第二話:意味が違う。印象が違う。
さっきの今で、カウンターに並んだ僕に小夜は信じられないものでも見るかのような視線を向けてきた。
口唇が戦慄いている。一体どうしたというのだろう。
しばらく黙ってこちらを見ていたが、やがて諦めたように口を開いた。
「フィルさん……アリスさんはどうしたんですか?」
「ここにいる」
ひょこりとアリスが僕の後ろから顔を出す。
さすがの僕でも、こんな真っ昼間から機械種を狩りに行けなんて言わないよ。アリスの世界はあくまで夜だ。つまり、今寝ておかないと夜通し行軍だから、君。
十全でない状態で使って、失ってしまったら目も当てられない。まぁ、アリスに限ってそんなことはないだろうが。
先ほど、『夢』を見ていた際に放った言葉が効いたのか、小夜は少しばかり居心地が悪そうだった。
果たして機械種は夢を見るのか?
答えはノーだ。機械種は夢を見ない。ただ、過去を想起するだけ。
彼女はそういう『生き物』だ。そういう風に『創造』されている。
故に、僕はそれを夢と呼んだ。
ちくたくと時計の針が動いている。
小夜がそれに押されるように尋ねた。
「……で、何か用ですか?」
「冷たいね。探求者が用もなく来るわけがないじゃないか」
「よく言いますよ……」
ため息をつく。
探求者がカウンターに来る用事などたった一つしかないというのに。
「依頼だよ」
「依頼……? 白夜の方で受けるのでは?」
白夜から何を聞いたのか知らないが……その通りだ。
アリスがつまらなさそうに背中合わせに僕に体重をかけた。
アリスの精錬された魂質はヴィータ種と同じくらいの重量をその身に与えている。背中に感じる重み。肩まで切りそろえられた髪が首筋を擽る。
感情の乗らない透明感のある声が後頭部から聞こえる。
「……ご主人様は、人がいい」
好きに言っているがいい。
「違う違う。依頼を受けるために来たんじゃない。僕は――依頼を上げるために来たんだ」
「え? 依頼を……上げる?」
予想外の言葉だったのか、小夜が訝しげな眼で僕を見た。
ギルドでできるのは決して依頼を受けることだけではない。
ギルドの依頼のそのほとんどは、ギルドの本体からの依頼だ。ギルドが窓口となって研究室や商会、軍など、魔物の素材やその存在そのものを商売にしている奴らに営業をかけ、仕事を取ってくる。それがカウンターに並ぶ依頼。それが一般的な依頼。
だが、決してギルドは自身が取ってきた依頼のみ公開しているわけではない。
探求者に対する報酬は一般人に取って非常に高価な上に高い手数料もかかるので数は少ないが、個々人もギルドに依頼を投げることができるのだ。
一般に拾ってくる依頼とは気色が違う依頼を。
それらを総じて、特殊依頼と呼ぶ。
例えば、グラエルグラベール王国のギルド長であるフェイルス・グラッドが僕を指名して発行した、友魔祭に参加するきっかけになった特殊探索依頼『朋友の試練』
例えば、王国の軍のトップである、東雲元帥が出した、リドルという街一つを喰らい尽くした神害級の特殊討伐依頼『夜王の彩宴』
ギルドのネーミングセンスには何も言えない。
胡散臭いものでも見るかのような眼で小夜が僕を睨む。
「……何を依頼するんですか?」
何故僕はここまで警戒されなくてはならないんだ。
僕はまだ小夜には何もやっていない。まだ、ね。
「護衛依頼だよ」
「護衛? SSS級のフィルさんが、護衛依頼を出す? アリスさんがいるのに? 一体何から守ってもらうつもりですか?」
別に高ランクの探求者が依頼を出してはいけないなんてルールはなかったはずだ。
アンテナの乱れ、感情の乱れが伝わってくる。何をそんなに興奮しているのか。
「薬草採取に行くから護衛が欲しい。期間は一日。ランクは大体CからDの間で、人数は四人。護衛対象は三人。護衛中に討伐した魔物の素材は探求者側の取り分だ」
「一体なんでそんな無意味な事を……」
無意味じゃない。無意味な事なんてこの世にそうそう存在しない。
条件をつらつら並べていく。
採取対象の薬草名。向かう先に、出現する魔物の傾向とランク。
冗談を言っている雰囲気じゃないとわかったのか、小夜も少し真面目な表情になる。
「報償は?」
「二百万で」
この額は王国ならば、相場よりも若干高めだ。
が、四人で分ければ凡そ五十万。可もなく不可もなく。一般人には高く、探求者にとってははした金だ。装備をメンテナンスしただけで消えかねない。
だから、今回は討伐した魔物の素材を取り分とする。出てくる魔物は機械種。それなりの額になるはずだ。
まだ躊躇うような視線を僕に向ける小夜。別に悪巧みなんて考えてもいないのに、その視線にはまるで犯罪者を見るかのような色があった。
創造者と持ち主の話は機械種にとって一番脆い部分だ。触れるのが早すぎたか。
「何のために……こんなことを」
「それは小夜が気にすることじゃないよ」
僕一人じゃ所詮何もできない。だから協力を求める事は当たり前の話だ。
分を弁える事。何度も戒めるその言葉、一文こそが、より長く生きるための秘訣。
アリスが両腕を肩から前にまわしてしなだれ掛かってくる。
プライマリーヒューマンより低い体温。背中に感じる胸の柔らかさ、全身に感じる魂核の鼓動。
