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Tamer's Mythology  作者: 槻影
第一部:Tamer's Mythology

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33/121

第三十二話:まず第一に与えないといけないんだよ

「? 何か今日は不機嫌だな? 疲れてる?」


「……ちょっとスピリットと追いかけっこしてたので」


 何をしていたのか、夕食後に戻ってきたアムが疲れた表情で答える。

 事情は聞いてほしくなさそうだ。その暗くない雰囲気からして、トラブルではないだろう。つっこんだ事を聞くのはやめにした。

 プライベートは守ったほうがいい。

 何でもかんでも口を出しても、それもまたアムのストレスになるからだ。

 思ったよりもアムの精神状態はいい。これならば特に手を加える必要もないだろう。

 椅子の上で行儀よく座っているアムをじっと眺める。


 依頼は失敗したが、明日は予定通り一日休みにする予定だ。それはもうアムにも告げている。

 そもそも、僕の体力もまだ十全に戻っていない。

 だが……そうだな。もう一週間たつわけだし、そろそろ本格的に一度データを調べておくべきかな。


 不機嫌そうなアムの脇に手を差し込み、持ち上げてみた。

 ふむ……


「ななな、何ですか? いきなり」


 急に触れられて暴れるアムを降ろす。


「体重が増えたね」


「え!?」


 さらさらと値を書に書き込む。

 霊体種であるレイスやスピリットは種類によって体重に大きな差異が出る。筋肉が重いのと同じように、基本的にランクが高く、高密度の魂質を持つレイスほど重い。

 既存のナイトメアをそこまで深く掘り下げた資料は現状市井には流れていないようなので平均値はわからないが、アムの体重は初日に抱きしめた時には約25kg、現在は約28kgまで増えている。

 一人ぼっちだったとは言え、ちゃんと食事はとっていたはずなのでこの増加分は決してそれまで欠食児童だったからとかそんな理由ではないだろう。


「アム、身長伸びた?」


「え?」


 アムがぽかんとこちらを見る。

 僕の観察眼は確かだ。一週間前までは身長も155cmだったのが、一センチ程伸びている。ヴィータの人間は朝と夜で身長が変わるとか言われているがレイスやスピリットにはそんな傾向はないから、確かに伸びているのだろう。

 レイスの成長期は人とは異なり一桁台から十歳までの間に主に発生すると言われているから、成長期というわけでもないはずだ。


 一センチ伸びて三キロ増えたということはレイスの魂密度から考えるとーー


「ちょっと早すぎるな……処方量を落とすか……」


 あまりにも早い成長は本人に痛みを与える。成長するのは結構だが不自然な成長の代償は後から払うことになる。

 日々の食事に仕込む量を減らすべきだろう。マジナリウムを一錠、ナリウム、アンチミンを半錠減らして様子を見よう。

 く、平均値さえわかればもっと綿密な判断を下せるのに……


 だが無理だ。この街にはナイトメアはアムしかいない。

 ヴィータは基本的に家族郎党皆同種だが、レイスの場合は発生形式から考えるとそれは決しておかしなことではなかった。 


「え? なんですか?」


「もう一週間だからね。そろそろデータリングやらないとね」


「データリング?」


「ああ。魔物使いが自身のスレイブのデータを取る事をそう呼ぶんだよ」


「なるほど……データ、ですか」


 複雑そうな表情でアムがつぶやいた。


 勿論、アムが気づいていないだけで僕はずっとアムのデータを取り続けていた。

 身長、体重、魂質、精神の変動率、薬物に対する耐性、腕の長さに脚の長さ、剣の振り方から戦時の足運び、味の嗜好に至るまで。日々の薬剤の投与量も決まっているし、信頼の上限も魔物使い特有の方程式で日々測っている。その場で書を取り出して書き込んだりはしていないが、毎日欠かさず記録を取っていたので僕のアム観察ノートはもう三分の一が埋まっていた。

