第十五話:あ、今舌打ちしたです!?
フィル・ガーデンは弱い。
G級
有機生命種
『純人』
通称、『ただ』の人。
筋力、魔力、耐久、敏捷――共に最低。
特に筋力、魔力の伸びが低く、純人種の中で値が高い個体、才覚あるものでも、他種から見てみれば大したレベルではない。
その種族の弱さは全世界に知れ渡っているが、その中でも群を抜いて弱い個体が『フィル・ガーデン』という探求者だった。
その探求者が持つあまりの脆弱さを初めて知った時の事を四年たった今でもアリスはまるで昨日の事のように覚えている。
種族ランクSS級であるアリスにとってその弱さ、儚さはまるで泡沫の泡のようで、まるで陽炎のように不確かに見えた。
理由はわからない。いや、理由などないのかもしれない。
それは正しく、才能の『意味』なのだろう。
運悪く弱く生まれた。アリスが運良く強く生まれたのと同じように。
不便で心もとなく、本来なら大した功績を打ち立てられる器ではないのだろう。
だが、だからこそ、その身で探求者の極地に手がかかったという事実が重いのだとアリスは思っている。
そして、その脆弱なマスターの多数存在する弱点の一つが強烈な睡眠欲、深い眠りだった。
全体的な身体パラメータが低いが故にフィルの精神は強靭で、常人から見れば狂気を感じるレベルで高い。その心を持ってしても逃れ得ぬ睡眠欲。
グラエル王国で探求者をしていた頃から片鱗の見られたそれは、レイブンシティに至って、いよいよ探求者としての活動に支障を及ぼすレベルで表れている。
転移前の活動では少なくとも、そこまで酷いものではなかったはずだ。
それに対応する『月水の涙』の摂取量だって、今よりも遥かに少量だった。
それが、今や一瓶の薬品で一週間しか持たない状態だ。その薬は決して安いものではない。例え莫大な額を稼ぐSSS級探求者だったとしても、確実にそれは重荷となるだろう。
だが、例えそれでも構わない。それはアリスならばカバーできる程度の障害だ。
むしろ、マスターが出歩かない事はアリスにとって一つのメリットですらある。何故なら、それだけマスターの死亡率が下がるのだから。
アリスは鼻歌を歌いながら、道筋を辿っていった。
フィルが歩いている所を覗いていたので、既に道順は仔細にわかっている。
地図を記憶する事。可能な限り早く地の利を得る事。
それは、フィル・ガーデンが己のスレイブに求める一つ目の技能だった。
当然、アリスもスレイブとなってからの数年で身に付けている。今や、歩いているだけで自動的に頭の中に地図がマッピングされる域にまで至っていた。
迷いない足取りで大通りから二つ目の角を曲がる。
レイブンシティの建物のほとんどは金属で構成されている。周囲を機械種の魔物の支配域に囲まれており、材料が得やすいためだ。
住宅一つ取ってみても、グラエル王国の煉瓦で構成されたそれと比べて大きな差異があった。
住宅街は治安がよく、静かだった。たまにすれ違う人のほとんどが機械種だったが、見た目だけなら有機生命種と比べてもほとんどわからない程度に完成度が高い。
燦々と輝く太陽の元、機嫌よく歩くレイスは珍しいのだろう。あるいはその美貌のためか、時折投げかけられる不躾な視線を一切気にすることもなく、アリスは一つの屋敷に辿り着いた。
見上げる程の高い扉に、周囲の住宅と比べて一回り広い敷地に建てられた無骨な屋敷だ。
それは近くで見ると顕著で、黒い光沢のある金属でできているため、一見黒鉄の城のようにも見える。
表札はまだ取り付けられていない。恐らく、この街に来たばかりと言っていたのでまだ設置していないのだろう。
エトランジュ・セントラルドール
機械小人と呼ばれる有機生命種の一種。エティの愛称を持つ少女だ。
機械種という種族に対する群を抜いた親和性で知られる種族である。
生まれついて機械魔術師となることを運命づけられたとさえ言える種族で、その種の優に九割がその道に進むとされる。
それ故に、一般的に小人と呼ばれる種はその生まれ持った肉体――身体能力の低さ故、戦闘能力は低いとされているが、その種においてはその法則は全く当てはまらない。
事実、アリスが今まで確認した魑魅魍魎とした探求者の中につっこんでも、その戦闘技能、汎用性は上位のものとなるだろう。
この地であった探求者の中では間違いなくトップを張れる少女だ。能力だけなら、という注釈がつくが。
