第一話:男を選ぶ『意味』がない
本日二話目です。一話前にプロローグがあります。
探求者をやっていると、たまにこの世で最も恐ろしい者はレイス種だ、などと嘯く者がいるが、僕から言わせてもらえば、この世で最も恐ろしいものは決してレイスなんかではない。
その事を僕はこれまでの経験からよく知っていた。僕の敵のほとんどはレイスなんかではなかったのだから。
もし敵対する者がレイスだけだったら、僕はよほど楽にSSS級に上がれていただろう。
駆け寄ってきた、僕の人生では稀なレイス種の敵――ナイトウォーカーのアリスが無表情のまま膝を折る。
まるで騎士のように頭を垂れた。女性にしては身長が高めのアリスがやると、非常に様になった。アリスは面がいいのだ。
だが……そう、強いて言うなら――衆人環境ではやめようね。
日がまだ高い事もあって、ギルドの中は非常に人が多かった。
アリスがその惚れ惚れするような礼とは似つかないそっけない言葉を出す。アリスはまだマキュリッシュ語に慣れていないので、意識していないと度々簡潔な単語だけをつなぎあわせたような言い方になっていた。
もしかしたら猫をかぶるのをやめただけなのかもしれないが。
「ご主人様。ただいま」
「おかえりアリス。ところでアリスは、最近僕が周りから何て呼ばれているか知ってるかい?」
僕の言葉に、アリスは少し考え、その美麗な眉を一ミリたりとも動かさずに答える。
「誑しの主」
「オーケー、オーケーわかってるならいいんだ」
ガシガシと跪くアリスの頭に手刀を叩き込む。
僕が、誑し?
SSS級の魔物使いである僕が?
誤解にも程がある。これは僕が強制していることではなく、アリスが勝手にやっているだけだ。
僕の評判はたった二日でアリスの類まれなネガキャンによって、かつてない程に落ちていた。
アリスは面だけじゃなくて外面もかなりいい。黙っていれば文句なしの美少女だし、人前で無様はそうそう晒さない。
スレイブが可愛いのはいいことなんだが、こいつは事ある毎に僕の前に跪き祈りを乞うように見上げるものだから、周囲から見るとその辺の悪い男が清廉な美少女をコマして奴隷にしているように見えるらしい。くそったれ。
こいつは、僕に何か恨みでもあるのか?
スレイブがマスターに尽くすのは――当然の事だというのに。
アリスが恍惚とした眼で僕を見上げている。
その視線に、僕は思わず叩くのをやめた。
レイスは確かにスキンシップを好む傾向にあるが、お前は触れてもらえればなんでもいいのか。
最近変わってしまったアリスの前途に、マスターとしては不安を覚えざるを得ない。
例えスペックが高くてもどうしようもない者なんて腐るほどいる。僕がSSS級に上がれたように、その逆もまた然り。
僕は凋落したアリスなんて見たくないぞ。
「で、アリス、ちゃんと調べてきたか?」
「はい。もちろんです。私は忠実なスレイブ」
真に忠実なスレイブはそんな事言わない。
とか言いつつも、内実はともあれアリスの切れ味は間違いなく一級品、一つの魔剣の類だ。もしかしたら、持ち主の身を破滅させる魔剣かもしれないが。
やるせないため息をつきながらも、併設されている酒場に場所を移した。
酒場は昼間なのにそこそこの人がいた。探求者の中には探求よりもアルコールを愛している者も多いのだ。多少強くなれば少し討伐依頼をこなすだけで浴びるように酒を飲めるのもそれに拍車を掛けている。歩合制だが、高位探求者の多くは高額所得者のランキングに含まれている。
さすがに『機神』などの超高級装備を持てるエトランジュ・セントラルドールのような探求者は勿論そうそういないが。
酒場のちょうど真ん中のテーブルが空いていたのでそこに腰を下ろした。
仄かな酒精と太陽の香りがすっかり落ちかけていたテンションを上げてくれる。
アリスは酒場にいてもやたら目立った。
そうそうアリス程に美しいスレイブはいない。レイスはランクが高い程に悍ましい。そして、悍ましさと言うのは時に美しさと同義となるものだ。
「さて、アリス。どうだった?」
僕の言葉に、アリスは不満気な顔でそっぽを向く。
あの従順だったアリスはさて、どこに行ったんでしょう?
