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Tamer's Mythology  作者: 槻影
第一部:Tamer's Mythology

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31/121

第三十話:それでいいんだ、可愛い可愛い僕の剣

「これはまた、こっぴどくやられましたね」


「……まあね。三回くらい死ぬかと思ったよ」


 レイブンシティに帰還した時にはもう夕方だった。

 依頼失敗の報告を受けた白夜が僕の姿を呆れたように見る。


 足元はおぼつかなく、顔色も最低だろう。全身が鉛のように重かった。早く寝たい。

 吐き気がそれ程ないのは帰る途中に一回吐いたからだ。

 ストレスと疲労で頭も痛いし、床に投げ出された時に打ったせいか、膝や腕の一部にも鈍痛がある。先ほど確認してみたが、青あざができていた。

 誰が想像しようか。これで、一撃も敵の攻撃を受けていないと。

 いや、もし一撃でもまともに攻撃が受けていたら、どんなに打ちどころがよくても、骨の一本や二本簡単に折れていただろう。今、生きて両足で立てる事がある意味では奇跡かもしれない。


 一方、オプティ・フロッガーの体当たりをまともに受けたはずのアムはわりと平気な表情で立っている。僕に心配そうな眼差しを向ける余裕すらあった。

 迷宮から出てすぐに確認してみたが、外傷もほとんどない。刺のついた頭で体当たりを食らったはずだが、悪夢の祝福で強化されていた事、事前に防刃の装備をさせていたこともあって、防ぐことができていたようだ。

 口から血を吐いていたので、内臓にダメージを受けたのかと思ってみれば、唇を誤って噛み切ったようだった。その傷も既に癒えている。


 ……まぁ何事もなくてよかった。


「元SSSランクでも依頼に失敗したりするんですね……しかもただのAランクの討伐依頼に」


「まぁ三年ぶりくらいかな……」


 あのシィラ討伐を除いたら、だが。

 アムがいたたまれなさそうな表情で小さく謝罪する。

 

「あの……ごめんなさい」


「ん? いや、アムのせいじゃないよ。今回のミスは僕のミスだ」


 (スレイブ)を鍛えるのも、それの振り方を決めるのもマスターの僕次第なのだ。


 久しくSSSランクの討伐対象を楽に切り裂ける魔剣しか使っていなかったので僕の意識も鈍っていたのかもしれない。

 いくら才能があるからといって、アムにはまだAランクの依頼は早かったのだろう。思った以上に成長が早かったので気が急いてしまった、いらぬ期待をかけてしまったのは僕が全面的に悪い。

 アムの頭に手を乗せる。慈しみを込めて撫でる。


「今まで連れていたスレイブと同じ扱いをした僕が悪かったね……僕もスレイブが変わったのだから、意識を変えるべきだった」


「え……!? いや、それ、どういう意味ですか!?」


 愕然とした表情でアムが僕を見上げる。


 アムの才能ははっきり言って僕の前のスレイブと比肩している。

 が、現在の実力で考えるとその差は明らかだ。


 一端こちらの事情は棚に上げるべきだろう。幸いな事に高ランクの探索依頼をこなしたので金銭面では若干の余裕があった。死を身近に感じるレベルの依頼を受けるのも勿論大きな成長を見込めるが、こんなリスクを毎回踏んでいたらいくら命があっても足りない。少し依頼のレベルを落とすべきだろう。

