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Tamer's Mythology  作者: 槻影
第二部:栄光の積み方

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第九話:唯の僕の我儘だ

 

 僕は昔から探求と呼べるものをやってきたが、そのほとんどは自分より遥かに上のランクの依頼だった。

 探求者のランク付けはギルドによって行われるが、実は、依頼に対してギルドの定めるランクは探求者の実力と比べてある程度のマージンが取られている。

 ありていに言えば、討伐依頼を仮定すると、対象の魔物は同ランクの探求者ならば二、三体を同時に相手にしても何とでもなるレベルのはずだ、という事だ。上級の依頼は少々ルールが異なるが、少なくとも中級クラスならばそう言った基準で選ばれてる。


 だから、僕から言わせれもらえば、セイル達C級の探求者が組むパーティならばB級以上の依頼を受けるべきである。

 少々荷が重いかも知れないが、十分に攻略しうるレベルであるはずだ。少なくとも、探求者というのは自身と同じランクの依頼を受けて容易にランクを上げられるようなシステムにはなっていない。


 一般的にパーティリーダーの資質とはパーティの統率力以外に危険の察知能力が求められる。だが、セイルのそれは少々敏感過ぎると言えるだろう。僕ならばもっとランクの高い依頼に叩きこむ。

 もっとも、選択権はリーダーにあるんだけど。

 セイルが怪訝な表情で聞き返す。


「本当の……探求?」


「……ああ。探求者っていうのは……淡々と作業をするだけのものじゃないんだよ」


「あはははは、お兄さん、それっぽいこと言うね! 確かにちょっとだけ作業っぽいかな」


「だが、油断は禁物だ。無傷で済むならば無傷で完了したほうがいい。違うかい、フィル」


「違わないね」


 だが、安定した探求はたるみを生み出す。

 彼らには、探求者に必要なものがたった一つだけ足りていない。


 そう、それ即ち――『未知』に対する渇望が。


 僕は唇を舐めた。

 その時、セイルの、上に尖った耳が何かを感知するようにぴくりと動く。


「……トネール、探査だ」


「はーい!」


 元素魔法には大きく分けて四つの分類があり、それがそのまま各々の特徴となっている。

 すなわち、水、風、火、土の四元素だ。

 その中でも、風の系統魔法は探知に優れていた。特にエレメンタルで風を司るトネールならば風を操って相当な遠距離の物事まで知ることできるだろう。


 僅かな風が通路の奥に吹き抜けた。


 トネールのその表情がすぐに困惑に染まる。


「……大きな群れだ」


「何体いる?」


「十五体。距離はまだあるけど、結構なスピードで向かってきてる。後三分もあれば出くわすよ」


 今まで出現した数を遥かに超えるその数に、セイルが一瞬息を飲む。

 眼でスイとブリュムを順番に見る。その表情は緊張していても怯えはない。

 僕の見積もりでは、十五体程度ならばこのパーティなら苦戦はしても切り抜けられる数だ。

 そして、パーティをよく知るセイルの考えでもそうだったのだろう。

 一度大きく頷き、そして、全員に指示を出した。


「何とかいけるな。スイとブリュムは足止めに徹してくれ。僕とトネールで一体ずつ確実に倒そう」


「分かった」


「りょーかい! まーちょうどいいよ。これだけで討伐依頼達成でしょ? あはははは、お兄さんは数が多いからちょっと剥ぎ取りが大変かもしれないけどね!」


 やはり、苦難が、経験が足りないようだ。

 僕の中の彼らのイメージは既に六割方仕上がっている。魔力の量も、威力も、得意としている戦術も魔法も動きも武器も思考も何もかもが。


 敵の数が今までよりも三倍以上いるというのに、その異様に気づく気配もない。

 敵の群れの質が変わったというのに。きっとそれは偶然ではない。


 危機感が足りていない。


「トネール、僕なら『後ろ』も探査するけどね」


「え……あ……」


 風を向かわせたトネールが息を飲んだ。


「後方からも……十五体来てる」