まるで年頃の娘が反抗期になったような気分だった。
「ご主人様。スレイブが働いたら、まずは褒めるべき」
スレイブにしてから四年経つが、それまで一言も聞いたことのないそれは、『我儘』だ。
アリスが期待を込めた眼でこちらを見ている。表情自体はほとんど変わっていないが、長年付き合っている僕には手に取るように判る。
アムがちょくちょく求め、アシュリーがたまにねだり、アリスは今まで欠片も素振りを見せなかったそれは、僕にとってはとても新鮮だ。
もしコレがアリスの本性だとしたのならば、僕は随分とアリスに我慢をさせてしまっていたのだろう。
だが、僕は反省しても後悔はしない。
「わかったわかった。偉い偉い。さ、報告は?」
「……ご主人様。値は釣り上げすぎない方がいい」
アリスがジト目で僕を見る。さすが、長年付き合っているだけあって、僕がアリスの事をよく知っているのと同じようにアリスは僕の手口を知っている。
だがしかし、僕には判る。まだいける。まだ上げられる。
待て。待てだ。アリス
アリスは優秀だ。ちょっと成長したアムなど霞むくらいに……ステージが違う。
僕などがスレイブにできるのがおかしいくらいに。だからこそ出し惜しむ。
「さっき触ってやっただろ」
「……最低。手刀は触れたとは言わない」
「君、嬉しそうだったよね?」
「……うぅ……ご主人様、私の事嫌い?」
そんなわけがない。
アリスが涙を浮かべてこちらを見上げる。僕には判る。これは嘘泣きだ。
僕はスレイブができるだけ安心できるような微笑みを浮かべて命令した。
「好きだよ。さぁ、だからさっさと報告しろ」
「……何か扱いが酷い」
「あはははは、僕もレベルが上がったって事かな。物理的なレベルではなく、精神的なレベルが」
スレイブの裏切りまで見越した今の僕に隙はない。
思えば、そう、スレイブを甘やかしすぎたのだ。それがアリスの裏切りを招いた。
もっと徹底的に躾けなくてはならなかったのだ。幸運にも僕は汚名をそそぐ機会を得た。
面白い。実に面白い。
好奇心が刺激される。
これこそが我が人生だと、心の底から思える。
「ご主人様は、私の気持ちも考えるべき」
「僕はいつだって君の気持ちを考えているよ。さ、アリス」
窘めるように言うと、アリスは膨れたまま、それでも僕の命令に従った。
アナザー・スペースを使用して異空間から一枚の紙切れを取り出した。
フィールド・ワーク
討伐依頼の肝。現地調査である。
ひ弱な僕ではリスクが高くても、凶悪無比で複数の命を持つアリスならば魔物の棲息圏内も自由自在で歩き回れる。
王国で探求者をやっていた頃はこれが、僕が常時つかずにすむようになってからの、アリスの仕事だった。
そしてレイブンシティでも。
紙は一枚の地図だ。レイブンシティとその周辺をピックアップした地図。何しろ荒野はひたすらに広いので縮尺はそれ程大きくないが、このくらいが丁度いい。
僕がアムと一緒に討伐したモデルアントの生息域――クローク平原も地図の端に入っていた。
アリスは自身の美しい白銀の髪を数本抜くと、
「メルギダ」
一本の髪を地図に突き立てる。アリスが手を離しても、髪は鋭い針のように垂直に突き刺さったままだ。
続けて、淡々と言葉を紡いでいく。
「フォルモ、リザルベ、アーティ、フルーレ――」
途中で髪がなくなり、再度引き抜く。続けて次々と名を言っていく。
数分で地図の随所には剣山のように鋭い髪が突き立っていた。その数、驚くべきことに十二本にも及ぶ。
僕はため息を付いて地図を見つめていた。自分の脳内にしかと焼き付ける。
同時に、地図を三次元のイメージで再現する。アリスの持っている地図は拡大版だが、既に更に子細な地図は頭の中に入っていた。
当然、SSS級討伐依頼の情報も。
「十二か……分かっていたことだけど、多いね」
「仰るとおりです。ご主人様、ここで探求者やれば、多分すぐにランク上げられる」
それは、SSS級依頼の数だった。この周辺千キロだけで凡そ十二。
この数はなかなかお目にかかる数ではない。
「やらねーよ。アシュリーも夜月も待ってるしね。あくまで――ちょっと付き合うだけさ」
「王都の化け物達を呼んだら、喜んでくる」
「来るだろうね……」
グラエルグラベール王国は一種の探求者の聖地である。
最強と名高い竜種の探求者を始め、高レベルの探求者が魑魅魍魎のように溢れかえっている。ここではトップクラスの探求者であるランドさんであっても、王都を訪れたらトップ陣には入れないだろう。