だが、少なくとも今の段階ではアリスの敵ではない。敗北のビジョンが浮かばない。
躊躇いも恐怖もなく、アリスは扉の横に着けられたベルを鳴らした。
甲高い音が扉の向こう、屋敷の中に響き渡った。
数秒待っていたが、誰かが出る気配はない。
「……」
首を傾げる。
鋭敏なナイト・ウォーカーの感覚は屋敷の中の存在を捉えていた。そもそも、レイスの感覚は捕食対象であるヴィータの気配を捉える事に関しては特化している。
ベルを鳴らしたのはただ単純にそれがマナーだからだ。
一分近い時間を待って、返事が返ってこない事がわかると再びアリスはベルを鳴らした。
それも何度も。
音が連続して屋敷の中に響き渡る。が、やはり家主の出る様子がない。
ターゲットは動いている。寝ているわけでもない。
アリスは大きなため息をついた。面倒臭い。
扉の向こうに向かって、最終通告を行う。
「エトランジュ、出ないと……扉を破壊して侵入する」
アリスはフィル程甘くなく、そしてフィル程脆弱じゃない。
十センチ近い厚みのある金属の扉、フィルからしてみれば突破のしようがない障壁だろうが、アリスに取っては紙切れのようなものだ。
空間魔術による切断に耐性があったとしても、アリスの持つ生命操作による強化は単純であるが故に隙がない。
数秒の沈黙。
アリスが焦れて手の平の白銀の光を宿した瞬間、扉が軋むような音を立てて開いた。
扉の隙間から、むすっとした表情が覗いている。
「……何か用なのですか?」
「ご主人様からのお使い」
「……」
疑念の篭った視線がアリスの全身を舐めるように見る。
エトランジュ・セントラルドールとアリスの戦いは記憶に新しい。その場で、エトランジュはアリスに脅され翻弄さえ、あまつさえ結果的に心臓が止まったのだ。
最後の一点については必ずしもアリスのせいではないが、確執は大きい。
結果的に命があったとは言え、エトランジュにとって、フィルの言葉、やり口は一種のトラウマだった。
高位のレイスよりよほど恐ろしい『理解できないもの』だ。
「……お使い……はぁ……」
肩を落として大きなため息をつく。
扉がさらに少し開き、アリスの眼にエトランジュの全身が入ってくる。
金属質の繊維で編まれた漆黒のジャケット。同色のワンピースは明らかに布とは異なる材質でできている。
数多存在する防具の中でも最高峰に位置される機械魔学の技術の結晶。
多量の魔力を通すことによってありとあらゆる物理、属性攻撃を防ぐその最高峰の兵装の名を、機械魔術師達はこう呼ぶ。
神に至る機動兵装——即ち、『機神』と。
なるほど……これが遅くなった原因か。
兵装についてもある程度の知識はあった。
勿論、趣味でそれを調べる主程ではないが、機神については、フィルの思考を覗いていた事もあり、よく知っている。
機神は確かに機械魔学に連なる兵装の中では軽量な方だが、普段着に使うようなものではない。
アリスは納得と同時に、くすくす忍び笑いを漏らし始めた。
エトランジュが見るに明らかに顔を顰める。不機嫌極まりない表情で扉の隙間を僅かに狭めた。
「……何がおかしいのですか?」
「いや……」
無駄だから。
という台詞をアリスは喉の奥、胃の底まで飲み込んだ。
与えられた役割はエトランジュの協力を仰ぐこと。決して喧嘩を売る事ではない。
何よりも優先すべき内容はマスターたるフィル・ガーデンから与えられた使命をこなす事だ。そのためならば、悪性の一つや二つ容易く飲み込める。飲み込んでみせる。
しかし、面白い女だ。
機神を纏って敗北したのを忘れたのか。同じ準備をして異なる結果を求めるとは愚か者としか言い様がない。
内心でも見下しながらも、それ表に出さずに、アリスは表情を変えないまま再度同じ台詞を出す。
「ご主人様の代わりに来た。頼みたい事がある」
「……そういった事はフィル本人が来るべきなのです」
「ご主人様は昨日の探求で体力を消費して眠っている。だから代わりに来た」
アリスの断言に、エトランジュが僅かに躊躇う。
確執はあれど、先日の事態は一応の解決はしていた。
問題を起こしたのはフィルだが、気絶したエトランジュを運んだのもフィルだし、心臓の止まったエトランジュに高級品の回復薬を使ったのもフィルだ。
エトランジュはしばらく目を瞬かせていたが、諦めたように扉を開けた。
どうせ断った所で、扉を破られるのは目に見えている。来たばかりのこの屋敷じゃ、対レイス用の防衛装置が設置されていない。