 だが、Bランクの依頼は正直今のアムには若干軽い。ソロならば、ややきついが、僕がいれば軽い。簡単な依頼をやっても成長は見込めない。

 となると、少し変則的な動きになるが、人数を増やして依頼に臨むべきか。


 元々、三十億を貯めた所で王国までの道中、ソロではあまりにも危険が高い。

 いい機会かもしれないね。


「白夜、契約待ちのエレメンタルの情報ってある? 女の子で」


「……フィルさん、屑ですね。さすがにそれはどうかと思いますが……ちょっと探してみます」


「ちょっと待ってください!」


 大声が響き渡った。

 隣の窓口で依頼を受けていた探求者の人が何事かと発生源をちら見してすぐに目をそらした。

 発生源を見下ろす。


「ん? 何だい、アム?」


「何だい、アムって……私が失敗したからですか? 私が失敗したから新しい(スレイブ)と契約するんですか!?」


 顔を真っ赤にして、傍から聞いているとまるで僕が屑か何かに聞こえるような事を叫ぶアムを宥める。

 嫌がらせか。


「いや、そういうわけじゃないよ。別に今すぐアムとの契約を切るわけでもないし、さっきも言ったように今回の失敗はアムの力を見誤った僕が全面的に悪い」


「……フィルさん、まさかまだ……怒ってたりします?」


「いや、全然。強いて言うなら僕が怒りを抱いているのは、アムの力を見誤った自分に対してだよ」


「……やっぱり怒ってますよね?」


「全然」


 未熟だったのだ。

 史上最速でSSS級になり、強力なスレイブを従え最強の魔物使いだとか持て囃されて天狗になっていたのだ。

 増長しないように気をつけていたつもりだったが、それは所詮『つもり』だったのだろう。

 この程度の……この程度のスレイブの能力すら見誤っていて何が最強の魔物使いか!

 そう、この未熟こそがもしかしたらシィラに負けた原因なのかもしれない。

 この傲慢を僕は……断つ。


 アムが泣きそうな表情で僕を見上げてすがりつくような声をだす。


「フィルさん、ごめんなさい、ごめんなさい。失敗してごめんなさい。次はもっとうまくやってみせーー」


「だからアムのせいじゃないって言ってるじゃん。謝らなくていいよ。後ね……死んだら次なんて無いんだよ」


 びくりとアムが大きく身体を震わせた。

 失敗してごめんなさい、の言葉の真意は知らないが、アムには覚悟がなさすぎる。


 失敗? 失敗ってなんだ?


 これだから種族ランクの高い奴は言う事が違う。

 その台詞は脆弱な命しか持たない僕には傲慢にしか聞こえない。

 諭すようにアムを撫でる。


「アム、僕のHP……生命力はアムのそれと比べて十分の一も無いんだよ。たった一度の失敗で命を落とすことなんて何も珍しくない。ギルドの調べた統計では有機生命種Gランク、プライマリーヒューマンの死亡率は他の種族よりも十倍以上高いんだよ。しかも、そのほとんどは探求者になってから一年以内に死んでいるんだ」