そして同時に、高いランクの依頼に飢えている。この地は王都の探求者にとっては宝の山に見えるかも知れない。
王都の探求者がこぞってこの地を訪れたらペンペン草も生えない荒野となるだろう。
だが、この数、白夜が憂いを覚えるのも判るというものだ。高ランクの能力を持つ白夜ならばともかく、その他の町民にとってはこの状況は虎穴の真ん中で生活しているに等しい。
僕なら何とかして逃げ出そうとするね。
「でも、L級依頼はないんだよね」
「はい。ご主人様じゃ、全部達成しても、L級になれない」
SSS級討伐依頼の褒賞ギルドポイントの平均値は一億に満たない。
次の昇格まで二十二億ポイント必要な僕には些か物足りなかった。L級を一体討伐するか、SSS級を三十体程度討伐するか、どちらを楽に感じるかは人それぞれだができれば僕は数はこなしたくない。事故が起きる可能性が高くなる。
SSS級の討伐依頼がL級に昇格することは少なくない。被害の数か、ギルドが見極めた個体の力か、はたまた、対象の習性か、ありとあらゆる要素を考慮しギルドの上層部が綿密な相談を行った結果、昇格が行われる。が、基本的には被害者の数のパターンが最も多いだろう。アリスもそうだし、シィラもそうだった。
そもそも、討伐依頼が討伐依頼として出される理由も被害者がいるからであることが多い。
そういう意味では、SSS級の討伐対象がここまで揃い踏みしているこの状況は一つの珍事だった。
「メギルダはモデルスパイダー。リザルベはバタフライ、アーティはマンティス」
「性能は?」
夜通し駆けまわり、実際その眼で全てを観察してきたアリスに聞く。
アリスはあっさりと答えた。
「王都の方が強い」
そりゃ王都じゃ弱いのはすぐに討伐されるからね。
実際に王都で数々の依頼を熟してきた経験があるアリスの言葉だ。その言葉は信用できる。
「倒せる?」
「マキーナはライフドレインが効きづらい。スピリットよりはマシだけど、相性が良くない」
「僕は倒せるかって聞いたんだよ?」
手を伸ばしてアリスの髪をくしゃくしゃと撫でる。
アリスは憮然とした表情で嫌がることもなくそれに身を任せる。
「……私に敗北はない。でも時間はかかる……かも」
アリスの本領は生命操作による莫大なエネルギーを利用したスキルによる無属性の攻撃だ。
それは斬撃、打撃、刺突に魔術的なダメージまで、ありとあらゆる攻撃手法を網羅するが翻って所詮は無属性――物理攻撃であり、純粋な防御力でダメージが軽減される。
同時に、それらの攻撃は全て生命エネルギーを消費するため、燃費が酷く悪い。ストックに上限はないので事前に生命さえ貯めておけば無尽蔵の破壊力を発揮するが、逆にエネルギーが満足になければそこそこのダメージしか与えられない。
そして、問題はアリスの生命のストックにあった。
端的に言うと、やはり超長距離転移は相当無理をしていたらしい。
アリスのストックは既に千を切っている。
一につき一回復活できるので、千の命があると言われれば凄いようにも思えるのだが、それでもそれは以前とくらべて非常に心もとない数字だった。
最高威力のスキルなら一発撃っただけで吹っ飛ぶ数字だ。
「機械種は基本的に硬いからなあ……」
アリスなら負けない。それはそうだ。僕は自身のスレイブの力を信じている。
だが、簡単に勝てそうにもない。相性が悪すぎるのだ。
機械種の魔物しかいない地ではアリスに生命の補給をさせることもままならない。
王都では全く困っていなかったが、こういう時にいつも思うのだ。
「元素精霊種のスレイブが欲しいなあ」
「……浮気? そういう態度はよくない」
アリスが眉を潜めて、また偉く人聞きの悪い事を言う。
息を呑んでこちらを伺っていた探求者達がやっぱりか、みたいな表情をする。どういう意味だ。
やれやれ、仕方ない。そろそろ、アリスの我儘にも閉口していた所だ。説得するか。
「アリス、ある一人の著名な剣士が一本の剣を持っていたとする」
「……私ですか?」
僕は無視することにした。
「その剣士は一本の剣を長年大切に使ってきた。その剣の切れ味は酷く鋭く、あらゆる敵を切り裂くことができた」
「それ、浮気」
僕は無視することにした。
「だが、ある時強敵に出会った。その敵はそれ程強くはないが、刃の鋭さだけではなかなか傷つかない非常に硬い鎧をつけていた」
「浮気だと思う」
僕は無視することにした。