 だが、気づかれずにやるのには限界があるし、そもそもの話、気付かれずに観察されていたというのは気分の良い物ではないだろう。

 気分の良いものではない。信頼に影響が出かねない。別に僕だって意図して隠れてデータを取っていたわけではなく、ただ単純にまとまった時間を取れなかっただけだ。

 前髪を触れる。一瞬肌に触れ、「んっ」とアムがくすぐったそうな声をあげた。


「髪も伸びたね……今度切ってあげるよ」


「え? 本当ですか?」


 アムが嬉しそうな声を上げる。触れ合えること、それ自体が嬉しいのだろう。

 何をやられても、何を言われても嬉しそうにするアムはマスターにとってはやりやすい一方、若干物足りない子だった。こんなの、契約さえ出来てしまえば素人の魔物使いでも扱えるよ。

 身長、体重の周囲、手足の長さ、髪の伸びる長さから眼の色の変化に至るまで、丁寧に書き込んでいく。勿論わかりやすいようにアムの全身図も手書きではあるが記載してある。

 白黒ではあるが、なかなかのものだと自画自賛する。以前アリの図を書いた際にアムに褒められた事があったが、絵を書くことには自信があるのだ。


「スレイブの身だしなみはマスターの品位に関わるからね……さて、次は--」


 とか何とか言いながら、続けて棚から鍵付きの箱を取り出した。


 透過で逃げられないように、まとめておいた薄手の手袋をはめる。

 鍵を開けて箱の蓋を開けると、整然と並べられた検査用の容器を取り出していく。

 アムは興味深げにそれを見ていたが、注射器を取り出した瞬間短い悲鳴を上げた。


「なな、何ですか、それ……な、何するつもりですか!?」


「密度を測らないといけないからね」


 がしっと逃げようとしたアムの腕を掴む。

 真っ青な顔でアムがぶんぶん首を横に振る。

 常々不思議に思っているのだが、アムも前のスレイブのアリスも皆、剣で斬られようが炎で焼かれようが何しようが平然とした顔をしているのに……注射だけは嫌がるのだ。僕は斬られる方が嫌なんだが。