 だから僕には、探求者でプライマリーヒューマンの友人が一人もいない。

 ちょっとした油断であっという間に死んでいくからだ。しかも僕よりも遥かに基礎能力が高い探求者が、だ。

 いつか僕も探求中に殺される日が来ると覚悟していた。だが、いざその時になってみると足掻いてみたくなってくる。

 会って僅か一週間で新たなスレイブを迎えるのは初めてだが、それもまた一つの経験だ。


「ダメですね。契約待ちのエレメンタルで女の子は居ません。機械種、スピリットならば居ますがどう致しますか?」


「……スピリットか」


 アムをちらりと見る。

 機械種は金がかかる。金を貯めなければならない現状で機械種との契約はリスクが高い。

 が、正直レイスがいる状態でスピリットと交渉できる自信がない。

 アムとの契約を今すぐ切る気がない以上諦めざるをえない。まったく、ままならないな……

 だが、そうだな……話を聞くだけなら……


「……じゃあ、スピリットの情報の提示を……」


「待ってください!」


 僕の言葉をアムが遮った。

 大声に耳元がきーんと痛む。

 ぎらぎらと敵意に見間違えそうになるほどの刃の眼光が僕を真っ直ぐに見上げていた。


「わかりました、フィルさん。よくわかりました。つまり、私が……もっともっともっともっともっと、討伐依頼に失敗しないくらいに強くなればいいんですね?」


 アムの言葉ははっきり言って的外れだった。

 そういうわけじゃない。僕が今回感じ取ったのは僕自身の問題だ。

 アムの弱さ、失敗は要因であって原因ではない。

 だが、これはアムに言う必要のない事だ。

 そういうわけではない。そういうわけではない、が、やる気があるのはいいことだと思う。


「まぁ、そうだね。できる?」


「はい。やります、やってみせます! だから……」


 口ごもるアムの意図はわかる。本来なら却下するべきだ。


 だが……仕方ない。

 ここまでやる気を出しているんだ、マスターとして僕はその意に沿うために全力を尽くすべきだ。

 白夜の方に向き直る。


「白夜、今回の依頼の期限は一週間であってるよね?」


「……はい、確かに一週間が期限ですが……まさか再度挑戦するつもりですか?」


「当然だよ。失敗した依頼をそのままにしておくと……アムの能力に傷が残るからね……」


 精神が能力に直に影響がある以上、苦手意識を作るわけにはいかない。

 レイスをスレイブにした以上、撤退はあっても敗北はない。


「アム、できるな?」

 

「……はい」


 短く言葉を吐くアムの眼には確かな戦意が灯っていた。


「それで、一応聞いておきますが、スピリットの情報はどうしますか?」


「今回はやめとくよ。次に依頼を失敗したら聞かせてもらおうかな」


「……絶対……絶対失敗できない……」


 ガチガチと震えで噛み合う歯の音。唾を飲み込む音まで鮮明に聞こえてくる。

 珍しく白夜が気の毒そうな眼をアムに向けた。

 ふとその様子に懐かしい記憶に、かつてのスレイブの姿が重なる。

 アムと同じように、負けず嫌いだったスレイブの姿が。


 僕の分まで強くなればいい?


 --ああ。それでいいんだ、可愛い可愛い僕の剣。

 敵を尽く切り裂き粉微塵にしてしまえ。


「懐かしいな……この感じ」



*****




 身体の震えはぎりぎりで誤魔化せたが、自分の心までは誤魔化せない。


 アムは戦慄していた。

 同時に今ここではっきり理解できた。何故、どうして、低い魔力、身体能力という途方も無いハンデを持つフィル・ガーデンが魔物使いとしてSSS級の座に輝く事ができたのか。


 身体は熱を発していた。胸の奥から発生した熱は血液の代わりに全身を巡り、魂が焼き尽くされるかのような情動を感じる。

 それはアム自身の心情とは無関係に、否応なくその能力を高めていた。


 これも、意図して起こされたものなんですか、フィルさん?


 いや、そんなわけがない。そう、これは……素だ。


 --天性の魔物使い。スレイブを自在に操り依頼をこなす魔術師。


 そんなマスターはもう休むと言って先に帰った。その仕草からは何一つ今の状況に対する躊躇いというものがない。


 完全に、しかも自分の意志で一人になるのは久しぶりだった。依頼で受けた傷はとっくに完治しているし、精神的な疲労はともかく、肉体面での疲労もほとんどない。

 故に、そんな頑強な能力を持つアムだからこそ、剣を交じり合わせる事もなく疲労困憊になる気持ちは全く分からない。

 が、契約の紋章を通してくる力は平常と比べて確かに衰弱している。これはアムに取っては予想外の事実だった。眼で見ても、知識で知っていても、実際に感じてみなければわからない事もある。


