第二十一話:LegendのLなんだぜええええ?
レイブンシティの外れ、大通りも途切れ、整備された街灯などもほとんどない寂れた道を三人の集団が歩いていた。
特徴的な眼をした、背の高い長身の金髪の青年に、更に長身で犬のような耳を生やした壮年の男、そして、頭三つ程背の低い、身体から光を発する少女という異色の組み合わせ--この街の探求者なら誰もが知るクラン、『明けの戦鎚』のメンバーだった。
戦闘時は常に肌身離さず持っているトレードマークの戦鎚こそなくとも、その肉体からは探求者が見れば誰もが一目で判断できる、強者特有のオーラを纏っていた。偶然すれ違った機械種の男性があまり見かけないその姿に視線を向ける。
ガルドがその視線を、他人からよく殺されるかと思ったと揶揄される眼光で追い払い、ため息をつく。
「ランドよー、何も俺等がわざわざこなくったって別のメンバーに頼めばよかったんじゃねーか? 目立ってるぜ?」
ランドが呆れたようにそれに応える。ランド本人も目立ってることは百も承知だ。
「私は元々セーラと二人で来るつもりだった。ついてきたのはガルドの方だろ? 後から報告を待てばいいのに……」
「いやいや、いくらなんでもクランマスターに使いっ走りさせるわけにはいかねーだろ」
二人の掛け合いに、いつもつっこみを入れていた傍らの少女は何も言わない。
がちゃがちゃと腰につけた趣味の悪い骸骨のキーホルダーをいじるのみだった。
その様子に、ガルドが再度深いため息をついた。
「重症だな。ったく、フィルの野郎、うちのお姫様に何をしやがった……今度あったらただじゃおかねえ」
とか何とかいいつつも、ガルドの表情には怒りはそれほど見えない。ただただ、興味深そうな視線を年下のスピリットに向けるのみだ。
元々探求者は個人プレーであり、自己責任でもある。パーティを組む機会が多いとは言え、特別セーラと親しいわけでもないガルドの態度は何ら不思議なものでもない。
そして何より、あの奇妙なプライマリーヒューマンの青年を気に入っているのだ。元々ガルドは強者や、勇気のある者や、傍若無人な性格の者を好む気質があった。奇しくもフィルはそのうちの二つを満たしている。
そもそも、セーラには何も施されていないのだ。何もされていない。身体には傷一つついていないし、魔術も呪術もスキルもかけられていない。かけられた形跡もない。
フィルは『愚者の喝采』なる魔法を使うと宣言したらしいが、ここまで見事に何も出てこないとむしろその記憶自体が夢幻のようにすら思えてくる。
『明けの戦鎚』は高ランクのクランだ。お抱えの解呪師だっている。
そこに連れて行ってたっぷり時間をかけてもらって診断してもらったが、結果は白だった。どんな魔術だろうが、スキルだろうが、痕跡すら残らないなどありえない。それが解呪師の見解で、ランドの見解とも一致している。
ランドが気を取り直すようにセーラの肩を叩く。
「セーラ、それはただのキーホルダー……いや、筋力が僅かに上がる魔道具ではあるが、ただそれだけの品だ。何も特殊な魔法はかかっていない。つまり、セーラはフィルに担がれたんだよ」
「……そんなのわかってるわ。私には……全てが見えていた。魔術を使えば必ず発生するはずの術式光が発生してなかったし、フィルの言葉には何の魔力も宿らず、動作にも何一つ意味などなかった。スキルだって発動していなかった。フィルがやったのは、ただ少し会話をして指を鳴らしただけ。不思議、そう、不可思議なのよ。それだけの動作でどうして--」
能力値が上がるのか、それがわからないわ。
そう呟き、セーラがランドを見上げる。
その視線はランドに向けられていながら、ランドを見ていない。何かを求めて宙空を彷徨っている。
その手もキーホルダーに当てられたままだ。
やれやれ……いくら悪い魔物使いに取られちゃうといっても、手が早すぎやしないかい?
