第三十四話:ただそれだけの話
魔物使いに取ってのスレイブは一言で言うのならば成長する刀であり、マスターは鍛冶師であり同時に剣士でもある。
僕達はスレイブという名の未熟な刃と契約を交わし、それらを打ち、研ぎ、時には痛めつけ、褒めて煽てて、鋭い切れ味を発揮する刃に育て上げ、それを振るってありとあらゆる敵を切り刻むのだ。
生産者でもあり同時に戦闘職でもあるマスターは故に常にその在り方を突き詰め続ける。生産と戦闘を行わなくてはならない、その負担は並の戦闘職と比べても大きい。
人は一度に複数の事をできない。
それならば僕は、久しぶりの休日は全て図書館に入り浸ると決めていた。
レイブンシティの図書館は王都のそれよりも遥かに小さかった。
大きさ的にはギルドと同じくらいだろうか。蔵書数はおよそ十五万冊。当然ながらそのほとんどがマキュリ言語で書かれていた。
蔵書数が少ないのは、情報媒体として直接知識をインストールすることができる機械種が人口の多くを占めている事もあるのだろう。別に全部読むわけではないので特に何の不満もなかった。
いやいや、さすがに全部読むとか無理だって。
「フィルさん、こちら、無機生命種と悪性霊体種関連の書籍になります。図鑑だけでよろしいんですよね?」
司書のリブさんがどさどさっとテーブルに数冊の分厚い書籍を積み上げる。
機械種関連が三冊、レイス関連が一冊だ。おまけにレイスの方は言語は別だがもう既に読んだことがあった。
司書さんに頼んでいる間に僕が探してきたものと合わせて、十冊の書が僕の目の前に積み上げられていた。
「はい、ありがとうございます。……やっぱり機械種に関する書籍が多いなあ。あ、レイスの方は……もう読んだ事あるからいいや。レイスの方片付けてもらえますか?」
「はい。承りました」
余った本を持って行ってもらう。リブさんは機械種だが、書籍の重要度をよく知っている、できる機械種だった。データだけ吸いだし、直接知識としてインストールすることができる機械種は概ね書籍の重要度というものを勘違いしている事が多いのだ。わざわざカウンターで本をめくっていただけでもどれだけリブさんが機械種としては異例かよく分かるだろう。
まぁ、僕が機械種だったら手っ取り早くインストールするけどね。
図書館の中は静かで人もほとんどいなかった。
丁寧に図鑑のページを捲った。
機械種は他の種とは異なり、進化の速度がずば抜けて高いので書籍はすぐに古くなる。人の作ったものならばともかく、機種保存プログラムによって自動的に生成されたものについてはそれを専門にしているメカニックでさえその仕様を把握仕切れていないだろう。
僕も王国にあった書籍である程度は勉強してはいるが、一ページ目に乗っていた機械種がまさしく見たこともない機械種だった。見ず知らずの知識にわくわくする。せっかく機械種の地に来たんだからお土産に一冊買っていこうかな。
夢中になって捲っていく。しっかりと眼の奥、意識の奥に焼き付ける。
図鑑は素晴らしい事にカラーだった。特徴、容姿、搭載スキルから詳細な設計図面まで載っている。その細やかさはとてもじゃないが王国の図鑑では叶わない。ああ、僕が機械魔術師だったら一体一体組み立てるのに。機械種の特性はある程度自由自在にチューンナップできる事だ。他の種族とは異なりクラスというものを得られないものの、ある特殊な操作を行うことで多種多様なスキルを付与することができる。ぼくのさいきょうのきかいしゅができるのだ。くっそ、僕にあと少し魔力と器用さがあったら……
残念ながら機械種の構築やスキル追加は機械魔術師のクラススキルが多大なる領域を占めているので手先の器用さだけではとてもじゃないが作れない。