「剣士は思うわけだよ。こいつは非常に硬い。今まで使っていた愛剣を使っても勝てない事はないが、研ぎ澄まされた刃が刃こぼれする可能性がある。だが、一方弱点もある。その敵の鎧は硬度は高いけど熱に弱かったんだよ」
「……愛剣が可哀想……」
アリスが上目遣いで呟いた。
黙って聞けよ。
「さて、剣士は仕方なく、やむを得なく、愛剣のためを思って、新たに炎の魔法剣を購入することにした」
そこまで言い切って、アリスの瞳を威圧するように覗きこむ。
ゆっくりとはっきりと、まだ言葉が不自由なアリスのために、わかりやすく尋ねた。
「さあ、それは浮気と呼べるのか?」
それは必要性に求められた事であって、用途に応じて剣を一本や二本買い足した所で浮気とは呼べまい。
剣士が悪いわけでも、もちろん愛剣が悪いわけでもない。適宜状況に応じた準備をするのは探求者としては常識だ。
アリスもそれは十分わかっているのか、はっきりと僕の眼を見て言った。言い切った。
「浮気だと思う」
「……理由は?」
「魔法剣が女の子だから」
わかってない。わかってない。
剣に性別なんかないのだ。故に、浮気にも成り得ない。
「じゃあ、女の子じゃない?」
「いや、女の子だね」
それはただのセオリーだ。仕方のない事なんだ。
僕はセオリーを達成するために容姿にも気を使っている。
服装もなるべく清潔なものにしているし、太りすぎたり痩せすぎたりしないように自己管理もしている。相手の嗜好次第では香水だろうがなんだろうがつける。いつどんな相手に出会ってもいいように種族の特徴を暗記してもいる。
別に好きで女の子を選んでいるわけじゃない。それが一番なのだ。あえて言うなら――男を選ぶ『意味』がない。
必死で説得する僕に、アリスは冷ややかな目つきで言った。
「……誑しの主」
その眼を見て僕は説得を諦めた。
ダメだ、今のアリスは考えが凝り固まっている。
信頼の高さが足りないのか?
いや、違う。これは――そう、嫉妬。
スレイブによくある話だ。同種でもないのに嫉妬するというのは珍しくはあるが、決してないことではない。
「それはアリスのネガキャンのせいだろ……まぁ、とりあえずエレメンタルは保留かな」
もともと、エレメンタルとの契約は僕にとって非常に難易度が高い。
彼らが動く理由の大原理が『魔力』であるためだ。彼らは契約に非常に多くの魔力を求める。それこそが行動原理であり、存在証明だからだ。
魔物使いがスレイブする傾向が最も低いのは元素精霊種で間違いない。彼らをスレイブにするのは、そのほとんどが魔力の豊富な精霊魔術師だった。
アリスという剣が戻り、切羽詰まった状況を脱した今、契約することはまずないだろう。ちょっと哀しいが、まあ側で見ているだけで我慢することにしよう。
地図に再度眼に向ける。
突き立った針のような髪――SSS級討伐依頼対象の出現地域。
レイブンシティを中心に円形のように突き立ったその箇所を眺めながら、決定した。
「とりあえず小手調べに一体片付けるか……」
「はい。アリスソードに敗北はない。ただご主人様――」
アリスがふと一瞬いい淀むが、躊躇を振り切るように首を一度横に振ると、僕を見上げて言った。
「この討伐依頼、恐らく放っておいたらL級依頼になる」
「ああ、そうだね」
そんなの、とっくに知ってる。
だが、それがどうした。
僕はこの地で、『商売』をするつもりはない。
これはただの、借りだ。借りを返す際にメリット、デメリットは考えない。
アリスは僕の心を覗きこむかのような眼差しを向ける。
やがて、ため息をついて言った。
「わかっているならいい。ご主人様」
「ああ、存分にやれ。僕が付く必要はあるかい?」
僕の問いに、ちょっと考える素振りを見せる。
そして、わざとらしく思い出したように言った。
「ご主人様、スレイブが働いたら褒めるべき。それしかできないんだから」
酷く失礼な話だ。
だがしかし、ああ、その通りだ。僕はアリスにそれしかしてあげられない。
「ああ、わかってるよ」
アリスの髪を梳いてやる。自慢の髪だ。アリスの自慢じゃなくて、僕の自慢の髪。
その身も精神も僕が研ぎ、打ち、経験させた自慢の逸品だ。
魔剣、アリス・ナイトウォーカー。間違いなく僕の最高傑作の一打ち。
僅かに口元を綻ばせると、アリスは丁寧な口調で言い切った。
「ご主人様は必要ありません。ただ、祈っていてください。私のために」
「分かった。祈って待ってるよ。アリスのために」
アリスはアリスのやるべき事をやれ。
僕は僕のすべき事をする。
それはただ、平時と同様にただ、それだけの話だった。




