epilogue-Ⅱ:スレイブになりたいんです
銀髪の少女は目を瞑って待っていた。
静かな夜だった。つい数時間前の騒動はまるで悪夢のようで、しかし夢は既に終わっている。
何もかも失敗してしまったが、何もかもを失ったわけではない。結局のところ、徹頭徹尾アリスはスレイブで、フィルはマスターだった。
例え契約魔法による絆で結ばれていなくても、それは変わらない。
扉が小さな悲鳴を上げて開く。アリスがゆっくりと瞼を開く。
「……何か用?」
「ええ、アリス。一つ話したい事があって」
入ってきたのは金髪の少女。悪霊の少女。
墨のような黒の混じった金髪に同色の瞳。人型にして人に在らざるもの。
種族ランクB
悪性霊体種『悪夢に棲む者』
アム・ナイトメア。
フィル・ガーデンの現スレイブであり、その少女はアリスに取っての第一の想定外でもあった。
アリスの想定では、フィルは例え異国の地で契約を結んだとしても、レイスとだけは結ぶはずがなかった。何故ならば、アリスが既に契約を結んでいるのだから。
そもそも、本質的に他者を害する性質のあるレイスのほとんどは討伐指定を受ける魔物だ。故に街中で純粋な悪性霊体種に出会う可能性自体少ない。
それがこんなことになってしまったのは、偏にアムの奇運と言えるだろう。
この女が居なければ私は――
「あはははは、おっかない顔しないでくださいよ、アリス」
その笑顔が自身のマスターに重なって更にアリスに心を苛つかせる。
「ッ……用件を言え」
それでも、激情を抑え冷静にアムに問いかける。
そうだ。スレイブとは言え、一時的な契約。
アリスが戻ってきた以上、フィルの手足となるというアムの役目はもう終わっている。
事実、アリスとアムの間には能力的にも絶望的なまでの隔たりがあった。
憑依中にずっと見ていた。アムの成長は確かに驚嘆すべき速度ではあるが、所詮はBクラス。ベースの違うアリスに追いつける程のものではない。例え天才魔物使いが育成した所で物理的な時間は覆らない。
アムの能力は、フィルのどのスレイブと比較しても圧倒的に低い。
元L級討伐対象であり、夜の女王と揶揄される、アリス・ナイトウォーカーにも、怪物の名に相応しい三千世界の物語、アシュリー・ブラウニーにも、フィルの居城を守る守護人形シリーズの第一号、叡智が生み出した至高の一体、至天要塞の夜月にも遥かに劣る。
能力も、練度も、経験も、何もかも、だ。
それぐらい、才能のあるレイスでも追いつけないくらい、フィル・ガーデンの魔物使いとしての腕と運は桁外れている。
アリスが眼でそれを伝える。
アム・ナイトメアが真剣な表情、視線でアリスを見下ろした。
「私、フィルさんのスレイブになりたいんです」
「…………」
沈黙を守るアリスに、アムが続ける。
「それも、永続契約のスレイブです。一時的なスレイブなんて……とんでもない。別れるなんて絶対に嫌です。この意味、解りますよね?」
アリスに取って傲岸不遜にも程があるその言葉。
その言葉に一瞬頭が沸騰しそうになるが、なんとか抑えた。
力の桁は違っていても、アムとアリスは同じレイス。
誰にも理解されない心のあり方、存在の在り方も同種だけは理解できる。
アリスの気持ちはわかっているはずだ。
そしてそれは逆も同じ。
アリスにもアムの気持ちは痛い程わかった。フィル・ガーデンはレイスにとっての一つの光、希望なのだ。
だが、答えはたった一つだった。考えるまでもない。
「……貴方ではご主人様に相応しくない」
アムもわかっていたはずだった。答えはたった一つ。アリスには同じレイスのスレイブは許容できない。例え才能が足りていたとしても、そんなのは一要素にもならない。ましてやアリスはフィルと正式に契約を結べない身。
できるわけがない。許せるわけがない。それはアリスにとって、自身の世界を半分よこせと言われているに等しかった。
きっと、フィルはアリスの許可無くアムとの契約を結ばないだろう。それはフィルが考える契約の重さ。一度の裏切り程度では揺るがない強固な意志こそが最弱のプライマリーヒューマンにしてフィル・ガーデンを最強の魔物使いたらしめた理由なのだから。
それをアリスと同じくらいはっきり分かっているはずのアムは、何故か一度目を瞑って大きくため息を付いた。
