第三話:僕だってプロだよ
もうアネットさんの家に厄介になることはできない。
何故なら、あそこにはアムがいるからだ。アムが自身を成長させる意向を持っている以上、気になって気になって仕方ないが僕が側にいるわけにはいかなかった。
意志とはあくまで己の意志でなくてはいけない。それが誤った選択でもそうでなくても、たとえマスターだろうがそこに手を加えてはならない。それこそが僕の信条だった。
ましてや、アムは笑顔で別れたのだ。その機会がくるまでは距離を取るが最善。もっとも、三ヶ月で王国に帰還する予定なのでそう長い事離れているわけでもないが。
前に置かれたコーヒーカップに紅茶を注ぎながら、アギさんが呆れたように言った。
「へぇ……それで、またうちに来たんですか」
「うん。他に知ってる宿がないからね」
白銀の歯車亭はそこそこのランクの宿だ。仮に宿屋をランクで分けるなら、中の上――Cランクだろうか。
部屋もそれなりに広く、食事の味はよくないが、それ以外には特に不満点はない。
何より、数日とは言え、アムと一緒に滞在していたので従業員と交流がある。
アギさんはガイノイドだ。赤茶色の髪に作られた表情を持つ一般的なタイプの女性型ヒューマノイド。
カタログスペック的に言うならば明らかに小夜や白夜よりも低級だが、それでも王国でもたまに見かけたそれよりは明らかに表情豊かで、話しているとまるで人間と話しているかのように錯覚することもある。
一般人が雇うタイプの機械種は、探求者が雇うタイプのそれと比べて性能が低く、だがしかしライセンス料が非常に安価だった。それでも王国では人を雇ったほうが遥かに人件費は安かったが、こちらでは違うのだろう。
「それで、アリスさん? はどうしたんですか?」
「え? 働いてるよ? まぁ、今度改めて紹介するよ」
既に夕方。アリスの能力は日が沈むのに比例してどんどんと上昇していく。
今頃街中を駆けまわって討伐対象の詳細な情報を調べているだろう。
「紹介はいいですが……自分だけ休んでいるんですか?」
「あはは、そう言われると人聞きが悪いけど……まぁ、そうだね」
アリスと僕じゃ性能が違う。
それは単純な力の高低ではなく、向き不向きだ。
僕が思考し、アリスが動く。そういう役割分担。
それでも納得が言っていないのか、アギさんは釈然としなさそうだった。
「……じゃあ、フィルさんは何をするんですか?」
「アギさんと話してるよ。あ、地図ある?」
「地図? え、ええ。ありますが……」
アギさんが持ってきてくれた地図を広げる。
僕が持っているそれより僅かに広い範囲の地図だ。レイブンシティを中心に、南東五十キロの所に位置するリュクオシティ、南西の街道を通って百キロ程度の所にあるセントスラムに、以前アムと一緒に潜ったA級迷宮、『機神の祭壇』も範囲に含む。
僕は紅茶を含んで唇を湿らせると、リュクオシティの南の街道を、二百キロ程離れている迷宮のマークまで丁寧に人差し指でなぞった。
「螺子帝宮ですか……D級の迷宮ですね」
白銀の歯車は探求者向けの宿だ。アギさんもそう言った探求者の需要のある情報には詳しいのだろう。
僕はそれには答えず、数十キロ東に指を移動し、迷宮のマークで止まる。
「C級迷宮の人機の歯車ですね。モデルホイール系の機械種がメインで出現する」
「……詳しいね」
「その辺りは周辺で随一の危険地帯なので……探求者がよく死ぬんですよ」
モデルホイールは機械種の魔物の中でも低位の魔物だ。勿論、僕が単騎で勝てる相手ではないが。
アギさんが僅かに前かがみになり、傷ひとつない綺麗な指で僕に習って地図をなぞってみせた。
「紫電の洞穴、機蟲の陣容、黒鉄の墓標、機神の祭壇、その辺りがこの周辺の迷宮ですね」
一個一個丁寧に指さしながら教えてくれる。
その数は僕が既に知っている数と一致していた。まだ詳細については調査していない。
「どれが一番簡単?」
「……簡単な迷宮なんてありません」
さもありなん。
迷宮とは魔窟である。支配している魔物がなんであってもそれは変わらない。
表で狩るのとでは難易度のレベルが違う。勿論、それも考慮して迷宮のランクは定められているのだが、それでも潜るなら自分のランクの一個下を目安にするのが定石だ。
「全部未攻略?」
「黒鉄の墓標だけ最深部まで攻略済みです。何もなかったらしいですが……」
「何もない……ねぇ」
どこまで探索すれば攻略になるのか、人それぞれだが大抵の場合迷宮とは敵対種の前線基地であり、その支配が迷宮の攻略に値する。
具体的に言うのならば――主の討伐。