「なんだって!?」


 セイルの顔色が変わった。

 十五体と十五体の挟み撃ち。

 そう、このパーティを滅ぼそうという意志があるのならば、そのくらいの数が必要だ。


「いけるか?」


「……いけなくはないと思う。制空権を取って一方的に魔術で攻撃すれば……」


「束縛は?」


「厳しい。それだけの数がいると確実に漏れがでる。一人では恐らく耐えられない。片側だけだったら二人でいけると思う。でも……」


 スイの目が僕の姿を見る。


「……彼を守れない」


「撤退する」


 セイルが即断した。

 まったく迷い、躊躇いはなかった。

 僕を責めるでもなく、リーダーとしての役割を全うしようとしている。

 見事だった。これならば逃げ切れるだろう。


「トネール、船を頼む」


「はーい。仕方ないなあ、お兄さんは……」


 呪文を唱え始めたトネール。その言葉にも、全く僕に責任を押し付けている印象はない。


 だが、それは決していいことではない。


 それは違うだろう。これでは、何も得られないうちにただ逃げる事になる。僕には色々得るものはあったが、彼らにとってこの探求は『失敗』になってしまう。


「まー待ちなよ」


「え?」


 僕の言葉に、全員の視線が集まった。

 落ち着いている。大きな魔物の群れが近づこうとしている特有の感覚が身体を撫でる。


「撤退するべきじゃない。戦うべきだと僕は思う」


「え? なんだって?」


 想定外だったのか、僕の言葉にセイルがまじまじと顔を見てきた。僕は正気だよ。

 本来なら、戦場でリーダーに意見するのは良いことではない。が、今回ばかりは言わせてもらおう。


「セイル達なら三十体程度倒せると思う。僕がネックになっているなら、僕の事は気にしなくていい。これはチャンスだ。まだ暴れ足りないだろ?」


「……本気?」


 スイが正気を疑うかのような声色で聞く。


 本気も本気だ。

 勿論、撤退してもう一度後日潜るのも悪くない。僕には余り時間を無駄にしている余裕はないが、それくらいなら後で十分リカバリできる。

 だが、その選択はセイル達の探求を殺すことになる。


 メリット、デメリット。

 リスク、リターン。

 勇気と無謀。


 突き進むのだ。探求者として。

 セイルが真剣な表情で僕を見た。


「フィル、死ぬかもしれないんだぞ? 分かっているのか?」


「言われるまでもなく知ってるよ」


 それは、多分セイル達よりもずっと僕が近かった。

 今までも、そしてきっと、これからも。


「リーダー、そろそろ決めないと」


 上級魔法は時間がかかる。このままでは群れが到達してしまう。

 トネールの言葉に、セイルは一瞬迷ったが、すぐにはっきりと決断した。


「……駄目だ。撤退しよう」


「りょーかい! ごめんね、お兄さん!」


 トネールがすかさず呪文を唱え始めた。

 そうか。それがリーダーの決定ならば是非もない。


 一歩前に出る僕に、セイルが慌てて声をかけた。


「フィル、どこに行くんだ?」


「え? 戦うんだよ。ここでお別れだ。ここまで連れてきてくれてありがとう。助かったよ」


「は!? お兄さん、ふざけてる場合じゃないよ?」


 ふざけているわけじゃない。

 逃げる。戦う。


 そして、これが第三の選択だ。


 僕だけが残る。


 僕がいない方が撤退の確率は上がる。

 そもそも、僕はこのパーティの正メンバーではない。

 道具袋から暗視用の目薬を取り出し、眼に差す。

 こういう事があるから、事前準備を絶やしてはいけないのだ。

 透明な風の船が構築される。上級魔法並に魔力を使う魔法を使ってしまったトネールにはもう満足に戦えるだけの魔力は残っていない。少なくとも今は無理だ。


「馬鹿な、死ぬつもりか? フィル、ここで意地を張ってどうなる! たった一人で何ができる?」


「死ぬつもりはないよ。それに僕は一人じゃない。僕には仲間がついてる」


「フィル……」


 スイが哀憫の眼で見てくる。

 こんな所で死ぬつもりなんて――ない。

 ここは僕の死に場所じゃない。


