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Tamer's Mythology  作者: 槻影
第一部:Tamer's Mythology

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第二十八話:僕は今それを刻んでる

 僕達は最速の道を進み始めていた。


「はい。繊月草、赤き月の刃、ERPG型魔導回路の納品を確認しました。S級探索依頼『繊月草』、『赤き月の刃』、SS級探索依頼『ERPG型魔導回路』の達成を認定します。合計ギルド報酬ポイントは百五十万ポイントになります。B級昇格試験の受講資格を満たしました。説明を受けますか?」


「いや、いらないよ。アム」


「はい」


 アムが、直径五十センチ程の脈動する青い塊……機械種の核である生体核を台の上に乗せる。

 重さにしておよそ二百キロ。その大きさにして規格外の重さを持つそれは、高位の無機生命種の存在そのものでもある。目に見えないくらいに細い情報伝達用のラインで覆われたそれは、無機生命種の心の臓であり、魔導工学の歴史上でも最高傑作の逸品であり、身体と切り離されて尚、駆動音を鳴らし、深く脈動していた。


 白夜はぎょっと眼を見開くと恐る恐る、それに触れた。


「A103暗黒機兵 ヘレスの存在核……しかもまだ生きてる……」


 こくり、と喉が小さく動く。本当に繊細な仕事してるよな……シャロン社は。

 少し調べてわかったことだが、レイブンシティの探求者は質があまりよくない。

 SSS級の一線級が一人いるが、次点でランド・グローリーのSS級、それ以降にハイル・フェイラー、ブラー・サイドマン、ガルド・ルドナーというS級探求者が連なる。周囲の魔物がほとんど機械種なだけあって戦闘能力自体は王国の探求者に引けをとっていないが、ただそれだけだ。


「A級の昇格試験の討伐証明……ですね。フィルさん、A級昇格試験の前提条件はB級探求者である事です。こんなの取ってきても意味ないですよ? 馬鹿じゃないんですか?」


「だけど保持しているギルドポイントはA級昇格前提を満たしているはずだ。飛び級できるよね? なんだっけ? 全面的な協力、してくれるんだっけ?」


 探索依頼の報酬ポイントは一部を除いて同ランクの討伐依頼によるポイントよりも低い。が、それは難易度が低い事を意味していない。そして、いくら探索依頼とは言え二つ上のランクの依頼をこなせばあっという間に前提ポイントは貯まる。討伐依頼の対象が強いだけあって、ここの探求者の力は戦闘能力に突出していた。それは探索依頼に必要な注意深さ、知識、段取りに弱いという事を示している。だからこそ、レイブンシティの探索依頼は僕にとってカモでしかなかった。知識と経験が必要とされる探索依頼に無類の強さを持つ僕ならばランクを上げる事なんて造作も無いことだった。


 アムの力も日に日に高まっている事もあり、此処に来て僅か一週間しか立っていないがもはや僕とアムに達成できない同ランクの依頼はほとんどなくなっている。上のランクだって、探索依頼ならば余裕だし、討伐依頼も決して手が届かない部類ではない。


 白夜が真剣な眼でヘレスの心臓を撫でる。

 高位無機生命種の核は心臓であり、頭脳でもある。アリの持つチップ状のそれとは文字通り核の違うそれは、暗黒機兵の人生そのものが詰まっている。シャロン社のサポート型ガイノイドならば触れただけでその全てを読み込めるだろう。


「コラプス・ブルーム……噂通りの一線級の探求者ですね……。いいでしょう。その資格はあるようですし、私の権限でA級への昇格を認めます」


 金色に変わったカードを受け取る。

 Aランク探求者。元SSSとしては当然の結果ではあるが、昇格の瞬間というのはいつになっても感無量だ。

 預かった褒賞品は王国と同じだった。A級昇格褒賞品、フェミルの聖章。B級昇格褒賞品、アンダルキアの水差し。どちらも魔道具ではあるが大した品ではない。

 フェミルの聖章はヴィータ種の傷を少量回復する効果のある十字のペンダントだ。回復系のスキルを持たない者に取っては何度も使用できる貴重な回復手段だが、回復量は下級回復魔法の半分程度なのであまり役に立たない。