「ちょ……薬はともかくそれは--」


「大丈夫、ちょっとちくっとするだけだから」


「いや、ちょ……やめ……」


 暴れるアムの手を無理やり引き寄せる。

 透過で逃げようとしても無駄だ。注射器もレイス用なのだから、透過対策は完璧だった。

 だが、あまり暴れると手元が狂う可能性があった。


「アム、『大人しくするんだ』」


「あ……」


 命令の効果でアムの身体の動きが止まる。

 アムの袖をまくって白い腕を検分する。アムが恐怖に目を見開いて僕の一挙一動を見ている。

 保護キャップを針から外すと、肌に指を這わせた。


「ん……血管薄いな……まぁ適当に刺せばいいか」


 ヴィータと違ってレイスの物理的な肉体構造は、あまりこういった処置に影響を与えない。

 僕の言葉にアムの顔色がさらにさーっと引く。


「ちょ……ふぃ、フィルさん!? や、やめといたほうが……」


「はいはい、うるさいうるさい」


 針を挿入する部位を見定める。

 アムは右利きだ。やはり常套手段としては左腕か。針を一息に突き入れようとした瞬間、扉がノックされた。


「あの……フィルさん、いますか?」


「ああ、入っていいよ」


 リンの声に、アムが救われたような表情をする。

 いやいやいやいや、全然救われてないからね。やるから。

 もし仮にたとえ何らかの事情で今できなくなったとしても絶対にいつかやるから。


 どうも僕を尊敬しているらしく、最近毎日ここに帰ってくるようになったリンが扉を開ける。

 部屋の光景を見て唖然とした。

 僕を見て、アムを見て、また僕を見て、注射器を見て、呆然としたように尋ねる。


「な、何をやってるんですか……?」


「データリングだよ」


「助けて! リン! フィルさんに殺されるうううう!」


 アムが人聞きの悪いことを言う。なまじ身体の方が命令で大人しくしているので、全ての情動が表情に出ており、その形相はお世辞にも見せられたものではない。

 だが残念ながら、リンは既にアムよりも僕の味方だった。


「……こんな事言ってますけど?」


「リン、魔物使いの先輩として一言言わせてもらうけど……マスターは常にスレイブの事を一番に考えるべきだ。例えそれが……スレイブに嫌われるような事だったとしても!」


「なるほど……そういうものなんですね!! ……アム、ちゃんとフィルさんの言う事聞かないと……」


「リンッ!?」


 三秒でリンが僕の味方に回り、アムが絶望に打ちひしがれる。

 リンが興味深そうに僕の手元の道具を見ている。データリングは魔物使いの基礎中の基礎なのでリンが知らないわけがないのだろうが、どこまで細かくデータを取るかについてはセオリーはあるとはいえ、詳細な部分はマスターの裁量にかかっている。僕は微に入り細に入り事細かに本人が知らない以上にデータを取るタイプだった。一種の職業病とも言える。

 それは、データリングを怠りがちな駆け出しの魔物使いにとっては真新しく映るのかもしれない。


 アムがリンに注意を向けたその隙に採取した体液を専用の容器に入れた。

 ナイトメアの高い再生力のおかげで、針の跡はもう見えない。


「さ、終わりだよ」


「……え? あれ? いつの間に採ったんですか?」


「痛かった?」


「いや……全然……え?」


 あれだけ大騒ぎしておいて……これだからレイスは。

 針に忌避感があるというのはわからないでもないけど。

 丁寧に容器を箱の中にしまう。分析は後からすることにしよう。

 リンが目を輝かせて尋ねてきた。


「データリングって血液まで採取するんですか?」


「情報は多いほうがいいからね」


 特に見た目では判断が付かない情報が体液には眠っている。僕はやるならば徹底的にやる主義だった。


「といっても、一般的な方法ではないかな。身長、体重、ステータス、スキルの把握は基本としてもそれ以上のデータの取得は好みによるよ。必須というわけでもないしね」


 ただ僕はそういう型だというだけの話だ。

 手法は千差万別。僕の手法がリンで通じるとは限らず、それならばリンはリン自身のやり方で極めたほうがいい。アムは楽ちんだが、対象のスレイブの性質にもよる。

 しっかり厳重に箱に鍵を掛けて棚にしまう。


「で、リン。僕に何か用?」


「は、はい。あの……」


 顔を赤くして下を向く。

 その目はまるで恋する乙女のよううに熱に侵されている。


 僕はそんなに想われるような事はやった覚えはないぞ?

 上位探求者は一種のアイドルのような扱いだったから王都にだって僕のファンはいたが、ここまで無条件に意味もない尊敬を受けるのは初めてだ。

 しばらく口ごもっていたが、意志を込めた眼で僕を見据えた。


「あの……もしよろしければ、魔物使いの事教えてもらえませんか? 私、師匠がいなくて……」


 ならば何故魔物使いになろうなどと思ったのか。

 僕も魔物使いになったのは、師匠を見つける前だったから立ち位置的には同じだと言えるが、僕は消去法的に魔物使いになったのであって、魔力のあるリンならばもっと選択肢があるはずだった。

 魔物使いは地味だ。凄く地味だ。目が出るのが遅いし、スレイブは強力だが、本体を狙われるとあっという間に詰む。今となっては辞めたいとは思わないが、僕もなったばかりの頃はもっとこう派手な元素魔術師とかに憧れたものだった。