「迷惑をかけるつもりはないよ。奴らの狙いは多分僕だ。船で撤退すれば追ってくる事はないだろう」


「なんだって!?」


 僕を狙うのならば撃退する、ただそれだけの話。

 暗幕を、何もかも全て剥ぎ取って晒してやる。


 船が完全に顕現し、乗り込まれるのを待っている。トネールの表情には度重なる戦闘と飛船の魔法で明らかな疲労が見えた。


「リーダー、どうするの?」


 ブリュムの言葉に、セイルは戸惑ったように考える。

 気にしなくていいと言ってるのに、リーダーとしての責任感が強いのだろう。それは美徳だったが、時と場合によっては選択を迷わせる。


「セイル、見捨てるんじゃない。ただ一時、別れるだけだ。また白銀の歯車で会おうじゃないか」


「しかし……」


 迷っているうちに、眼に見える位置までクリーナーも群れが迫ってきた。

 二、三体でも悍ましいその姿が群れになって静かに向かってくる様は悪夢に出てきそうなくらい気味が悪い。

 前から十五体。背後からはまだこない。

 恐らく、戦闘中に背後をつく作戦だろう。単純ではあるが鉄板だ。事前に気づかれていなければ、だが。


「はぁ……お兄さんも強情だね」


「既にもう迷惑」


 リーダーが迷っているのを見たのか、スイとブリュムがため息を付いた。

 スイの右手、ブリュムの左手が重ね合わせられる。


 アリスが出番まだー? 出番まだー? と頭の中でかしましく騒いでる。

 もうちょっと待て。


「スイ、ブリュム! まさかやるつもりか?」


「セイルは優しいから、どうせ見捨てられない」


「あはははは、賛成だね!」


 手を裏側で重ね、絡み合わせてそれを前方に向けた。

 魔力がスイとブリュムの間で循環される。

 スイとブリュムが同時に詠唱を始めた。


「リードニード、猛る青き炎よ、我が求めに応じ現世にその意味を刻め」


「アフィリエートクローズ。白き刃を手に、下せ、天の鉄槌」


 魔法の中には複数人で唱えることで効果を、威力を上乗せすることができたり、実力以上の魔法を唱えることができたりするものがある。

 恐らく、事前に練習していたのだろう。その詠唱にそつはなく、非常にスムーズだ。

 これが切り札か。


 アリスが拗ねて引っ込んだ。


 五メートル程の距離まで迫ってくるクリーナーの群れに手を向けると、二人が高らかに魔法を唱え上げた。


白き氷霧(ハイエスト・ミスト)


薄氷の北風フリージング・スコール


 こぶし大の氷の塊を多分に含んだ濃霧が広範囲に発生する。

 それを、スイが唱えた魔法により発生した冷気を含んだ温度の低い風が対象に叩き付けた。


 それは、氷の弾丸だった。

 マルチ・アローよりも濃密で、氷矢よりも遥かに強く、弾幕が迫り来る無数のクリーナーをまるで紙切れのように薙ぎ払う。

 縦列陣形を取って迫ってきていたクリーナーは前を進むものから順に切り裂かれ、穴だらけになって壁にぶち当たり激しい音を立てた転がる。

 一瞬で冷却された装甲には霜が降り、穴だらけになった機体にはもはや動くだけの力はない。もし仮に意識が残っていたとしても、可動部が凍りつきその動作は落ちていただろう。


 恐ろしい魔法だ。

 敵が密集していたのが功を奏した。クリーナー十五体は尽く広範囲の死の息吹にさらされ、一体残らずバラバラに凍りつく。


「おお、やるじゃん……一網打尽とは」


「はぁはぁ、でも、まだ残りがいる……」


 大きな魔力を消費したスイが膝に手を置いて、荒く息を吐く。


 そう。

 それこそが恐らくセイルが三十体を相手にしたがらなかった理由だ。


 挟み撃ちは魔術師系の探求者にとって相性が悪い。

 自身を中心に展開できるタイプの高威力の攻撃魔法があれば話は別なのだが、低位から中位の攻撃魔法というのは一方向への展開に限定されている。そして、威力と範囲が大きければ大きい程に階乗的に魔力の消費が激しくなるのだ。


 まぁ、挟み撃ちと相性がいいタイプの探求者なんていないけど。


 後方の探査で引っかかったクリーナーの群れが向かってくる。

 スイもブリュムも、大きな魔法を使ったことによる魔力消費の反動ですぐには魔法を使えそうにない。


 ご主人様、私の出番ですか?


