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Tamer's Mythology  作者: 槻影
第二部:栄光の積み方

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第十二話:僕のよく知る機械種とは――いつだってそういうものだった


 僕の言葉と同時に、迷宮が鳴動した。

 どこからともなく轟く振動に、ブリュムが周囲を見渡す。


「……!?」


 スイが声にならない短い悲鳴を上げた。

 天井からぬらりと白い頭が覗く。


 D923四足動体モデル・クリーナー


 床を埋め尽くすものと比べれば少ないものの、それでも十数匹はいるその魔物が重力に従い、船の周囲を囲む防御幕に齧りつく様はかなりホラーだった。

 水の膜はその薄さにも関わらず鋼鉄よりも遥かに頑強だった。

 消化液に包まれたその身体に触れても、固体ではない水は破れない。


「スイ、大丈夫か?」


「……問題ない」


 スイは天井を突き破ろうとする気持ちの悪いワームに青ざめながらも全く無理をしている様子はない。

 僕は迷いないその返事に、スイの評価を一段階上げた。


 見事な水壁だ。天性の素質があるのだろう。天性の素質っていうか……まぁ、水精霊だしね。そりゃあるわ。


「なるほど……念の為に試してみる、ってことか」


「そうだね……試すことはいいことだ。無駄だけどね」


 セイルの言葉に返す。

 さぁ、出てくるがいい。クリーナー程度の攻撃力じゃこの防壁は破れない。

 となると、本体が出て来ざるを得ないだろう。支配している地を潰されたくなければ、ね。

 まぁ、僕はどっちでもいいんだけど。


「……恐ろしい男だ」


 その時、メンバーの誰のものでもない、嗄れた声が響き渡った。


 マキュリ語だ。ゾクゾクする感覚が背筋を擽る。

 緊張で乾ききった唇をぺろりと舐めて湿らせる。

 スイが息を飲んだ。


 床を音一つ立てることなく、滑るように巨大な影が近づいてくる。

 暗闇の中を、琥珀色の肌がぬらりと動く。のっぺりとした皮膚が、まるで機械種に見えない皮膚が気味の悪い動作で収縮した。


 大きい。いや、予想通りだ。


 この迷宮の無駄に広い通路。間違いなく主に合わせて作られているはずだ。クリーナーの大きさに対して大きすぎる。でなければ、この広さは本当にただの無駄でしかない。


「詰み、か。確かにな。儂の負けじゃ」


「これが……主」


 恐らく初見なのだろう。セイルがその威容に肩を震わせる。


 諦めたような、しかし淀み一つ無い不思議な声色が木霊す。

 機械種でありながらも身体の芯にびしびし感じる威圧。

 見た目など関係ない。その声から感じるのは確かな知性。その声色には雑魚どもとは明らかに違う、歴戦の猛者のような雰囲気があった。


 シルクのビロードのように滑らかな肌。

 大きさは幅だけで通路の三分の一を占めており、全長は闇に隠れうかがい知れない。


 それは巨大なワーム型の機械種だった。


 クリーナーを巨大化して、縦に伸ばしたような容貌は、気持ち悪いを通り越してもはや感心しかできない。

 主の足が地面を這うクリーナーを踏みつぶす。ただ重さだけでクリーナーは火花を散らし、稼働を止めた。


 今まで討伐してきた相手が虫けらのように踏み潰される姿。

 萎縮するメンバーを見て、ため息をつく。


 こういった場合にはまず第一にするべき事は……名乗りなのだ。


「初めまして、黒鉄の墓標の『主』。僕は探求者のフィル・ガーデンだ。主の名前を教えてくれるかい?」


 セイル達が呆気にとられたように僕を見る。いや、人としての常識を、だね。


「くっくっく、第一に自己紹介をする……か。儂は黒鉄の墓標の(ロード)、クリーナーロード。名は……ワードナー」


 主は一瞬ためらったが、どこか古めかしいマキュリ語で名乗りを上げた。


 ワードナーか。へぇ、なかなかいい名前だ。


 だが甘い。こいつはまだ僕を舐めている。僕達を舐めている。

 僕はセイルを振り返った。セイル達も探求者を続けるなら、いずれ主とぶち当たることもあることだろう。

 せっかくだから経験させてあげよう。


「セイル、自己紹介しなよ」


「自己紹介!? い、いや、そんな場合じゃ……」


 自己紹介しない場合なんて存在しない。

 第一印象を考えるんだ。セイル・ガードン。

 僕が言葉を封殺して身振りで急かすと、セイルは諦めたように言った。肩の力がいい感じに抜けている。


「セイル・ガードン。信じられないかもしれないけど……このパーティのリーダーだ」