特に魔物使いの僕では、人の作った機械種や、ある程度の親和性のある機械種しかスレイブにできない。この場合の親和性は言葉を交わせる程度の知性を指す。さすがにモデルアントとかあの辺は僕ではスレイブにはできないだろう。
だが、実際に手に入らないものこそ欲しくなるものだ。
指で絵をゆっくりとなぞる。
美しい図式にため息が出る。見ているページは重さ五千トン、全長二百メートルにも及ぶ大型の狼型機械種のページだった。勿論アムが倒したモデルウルフとは格が違う。
ブツブツ呟きながらスペックを脳のしわに刻み込んでいった。
「……はぁ。何て洗練された機能美。やっぱりサイズだよなぁ……広域型防衛機構アルフォスに高濃縮魔導エンジン……機動性と耐久でこのサイズ、このランクで両立させるなんて……この核の大きさでこのサイズの機体を動かすなんて、機獣アルメデは……天才か! オーバースペックにも程があるだろ……」
「でも、S803要塞獣のエルフィンは高いスペックの代わりにスキルスロットが少ないのです」
「いや、この機能でスキルスロットが三つもあれば十分過ぎるだろ。むしろ基礎スペックがこれだけ高いなら余計な機能なんて必要ないね。ただの蛇足だね。見てみなよこの精神の回転速度。機械種じゃないと真似できないよ?」
スペック一覧に記載された文章を指さしてみせる。馬力と速度、耐久性に自立知性。申し分がない。
僕は絶対に戦いたくないぞ!
でも実物見てみたい。是非見てみたい。
僕の言葉に、ちっこい女の子が眼を瞬かせた。アムよりも二、三年下か。脇から顔をつきだして僕の開いているページをじっと見つめる。
「……一理あるのです。ただ、拡張性がないとつまらないのです」
「わかってないなあ。ロマンが。制限あるスロットで何を追加すればいいのか考えるのが楽しいんじゃん。防衛専門にして移動要塞としての機能を高めるかあるいは攻撃性を高めて攻守隙のない構成にするべきか、あるいは補助型のスキルでも積んでみるか……まぁ人が乗るならオーバーエアーとアンチグラビティは必須だよね。ああ、でもスロットが勿体無い! そもそも人が乗るのを想定してないからなあ……」
「なら、制約を解除する法則解錠を載せればいいのです。スロットの節約になるのです」
法則解錠はありとあらゆる物理法則を外す最上級の機械種のスキルだ。皆が妄想するさいきょうのきかいしゅは皆持ってるスキルでもある。機械種にスキルを載せるには最低限の要求スペックを満たす必要があるので、当然ながら最上級のスキルを載せるにはそれに準じたスペックが要求された。
「いやいやいや、さすがに法則解錠はこの程度の固定領域じゃ載らないでしょ。後二つスキルを載せるなら三倍はほしいね」
後、法則解錠を載せるには超一級の腕を持つ機械魔術師の協力とアプリケーションを購入するための莫大な金銭が必要不可欠だ。ついでに場合によっては本体の一部を換装する必要すら出てくる。格が違うのだよ格が。
女の子が小さく首肯した。
「……確かにちょっと厳しいかもしれないですね。となるとGか空気抵抗かどちらかを我慢するという事に……」
「いやいや、無理でしょ。魔導エンジンの最高時速が千二百キロだよ? 片方でも抜いたら一瞬でばらばらになるわ」
「……ならば、乗るという前提を崩しますか? 元々、彼は騎乗用ではないのです。乗るのを諦めればスロットは三つ。攻撃、守備、補助でバランスの良い構成が可能になるのです」
「いや……乗りたい! まー僕がスキルを載せるとしたら重力抵抗、空気抵抗突破に乱数進化かな」
