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Tamer's Mythology  作者: 槻影
第一部:Tamer's Mythology

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第二十五話:許してほしい

 目当ての道具を取って、階段を駆け下りる。

 食事をとっていた部屋に入った瞬間、真っ先に僕の眼に入ってきたのは鬼だった。


 鬼。


 俗に言う鬼種である。鬼と一口に言っても種族は様々で、例えば分類だけで言っても、吸血鬼(ヴァンプ)は純粋なレイスだが、食人鬼(オーガ)はヴィータ、東方では至極一般的である(フィーン)大鬼(ヒュージ・フィーン)はレイスとヴィータの中間に位置される。また、悪魔(デーモン)も度々鬼と呼ばれるが、こちらは厳密に種が異なり、魔物使いが悪魔を鬼と呼ぶことはない。

 ヘルフレッドは『生意気な子鬼』と呼ばれているが、分類は東方の鬼や大鬼の仲間に分類されている。鬼の平均身長が二メートルを超える事を考えると、平均身長が百七十程度であるヘルフレッドは確かに小さいと言えなくもないだろう。


 だが、目の前のヘルフレッドの大きさは明らかに二メートルはあった。僕よりも頭一・五個分くらい大きい。

 雄のヘルフレッドだ。全身を覆う鍛えられた鋼のような黄土色の肉体は僕と比べて二回りは大きく、鬼族特有の釣り上がった金色の鬼眼。そして頭に生えた鬼族の証である二本の銀色の角から明確に鬼種である事がわかる。

 探求の帰りらしく、纏った鎧は東方でよく見られるタイプの鎧、業物らしく、単純な鋼鉄ではない灰色の輝きを薄暗い電灯に反射させていた。

 恐怖(フィアー)よりも一段階下がるハーフレイス特有のパッシブスキル、『邪気(ダークネス)』がびんびんと空間に伝播しており、本能的な恐怖を呼び起こさせた。

 さすがに肝っ玉が座っているアネットさんも閉口しているのか、若干動作がぎこちない。


 その所業はともかく、予想以上に立派なヘルフレッドだ。子鬼? とんでもない。大きさだけでもプライマリー・フィーンと同格。

 腰に下げている刀を見て予想すると、侍のクラスだろうか?

 鬼種は侍や巫女などの『和』のクラスに適性のある者が多い。『侍』とは刀を媒体に戦闘を行う近接戦闘クラスである。剣を使用する騎士とは異なり手数に焦点を置いたクラスだ。盾を持たない特性上、攻撃は尽く避け、隙を見て手数で敵を圧倒する。魔力をそれ程使用しないスキルが多いため、継戦能力も高い。数あるクラスの中でも高い火力を誇る、探求者の花形だった。使い手の技量にもよるが、一流の侍は斬撃の嵐を繰り出す事ができる。その戦闘風景は圧巻と言える。

 突然の乱入者に、ヘルフレッドが鋭い視線、殺意と邪気を向ける。

 僕はそれを見て嘆息した。うちのナイトメアより品性が非常に悪いが、よほどモノがわかっている。純粋な鬼種ならともかく、子鬼でこのクラスの個体はそうそう見れるものではない。鍛えあげることができればかなりの戦力になるだろう。


 ああ、データが取りたい……


 事も無げに近寄り、ペタペタとむき出しになった腕に触れる。鍛えあげられた筋肉。魂質と肉質の割合も非常に丁寧に仕上げられている。資質はともかく、アム何かよりもよほど業物の(スレイブ)だった。

