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Tamer's Mythology  作者: 槻影
第一部:Tamer's Mythology

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43/121

第四十二話:ただ愛、故に

 極小規模な術式光が宙に輝き、アリスの手首が切れたように空間に飲み込まれる。

 次元の裂け目からその手がゆっくりとした動作で引き出された時、その手に握られていたのは、アリスの髪と同じ色に輝く、二メートル程度の長い箒だった。

 

 誰も動かなかった。その隙だらけのアリスの隙だらけの動作を前にしてさえ、指一本動かせない。

 身につけたエプロンドレスが赤黒い血に染まってさえ居なければ容姿端麗なメイドにしか見えなかっただろう。それくらい、アリスの肢体は華奢でとても戦えるようには見えない。


白の凶星(コルプス・ブルーム)……」


 リンが息を飲み、アムが予想通りの姿形に心中で頷く。


 その姿は、ただただ悍ましく、血塗られてさえ美しい。


 白夜はその姿に覚えがあった。

 白夜はサポート型のガイノイドである。その情報処理能力、情報蓄積能力は他の機械種と比較しても圧倒的に高かった。

 『私の試練(クエスト)

 アリスの言葉を口の中で復唱する。

 内部の記憶機構から知識を、情報を読み込み、計算する。

 材料は既にあった。例え境界線をまたいでいても、ギルドの情報は比較的共有されている。高位探求者の名前に特徴、発生した最上級の依頼の内容。


 ナイトウォーカー。生まれついてのSS級の能力を持つ希少な悪性霊体種。


 情報に押され、白夜が呟いた。


「……夜王の彩宴。フィル・ガーデンがSSS級になってから一番初めに受けた討伐依頼……そうですか、貴方が……」


電子圧縮(マイクロ・ポケット)!」


 瞬間、エティが唐突に打って出た。研ぎ澄まされた殺意に戦意。

 構えた幻想兵装を手放し、上級魔術並の魔力を込めて両手の平を地面につける。


 瞬間、アリスの身体が圧縮された。


 声一つ出す間すらなかった。

 機械魔術師クラスの単体攻撃スキルは一瞬で数メートル先に悠然と立っていたレイスの肉体を、魂質を圧縮し押しつぶし、生命の欠片も逃す事なく一枚の紙よりも平らに伸ばした。持ち主を失った箒が地面に虚しい音を立てて転がる。


 刹那の瞬間の出来事、戦闘跡には血の一滴すら残っていない。


 ランドが初めて見る機械魔術師のスキルに、頬を引きつらせながら、メカニックの少女を見る。


「や、やりすぎじゃないか?」


 仮にも知り合いのスレイブを弁明の余地なく殺すなんて……


 その言葉を、エティは完全に無視した。

 僅かな一瞬でSS級のレイスを殺戮したにも関わらず、険しい表情で呟く。

 勿論、エティも相手は選ぶ。本来ならば知り合いのスレイブを即殺するような事などしない。探求者の基本は自己責任。今の状態を見ればフィルも弁解はできないだろうが、それでもエティは殺さずに済ませられるなら殺さない派だった。


 並の相手ならば。


「確かな手応え。生命反応は完全に消えたのです……でも、この感覚……」


「えッ!?」


 言い終わるまもなく、薄っぺらく、何がなんだかわからなくなったアリスの残骸が強く発光した。

 巻き戻るかのように一枚に伸ばされたアリスの身体が立体を得る。


 その時間、僅か一秒。

 ガルドが愕然とした表情でそれを見た。


「ば、馬鹿な……あんな状態から……回復できるのか?」


「くすくすくすくす……」


 生命の理を超越した不死性。

 アリスは、笑っていた。たった今、一度叩き潰され生命を失ったにも関わらず、その笑みには死ぬ前と同じく陰りがなく、その魂質は全く何一つ変わっていない。


 ランドがその異様な光景に耐え切れず、地面を蹴って疾駆した。

 僅か一歩で数メートルの距離を詰め、アリスに迫り、1トンに迫る重量を持つ牙閃をまるで棒きれであるかのように振りぬいた。一迅の風が吹き抜け、床に僅かに残されていた金属の瓦礫が風圧に耐え切れず轟音を立てて吹き飛ぶ。