乱数進化は機械種に自己増築の機能を持たせるスキルである。これがない限り機械種は自らを改良できない。勿論経験値による存在核の成長は見込めるが。
「……自己進化にかけるですか? この基礎スペックならばあえてリスクを取る必要性もないのです。これだけサイズが大きいと進化速度も微々たるものなのです」
「いや、自己改造スキルは必須だね。自らの努力で成長できないなんて……可哀想じゃないか」
「……一理ないのです。そんなのは、つまらない感情論なのです」
僕の言葉に女の子が顔を顰めて腕を組む。
てか今気づいたけど、誰だよ。
見たことがない顔だ。碧髪碧眼の女の子。童顔で身長は145cm。体重不明。ただし、子供ではない。
メカニカル・ピグミー。機械仕掛けの小人だ。ちなみに身体が機械仕掛けでできているわけではなく、機械仕掛けをいじる事を得意とする小人である。
もう既に王都で一人友人がいるのであまり興味はない。
「私なら……そうですねーー」
僕の視線も気にせずに女の子が真剣な表情で呟く。
いや、だから誰だよお前。
「補助にエネルギー操作量増加、防御に広域装甲ですね」
「……高い基礎能力を強化するわけか……まぁフォーマルといえばフォーマルな構成だけど、悪くないかな。で、攻撃は?」
女の子は自信満々に断言した。
「攻撃は螺旋貫通ですね。でかい、強いときたら螺旋貫通で間違いないのです」
「……やるじゃん」
そのなかなか妙を付いたチョイスに、もういっそ誰とかどうでもよくなってきた。
誰? そう、強いていうならば彼女は……ソウル・ブラザーだ。種族が異なっていようが、性別が異なっていようが、初めて会っただろうが、そんなの関係ない。
いや、女の子だからソウル・シスターとでも言うべきか。まさかこんな遠い地で新たな妹ができるとは。
本来なら大いに歓迎すべきなのだが、今は時間が惜しい。
僕は無言で女の子と視線を交わし、続いて次のページを捲った。
「「……はぁ……」」
僕と同時に女の子がうっとりため息をつく。いつの間にか僕の隣の席に座っている。
凄く気になるが、気にしない事にする。僕は今日は……オフなんだ。オフということはつまり、ありとあらゆる時間を自分のためだけに使う権利がある。
「……やっぱり加速機構は必須だよなぁ……」
「浮遊か飛行がついていれば更にグッドですよねぇ……」
「まったくだね。……あ、これはカラーリングがいまいちだなあ。野生はこれだから……対電撃魔法用に絶縁塗料を塗ればあるいは……」
「あ、私塗りますですか? 何色がいいです?」
頭の中で色を変えてみる。
「んー……深い青かな。水棲型の機械種によくあるあの色。わかる? あの色がいいな」
「あ、いいですね。私もあの色は大好きです。もっと地棲型に増えればいいと思うんですが……」
「まぁカラーリングは最悪、色塗ればいいだけの話だからね」
「……一理あるのです」
至福の時だった。
僕は機械種が大好きだ。レイスもヴィータもスピリットもテイルもエレメンタルも大好きなんだが、機械種も大好きだ。
特に、分かり合える友と一緒に過ごすその時間、喜びはまたひとしおだった。癒やしの時間だった。
最近のストレスが溶けていくかのようだ。
あっという間に一冊目を読み終え、二冊目の図鑑を手に取った。
シリーズ物なので、第一巻とはまた異なる機械種が書かれているはずだ。
開こうとした瞬間、悪魔が僕の至福の時の終わりを告げに来た。
図書館の分厚い扉を開いて、静寂の空間をぶち壊す人影が一つ。
「こんな所にいたんですか!?」
「ん……あ、アム。おはよう」
ソウル・シスターが何事かと入ってきた人影に視線を向ける。
僕はアムを無視して図鑑を丁寧に開く。今、僕は、オフなんだ!