 それだけに……惜しい。


「いいなぁ……立派なヘルフレッド……。僕が女だったらなあ……」


「何だ貴様?」


「ちょ……フィルさん!?」


「あるいは君が女だったらなあ」


 ヘルフレッドが僕の言葉に反射的に抜刀した。

 僕の眼には挙動の欠片も捉えられない神速の抜刀は明らかにスキルの助けを借りており、それ故にかの鬼が刀の扱いに長けた侍のクラスであることを如実に物語っている。

 ぎらりと輝く肉厚の刃。アムが一瞬息を飲む。


 生活圏で抜刀はマナー違反だ。まっとうな探求者ならまず第一にその行為を避ける。マスターの制止を待っていたが、制止が来る気配はない。


 仕方なく、振り上げた刃の下を歩き、ヘルフレッドの隣にいた沈んだ顔で立つ女の子の元に行く。

 茶色に近い赤髪のツインテールの女の子だ。何しろヘルフレッドの威圧が凄まじいので、側にいるとまるで存在感がない。

 刃の下を潜る際にヘルフレッドが僅かに刃を動かしたが、気にしない。


「君がリンさんかい?」


 虚ろな眼が僕の顔を見る。完全に眼が死んでいた。


「貴方誰よ」


「僕はフィル・ガーデン。クラスは魔物使いで……つい三日前からアムのマスターをやってる」


「アムの?」


 リンの眼に一瞬、灯が戻ったが、すぐに元の濁った眼に戻る。寝ていないのか、眼の下には隈がくっきり残っていた。

 ノイローゼだな。新米の魔物使いによくある話だ。


「アム、これ持ってて」


「……? はい」


 側で所在なさ気になっているアムに、アリの顎で作った剣を投げる。

 鞘もないそれを器用にキャッチして、アムが首をかしげた。わかってないなあ。

 契約の絆を通して命令を送る。

 殺気が真上から振ってくる。雷鳴のような声が降ってきた。


「貴様、俺を無視するつもりか!?」


「リンさん、スレイブを止めて欲しいんだけど? そもそも、生活圏内で恐怖(フィアー)邪気(ダークネス)をまき散らすのは法に反してるよ? 分かってるの?」


 僕の指摘に、リンが微かに頷いた。

 まだ意志は残っているらしい。が、あるべきカリスマが全く感じられない。まるで操られた人形であるかのように、リンがスレイブに指示を出す。


「……ええ……そうね。……広谷(ヒロヤ)……様、邪気を納めていただけませんか? 後は……刀も」


「何だリン、この俺に、貴様如きが、命令するのか?」


 広谷と呼ばれた、鬼の殺気の対象がリンに変わる。眼に見えてリンの顔が青ざめる。

 爛々と光る金色の瞳に、嫌らしい笑みを浮かべている。まさにそれは鬼面と呼べるだろう。東方の住民は鬼の顔からインスピレーションを受け、神を生み出したらしい。


 心中で一度頷く。あー、これはもうだめだな。


 そもそも、完全にスレイブの能力がマスターの力に合っていない。

 実力差がありすぎて命令が聞いていない。魔物使いの用語でいう『オーバールール』というやつだ。


 魔物使いが一番最初のスレイブと契約する際、度々このような事象が発生する。教科書にちゃんと力相応のスレイブと契約を結ぶように記載されているのに、だ。

 その理由はいくつかあって、まず第一に魔物使いがスレイブと契約を結ぶ機会は実はそう多くない事があげられる。何故ならスレイブというのは、マスターにとってそうぽんぽん頻繁に変更するものではないからだ。

 その基盤に絶対的な信頼関係を築かなくてはならないその性質上、スレイブとは一部例外を除いて、取り替えの効かない剣であり、同時に易易とスレイブを変更する行為は魔物使いの中でも最も忌避される行為だった。

 故に、剣士は実力が上がれば威力の高い新たな剣に取り替えるが、魔物使いは取り替えない。魔物使いの本懐はスレイブの育成であり、腕を上げる事がスレイブの成長と直結しているため、本体の腕が上がれば上がる程に自動的に強力な剣になっていく。それができない魔物使いは魔物使いとして三流という評価になってしまう。


 そして、そのような傾向がある以上、最も重要なのは一番最初に契約を結ぶスレイブということになる。

 一番最初のスレイブが強ければマスターも箔がつくし、それを足がかりに実力を上げ、さらに上位の個体と、追加で契約を結ぶ目すら見える。

 そういう意味では、最初に契約を結ぶスレイブとして、じっくりと共にパーティを組んだ結果、アムを選択した彼女は正しい。

 そして、最初の契約に失敗して二度目にこの広谷という鬼と契約を結んだのは最大の失敗だと言えるだろう。レイスと契約に失敗して二度目の契約でハーフとはいえ、レイスの混ざりものを選んだのはリンなりのプライドだろうか?