 アムはたった一人でもう一度、その意味を考えたかった。


 ギルドの受け付けロビーのベンチになんとなく座っていると、丁度受け付けに並んでいた一人の探求者が気づいて近寄ってきた。

 見た目、アムと同じか、少し年上くらいの年齢の女の子だ。

 ぼんやりと視線を向けると、それがたまに見かける顔であることに気づく。

 女性の探求者は男性に比べて少ない。そして、その姿は酷く目立つのでアムでも覚えていたが、ただ見かけた事があるだけで会話したりした事はなかった。


 アムのそれとは異なり、陰りのない金髪は肩まで切りそろえられており、その全身からは薄っすら燐光がほとばしっている。

 本能で感じる嫌悪。今のアムの力と比較すればやや小さいが、アムを構成する魂質とは正反対の『正』のオーラがその全身から漂っている。

 逆に向こうからしてもアムから感じる力は嫌悪を催すもののはずだが、少女が特に何も言わないので、アムも何か言う気が起きなかった。

 弱い。力の総量的にはアムには遥かに及ばない。が、種族の相性的にスピリットはレイスに絶対的な優位性を持っている。喧嘩を売られたら逃げるしかないだろう。


 できるだけ相手に嫌悪を感じさせないように、気をつけた口調で尋ねる。


「……何か用ですか?」


「貴方、確か、フィルのスレイブよね?」


 フィルはレイブンシティに来てからまだ一週間しか経っていない。自然と交友関係は絞られる。

 特に、アムがスレイブになったことを知っている人の数はそう多くないだろう。そもそも、アムには友人がほとんどいないのだ。

 眼を瞬かせてアムは少女を観察する。

 いくら観察しても全く接点が見当たらない。訝しげな表情で聞く。


「ええ、そうですが……貴方、誰ですか?」


「あー、やっぱり。え? 何で一人でいるの? ご主人様はどうしたのよ?」


「……」


 ほっとしたような表情で周囲を見回す少女の姿に、アムは必死に記憶を探る。

 口調からすると、知り合いなのは間違いがないはずだ。少なくとも初対面ではないだろう。その程度の関係で、スピリットがレイスに好んで近づくとは思えない。


 そう、スピリットだ。


 アムは、自分とは相反するその種族と会話したことが生まれてこの方、今まで一度もなかった。

 それは別に珍しい事ではなく、レイスはまず第一に、本能的にスピリットが天敵だということを知っている。決して関わってはいけない、と。故に、アムでもスピリットとかかわり合いになった事はない。


 声に緊張が出ないように慎重に聞く。せめて、気合いでは負けるわけにはいかない。

 既に一度、今日は敗走しているのだから。

 もう絶対に負けないと誓ったのだから。


「で、何か用ですか? フィルさんなら居ませんよ。もう帰りました」


「え? そうなの? じゃあ、貴方一人なの? ふーん……」


 見ず知らずのスピリットがしげしげとアムを観察する。

 その視線にはいつもスピリットがレイスを見る際に宿る嫌悪がほとんどなく、純粋にその事実に感嘆した。


 綺麗な人だ。


 身長はアムよりも僅かに低いくらいだが、胸はアムよりも遥かに大きい。女性の探求者が好んで装備するワンピース型の探求者の服を着ているが、大体が同じデザインなのに全く違うものであるかのように映る。

 そこで、ようやくアムはその人の腰に施された意匠に気づいた。


「ああ……明けの戦鎚の人ですか……」


「ええ。そうね、自己紹介がまだだったわね。私は明けの戦鎚のメンバーの……セーラよ。種族はライト・ウィスパー。貴方の名前は?」


「……ナイトメアのアムです。フィルさんのスレイブをやってます」


 少し考えたが、明けの戦鎚というのは巨大なギルドだ。おまけに、数日前に酒場で飲んだ時に貸し切っていたギルドだったはずだ。アムはその場にはいなかったが、フィルが色々会話していた可能性はある。アムが一緒にいて感じたことだが、フィルの口は羽毛のように軽く、その行動はやたらと軟派だった。