耳元に囁くような声で語りかけてくる。
僕は前に回された腕――青白く血管が透けている透明な白い肌を撫でる。
「ご主人様、取捨選択はしたほうがいい」
それはアリスなりの忠告なのか。ぞっとする悪寒がその言葉を通じて思考を擽る。
それを吹き飛ばすように、にやりと笑みを作って見せる。僕はマスターだ。スレイブの前で情けない姿は見せられない。
「アリス……随分、お喋りになったね」
「嫌?」
「いや、そんなことないよ」
僕はアリスの全てを許容する。
だから僕の全てを許容しろ。
「あの……話の途中でいちゃいちゃしないでもらえますか?」
小夜が憮然とした様子で指摘する。
さもありなん。
いちゃついてるつもりはないが、スレイブとのコミニュケーションは度々そのように見られることは知っている。
二度腕を叩くと、アリスは腕を引っ込めた。
「依頼、受領してもらえるよね?」
「……はい。何を考えているのか知りませんが、それが私の仕事なので」
タスク……ねぇ。真面目な事だ。
誠実さは美徳だ。僕に都合がいいかどうかは別として、好感が持てる。
可能であるなら、いつまでも僕の味方でいて欲しいものだ。
小夜は、僕が何を考えているかも知らずに、タブレットを操作する。
どんなに優秀な機械種でも、人ではない彼女らに人の心は読めないものだ。
「受領しました。特殊D級探索依頼『薬師の猟友』。手数料及び報償金はカードから引き落としておきます」
「ああ、それでいいよ」
「こちらが探索目標です。無くしてしまうと問題になりますので、注意してください」
小夜が渡してきたのは、一枚のコインだ。
コインの表には依頼の番号が記載されている。
ギルドの依頼には討伐依頼と探索依頼の二種類しかない。だからこそ、護衛のように、直接探索などとは関わらない依頼を行う場合は、依頼者にはギルド側から達成目標を渡される。
護衛が完了した際に、依頼者から探求者に手渡す事で依頼達成とするためだ。
僕はそれを大切に道具袋にしまった。
「どのくらいで受託者が来る?」
「そればかりは実際に受けてもらわないとなんとも……急ぎですか?」
そりゃ僕だって暇じゃないし、早ければ早いほうがいい。
緊急性があるかどうかというと別に緊急性はないのだが。
「ご主人様、ゆっくりやろう? 少しは休んだほうがいい。部屋でゆっくりしよう?」
「アリス、うるさい」
大体、例え万が一僕が休んだとしてもアリスには働いてもらう。
リソースを余らせておくような真似、勿体無くて僕にはできない。
アリス、待てだ! 待て!
全てがうまくいったらたっぷりご褒美をやるから、今は待て!
小夜の視線が痛い。後、後ろに並んでる探求者の視線も。
「なんでアリスさんがこんなに……ま、まあ、この報酬ならすぐに受託者が現れると思います。わかってはいると思いますが、受託者が現れたらコインで知らせるので、その時はここまでお越しください」
「ああ、わかったよ」
まぁ、依頼にもタイミングというものがある。
今日明日で来る可能性は低いだろう。
後ろに並んでいた人に場所を明け渡して掲示板の真下まで来ると、ギルド内に集まるレイブンシティの探求者たちを見ながら大きく身体を伸ばして、ストレッチをした。
さて、鬼が出るか蛇が出るか。
おっと、忘れていた。
傍らで佇むアリスに確認する。
「わかってるな?」
「イエス、ご主人様。私は……消えましょう」
名残惜しげに一度唇を舐め、少し機嫌が悪そうに、それでもアリスは跪く。
いい。それでいい。よくわかっている。自分の事がよくわかっている。分を弁えている。
レイスをスレイブにした探求者と仲良くなるのと、仲良くなった探求者がレイスをスレイブにしていたのとでは、意味が違う。印象が違う。
特に、この地で僕の名はまだ広範囲に轟いていない。
栄光の積み方にはノウハウがある。それは一流の教育機関で三年の間学んだ僕が、探求者になって新たに知った数少ない事実だった。
腕を差し出す。
さぁ、アリス・ナイトウォーカー。愛しい愛しい僕の剣。
この地の探求者たちに見せてやろう。この僕達の探求を。
「アリス、僕に取り憑け。いざという時に、僕を護るために」
『憑依』のスキルに対象の側に転移する効果があることは知っていた。今まではそれに抵抗する、アシュリーとの魂の絆を結んでいたために使用できなかっただけで。
だが今となっては、それは有効な戦法だ。スレイブが常にマスターを護るためには。
「……ご主人様は手段を選ばなさ過ぎる」
ぐちぐち言いながらも、アリスは僕の右手を取り、騎士が姫の手に口付けするように手の甲にキスをした。
衝撃はほとんどなかった。ただ、かすかに自身の存在に違和感が混じっただけ。気づかないくらい些細に、身体にかかる重力が濃くなっただけ。
発狂も衰弱もしない。それはアリスが僕の事を慮っている証。取り憑き呪い殺すレイスの本能に抗っている証。
僕はしっかりとアリスを見つめ、はっきりと述べた。
「君が悪性霊体種で良かったよ」
まあ、善性霊体種も憑依は持っているのでそっちでもよかったのだ、贅沢は言わない。
それこそがアリスの無数に存在する価値の一つ。
アリスは人形のように端正な眼をうるませ、僕を見上げ、一言だけで応えた。
「はい。ご主人様」