 まぁ、個々人の意志は尊重されるべきだ。僕はその決定に口を出す権利もないし義務もない。


「魔物使いの事、か。まぁ今日は時間があるから構わないよ。何が知りたいの?」


「え? 本当ですか!? ありがとうございます! では、さっそくスキルを見てもらいたいです……」


 リンが頬を真っ赤にして僕に太陽のような笑顔を向ける。

 おどおどしていた第一印象とは大きなギャップがあった。雄ならば誰もが惹きつけられる表情だ。元々顔は悪くないし、すらっと伸びた腕、小麦色の肌にも傷ひとつない。手間暇掛けて手入れしているのだろう。背だけは若干低いが、女のマスターの背は基本的に高すぎても得はないのでデメリットにはならない。

 よくいえばカリスマがある、悪い言い方をすれば人誑しとも呼ばれる魔物使いの第一条件はクリアしていると言えるだろう。


 元々、詰めが甘かっただけで、同性のレイスであるアムの信頼を掴む所まではうまくいっていたのだ。師匠がいないという事実を加味すると大したものだと言える。

 僕ら(魔物使い)の一挙一動には意味がある。笑顔の一つ、言葉の一つ、挙動の一つ一つがスレイブを惹きつけ、引き入れ、率いるためのスキルだった。


 感心しながらも、無表情でそれを眺める僕に、リンが意外そうな顔をする。


「あれ? 効かないですか? 私の笑顔(スキル)


「魔物使いに魔物使いのスキルが効くわけがないからね。まぁでも……いい線いってると思うよ?」


 いや、なったばかりということを加味すると、全くもって見事だ。


「ッ!? ……今のちょっときました。なるほど……そうやるんですね。勉強になります」


 リンがちょっと真剣な表情で呟いた。そうやるんですねじゃねーよ。


 さすがに年齢自体は同年代とは言え、僕が魔物使いのクラスを得たのはもう八年近く前だ。しかも年代的には丁度全盛期。転移且つごたごたでまだ本調子ではないとは言え、まだ若輩者には負けないよ?

 自然な動作でリンが僕の隣に座る。身をすり寄せるように右腕を取ってくる。二の腕に感じた滑らかな肌の感触に得も知れぬ官能がぞくぞくと登ってくる。リンが静かに肌と肌をこすりあわせ始めた。

 同じ種族プライマリーヒューマンである僕とリンではありとあらゆる意味で相性がいい。自らすり寄せているリン自身も気持ちいいのだろう。演技とは思えぬ蕩けるような笑みがこちらを上目遣いに見上げていた。

 心臓の心地よい音が腕を伝わって感じられる。


 常に側にいる事。


 身体的接触(スキンシップ)は魔物使いの基礎である。そして、相手の精神状態を考慮し、与えすぎても与えなさすぎてもうまく行かないという一種の妙薬でもあった。これができないようでは魔物使いとしては半人前もいいところと言わざるをえない。

 どうやらリンの魔物使いのスタイルも僕と同じらしい。


「なッ……」


 アムが固まったまま凄まじい形相で僕とリンを見ていた。


喜びの型(プレジャー・スタイル)か。僕と同じだね。ただちょっとサービスしすぎかなあ?」


「あ……は」


 息も絶え絶えと言った様子でリンが笑った。

 そう、笑顔だ。大切なのは笑顔だ。どんな時でも基本的に笑顔でいること。それこそが魔物使いの基盤なのだ。それなくして喜びの型(プレジャー・スタイル)は成り立たない。

 ただ自滅しているようではまだまだ甘いと言わざるをえないだろう。

 精神を如何に深く沈めるか。

 明鏡止水の精神。それこそが武道に置いても魔物使いに置いても重要な要素となりうるのだ。

 