 と脳内で再び騒ぎ出すアリスを無視して、道具袋から取り出したドリンク剤型の魔力の回復薬の蓋を開けてスイとブリュムの口に突っ込んだ。


「むぐ……」


「!? じ、自分で飲めみゅ……」


 遠慮しないでいいよ。

 どうせ僕には勿体無い代物だ。


 魔力の回復薬はHPの回復薬と比較して高級品だ。

 希少素材を使うため値段も高く、魔術師系クラスにはいざという時のために一本は持っておきたい代物なので需要も多い。そして、飲んでから回復するまでに三十秒程度のラグがある。

 トネールにもあげたい所だが、距離があるので無理だった。


 続いて、セイルに発破をかけた。

 船を指さしてにやりと笑う。


「セイル……逃げてもいいんだよ?」


「……正直、撤退したいよ。でも、そういうわけにもいかないだろ……ここまで来たらね」


 ため息をついて、セイルが剣を抜いた。

 魔力の通りが良い、聖銀(ラピス)製の剣だ。魔法剣士(マジックナイト)のクラスが好んで使うタイプの武具でもある。

 クラスは戦術に直結するので、スキルで簡単に類推できるものの、あまり公にしないものが多い。

 だが、セイルの場合はばればれだった。


「火か土の付加(エンチャントウェポン)のスキルは使える?」


「……風か水だけだよ。僕に使えるのは」


 エルフは風と水への親和性がすこぶる高い。

 彼らは風と水に強く、逆に火と土に弱い。攻撃力も耐性も、それに依存している。偏った属性はこのパーティ『水霊の灯』に存在する数少ない明確な弱点と言えるだろう。


 セイルの剣に薄緑の光が通る。

 魔法剣士のクラスは属性を武具や攻撃に乗せる事に特化したクラスである。得るのに魔力も筋力も両方高いレベルで必要になるという、とても羨ましいクラスだった。

 ただし、彼らは速度に特化しており、防御用のスキルは各魔法による耐性を上げるものしか存在しない。

 高ランクになると全部躱せるのだが、今のセイルにそれを求めるのは酷だろう。


「『横』を叩くといいよ」


 スイ達が倒した残骸に躓かないように注意しながら床を蹴った。

 魔法の余波で身を切るような冷たい空気が身体を包み込む。吐く息が白い。

 それを全部無視して必死で駆ける。


 見なくても、クリーナー達の方向が変わったのが分かる。眼の前にいるセイル達一団から、僕が駆けた方向へ。

 機械種は堅物だ。応用性が効かない。高い自意識を与えられていないものは特に。


「ちょ……! フィル!? く……!」


 金属と金属が打ち合う音。悲鳴。何もかもを意識から放り出す。

 じぐざぐになるようにただ前に駆け、数十メートル程進んだ所で身体を反転させた。


 状況を確認する。


 クリーナーの移動速度と僕の脚では前者が圧倒的に優っている。

 クリーナーの脚は時速六十キロの速度を誇るが僕はとてもじゃないけどそんな速度じゃ動けない。だから、だからある程度距離を広げられればいい。


 残っているクリーナーの数は十四匹……一匹しか倒せていないが、足止めはできている。

 トネールが風撃の魔法を連続で行使し、群れの中でも後陣を構成していた数匹の脚を止めている。


 逆に言うならば、先頭陣は抜けてきており、すぐ目の前まで迫っていた。

 その数、五匹。放射状に、まるで猟犬のように駆ける。


 赤色に輝く眼が僕を無感情に貫いていた。


 その先にいる意志は一体何だ?