 嫌悪を心中の奥底に押しこめ、丁寧に挨拶を返す。相手にも嫌悪がなかったのでこちらが一方的に嫌うのは子供っぽい。


「アム、アムか。わかった、アムね。で、アムはこんな所で何やってるの? フィルは?」


「……知りません」


 ライト・ウィスパー。

 アムはその単語に凄まじく不穏な響きを感じ取っていた。

 どこか、最近聞いたような気がする。思い出せないが、アムは勘が鋭い方だ。

 できるなら関わりあいになりたくない。


 調度良く、ギルドの向こうから仲間らしい探求者、壮年の男性が声をかけてきた。


「セーラ、何やってるんだ? もう出るぞ?」


「あー、私、やっぱりパスでいいですか?。この子とちょっと会話したいので」


「え!?」


 アムがびっくりしてセーラの顔を見る。まさに青天の霹靂だった。

 スピリットがレイスと会話したいと言っている事実もそうだが、何しろアムは何も聞いていない。話の広がる余地もない。

 仲間の探求者からしてもその意見はそのまま丸呑みできなかったのだろう。

 口をぽかーんと開けて表情を見たが、本気を感じ取ったのか、セーラに詰め寄る。


「おい、何言ってるんだ? この討伐依頼を受けたいって言ったのはセーラの方だろ? 大体その子ってーーあ……」


 探求者の眼がじっくりとアムの全身を舐めるように見る。

 女の子からならまだしも、自分より目上の男に観察された事などほとんどない。見知らぬ者からならば尚更だ。

 探求者は何を納得したのか、一度大きく頷いた。


「あの……何か?」


「お前、フィルのスレイブ……アムだったか? マスターはどうした?」


 ええ……

 アムはげんなりした気分だった。見知らぬ人に自分が知られているという異常。見覚えがあるとかならまだわかるが、名前まで知られているとは……

 しかも、セーラもその探求者も、アムを通してマスターを見ているようで、居心地が悪い。


「……もう帰りました」


「ん? 帰った? まだ寝るには早いぞ? てかあいつどこに住んでるんだ?」


「そんなこと貴方に関係あるんですか?」


「がっはっは、確かに関係ねえな。だが、いざという時のために連絡先くらい知っておいても損はねえだろ? 探求者は個人プレーが多いとは言え、横の繋がりも重要だぜ?」


「……本人に聞いてください。スレイブの私にはそれを教える権限がありません」


 いざという時ってどんな時なんだろう。

 非常に疑問だったが、言っていることはもっともらしく聞こえたので、契約を盾に断る。

 アムはフィル程口が軽くないのだ。

 幸いな事に、探求者は深くつっこまなかった。内心、ほっとする。装備、佇まい、どれをとっても恐らく目の前の探求者はアムよりも格上だった。


「ふむ……そういうことなら本人に聞くか……で、セーラ。そういうことでいいんだな?」


 薄く開いた口から鋭い犬歯がチラリと見える。まるで威嚇しているかのようだった。

 セーラはその様子に真剣な表情で一度頷く。


「やれやれ、仕方ねえな。まー、アム。よろしく頼むわ」


「え!?」


 何を?