脳裏に浮かんだ黒髪黒眼の青年に抗議する。だが青年は気味の悪いくらいに満面の笑顔をこちらに向けてくるのみだった。身体能力や魔力は明らかに吹けば飛ぶほどの凡百な点が怖気に拍車をかける。
だが、こんな状態のセーラを無視するわけにはいかない。彼女もクランの大事なメンバーでそして--ちゃんとコミュニケーションを取れと忠告を受けたばかりなのだ。
「まーその謎も少しは解けるだろうよ」
「……彼の言っていたことが法螺じゃないならな」
「俺から見る限りではフィルの言葉に嘘はないぜ。鼻がそう言ってる」
ガルドが鼻を指さして言った。
獣人系の種族の中には嘘を見抜く鼻を持つ者がいる。ガルドもそんな希少なスキルの持ち主の一人だった。いくら腕っ節が強くても、ただそれだけでは明けの戦鎚の幹部にはなれない。
「だがガルドも酔っていたし、フィルも酔っていた。万が一、という事があるだろ?」
むしろ、ランドとしては嘘であった方が遥かに話が楽だ。笑い話にできる。
「おいおい、奴は確かに酔っぱらってたが、俺は素面だったぜ? あの程度じゃ酔わねーよ。……だがまぁ、俺の鼻も誤らないとはいえねえ。確かに可能性はあるわな」
軽口を叩きながらも、一行の足はある一つの民家の前で止まった。
いや、正確に言えば民家ではない。それは、知る人ぞ知る隠れた『店』であった。
情報屋、ザブラク。
この街でその名と腕を知らない高位探索者は存在しない。
種族特性を活かした独自の情報網により、一般的にその手の事に秀でている機械種を抑えて街の情報屋のトップに収まっている凄腕の木精霊だ。
腕と同時にその法外な情報料と、変人極まりない気質も知れ渡っている奇々怪々な男だった。
ランドも名前くらいは知っているが、会うのはこれでたった二度目だった。
探求者が求めるのは大体が討伐対象の魔物の情報であり、その程度の情報を求めるのにはザブラク程の腕はいらない。何しろ、彼から買う情報の価格は探求者の中では上位一パーセントに入る腕前を持つSS級探求者のランドの一月分の稼ぎが吹き飛ぶ程の値段なのだ。
一件変哲のない扉を開けて、ランドが一歩店に踏み入れる。
途端に漏れてきた得体のしれない香の匂いに、鼻のいいガルドが顔をしかめた。
セーラが入った所で扉がゆっくりとひとりでに閉まった。ガチャンと重い音が響き渡る。
ザブラクの店内は、一言で言うならば『胡散臭い』と言えるだろう。
薄暗い白熱球に照らされた店内に、汚れた茶色のカウンター。
薄い灰色の煙が辺りに立ち込めており、換気口がないのか店内全体が煙い。
きれい好きのセーラが慌てて口元に手を当て、煙から守る。
「ザブラク、いるかい?」
ランドが声を掛けると、空っぽだったカウンターの向こうからゆっくりと茶色の影が立ち上がった。
「おやおや、ランドの旦那。SS級の探求者である旦那ほどの男がこんな辺鄙な所に来るなんて、今日は一体、槍でも降るのかい?」
しわがれた声。枯れかけた枯木のような茶色の体躯に、したたかな銀色の眼球が中途半端な地点に二つ付いている。眼球の下についた割れ目から、灰色の煙がゆっくりと漂った。
ランドの屈強な身体と比べればその身は遥かに脆弱だろう。だが、その身に感じる魔力は竜人であるランドと比較しても遜色ない強大さだった。
元素精霊種の種族ランクA級。木精霊
叡智持つ木霊
枯れ枝のような手が一本のパイプをつかみ、口元に運ぶ。
頭に生えた数本の枝が煙の中をゆらゆらと掻いた。
ランドが口を開きかけるのを、ザブラクがかっかと笑って止める。
「旦那、冗談だよ、冗談。今日は……晴天だ。そう、少なくとも五、六時間は雨が降る事はないだろうよ。この情報は……ただでいいぜぇ? 一年と六十二日ぶりに来店してくれた常連さんへの俺からのサービスだ。SS級への昇格祝いだと思ってくれや」
「いつから天気予報屋を始めたんだ? 私が知ってる限り、お前は情報屋だったはずだが……」