 後ろから撃たれた水矢の魔法が目の前に迫ったうち二匹を貫く。が、核を貫けていないのでクリーナーの動きは止まらない。

 一番先頭のクリーナーが顎を大きく開き、地を大きく蹴った瞬間に、僕は右に跳んだ。

 四脚動体――四本足で駆けるタイプの機械種は基本的に横の動きに弱い。クリーナーの顎が僕が数瞬前に立っていた位置を噛む。規則正しくズラッと並んだ歯は牙と言うよりはすりつぶすために特化しているように見える。

 が、僕の柔らかい身体を噛み砕くには十分だろう。


 腰から抜いた分解ペンを無造作にスイッチを入れ、牽制の代わりに投擲する。当たらない。外したが、一瞬だけ動きが止まる。

 同時に横に飛ぶ。距離が詰められていた。飛びかかってきた一体の前足がぎりぎりの所で空を切る。ペンを投げていなかったら当たっていたかもしれない。

 クリーナーは攻撃型の機械種ではない。一撃くらいなら当っても大丈夫だろうか? 否、だめだ。そんな考えじゃ生き延びられない。


 息が切れる。緊張感に心臓が押しつぶされそうになる。


 空を切った怪物のその背後から、赤の眼が続けて僕を不気味に観ている。

 その頭を水矢が吹き飛ばす。だが、死なない。

 眼がなくなったその個体が機械の詰まった切断面を顕にしながらも僕を捉えている。


 僕はそれに構っている余裕はない。右斜め前の個体が立ち止まり口を開く。

 顎の奥が一瞬だけ光る。僕は反射的に身を倒した。


 水音。


 クリーナーの『消化』のスキルだ。金属を溶かす消化液を生成するスキルである。勿論、人の身体なんて一溜りもあるまい。飛沫が外套の裾にかかり、まるで虫食いのように穴が空く。

