第十四話:……知らない。いくら?
それは大通りに立てられた大型の店と比べると、こじんまりという印象の強い店だった。
滞在している白銀の歯車亭からギルドに向かうのに通る大通りの三番目の角を曲がった、小さな路地。
木製でできた小さな小屋のような建物には一種の趣があり、機械種が多いが故に金属製の建物が多いレイブンシティの中で一種の異彩を放っている。
『アマリスの壺』
小さな看板が掛けられているそれは、個人商店だった。知らない者は、恐らくここが薬屋だということにすら気づかないだろう。
もちろん、アリスは知っていた。レイブンシティに来てからの主人の動向は全て、『憑依』のスキルを通して見ていたのだから。
肉眼では初めて見る看板を見上げてくすりと笑う。
「……くす、ご主人様、本当に好き者……」
薬師の腕がいいわけでもないのに、こんな個人の商店を贔屓にするなんてアリスから言わせてもらえば物好きという他ない。それは、きっとフィルの持つ身体能力と魔力に対するコンプレックスにも関係しているのだろう。
どのみち、そのスレイブたるアリスとしては、その意見を最大限に尊重するまでのことだ。
フェミル草の独特の香りが鼻孔を擽る。扉を開けると同時に、軽いベルの音が鳴り響いた。
「ん、いらっしゃ……い?」
カウンターの男の声が、入ってきたアリスを見て一瞬静止した。
金髪に青い目をしたハーフエルフの男性。同じハーフエルフでも、セイルよりも背が低く、そしてやや垂れ下がった眼はセイルよりも柔和な印象を与える。
アレン・グラス
個人経営の薬屋である『アマリスの壺』の店主であり、同時に『薬師』のクラスを持つ術者でもあった。
店は手狭でありながら、壁際に並べられた壺や半透明の容器からは強い薬草の香りが立ち込めている。
アリスは、周囲を見ることなく、迷わずカウンターまで歩を進めた。
立地条件もあり、あまり客はいないのだろう。
店内には店員のアレンを除けばアリスしかいない。
「……何か入り用のものが?」
いきなり入ってきた、この世のものとは思えない美貌を持つ銀髪の少女に意識を取られたアレンが慌てて聞く。
同時に、レイスだということにも気づいていたが、さすがに客商売をやっているだけあって顔を顰めたりしない。もちろん警戒はしているが、それはレイスを相手にする時の最も基本的な心構えでもあった。
ごくり、と。
唾を飲むアレンを、アリスがただじっと見上げた。
「ご主人様の使いの者です」
「ご主人……様?」
予想外の言葉に、アレンが一瞬固まる。
が、すぐに思い当たったのか、表情が変わった。
アレンの店を一人の変わったプライマリーヒューマンの探求者が訪れてきたのは記憶に新しいし、一度だけでなくそれからも度々顔を見せたその探求者は数少ない『アマリスの壺』の常連とも言えた。
ただひたすらに弱く、それ故に強い魔物使いの青年。
『ご主人様』などと呼ぶのは貴族の召使かスレイブくらいしかおらず、貴族はお抱えの薬師を雇うのが一般的で、アレンの店にそのような使いの者が来た記憶はない。もとより、貴族の使いならば主の名を述べるだろう。
だからこそ、おのずと答えは絞られる。ただでさえ絶対数の少ない魔物使いだ。アレンの店に通う者など考えるまでもなく、一人しか存在しない。
思い当たるその影に双眸を和らげ、視線を落とし、アリスを見る。
「ああ……フィル・ガーデン……フィルの使いかい?」
「はい。例のものを受け取ってくるように、と」
その言葉で、確信した。
フィルが求めるもので、しかも例のものとなるとそれもまた一つしかない。もともと、薬師として独自のコネがあるアレンにフィルが頼んだものでもある。
しかし、例の物とは……
確かに手に入りにくいものではあるが、別に違法でも何でもないんだが……
「ああ、もちろん用意してる。ちょっと待っててくれるかい? カード! 月水の涙を」
「は、はい! ただいま!」
ぱたぱたという音を立てて、店の奥から少年が走ってきた。
カード・ウェード。アレンのたったひとりの弟子で、薬師のクラスを目指す見習いのハーフエルフだ。アムと一緒に泣きながらフェミル草を探索していた気弱そうな少年だった。
手に五百ミリリットル程度の瓶が抱えられていて、キラキラと光る透明な液体に満たされている。
『月水の涙』