それでも並の相手ならばそうそう踏み入れられない程度の設備はあるが、相手が無数の命を持つ化け物ともなると防ぐことはまず不可能だ。
「……まぁ、話くらいは聞くのです……」
悔しげに扉を開けるエトランジュに、アリスは穏やかな微笑で応えた。
機械魔術師のワークスペースを工場と呼ぶが、エトランジュの屋敷はまさしく工場だった。
そこかしこにうず高く積まれた機械種の残骸。
金属のインゴットにネジやナットなどの細かい部品の類。
天井の高い屋敷を縦横無尽に奔る魔力の伝導管に、黄緑の液体で満たされた筒は機械魔術師として新たな機械種を創造するのに必要不可欠な設備だ。
居住区と工場の区別が付かない雑多とした光景に、アリスは己の主を連想して眉を顰める。
案内された先はリビングだった。仮にも客を通す部屋としての体裁は整えてあるらしく、その他の部屋や廊下と比べて、室内には工場を連想させるものは置いていない。ただ、他のリビングとは異なり、びっしりと分厚いハードカバーの書籍が並べられた大きめの本棚が複数、壁際に設置されている。
それなりの教育を受けさせられたアリスの眼で見ても何を書いてあるのか理解不能な専門用語で書かれた書籍だ。そもそも、アリスは日常会話ぐらいは問題無い程度のマキュリ言語は収めているが、専門用語などが漏れ無くわかる程のレベルではない。
室内に入ると、エトランジュはキッチンの方に指示を出した。
「ドライ、お客さんなのです。お茶をお願いするのです」
メカニックと魔物使いはクラスとしての格も戦闘能力も要求スペックも何もかもが異なっているが、たった一つだけ共通しているものがある。
それ即ち――スレイブを使うという事。
メカニックは機械種に限り、魔物使いをはるかに超えた域でスレイブとすることができる。それは、機械種の創造を可能とするスキルを持っている時点である意味では当然の事だ。
仮にもSS級の探求者であるエトランジュにもスレイブがいた。
リビングとキッチンを隔てる扉の奥から穏やかな声が返ってくる。
「承知致しました、エトランジュ様。ただいまお持ち致します」
人と見分けがつかない感情の波が見える声。
怒声でもない、喜色満面でもない、悲哀でもない。しかし、はっきりと感じるその感情は激しい感情を表現するよりも遥かに難解なものだ。
メカニックと魔物使いは違う。
仮にも自らが契約しているスレイブを自らが創造したものではないという事はあるまい。それだけでエトランジュのメカニックとしての能力の高さがわかった。
機械種は基本的に人に近ければ近い程完成度が高いとされるのだ。
そんなアリスの思考を読んだわけでもないだろう。お茶を待つ時間も惜しいと言わんばかりにソファに腰をかけると、エトランジュは開口一番に宣言した。
純度の高いエメラルドを思わせる色の碧眼がアリスの銀の視線に向けられる。
「アリス、私は貴方が苦手ですが、でもそんなのは関係なしに私は今忙しいのですよ。可能ならばさっさと用件だけ伝えて欲しいのです」
エトランジュはそれほど深く因縁を持ち込むタイプではない。そもそも、彼女は酷く多忙だった。レイブンシティへわざわざやってきたのもなんとなく引っ越ししたとかではなく、仕事をするためだ。
「討伐した機械種の解析を依頼したい」
「解……析?」
一言、極めて簡潔に返ってきたその言葉に、エトランジュの表情が困惑に変わる。
確かに、機械種に関わる各種の処理に関して、メカニック程に適しているクラスは存在しないだろう。
だが、通常それは探求者の仕事ではない。探求者の仕事は対象の討伐と採取までであり、それ以上の領分はもっと他の――学者などの仕事だ。
そもそも、解析は普段は行われない。本来それが行われるのはそれが必要とされると判断された場合のみありうるプロセスだ。
予想外の言葉に、なんと答えていいものか、一瞬迷う。
数瞬思案し、さらなる情報を得るために口を開いた。
「……一応聞いておきますが、物は何なのですか?」
「D923四足動体モデル・クリーナーとその近縁種」
機械種の魔物には識別番号が付与される。
アリスが出した番号は予想外に位階の低いものだったが、即座にエトランジュは脳内にあるデータベースの中からその機種の情報を引き出した。
エトランジュはこの辺りでずっと戦ってきた探求者だ。探求者としての活動時間はそれほど長いわけでもないが、一通りの機械種との戦闘は経験している。