 続けて、むぎゅぅと胸を腕に押し付けてきた。

 熱い吐息が腕にかかる。リンの荒い息が室内に響く。その顔は今にも倒れてしまいそうな程真っ赤だった。

 リンの全身から香る甘いフェロモンが鼻を擽る。

 スキルだ。僕には使えない魔物使いのアクティブスキル。スレイブ以外にも効く、印象を上げて契約をしやすくするためのスキルでもある。ただし異性にしか効果がない。


「リン」


「はい……」


「気持ちいい?」


「あ……は。ばれちゃい……ました……?」


 リンが股をもじもじと動かしながらさらにこちらに身を任せる。リンの身体は柔らかく情欲を誘った。

 動作はうまい。が、基本がなっていない。それが僕の感想だった。

 後、やり過ぎ。そう、やり過ぎだ。情熱だけは認めるが。そんなんだからミイラ取りがミイラになるのだ。


 ちょっとだけアドバイスをしてあげよう。


 開いている右手で、汗で張り付いたリンの前髪をかきあげる。真っ赤に熱したおでこに手を当てた。


「なってないね。全くもって基本がなっていない。師匠がいないリンのために駄目な弟子にアドバイスをあげよう。喜びの型(プレジャー・スタイル)ってのはね--まず第一に与えないといけないんだよ」


 こうやってね。


 リンの額に額をつける。数センチの先にリンの潤んだ目、艶かしい吐息があった。

 アムが愕然としながらこちらを見ている。


 大丈夫、大丈夫だよ。これはーーただの指導だ。


 そのまま顔を近づける。と同時に、左腕をリンの胸に這わせた。探求者御用達の服だ。布は硬く冷たいがそれでも確かに厚い生地を通してリンの鼓動が伝わってくる。気づいていないのか、リンは何も言わなかった。

 視線を視線がじりじりと近づくにつれ、リンの心臓の音がどんどん速度を上げていく。


 リンの喉が息を飲む。


 そのまま唇を……に見せかけ、そのまま通りすぎて、頬と頬をつけた。

 熱い。薄い皮膚の下の血液の流れがわかるかのようだ。

 目の前にある耳元に囁く。


「そして同時に--与え過ぎちゃいけないんだ。次に与えるものがなくなるからね」


「あ……」


 リンが熱に浮かされた短い声を上げる。

 リンに一番足りていないものは……そう、


 鋼鉄の意志


 必要なのはマスターとしてマスターたらしめる一本の柱。


 ほぼ全ての型に共通していることだが、マスターとして常にスレイブの上位に立つためには自分の精神を操作する強力な意志が不可欠だ。特に喜びの型(プレジャー・スタイル)ではそれが必要とされる。

 ありとあらゆる優れた技巧も、強力なスキルも、それに自分が飲まれてしまっては意味がない。


 与えるのだ。欲する者に欲するものを。

 受け取るだけでは--意味がない。


 弱さを全面的に押し出し、憐憫を操作してひたすらに受け取る。

 それは哀憐の型(ピティ・スタイル)の領域だ。こちらは鋼鉄の意志以外に罪悪感を感じない資質が必須とされており、喜びの型(プレジャー・スタイル)よりも遥かに難しいと言えた。


「フィルさん! くっつきすぎです!」


「はいはい」


 アムが僕に飛び込んできたのでリンをベッドにつき倒してそちらを受け止める。

 わしゃわしゃと頭を撫でてやる。アムはまるで犬のように僕の身体に鼻を当てて匂いを嗅いだ。

 お前は犬か。だが僕も犬は好きだ。猫も好きだが、犬の方が好きだ。


「……リンの匂いが染み付いてる……!!」


 僕の人並みの嗅覚にもはっきりわかるのだ。鋭敏なナイトメアの嗅覚には強すぎる匂いだろう。

 アムは嫌そうな表情でぎゅっと抱きついてくる。


 それもまたがっつり魔物使いのスキルだった。一度の挙動で複数のスキル。

 なるほど、スキルを見て欲しいという言葉に偽りなしといえる。といっても、僕にはスキルの指導はできないわけだが。


 魔物使いの持つ基礎スキル『テリトリー構築』


 こちらも、クラスの性質上、そのほとんどがスレイブにのみ作用する魔物使いのスキルとしては珍しく、誰にでも使用できるスキルだった。

 本来ならば自らが狙うスレイブに使用し、他の魔物使いのモーションを躱すことを目的とするアクティブスキルである。もっと単純に言うと唾を付けるに値する。効果も、自分の匂いを付着させ、それの持続時間を伸ばす事だけだ。