それは、ありとあらゆる薬の原料として優れ、素材としても高価なものだ。特に薬師のクラスのスキルは、薬を作成することによって鍛えられる。そういう意味では、高い効能を持つ薬の原料になるそれは、素材としての価値以上に薬師にとっては重要なアイテムと言えた。
本来ならば、素のままで市井に流れる事はほとんどない。需要もそして、供給もない。
特にレイブンシティは機械種の街だ。さしもの回復薬も純粋な機械種の傷を癒やす役には立たず、それ故にレイブンシティの薬の需要は一般的な他の街に比べて随分と低かった。
結果として、それだけ『月水の涙』も回っていない。なかなか売れない高価な薬を作るために苦労してそれを手に入れようとする薬師は多くない。
アレンは、若かりし頃に学ばせてもらった師のコネまで使い、苦労して手に入れたそれをカードから受け取ろうと手を伸ばした。
「あっ……」
同時に、カードが何かにつまずいたようにつんのめった。力を込めて持っていなかったのか、瓶が床に向かって放り投げられた。
それを認識した瞬間、アリスは身体を『動かし』た。
屈みこんで地面に落ちる前に丁寧に瓶を拾う。アリスがやったことはただそれだけだ。
アレンの眼にもカードの眼にもそれは物理法則を超えた一種の魔術のように見えた。
アリスの表情には焦り一つ見えない。できることをただやっただけ。
そのまま月水の涙の入った瓶を撮み、光りに透かす。薄い金色の液体がきらきらと光っていた。質感はさらさらだが実態はエレメンタルの花の蜜だ。ただし、味はしない。
アレンが愕然とした表情で呟いた。
「……随分と素早いんだね」
「別に……」
アレンの言葉に興味もなく答える。
確かに精神は充実しているが、こんな真っ昼間にアリスが本来の力を発揮できるわけがない。
天敵たる陽は、すりガラスの向こうからぼんやりとした明かりをアリスに投げかけている。こんな状況ではアリスに発揮できる力はせいぜいS級程度だろう。
「ご、ごめんなさい、僕――」
「……構わない」
だが、お使いをするには十分だ。
もし仮に薬が割れていたら、アリスはカードを殺していたかもしれない。だが、それは同時に他愛もない『もし』の話だ。
フィルという首輪が付いている限り、アリスはただただ忠実だった。その魂に刻まれた深い欲望などそれと比較すれば大したことのないものだ。
間違えても薬を失わないようにアナザー・スペースで作り出した異空間に収納すると、アレンの方に向き直る。
「いくら?」
「いや……料金は既に前払いでもらってるよ」
「そう」
アリスも二十四時間フィルを観察しているわけでもないが、確かにフィルならばそうするだろう。
それは一つの信頼構築のテクニックでもある。そして、『月水の涙』程度の代金なら騙されないだろうという打算も入っているに違いない。
満足気に頷くと、アリスもついでに主人に習って信頼の構築を試みる事にした。もちろん相手はアレンやカードではない。
それは、媚ともいう。
アレン達、師弟から緊張の混じった視線を向けられながらも、全く気にすることなく店内を見まわった。
アリスの個人的に使える金額はフィルの全財産と同義である。スレイブは財産をマスターと共有するからだ。それでも、そこまで徹底している魔物使いはそういないだろう。
それもまた、信頼を受けているという事。同時に、信頼を築きたいという思惑も入っているに違いない。
色とりどりの瓶を品定めする。薬にはいくつかの種類がある。塗り薬、飲み薬。他にもクリスタル型の砕いて使用する魔法の薬などだ。基本的に後者になればなるほど効果が高く、そして値段も高い。
棚の中身を丁寧に品定めして、ようやくアリスは一つの瓶を取った。
棚の奥にまるで隠されているかのように配置されていた瓶だ。
香水でも入っているかのような小さな黒い瓶。
それを見て、カードが短い悲鳴のような声をあげ、アレンが眉をひそめる。
それを見て、アリスは確信し、つまみ上げるようにして瓶を持ち上げた。
「これにする」
「……き、君はコレが何なのかわかるのか……?」
「……知らない。いくら?」
目をそらして瓶を差し出すアリスは、よくその少女の事を知らないアレンから見ても確信犯にしか見えない。
無数の薬瓶、薬草の香りの中からコレを見つけ出すその嗅覚に、若き薬師は戦慄した。
それを見つけ出す力よりも、知りつつも平然とそれを持ってくるその胆力に。