 その姿はまさに戦神の如く、その武勇は竜人に相応しい。アムはその一撃を眼で追うことすらできなかった。


 アリスの身体が――牙閃の剛撃になすすべもなく吹き飛ばされた上半身のなくなった下半身が再び光る。


 撒き散らされた血が、臓物が、巻き戻されるようにアリスの傷跡に集約する。

 ランドが舌打ちをする。三白眼がまるで悪夢でも見るかのようにアリスを貫く。

 強いのか、弱いのか。まだ相手は一度も攻撃をしかけてきていない。

 だが、それでもわかったことがあった。


「くすくすくすくす……」


 この相手は――得体が知れない


「これが……命のストックか……参ったな」


「何をぼやぼやしているのですか!」


 エティがランドの影から飛び出し、再び顕現した『電動ノコギリ』で、アリスを頭から真下に振りぬいた。

 機械種の特殊装甲を紙のように切り裂くそれが確かな切れ味を発揮し、左右二つに分割する。


「くすくすくすくす……」


「ったく……レイス退治なんて初めてだぜッ!」


 怖気を誘う笑い声を吹き飛ばすように咆哮し、ガルドが身の丈程ある戦斧を回転させ、アリスの胴を横に切り裂いた。

 血に濡れた防具ですらないエプロンドレスがその膂力からその身を守る役に立つわけがなく、アリスの身体は何の抵抗もなく横二つにちぎれ飛ぶ。


「くすくすくすくす……」


 それでも、アリスは笑っていた。

 上半身と下半身が別れても、左半身と右半身が別れても圧縮されても粉々にされても、それでも笑っていた。

 まるで子供の児戯を見るかのように、とてもおかしそうに。

 その様子が、攻撃を受けても戦意を見せないその様子が、逆にとてつもなく気味が悪い。じわじわと身体を蝕む『恐怖』のスキルが精神を削っていく。

 はぁはぁ、と荒い息を吐くガルドが、呆然とその少女を見る。


「な、何だこの化け物は……フィルのやつ、こんな化け物を――」


「夜王の彩宴……フィル・ガーデンがSSS級に上がって初めて達成した討伐依頼です」


 白夜がアリスを鋭い眼で睨みつける。

 背筋を舐めるような寒気が、魔力の満ちた空気が、精神を蝕んでいた。

 膨大な領域を持つ記憶機構が保持していた情報を吐き出し続ける。まるでその口調は毒でも吐いているかのようだった。


「四年程前に発生したL級討伐依頼……特殊討伐依頼『夜王の彩宴』。グラエルグラベール王国の街の一つ、リドルに発生した夜の女王の討伐依頼……僅か三日で街の総人口をほぼ全て喰らい尽くし、探求者の尽くを退け、一つの街を滅ぼした最凶の悪性霊体種(レイス)……アリス・ナイトウォーカー。……貴方、元『魔物』ですね?」


 その笑みは、自身の出自を聞かされ尚、治まる事はない。


「くすくすくすくす……何て懐かしい話をするの? ああ、もう、まるで、夢のよう!」


 アリスがうっとりと頬を染め、室内故に低い天を仰ぐ。


 出会いを。ご主人様との出会いを。幾千幾万の魂よりも遥かに価値のあるそれを思いおこし、アリスは頭上から降ってきた炎の弾丸に轢き潰され、燃やし尽くされる。

 満面の笑顔のまま。


「L級討伐……だと!?」


「ええ……彼女の反応、間違いないでしょう。アリス・ナイトウォーカーは特殊討伐指定を受けた『元』魔物です」


 伝説級とも呼ばれるL級クエストの情報は全ギルドに共有される。それは、討伐済みのものも含まれる。

 『夜王の彩宴』はここ近年で最も大きい被害を出した討伐依頼だった。そして、発生から僅か三日で解決された異例の依頼でもある。


「何でそんなものがスレイブに……」


「くすくすくすくす……」


 笑いが止まらない。そんなのは決まっている。

 悪性を信条にするレイスが、夜の女王が味方をする理由なんて、最弱の魔物使いのスレイブになる理由なんて、たった一つに決まっている。

 そんなこともわからないのか、とアリスは嘲笑した。




「ただ愛、故に」




 自分の全生命を掛けて尚足りない、満たされることのない恋を知らない未熟者達を。


 『エナジードレイン』


 最凶の女王を前に、隙を見せた愚かな探求者にスキルが撒き散らされた。


「これは……」


 アムが呆然と呟く。それはアムのよく知っている、使用もできる、レイスの基礎スキルだった。

 だがしかし、これは違う。

 アリスとアムの距離差は数メートル。だが、それだけの距離があっても『引っ張られる』その感覚に背筋にぞっとしない何かが駆け巡る。

 