 確かに広谷はヘルフレッドとしては異形の個体だ。鬼は基本的に力が強い程に身体が大きい。その特異な大きさを見ただけで、広谷という鬼の有する力がわかる。


 アムが尋常ではない様子に、僕に不安げな視線を送ってくる。それに笑顔でしっかりと頷いた。

 僕には既に覚悟ができていた。面倒くさいことこの上無いが、僕はスレイブのためなら全力を尽くせる。


 大丈夫、僕は出来の悪い後輩に正しい魔物使いのあり方を教えてあげるから。


 広谷が太い鉤爪のついた指でリンの頬に触れた。完全に舐められていた。

 それを見て、頭の中でスイッチを切り替える。世界に一枚の灰色のフィルターがかかる。

 鬼種特有の妖眼がリンを貫き、その身体を縛る。広谷が威圧するように笑った。


「くくく……俺に命令をしようとは……ずいぶんと偉くなったもんだな。身の程を忘れたか? リン。罰を与えねば、な……」


 なんという茶番だ。余りのくだらなさに笑いしか出てこない。


「あはははははははははははははははは!!」


 哄笑した。本当に、本当に面白い冗談だ。

 広谷の指が止まる。リンとアネットがいきなり笑い出した僕にぎょっとした視線を向ける。


「貴様、何が可笑しい……気が触れたか?」


「アム、聞いたか? ただの武器がマスターに、身の程知らずに、罰を与えるとか言ってるぞ! こんなに面白いギャグ、久しぶりに聞いたわ! あははははははははははははははは! マスターもマスターで、武器の教育が全然足りてないなあ! なぁ? そうだろ、アム?」


「フィ、フィルさん!?」


 広谷の眼に再び僕が映った。邪気が指向性を持って僕にぶつけられる。頭に浮かんだ青筋が痙攣している。

 邪気は恐怖の下位互換のスキルだ。慣れない一般人ならともかく、レイスをスレイブにしている魔物使いに対してこの程度の邪気じゃ、指一本止められない。

 身の程、そう、身の程を知らないという他ない。

 剣士が剣に裏切られるか? 魔法使いが杖に裏切られるか? これはそういうレベルの事だ。


 リンは一体どういう内容で契約を施したのか。

 いくらスレイブが強くても、こんな躾のなっていない犬を飼っていてはマスターの格が疑われるというのに。

 こんなんじゃ……アムの方がまだマシだ。


「ただの人間風情が……死にたいか?」


 その人間と同じ種族に飼われている鬼が何をほざくか。


「あはははははははははは、リン。こんなのを飼っているようじゃ、お前は三流の魔物使いだ! 出来の悪い後輩のために、僕が躾の手本を見せてやるよ!」


「え!?」


 殺意が爆発的に膨らみ僕の頭に無言で刃が振り落ろされる。

 鬼の膂力は極めて高い。まともに喰らえばただの人間の僕など即死だろう。

 だが、それは横から差し出された剣によって弾かれた。

 僕は身動き一つしない。するまでもない。剣士は剣で戦い、魔法使いは魔法で戦う。ならば魔物使いが使うのは魔物であるが道理というもの。


「……何だ、貴様?」


「フィルさんのっ、スレイブっ、ですっ!」


 アムが息を切らしながら先ほど渡した刃を振るう。

 剣閃が風鈴の音のような音を立てて幾度も交わる。

 広谷は唐突に合図一つなく割り込んできたアムにターゲットを変え、刀を向けた。


 侍のスキルは速度は違う。アムが今なんとか打ち合えているのは、広谷が威嚇のために刀を抜いてしまっていたため、最も速度の出る『抜刀術』のスキルを使えなかったせいだ。『抜刀術』のスキルは刀を抜く際にのみ使用可能なアクティブスキルで、剣速を一定時間倍にする効果がある。