再度眼を開いた瞬間、脆弱なナイトメアの表情は一転していた。
アリスの背筋に駆け巡る悪寒。
また、これだ。
アムの眼にあったのは果てしない欲望。奈落の中心。墨金色に爛々と輝く負の瞳だった。
その『悍ましい悪寒』にアリスの意志が一瞬揺らぐ。
このレイス特有の悪性を煮詰めたような眼。
アムがゆっくり言い聞かせるように言葉を出す。
その出された言葉は、アリスに取って許容できるものではなかった。
「でも、貴方もふさわしくないですよね? アリス」
「……どういう意味?」
「アリス、貴方まだ一つ、フィルさんに隠してる事がありますよね?」
こいつ……危険だ。
アリスの全身に警鐘が奔る。それは、シィラと相対した時よりも遥かに確かな『予感』だった。
だが、手が出せない。出せるわけがない。今アムに手を出せば間違いなくフィルはアリスを捨てるだろう。
そして、このナイトメアはそれがわかっている。だからこそ、二人で会っているのだ。
誰もが恐れた夜の女王相手に。
その恐るべき胆力に、アリスは戦慄した。
もしかしたら、能力も才能も経験も足りていないがもしかしたら、その覚悟だけ切り取ってみれば、この脆弱なナイトメアは自分やアシュリーに匹敵するかもしれない、と。
「ねぇ、アリス。貴方の言うフィルさんに相応しい条件ってなんなんですか?」
意志? 信頼? 覚悟? 才能? 経験? 能力? それとも、種族ランクの高さ?
否。そんなのは決まっている。アリスがフィルに選ばれた理由。それは――
「……強さ」
そう。強さだ。
圧倒的な強さ。剣としての切れ味。それこそがフィルがアリスを選んだ理由。
無限の命に強力な種族スキル。L級を片手で葬り去れる程の力。
主を守り、ありとあらゆる敵を討ち滅ぼす珠玉の力。
アムはその答えに哀しげな表情を作った。だがその瞳に浮かんだ欲望の泥は微塵も薄らいでいない。
「なら、やっぱり貴方はフィルさんに相応しくない」
「……続けろ」
アリスの言葉に、アムは確信の表情で言い切った。
「だって貴方……アシュリーに負けましたよね?」
「ッ……!?」
その言葉が、単語が、意味が、アリスを稲妻のように打ち晒した。
アシュリー。
アシュリー・ブラウニー。種族ランクGの、最低の家事妖精の分際で世界最強に至った至高の幻想精霊種。
フィル・ガーデンの溢れる才能を一身に受け、その寵愛を一身に受け、成長した小さな物語。
アムはそのアリスの様子に更に確信を強めた。
「……アリス。貴方は、L級討伐対象だった頃にフィルさんの駆るアシュリーに敗北した。だけど、それはかつての話……きっと、今なら勝てると思っていたはずです」
アムが答え合わせでもするかのようにすらすらと語っていく。
何も言えなかった。何故、勘づいたのかすらアリスにはどうでもよかった。
ただその言葉が、アリスの煮えたぎる精神を更に加熱していく。
「でも、アリス、貴方、負けましたね。かつてじゃなく、『今日』。勝利を確信し、最大の準備を熟して挑んでまた負けた。多分手も足も出ず」
「ッ……貴方に、何がわかる!?」
アリスが反射的に大声を上げる。
アリスが憑依を解放して工場内に顕現した時、確かにアムは見たのだ。その左目に刺さっていた銀色の棒。
それは確かに……一本のフォークだった。
そして、あの時アリスは非常に弱っていた。生命回帰のスキルすら使う余裕がないくらいに。
アムの眼には焼き付いている。二度と忘れないくらいに。
友魔祭のアシュリーの姿。ナイフを、フォークを白い光で包まれた道具を飛ばすその戦闘スタイル。collapse bloom
SSS級に上がった時に二つ名が付けられるのならば、フィルのその名はアリスがスレイブになる前に名付けられていた物だという事になる。間違いなくアリスの事を指しているものではない。
「力を求められてフィルさんのスレイブになった貴方は、アシュリーに負けた以上もう用済みです」
「違う……それは、違う。私は、まだご主人様に――」
「ならば、何故言わないんですか?」
アムがそれを鼻で笑った。何という無様な様だ、とでも言うかのように。
これがナイトウォーカー。フィルの操る甘い毒に犯された哀れな悪霊。
まさか、まさか誤魔化しきれると思っていたのか?