 信じられないかもしれないって……十分君はリーダーだ。

 続いて、スイ、ブリュム、トネールの方を睨むと、三人はそれぞれ名前だけの簡単な自己紹介をした。

 ワードナーが口腔を開けて奇妙な笑い声を上げた。


「くっくっく、随分と優秀な探求者に目をつけられたものだ。我が眷属も……運が悪かったな」


 何を言っているんだ。運が悪かったのは眷属(クリーナー)じゃない。お前だ。

 そして、僕の運がよかった。ただそれだけの事。

 ただそれだけの事で、お前は今から徹底的に滅ぼされるのだ。


 ワードナー・クリーナーロード


「……くっくっく、恐ろしい男だ。儂を見て微塵も怯えんとは」


「ワードナー。君はもう詰んでる」


 僕の言葉を聞いて、ワードナーは身をくねらせた。

 それだけで迷宮全体が揺れる。果たして、こいつの全長はどれほどあるのか。

 ワームは際限なく大きくなるヴィータで、同時に大きければ大きい程強い。高度に成長したワームは竜をも食らうと言われている。それに基づいて製造されたのであろうこの化け物がどれほどの力を持っているのか、興味は尽きない。


「詰んでる? くっくっく、面白い事をいう。この儂の力を眷属共と同程度だと思うなよ?」


「思ってないよ。ワードナー。でも君はもう詰んでる。セイル達の力をこの程度だと思うなよ? 今までのはほんの遊びみたいなもんだ」


「え!?」


「ちょ、フィル!?」


 急に名前を出されたセイルが僕をまるで狂人でも見るかのような眼で見た。


 会話しないなら黙ってなよ。


 ワードナーが大きく顎を開けて笑った。ずらっと並んだ牙の醜悪さは、ただクリーナーを等倍しただけのような形でありながら、クリーナーの比ではない。誰だこんな機械種を設計したのは。

 主の哄笑が通路を反響し、音の爆弾となって水流を揺らす。地を埋め尽くすクリーナーが数体、それだけでばらばらになり、スイが顔を顰めて水の壁を維持する。


 ランクにして確実にSは超えてる。D級の迷宮の主としては破格だ。


 笑いが収束するのを待って、僕はワードナーに語りかける。

 この探求を終わらせるために。


「だが、ワードナー。君が僕の質問に答えてくれるのであれば……君次第では許してあげなくもない」


「くっくっく。面白い。言ってみろ」


 乗ってきたな。

 僕は何か言いたげなセイルを黙らせて、質問を投げた。


「君がこの迷宮に巣食っている理由はなんだ?」


 ワードナーが即答する。


「儂らは銅が大好物でな。この上には銅のなる森があるのでのお」


 アナザー・リーフ。

 想像通りの答えだ。


「偽の主を討伐させた理由は?」


「くっくっく、主は儂じゃ。探求者共が勝手に勘違いしただけの話」


「だが偽の主を出したのは君のはずだ」


「儂は争い事が嫌いでのお。血の気の多い息子に役目を譲っただけじゃ」


 血の気!?

 ……息子。息子ねえ。


「床を潜れることを隠していた理由は?」


「隠して何かないわい。眷属共は儂の命令がないとスキルを使わん」


「何故、僕を狙った?」


「くっくっく、貴様が儂らの安全を脅かそうとしているように見えたからのお。いくら争い事が嫌いだとしても、降りかかる火の粉は払わねばならぬ」


 面白い。実に面白い。

 セイルはまさか会話できるとは思っていなかったのか、思わぬ知性を持つ主に若干及び腰になっていた。


「ねぇねぇ、お兄さん。これ、もしかして私達が悪い?」


「ん? なんで?」


 ブリュムが声を潜めて聞く。


「だって、この人? 争い事嫌いなんでしょ? 勝手に住処に押し入って討伐を始めたのはこっちの都合だし……」


「……ブリュムは優しいね」


 でも馬鹿だ。何故、魔物の言う事を馬鹿正直に聞こうと思うのか。

 こいつは主で知性があったとしても敵だ。殺されかけたというのによくもまあそんな甘っちょろい考えを持てるものだ。


 僕はブリュムの評価を一段階下げた。

 ブリュムの表情が一瞬強張る。


 ワードナーが好々爺然とした声色で言う。


「くっくっく、儂らも『魔物』として自覚はしておるし、探求者の役割もわかっておるつもりじゃ。数体の眷属を倒すくらいなら文句は言わぬ」


「…………」


 ブリュムが何も言わずに責めるかのような眼で僕を見上げる。

 僕はそれを完全に無視した。僕の今の敵はブリュムではなく、あくまでワードナーなのだ。


「なあ、フィル・ガーデン。儂らの事はこのままそっとしておいてはくれぬか? 何も縄張りを広げようというわけでもない。人の集落に攻め込むつもりもない。このつまらない迷宮で平穏に暮らすことだけが儂の望みなのじゃ」