人差し指で唇を軽く触れ、思案する。
「D923四足動体モデル・クリーナー……ワーム型の機械種なのです。スキルは金属を溶解させる消化液の射出。特筆すべき能力は持っていない機械種なのです。……近縁種?」
「『黒鉄の墓標』を根城にしていたモデル・クリーナーの上位種を討伐した。恐らく、ユニークな機体だと想定される」
「ユニーク……単一で創造された機械種ですか……また、相変わらず訳の分からない事をやっているのですね」
呆れたような視線を向けるエトランジュを色のない視線で迎え撃った。
ユニーク。それは、無機生命種や幻想精霊種といった、他のクラスにより創造される事のある種族に見られる特有の個体だ。
その他の種族でも、異常に強力な力を持つ個体を指す際に使用されることもあるが、多くの場合、それらは名前付きと呼ばれ、区別される。
その条件は唯一つ、単一であること。
オーダーメイドとも揶揄されるそれは、しかし決して珍しいというわけでもない。
ユニークなだけの個体ならばいくらでも存在している。
例えば、エトランジュがそのクラススキルを使って機械種を一から創造したとするのならば、それは間違いなくユニークなマキーナと呼べるだろう。何らかのベースを元に創造すれば近縁種と呼ばれるし、全く新しい概念を元にすればオリジナルと呼ばれるがどちらにせよユニークには違いない。
それは特別と言ってしまえば聞こえがいいが、いうなれば何らかの理由で量産に耐えられなかった事の裏返しだ。
だが、確かに面白い話ではある。
モデル・クリーナーの上位種と言えば、今現在確認されているのは『黒鉄の墓標』の最深部に巣食っていたユニーク機種だけのはずだ。そしてそれは既に討伐済みであるはずだった。
普段のエトランジュならば興味がそそられていただろう。
しかし、時期が悪かった。今のエトランジュには時間がない。
少し考え、眼の前の悪霊の少女を刺激しないよう、慎重に言葉を出す。
「……言っておきますが、私の解析は高いのです。無料だと思わないで欲しいのです」
そもそも、メカニックは優秀な戦闘スキルを持つクラスでもある。
探求者でもそれ以外でも、どの分野でも食うことには困らない。上位のスキルまで網羅しているエトランジュならば尚更だ。
いいように扱われるのは性に合わない。以前のアムの頼みを承諾したのは、時間が空いていたのもあるが何より、彼女が『誠意』を見せたからだ。
知人とは言え、エトランジュの技術は安くない。
じっと黙ったままエトランジュの話を聞いているアリスの双眸には何も浮かばない。
「対象のランクやセキュリティにもよりますが、解析料は最低百万から億まで届くのです……ユニークならばより高額になることを覚悟した方が良いのですよ」
差別ではない。それは業界の適正額だ。
エトランジュ程の探求者ともなれば、それでも自身で探求を進めたほうが時給は高くなる可能性は高い。大物というのは、ただでさえ解析に時間がかかるのだ。
一方で、アリスは思案した。
エトランジュの言葉に特に謀りはないだろう。
そもそも、このランクの探求者に個別依頼を出して受けてもらえる可能性は高くない。値段の問題ではない。高いスキルを持つ者に頼むにはとにかく『縁』が必要となる。
そういう意味で、フィルにはそこまで大きな縁がまだなかったという事。本人が来るのならばまだしも、スレイブを派遣して二つ返事で依頼を受けてもらえるレベルにはなかった。
悪性霊体種は有機生命種の感情に敏感だ。
アリスは、眼の前の少女が乗り気でない様をはっきり感じていた。
「お待たせいたしました」
ちょうどその時、キッチンからお盆を持った人影が入ってきた。
女性型の機械種をガイノイド、男性型の機械種をアンドロイドと呼ぶが、それはどちらとも異なっていた。
艷やかな肌は小夜や白夜とは異なり、人の肌の光沢ではなかった。それどころか、生体めいた雰囲気すらない。
その人型は明らかな木製で、ダークブラックの燕尾服から出た手足は人の形こそしていたが、その顔に表情と呼ばれるものはない。
人型ではあっても、アンドロイドではない。
姿勢よく両手で支えられたお盆と、穏やかな声だけがその容姿に見合わぬ理性を灯している。
声からは想像できなかった人とはかけ離れた形はアリスにとって予想外だ。