本来は聡明なはずのアリスが、まだそんなちっぽけな希望にすがりつく姿はあまりに憐れで、我が身に重なりアムは泣きたくなる。
だが、まだ泣くのは早い。相手に同情して戦意を喪失するなんて、スレイブとしても元探求者としてもやってはならない事だ。
「アシュリーを殺そうとして負けましたって」
「……あ……ああ……」
アリスが魂核を剣につかれたように呻く。
アムは今回のアリスの目的を三つと推定していた。
まず第一が、アシュリーとフィルの間にある魂の絆の解除。
第二に、フィルを容易に帰還できない遠い地に飛ばし、独占すること
そして第三が……アシュリー・ブラウニーの殺害
例え異国の地に飛ばしても、例えアリスだけがフィルの隣に立つことができても、アシュリーは絶対に主人を忘れないし、フィルもまた自らのそのスレイブの事を忘れない。
だからこそ、だからこそアリスはアシュリーを殺す必要があった。それも可及的速やかに
「違う……油断しただけ。私はまだ……負けてない」
「おかしいと思ったんですよ。小夜が襲撃を受けていないと言っていたから。一回、憑依を利用してこちら側にきてしまったら、もうあちら側には戻れない。私の予想では絶対に小夜は襲撃を受け、手紙を妨害されるはずでした。向こう側にフィルさんの存命を知られたら厄介でしょうからね」
でも襲撃は行われなかった。
アムが当初想定して居なかったアシュリー・ブラウニーが、その存在が、アリスの行動を妨げた。アシュリーを殺さずして、此方側に来るわけにはいかなかったから。
結局のところ、ツメが甘いとしか言えない。
頷きながら、それでもアムはアリスから視線を外さない。
でも、きっと駄目だった。アリスにはできなかった。どうしても、殺したい程に憎たらしいその相手を始末できなかった。
それはおそらく、感情論ではない。
感情論なんかで、この嫉妬は拭い去れるようなものではない。
「アリス、貴方はアシュリーへの強いコンプレックスを持っている。意味のない白銀の箒、フィルさんの二つ名を連想させるスキル『白銀の彗星』。そして着ていた白のエプロンドレス。そのどれを持っても……アシュリーへの醜い嫉妬を感じさせます」
アリスは、負けたのだ。完膚なきまでに。
アリス・ナイトウォーカーは強力なレイスだ。弱った状態で――長距離転移という神の御業に等しい力技を執行し、アシュリーと戦い敗北した、そんな衰弱した状態で複数の高位探求者と戦える程度には。その力の深さ、奈落に潜む闇はアムには理解できるものではない。
が、そんなのはアムには関係なかった。
アムにある意志は徹頭徹尾、たった一つだ。身体も心もまだ成長段階であるアムに取って保つことのできる研ぎ澄まされた意志はたった一つだけ。
「アリス、貴方は負けた。自分の支配世界だったはずの『夜』に挑んだにも関わらず。きっと、何度も、何百回も、何千回も殺された。そう……私が集めたメンバーを殺しきれなくなる程に」
アムが選んだ時は昼。ナイトウォーカーが最も力を失うはずの時間。
だが、グラエルグラベール王国とは大きな時差がある。深夜だったはずだ。
フィルのスレイブであるアリスが、襲撃にその時を選ばないわけがない。アムにははっきりと分かっていた。
「……違う……ご主人様のお友達だから……」
「あははははははは、まだ、まだそんな事を言うんですか? アリス。一番大切なフィルさんを裏切った貴方が……今更フィルさんの友達を殺めることを躊躇うわけがないじゃないですか! ましてや……全ての口を封じてしまえば、何もかも消してしまえば、フィルさんはきっとおそらく――気づかないというのに」
アムの剣幕、昂ぶりに魔力が反応し、ビリビリと空気が揺れる。
「きっと、貴方はこう思ったんでしょう。残りの命のストックでは……殺しきれないと。確かに貴方の生命操作のスキルは強力です。だけど、弱点もある。貴方にとって命のストックは……残機であると同時に攻撃の要だ。無茶な長距離転移にアシュリー・ブラウニーへのリベンジの失敗……ほぼ全てのストックを使ったんでしょうね……ろくな攻撃スキルも使えなくなるくらいに」
一万から減らしていけばいい?