「かっかっか、最近不景気でめっきり客が減ってなぁ……だがランドの旦那。見くびってもらっちゃ困る。天気予報だろうがなんだろうが、俺の情報は正確だ。この生命を掛けてもいい。安心して洗濯を干すといいぜぇぇええ!?」
「なにこの人……」
セーラがうんざりしたような表情で呟く。最近セーラの周りには濃いキャラの人が集まりすぎだった。胃がきりきりする。今までは濃いキャラだと思っていたガルドが常人に見えるレベルだ。
いつも豪快なガルドもさすがにこのエントは常識の範囲外だったのか閉口している。
ガルドもセーラも名前こそ聞いたことがあったが、このエントとの対面は初めてだった。
だが、ザブラクの方からしたらそうではなかったらしい。
ギョロリと銀色の眼光がガルドとセーラを貫き、パイプがそちらを向く。
三日月形の口角が上に釣り上がる。闇を秘めた裂け目が笑みを作る。
「おやおや、そこにいるのはー、明けの戦鎚のナンバースリー……ガルド・ルドナーの旦那とセーラの嬢ちゃんじゃねえええかあああ? やっべぇ、初めて見たぜ。サインもらっちまおうかねぇぇぇ」
「ザブラク、私は遊びに来たわけじゃないんだ。情報を一つ買いたい」
ランドが嘆息し、早々と用件を切り出す。
胴体を構成している幹が回転し、ランドの方を向き直った。
「かっかっか、ランドの旦那が情報を欲しがるたぁ……珍しい事もあったもんだぁ。知ってると思うが、俺の情報は……高いぜ?」
「二十億ある。これで足りないってことはないだろ?」
ガルドとセーラが、ランドの述べた桁外れのその額に息を呑んだ。
第一級のオーダーメイドの武器防具を全身揃えてもまだ余る額だ。恐らく、ランドの持っている全財産……探求者を始めて十年あまりで貯めた全財産なのだろう。
ザブラクもその額に大きく枝葉を揺らす。
「足りねえかどうかは求める情報で変わるがね。まぁその額で買えねえ情報はまずねぇだろぜえええええ? いいだろう。言ってみなよ。レイブンシティで屈指の実力を持つ探求者が欲しがる情報ってものをよ」
「境界の外のSSS級探求者の情報がほしい」
ランドの脳裏にはしっかりフィルが述べた言葉が残っていた。
『元SSS級魔物使いの僕』
そう。最後にフィルはランドに確かにそう言ったのだ。SSS級探求者の数は少ない。少なくとも、ランドの知る限り、レイブンシティには一人もいない。
ランドの眼光がしっかりとザブラクを見る。ガルドもセーラも、一言も聞き逃すまいと固唾を呑んで見守る。
ザブラクは、ランドのその言葉に一瞬で表情を変えた。三日月型の口が閉じ、手に持ったパイプでカウンターをこんこん叩く。灰がカウンターの上に無造作に積もった。
「ランドの旦那よぉ、この世で最も価値のあるものがなんだか知ってるかあああああ?」
「この世で最も……価値のあるもの?」
ザブラクの言葉に、一瞬ランドが言葉を止める。ザブラクがその隙をついてまくしたてた。
「金? 家族? 情報? 信条? 勇気? そんなもんじゃねええ。そんなもんじゃねええんだよおおお。命だよ、命。こんな、死にかけの、エントにだってわかるぜええええ? ……ランドの旦那、とても残念だが、その情報は……売れねえ」
「え? 何で? どういうこと?」
セーラが思わず口に当てていた手を外して煙を思い切り吸い込んでしまい、激しく咳き込む。
エントの情報屋はその言葉に大きく嘆息した。
「禁忌だよおおお、タブーってやつだ。情報屋のタブー。なぁ、語感だけでやべえってわかるだろおお? ランドの旦那。人は人を殺してはいけません、盗みはいけません、強姦はいけません、それと同じ事だよおおおお? わかるだろおおお? 竜人にだってあるもんなああ? 竜人は成人するまでの間にレベルを五十まで上げて竜刃のスキルを使用できなくてはならない。そうしなけりゃ弱者として殺されちまう。それと同じレベルの……いや、それ以上の禁忌だ。情報屋はSSS級の探求者の情報は……扱わねえ。死にたくねえからなあ」