 生命操作(ライフ・コントロール)を種族スキルとするアリスのエナジードレインの力は同種である他のレイスの比ではない。アムのそれとは違い、直接触れずとも根こそぎ広範囲から生命をかき集める事ができる。そうでなければ、数万の人口を擁するリドルを三日で平らげることなどできない。


 完全なる油断。敵意も悪意も戦意も殺意もなく、何の前触れもなく発動したスキル。

 生命の一部を切り取られる感覚に、エティがとっさに叫んだ。


「ぐっ……『閉鎖回路ネガティブ・フィールド』!!」


 アリスを中心とする空間を断絶し、エナジードレインの操作を遮断する。

 だが、刹那の瞬間にちぎり取られた命は戻らない。


 物理でもなく、魔術でもない。『その他』のスキル。

 主な討伐対象として、機械種を対象とした探求者であるエティにはレイスとの戦闘経験がほとんどなかった。そしてその備えも。単純なダメージ耐性に秀でた機神は竜のブレスは防げてもライフ・ドレインのスキルとは相性が悪い。


 自身のコンディションを一瞬で把握する。

 手が、足が震える。暗くなる意識を感情を高ぶらせて叱咤する。

 ライフドレインを受けたのは刹那の瞬間だ。時間にして一秒にも満たない僅かな時間。

 もし反射的にスキルを使用していなければ、ほんの数秒で命を奪いつくされていただろう。


「く……油断……したのです……」


「これが……L級討伐依頼……」


 ランドの足から力が抜け、膝をつく。

 基本的に魔術師より戦士の方が生命力が高い。

 高位の戦士職であるランドにはエティ程のダメージはない。が、急激に抜かれた命はその豪腕から力を奪っていた。

 アリスが吸い寄せられた生命エネルギー、透明な靄に手で触れる。


「くすくすくす……なんという密度の生命……」


 強者の命が、アリスをより強化する。


 相性が悪い。

 その絶望的な事実をランドが、エティが、ガルドが、直接に打って出た三人が、そのただの一撃で悟っていた。


 事実、エナジードレインは有機生命種に最も大きな効果を及ぼす種族スキルであり、同時にレイスがヴィータに絶対的な優位性があると言われる所以の一つだった。

 もし、エティやランドがヴィータではなくスピリットやテイルであったならば、直接触れているならばともかく、距離をおいた状態でのエナジードレインは無視していいレベルのダメージしか与えられなかっただろう。


 指先を真っ赤な舌でしゃぶるようにして舐め取り、アリスが嗤う。


「くすくすくす、何て脆弱な探求者……ご主人様のお友達。最終通告、今すぐに逃げ出すのならば、追わない。この生命を返してあげてもいい」


「まだ……諦めていないのか……これはこれで、哀れだな」


鬼神の灰火(レイズ・クライム)!」


 広谷が背後からアリスに迫る。リンのスキルが広谷の腕に消えない炎を灯す。

 接敵と同時に刀を抜く。侍のクラススキル、『抜刀術』のスキルが発動され、鞘の鳴る音がした。


 抜かれた刀には美しい灰色の炎が揺らめいていた。


 魔物使いの付与スキル

 『鬼神の灰火(レイズ・クライム)


 スレイブの武具に灰の炎を付与する付与スキル。攻撃力の上昇と、攻撃それ自体に消えない炎を載せる力があった。フィルが知りつつも使用できない中級の付与スキルである。

 アリスが唐突なそれに顔をしかめる。その左手の繊細な指に光が灯る。神速の斬撃をいとも容易く二本の指で受け止める。


 広谷の元々の探求者ランクはB、マスターが付いているとはいえ、広谷と呼ばれる鬼は探求者の中では上位に入っていても、この場のメンバーの中ではその実力は下から数えたほうが早かった。