 これが僕に当っていたら……ぞっとしない話だ。


 追いついたセイルが『消化』を使用した個体の身体を剣で縫い止める。


「大丈夫か!? フィル!」


 いいから叫んでいる暇があったら攻撃しろ。


 残っているクリーナーの数を認識する。

 七匹。トネールが後、四匹足止めしているが、それにも限界がある。一瞬の隙で解放された一匹がまたこちらに滑るように疾走する。

 床から生えた水の茨がこちらを囲む三匹の体幹に巻きつき拘束する。

 動く術のなくなったその三匹の顎が即座に大きく開けられた。


 危ない。


「ぐぎゅっ……」


 無理やり身体を転がす。喉の奥から変な声が出た。

 僕を見失った消化液の水球が床を穿つ。どろりと床の一部分が溶け、闇の中で不気味に波打った。


 無数の水矢が再び襲来し、こちらに飛びかかろうとした一団、三匹をまとめて穴だらけにして停止させる。


 後五匹。それと拘束されてるのが三匹。


 セイルが刃を振るう。


 特に何の工夫がされていなくても、金属の塊であるクリーナーはただ硬い。筋力に秀でていないハーフエルフの斬撃で一撃で倒すには急所を狙うことが不可欠だ。

 しかし、魔法剣士のクラスの本領はただの剣技ではない。


 風の付与で強化されたそれは、本来よりも遥かにリーチを伸ばし、クリーナーの身体を横に真っ二つにする。


 クリーナーの核は体幹にある。分解ペンで狙うのは難しい。

 眼を狙ってペンを投げる。

 当たったことも確認せずに動く。体勢が悪い。当たったことを確信できない。

 心臓が破裂しそうなほどに鼓動する。だが、もし、止まったら死ぬ。心臓が破裂してしまう。


 こいつらの執念、目標設定は確かだ。

 背後から、後ろから、前から攻撃されているのにその眼は僕だけを見ている。ここまで僕をターゲットにし続けられるなんて大したものだ。


 四方からの攻撃に対する恐怖がないというのはこの類の機械種の強みであり、そして弱点でもある。


 その身体を水の矢が容赦なく削りとった。

 水の茨が捉えた獲物を食い殺すかのように締め付け、三体のクリーナーをばらばらにした。


 強いといえば強いが、それ、多分拘束魔法の本来の使い方じゃない……


「大丈夫か!?」


 僕とクリーナーの距離が開いたそこに身体を滑りこませ、セイルが剣を構えた。


「はぁはぁ、あ、ああ。な、何とかね……」


 ようやく体勢を整えて震える膝を叱咤して立ち上がる。

 大丈夫か大丈夫じゃないかで言えば――生きてる。


「トネール、通していい!」


 叫ぶと、トネールが足止めしていた三体のクリーナーが足止めから解放されて、こちらに向かってきた。

 それを逃さず水の矢が穿つ。そんなに高度な魔法ではないとは言え、これだけ連続で矢を放てるなんて、ブリュムは大した魔術師だといえる。


「大勢は決したかな……」


 セイルが疲れたような表情で呟く。


 まだ敵は残っている。が、確かにセイルの言うとおりだ。

 残りの魔物はたったの四匹。それもうち二匹は身体に水矢によるダメージで穴が空いている。

 十五匹の一斉攻撃が一番、僕の死亡率が高かった。それを凌いだ以上、こちらの敗北の確率は低い。


 だが、それでも残った四体のクリーナーの眼はこちらを見ている。

 僕を背に庇っているセイルが眼中にないかのように、この僕だけを。


 挑発するように呟いた。


「あからさますぎてつまらないな。何もかも暴きだしてやるよ」


 四体の意識がその言葉に反応し、確かに一瞬だけ止まった。

 その隙を逃さず、セイルの刃が四匹を纏めて横に薙ぎ払った。

 その眼から命の灯火が消え、今まで動いていた機械種がただの『モノ』になって崩れ落ちた。

 トネールが、ブリュムが、スイが駆け寄ってくる。


「はぁはぁ、さすがに、もう駄目かと思ったよ………」


 さすがに風の船を生み出した後の戦闘は無茶だったのか、トネール表情に笑顔はない。


「全くだ。説明はしてくれるんだろうね?」


 セイルが強い瞳で僕を見下ろす。


 説明? 何を説明しろというのだ。

 少なくともまずは……自分で考えるべきだ。

 それが探求というもの。

 意思決定を他者に任せているようじゃ、いつまでたっても一流の探求者になれない。


「……お兄さん、大丈夫? 凄い汗だよ?」


「はぁはぁ……死ぬかと思ったよ」


「……自業自得」


 何とか心臓の鼓動を落ち着ける。全身から流れる汗を拭う。座りたい。だが、まだ駄目だ。

 敵意が。悪意が。死にたくなければ、迷宮の中では決して油断してはならない。

 袋からスタミナを回復する飴を取り出して口に含んだ。回復薬より効果は劣るがないよりマシだ。

 セイル達にも袋を放った。


 舌の上でそれを転がしながら、消化液が穿った床を足の裏で確かめる。冷たく、固かった。まるで何事もなかったかのように。


「……この迷宮、相性悪いなあ……ずるいわ」


 まーそんな事言っても仕方ないんだが。


 残っているアイテム。セイル達のコンディション。

 それらを考慮するならばもう出たほうがいい。此処から先は勇気ではない、無謀の域に入る。

 だが、僕にはまだ切り札が残っている。

 僕だけならまだいける。


 セイル達を振り返った。


「……セイル達はもう帰ったほうがいい。ここは危険だ」


「え? 何を言ってるんだ、フィルは。一人だけで残るつもりか?」


「一人じゃない。僕には――仲間がいる。僕にはまだここでやるべき事がある。それに、これだけ経験すれば、セイル達はもう十分に復習できるだろ?」


「……何を言ってるの?」


 スイが首をかしげた。


 此処から先はC級程度のパーティでは荷が重い。

 能力の問題ではなく、仕組みの問題。

 今まで自らのランクよりも低いランクの探求しか行ってこなかったセイル達では経験が不足している。


「フィル。このパーティのリーダーは僕だ。僕に従うべきだ。違うかい?」


 ああ、その通りだ。セイルの意見はまったくもって正しい。


「違わないね。だから悪いけど、僕はここで抜ける」


 パーティから脱退した。

 セイルのスキルの範囲外になり、視界が一段階暗くなる。もう一度目薬を差し、探求に支障がないレベルまで暗視能力を上げた。

 体力増加が切れ、身体が僅かに重くなる。

 だが、そんな事は些事に過ぎない。僕はもともと迷宮を探索できる最低限のステータスにすら達していないのだ。


 スレイブなしでは。


 セイルが険しい眼で僕を睨みつける。


「!? 本気か? フィル。そんな事が許されると思っているのか?」


「ああ、許されないね。本当に申し訳ない。さっきのもだけど、これは唯の僕の我儘だ」


 深く頭を下げた。


 迷宮という閉じられた世界でリーダーに従わないメンバーというのは敵よりもたちが悪い。

 僕はセイルに殺されても仕方ない。だが、それでも僕にはやらねばならない事がある。


 幸いな事に、僕は今回ただの同行者だ。特に役目も採取くらいしかなく、僕が抜けてもセイル達が帰る上で影響は出ない。もし重要な役割を担っていたのだったら、抜けるわけには行かなかっただろうが。