姿勢正しく、お盆に乗せてきたティーカップをテーブルに並べる様は貴族の屋敷で見たことがある執事のものに違いない。
ポットから注がれた琥珀色の液体のどこか甘い芳香が端を擽る。
「ありがとうなのです。アリス、彼は私のスレイブの『ドライ』なのです」
「ドライ……」
呟くアリスに、ドライと呼ばれたスレイブが大仰な動作でお辞儀をした。
口調こそ穏やかだが、双眸とも呼べぬ黒のガラス球がアリスに向ける視線は酷く乾いている。
「ドライ、と申します。エトランジュ・セントラルドール様のスレイブをさせて頂いております。以降、お見知り置きください。アリス様」
「……よろしく」
面白いスレイブだ。特に、高位の機械種が多いこの地の中でこのかけ離れた構造は酷く興味深いだろう。
特に機械種に対して何の興味も抱かないアリスでもそう思うのだ。主人がどう感じるかは想像するに難くない。
アリスは手持ち無沙汰にカップを持ち上げると、中の液体を少し咥内に含んだ。
エトランジュも同じような動作で紅茶を一口含むと、はっきりとした口調で言った。
「……それと、私は今忙しいのです。頼まれるにしても、急ぎでないなら後にして欲しいのです」
「急ぎって……大規模討伐?」
「……なんで貴方がそんな事知ってるのですか……」
フィルがその情報を知ってから早くも十日。
大規模討伐の情報については既にギルド内もその情報でもちきりとなっている。
最近ギルドの訓練場がやたら混雑しているのもそれの影響だ。
『灰王の零落』
SSS603型クイーンアント率いる数千体規模の機械種の軍勢の討伐クエスト。大規模討伐はとにかくリスクが高い。如何なSS級の探求者と言えど、準備が必要とされるのも当然だろう。
ふと、そこで思いついたようにエトランジュが目を見開いた。
「あ、もしかしたらフィルも参加するのですか? 確かにSSS級の依頼ではありますが……」
「多分参加しないと思う。大規模討伐クエストはその地の探求者のものだから……」
そもそも、そんな『些事』にかまっている暇はない。
大規模討伐依頼は他の依頼とは異なり、時間がかかる。その討伐対象の数を考えると、スタンドプレーは許されない。事前のブリーフィングも何日もかけて入念に行い、その中にはギルドの職員だけではなくその地の領主まで含まれる事さえある。
面倒な事務処理はギルドの職員がやってくれるとは言え、数日で終わるものではない。
フィルがその情報を知ってからで数えても十日も経っているのに、まだ討伐が開始されていないのがその証明だった。
そして、フィルにはそれに参加する理由がない。アムならばともかく、アリスを連れて参加した所で、特にメリットと呼べるものが存在しない。経験にもならない。フィルにとっても、レイブンシティの探求者達にとっても。
それならばまだ、白夜との契約どおりに他のSSS級の討伐対象を片付けた方がまだマシだ。
「そうなのですか……まぁ、私がいる限りなんとでもなるのです。今回はスレイブもいますし……」
「どれくらいかかる?」
「……予定では討伐はちょうど七日後に決行される予定なのです。今は周囲から探求者を集めている最中なのですよ」
七日後……
その言葉を脳内に反芻させる。あまりに長い時間だ。解析は出来る限り早いほうがいい。
アナザー・スペースは空間魔法だ。多数の物体を格納できるが、異空間の中でも時間は通常通りに経過する。一週間も間を開けたら劣化は必至だ。
それ以外の問題だってある。
「できれば討伐前に解析をして欲しい」
「……だーかーら、無理なのですよ。討伐依頼が終わった後ならば考えてあげてもいいのです。もちろん報酬はもらいますが……」
「いや……討伐に失敗して死ぬ可能性もあるから……」
「……は?」
あまりにあけすけな言葉に、エトランジュの目が丸くなる。怒りよりも驚きで。
アリスはため息をついて、周囲に視線を彷徨わせた。
棚に並んだ専門書らしき書籍はそのどれもが読み込まれたように汚れており、付箋が無数に付けられている。機械魔術師は魔術師職だ。そのクラスは、他の魔術師系の職と同様に知識の深さがモノを言う。
全ての機械種の親とされる存在が現れたのは僅か数千年前だ。機械種の歴史はその他の種族と比較すると遥かに浅い。
数十秒の静寂の後、エトランジュが訝しげな表情を崩さずに聞いた。
「アリス、貴女は……まさか私が負けると思っているのですか……?」