「邪魔をっ! するなっ!」


「邪魔をっ! しますよっ!」


 凄まじい速度で放たれた振り下ろしを、剣を縦にして受ける。

 種族ランクこそBのナイトメアとDのヘルフレッドでは差異があるが、鬼は基本的に筋力が高い上に、広谷は侍のクラス持ちとして鍛え上げられている。

 鍔ぜり合いはアムにとって不利だ。じりじりと押されていくアムを広谷がにやりと笑みを作って見下した。


「ふっ……なかなかやるようだが、俺と力比べをしようなどとは、まだ幾分か早かったな」


「くっ……そんなの、やってみなけりゃ、わからないじゃないですかっ!」


 アムも顔を真っ赤にして何とか剣を突き返そうとする。だがわかる。アムのプロファイリングをある程度完了している僕にはわかる。アムと広谷では実力差は甚大だ。

 僕はその隙にリンとアネットさんを店の端まで誘導した。


 リンが泣きそうな顔で戦況に集中している。

 挑発したのは僕だが、先に手を出したのはリンのスレイブの方だ。スレイブの所業は全てマスターが責任を取るのが通例なので、今の状況の全責任はリンと僕にあった。

 リンが僕の襟口を掴んで食って掛かる。


「ちょっと! アムが死んじゃう! なんてことしてくれたの!」


 仕掛けたのは広谷の方だ。マスターの守護はそもそもスレイブの役割なので、アムはして当然の事をしただけの事であり、僕は一切何ら謝るようなことはしていない。

 リンの手を払う。


「マスターの、リンが、スレイブを、止めればいいだろ!」


「無理よっ! 無理なのよっ! できるならやってるわっ!」


 リンが悲痛な声を上げた。


 スレイブがマスターの言う事を聞かないパターンの原因はおよそ二つに分けられる。

 一つ目が、マスターとスレイブの力量が離れすぎているかあるいは、信頼性が足らずに命令(オーダー)のスキルが通じないパターン

 二つ目が……そもそもそういう契約を結んでいないという本末転倒なパターン


 素人の魔物使いは往々にしてどちらも同じくらい犯しやすいが、今回の場合はどう見ても後者だ。

 広谷の能力値は確かに種族としては抜けており、侍としての鍛錬も積んでいる。が、契約というのはそう簡単に破られるものではない。マスターであるリンに対して畏敬の念がかけらもないことを考えると、広谷はわかっているのだ。結んでいる契約では何の強制力もないのだと。

 広谷は賢い。とても優秀なヘルフレッドだ。新米の魔物使いには扱えないレベルで。

 本来なら長所になるべき点が、非常に面倒くさい問題を起こしてしまっている。


「ならば死ぬだけだ。リン、広谷と交わした契約を教えろ」


「え……契約……?」


 リンの襟首を掴み、ねじ上げる。リンは軽かった。才能はなくともある程度鍛えられている僕には造作もないことだ。

 時間がない。僕は、アムをただのヘルフレッド何かに殺させるつもりはない。彼女は原石なのだ。僕が磨くのだ。

 リンの瞳の中を殺意を込めて睨みつける。


「聞かれた質問にだけ答えろよ。あのスレイブと、交わした契約はなんだ?」


 アムが力に耐え切れず、サイドステップで剣閃を避ける。

 刀に込められた運動エネルギーが床を打ち抜き、礫が巻き上がった。凄まじい勢いで広谷とアムに襲いかかる。

 建物全体が揺れ、足に衝撃が奔った。

 広谷は鎧を装備しているが、本日は討伐依頼をこなしていないアムは軽装だ。礫は均等に双方に襲いかかるが、ダメージが違う。

 アムが弾丸のように飛来した礫に腹を撃たれ、テーブルをぶち壊し壁に激突する。この弁償はリンだな。

 蛙が潰れたようなうめき声が聞こえた。無残だが傷自体は軽傷なはずだ。広谷の斬撃を直接受けていたら如何なアムでも重症は免れ得ない。


「貴方、アムの、マスター、なんでしょ!? 何で、そんなに、平然と、してるのよ!!」


「僕の言う事が聞こえなかったのか? もう一度言うぞ? あのスレイブと、交わした、契約は、何だ?」


 頭の悪い三流魔物使いの頬を一度強く張って言い聞かせる。

 平然としている理由? そんなのは単純だ。マスターは司令塔なのだ。いつでも冷静でいないといけない。スレイブの一匹にも命令すらできないマスターには到底分からない事なのかもしれないが。

 何かを感じたのか、リンが噛みしめるように答える。


「条件は……魔力の八割の譲渡、戦闘のサポートを行うこと、禁則事項は……」


「禁則事項は?」


 一度その瞳に逡巡が映る。

 リンが下唇を噛んで、答えた。


「命令……それ自体」


「あーあ、君、魔物使いをやる資格がないよ」


 手を離したため、リンがどさりと床に崩れ落ちる。


 それを無視して、テーブルにぶつかりうずくまるアムの元に向かう。


 ありえないありえない。禁則事項が、命令それ自体?