「おいおい、何もこの辺りで活動している探求者の情報を欲しがっているわけじゃないんだぜ? 北の探求者の情報だけでいいんだ。なんとかならねえのか? 大体、誰に殺されるってんだ?」
ガルドが口を挟む。
ザブラクの、その体躯に見合わない鋭い鋼のような眼光がガルドを貫く。
「ガルドの旦那よぉ、境界外とか中とか北とか南とか西とか東とか関係ないんだぜえ? SSS級探求者ってのは、つまり、そこの、ランドの旦那より、化け物だって事だ。種族ランクS、探求者になって十三年、討伐依頼失敗数ゼロ、討伐依頼達成対象の最高ランクがSSS級のランドの旦那でさえ、未だ至ってねぇ境地に悠然と居座る、化け物中の化け物ってことだ。神か悪魔か、俺は一生関わりにならないことを祈るぜえええええ?」
「境界外のSSS級、そうだな、それに加えて、魔物使い系クラスの探求者の情報だけでいいんだが……」
「くどい、くどい、くどいぜ、ランドの旦那。十倍積まれても無理だね。命はあああああああああプライスレスうううううう! 俺は一流だからよおおおお、俺は知らねぇぇええええ! だからランドの旦那ぁ、もしあんたがSSS級に昇格したら、俺はあんたの事もすっかりさっぱり忘れる。まぁ、SSS級になるにはSS級になるまでに貯めたギルドポイントの十倍は必要だからよおおお、当分は上がらねえだろうがあああ! もし上がった時は、その時は、うちに来ても初見の客だあああ! 初めましてってかああ? かっかっかっか!」
陽気に声高に笑うザブラクのその眼は、だが確かに鋼鉄の意志が見て取れた。
例え、殺されても何も言わない。ランドに実感させるだけの凄みがあった。
ガルドもそれを本能で感じ取ったのだろう、無言になる。
セーラだけがゆっくりとカウンターの前に近寄り、骸骨のキーホルダーをその上に置いた。
「ザブラクさん、このキーホルダーが何だか知ってますか?」
「ん? 俺は鑑定師じゃないが……」
ゆっくりと枝葉の生えた腕が動き、節くれだった指がそれをつまみ上げる。
目の前に持ってきて、じっとそれを見つめた。
「ふむ……ただのキーホルダーだな。この街のブラック・オニキスって高級衣料品店で売っている独自ブランドの品だが、まあ単純な既成品のキーホルダーと言えるだろう。値段は二十六万七千二百キリ、材質はシルバー、筋力値プラス0.1の補正がかかってる、魔道具とも言えねえつまんねえ魔道具だ。嬢ちゃん、なかなかいい趣味してるじゃねえか。俺とは合わねえけどなあああ」
「元SSS級探求者を自称する男からもらったのよ。どう思う?」
「かっかっか、そりゃあよかったなあああ。運がいいぜあんた。そうそう起こる事じゃねええええ、羨ましい限りだ。大事にしなよ」
セーラの予想とは裏腹に、ザブラクは特に焦った様子もなくキーホルダーをセーラに返した。
落ち着いた様子でパイプを口に咥える。一度煙を吐き出し、セーラの方を向いた。
「嬢ちゃん、甘えな。別に、禁忌は情報を扱うことだけなんだぜ? 別に世間話で客側から話してきた分には、それはこっちが扱ったことにはならねえ。まぁ、その勇気に免じてキーホルダーの情報はロハにしといてやる。もう知ってたみたいだしなあああ? 俺はこう見えて義理堅い男なんだぜええええええ?」
「……そう」
セーラが諦めてキーホルダーを再び腰につける。
エントは何をするでもなく、パイプから出した煙をくゆらせるだけだった。
匂いに閉口したガルドがランドに話しかけた。
「ランド、残念だがザブラクは何も言わないだろう。とっとと別の情報屋を洗ったほうがいいんじゃねえか?」