 アリスのその仕草には先ほどの上級探求者との戦闘とは異なり明らかな余裕があり、だがしかしその表情には先ほどの笑みはない。

 下唇を噛み、目の前の子鬼ではなく遠くからサポートするリンに視線を向ける。


「魔物使い……ご主人様の弟子……いい腕。ご主人様に、貴方程の魔力があれば……」


「ッ……魔力なんてなくたって、フィルさんは天才よッ! 『夢幻の残影(パラレル・シャドー)』!」


 スキルの発動による急激な魔力の消費、負荷にリンの身体が僅かに揺れる。


 瞬間、しっかり受け止めたはずの刃がぶれた。

 アリスの反応が一瞬遅れた。刃を止めている指は確かに刃の感触を噛んだままだ。

 それなのに、アリスの高い動体視力は自分の首を狩るかのように迫る刃を捉えている。


 攻撃の数を増やすスキル。星の数程ある数多のスキルの中でも極めて珍しく、同時に強力なスキルである。

 アリスが刃を掴んだまま一歩後ろにずれ、右手で握った箒でそれを受け止めた。

 広谷の斬撃とアリスの箒が噛み合う。アリスは涼しい顔で全力のそれを押し返した。


「そう、上級の付与まで……使えるの。ご主人様は、初級すら、使えなかったのに」


「それでもフィルさんは……!」


 リンの慟哭に呼応するように、広谷の斬撃の速度が上がった。


 上段、下段、突き、袈裟、逆袈裟。

 侍のスキルは速度に特化している。だが、残像しか見えないそれを、女王は箒で軽々と受け流す。


 種族ランクの差。経験の差。両者を圧倒的に隔てるそれが、クラススキルでは抗えない程の溝を生み出していた。

 広谷にはマスターがついており、アリスにはいない。

 だが、それは今までも同じだった。なんたってアリスのマスターは付与スキルが使えなかったのだから。もっとも、使えていたとしても正式に契約を結んでいないアリスにはその付与は効果をもたらさなかっただろうが。


 その実力差は奇しくもフィルと國道と呼ばれる斬鬼の差に等しかった。


「マスターもスレイブもそれなり。でも、やはりご主人様には遠く及ばない」


 つまらなさそうに呟き、アリスが殺気の乗った斬撃を易易と跳ね上げ、箒を横薙ぎに振りかぶった。

 遠くで見ていたリンが慌てて命令を出そうとするが、体勢を崩した広谷にはそれに応えるだけの余裕はない。


 それは到底女王の全力ではなかったが、遥かに格下である広谷を叩き潰すのに十分な威力を秘めている。


 が、それが広谷に届く事はなかった。


「無茶しすぎなのですよ」


 アリスの真横から放たれた弾丸の嵐が、その華奢な肢体を軽々と吹き飛ばす。

 エティの傍ら、地面から生えた巨大な口径を持つ奇怪な機関銃が刹那の瞬間で膨大な弾丸を吐き出して続ける。広谷に集中していたアリスにそれを防ぐすべはない。

 またたく間に、頭が、腕が、胴体が、足が、形状すら残さず粉々になる。


「はぁはぁ、これで……五個ストックを減らしたのです」


 エティが機関銃にもたれ掛かるように肩で息をつく。先ほどよりも力は戻ったとはいえ、その動きは鈍い。

 リンが慌てて駆け寄ろうとするが、エティがそれを手で止めた。

 その目に戦意の戦意は欠片ほども衰えていないが、


「はぁはぁ……あのレイス……不死性を抜いてもそこそこ強いのです。さすが……元L級討伐対象。貴方のスレイブさんではまだ歯が立たないのですよ。下がってたほうがいいのです」


「で、でもそんなーー」


 吹き飛ばされたアリスが再び巻き戻るようにして姿形が戻る。

 くすくすと笑いながら、アリスが一歩エティに歩み寄った。


「この中では……私が一番強いのです。近接職のランドさんは相性が良くないのです。全距離の攻撃手段を持っている私が……最適」


「確かに機械魔術師のスキルは強い。でも、私とは相性が悪い」


 アリスが手の平を上に向ける。目も眩まんばかりの白いエネルギー球が複数、音もなく出現し、アリスの言葉と同時にエティに降り注いだ。


「『エヴァー・ブレッド』」


「『遮断壁(シェルター)』!」


 殺到した光の弾丸を、エティの前に出現した僅か数センチの透明な壁が遮った。

 光弾は速度こそ、早くはないが、その威力は甚大。障壁に小さな傷が入る。


 が、ただそれだけだ。攻性エネルギーの弾丸はシェルターに僅かな傷をつけるだけでそれを破るに至らず、消失する。

 お返しとばかりにエティが再び弾丸を見舞う。アリスが生命エネルギーを転換、光を纏い全身を強化するが、SSS級相当の威力を持つ弾丸には耐え切れず、その威力に数メートル吹き飛ばされ胴体に大穴が空いて倒れ伏す。