 ならばリンはーー一体、何のために契約を行ったのか?


 彼女とスレイブの間には何の信頼関係も存在していない。リンの契約は……契約の形をした何かだ。

 こんなのが僕と同じ魔物使いだって? 冗談じゃない。こんなのと一緒にされては……たまらない。


 契約を持ちかけたのがどちらからなのかは知らないが、スレイブもスレイブでマスターもマスターだ。

 ましてや、コントロールできないせいでスレイブが暴走し、邪気を垂れ流し、迷惑をかけている。鬼に飲まれている。


 うずくまるアムの眼を見た。傷は予想通り軽傷だ。唇の端から流れている血は、テーブルにぶつかった際に唇を切ったせいだろう。


「アム、まだ戦えるな?」


「は、い。戦えます。でも、フィルさん。あの広谷って鬼……強いです」


 アムの瞳が不安に揺れている。僕はその頬に手を当て、一言だけ質問した。


「勝てるな? 僕のアム」


 一瞬表情が逡巡に揺れ、すぐに視線に強い光が灯る。


「はい……勝ちます。私は、SSS級の、フィルさんの……スレイブですから」


「よし、アム。『悪夢の福音ブレス・オブダークネス』だ」


 魂を鼓舞すること。それが霊体種の扱い方の秘訣。

 ただの何の力もない言葉が、霊体種の力を格段に引き上げる。僕はそれが昔から得意だった。


 『悪夢の福音ブレス・オブダークネス』のエフェクトが禍々しくアムの全身を覆う。その強さは、アリに対して使用した時よりも、酒場で戯れに使用した時よりも遥かに強い。


 それを確認し、続いて広谷の、駆け出しの魔物使いのスレイブとなり、勘違いしてしまった哀れな鬼の元に行く。

 『悪夢の福音ブレス・オブダークネス』のエフェクトに警戒を示していた広谷だったが、能力値が最低辺であり武装もしていない僕は警戒の対象外だったらしい。攻撃を受ける事もなく、広谷の目の前一メートルの地点に立ち止まった。


「何だ、マスター。貴様のスレイブは、紙切れのように貧弱だったぞ?」


 生意気な小鬼が僕の事を見下す。その眼には自身に対する絶対の自信と、百戦錬磨のオーラがあった。唯一鎧の覆われていない顔と腕には無数の傷跡が見える。先ほどまで抜き放たれていた刃は再び鞘に戻っていた。今度こそ抜刀術のスキルでとどめを刺すつもりなのだろう。

 どこからどう見ても立派なスレイブだ。

 そもそも侍のクラスを得るには一定の倫理と品性が求められる。狂った鬼に扱えるクラスではない。

 答えは既に僕の中で出ていた。


 広谷は--侍のクラスを得てから狂ったのだ。鬼気に中てられたのだ。

 何て……勿体無い事だろうか。


 沈みそうな感情を何とか奮い立たせて、僕はなんとか無理やり笑顔を作った。

 オーケー。僕が、同じ魔物使いとして、責任を持って汚れ役をやってやろうじゃないか。


「広谷、君には悪いことをした」


「……何だ、いまさら命乞いか?」


 予想外の言葉に、アムが後ろで驚きの声をあげる。

 無視して淡々と広谷に謝罪した。


「リンは魔物使いとしては三流だった。君のような実力者を第一のスレイブに選ぶべきではなかった。碌でもない歪な契約を結んでしまったのはリンの全面的なミスだ。それがなければ君のような侍がこんな事になる事もなかっただろう」


 広谷が顔を歪め、怪訝そうな視線を僕に向ける。


「……貴様、何がいいたい?」


「魔物使いの先輩として、君の人生を台無しにしてしまったことを謝罪するよ。リンは僕が教育する。もう二度と君のような犠牲者は出させない。それをもってして、こんな事を言える立場でもないけど……許してほしい」