「おいおい、ガルドの旦那よお。それは無理ってもんだぜえええ? 何故ならこの禁忌は……全ての情報屋の常識だからよおおおおお! この禁忌も知らねえ、そんな程度の情報屋の元には、そもそも情報は入ってこないだろうぜえええ!」
「との事だ。参ったな……扱っていない情報があるだなんて知らなかった」
そもそも、他の探求者のルーツを辿るのはSSS級とかそれ以前の問題として、暗黙的に忌避される傾向にあった。誰にでも知られたく無い事はあるものだ。
さすがのランドも、独自の情報網なんて持っていない。
いや、独自の情報網がザブラクだったのだ。レイブンシティで最上の腕前の情報屋が無理という以上、知るすべは無いのだろう。
しかしこのまま下がっては、探求者としての沽券に関わる。何よりも、セーラがどうのこうのよりランド自身興味があった。自分よりもランクが高いかも知れない探求者に。
それは竜人としての性でもあった。
何か糸口はないものか……
その時、ぼんやりとキーホルダーを見つめていたセーラが呟いた。
「シィラ・ブラックロギア……」
ガルドとランドがその言葉に顔を上げる。
SSS級探求者の他に、フィルの口から出てきた名前……
一昨日の晩の記憶を思い出す。
「……なるほど、確かにフィルの奴、そんな話をしていたなあ。まぁ、フィルのやつ相当酔っていたから話半分に聞いていたが……おい、ランド」
「ああ。ザブラク、もうSSS級探求者についてはいい。『シィラ・ブラックロギア』。この名について何か情報はないか?」
ランドの問いに、ザブラクの表情が変わる。口がさらに、にぃっと釣り上がる。
上機嫌にパイプから煙を吐き出した。
「おいおい、ランドの旦那ぁ。情報屋になったらいいんじゃないかああ? ずいぶんと面白い名を知ってるじゃないかあああああ!?」
「知ってるのか!?」
「ああ……だが、知ってる奴はそうそういないだろうぜ。なんたってそいつは、境界の外……北側に出現した一匹の魔物の名だからよお。北の情報はそうそう南に伝わらねえ。逆もまた然りだ。なぁ、どこで知ったんだい? いや、いや、いや、やっぱり言わなくていい。知らない方が良さそうだ」
「情報がほしい。あるかい?」
「あるぜええええ、まぁ、珍しくはあるが、そんなランクの高い情報ではないわな。安くしとくぜええええ!?」
ザブラクがカウンターの上に立ち上がる。
全長はおよそ一メートル五十センチ、カウンターに隠れて見えなかったが、ザブラクの下半身も上半身と同じように木の枝のようなもので構成されており、足の部分が根っこになっていた。かろうじて人型ではあるが、森でじっとしていても違和感がないだろう。
ひょこひょこと器用に歩き、カウンターから降りる。
踊るようにぐるっとガルドの周りを周りながら、歌うように情報を吐き出す。
「シィラ・ブラックロギア。幻想精霊種の魔物だ。境界の北でも屈指の大国、グラエルグラベール王国の王都、グラベールから北東に三百キロ程離れた元セントレア湖のあった場所に星暦6094年の十二月二十四日に発生した。幻想精霊種は自らのフィールドも同時に顕現するからなあああああ、今となっては美しかった湖はすっかり暗黒の森に遮られちまってるって話だぜえええ? 発生当初、フィールドの規模から、そいつの討伐依頼はS認定だったが、順調に探求者を返り討ちにして……去年の暮れにはSSS級認定された。かっかっか、俗にいう『災害級』ってやつだなあああ!」
「……SSS級の討伐対象……確かに恐るべき相手のようだな」
ランドが、自身の昇格のきっかけになった機械種の王の討伐の光景を思い返す。
ガルドも同様の光景を思い浮かべたのか、口の中で小さく呟いた。
「……確かに、この間討伐したあいつは強かったからなぁ。SSS級の討伐依頼ってのはちょっと普通じゃねえぜ? クラン総出で挑んで辛勝だったからな」
ランドとガルドの会話に、ザブラクが間に入って否定する。
笑い声と叫び声が狭い室内に響き、セーラは耳鳴りがした。