 と聞き返す間もなく、言いたいことを勝手に言い終えて踵を返していく獣人系の探求者をぽかんとした表情で見送る。


「じゃ、いこっか。呼び止めちゃったし……奢るわよ?」


 セーラが酒場の方を指さした。

 差し出された手を反射的に受け取ってしまう。

 自分とは正反対の属性を持つはずのそれは、不思議と暖かい。と同時に、嫌悪感も不思議と鳴りを潜めている事に気づく。


 スピリットに手を引かれていくレイスの姿は奇異に映るのだろう。

 特に、スピリットの燐光と接することで本能が反発してアムの手からは黒い霧が漏れていた。

 だが、セーラは特に気にした様子はない。アム自身よりも遥かに反発を感じているはずにも拘らず、だ。その事実がアムの気勢を削ぐ。


 レイスは悪性を信じ、スピリットは善性を信じる。


 日が暮れかけている事もあり、日中に行った依頼を完了した探求者で酒場は賑わっていた。

 セーラはその中でも端のほうにある二人がけの席に座った。

 アムもおずおずとそこに追随する。

 席に着くや否や、注文をする間もなく、セーラが食って掛かるようにしてアムの方に身を乗り出した。


「で、どうなの?」


「え……っと。どう、とは?」


「フィルのスレイブとしてやっていて、よ。アムってフィルのスレイブになったばかりなんでしょ?」


「はい、まぁ……そうですけど……それが何か貴方と関係あるんですか?」


 硬い口調でアムが答える。

 なったばかりなのは事実だ。数えてみれば丁度一週間前だった。たった一週間がまるで数年に感じられるほどこの一週間は濃い。

 セーラがその表情に不機嫌になったことを感じ取ったのか、ちょっと声を柔らかくして勢いを落とした。


「いや、関係はないんだけど……私もマスターを探してたのよ。だから実際にスレイブの話を聞かせてもらいたいと思って……」


「フィルさんは渡しませんよ」


 アムはその表情に直感して即答する。

 先ほどまではさほど感じられなかった反感が今更ながらに湧いてきた。

 スピリットなんかに--マスターを渡してたまるか、と。


 その様子に、セーラはしばらくぽかんと口を開けてアムを見ていたが、すぐに顔を真っ赤にして否定する。


「頼まれたっていらないわよッ!」


「フィルさんを……いらない!? フィルさんに何の不満があるんですか!?」


「……ッ!? 何て言えば満足なのよ……」


 呆れたような表情でセーラが肩を落とした。


 アムもセーラもタイプは違うがどちらも平均と比べたら優れた容姿を持っている。遠巻きにこちらを伺う視線が鬱陶しかった。

 どうせレイスだと知った瞬間に手の平を返す癖に--


 頭に上りかけた煮えたぎる負の感情を深呼吸をすることで抜く。緩みかけた恐怖の制御を今一度しっかりと締め直す。

 何度か深呼吸をし直し、落ち着いた所でセーラの眼をしっかりと見た。


「で、何が聞きたいんですか?」


 セーラが意外そうな表情でアムに尋ねる。


「……聞いたら、教えてくれるの?」


「私に答えられる事なら、ですけど」


 それに、フィルだったとしてもそうしていたはずだ。

 スレイブではなかった、完全に自由だった頃とは異なり、アムの力は非常に安定している。天敵であるスピリットの目の前にいても落ち着いていられる程に。


「私が怖くないの?」


マスター(フィルさん)の方が怖いだけです」


 即答する。

 恐怖を更なる恐怖でねじ伏せる。

 それが負の精神に支配されがちであるレイスの精神防衛術だ。

 強い意志を秘めたアムの瞳にセーラが一歩引く。

 おずおずと、質問してきた。


「怖い……の?」


「怖いですよ。そりゃ怖いですよ。よくわからない薬品を食事に混ぜられるし、鞭で叩かれるし、頑張って依頼を達成しても大して褒めてくれないし、そのくせ何か失敗するとすぐに捨てられそうになるし--」


 言葉を紡ぐごとに脳の中でトラウマが蘇りガタガタと肩が震えだす。


 恐怖だった。一度信頼した後に見捨てられるこの恐怖は、多分レイスにしかわからない。負の感情を受け続ける定めにあるといっても、それは決して慣れるという事ではないのだ。

 もう二度と負けられない。見捨てられる恐怖。自分よりも先に死なれる恐怖。一人になる恐怖。逃げられない恐怖。ありとあらゆる深い負の情念がアムを責め、魂に炎を灯す。

 尋常じゃない様子に、セーラが同情の眼でアムを見た。


「……アム、貴方何でフィルのスレイブなんてやってるのよ……」


 その言葉に、ちょっと考えた。

 スレイブになった理由? 契約してもらった理由?

 幾つか頭の中で羅列してみるが、その中でも一番の理由は……そう、


「……フィルさんは……レイスを恐れないので」


「恐れない? それだけ?」


「……それだけで……十分です」


 レイスを恐れない者は貴重だ。特にそれが有機生命種(ヴィータ)ともなれば、アムよりも遥かに種族ランクの高いものを含めても、そうそう見つかるものではないだろう。

 少なくともアムは発生して十五年、レイスを全く恐れていないヴィータをフィル以外に知らない。アムとペアを組んでいたリンでさえ、最初はアムを恐れていたというのに。

 その精神力はその身の脆弱さを含めて考えると、感嘆よりも呆れが先に来る程だった。


「あ、私も恐れないわよ?」


「勘違いしないでください。それは……セーラさんがスピリットで、私よりも強いからです。逆に私は--セーラさんが怖いです」


「……何もしないわよ?」


「私も何もしたことなかったですよ。それなのに……私は嫌われてたんです……」


 常に周りから祝福されているスピリットにはわからないだろう。

 アムの感じるセーラの力はそれ程高くない。少なくとも、レイブンシティで最大勢力であるクランの所属メンバーだとは思えない。もしアムがセーラと同等の力を持っていたとしても、レイスのアムでは明けの戦鎚には参加できなかっただろう。