「許す? 犠牲者? ちょっと待て、何の話だ? 何故そんなにも--哀しげな眼をしているのだ!?」


 理解できないのもわかる。

 が、魔物使いの過ちは魔物使いが晴らすのが常。そして今この場に介錯できるのは僕しかいない。


 僕だって辛い。

 手を伸ばし、ヘルフレッドの傷だらけの手の甲に触れる。広谷のこれまでの戦歴が伝わってくるかのようだ。邪気が奔るが気にもならない。

 広谷は動かなかった。刀の柄を握る手に触れられても、微動だにしなかった。

 広谷の視線に初めて見下し以外の感情が篭もる。

 僕は一時でも気を抜いてしまえば歪みそうになる表情を正して笑顔を作って宣言した。


「広谷。君は処分する。悪いね」


 狂ったスレイブとの歪な契約をそのままにしておくわけにはいかない。


「処……分? 処分とは……何だ? 何を言ってる?」


 三白眼がはっきりと見開かる。そこで理解した。広谷の顔は恐怖に染まっていた。

 理解できないものに恐怖を示すのは鬼も人も変わらない。

 僕は少しでも広谷の恐怖が薄くなるように丁寧に説明してあげる。


「ああ、処分だ。君だって刀がナマクラになったら鋳潰すなり売るなり捨てるなりするだろ? 君はナマクラなんだ。それも持ち主や周囲の一般市民を傷つける危険なナマクラだ。なまじ鍛えられているだけ質が悪い」


「ナマクラ……だと!?」


「ああ、そうだよ。刀だって持ち主によって優秀な武器にもナマクラにもなるだろう? 広谷と呼ばれた名刀は、リンという三流の使い手が持つ事によって、極めて危険な武器になった。まさに悲劇だね。まぁでも魔物使いの中ではよくある話ではある」


 広谷の腰に下げられている刀をゆっくりと抜く。重い。五十キロはあるだろうか? こんなものを振り回せるヘルフレッドの膂力には頭が下がる。

 投げることができなかったので、地面に捨てた。少なくともそれで抜刀術は使えない。


 広谷は動かなかった。いや、動けなかったのかもしれない。

 その視線は僕の顔に答えが書いてあるかのように、僕のみを朦朧と追い続けている。必死で自分の中で答えを出そうとしている。が、その答えが見つかることは永遠にないだろう。


 アムもリンもアネットさんも、一言も何も言わない。静寂の中、僕の陽気な口調の言葉だけが流れていた。

 半開きになった口からは鮫のような牙が並んでいるのが見えた。


「まぁ、リンは魔物使いとしては初心者なんだ。若気の至りだと思って、広い心で許してやって欲しい」


「俺は……何もしていない……」


「ああ、わかっているよ。広谷は何もしていないし、何も悪くない。悪いのは全面的にリンだ」


 近づいて、広谷の肩を慰めるように叩く。

 事実、僕は全くこの乱暴者のヘルフレッドを責めてはいない。

 鬼種が若干乱暴者で無遠慮なことなんて常識だ。だからこそ、鬼種を扱うのは難しいのだから。

 初心者の魔物使いはレイスを扱う事はなるべく避けたほうがよい。


「処分……だと? き、貴様、何を……」


「貴様? ああ、紹介し忘れたかな? すまないね。僕の名前はフィル・ガーデン。魔物使いのフィル・ガーデンだよ。短い間だろうけど、今後共よろしく」


「フィル・ガーデン……? 貴様、一体何を……」


 僕は深くため息をついた。せっかく自己紹介してあげたのに、それはあんまりじゃないか?