 アンダルキアの水差しは時間経過で飲用できる水を蓄える魔法のかかった水差しだ。一般家庭にとっては有用だが、こちらも無いよりはマシ程度と言えよう。そもそも魔術師職ならこんなの使わなくても水を生成できる魔法が使えたりする。


「アム、フェミルの聖章はアムにあげるよ」


「え!? またですか? ありがとうございます!」


 アクセサリー関係はいつも通り、アムにあげる。僕が持っていても仕方ないものだ。今回はペンダントだったので、アムの首にかけてあげた。

 純粋なレイスにとっては全く役に立たない品だが、嬉しそうにしている。黒っぽい探求者用のワンピースに灰色の十字架がよく映えた。


「フィルさん、似合ってますか?」


「似合ってる似合ってる。可愛い可愛い」


 白夜がそれを呆れたような眼で見ていた。


「いつも思うんですが、フィルさんとアムさんは仲がいいですね」


「マスターとスレイブが仲良くすることなんて普通だよ」


 マスターとスレイブは依頼を受ける時にだけ組むパーティよりも遥かに密接した関係なのだから、パーティメンバーよりも遥かに仲よくあって然るべきだ。

 小夜に続いて白夜にも慣れたようで、アムが特に気負いもなく不満を漏らす。


「でも白夜さん、フィルさん依頼の時は凄く厳しいんですよ? あれやれこれやれって! この前のC級昇格前提のフェリア草の採取だってすっごい苦労したんですから!」


「でも結局できたじゃん」


「いやいやいやいや、十時間以上もかかったじゃないですか! 一本見つけるのに!」


「それは、何回教えても特徴を見分けられないアムが悪いよね?」


「いやいやいやいや、色も形も匂いもそっくりなのにどうやって見分ければいいんですか!? 茎の色が心なし濃いとか意味わかんないですよね? 全然差異がわからないし、フィルさんは一緒に連れてきた薬草屋の人とおしゃべりしてるし!」


 二日前の事を掘り返すアムの頭を撫でて宥める。

 それに結局は見分けがつくようになったんだから結果論で言えば大成功だ。


「薬草屋の人じゃない。アレンさんとカードさんだ。薬師のクラスは戦闘向けのスキルがほとんど無いから、ああいう機会はほとんど無いんだよ。お礼言ってただろ?」


「フィルさんにね! 大体、一緒に探してたカードも泣きそうでしたよ!」


 ちなみにアレンさんが師匠でカードが弟子。両方薬師のクラスだ。

 弟子のカードにフェリア草の見分け方を教えてやりたかったらしく、依頼を受けるついでに一緒に取りに行ったのだ。薬草の群生地はそこまで危険のある場所ではないとは言え、街の外なので戦闘のできる者がついていないと採取もままならない。

 フェリア草の判別は薬師にとって一つの関門になっている。これができないようでは薬師として全く信頼ができないためだ。アレンさんも判別できるようになるのには苦労したと言っていた。

 いい人だった。また機会があれば一緒に行こう。


「でも、二本目は一時間で見つけられたよね? 最初は何でも時間がかかるもんだよ」


「まぁ……そうかも知れないですけど……」


 グチグチいうアムに、焦れたように白夜が手を叩いて止めた。


「はいはい、わかったわかった。わかったから、もういいです。それで、次の依頼はどうします?」


「そうだな……A級討伐を何個か繰り返そうかな……討伐証明の値段が高いの幾つか見繕ってくれる?」


「かしこまりました。A級討伐をできる探求者はこの辺りでは多くないですからね……結構ありますよ?」


「アム、できるな?」


「はい。探索に比べたら討伐の方が……でも、ヘレスよりは弱いのがいいです……」


 アムが自信なさ気な表情で付け足す。

 暗黒機兵ヘレスは明らかにアムよりも強かった。ランクでは負けている上に、相手は攻撃力に特化していた。そもそも、A級討伐依頼はそのほとんどがB級のナイトメアよりも種族ランクが高い。ここから先は易易と勝てる相手は多くないと思ったほうがいい。