それは栄光の一つの形だ。迷宮のランクよりも高い事が多い迷宮の支配主さえ倒せば、迷宮は瓦解する。例え建物自体が残っても、その内部を徘徊する魔物は烏合の衆でしかない。
「迷宮探索でもするんですか? やめておいたほうがいいと思いますが……」
フィルさん死にますよ? みたいな視線を向けてくるアギさん。
一般向けのガイノイドにすら心配される僕って一体……だが、なかなかどうしてその通りなので僕は反論できない。
一抹の期待を込めてアギさんを見上げた。
「アギさん守ってくれない?」
「……何情けない事言ってるんですか。宿の従業員を頼らないでください」
ため息を付いてアギさんが言い捨てた。
手段を選んでいたら探求者などできない。それが僕の主義だ。
男には負けると分かっていても立ち向かわなくては行けない時があるのだ。
「誰か僕をパーティに入れてくれないかな……」
スレイブ抜きで。
「フィルさん、何ができるんですか?」
「……魔力と筋力とスキルを使わない事なら一通り」
「つまり、何もできないってことですね……」
失礼な人だった。
だが、人の世はきっと愛でできているに違いない。何もできないプライマリーヒューマンを一人受け入れるくらいの度量がないと一流にはなれない。
どんなに強くても、人は一人では生きていけないのだ。
必要なのは力ではなく、意志である。
といった理屈でアギさんに立ち向かった。
アギさんの呆れたような視線が痛い。
「ということで、誰か人の良い探求者紹介してくれない?」
「……フィルさんランクいくつでしたっけ?」
「SSS」
「はいはい……」
アギさんは明らかに信じていなかった。
だが、哀しいことにそういった対応には慣れきっている。
僕はただ黙ったまま地図をうじうじとなぞった。勿論ちらちらとアギさんの様子を伺うのはやめない。
あえて可哀想な子を装った。勿論言うまでもなく実際に可哀想な子でもある。
その様子を見て、困ったようにアギさんは首をかしげた。
「はいはい、こっちを見ないで。どこの迷宮に行きたいんですか?」
「機神の祭壇」
アギさんがますます哀れみを込めて僕を見る。
「……A級迷宮に素人を連れて行くパーティがあるわけないでしょ」
「僕だってプロだよ」
「はいはい、SSS級の探求者様ですもんねー」
やはり信じられていなかった。
だが、それでいい。結果さえ得られるならば僕はどんな汚名も受けよう。
さぁ、アギさん。僕にいいパーティを紹介するんだ!
「薬草採取の護衛でもいいよ?」
「腕っ節が命の探求者に護衛が必要だなんて……廃業しますよ?」
「……実はそろそろ引退しようと思ってたんだよね」
アリスが余計な事をしていなければ、僕は今頃早期退職していただろう。
師匠のように白い大きな犬を飼って穏やかに趣味に没頭しながら暮らすのだ。
「……なるほど、最後の探索ですか」
「いや、まだもうちょっとやるよ? お世話になった人たちに恩も返さないといけないしね」
何も返さないうちに終えるなんて気持ち悪くて僕にはできない。
僕の言葉に何を思ったのか、アギさんは感慨深げにため息を付いた。
「仕方ない……一応お客さんですしね。ちょっと知人の探求者にあたってみますよ」
「機神の迷宮?」
「無理ですって……まぁ、そうですね。C級探求者の方ならこの宿に滞在している人がいるので……」
「職権濫用か……」
「フィルさん喧嘩売ってるんですか? 紹介しませんよ?」
「冗談、冗談だよ」
職権乱用大いに結構。
例え作られた機械種にもその程度の意志選択はあるべきだ。
地図を丁寧に畳んで返すと、僕は紅茶の最後の一滴を飲み込んだ。
料理はいまいちだが、紅茶の味は悪くなかった。
空になった紅茶のカップを持って、厨房に向かおうとするアギさんに声をかけた。
「しかし、また一つ借りができちゃったな。どう返してほしい?」
アギさんがその言葉に目を丸くして立ち止まり、こちらを向く。
その表情が思った以上に人間味あふれていて、思わず笑ってしまった。
「そうですね……フィルさんのできる事は……特にないですね」
「酷いなあ……やろうと思えばなんだってできるよ? 金銭でもいいよ?」
「……金銭でお礼とか、私は鬼ですか……いらないですよ。フィルさんみたいな弱い探求者からお金取ったら怒られちゃいます」
知っている。
機械種は金銭に執着しない。
金銭に執着しているのはいつもその持ち主だ。だから役割を逸脱しない限り彼女らはなるべく行動で支払ってもらおうとする。
人よりもその欲望を受けて生み出された機械種の方が欲が薄いとは、何という皮肉な事だろうか。
アギさんは少し考えていたが、すぐに見た目相応の柔らかな笑みを浮かべて言った。
「そうですね……食後のデザートなんて如何ですか?」