その黒の小瓶は限りなくグレーに近いポーションだ。普通はこの年頃の少女が買っていくようなものでもなく、どちらかというと男性が買っていく場合が多い。
さして貴重な原料を使っているわけでもないにも関わらず、品薄なのはそれだけその効果が有用だからだった。尤も、機械種が多いレイブンシティではそれほど売れるものでもないが、それでもそれを狙って遠い地からわざわざ買いに来る客がいるような代物だ。
事実、アレンの店でもトップを争う売上を誇る商品だった。
それは、心を操る薬である。
媚薬ともいう。
惚れ薬などという生やさしいものではない、もっと実用本位のものだ。
効果は――単純な性欲の促進。
単純に見えてその実、複数の薬草と薬師のスキルによる『薬効の強化』が効いたそれは、ただの一瓶で人を貶す極めて危険な魔法薬だった。
「……誰に使うつもりだ?」
「……金はある」
「…………」
目をそらして言い切るアリスは傍目からみても怪しかった。
物が物だ。用途は碌でもない事になるのは自明で、それ故にこの類の魔法薬の売買で用途を尋ねるのは禁忌に近い。
アレンだって、普段ならばそんな事を聞いたりしない。
だが、買おうとしているのは知人のスレイブだ。そして、そのスレイブは初見のアレンから見ても明らかに雰囲気が違った。
並ではない。アムを連れてきた時も吊り合わないとは思ったが、そういうレベルを超えている。
会計のために渡された惚れ薬――『比翼の血』を検めて、じっとアリスの眼を見た。
悍ましい程に美しい銀の眼だ。それはまさに魔性の名に相応しい。それ故に、アレンは迷った。
商売人としてではなく、一人の友として。
本当にこれを渡していい相手なのだろうか、と。
「早く会計を」
「あ、ああ……」
差し出されるカードには、確かにマスターとしてフィル・ガーデンの名前が刻まれている。スレイブなのはまず間違いない。
スレイブがマスターを害することは多くない。だが、同時にないとも言えない。
ましてや事もあろうに、購入を求められているのは惚れ薬、少し魔が差して薬を盛るという事もあるのではないか?
「知っているかもしれないが、この手の薬は購入者を書き留める義務がある。君の名前は帳簿に記され、その薬を使って問題を起こした時には真っ先に疑われる事になる。構わないかい?」
「構わない」
アリスが寸分の躊躇いもなく答えた。
アレンが薬師のクラスを得て、一人前として店を出してからもう十年以上が過ぎている。師の元で修行をしていた時と合わせた長い年月は、アレンに人の心の脆さというものを思い知らせていた。
特に精神操作系の魔法薬は取り扱いに注意する必要がある。
信頼出来る相手なのか否か、それは薬師としての責任の範疇だった。
『比翼の血』は精神操作系の魔法薬としては強力な方ではない。いや、性欲を促進させるだけ、という効果だけ見れば精神操作系と呼べる程のものでもないだろう。だからこそ作成の難易度が低く、アレンの店でも売れるのだから。
何より、今までアレンにはそれを売ってきたという実績があった。
それまで平気な顔をして売ってきたものを、知人が相手だからといって手の平を返すのは、薬師の矜持として少しおかしい。
冷や汗がアレンの頬を垂れる。二律背反。
カードが尋常ではない雰囲気の師匠に気づき、アリスとアレンの表情を交互に見る。
旗色が悪い事に気づき、アリスはふと気づいたように声をあげた。
「そういえば……」
「……何か?」
「ご主人様が、今度また薬草採取に行くから付き合って欲しいと言っていた」
薬草採取。
フェリア草を一緒に探しに行った事はつい二週間程前の事だ。
薬師は戦闘技能に乏しいから、いつもはギルドに依頼を出して手に入れた薬草を使ってポーションを作っている。
が、それだけでは薬師として、大きな成長は見込めない。自生する薬剤の原料の採取――フィールドワークは薬師にとって至上の課題であり、同時に護衛を雇う程の余裕もない今の段階ではなかなか手の付けられない部分でもあった。
「そうか……付き合って欲しい、か」
その台詞は本来ならばアレンの方から出すべき言葉だ。
なんといっても、フィルのおかげで弟子にフェリア草の分別方法をようやく教える事ができたのだ。