 そして、A級昇格試験の対象だったということは、あれより弱いA級はいないと言う事だ。

 白夜が困った顔でこちらを見てきたので、首を横に振った。


「アム、今日の依頼が終わったら明日は一日休みをあげるよ」


「え!? 本当ですか!?」


 アムがぱぁっと顔を輝かせて僕を見上げる。

 時間がなかったので飛ばしたが本来ならばある程度の休息は成長には必要不可欠だ。

 ストレスは適時取ってあげているつもりだが、それだって所詮は付け焼き刃に過ぎない。


「じゃー、明日は……買い物! 買い物に行きたいです!」


「……まぁ、まずは今日の依頼ね」


「あ……そうですね。白夜さん、弱いので! 弱いのでお願いします!」


「弱いA級討伐依頼なんて無いですよ……馬鹿ですか? ……まぁ、今日中に終わりそうなのを見てみます……」


 自信満々で情けない要求をするアムに、白夜がタブレット端末を操作し始めた。








**********








 力が無いという事は必ずしも弱さに繋がらない。

 魔力も身体能力も低い、その存在の意味を、持てる者の一人であるアムは必ずしも実感できなかったが、今ならわかる。

 アムは発生して十五年、初めてその事実を知ったのだ。


 『機神の祭壇』


 魔物の支配域の中でも一定区間で閉塞されている地域の事を探求者の用語で迷宮(ダンジョン)と呼ぶが、機神の祭壇は、レイブンシティ近郊では最高ランクの機械種の工場であり、未だ突破されていない第一線級の迷宮(ダンジョン)だった。

 つい一週間前の自分では逃亡することすら叶わない上級の機械種がダース単位で蠢いているその地で自分よりも遥かに脆弱なマスターが指示を出す。

 ブリーフィングは既に街で実施済みであり、地図の内容も散々時間をかけて頭に叩きこまれている。アムの脳裏には既に地図が明確に刻み込まれていた。


「アム、わかっているな?」


「はい。目標はA203監視警備機兵アイズの討伐。対象数は十二体。討伐証明はアイカメラ。弱点は特になし。攻撃方法は両手から射出される火属性の光線と背中に設置された補助機手による回転鋸を使用した斬撃。生息域はA13区間以上奥全域で、周辺地域を一定のルーチンで徘徊する特性があり、侵入者を発見した瞬間に中央管制塔に対して信号を発信する」


「そうだ。討伐対象のカメラアイは頭頂に設置されているから攻撃は主に横薙ぎで行え。構成金属は極めて高い硬度を誇るが戦闘向きの機械種じゃない、アムならば問題なく破壊できる。また、ヘレスでわかっていると思うが、ここから先は『透過』のスキルは通じないと思え。多少の傷なら薬で治せるが、全部避けるつもりで行動するんだ。このクラスの機械種は全身が売れるが、今回はどっちにしろ持ちきれないので捨て置く。信号は基本的にはジャミングするが時間が経てば警備兵がやってくるだろう。だから、常に移動しながら討伐する事になる。オッケー?」


「……はい。おっけーです」


 すらすらと情報を手早く述べていく。

 アムはその様子をぼーっとした表情で見ていた。

 心臓の音は平時と変わらず、その表情には焦りの一つも浮かんでいない。

 アムのそれとは異なる、吸い込まれそうな黒い眼がアムを射抜く。精神が高揚していくのを感じた。


「よし、それじゃ行くよ?」


 フィルが薄手の手袋を嵌め、球状のアイテムーー紅光球を取り出した。

 機械種のセンサーを一時的に誤魔化すための道具だ。眼のいいアムにも見えないが、機械種には大きな効果がある。フィルが好んで使う道具だった。


 スイッチを入れ、装置を階下に投げ入れる。

 と同時に、アムは階段を駆け下りた。身体が、精神が、魂が充足している。自身がまるで風になったかのように錯覚さえ感じる。

 一人で依頼を受けるよりも、遥かに心が軽い。


「アム、上だ!」


「はい!」


 一番下の階段を踏んで大きく跳躍し、天井の隅に設置された監視カメラに剣の刃を差し込んだ。

 右手に握る剣も、もはやアリの顎をつなぎあわせて作成した即席のそれではない。市販品ではあるが、店売りされている中では最高の硬度を誇る白魔鋼で誂えた逸品、ロングソードだ。