「……なぁ、フィル。もう討伐証明は手に入れた。ここは、引いてもいいんじゃないか?」


 セイルがワードナーの言葉を聞いて僕の肩を叩く。

 やれやれ。なるほど、だが確かに引いてもいい。


 セイル達では四人揃ってもワードナーを相手にするのは至難だ。能力の底が見えない。まず殺されるだろう。


 僕はため息をついて、セイルに頷いた。


 ワードナーが大きく身動ぎする。

 僕は主に対して最後の質問をした。


「じゃーワードナー。最後の質問だ」


「……言ってみぃ」


 僕はにやりと歯を見せて威嚇する。


「君の持ち主(オーナー)の名前を聞こうか」


「…………」


 ワードナーが初めて沈黙する。

 真っ赤な眼が確かな意志を持って僕を貫く。その感情は困惑、憤怒、そして滲みだすような殺意。

 ゆっくりとワードナーが口を開く。


「……どういう意味じゃ」


 ワードナーの言葉を鼻で笑う。

 何も理屈で動くのは機械種の専売特許ではない。


「君は純正の魔物ではないはずだ。君の行動原理には『人』の意志が見える。君のご主人様の名前を聞かせてもらおう。それだけで、僕は何もせずに出て行ってあげるよ。特別にね」


「……聞いてどうするつもりじゃ?」


「それをただの『持ち物(スレイブ)』である君にいうつもりはないよ」


「ちょ、フィル!?」


 空気が変わったのを感じたのか、ブリュムが僕の服の裾を引っ張る。

 それを振り払って、哄笑した。


 馬鹿な。こんなに都合の良い迷宮が、そこら辺にぽんぽん転がっているものか。

 この迷宮は、決して自然にできたものじゃない。


 迷宮にはいくつかのパターンがある。

 自然にできた洞窟や山中などに主が住み着くパターン。

 自ら構築した迷宮に巣食うパターン。


 ここは、自然にできて、そこに主が住み着いたものではない。誰かが手で作ったものだ。

 そして、ワードナーの形状が、短い四肢しか持たない不便なワーム型である以上、それはワードナーではないはずだ。

 明らかに人の手が入っている。

 そもそも、いくら知能が高くても、野生の機械種じゃこういった陣形は取れない。


 前々からそういう『想定』をしていなければ。

 誰かに意志を埋め込まれていなければ。


 僕のよく知る機械種とは――いつだってそういうものだった。


 黒鉄の墓標はどう考えても『人工』の迷宮だ。素人だって分かる。


 拳程もあるルビーのような赤い眼が不気味な光を伴って動く。


「……聡い人間は嫌いだ」


「素直な子は好きだよ」


 主が、僕の敵がにやりと笑った。


 踏み入ってならない領域を土足で踏みにじり、必然の戦闘が始まった。


 金属の床を水面のようにくぐり抜け、飛来したワードナーの尾が船底を貫いた。

 恐ろしい速度。恐ろしい長さ。未だワードナーの体幹は通路の向こうに消えている。闇の向こうから地下を通してこちらを撃てるということは、その長さは百メートルや二百メートルではあるまい。