「違う違う違う、ランドの旦那あ。機械種は確かにつええ。硬えし、疲労がねえからなあ。その戦闘能力は他の種族より一ランク上だと言われてる。だがなあ、高ランクに限ればそうじゃねえ。機械種は所詮機械だ。源流は所詮人の手で作られたもの、大自然の脅威には敵わねえ。特にSSS級となると……シィラ・ブラックロギアの力は旦那の倒した機械種の王より遥かに高いと考えたほうがいいぜぇ?」
ザブラクがそこで動きを停止し、セーラの顔を見上げてにやりと笑った。
「……なんたってやつは……俺の知ってる限りSSS級の探求者を七人も返り討ちにしてるからなああああ!」
「SSS級の探求者を……七人!?」
想定外の言葉にザブラク以外の全員が言葉を失う。
ランドはSSS級の探求者をほとんど見たことがない。が、噂だけは自然と入ってきた。自分と同格の戦闘技能を持つ超人達。いや、優れた戦闘能力を持つ竜人と比肩しうる者達。万夫不当の超越者。探求者の中でも頂点に値するその中には純粋な竜種さえ存在するという。
その言葉が真実なら、北と南の探求者の質の違いにもよるが……シィラの能力はランドの想定を遥かに超えていると言えるだろう。
勝てない理由がなかった。そう断言していた酔っぱらいの表情が頭をよぎる。
そして、それ程の力を持っているのならば、馬鹿げていると聞き流した長距離転移もまだ現実味が帯びてくる。
そこでランドが一つ奇妙な点に気づいた。
「まて、ザブラク……」
「んー? 何だい? ランドの旦那?」
ランドの金色の瞳が、真剣な表情でエントを貫く。同種の女性ならば一瞬で虜になってしまいそうな、研ぎ澄まされた美貌がそこにはあった。
「さっき、それ程ランクが高くない情報と言ったな? 何故だ? 討伐依頼の魔物の情報はターゲットのランクが高いほど高いんだろ? 何故シィラの情報は安い? 境界外の話だからか?」
ザブラクがその言葉に事も無げに言った。言い切った。
「ああ、それは簡単な話だよおおお? シィラはもう……討伐されているはずだからさ。死人の情報は誰も買わねえ。だからこの情報も既に……死んでいると言える。特に幻想精霊種は一品物が多いからなあ。もう二度とこの情報を欲するものは出てこないだろうぜえ?」
「……討伐されている……はず? どういうこと?」
セーラは確かに、一昨日の夜に見たのだ、聞いたのだ。
シィラとの戦闘中に飛ばされたという探求者の姿を、話を。
ぐるっとザブラクがセーラの方を向く。
「簡単な話だ。奴は……殺しすぎたんだよ。まだ替えのきくSやSSの探求者ならともかく、そうそうに替えの利かないSSSを殺しすぎた。例え、探求者の数が群を抜いているグラエルグラベール王国でも、例え探求者が討伐中に返り討ちになるのが自己責任だとしても、看過ならない事態になったってことだ。王国のギルドは三ヶ月ほど前に、シィラ・ブラックロギアの討伐ランクをLに昇格させた。俗にいう『神害』クラスの討伐依頼に、な」
「L級の……討伐依頼?」
セーラは、伝説でしか聞いたことのない討伐ランクだった。
セーラよりも遥かに上のランクの探求者であるガルドも、実際に聞いたことがなかった。
ランドですら、噂でしか聞いたことがない。
その言葉、その意味に飲まれていた。いつの間にかカラカラになった喉、唾を飲み込む。
なんとか続きの言葉を出す。
「でも、それがどうして死んだことになるのよ? SSS級探求者を何人も返り討ちにしたってことは、そのグラエルグラベール王国の探求者でも敵わなかったってことでしょ? 要するに無敵ってことでしょ?」
「……やれやれ、嬢ちゃん、わかってねえなあ。この意味が。L級の討伐依頼はそもそも、依頼自体が貴重だ。L級のターゲットなんてそうそういねえからなあ。L級のLは……LegendのLなんだぜええええ? なぁ、お嬢ちゃん。L級の討伐依頼の報酬のギルドポイントがいくつなのか知ってるかい?」