それは、フィルに取ってなんのメリットもない事であるはずだった。フィルだけではフェリア草の見分けがつかないならまだわかるが、フィルの薬師の知識はプロであるアレンから見ても見事なものであり、アレンやカードを引き連れて行くのにはリスクしかないのだから。
その言葉を聞いた瞬間、既にアレンの決意はなされていた。
『比翼の血』の瓶の縁をそっと人差し指でなぞる。
じっと、奥底の感情を見通すかのように鋭い視線をアリスに向ける。
「……分かった。売ろう」
「それでいい。いくら?」
「ただでいい。ただし一つだけ約束してくれ」
アレンの真摯な眼を、アリスが涼やかに受け流す。
何だかんだ惚れ薬なんて物騒なものを売っていても、アレンは善人であった。
例えそれが魔王の怒りを買うものだとわかっていたとしても、必要とされるのならばそれに挑む勇気を持った者だった。人はそれを勇者と呼ぶのだろう。
アリスの無言の視線を受けて、アレンは一度言葉に詰まり、しかしすぐに吐き出す。
「悪用しないと、約束してくれ。これは危険な薬だ。一瓶あれば人の心を、人生を狂わせられる、そんな薬だ」
「悪用なんてするつもりはない。でも、ならば何故売ってるの?」
「……必要とされる時があるからさ。強力な魔法薬は使い方次第で毒にも薬にもなる」
「……いい。わかった。悪用はしない。約束しよう」
アレンには眼の前の少女の言葉が嘘にしか聞こえなかった。
あまりに冷徹過ぎるのだ。その美貌が。その在り方が。その魂から伝播する恐怖は眼の前の少女の性質が悪性であることを如実に示していた。
だがしかし、同時にアリスはフィルのスレイブである。友人のスレイブを疑うというのも失礼な話だし、そもそも前回連れていたスレイブであるアムも同じレイスだった。
黒塗りの小瓶がアリスの白魚のような指、手の平に載せられる。アリスは懐疑的な眼でその瓶をじっと見つめた。
「……使い方を教える必要はあるかい?」
「既に知ってる」
薬の使い方は簡単だ。
魔法薬に、惚れる対象の一部を溶かせばいい。それだけで、服用者は恋焦がれるように対象を求めるようになる。
一滴摂取すれば心臓が脈打ち、二滴摂取すれば頭の中が対象で溢れ。三滴で身体が疼き、四滴で心が焦がれ居てもたっても居られなくなる。
魔術に対する耐性の強い種族にも効果のある薬師の特製品だ。ただでさえ耐性の低いプライマリー・ヒューマンが飲んだとしたら僅か数滴でその意識を犯すだろう。
アリスはうっとりと数秒間、危険な魔法薬の瓶を見ると、月水の涙と同じように異空間にそれをしまった。
それを不安げな表情で見ていた薬師の師弟も、結局何も言わなかった。
どこか不思議と張り詰めた空気の中、アリスが背を向け、出入口に足を進める。
極わずかに滲み出るように空間を汚染していた恐怖のスキルが遠のき、カードがほっとため息をつこうとした瞬間、アリスが振り返った。
銀月のような瞳がアレンとカードをまるで品評でもするかのように見比べ、血に濡れた真っ赤な唇が僅かに開く。
そこから出てきた言葉は、だがアレンとカードにとっては想定外のものだった。
「ありがとう。また来る。今度はご主人様も一緒に」
「あ、ああ……フィルによろしく」
扉の上部に取り付けられたベルが鳴り、店内に静寂が戻る。
まるで白昼夢でも見ているかのようだった。アレンが呆然と、いつの間にか汗に濡れた手の平を見下ろす。
カードが大きなため息を付き、カウンターの側に置かれた椅子に崩れ落ちるように腰を下ろした。
しんとした店内を厭うかのように、オクターブ高い声で師匠に声を投げかける。そうでもしないと、全身が震えてしまいそうだった。
引いた波が押し寄せるような、ざわめくようなその感情を恐怖と呼ぶ。
「な、何なんですか……今の……」
「……相当に高位の悪性霊体種だ……まったく、フィルのやつ……アムちゃんの時も相当だと思ったが、今度は、あんな――スレイブをつれているとは……」
アレンはハーフエルフだ。その種族はプライマリー・ヒューマンと比較して寿命が長い。見た目はフィルと同程度に見えるが、実際はフィルの四倍の年月を生きてきた。
それでも、今、自らをフィルのスレイブと名乗った少女程突出したレイスを見たのは初めてだった。
レイスは基本的にランクが高ければ高い程深い奈落を抱えている。故に、強力なレイスが人里に降りてくる事はまずない。通常、強力なレイスとは――魔物を指すのだから。