 これが……種族の差。レイスとスピリットの差。


 日の元で生きてきたセーラにはわからない、わかってほしくない、わかってたまるものか。


 そこで、セーラが話を聞いて眼を伏せていたのに気づく。

 空気を乱した。言い過ぎた事に気づいて慌てて明るい声を振る舞った。


「でも、もう大丈夫です。私にはフィルさんがいるんで……知ってました? フィルさんって、ずっと遠い国でSSS級の魔物使いだったんですよ? ラッキーですよね! 私、スレイブになった時に初めてレイスで良かったと思ったんですよ!」


 唐突な空元気に、セーラが吹き出す。


「アム、貴方……強いわね……」


「あはははは、ちょっと強くなったかもしれませんね。F級探求者だった私がたった一週間でA級の昇格試験をこなせるまでになったんですから!」


「……え!?」


 セーラの表情が固まる。

 元々種族ランクB級相当の潜在能力があったとは言え、ランクとはそう簡単に上がるものではない。

 セーラのスピリットらしからぬ強張ったその表情に気づかず、アムはそのまま話し続けた。


「装備も揃えてもらったし、探索依頼の達成方法も教えてもらったし、戦い方も教えてもらったし、スキルも使えるようになったし……今まで苦労していたのが嘘みたいですよ。あんなに弱いのに、たった五年でSSS級になったというのもわかるというか……」


「……たった……五年!? 五年で……SSS級……? 化け物じゃない……」


 セーラが探求者として登録してから既に三年が過ぎている。

 この間SS級にランクアップしたランドだって、探求者になってから既に十年以上経ってやっとSS級だ。

 大人数のクランを率いているとは言え、魔物使いがランクを上げやすいクラスであるとはいえ、それは尋常ではない速さだった。


「それにフィルさん、怖い時もあるんですけど、優しい時は凄い優しいんですよ? ストレスがどうとかスキンシップが重要だとか言って、頭撫でてくれて抱きしめてくれて、料理も毎食作ってくれるし、おまけにすっごい美味しいんですよ、これが! ……薬混ぜられるんですけど」


「へ、へぇ……よかったわね」


「あれ? どうかしたんですか?」


 気持よくマスターの自慢話をしていたアムが、目の前のスピリットの少女がそわそわしている事に気づいた。

 周囲を見回し、セーラが内緒話でもするかのように顔を近づけてきた。


「アム、知ってる事だけでいいんだけど……アムはフィルに何をされたの? どうやって強くなったの?」


「へ? ええっと……」


 その表情はあまりにも真剣でいたたまれなくなるが、周りにアムを助けてくれそうな人はいない。

 いつの間にか立場が逆転していた。

 しかめっ面をしたスピリットと困ったような顔をするレイスの組み合わせなんて世界広しといえどもそうないだろう。


「お願いアム。教えて!」


 そんなことを言われても、自分の事すら知らなかったアムでは他者のーーおまけに自分とは正反対のスピリットの強くなる方法なんて見当もつかない。

 あくまでアムが強くなったのはフィルの指示によるものであって、自身はそれに従っただけだ。


「えっと……そんなこと言われても私とセーラさんじゃ全然違いますし……セーラさんもどこかの魔物使いと契約したらいいんじゃないですか?」


「……ねぇ、アム。一つ提案があるんだけど……」


「却下です。フィルさんはあげませんよ!」


「そんなこと言わないで! ちょっとでいいの! そう、ちょっと会話させてもらうだけでいいから!」


 セーラが涙目でアムに絡みつく。剣幕に一歩後退る。


 本能的に感じ取った。これは、脅威だ。絶対にあわせてはいけない。

 セーラは美人だ。スピリットは美男美女が多いのだが、おまけにアムとは違って胸が大きい。アムとは違って胸が大きい。戦闘能力の差異よりも大きな差がある。

 絶望的な隔たりがある。おまけにスピリットだ。おっぱいが大きいスピリットなんてフィルが一番好きそうだ。


 強くなる方法?