そんな気持ちも知らず、僕の元まで小走りでやってきてテーブルに手をついた。
「おはようじゃないですよ!」
「ん? どうかした?」
「どうかしたじゃないですよ! 今日は、買い物に付き合ってくれるって言ったじゃないですか! 朝起きたらもういないし……」
キーキーうるさい。
人がそれ程いないからいいものの、リブさんも迷惑そうな表情でこちらを見ている。
図鑑に視線を落としつつ応対する。
「いや、言ってないよ。休みだから好きにしろって言ったけど。買い物でも何でも行ってきたらいいよ」
「え? 私一人で、ですか!? フィルさん、私のマスターですよね!?」
「……今日はオフだから。あ、問題起こしたらちゃんと報告するんだよ?」
「マスターにオフとかあるんですか!? うわあ……こんなに沢山本積み上げて……まさか、これ全部読むつもりですか!? もう! こんなの読んで、ふぃーるーさーんー! こっち見てください!」
アムが図鑑を無理やり閉じる。
うざってえ。面倒臭え。まぁ、こういう煩わしさも魔物使いとしてはやむを得ない事なんだが。
だが、こういった事に慣れている僕と違って、一緒に平和に図鑑を見ていたソウル・シスターはこの乱入者を快く思わなかったようだ。
至福の時を邪魔されて機嫌を損ねたのか、まるで物でも見るかのような冷ややかで強烈な視線をアムに向ける。
精神的に脆いアムがその視線に一歩引いた。自分のスレイブとはいえ、酷く情けない。
「……貴方、誰なのですか?」
アムが負けじと言い返す。だが、オーラが全然違っていた。
「ふぃ、フィルさんのスレイブですよ! むしろそっちが誰なんですか!?」
あ、それ僕も知りたかった。
優先順位度的に低かったから放っておいたが、この子誰?
女の子が大きくため息をついて立ち上がった。
「スレイブがマスターの邪魔をするなんて……スレイブの風上にも置けないのです。お兄さん、どういう教育してるですか?」
「面目ない」
いや、本当に。
まだ初期なので教育はこれからやっていかなくちゃならないのだ。主に公共機関で騒がないように、とか。
是非もなく謝罪する僕に、アムが慌てた。
「ちょ……フィルさん!?」
「図書館で騒いではいけないなんて常識もわからないなんて……本当に駄目なスレイブなのです。私がお兄さんの代わりに教育してあげるのです」
女の子が指をアムに突きつけて決めポーズを取る。格好いい……と言うよりは可愛い。
ピグミーか。機械種もいいけど、ピグミーもいいね。
「フィルさん、フィルさん。この子、誰なんですか!?」
「いや、知らないけど」
「知らない!?」
アムが呆然と僕を見る。失礼なことを考えている顔だ。
どうでもいいと思いながら補足する。
「誰かっていうのは知らないけど強いていうなら……ソウル・シスターかな」
「ソウル・シスター!? ソウル・シスターって何ですか?」
パラパラと図鑑をめくり、先ほど強制的に閉じさせられた所を開いた。
ああ。大型もいいけど……中型も悪くないね。やっぱり人型だけだと趣がないよなあ。もっとこうたまにはメカメカしたのも体験したいものだ。
「ソウル・シスター……そう、一緒に図鑑を見た仲なのです! 趣味もばっちり合ってるのです!」
「フィルさん? 何かこの子変ですよ?」
「機械魔術師って凄い変態か凄いまともかのどっちかしか居ないんだよね。経験から言わせてもらうと」
ちなみに言うまでもないけどソウル・シスターは変態の方だね。
てか僕から言わせてもらうと、割とどうでもいい。うん、別にいいと思うよ?