 広谷も自分を処分する魔物使いの名前くらい知っておいた方が悔いがないだろう。


「広谷。フィル・ガーデンだよ。僕はフィル・ガーデンだ。貴様じゃない。あはははは、フィル・ガーデンだ。魔物使いのフィル・ガーデンだよ。オーケー?」


 ヘルフレッドの小さな脳みそでもわかるように何度も囁いてやる。

 僕はフィル・ガーデン。そう、魔物使いのフィル・ガーデンだ。


「フィ、フィル……ガーデン。何を……俺に、何をするつもりだ……」


「処分だよ。君が悪くないのはよく知ってる。悪いのはマスターのリンだ。だから広谷には悪いけど……死んでもらう」


「何故、何故俺が、死なねばならぬのだ!?」


 理解が遅いスレイブだ。そんなの理由は決まってる。


「おかしな契約を結んでしまったから、さ。契約を変更するにはスレイブの同意を得て行うか、あるいはスレイブの死による完全なリセットが必要なんだ」


「おかしな契約……? 完全な……リセット? そ、そんなことのために、貴様……いや、フィルは、この俺に、元B級探求者のこの広谷に死ね、と!?」


 広谷が驚愕と混乱と恐怖の入り混じった口調で僕の眼を見つめる。

 冗談だとでも言ってほしいのか? いいや、全くもって正気だね。

 もとより切れ味するどい刃は初心者のマスターには必要ない。信頼が無いのならば、研ぎ直すよりも新品を手に入れるほうが遥かに簡単じゃないか。リンも、子鬼なら子鬼でも子鬼(ゴブリン)と契約すれば実力的にも調度良かっただろうに。次はゴブリンだな。


「ああ、正解だ。頭いいね」


「っ……!!」


 広谷が一歩後退る。

 僕はそれを追わなかった。もとより、僕は脆弱だ。僕じゃ何時間殴っても広谷を殺せないだろう。

 僕は魔物使い。なればこそ、執行の刃はスレイブに他ならない。


「アム、おいで……」


「……はい。広谷……さん……すいません……」


 アムが広谷の前に立つ。その右手には、鈍器としてしか意味をなさない、抜身の剣が握られている。

 広谷は見た目だけでなく実力を伴った明確な脅威を前にして、反射的に自分の腰に手をあて、初めてそこに愛刀が無いことに気づいた。視線を僕の足元に転がる刀に移し、どんどん上にあげて僕の顔を見る。


「お、俺が、悪かった」


「いや、広谷は何も悪くないよ。悪いのは全て……リンだ」


「た、助けてくれ。フィル、本気じゃないよな? 殺すなんて?」


「『殺す』じゃなくて『処分』だよ。広谷は古くなった自分の刀を鋳潰す時に殺すって言わないだろ?」


 まさか死ぬのが怖いとでも言うのだろうか?