「はぁはぁはぁ……」


「くすくすくす、何という高威力。何という高範囲。私を一方的に殺せるなんて……さすが音に聞こえた機械魔術師(メカニック)のスキル……威力だけなら……SSS級」


 アリスが再び復活する。

 荒い息をするエティに比べ、アリスの顔は平素だ。その佇まいはここに現れた時と何も変わらない。

 「褒められてもまったく嬉しくないのです」と、強気な言葉を漏らしつつ、エティが心臓の音を落ち着けるべく全力を尽くす。状況は極めて悪かった。

 息も絶え絶えのエティにアリスが冷笑を投げかける。

 その表情には焦り一つ浮かんでいない。


「でも、後何回撃てるの? 十回? 百回? それとも千回くらい撃てるの?」


「……いくらでも、撃てるのです」


「高威力、広範囲、そして――高消費。貴方のスキルは燃費が悪い。そして――」


 再び、アリスが『エヴァー・バレット』を放つ。

 同じようにそれを、エティは『シェルター』で防いだ。先ほどと同じ光景。先ほどと同じ結果。


「はぁはぁ……無駄、なのです」


「無駄じゃない。貴方はスキルを……使いすぎる」


 アリスがくるりとその場で回転する。その隙を逃さず、弾丸が再びアリスを肉の塊にする。

 が、それもまた先ほどと同じ光景が繰り返されるのみ。

 ライフ・ストックによる驚異的な残機。仮初とは言え、死を克服したアリスにとっては一度の死など気にかけるほどのものでもない。

 大仰な動作でアリスが天を仰ぐ。


「『ライフドレイン』」


「ッ……『閉鎖回路ネガティブ・フィールド』!!」


 アリスのライフドレインをエティのスキルが遮る。


 僅かな隙の合った先ほどとは異なり、スキルの発現はほぼ同時。故に、ライフドレインは完全に防がれている。

 だが、防御に成功した側のエティの顔色は芳しくない。

 アリスのスキルは、機械魔術師のスキルをほぼ全て網羅したエティに取って防げないものでは決して無い。

 防ごうと思えばいくらでも防げるだろう。


 魔力の続く限りは。


 膨大な魔力を保有するエティにもいつか限界がくる。度重なるスキルの使用によって、その魔力は既に五割を切っていた。肉体が魔力の過消費によって悲鳴をあげる。それは突出した魔力と強力無比なスキルを持つエティが久しく経験していないものだった。


「はぁはぁ……スレイブを、連れてくればよかったのです……」


「ご主人様は、どんなにピンチになってもいいように、準備は欠かさなかった。それがSS級とSSS級の差。どんなに戦闘能力が高くても、所詮はSS級……」


「はああああああああああああああ!」


 エティの様子に、ランドが咆哮する。

 戦鎚が閃光を纏い衝撃がアリスを噛み砕く。


 『破砕(ブレイク・アウト)