「負けるとは言っていない。可能性があると言っただけ」
大規模討伐が事前に長い準備期間を取るのは、それだけリスクが高いからだ。その死亡率は、準備期間を取ってさえ他の討伐依頼の比ではない。
そういう意味では、アリスの言葉は正しかった。
そもそも、死の可能性のない探求などほとんど存在しない。薬草の採取依頼でさえ、一歩間違えてしまえば魔物に襲われ命を落とす事になる。
そして大抵の場合、探求者の死とは唐突なものだ。朝、そんな事は想像すらしていなくても、夜には物言わぬ屍になる可能性は誰にでもあった。
「相手は機械種……機械魔術師の私が負けるわけがないのです。今度はスレイブもいますし……」
「イエス。エトランジュ様の身は私が命をとして護りましょう」
ドライが丁寧な口調で宣言する。
今度、という事は前回のアリスとの戦いと比較しているのだろう。
確かに、前回だってスレイブを連れていたらまだ異なる結果になっていたかもしれない。以前のあれはきっと明確な油断で、でもそしてまた今回も油断をしている。
探求者は愚かだ。その命をベットしている事の本当の意味にまったく気づいていない。
アリスは少し考え、そのことを指摘するのをやめた。
そもそも、今回のエトランジュの言葉は尤もでもある。対機械種に置いて、メカニックの絶対的優位性は揺るがない。
一スレイブたるアリスにできる事は主人の命令を忠実に守ることだけだ。
「恐らく問題無いだろうという事は知っている。でも、私にも命令が下っている。エトランジュ、貴方に解析を頼むよう、ご主人様からの命令が」
「……私に頼むように、ですか……。もし何なら、他のメカニックを紹介しますですか?」
その言葉はある意味で渡りに船だ。
だが、アリスは躊躇いなく一刀両断した。
憑依による読心にも限界はある。
マスターの深謀は心を読んですら真の意味で理解することはできない。
アリスは剣であり、手足だ。フィル・ガーデンという魔物使いの『使える』手足。時には余計な動きが主人にとっての障害となりうる。
「不要。エトランジュ、貴方に頼みたい」
「……やれやれ、しつこいのです。私は多忙なのです。装備の整備、アイテムの買い込み、ギルドとの調整、他の探求者との顔合わせ、敵対種の精査、やるべきことはいくらでもあるのです。余計な作業をしている暇はないのです」
エトランジュが諭すように言う。
だが、その口調は断定だった。アリスの言葉で其の意志が揺るぐことはないだろう。
面倒なことになったな、と内心嘆息する。
理由さえ言えば、フィルはアリスを許すだろう。だが、それは本意ではない。さて、どうするか。
沈黙するアリスを見て何を思ったのか、エトランジュはポットからアリスのカップに新たな紅茶を注ぎ、優しい声で言った。
「私以外にも機械魔術師はいるのです。そして、恐らく私ともそう実力は離れていないのですよ。一応紹介状は書いてあげるのです。フィルと相談して、本当に私が必要ならばまた来るといいのです。まぁ、その場合も大規模討伐達成後になるかと思うですが……」
「……チッ」
「あ、今舌打ちしたです!? く……こっちがこんなに妥協しているというのに……」
「してない」
アリス・ナイトウォーカーという少女は交渉に向いていない。それはアリス自身も自覚している。当然、フィルもまた知らないわけがない。
レイスという種族は他者から嫌われる傾向にある。恐怖で脅すことならば得意だが、理屈で詰めて依頼することは難しい。少なくとも、事前に調整がきいていないのならば尚更のこと。ましてや今回の相手は拷問にかけるわけにもいかない。
男ならばその美貌で魅了するという手法も使えるが、相手が女だとそれも効果が薄い。
それは折り込み済みの特性だ。
アリスはもう一度未練がましく、眼の前の少女の眼を見て、溜息をついた。
無理だ。絶対に無理。先ほどは敗北のビジョンが浮かばなかったが今度は説得できるビジョンが浮かばない。
仕方ない……これ以上交渉しても時間の無駄だ。ご主人様を連れてこよう……
本意ではないが、無駄な交渉を行い、これ以降の行動が絞られるのが一番の悪手。無理をして印象を落としてしまえばフィルが交渉する際にも苦労する事になるだろう。それだけは避けたい。
決意さえ決まればあとはこの場に用はない。
アリスは一息でカップに入った紅茶を飲み切ると、強情な機械魔術師の少女を一瞥し、立ち上がった。