 散る火花を見もせずに、壁を蹴ってもう一方のカメラを破壊する。

 その間に、数メートル後ろを駆けてついてきたフィルが五本の分解ペンを投擲し、地上に仕掛けられていたカメラを正確に破壊した。

 入り口付近に機械種の姿はない。

 地面に落ちた紅光球を拾い、フィルが命令を出した。


「アム、行け!」


「はい!」


 地を軽く蹴って奔る。同時に『重力無効』のスキルを起動する。壁、天井を縦横無尽に駆けるその姿は装備している黒い外套も相俟ってまるで影が走っているようだった。

 接地する度に、天井、地面に仕掛けられたカメラを順番に破壊していく。

 フィルはその後ろを駆けながら、腰につけた袋から正方形の機械を取り出す。機械種の核が放つ一種の波動を検知するセンサーだった。射程の関係もあり、屋外ではあまり役に立たないが、壁に反射するため屋内では効果が大きい。


「アム、右斜め前に三体。B972戦闘警備兵だ!」


「はい!」


 右の角を曲がった瞬間にアムが上から襲撃を掛ける。機械種は特に上からの攻撃に弱い。

 センサーがうまく動作していなかったため、B972戦闘警備兵の対応が一瞬遅れる。その刹那の瞬間の隙に、アムが重力無効を切り、刃を閃かせた。

 金属同士が接触する高い音。一拍置いて B972戦闘警備兵の首が飛ぶ。

 残りの二体が侵入者に銃口を向けるが、既に剣の間合いだった。身を低くすると同時に、弾丸の嵐がアムの真上を通り抜ける。

 熱い硝煙の匂いが鼻孔を擽る。


 全然……怖くない!


 まるで恐怖が麻痺してしまったようだ。銃弾の嵐は、ある程度の防弾対策はしているとはいえ、防刃メインの装備であり、軽装のアムを簡単に吹き飛ばすだけの威力を持っていた。アムは今、死のごく近くにいた。

 だが自身の動きはその事実を何の苦とする事もない。足は止まる事はなく、精神は動揺しない。緊張もない。


 左方に滑るようにして移動、白魔鋼の刃を切り上げるようにして警備兵の身体を切り裂き、同時に命を失ったその身体の影に隠れる。

 残った一体の銃撃の手が一瞬止まる。その隙に警備兵の数百キロはあろうかという死体を全力でそちらに蹴りあげる。


「アム、『身体強化』! それから後三体こちらに向かってる!」


「はい!」


 身体に力が漲る。

 死体ごと残った一体を切り裂いた。硬い金属を射抜く重い手応え。その生命が、反応が消えたことを剣を通して確認し、新たに接敵した警備兵に向き直る。


 フィルは角を曲がらない。フィルの身体能力では銃弾を避けるのは至難のためだ。

 その代わり、角から分解ペンのスイッチを入れ、上下左右に十本程投擲し、監視カメラを破壊する。


 警備兵はほとんどが遠距離攻撃に特化している。が、それはせいぜい十メートル。それ以上の長距離での戦闘は想定していない。


 身体強化じゃ……足りない!