女の子はさして気にした様子もなく、アムに向かって両腕を後ろに構えた。
「……褒め言葉として受け取っておくのです、ソウル・ブラザー! さぁ、教育してやるのです、スレイブさん。剣を、抜くといいのです」
「……こんなこと言ってますけど?」
さすがのアムも自分よりもちっこい女の子の言葉に、毒気を抜かれたようだ。
油断しないほうがいいと思うけどね。
なんたって機械魔術師のクラスはーーありとあらゆるクラスの中でも最難関の取得難易度を誇るクラスなのだから。ついでにその性能も難易度に比例してずば抜けている。折り紙つきだ。
まぁでも、一度くらい機械魔術師との戦いを経験してみるのも悪くないだろう。
その前に念のため自己紹介をしておく。誰のため? アムのためだ。
確かに今僕はオフだが、人としての品性を損ねるような真似はよくない。
「ソウル・シスター。悪いんだけど、まずは名前を教えてくれるかい? あ、遅くなってしまったけど、僕の名前はフィル・ガーデン。元SSS級の探求者で魔物使いだ。今はカードを無くしてしまってA級だけどね。好きな機械種はテスラ社製の守護人形シリーズだよ。フィルって呼んでよ」
「むむ、ソウル・ブラザーに頼まれてしまったら自己紹介するしかないのです。私の名前はエトランジュ・セントラルドール。クラスは機械魔術師で、一応SS級の探求者をやっているのです。好きな機械種は巨兵型なのです。フィルは親愛を込めてエティって呼んでいいのですよ?」
「え……!? SS級の探求者? こんな子供が!?」
アムが目を見開く。
見た目だけで判断すると痛い目に合うのが何故分からないのか。
探求者は才能が全てなので、年齢が低いからと言ってランクが低いとは限らない。
むしろ、若くてランクが高い奴程危ない。
若いということは単純な話、ランクを上げるまで時間がかからなかったということだ。常人が三十年掛けて貯めたギルドポイントをたった一ヶ月で貯める技量を持っているということだ。それがどれだけずば抜けたことなのか、ベテランの探求者ならば心底わかっているはずだ。
ピグミー種は年をとっても見た目に現れないから、エティの場合は見た目通りの年齢ではないだろうけど。
「子供……? やれやれ、私はこう見えても成人しているのです。そんなに私にお仕置きされたいのですか? 弱いもの虐めは嫌いなのですが……」
「……弱い? フィルさん、フィルさん、この子すっごい生意気ですよ! こんなに小さいのに!」
……アムは馬鹿だなあ。SS級だって言ってるだろ。SS級の探求者から比べたら今のアムなんて石ころみたいなものだ。
そもそも僕からしたらアムも十分小さいよ。
エティが微かに顔をしかめる。ピグミーに小さいという言葉は禁句だ。僕ならどんなに酔っ払っても言わない。
それでもエティは耐えた。
ソウル・ブラザーという呼び方を気に入ったのか、僕の肩をちょいちょい叩いて言う。
「ソウル・ブラザー。このスレイブ、すっごい失礼なのです……。本当にどういう教育をしてるですか?」
「面目ない」
能力だけならともかく、品性を持たせるのには時間がかかる。
何が気に食わないのか、アムがむっとした表情で腰から刃渡り二十センチ程のサバイバルナイフを抜いた。
滑らかな動き。その動作は堂に入っていて、探求者としてのそれなりの実力を感じさせる。そう、誤解してもらいたくないが、アムは決して弱くはない。いい線いくと思うよ。もうちょっと分別さえ付ければ。
「……フィルさんを馬鹿にするなんて……いいでしょう。ほら、剣を抜きましたよ? どうするんですか? エティ?」
「……スレイブさんにエティと呼ぶことを許可した覚えはないのです。そもそも、私はソウル・ブラザーを馬鹿にした覚えもないのです。スレイブさん、そんな小さなナイフで何をするつもりなんですか? 馬鹿なのですか? 機械魔術師をなめているのですか? SS級探求者をなめているのですか?」
「小さい? ふん、SS級なんて大したことないでしょ。フィルさんなんて元SSS級なんですよ? エティなんて、このナイフで十分です」
「……例えソウル・ブラザーがSSS級探求者だったとしても、それは貴方の評価ではないのです。そもそも、私にはスレイブさんがマスターをSSS級まで上げられる程のスレイブには見えないのです。……はぁ、仕方ない。まぁ、ちょっとだけ遊んであげるのです。……ソウル・ブラザーも別に気にしてないみたいだし……」
「僕は今日はオフなんだ」
二人を無視して図鑑を捲る。
緻密な図面に感嘆のため息をついた。
エティがそれを羨ましそうに一目だけ見て、すぐにアムの方に向き直った。アムはいらいらしたようにエティを見ているが、そこには明らかに油断があった。これだから種族ランクの高い奴は。