 水の膜を易易と貫き、風の船に凄まじい揺れが襲う。

 幸いな事に、風の船は貫通されていない。だが二撃は持たないだろう。


「ぐっ……」


「きゃっ……」


 トネールが、ブリュムが悲鳴を上げ、手すりに捕まる。

 僕も必死に手すりに掴まり、だがそれを表情に出さないように全力を尽くした。


「ど、どうするんだ、フィル!」


「どうする? 戦うんだよ! まぁ、君たちは逃げてもいいけど」


「逃すと思うか? 探求者」


 ワードナーが嗤う。ワームなのに嗤っている事がはっきりと分かる。

 どういう設計思想なのか凄い気になるわ。


 スイが必死の形相で水の膜を貼り直す。凄まじい音が狭い通路内を反響し、通り抜ける。

 風の船を全速力で動かしても音速には至らないはずだ。この攻撃から逃がれる事は難しい。

 明確な力の差にトネールが青ざめる。 


「お、お兄さん!? あいつ、やばいよ!」


「え、割り当てられたとは言え、仮にもボスなんだから当たり前じゃん」


 やばくないボスなんていない。


「そんな事言ってる場合じゃ――来るッ!」


 ブリュムが反射的に水膜の強化に加勢した。スイが保っていた水膜をさらに強化する。

 再び襲来した尾が、音が水膜を大きく揺らす。

 全力で魔法を行使しているのだろう。ブリュムが歯を食いしばる。

 だが、そのかいもあって、尾は奇跡のように弾かれた。


「……く……何て力……次は……持たないわ」


「無理」


 スイが諦めたように弱音を吐く。

 適性が最大にある水の精霊種の、防御に特化した水膜、おまけに二人分のそれを容易に破り得る力。


 僕は評価を下した。


 こいつ……攻撃力は大した事ないな。


 防御力か生命力に特化した設計思想なのだろう。恐らく攻撃はただのおまけだ。

 用途的に考えても、そちらの方がしっくりくる。ワードナーの構造は明らかに侵入者の撃退には向いていない。

 いくら優秀とは言え、C級の探求者二人が構成した水膜を破れない程度の攻撃力しか持っていない。


「駄目だ……精霊界に戻そう」


 セイルが顔を強張らせながらも気丈に判断する。


「え? リーダー、正気!? 私達が戻ったら――」


「……大丈夫、僕らの方は何とか逃げるよ」


 事前に考えていたこともあり、その判断は迅速だ。

 だが、そうそうできる事じゃない。この状況でスイ、トネール、ブリュムの三人を精霊界に逃すという事は、残された僕達はほぼ確実に死ぬという事だ。

 風の船も構成を失い地面に叩きつけられるだろう。

 自身の命がかかった状況で仲間を逃がす選択をするという事は、言葉で言う以上の覚悟がいる。


 だが、許容できない。彼らはまだ一度も攻撃を仕掛けていないのだ。


「セイル、まだワードナーに一撃も入れてないじゃないか。攻撃してみるべきだ」


「は!? 本気で言ってるのか!?」


「本気だよ。主級の魔物に攻撃できる経験なんてそうそうないよ? もしかしたらこれが最後かもしれない」


 皆が皆、化け物でも見るかのような視線を僕に向ける。

 慣れているので何とも思わない。が、どうせ逃げるなら一撃当ててから逃げても同じだろう。


 メリットとデメリットを、リスクとリターンを天秤にかけるのならばそう判断すべきだ。


 だが、誰も手を出す気配はなかった。


 僕は全員の評価を平等に一段階下げた。


 まぁ、確かにこの状況で、おまけに四人中三人は安全に逃げられる手段があるというのに、主に攻撃を仕掛けるのは並外れた気力が必要だ。彼らには荷が重かったのかもしれない。

 とても残念だ。


 仕方ない。栄えある最初の一撃(ファースト・アタック)は僕がもらうとしよう。

 視線をメンバーから主に変え、蠕動するワードナーに語りかける。


「ワードナー」


「撤退の相談は終わったか? 探求者共」


「いや、その話じゃないよ」


「その話じゃない?」


 ああ、一応断っておこうと思ってね。

 わけも分からずに殺されるのは理論で動く機械種には耐えられまい。僕のせめてもの手向けだ。

 魂はないだろうが、安らかに眠るといい。


「僕は今からワードナーを殺すけど、決してその死は無駄じゃない。君の情報は全てその記憶装置から読み取らせてもらうよ。大丈夫、君の持ち主(オーナー)には、ワードナーは最後まで何も吐かなかった。立派な最後だったと伝えてあげるから」