その言葉を思い出し、アムは鼻で笑う。
明らかな虚偽だ。ストックがそんなに残っているわけがない。
それだけ残っていれば、アリスは憑依を解除した時あんなにダメージを受けていなかっただろう。
それだけ残っていれば、高威力のスキルを連発して一瞬でランド達を殺戮していただろう。
攻撃スキルにいくつのストックを消費するのか知らないが、一万の命というのは安いものではない。
アリスは受けに回るしかなかったのだ。
生来の種族として強力無比な防御を有するランド・グローリーに、強力無比なスキルを操り、竜のブレスすら防ぎきるというふざけた兵装を纏ったエトランジュ・セントラルドール。
この二人のSS級を相手に押し通すほどの力が残っていなかったから。自信がなかったから。
だからこそ言葉を使った。恐怖を呷った。肉体ではなく精神を折るために。
そういう意味で、アムは賭けに勝ったのだ。
S級相当という、フィルの言葉を『信じず』に万全の体制を敷いたおかげで。もしそうでなかったら一瞬で全滅していただろう。
そして、アリスはまったく僅かもその事実を反省していない。その事までアムは分かっていた。
アシュリーを殺そうとしたことも。ランド達を殺そうとしたことも。反省しているとすれば、それは失敗したという事実に対してだけだ。
それほどまでに悪性の名は――重い。
アリスは、その言葉に何も返せなかった。
同種族で気持ちがわかるといっても、その驚異的な勘、推論に遥か格上であるアリスを追い詰めるための執念は驚愕に値した。
たんたんと正答を教えるかのようにアムが続ける。
「アリス。貴方は泣いて縋りつくべきだった。フィルさんの同情を誘うべきだった。『置いていかないで』と。シィラを討伐し、L級探求者になって魔物使いを辞めて……スレイブを解放した後も側にいて欲しい、と。自身のプライドなんて全て捨て、アシュリー・ブラウニーへの――魂の契約で結ばれた嫉妬に焦がれる少女へのコンプレックスも全て忘れて。そうすればこんな事にはならなかったはずです」
例え――一度も契約を結べずにフィルが探求者を引退してしまったとしても。
例え――シィラの討伐が最後のチャンスだったとしても。
下手な作戦を立てるべきではなかった。そうすればもう少しいい物語で終わることができたはずだ。
でも、それができなかった。それが所詮アリスの限界点。悪性として生まれ悪性として死ぬ運命を義務付けられたレイスの終着点。
所詮アムやアリスにはスピリットのような人の善性を信じ尽くすような生き方は無理だ。
レイスは皆、徹頭徹尾自身の事しか考えていない。
アムの視線が刃のようにアリスに突き刺さる。
その視線をアリスが血の如く染まった瞳で睨み返す。
「それを出来なかった以上、貴方は所詮――自分勝手で悪性を信条とする呪われた悪性霊体種でしかない」
「そんな事、知ってる。でも、それがどうかした?」
故に、アリスもまた一歩も引かない。
自身の悪性を卑下しない。それこそが悪性であることを含めてスレイブとして契約してくれたマスターへの誠意。
ナイトウォーカーは悪だ。凶悪無比な力を自身の欲望のために行使する邪神だ。
「悪性? 自分勝手? そんなのはどうでもいい。レイスだろうが、スピリットだろうが、竜だろうが魔王だろうが、そんな些事に構っている暇はない。私は――ご主人様の側にいる」
それこそがアリスの本質。
その本質がある限り、アシュリーとの衝突は必然であり、事実、運命に導かれるように衝突した。
「前に立つものに容赦はしない。アシュリーだろうが夜月だろうがランドだろうがガルドだろうがセーラだろうが敵だろうが味方だろうが何もかも殺す。私の存在にかけて――記憶も身体も存在も魂も塵一つ残さない。アムーー」
アリスは初めて名前を読んだ。自らの前に、夜の女王の前に立ちふさがる愚かな、身の程を知らないナイトメアの名を。
血の眼が不気味な光を帯びて強く輝く。
時は丑の刻。
ナイトウォーカーの征する時間。
屋内だったとは言え、昼間だった数時間前と、今のアリスではまさに力の桁が違う。
憎たらしい太陽が下りビロードのような滑らかな闇が世界を包むその時間はアリスの世界だ。
椅子から立ち上がる。その僅かな挙動だけで、アムの力が飲み込まれる。
解放された恐怖のスキルが止めどなく溢れる。
それは、本来、効果の薄い同じレイスであるアムの動きでさえ縛るほどの深い闇。
「同種である貴方でも……それは同じ」
その気概、覚悟にアムは内心舌を巻いた。
ここまで追い詰められて尚立ち向かう闘志、精神の強靭さに狂人の妄執。
これが『魔物』として発生したというリドルの町民達には同情を感じざるを得ない。
だが、アムも負ける訳にはいかない。アムにも戦う理由が、覚悟がある。
そして勝算も。
アムは恐怖に引きつりかける表情を柔らかい微笑みで上書きし、言った。
「誰も、貴方と敵対するなんて言ってませんよ?」
「……何?」
想定外の言葉に、アリスの戦意が一瞬揺らぐ。
今まで散々こちらを貶める言葉を吐いてきて敵対する意志がない?