エティが周囲を配慮した小さな声で宣言する。
「……いくら無礼者でも、ソウル・ブラザーのスレイブさんを怪我させるわけにはいかないのです……、手加減してあげるのです。『スパナ』」
呟いた瞬間、極光が瞬いた。
エティの手の中に銀色の術式光が集中し、一本の金属片を顕現させる。
長さ一メートルと半。太さ十センチ程度の巨大なスパナだ。
初めて見るのか、アムが小さく息を飲んだ。
「な、何ですか、それ……」
「……やれやれ、スレイブさんは本当に馬鹿なのです。敵に自分のスキルの正体を教える訳がないのです」
ごもっともな話だ。
エティが、顕現したスパナで威嚇するように自らのトントンと肩を叩く。
その銀の輝き、周囲にちらつく魔力の燐光は幻想的で、剣でもないただの一本の金属の棒であるにも関わらず息を呑むほど美しい。
侍のクラスは刀を振るっても、具現化することなどできないが、機械魔術師のクラスはそれを可能にする。
『幻想兵装』のスキル。
難易度はこの世に星の数程あるスキルの中でも最上位。単純なクラススキルであるにも関わらず、知れ渡っていないそれは機械魔術師のクラスの取得が如何に難しいかを物語っていた。
そのスキルの詳細は知らずとも、そのスパナが放つ輝きに自分が何に喧嘩を売ったのか気づいたのか、アムが一筋の冷や汗を流した。先ほどのでかい態度が嘘のようだ。
頼りなげにナイフを握り直す。いや、無理だってそんなんじゃ。
エティはその様子を見て、その視線が気の毒なものを見る視線になる。
「……どうしたのですか? がたがた震えていますですよ?」
「ふふ、震えてなんて、無いでしゅよ!」
派手に噛んだ。
エティの視線の温度が更に下がる。手慰みに自分の顕現したスパナをいじりながら、
「……何か、こんな素人にスキルまで使ってしまった自分が恥ずかしくなってきたのです。ほら、泣かなくていいのです。ハンデをあげるのですよ」
エティがスパナを消した。機械魔術師のスキルは全てが全て莫大な魔力を消費する。
スパナを出して消しただけで莫大な魔力を使っているはずだが、エティは息一つ乱していない。
完全に舐められていた。いや、悪いのは完全にアムだ。
アムのやつ……自分の評価と引き換えに相手の同情を誘うなんてなんて恐ろしいスキルを……
しかも、その動作が、行動が逆に不気味だったのか、アムは怯えたように一歩後退った。その姿は怯えたハムスターみたいだった。
その光景をメカニカル・ピグミーの少女が呆然と見る。
「……まさか、まだハンデが足りないのですか? 無謀と勇気を履き違えるのも厄介ですが、これはこれで情けなくて涙が出てくるのです……」
「……くっ……言わせておけば……私だってやる時はやるんですよ! 悪夢の福音」
さすがにそこまで言われて黙っていられなかったのか、アムがスキルを使う。
良かった。さすがにここで黙ってたら僕としても救いようがなかったよ。
一瞬魔力が膨れ上がり、アムの身体を悪夢の霧が覆った。が、その密度は比べるまでもなく、いつもより明らかに希薄だった。
だが、エティはそれを初めて見るのか、感心したように声を漏らす。
「珍しいスキルなのです。強化率もなかなかなのです。あ、さてはこのスレイブさん、ソウル・ブラザーのコレクターアイテムなのですね? あまり強くはなさそうですが……」
「くっ……後悔しますよ?」
「御託はいいから掛かってくるのです。あ、大丈夫です。スパナはハンデとして使わないので」
「……っ!!」
アムの殺意が膨れ上がり、同時に金属質の床が陥没した。
脚が地を強く蹴り、本来程ではないものの凄まじいスピードでエティに肉薄する。
図書館で騒ぐなよ。
だが、エティは平然と目の前に迫るその影を捉えていた。
「やれやれなのです。まぁ、その勇気に免じて少し遊んであげるのです。『遮断壁』」
「は!?」
アムのナイフが、エティの前に出現した薄い透明な壁に衝突した。
固いもの同士がぶつかり合う音。
凄まじい力を込められたそれは、透明な壁を毛ほども傷つける事なく、戦闘用ではないとは言え、実用本位でそれなりの強度があるナイフの方がぶち折れる。厚さ一センチにも満たないのに、その壁は信じられないくらいに硬い。
アムが唖然として砕け散ったナイフを見る。
エティが容赦なく、その場で立ち尽くすアムに次のスキルを使った。
「ソウル・ブラザーは深い青が好きらしいのです。特別に私が色を塗ってあげるのです。『塗装』」
「きゃ!?」
エティの指から深い青の光が放たれた。
アムがそれをまともに受け、情けない悲鳴を上げる。光があたった箇所から広がった色の侵食は、アムの全身を一瞬で深い青に染めた。
別に自分のスレイブを青く染める程好きじゃねーよ。てかこれ、後で落ちるよね?