「……貴様……狂ったか」


 ワードナーの、装置でしかない眼に僅かな感情が滲んだ。

 出来の良すぎる感情機構が機械種のメリットを殺している。恐怖も痛みもない事こそが機械種のメリットの一つだというのに。

 その口腔から液体の弾丸が放たれる。狙いが僅かに狂った一撃目が易易と水の膜を貫き、天井に巨大な穴を空ける。


 だが、そんな事はもう関係ない。

 もう知るべきことは知れた。後は狩るだけだ。


 さぁ、可愛い剣よ。


「さぁ、アリス。食べていいよ」


 呟いた瞬間に意識が僅かに遠くなる。魂を引っ張られているかのように。

 だが、今回のそれは前回と違って強くない。奈落に引き込まれるかのような、闇に呑まれるかのような感覚がない。

 アリスが加減しているのだろう。


 そして、刹那の瞬間でそれは成った。


 まるで今か今かと出番を待っていたように。

 暗闇の中で白銀の髪が風もないのに揺れ、幻想的に輝いた。

 冷たい重みが、首筋を刺激する。


「……引っ張りすぎ」


「そういってくれるな、アリス。けっこう楽しかったよ」


 不満気な顔で呟くアリスの髪を撫で、宥める。

 血の滴るような真紅の虹彩が僕の顔を見上げている。

 造形、造作、そのどれをとっても魂が奪われそうな程に美しい。


 それに追加して、昔は従順だったんだが最近ではそうでもなくなっている。

 感情を向けるようになってきてくれた僕の可愛いスレイブ。


 唐突に出現したアリスに、セイルが忘我の表情で口を開閉させた。


 ただいるだけで、存在の根源から湧き出るような恐怖。

 夜の墳墓は見間違えようのない、アリスの支配世界だ。


「アリス、わかってるな?」


「そこの二人を殺せばいい」


 スイとブリュムを指さすアリスの頭に即座に手刀を叩き込んだ。


 本気の眼だった。言う事を聞かないにも程があるだろう。

 目を離すと本当にやりかねない。


 スイとブリュムが怯えていた。アリスは存在自体のステージが違う。

 彼女はいうなれば――神秘だ。

 ワードナー以上にこんな所にいていい生き物ではない。その魔力だけでも中級の精霊種などとは隔絶している。


 物惜しげな眼で二人を見ていたが、僕が指差すとようやく視線を切り替えた。

 巨大なワームに怜悧な視線を向ける。それはきっと、獲物を見る目ですらない。


「アリス、やつの記憶が欲しい」


はい(ダー)、どこにあるのか判らないので手加減する」


 そうだ。それでよし。


「馬鹿な……なんだ……それは……」


 アリスが無造作に船から飛び降りた。

 くるくると木の葉のように回転し、大量に蔓延るクリーナーの上、空中にまるで足場でもあるかのように降り立つ。

 そのまま空中を歩き、目をギョロリと輝かせる主の正面五メートル程の所で立ち止まった。


 ぶつかり合う視線と視線。


 その場で端正な眉を困ったように下げ、アリスが首を傾げた。


「……脆すぎる。どうやって手加減したらいいんだろう……」


 まるで、まな板の上の魚の捌き方に悩むかのように腕を組む。


 舐めきった態度。


 その無防備極まりない身体に、死角から尾が襲いかかった。

 直線上に居たクリーナーが、消化液に滴る一撃に一瞬で溶け落ち、直径二メートルはあろうかという尾――金属の塊が鞭のようにしなりアリスを狙う。

 

 それをアリスは、振り向きもせずに手で受け止めた。


 受け止めた箇所が大きく発光する。だが、それだけだ。

 水膜をただの力で破りかける程の莫大なエネルギーを持っていたそれは、クリーナーの金属を容易く溶かし尽くすその力は、ただそれだけで停止した。

 少なくとも、受け止められるとは思っていなかったのか、ワードナーが大きくたじろぐ。


 アリスが庇護欲を誘われる表情で僕に助けを求めてきた。


「ご主人様……空間魔法に耐性があるみたい……空断(セパレート)のスキルが効かない」


 そんなの知らねーよ。好きに捌け。


 尾がまるで再度確かめるかのように翻り、アリスを撃つ。

 その時、偶然船底に跳ねた尾が当たって船が大きく揺れた。

 足元が揺れ、慌てて手すりに掴まる。


 アリスが初めて殺意を発した。尾を易易と受け止め、ワードナーの方にではなく、船の方に。

 口元から鋭い犬歯がちらりと見える。吸血鬼種などの一部のレイスにとっての威嚇の印だ。


「次にご主人様に傷をつけたら……殺すから」


「いいからさっさと倒せ」


「……冷たい」


「舐めるなッ!!」


 くだらないやりとりに激高したワードナーの口腔から消化液が放たれる。

 その弾数は様子見のように打ってきた先ほどのそれとは違い、豪雨のように降り注ぐ。

 それをアリスは詰まらなさそうに迎え撃つ。

 手を水平に向け、主を指差すようにして一言短く唱えた。


空断障壁(セパレート・スルーズ)


 一面に展開された断裂した次元が消化液を全て吸い込み、消し去る。


 空間魔術師(スペース・ユーザー)のスキルはとてもピーキーだ。


 強い事は強いが弱点が明確であり、この世に存在しているというだけで全ての存在が耐性を持っている。


 便利だが莫大な魔力を使う転移魔法

 対象の硬度を無視して対象を両断するが全存在が耐性を持ち、上級の魔物となればほぼ全種が完全耐性を持つ空断(セパレート)