僅か数分。それも、敵意も殺意もない相手と接していただけにもかかわらず全身に感じる深い疲労に、アレンは今日はもう店を閉める事を決めた。疲労は指を狂わせる。スキルによる補正があるとは言え、いざという時に扱う薬を製造するのだ。ベストな体調の時以外はやるべきではない。
雑務は弟子の仕事だ。ぐったりするカードに指示を出し、アレン本人も調合中だった薬草の類を丁寧にまとめ始めた。
数十年繰り返した作業だ。スムーズに保管用の箱にそれらをしまうと、ふと思いつきで口を開いた。
「まぁ、でも……」
脳裏に浮かぶのは、先ほど訪れた銀の少女の姿。
アレンは二度とその姿形を忘れないだろう。この世で最も悍ましく、そして美しい悪霊の姿を。それほどまでに刻まれた印象は強い。
しかし同時に、救いもあった。
丹精なハーフエルフの横顔には疲れはあるが恐怖はない。
「位階は高くても、どうやらそんなに危険ではないみたいだ」
先ほどの少女を信じているわけではない。だが、アレンは己の友人を信じていた。
その証拠に、無意識に放たれる力こそ強くとも、恐怖のスキルは最小限に抑えられていた。もし仮にそのスレイブが本気を出していたのならば、非戦闘職であるアレンやカードなど刹那の瞬間に殺し尽くされていただろう。
戸締まりを終え、カーテンを閉めるとカードが戻ってくる。
「あ、そういえば……アレンさん」
「? なんだい?」
まるで盗聴でも懸念するかのように、カードは一度周囲を見渡して、囁くように自分の師に尋ねる。
「さっき、『比翼の血』を渡す時……無効化しましたね?」
「……ああ。よく気づいたね」
クラス:薬師
それは、薬品の専門家である。主な力は薬草栽培や魔法薬の生成だが、できる事はそれだけではない。
彼らは薬剤操作のエキスパートである。薬関係に限って言えば、そのクラスにできない事は多くない。
魔法薬の効果の増強はもちろん――そのクラス保持者は、自らの生成した魔法薬に限り、その薬効を完全に無効化することができた。
彼らはまさに薬のエキスパートであり、今日の探求者の影にはいつもそのクラスが潜んでいる。
即効性の回復魔法を使える僧侶などとは異なり、前線に出ることさえ少ないが、その力は決して劣っていない。
「敵意はなかったとはいえ、彼女は高位の悪霊に見えたからね……『比翼の血』をそのまま渡すわけにはいかない。特に――マスターに投与される可能性がある以上は、ね」
それは薬師として当然の配慮だ。
例え害が少ないように見えても、悪性霊体種を相手に用心してし足りないという事はない。
アレンも、全ての悪性霊体種が尽く悪意に満ちているとは思っていない。が、その大部分が人とは共存できない性質を持つのもまた、周知の事実だった。
呆然とした眼で見上げる弟子の姿に、アレンが取り繕うように諭すように言った。
「まぁ、彼女はそれでも……マシな方だ。皆あれくらいだったら、私達がレイスに対して身構える必要もなくなるのかもしれないね」
だが、残念ながらアレンがアリスを信頼するのには時間が足らなさ過ぎた。初対面ではとてもじゃないが無理だ。
それに、そもそも、レイスじゃなくても人の心を狂わせる類の魔法薬の売買は気を使う必要がある。
「それはそうと――」
アレンが再度大きくため息をつき、手をエプロンで拭くとカードに険しい視線を向けた。
「……なんで『比翼の血』が棚に並んでいたのか、聞かせてもらおうかな?」
「……あ……」
それは、通常ならば、誰にでも触れられる棚になど並べない類の魔法薬だ。口頭で注文された時のみ売る品だった。
そして魔法薬の陳列は弟子の仕事でもあった。カードの表情が僅かに青褪め、引きつった表情のまま後退る。
「あ、じゃない。あ、じゃ。いくらなんでも、B級に認定される危険な魔法薬を棚に並べるなんて……」
「ご、ごめんなさい……他の魔法薬に混じってしまったようで――」
「……まぁ、これだけ数があるんだからミスをすることがあるのはわかるが――頼むから、本当に気をつけてくれよ。あの類の薬を無差別にばら撒いたとなると、問題になるぞ」
「は、はい……気をつけます……」
縮こまり頭を下げるカードを見て、アレンはその憂慮を全て表に出すかのような大きなため息をついた。
嘘だ。前回更新から三日も経ってるはずが……時間経つ早す……間に合わな……
小分類的には前回までが黒鉄の墓標編、こっからが新しいのになります。