自身の手の平をまるで夢でも見るかのように確認したアムが、エティを親の仇でも見るかのような眼で睨みつけた。
完全にキレていた。恐怖のスキルが制御を失い、昏い悪寒が空間に広がった。
精神に呼応して自身の身体を強化する祝福がより強大なものと化す。
アムが幽鬼のような挙動で一歩前に出た。
エティが大きくため息を着く。
「自分のスキルさえ制御できないなんて……本当に情けないスレイブなのです。ソウル・ブラザー、どういう教育しているのですか?」
「……」
僕は何も答えなかった。無言という僕の答えに、エティが目を丸くしてこちらを見る。
さすがの僕でもここまで僕の可愛いアムを馬鹿にされたら黙ってはいられない。オフじゃなかったらね。
エティが初めて声を揺らした。
「いや、フィル。別に私は、スレイブさんを馬鹿にしているわけではないのですよ。でもこれは余りにもーー」
「覚悟ッ!」
アムが空気を読まずに咆哮して掴みかかった。
エティはそちらの方を振り向きすらしない。ただ、いらいらしたように一言呟いただけだ。
だがその一言には、並の魔術師では扱えないレベルの魔力が込められていた。
「……うるさいのです。相手をしている暇はないのですよ。……『停止睡眠』」
「にゃ……」
アムの身体から一瞬で力が抜け、崩れ落ちる。
エティがご丁寧にその崩れ落ちる身体を受け止めた。意識を奪われ、祝福も解けたアムの身体をテーブルに横たえる。その間もその視線は僕に向いたままだ。
不安げな瞳で、謝罪の言葉を口にした。
「あの……フィル。私が悪かったのです。ちょっと言い過ぎたのです」
「……いや、完全に悪いのは僕のスレイブだよ」
「許してくれるのです……?」
「ああ。……まぁ、怪我もしてないみたいだしね。アムにもいい経験になっただろ」
教訓。上位の探求者に対して喧嘩を売るのはやめましょう。
見た目に惑わされてはいけません。てか、油断しすぎ。
まぁ、いい経験にはなったはずだ。なんたって上位の探求者に稽古をつけてもらう機会なんてそうそうない。
アムには絶対的に上位者との戦闘経験が足りなかった。だからいざという時にへまをする。
緊張感。危機感。それがこれで少しは感じてくれればいいのだが……
……オフだから止めるのが面倒だったとかじゃないよ?