 近接攻撃は防げないが遠距離攻撃や魔法系の攻撃を亜空間に消失させる空断障壁(セパレート・スルーズ)


 一番使えるスキルがアイテムを出し入れできる空間を生み出すアナザー・スペースである時点でお察しだろう。

 攻撃手段を種族スキルに頼っているのもそのせいだった。


 だが、それでもこのクラスの魔物――攻撃に苦戦することはない。

 全ての攻撃を僅か一小節のスキルで消し去ったアリスが尋ねる。


「ねぇ、(ロード・クリーナー)……なんで逃げないの?」


「何ッ!?」


 アリスは完全に見下していた。

 レイスの本能として、彼女は悪意なく悪意を行使する。


「貴方は弱い。太陽の元でならばともかく、この場所では私には勝てない。ならば無様に逃げるべき」


 当たり前の事を当たり前のように言うかのようなアリスの口調に、セイルが、スイが引いていた。

 戦場にして、恐ろしく馬鹿にした話だ。だが、誓っていうが、アリスには悪気はない。

 うちの子はそういう子だった。割と裏切る前から。


「別に、戦う分にはいいけど……できれば逃げて欲しい。尻尾から切り刻んだほうが記憶装置を壊さずに済みそうだから」


 ずどん。

 という重い音がして、アリスが受け止めていた尾に線が奔る。

 尾の先が滑り落ち、数メートルはあろうかという金属の塊が床のクリーナーを押しつぶす。

 アリスの白魚のような指先、爪の先に僅かな白銀の光が灯っていた。


 空間魔法が効かず、仕方なく生命操作を行使することにしたらしい。ストックした生命で刃を生成、一瞬だけ伸ばしたのだろう。

 確かにエネルギーを飛ばすよりも手から離さずに使用したほうが生命の節約になる。切断面からてかてかと薄墨色の液体が滴っていた。


「き……さま……」


 呻くワードナーの殺意を、あっさりとアリスは受け取った。


「まだ記憶がある。尻尾には記憶装置はなかった」


「!?」


 ワードナーの声のない号令に、周囲のクリーナーが一斉に対象をアリスに飛びかかる。

 それに追随するようにワードナーが疾駆する。その巨体からは想像できない速度で牙がアリスに降りかかった。

 身体が床を撃つ轟音に迷宮が嘆いているかのように震える。


「まずは半分にする……」


 だが、数で圧倒できるのは実力が離れていない場合のみだ。


 いつの間にかワードナーの上に立ったアリスが呟いた。

 足から伸びた白い光が輪になって胴体を締め付けた。

 重い物を断ち切るような音が響き渡り、ワードナーの胴が両断される。


 アリス……転移を使ったな。僅か二、三メートル程度だが、また、無駄使いを……。

 なまじ生まれつき凶悪な力を持っているせいか、アリスは力に頼るきらいがあった。


 まるで舞うようにアリスが動く。


 身体の半分を切断され、身軽になったワードナーが自らのクリーナーを噛み砕き、強靭な脚が床を踏み砕き向きを変える。断ち切られた尾が壁を穿ち、鋼鉄の壁に大きな凹み、罅が入った。

 半分と言ったが、明らかに半分以下だ。果てがなかったワードナーの体長はもはや数メートルしか残っていない。


 だが、まだ動いていた。その眼には怒りと戦意――意志が見える。


 アリスが疲れたようにため息をついた。

 それは、現在進行形で戦っている者の表情じゃない。


「また外れ……運が悪い」


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 ワードナーの激高に、さらなる量のクリーナーが通路の向こうから、壁から、天井から、波となって襲ってくる。


 僕は無言でスイとブリュムの口に魔力の回復薬を突っ込んだ。

 人数分の四本しか持ってきてないのでこれで打ち止めだ(もともと僕の分はない)


 怒らせるんじゃねー。


 表情が引きつることを止められない。

 セイルの表情も僕と同じくらい引きつっていた。


「……セ、セイル、防御魔法って使える?」


「な、慣れてはないが……一応……」


「逸らせるだけでいいから……悪いけど、お願い」


「あ、ああ……しかし……凄いな」


 同意だった。よくもまあここまで製造したものだ。

 一度にコレほどの機械種を見るのは初めてだ。もはや数える気にすらならない量のクリーナー。


 天井から降ってくるクリーナーを、セイルの風壁がそらし下に追い散らす。もともとこちらが対象ではないとは言え、船に乗り込まれたら戦闘は必至だ。

 濃厚な金属臭と嫌な匂いが立ち込めている。多分ここは今、世界で一番機械種の人口密度が高い空間になっている。


「アリス、纏めて片付けろ」


はい(ダー)空矢(エンプティ・アロー)


