流れる小さな空気の流れに震えている。
さて、ここは叩き起こすべきか揺り起こすべきか……
僕は右手でアリスの頭を撫でながらこれからを考えた。
別にアリスは悪い事をしているわけではない。これは彼女のスレイブとしての正当な権利で、アプローチはやや過激だがそれだって逸脱しているわけじゃない。
だから、無碍に叱るのもどうかと思う。彼女はアムと違って悪いことをしたわけでもなく、以前の裏切りはもう既に許している。
喜びの型をカードとしている以上、僕はこの手のシンボルを見逃すわけにはいかない。
室内は静かだ。部屋の壁は厚く、隣の部屋の物音も聞こえない。探求者は荒っぽいものが多いので、薄い壁だとうるさくて眠れなくなるのだ。仮にも探求者向けの宿らしい配慮と言えよう。
まぁ、命をかけてるから性欲も旺盛だしね……
僕はまるで独り言のように問いを吐き出した。
「アリスは……僕の頼んだ仕事をやってきたのか?」
吸い付くようなアリスの肌を手の平で堪能する。
やや低めの体温も、気温の高い今は酷く心地良い。
身長百五十五センチ。体重四十五キロ。魂質が高く、レイスとしては非常に洗練された身体となる。
全体的に肉付きは薄くスレンダーな体型だが抱きしめると確かに柔らかい。銀髪が月光を反射し、現実感のない輝きを帯びている。
僕はそのまま手の平で乳房を軽く押しつぶしながら、顎を落とし耳元でもう一度問いを投げかける。
レイスの心臓、魂核が脈動する音が手の平を伝わり、僕に伝わってくる。
「アリスは、僕の頼んだ仕事は完璧にこなしたのか?」
月水の涙はまだいい。アレンには既に話を通している。
だが、エティへの頼み事はアポを取っていない。アリスだと確執が残っている可能性もあるだろう。正直、厳しいかもしれないよな……
アリスはあくまで剣であり、そういった分野はアシュリーの仕事だったのだから。
膝に乗せていたアリスの頭を布団に静かに下ろし、一度アリスの前髪をかきあげる。
「アーリースー?」
「…………」
僕は其の様子を見て確信した。
失敗したな、と。
だけどまあ、いいだろう。許す。寝ていた僕が叱れる立場ではない。
スレイブの失態はマスターである僕のものだ。
一瞬、手袋を着用するか迷ったが、素肌のままで行くことにした。必要なのはメリハリだ。
「アーリースー?」
「んっ……」
アリスがぞくりと背筋を震わせる。僕はそれを無視して、両手でアリスの胸の下をなぞるように触れる。
霊体種の肉体は神秘だ。僕達、有機生命種のそれとは明確に違う。しかし、彼女たちは同時に僕達を模倣している者でもある。だからこそ、獣を相手にするよりも遥かにやりやすい。
痛みがないようにゆっくりと胸を揉み上げる度にアリスの身体が僅かに揺れる。
核がまるで心臓のように鼓動し、体温が僅かに上がる。これも結果として体温が上がっただけであり、決して血が巡ったわけではない。レイスに流れている赤い液体は血液ではない。血液のような『何か』だ。
人に似て人と非なるもの。
だから、彼女が今感じているであろう感情も悦びのような『何か』なのだろう。
もう一度言おう。
彼女は――ナイトウォーカーは神秘だ。
右手をゆっくりと肌を滑らせながら上に持ち上げ、鎖骨、首筋、頬を通って唇に触れる。
僕は舌で自身の唇を舐め、人差し指でアリスの唇をなぞった。
「さぁ、アリス。舐めるんだ」
「……」
アリスの目が我慢ならないように僅かに開く。それは一瞬で閉じたが、僕の目には血のように真っ赤に変わったレイスの情欲がはっきりと見えた。
真紅に濡れた唇に僅かに隙間ができ、僕はその隙間に指を差し入れた。
アリスの咥内は熱く、生暖かいはずの唾液の温度がまるで炎のように感じられる。
ゆっくりと時間を掛けて、その咥内を犯す。それは、唇同士ではなくとも確かに接吻だった。
綺麗に並んだ歯を一つ一つ丁寧になぞる。端から端まで。両端に生えた人以上に尖った犬歯――吸血鬼に似た特徴を持った牙は殊更に丁寧に。
これが異性のスレイブに対する調整。
左手で包み込むようにして触れた胸からその力の鼓動が手に取るように伝わってくる。
興奮は奮起を呼びそれが欲望となりそして力となる。それが悪性霊体種の育て方。
レイスの一種である悪魔は特にそれが顕著な種で、欲望を満たせば満たす程桁外れの力が強力になっていく。
夜を往く者はそれ程でもないが、それでも手は抜けない。
目尻に微かに光る雫がどのような意味を持っているのか僕は知らない。
刃を、力を研ぎ澄ます事。
剣は叩けば叩くほどに僕にその結果を返してくれる。傷のないアリスの身体はその証明だった。
得体の知れない万能感が脳髄を支配する。
「アリス……今回の敵は機械種だ。わかっているな?」
「……チュッ……はぁい」
舌が指に吸い付き、甘い声があがる。
深紅に染まった陶酔した瞳が僕を見上げている。
いい。わかっているのならば、いい。
十全だ。アリス・ナイトウォーカー。
エンジンはかかったか。パフォーマンスは十分か。
頬の裏をなぞっていた指を咥内から抜く。
唾液に濡れた指先を月灯りに翳す。
「満足した?」
「……いいえ」
「そうか」
濡れた目で僕を見つめるアリスはどこか物欲しげな子犬のように見えた。
もじもじと両膝を擦り合わせる動作は性的なモーションだ。獣人のようにシンボルになりうる耳や尻尾がなくてもわかる。もしアリスに尻尾があったらぶんぶん振られていただろう。
僕は血に濡れた虹彩の奥を覗き、唾液に濡れた指を見せつけるように自身の唇の奥に入れた。
味はしない。
アリスの視線が魅入られるように僕の指の動きに縫い付けられる。
たっぷり十秒ほど掛けてアリスの唾液を舐めとった後、指を抜き取って、今度は指先をアリスの肌で拭った。
其の魂の奥底で燻る昏き内燃機関に愛を注ぎ込む。
唇を僅かに開く。アリスの眼が集中して僕の動きを観察している。
こういった場合にすべき事は、ゆっくりと動く事だ。
スレイブの感情の指向を操作するために。
僕は、唇を一度閉じて、ゆっくりと声を出し、『命令』した。
「まぁ、また今度ね」
「……はい、私のご主人様」
残念そうに呟くアリスの頭を最後にもう一度だけ撫でてやった。
さぁ、アリス。王国を席巻した君の威光をこの地に示せ。
その災厄を持って僕の敵を討ち滅ぼせ。
君の根源が悪性だというのならば、せめて僕はその力を義のために振るおう。
それこそが君の幸せになると信じて。
僅かに開くアリスの眼が血のように輝く。
さぁ、アリス。僕達の探求を始めようか。