 破砕者フラクチャーターのスキルであるそれは、アリスの身体を巻き込みミキサーのようにシェイクし、粉々にする。

 が、攻撃を終えた時には既にアリスは完全に復元していた。

 槌を振りきったランドにアリスが手を伸ばす。

 その腕を、横からガルドが断ち切った。


「どらぁッ!」


 腕が飛ぶ。復元する。

 返った斧がアリスの胴体を斜め下から斜め上に逆袈裟に切り裂く。復元する。

 伸ばされた手を槌が叩き潰す。復元する。


 そう、それは回復の域を超えた復元と呼べるものだった。

 回復魔法とは異なる道を経て顕現した一つの奇跡がアリスを一瞬でよみがえらせる。



「手応えはあるのに、まったく堪えないのがこんなにもきついとはな。そりゃL級討伐にもなるわけだ」


「絡繰なしでこれか……フィルは、こんな化け物を飼っていたのか。……まて、フィルのやつはどうやってこいつを討伐したんだ?」


 ガルドの何気ない言葉に、アリスの表情が変わった。

 平然としたものから、憤怒を湛えたものに。血の滴る眼光がガルドを睨みつける。

 ガルドが唐突に反転したその表情、その視線に刹那の瞬間身体がこわばる。

 躊躇いなく、初めて殺意に身を任せてアリスが歌った。


「『楽園の銀星(パラダイス・レイン)』」


 太陽の輝きのような、今までの比ではないエネルギーがアリスの全身から放たれた。

 無数の銀光がアリスから放射線を描いて舞い上がる。

 それはアリスが初めて使った正真正銘の殺意ある攻性スキル。


 そのエネルギー量に、朦朧とする意識を叱咤し、枯渇しかける魔力への恐怖を無視し、エティが迷わずスキルを行使した。


「はぁ、はぁ、はぁ、『光学管制斜壁インターセプター・シェルター』!」


 上級攻撃魔法を遥かに上回る、莫大な魔力の消費に、エティが真っ青な唇で、滝のように汗を流す。


 だが、確かにそのスキルは発現していた。

 地面から生えた無数の黒塗りの砲塔から金色の光が発射される。空間というキャンパスに描かれた光の線が、空から降り注ぐ銀の流星を尽く撃ち落とす。

 それは、上位のスキル同士の応酬だった。金と銀の光がぶつかり合い、空気中にきらきらと残滓を残す。


 音もなく二つの光が無数にぶつかり合う。

 応酬は『光学管制装甲インターセプター・シェルター』が優勢。本数もスキルの質も、アリスのスキルよりも遥かに上だ。

 しかし『光学管制装甲インターセプター・シェルター』は防御用のスキルであって攻撃用のスキルではない。

 なんとか防ぎきったが、次に続けるだけの余力がない。そして余力があったとしても、アリスにはライフ・ストックがある。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、ま、魔力が……」