 アリスの周囲に無色の矢が発生する。

 その数、発動速度たるや、スイやブリュムが使ったそれとは比較にならない。二倍、三倍では利かない数――まさに『無数』の矢が一瞬で展開された。

 アリスが呆然とするスイとブリュムをちらりと見あげて、くすりと、はっきり分かるように鼻で笑った。


 いちいち挑発するんじゃない!


「な、何……あの子ッ!!」


「……私だってできる」


 余りにわかりやすい挑発、馬鹿にした態度に気色ばむスイとブリュムを宥める。


「大丈夫、大丈夫。アリスとは正直、レベルが違うから、できなくても仕方ないよ」


「……できると言ってる!」


 絶句するブリュムに、珍しくスイの方が不機嫌そうに水壁を解除した。水矢の詠唱を始める。


 ちょ、解除するな……僕が何のために高価な魔力回復薬(マジック・ポット)を渡したと思ってるんだ……


 それを待たずして、空の矢が音もなく発射された。

 空間魔術師(スペース・ユーザ)の空矢の魔法は水矢や風矢などの元素魔法の矢系の魔法とは少々違う。

 物質ではないその矢は、耐性を持たない魔物に対して完全なる貫通の性質を持つ。

 一本の矢で耐性の持たない魔物を何匹貫いても矢が止まる事はない。


 そして、同時に本来ならば視界の範囲内にしか飛ばない矢系の魔法も、空間魔術師の空間把握ディメンション・オーバーのスキルにより周囲全体に広がったアリスの知覚範囲全てに飛ばす事ができる。


 彼女に死角は存在しない。


 SS級の種族ランクに裏打ちされた、生まれ持った膨大な魔力が彼女を魔力だけで一級の魔術師に仕立て上げる。


 一本の矢が易易と耐性の薄いクリーナーの装甲を貫き、薙ぎ払う。それは一匹を貫くに留まらず、後ろから押し寄せるクリーナーの群れを尽く貫通した。ビクリと痙攣するように一度大きく揺れる。

 流星のように通路全体に縦横無尽に飛来する矢はきらきらと光を反射しながら、まるで死神の鎌のように無数のクリーナーの存在核を薙いだ。

 魔物の波が矢の波にぶつかり、容易く吹き飛ばされる。

 ひきちぎれた金属のかけらが地面にばらばらと崩れ落ちる。


 空間魔法に耐性のあるワードナーならともかく、ただのクリーナーでは足止めにすらならない。


 スイが数十本の水矢を展開した時には、もう殆どのクリーナーは稼働していなかった。

 僅か数秒でクリーナーの群れを片付けたアリスがワードナーを完全に無視してくすくす笑った。

 スイの展開した矢に一瞬だけ視線を向ける。

 この子は一体何をしたいんだろう。


「遅い。その矢、もういらない。しまったら?」


「…………!!」


「ま、まて! 落ち着け、スイ!」


 顔を真っ赤にして、今にも殴りかからんばかりのスイをセイルが慌てて止めた。

 他者を余り気にしない傾向のある精霊種をここまで怒らせるとは……アリス……恐ろしい子。

 そして、結局その尻拭いをするのはいつも僕だ。


「スイ、どうせ消すなら勿体無い。ワードナーに撃つといいよ」


「……水矢(ウォーター・アロー)!!」


 今日放った矢の中では一番の裂帛の気合の入った百近い矢がワードナーに放たれる。

 それは、アリスの放ったそれに比べれば遥かに数が少ないし速度も低かったが、ワードナーの顔に全弾命中する。

 空矢とは違い、質量を持つ水矢は無効化(オーバー・レジスト)されない。

 金属を撃つ轟音が止まる。全ての矢が突き刺さったにも関わらず、ワードナーの装甲には僅かのダメージもなかった。


 純粋に攻撃力が足りないのだ。


 僕はスイの評価をもう一段階引き下げた後に、攻撃した意気に免じて半分だけ上げた。


 スイが涙目で僕を見るが、僕にはどうしようもない。

 僕にできることはアリスを止めることだけだった。


 スレイブを召喚した事で安心したのか、今まで忘れていた疲労が一気に身体にかかる。

 唐突に意識が揺れた。途方も無い眠気が身体の奥底から湧き出してくる。


 それを我慢し、アリスに指示を出した。


「アリス、弱いもの虐めしてないでさっさと片付けろ。僕はもう眠い」


「ッ!?」


「くすくすくす、はい(ダー)