 スイが心底呆れ果てたように呟いた。


「……勝手過ぎる」


「ああ、勝手は承知だ。だけど、それでも今ここで探求者としてやらなければならない事があるんだよ。わかってくれとは言わないが、許して欲しい」


「私達はアギさんから貴方のお守りを頼まれている」


 なるほど。そう言われてみればその通りだ。

 このまま僕を残して帰ったら彼らはアギさんから何か言われるかもしれない。


「ああ、そうだったね。一筆書くよ。スイ達は十分助けてくれたって。残るのは自分の意志だってね」


 宿泊する際に宿帳に名前を書いているので、機械種のアギさんならば筆跡から僕が書いたものだと判断できるだろう。


「お兄さん、死ぬつもりなの?」


「え? いや、死ぬつもりはないよ」


「……ここはフィルの探求者ランクでは適正外のはず……」


 スイが唐突に言った。

 あれ? 僕、自分の探求者ランクなんて言ったっけ?

 今回僕はただの同行者なので、探求者ランクもクラスも言っていないはずだ。


「船から降りる際に落としてたから……」


「あ、あの時か……」


 確かに、船から降りた後に忘れ物として渡されたものの中にギルドカードがあった。


 最近ではいつ何時、長距離転移させられてもいいように、常日頃から持っておくようにしているんだよね。


 確かに僕のランクでD級迷宮であるここは適正外だ。だが、適正外だからといって探求してはならないというルールはない。SSSランクがD級迷宮を探求しようが、GランクがSSS級迷宮を探求しようがそれは個々人の裁量による。自己責任だ。


「適正外の迷宮を探索してはならないルールはないよ」


「でも、余りにも無謀すぎる……フィルが一人で探索するにはここは危険すぎる。死ににいくようなもの」


 能力がないとは言え、仮にも僕の探求者ランクはSSSだ。何故、そこまで言われなければならないのだろうか。

 まぁ、今回は全面的に僕が悪いので何も言えないんだけど。

 何か噛み合ってないような気がしたが、窘めるようにスイに言った。


「探求者は自己責任だ。死ぬつもりはないけど、僕がたとえ死んだところでスイ達は気にする必要はないんだ。あはは、馬鹿な探求者が勝手に自滅しただけだと思ってもらえばいいよ」


「……仮にも一度パーティを組んだ仲だ。そんな風に考えるのは無理だよ」


 ああ。

 なんでこの人達はこんなに優しいのだろうか。


 今日初めて会った相手のことをここまで想うことは善性霊体種(スピリット)でも難しいんじゃないだろうか。

 セイルは口元を隠して少し迷っていたが、すぐに確かな口調で言った。


「……仕方ない、同行しよう。これは僕達の探求でもあるが、同時にフィルの復讐のためでもある」


「いやいや、危険だよ? 警告しておくけど、今のセイル達にはこの探求は荷が重い。幸い、討伐証明は今倒したもので十分過ぎるくらいだし、切り上げる事をおすすめするよ。魔物の目標は僕だ。今、風の船で帰れば逃げきれるだろう」


 だが、セイルにはその意志はないようだった。

 再びパーティに入れられ、視界が明るくなる。

 セイルは男でも見惚れるような笑みを浮かべて言った。


「探求者は自己責任なんだろ? 僕がここで死んでも、フィルは何も後悔する必要はない。全て君が言った事だ。フィルの求めるものを見せてもらおうじゃないか」


「ああ……」


 さもありなん。

 そこまで言われてしまったら是非もない。

 確かに、彼らには彼らの権利がある。


 脳内でアリスの声が聞こえた。


 ご主人様、彼らは何か勘違いしてると思う。

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