 そんな下らない理由で引きあわせてなるものか。

 何より、アムに取ってメリットになる理由が欠片も存在しない。

 それでもなお食い下がるセーラに、アムは一つ質問をする事にした。


「じゃあ、一つだけ聞かせてください。その答え次第では……一回だけあわせてあげてもいいです」


「何!? 何でも答えるわよ!?」


 セーラがギラギラと目を輝かせて詰め寄る。

 何がセーラをここまで駆り立てるのか。珍しく最近はなんだかんだで満たされている事が多いアムにはさっぱりわからなかった。


「こほん、例えば、フィルさんが言うとするじゃないですか? 『一ヶ月で……セーラをA級まで上げてあげよう』って。何だかんだ面倒見がいいですからね」


「うんうん、それでそれで」


 セーラの表情にため息をつく。お預けをくらった犬みたいだ。

 どうしよう。なんて言おう。

 おっぱいを揉ませてもらおうとか?

 だめだ。今のセーラなら躊躇いなく首肯しそうだ。

 そうだ……いくらフィルさんでも言わなさそうな事を……


「それで言うんですよ。交換条件。『代わりに全裸で土下座してもらおうか』なんて。あははははは、さすがにそんなこと言わないと思いますけど--」


「……それはもうこの前言われたわ」


「……え!?」


 沈黙。

 アムが得体のしれない情動に耐えながらセーラの表情を見る。

 その表情に、嘘はない。アムに見えたのは覚悟だけだ。


 女の子になんてこと言ってるんですか……フィルさん!


 脊髄反射でテーブルからダッシュする。テーブルに手を当て、腕の力だけで宙に転身すると同時に重力無効のスキルを発動させる。

 すんでの所でセーラの手が空を切った。一瞬でも躊躇っていたら捕まっていただろう。どんな時でも油断しないこと。フィルの教えが嫌な所で効いていた。


 そのまま遥か十メートル程離れた所に着地する。


 眼を見た瞬間分かった。

 ダメだ、あれは。心が折れている眼をしている。

 かつてはどうだかわからないが、今のセーラには全裸で土下座をする覚悟がある。


「待って! アムッ! するから! 土下座でも何でもするから!」


「い、いやですよ!」


 セーラが駆ける。アムも駆ける。

 本気だった。透過と重力無効を駆使して風のように駆ける。気分的には機神の祭壇で戦った時よりも酷い。


 敗走した後に狂ったスピリットに追いかけられるなんて、私なんか悪い事したんだろうか? と、アムは泣きそうだった。


 ギルドに丁度入ろうとしていた探求者が、いきなり出てきたアムに透過され、呆然とする。


 その後ろをセーラが駆ける。

 本気だった。透過と重力無効を駆使して風のように駆ける。久しぶりに掴みかけていた手がかりにその精神は高ぶっていた。

 透過と重力無効のスキルは霊体種の固有スキルなのだ。レイスに使えればスピリットにも使える。


 種族ランク的にはアムのナイトメアの方がセーラのライト・ウィスパーよりも高いが、今は夕方とは言え日が出ていた。

 太陽光はナイトメアの能力を減衰させないが、ライト・ウィスパーの能力を高める。

 もしも仮にこれがその能力を尤も高める昼間だったら、追いつかれていたかもしれない。


「待って! お願い、アム! 一回だけでいいからああ!」


「正気に、戻って! もう!」


 レイスとスピリットの世にも奇妙な鬼ごっこが始まった。

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