 もう起きてから二十時間近く経っている。夜明けは近い。

 プライマリー・ヒューマンに夜間行軍は厳しすぎる。


 身体を翻し、腕を叩きつけるワードナーの攻撃を軽々と避ける。

 でかい分、速度は大したことがない。本当に攻撃手法に乏しい機械種だった。

 すれ違いざまに右腕を切断する。機体は止まらない。


 やはり核は頭にある可能性が高いか。核の場所は機械種によって様々だが、直接人の手で創られた機械種はその傾向が割と高い。アリスも分かっていたはずだ。止めるだけなら一撃目で頭を吹き飛ばしているだろう。

 僕は手すりに身体を預け、欠伸をしながらワードナーに最後に質問をした。


「ワードナー、最後のチャンスだ。オーナーの名前を言え。それだけで、僕は二度と君には手を出さないよ」


「巫山戯るなッ!」


「見事な忠誠。大分強固なロックがかけられているね。これだから機械種は面倒臭い」


 仕方ない。

 もう十分こいつのデータは取った。特に興味の沸かない個体だ。

 全身図が見れなかったことだけが心残りだが、記憶装置のどこかに情報くらいあるだろう。なくても大体は想像できる。


 やはり人の手で作られた機械種は天然物の化け物には敵わないのか。


「アリス、とどめを刺せ」


「記憶装置は?」


「最悪壊れてもいい。大体『持ち主(オーナー)』の想像は付いているからね」


「了解」


 猛るワードナーの左腕の振り下ろしを最低限の動きで躱し、硬直した一瞬の隙にアリスが腕を駆け上った。そのまま揺れる地面を苦にすることもなく頭の上まで駆け上がる。

 巨体の魔物の弱点はここだ。上に乗られると隙になる。当然、簡単に乗れるわけでもないんだが。


 アリスの身体には傷一つ、汚れ一つついていない。

 かつて一つの都市を滅ぼした少女が、何の興味もない冷たい視線を眼下に突き刺し、一度こちらに視線を向けてから呟いた。


「さようなら、(クリーナー・ロード)


 トン

 と、頭の上で軽く足で足踏みすると同時に、ワードナーの挙動が止まった。

 上半身を上げたまま、びくりと痙攣する。


 その眼に宿っていたのは怒り、恨み、恐怖、何もかもを綯い交ぜにした感情。刹那の瞬間、僕を睨みつけ、そのまま崩れ落ちた。

 黒鉄の墓標に反響する轟音はまるで主の最後の悲鳴のようにも聞こえて、どこか物悲しい。

 僕は欠伸を噛み殺しながら主の立派な最期を眺めていた。


 綺麗に縦に真っ二つにずれている皮膚を見ると、唐竹割りにしたらしい。

 最後に何を考えていたのか、僕にはとてもじゃないが読み取れないが、恐らく持ち主(オーナー)創造主(クリエーター)の事を考えていたに違いない。


 僕の側に降り立ったアリスが優雅な動作で跪く。


「ご主人様、討伐が完了しました」


「ああ、よくやった。アリス」


 見事な切れ味を見せてくれたアリスの頭を丁寧に撫でてやる。

 残念ながら今日はここまでだ。後は宿に戻ってから考えよう。

 アリスは若干不満そうだった。


「ワードナーはどうだった?」


「力で言えば、SS級の下位かと。ここで観察したSSS級個体と比べれば脆弱です」


 さもありなん。

 SSS級だったら僕は真っ先にアリスを呼んでる。

 明らかな特殊用途を持った個体。 

 アリスを相手に数分持った生命力、耐久こそは見事だが所詮はその程度。


「上出来だ……アリス、全て回収しろ」


「……これ全部?」


「そうだね。特にワードナーの残骸は色々使うから余すことなく回収しろ」


「……」


 僕の言葉に、アリスは明らかに嫌そうな表情になった。

 さっさと帰りたいのだろう。僕だってそうだ。


「返事は?」


「……はい(ダー)


 よかった。まだ言う事聞いた。

 修行し直しかなあ。

 僕は、ただ無表情でアナザー・スペースを使い続けるアリスを見て、ため息をついた。

一段落したので更新速度落とします

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嘆きの亡霊は引退したい。

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