アリスの問いに、アムが笑顔で、はっきりと答えた。
「私は共闘しましょう、と言ってるんです。アリス・ナイトウォーカー」
「共……闘?」
「ええ、共闘です」
アムの表情に冗談を言っている色はない。
悍ましい笑顔でアムが続ける。
「アシュリー・ブラウニーは強敵です。私一人でも、アリス一人でも多分……敵わない。でも一人で敵わないなら……二人で挑めばいい」
「……貴方はアシュリーと会ったことがないはず」
そんなの、会ったことがなくてもわかるに決まってる。
友魔祭の映像さえ見れば、一目で理解できる。あれはアムの天敵だ。
「わかりますよ……友魔祭の映像さえ見れば」
あの笑顔。あの力。あの忠誠。そして何より、フィル・ガーデンに付き従ってきたという歴史はとてもアム一人では立ち向かえる類のそれではない。
アリスがそれを確かめるように問いかける。
「アレは化け物。ご主人様が初めて契約したスレイブにして、最高傑作の一つ」
「知ってます」
「精神も能力も覚悟も何もかもが種族の域を越えて桁が違う」
「こちらも同じくらい力を付ければいいんですよね?」
「ただのG級の家事妖精でご主人様をSSS級まで連れて行った異形の物語。しかも、友魔祭では一人だったけど、彼女は本来――一人じゃない」
「知ってます。群体型ですよね?」
全て予想がついていた事だ。決勝戦開始の直前に司会のノワールが説明したルール。フィルのスレイブはそれに抵触する可能性があった。だからフィルにだけ念押ししたのだ。
アムの頭は冴え渡っていた。今ならば何もかも解るような気すらしてくる。
その答えに、アリスが意外そうな顔をするが、すぐに問いを続ける。
「そう。アレは本来群れを作るタイプの幻想精霊種。ご主人様が契約しているスレイブはアシュリーだけだけど、アレの群れは完全にアレの意志で動く」
それはつまり、一体でL級の竜種を打倒し得る存在が群れを率いて対抗してくるという物語。それはただの物語などとは形容できない。神話とさえ呼べるだろう。
その内容に戦慄を感じながらも、アムの意志は陰ることはない。
元より、自分より遥かに上の相手。覚悟を決めていた少女の足を止めることはできない。
「アリス、貴方まさか怖いんですか?」
「……愚問。次は負けない」
そして、アリスの意志もまたそれに同じ。
いくら死を重ねようが、敗北しようが、夜の女王の辞書に諦観の文字はない。その存在が消滅するその最期の瞬間まで挑むのみ。
「だからこそ、アリス。提案します」
自身と同じレイスであるアムの言葉は、驚くほどしっくりとアリスの中に入ってきた。
花開くような笑顔でアムが言い切った。
「アシュリーを殺そうとしたこと、フィルさんの友達を殺そうとしたこと、全て黙っててあげます。だから、世界を半分こしましょう?」
右手を差し出してくるアム。
ゾクゾクするような感覚がその時確かにアリスの背骨を駆け上った。
悪性? 妄執? どの口がそんなことを言うのか。自分勝手なのはアムも何らアリスと変わらない。
このナイトメアは――とっくに狂っている。アリスと同様に。
刹那の瞬間に、アリスは決断した。
故に、手を結ぶ価値がある。
その勘の鋭さ、僅かな情報を見逃さず意識の隙を突く行動原理はアリスの持たない才覚だ。
血色の虹彩が元の眼の色に戻る。それはアリス・ナイトウォーカーに取って二度目の敗北だった。
一度意志さえ固めてしまえば、後は何の問題もない。
アリスはアムの右手をしっかりと握った。
「脅されてしまったら仕方ない。私の世界を少し分けてあげる」
「……半分ですよ?」
「冗談じゃない。半分もやれない。精々二割。これでも譲歩してる」
「二割!? じょ、冗談じゃないですよ? こっちだって半分こで譲歩してるんですから!」
アムの要求を鼻で笑った。今のアムの力でこれ以上を求めるなど片腹痛いにもほどがある。
アリスだって十分譲歩しているのだ。ムキになって諸手を上げるアムに諭すように言った。
「これ以上を求めるならば、少しは能力を上げること。能力次第では少しは譲ってあげてもいい」
夜の女王は小さく微笑んだ。