 アムは自己判断で『悪夢の福音』を起動した。体中に隅々まで広がる力。床に散らばる空薬莢を拾い、数十メートル先に迫る警備兵に全力で投擲する。

 音速に匹敵する速度で飛来する薬莢が装甲にぶち当たり、警備兵が蹈鞴を踏む。いくら速度が出ていても軽い薬莢では分厚い装甲板は射抜けない。だが、その瞬間を見逃さず、アムは既に警備兵の前にいた。


 横薙ぎに振られた斬撃が警備兵を三体まとめて壁に叩きつける。それでも軋んだ音を立ててアムの方に向けられる銃口を蹴りあげた。天井に発砲された銃弾が跳弾してアムの身体を掠める。

 機械種はしぶとい。

 力づくで刃を振り回し頭を完全に破壊し、アムは軽い疲労に肩で息をする。


「アム! カメラ!」


「は、はい!」


 飛んでくる叱責に、アムが慌てて剣を握り直し、天井のカメラと地面に接地されたカメラを破壊した。

 休まる暇もない。一番怖いのは敵ではなく主だった。


 無言で飛来した分解ペンがアムの壊し忘れたカメラを二つ破壊する。その投擲には必要以上の力が全く込められていなかった。カメラもレンズ以外は全く傷ついていない。破壊ではなく無力化。それはまさにアムの見たこともない技術だった。