「怪我……スパナ使わなくて本当によかったのです……」
エティがほっとしたように呟いた。
だが、アムのへっぽこ具合にも驚いたが、最も驚愕すべきはこの少女。エトランジュ・セントラルドールという探求者の実力だろう。
なんという膨大な魔力。なんという練達な技術。なんという研磨された精神。
強力なスキルを三つ使っても息一つ乱さず、
高速で動く対象に平然とスキルを当て、
種族的な相性が最悪であるレイスに襲われても眉一つ動かさない。
その佇まいは、まさに一流の探求者に相応しい。
「……でも、エティみたいな探求者がこの街にいるなんて聞いてなかったよ」
上位階級の探求者の名前、特徴は全て調査済みだったはずだ。が、その中にエトランジュ・セントラルドールの名前はない。
勿論、まだ来て一週間しか経っていないので調査が漏れた可能性はあるが……
エティが事も無げに答える。
「それは仕方ないのです。私は昨日この街に来たばかりなのですよ」
「へぇ? 僕に会いに?」
「……そんなわけがないのです。フィルと私は初対面なのですよ? あれ? 初対面ですよね?」
「……ああ、そうだね」
そう、初対面だ。僕は一度会った人の姿、名前は忘れない。エティの姿形、強烈な個性、忘れるわけがない。
エティのその言葉には、何も不審な点はなかった。
そもそも、先ほど見たスキルの冴えを見ればはっきりわかる。エティが本気になれば僕とアムなんて二人セットで一瞬でひき肉だ。
そう、ただ縁があっただけだ。ちょっと都合がいいくらいに。
偶然図書館に来た丁度その時に運良く女の子に会って、それが偶然、この街で二人しかいないSS級探求者と同じランクの高位の探求者だった。ただそれだけの話。
宝くじに当たったようなもんだ。何も不思議な点などない。
エティが眼を細めて何かを言いたげに僕を見ている。
その華奢な身体は抱きしめたいくらいに愛らしく、とてもじゃないが凄腕の探求者には見えない。
「あの……フィル……」
「ん? 何か?」
「……それ……見ないのですか?」
エティが開きっぱなしになっている図鑑を指さした。周囲がうるさかったので、ついついそちらに気を取られて手を止めてしまったのだ。
せっかく読んでいたのに、もうそんな気分でもない。
言いづらそうにエティが一瞬口ごもった。やがて、決心したように再び口を開く。
「……私、機械種の図鑑を見るために来たのですよ。そしたら、図鑑全部独占して読んでいるソウル・ブラザーがいたので、つい……」
「……つい?」
「……ソウル・ブラザーが悪いんですよ。だらし無い笑顔浮かべながらぶつぶつ独り言つぶやいてるし……」
信じられない事をエティは言った。
だらしない笑顔?
独り言?
いやいやいやいや。そんな事、してないから。明らかに不審者じゃないか。
「いや、僕はそんなことーー」
「それ見て、思ったのですよ。あ、この人……私と同類だって。力とか魔力とか種族とかそういうのじゃなくて、生粋のマキーナ・マニアだって」
エティが照れるように笑う。
恐るべき観察眼に、悔しいが、僕はもう喝采する他ない。これが機械種うごめく土地の機械魔術師の実力なのか!?
僕は歯を食いしばりながら、無言で隣の席の椅子を引いた。
今日は……そう、今日はオフだから!
エティの顔がぱぁっと綻び、軽快な動作で椅子に腰を降ろす。
く、アム。ごめん。僕は……スレイブよりも己の快楽を選んでしまった僕は、魔物使い失格だ。
ああああああああああああ。
髪をかきあげ苦悩する僕に、エティが図鑑を指差す。
「フィル、私まだここまで見てないのです。戻ってもいいのですか?」
「……構わないよ」
スレイブを裏切ったストレスで胃がきりきり痛む。
エティが丁寧に図鑑を捲る。
三ページまで戻って、一番初めの機械種を見た瞬間声をあげた。
S977巨機兵エルノード。高ランクの機械種によく見る全長百メートルの巨大な機兵だ。強さも大きさに相応しいくらいに高く、当たり前の話だがこの間戦った警備機兵などとは文字通り格が違う。機械種の魔物の数が少ない王国近辺ではまず見ないタイプの機械種だった。
「あっ、私この子持ってるのです」
「え? 持ってる?」
その言葉に、胃の痛みがすーっと抜けていく。
懐かしむようにエティがその図面を指でなぞった。
「私が機械魔術師になって最初に構築した機械種なのです。一メートル三十二センチの存在核に黒宝鋼で装甲を構築、演算機構もメモリも動力もスキルも全部手作りしたのですよ。懐かしいなぁ……今は小型化に挑戦してるのですよ。自信作なのです。見てみたいです?」
「見たい」
「私の宝物ですが、今度特別に見せてあげるのです。でも、今はこれの続きをーー」
僕は数秒しか迷わなかった。
「……一理あるのです」
ごめん、アム。僕、頭がよくて器用で強い子が好きなんだ……
いや、違う。ほら、今日はそう……オフだからさ。