「契約か!? 契約を変えればいいんだな!? 俺は……ただの、出来心だったんだ! リンが、リンが、こちらの言うとおりに契約を結ぶと言ったから……」


「なるほど……確かに魔物使いはスレイブ限定だけど高い付与スキルが使えるからね。さぞかし……便利だっただろうさ」


「そうだ! そうなんだ! 誰だって、条件なしで高い付与を受けられるなら、受けるだろ!?」


「そうだね……うん、やっぱり広谷は悪くないね」


 広谷の言葉に大きく頷く。

 そうだ。付与系のスキルは使えるクラスが決まっていて、どこのクランでもパーティでも引っ張りだこだ。ソロで探求を行ってきたものにとっては高嶺の花と言える。

 もし仮に優秀な魔力を持つ弱った魔物使いが言い値で契約を結ぶなんて言い出してきたら、つい手を出してしまう事もあるかもしれない。


「契約を変える、か。なるほど……広谷は頭がいいな。その手があったかー」


「そうだ、フィル! リンとの契約を変える。正当な契約を結び直せば、優秀な戦闘能力を持つ鬼種の俺の力は必ずやリンの役に立つはずだ!」


 広谷が必死になって食い下がる。

 まぁ悪くはない考えだ。リンだけの意志で契約を更新することはできなくても、広谷の意志があればそれも可能となる。

 広谷の眼が完全に恐怖に染まっていた。邪悪な気配が感情に押され、弱まっている。

 仕方ない、そこまで言うなら……少しだけ、試してやろう。

 幸いなことに、侍のクラスのスキルは刀を媒介とするものばかりだ。刀を持たない侍など、処分するのは容易い。


 鬼眼を睨みつけて、僕は至極真っ当な質問をしてやった。


「それで、その契約の君に取ってのメリットはなんだい?」


「俺に取っての……メリット?」


 予想外の言葉だったのか、広谷の震えが一瞬止まった。目を大きく見開く。

 大事なのは『釣り合い』だ。

 契約はウィンウィンでなくてはならない。それがマスター側に傾いても、スレイブ側に傾いても、確実に遺恨を残す。

 このまま契約を変えても、いつか広谷はこう思うだろう。


 『何で俺が』


 と。


 広谷が目をつぶって考える。

 それを、ただ待った。

 次に眼を開けた時には恐怖が消えていた。

 邪気がすーっと気にならないレベルまで薄くなる。


「俺のメリット……そうか……メリット……か。そうだ……フィル、リンには才能がある」


 才能がある、か。悪くない。悪くない答えだ。

 アムの肩を叩く。

 アムが広谷の目の前から一歩後ろに下がり、僕の横についた。


「確かに今はひよっこだ。俺の力とは全く見合ってない、探求者としても、魔物使いとしても新参者の女だ。だが、俺はスレイブになってみてはっきり感じた。魔術師としても、探求者としても、リンには確かに光るものを感じる。恐らくリンは……数年のうちに今の俺の探求者としての実力を越えるだろう」


「だから?」


 朦朧とした視線が焦点を持つ。

 次に出てきた広谷の言葉は、はっきりしたものだった。


「だから、今は未熟でも俺はリンと契約してやってもいい。そうだ、俺はリンの将来に掛けるんだっ! リンとならば……俺一人では辿りつけない場所に辿り着ける可能性に!」


 魔が差す。

 という言葉がある。レイスの欲望はヴィータのそれよりも遥かに強い。それは例え、半分だけの混じり物でも同じこと。


 真面目な者、誇り高き者が欲に塗れあっという間に落ちていく。性格が反転する。魂が堕落する。

 皮肉にも『鬼に転ずる』と呼ばれるその現象は、レイスをスレイブにした魔物使いの間では悩みの種だ。

 そしてそれはレイスの一種の生理現象であり、止める事は難しい。

 上位種のレイスでも容易に陥るそれを如何に乗り切るかもマスターの腕の見せ所だ。


 今回のリンは初心者(ビギナー)でそれを乗り切る術を知らなかった。ただそれだけの事だ。

 もう一度言うが、初心者はレイスを最初のスレイブに選ぶ事だけは絶対に避けたほうがいいのだ。


 僕はため息をついて、頭の中のスイッチを切った。世界に色が戻ってくる。


「広谷、君は頭がいい。力もあるし、頭も回る優秀な鬼種だね。そしてその強靭な精神力……純粋な鬼種よりもよほど才覚が優れている。……アムよりよほどいいね」


「……酷いです……」


「あはは、冗談だよ」


 足元に落ちている刀を拾う。銀色に輝く刃に、仄暗い明かりが反射してぎらぎら輝く。くっそ重い。必死に踏ん張りつつそれを表に出さないのには多大な苦労を必要とした。

 目の前の鬼に向かって、刀を差し出した。


「広谷の言う事は一つだけ間違えてるね。スレイブがマスターと一緒にいる事によって高みに翔べるように……マスターもスレイブによって磨かれるんだよ。そうは思わない?」


「……ああ……そうだな」


 広谷は差し出した刀を受け取り、鞘に治めた。

 まるで憑き物が落ちたかのように平静だ。


「広谷に免じて……今回はリンの事を許そうかな」


 スレイブが許しているのに、赤の他人である僕が許さないというのもおかしな話だ。

 僕は心が広いからね。情けない魔物使いを見るのは勘弁ならないが、子供のやることだ。

 今回だけは、我慢しよう。


「だけど、二度目はないよ?」


「ああ……わかった。わかった。もう二度と……欲に飲まれるような事は起こさないと誓おう」


 だが、いずれまた発生するだろう。それは悪性霊体種(レイス)悪性霊体種(レイス)たる本質なのだから。

 同職ではあっても他人である僕にできる事は、次に鬼に転じた際に、リン自身にそれを乗り切るだけの実力が付いている事を祈る事だけだ。


「そりゃよかった。理解が早くて助かる。じゃあとりあえずは……そのごちゃごちゃになってる机と床にぶちまけたシチューを片付けてもらおうかな」


 凄惨な有り様になっている床を指さし、広谷に命令した。

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嘆きの亡霊は引退したい。

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