 いつの間にか地面に転がされていた紅光球をフィルが拾う。


「アム、油断するな! それとも疲れた?」


「い、いえ、大丈夫です!」


 フィルが慌てて答えるアムの全身を検める。跳弾が掠めた腕の辺りを手で触れた。

 幸いなことに、悪夢の福音がかかっていたため破れてはいない。が、袖をまくると、白い肌の一部が内出血して紫色に腫れていた。


「掠めたな? 痛みは?」


「ありません」


「そうか」


 それだけ言うと、フィルが道具袋から小さなスプレーを取り出し、アムの腕に吹きつけた。

 ひんやりとした感触。気づかない程僅かにあった違和感が抜け、皮膚の色が元に戻る。

 レイス用の回復薬。需要が極めて少ないそれは、オーダーメイド品であり、市販していないらしい。存在すらも、アムは知らなかった。


「右には警備兵の反応が五体あるね……さすが工場だけあって数が多い……左から回りこむか」


 脳内にマップを開く。


「A5区画から回りこむって事ですか? 遠回りになりませんか?」


「なるね。可能なら予定通り右のA2区画に行ったほうがいい。五体倒せる?」


「……いけます」


「ならそっちからいこう」


 言葉少なに会話を終えると、フィルは投擲した分解ペンをゆっくり拾った。

 その頃にはアムの疲労は消えていた。


 機神の祭壇の通路は横三メートル、高さ五メートル程の通路だ。アムよりも大きい警備兵では横に並んだだけで幅いっぱいになる。

 それは隙が無いのと同時に、横薙ぎで数体巻き込めるという事を意味していた。反応も早く、銃撃の破壊力も脅威だが知能はそれ程高くない。


「ちょっと強化してあげよう」


 フィルがそう前置きをして、囁くように言った。


「アム、手を叩くよ? よく聞いて?」


「はい」


 アムの聴覚でも僅かにしか聞き取れない音でフィルが手を叩き始める。

 その音だけにアムは全神経を向けた。

 アップテンポだった音が徐々に速度を上げていく。


「これはアムの中の時間を決める時計だ。僕は今それを刻んでる。さあ、よく聞いて?」


 魂核の鼓動が音に同期し、徐々に速度を上がってくるのをアムは感じた。同時に全身が少しずつ熱を持つ。

 魂が刻む存在のクロックが上がっているのだ。その感覚は、身体強化にも悪夢の福音にもない未知の感触だった。

 命が燃え、エネルギーを送り続ける。その奔流はアムの意識を遥かに越え、靭やかにアムを飲み込んでいく。

 不可思議な魔法がフィルの声に宿っている。


「さぁ、アムに三十秒だけ力をあげよう。さぁ、いくよ? 『愚者の喝采(フールズ・プレゼント)』」


「はぁ、はぁ。はい、行って……来ます!」


 アムの姿が一瞬でフィルの視界から掻き消えた。






 目まぐるしく変わる視界はまるでアムに取っては夢幻の世界のようだった。

 頬に感じる風が痛い。身体強化と悪夢の福音、そして『愚者の喝采(フールズ・プレゼント)』が相乗されたその世界は新たな領域をアムの前に示している。

 もう既に止まっているフィルの拍手に同期して鳴る魂核の鼓動が逃しきれない熱を全身に与えている。

 一瞬で警備兵の背後に轟音を立てて回りこむ。


 強力なセンサーと処理機能を持つB972戦闘警備兵の反応が遅れる。


 アムは全力で剣をその頭に向けて振りぬいた。

 かなりの重量がある剣がまるで羽のようだった。三体の警備兵がバラバラになり、一番壁側にいた左右の二体がアムを視界に収める。


 だが遅い。


 元々俊敏さは警備兵よりもアムの方が高かった。だが、今の自分は生きている速度が違う。アムは今、物理の範疇外にあった。

 今のアムの攻撃速度はトリガーが引かれるよりもさらに早い。

 銃撃を放たれる前に一体を破壊し、もう一体に向き直る。さすがにトリガーを引かれ襲い掛かってくる銃弾の嵐を、振り向きざまに剣で切り落とした。

 音速に迫る銃弾を、アムは確かな感覚で認識していた。

 歩みをずらし、銃弾の雨を躱す。

 警備兵が射線をずらすよりも速く、剣が幹竹割りに警備兵を破壊した。


「はぁ、はぁ、はぁ……監視、カメラ……」


 安心するよりも速く跳躍し、カメラを速やかに破壊する。

 辺りを見渡し、他にカメラがないことをしっかりと確認した。


 先ほどよりも遥かに速やかに敵を殲滅できた。だが、先ほどよりも疲労が遥かに濃い。

 戦闘が終わったにも関わらずアムの心臓は早鐘のように鳴り続けたままだ。

 フィルの言葉を思い返して気づく。三十秒……そうだ、三十秒まだ経っていないからだ……感覚が変わりすぎて分からないが、恐らく十秒と経っていないだろう。

 身体が炎がついたように熱い。まるで自身の存在が燃焼していくかのように。


 ぞっとするような予感。


 アムは慌ててフィルの方に戻った。

 アムが通りすぎた道を、監視カメラを破壊しながら歩いていたフィルがアムの姿に気づく。


「よくやったね、アム。さ、クロックを抑えてあげよう」


 フィルが再び手を叩く。今度は先ほどとは逆に速度が少しずつ緩やかに変わっていく。

 同時に、アムの鼓動もそれに合わせて本来の速度に戻っていく。


 アムの腕が、足が痙攣していた。

 立っていることができず、膝を突く。


「アム、さぁ、これを飲むんだ」


「はぁはぁはぁはぁはぁ、な、何ですか、それ……」


「いいから飲め。何だと聞かれても……まぁ、色々だよ」


 差し出された八つの白い錠剤を見る。熱を持った頭では碌に考えられない。

 言葉に従い、錠剤を飲み込んだ。


 フィルが腕を伸ばし、アムのおでこに手を当てる。

 痙攣が嘘のように収束し、熱を持っていた頭がすーっと冷える。

 濃かった疲労が抜けていく。


 飲んでから僅か十秒ほどしか経っていない。

 あまりに急激な変化に、目を見開いて恐恐とマスターを見る。

 熱が抜けなかったその瞬間よりもぞっとする思いだった。傷薬が効果抜群なのはいいとしても、なまじ経口摂取だから大きな忌避感がある。


「楽になった?」


「な、何を、飲ませたんですか!? フィルさん!?」


「楽になった?」


「は、はい。でも……逆に怖いです……」


「あはははは、楽になったならいいじゃん。大丈夫、身体に悪いものじゃないよ」


「信じてますよ!?」


 早く……早く強くならないと、何を飲ませられるかわかったものじゃない!

 焦燥感と得体の知れぬ不安にアムはぞくりと肩を震わせた。


「さ、続きだ。帰りもあるわけだし、さっさと進むよ? それとも一本いっとく?」


「……いっとかないです」


 何を、とは聞かなかった。聞けなかった。

 すっかり疲労の抜けた身体を持ち上げる。剣を無造作に持ち上げ、アムは前に一歩踏み出した。

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嘆きの亡霊は引退したい。

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