「だ、大丈夫か!?」


 慌てて駆け寄るガルド。

 エティの顔色は蒼白で、目を見開いて虚ろに床を観ている。意識が薄れかけ、体温も低下していた。典型的な魔力の欠乏症状。

 大技を防ぎきった代償は高かった。

 範囲も、威力も、ただのエヴァー・バレットとは桁外れに違うそれを防ぐには、エティもそれなりのスキルを出す必要がある。

 常時なら鼻歌交じりで出せるそれも、スキルを連続で使用し続けた今のエティに取っては全力を振り絞ってようやく出せるレベルだ。


 スキルの応酬、高位ランク同士の戦闘に入り込めなかったアムが自分の想定とは違う事態の進行に、愕然とアリスを見た。


「馬鹿な……強すぎる。これで、朝ならSランク相当……? フィルさんはどうして――」


 アリスが地べたに這いつくばるエティを見下ろす。


「さぁ、わかった? ならば、さっさと……失せなさい。ご主人様のお友達を……殺すわけにはいかない」


「ま、だ……そんな……事を……」


 アリスは一辺倒にそう述べるのみ。

 これだけ攻撃を受けて、これだけ死んで、未だ平常時と何も変わらず。

 その言葉に、エティの目が初めて恐怖に歪んだ。

 何という異常な精神性、何という強固な意志だろうか。


 これが、L級の討伐依頼。


 久しく見なかった格上に対する脅威、ヴィータがレイスに感じる『気持ち悪さ』にエティの顔が青ざめる。


 ランドとガルドが、ぜえぇえと息をするエティを守るように立ちふさがる。


 つまらなさそうにアリスがそれを鼻で笑った。

 アリスには、はっきり分かっていた。これは強さの問題ではない。ただの相性の問題だ。ヴィータとレイスは相性が悪い。ただ、それだけのこと。

 そんなことは、世界最強の魔物使いが言うまでもなく、一つの常識だ。

 ずっとマスターからうだうだと聞かされ続けてきたアリスには、それが人数差で埋められる差などではないことが、痛い程わかっている。


「……まだ立ちふさがるの? 貴方達に勝ち目はないのに。有機生命種(ヴィータ)悪性霊体種(レイス)に適うわけがない。それは、世界の真理」


「アリス、一個だけ教えてあげよう」


「ッ……」


 ランドの眼が金色の光を灯す。蜃気楼さえ錯覚する燃えるような戦意にアリスのそれと匹敵するレベルの金色の魔力。

 世界有数の武人、戦闘民族として知られるS級有機生命種竜人(ドラゴニア)が、その全力を半身たる武器に込め、アリスを睥睨した。

 その剣幕に、アリスが極わずかだが、初めてたじろぐ。


竜人(ドラゴニア)に撤退はない。これは……世界の真理だよ」


 ランドが、戦鎚を振り上げた。

 アリスは、自分の予想とは異なるその展開を、これだけ力量差を魅せつけても尚立ち向かってくる探求者を、顔を僅かに顰めて見上げた。


「知ってる、ご主人様の友人に竜人(ドラゴニア)がいるから」


 アリスを金色の風がなぎ払う。至近距離からの一撃に、華奢な身体は何の抵抗も示さずに叩き潰される。

 再生と同時に再び振り下ろされた戦鎚が、クランの象徴たる武具が少女を吹き飛ばす。

 ランドの全身に血のような紅い亀裂が走り、金色の瞳の奥に真っ赤に輝く暴力的な感情が垣間見える。

 竜人が吠えた。


「何回だ。何回殺せばいい。何回殺し尽くせば、貴様は死ぬ!?」


「一万から引いていけばいい」


 平然と嘯くアリスを再び槌が叩き潰す。

 もはやランドの手には何の手応えもない。極度に肥大化した筋肉にとって、アリスの肢体は飴細工のように脆かった。

 まだ理性の残っている眼が、口が、天地に響き渡るような咆哮を発した。


「それを聞いて安心したぞ!? 貴様も……殺せば死ぬのだな!? 殺し尽くせばッ!!」


「私はただのレイス。殺せば死ぬ。ただ、私は少し命が多いだけ」


「はあああああああああああああああああああああああ!」


 ランドの一振りで、一つの命が消えていく。

 まるで嵐のような連撃。巨大な槌はまるで振り子のように空を舞いアリスを粉砕する。

 激情を、魂を、燃やすような猛撃に幾度と無く復元し、ようやくアリスは異なる表情を見せた。


 それは諦観。


 何かを諦めたような表情でアリスはため息をついた。その顔の横半分を牙閃がえぐる。

 ぱっくりと割れた口、血のように赤い口蓋の端に生えた小さな犬歯が囁いた。


「……残念。ご主人様の友達を殺したくはなかったのに」


 瞬間、アリスの身体が白く輝き、華奢な腕がランドの体幹に突き刺さった。

 生命エネルギーを操作、爆発させ、無理やり推進力を得たそれがランドの身体をいとも容易く工場の端まで吹き飛ばす。

 壁にランドが叩きつけられ、工場内に鈍い音を響き渡らせた。


「ランドッ!?」


「だ、大丈夫だ! 油断するなッ!」


「油断? 元L級を前に油断? 貴方達は私を舐めすぎてる」


 ガルドが気づいた時には、アリスの顔が懐の下からガルドを見つめていた。

 ガラスのような眼がまるで蟻でも見るかのようにガルドを観察している。

 とっさに戦斧を振るう。アリスの上半身が吹き飛ばされる。

 だが、同時に振り上げられたアリスの脚はそのままガルドの鳩尾に突き刺さった。


「ぐぶっ……」


 想定外の凄まじい重さのそれにガルドの巨体が浮き上がる。高い硬度を誇る金属で編まれた鎧がただの蹴りで大きく凹む。

 空中に投げ出された身体を、再生が完了したアリスが地面に叩き付けた。

 鎧に大きな亀裂が走り、重い衝撃がガルドの身を駆ける。


「最強の魔物使いの、スレイブを相手にして、油断? 貴方達、自殺志願者?」


 アリスの血のような真っ赤な眼が、視線が、ガルドを地面に縫い付ける。

 そのぞっとするような殺意にまみれた表情に、今までの弱者を見るかのような色はない。

 そこにいるのは鬼だった。街一つを滅ぼした伝説級、神話級の怪物。


 ランドがただの数秒で百メートルの距離を縮め、戦鎚を振り上げる。

 アリスがそれを箒で迎え撃つ。が、巨大な重量を保有する槌に華奢な箒が抵抗できるわけもなく武器が大きく弾かれた。

 衝撃を逃がすようにアリスが大きく一歩後退る。それでも逃がしきれず内蔵をズタズタにされたそれを生命操作で一瞬で完治する。


「大丈夫か!? ガルド!」


「はぁはぁ、ああ、大丈夫だ。こいつ、とうとう本性を出しやがったか。だが、攻撃力は大したことねーな」


 凄まじい膂力に半壊した鎧を脱ぎ捨て、ガルドが口を歪めて嗤う。その眼にあるのは獲物を狙う狼の色。

 確かに、ライフドレインは凄まじい能力だし、命のストックは驚異という他ない。

 だが、だがそれでも、拳を受けて解る事もある。

 破壊力自体は機械種には劣る。



 スキルにより強化されていたランドの身体にも大きな傷はない。

 アリスの鋭い犬歯が唇の端からちらりと垣間見える。


 エティが電動ノコギリを杖の代わりにしてふらふらと立ち上がった。魔力は空っぽに近いが、戦意だけはこの上なく高まっている。SS級のプライドがエティを立ち上がらせていた。