 しかも、こんな効果でもやたら魔力を食うので、僕の場合は一度使っただけでも大部分の魔力を消費して衰弱してしまう。事実、僕はこのスキルをたった一度しか使ったことないが、それだけで魔力切れを起こして気絶してしまった苦い経験があった。影響範囲がスレイブの外を出る魔物使いのスキルは燃費が悪いものが多いのだ。

 そして、当たり前の話だが、本来ならばマスター側に使用するスキルじゃない。スキルを見てもらいたかったとは言え、地味に嫌がらせだった。


「それが魔物使いのスキルだからね」


「……いつになったら切れるんですか?」


「七十二時間だね」


「……三日間も……このまま!?」


 まぁこのまま放っておいたらそうなるね。勿論放っておくわけがない。

 こんな甘い匂い漂わせたまま衆人環境を歩けるわけがないし、さすがの僕も印象を回復できる自信がない。何もできないじゃないか。

 ベッドに仰向けに倒れたままぼーっとしているリンの頬を叩く。


「おい、リン。聞いてる? スキルを解除しろ。『テリトリー解除』だ」


「……はい」


 息を荒らげにリンが頷いた。

 瞬間、匂いが吹き飛ぶ。アムがほっとため息をついた。


 『テリトリー解除』


 自他問わず一定の範囲のテリトリーを解除する魔物使いの基礎スキルだ。テリトリー構築の方がスキルとしては簡単なので、落とし穴がそこにはある。初めてスキルを使用できるようになった時に、試しにテリトリーを構築して解除することができずに青くなるのは魔物使いのあるあるだ。リンが使えなければ僕が使う羽目になっていただろう。覚えたばかりの昔と比べて僕も少しは魔力が増えているが、それでも気絶は免れ得ない。


「……よかったです。一生このままかと……」


 ……いやいやいやいや。そんな馬鹿な。

 他人の匂いを付けたまま魔物使いができるわけがない。印象が最悪だ。

 大体探求者をやめたら僕は犬を飼うつもりなんだ。でっかい白い犬だ。あんな匂いつけてたらどうしようもないじゃないか。


 涙目でアムが顔を擦りつけてくる。まるでさっきのリンを真似するかのように。

 その度に恐怖(フィアー)の効果で身体に小さな悪寒が奔る。先ほどとは正反対の意味でぞくぞくする。好かれるのは悪い気分ではないが、本能には抗えない。それは、魔物使いにとって一種の矛盾と言えるだろう。


 しかし、リンも勉強はしているようだ。

 スキルも揃ってるし、僕の助けを借りてとは言え、広谷と契約も結べた。最低限生きていくだけならそうお金もかからないので、そうそう増長しない限りは一生安泰と言える。


 ーー栄光を求めない限りは。


 尤も、そんな事は無理な話だ。栄光を求めないのならばそもそも探求者になる意味がない。

 ランドさんだってガルドだってセーラだってリンだってアムだって、探求者になったのには理由があるはずだった。


 僕が探求者になったのだって元々はーー


 脳裏に浮かびそうになった思考を頭を振って振り払う。

 いや、今は考えるまい。

 どっちにしろ後少しで、後ほんの少しで手が届く。最後の最後で躓いてしまったが、こんなのは障害でもなんでもない。


 まだ不満気に顔をこすりつける自らのスレイブの頭を撫でながら、遠い地に思いを馳せた。

水曜までPCが使えなくなるので更新できません。

※ストックはあるので死なない限り更新停止はしません。

土日で七話書ければ毎日更新持続できるじゃん、て思ったけどそんなの無理だって

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嘆きの亡霊は引退したい。

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