 だが、その身体には力がない。

 状況は悪い。自分たちは眠れる獅子を叩き起こしただけなのかもしれない。だが、探求者としてこの怪物をこのままにしておくわけには、会って数日とは言え、知り合いを連れて行かれるわけにはいかない。

 油断なくアリスに眼光を向けつつ、ランドが叫んだ。


「セーラ、エトランジュを回復してやってくれ」


 ガルドが口腔の中で低く唸る。

 二の腕の筋肉は隆起し、今にも爆発しそうな程に脈打っている。

 エティが域を荒らげつつも、二本の脚でしっかりと立ち上がり電動ノコギリを向ける。


 しかし、アリスは既にそちらを見ていなかった。

 アリスが観ているのは、一人の、今まで何もなしてはいなかった、この中のメンバーで最も脆弱だった、スピリットだった。

 眼が限界まで見開かれる。愕然とした表情。信じられないものでも見るかのようなそれは、本来醜いはずのそれは、人形のように美しいアリスが浮かべるそれは、怖気がするほど美しい。

 おののく声でアリスがつぶやく。


「……あ、なた……な、にを……」


 それは恐怖だった。今までアリスに相対していた探求者達がずっと浮かべていたそれと同じ。

 悪夢でも見たかのように、アリスが後退る。その意識はもはや欠片も敵対していたランドやエティに向けられていない。

 エティが予想外のその様子に呆然として、スピリットの方に視線を向けた。


「はぁはぁ、私だって……やるときはやるんだから……」


 アリスの纏う白銀の光に負けず劣らず強い白の燐光(ブレス・エフェクト)

 全身からそれを瞬かせながら、セーラが青ざめた、しかし、それでも強い視線でアリスを射抜く。

 アリスがその視線にまた一歩後ろに下がる。


 理解する。

 油断していたのは自分だった。もっとも警戒すべきは、レイスと相性がいいのは、紛れも無いスピリットだというのに。


 それは精神の質の違いだった。善性を信条とするスピリットと悪性を信条とするレイスの絶望的な差異。性能の差異ではなく、スピリットがレイスに圧倒的な優位性を持つ理由。


 セーラがよろめきながら立ち上がる。


 セーラは常に信じていた。人の善性を。強さを。

 常に冷静で凄惨だったアリスがいやいやと怯えた子供のように首を振り、また一歩後退る。ただでさえ白い肌、その表情は青ざめ、もはや死相にすら見える。


 その視線はセーラを見ていた。

 いや、正確に言えば、セーラが肩をかしているその人の顔を。


「ご主人……様……」


「ああ、久しぶりだね。『僕の』アリス」


 闇よりも深い黒の髪に同色の虹彩。

 線の細い相貌に、それと見合わぬ輝きに満ちた強い瞳。

 おぼつかない足元を隠し、感じている絶望を閉じ込め、そこに立つ姿は伝説に足を半歩踏み入れていた探求者にはとても見えないほど儚く、その強さは測るまでもなくここにいる誰よりも脆い。


 意味を成さない言葉をアリスが頻りにつぶやく。そこには先ほどまで全てを圧倒していたレイスの姿はなかった。ただ、歳相応に儚い少女の絶望だけがあった。


 フィル・ガーデン


 王国最強の探求者にして、最愛の主


「あ……あ…………な、ぜ、どうして……ここまで……きて……」


「何故? どうして? あははははははははは」


 フィルが陽気な笑い声を上げる。だが、その眼は全く笑っていない。

 ただの視線が、どんな外傷を受けても誹謗中傷を受けても堪えなかったアリスの精神をぎりぎりと削っていく。

 乾いた声は、絶望的な空気を散らすように建物内に反響する。


「アリスの計画はただの博打です」


 予想もしなかった展開に固まる三人を他所に、アムがため息をついた。

 そう、アムにははじめから分かっていた。この計画は元より、アムという『同類』が気づいた時点で破綻していた。

 どんなに強力な力を持っていても、死なないスキルを持っていても、既にアリスの敗北は必至。


 アリスの強さはアムにとっては想定外もいいところだったが、その執念もあと一歩及ばない。


 肩を貸すセーラをそっと離し、フィルが自分の足でしっかりと立つ。


「フィルさんが目を覚ませば全てが終わる。言ったでしょ?」


 王手ですって。



 アリスが自分より遥かに劣るアムに初めて恐怖を込めてその視線を向けた。 

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嘆きの亡霊は引退したい。

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