「……予想もつかないわ。SSS級で確か、八千万ポイントだったから……今までのルールでいくと、五倍くらい?」
ザブラクが出来の悪い生徒でも見るかのような視線を向けた。
「甘い甘い甘い! いいか、お嬢ちゃん。L級の討伐依頼達成時の報酬ポイントは……平均で百二十億だ」
「な……ひゃくにじゅ!? な、なにそれ!? 馬鹿じゃないの!?」
言葉を失う。
あまりにも莫大な報酬のギルドポイントだ。
明けの戦鎚全員のポイントを足した所で、それの半分にも満たないだろう。
ランド達一行の反応に、溜飲が下がったのかザブラクが言葉を続ける。
「そう、馬鹿だ。馬鹿げたポイントだ。G級の探求者だって、L級を一匹討伐できれば一気にSSS級なんだぜええええ? 一攫千金ってやつだあああ! まぁ……そして、これこそがこの本題なんだが、これだけのギルドポイントがかかってるとなると……ななななんと! SSS級探求者の上位ランカーが動きだすんだよおおおお! これだけのポイントなら、膨大なポイントを蓄える上位ランカーから見ても無視できる額じゃねええええ!」
「SSS級の上位ランカー……!?」
「そうだよおおおおおお! 今まで討伐に向かった、SSS級だった頃のシィラにかかっていた端ポイント目当てのニュービーとは違う、最強最悪のSSS級探求者だよおおお! L級探求者なんていう馬鹿げた伝説に片足突っ込んでるやつらだあああ! 勇者なんて眼じゃねえぜええええ? まさに怪獣大戦争だ! シィラが殺られて森が消え去った後も湖は戻らねえかもしれねえなあ、もしかしたら! ああ、なんてもったいないことだ! セントレア湖! 王国内で最も美しい湖とさえ言われてたっていうのに! もうこの眼で見れないなんて! 水を愛するエントとしては、とても悲しいぜえ! かぁーっかっかっか!」
狂ったような哄笑だった。薄暗い中、眼だけが爛々と輝いている。
悪意こそないものの、悍ましい笑い声、セーラが肩を震わせる。
フィルの言葉が真実ならば、フィルが転移されたのは三日前だ。
レイブンシティ一の情報屋が断言する最強最悪の存在と、フィルの姿はあまりにも重ならない。それが逆にひたすらに恐ろしかった。
髑髏のキーホルダーが不吉な笑いをセーラに投げかける。
ザブラクの哄笑が終わるのを待って、関係のありそうな情報を全て聞いたことを悟ったランドが、情報料を支払うためにカードを差し出す。
散々言いたいことを言い切ったザブラクはそれを受け取らず、ぴょんとカウンターに戻った。
再びパイプを手に取ると、それの端を咥えて囁くように言った。
「支払いはランドの旦那が教えてくれた情報と差引でただにしてやるぜえええ。いやぁ、なかなかいい情報を持っているじゃないか、旦那も。明けの戦鎚も安泰だな!」
「情報……!? 何の事だ!?」
ランドがぞっとしない気分でザブラクを睨みつける。
だが、エントの情報屋は何も言わない。ひょうひょうと笑うばかりだ。
「旦那、北の情報は俺の元にもそうそう入ってこねえ。さすがのエントの持つ精神感応のスキルでも境界は越えられねえからなあ。だから俺の今言った情報は、三ヶ月前の境界船に乗っていた仲間が持ってきた情報で、次の情報は次の境界船……丁度後一週間後に来るはずの境界船がこないと手に入らねえ。シィラ・ブラックロギアの結末が知りたければ一週間後に来るといいぜえ?」
「……分かった。いいだろう。一週間後に来るとしよう」
「後もう一つだけ、特別にいいことを教えてやろう。情報収集のイロハってやつをなあああ!」
エントの視線が、ランドの影に隠れるライト・ウィスパーに切り替わる。
「な、何よ……」
「タブーは情報屋の間にのみ伝わるものなんだぜえええ? さすがに、一般人の会話まで、監視はしてねえし、人の口に戸は立てられねぇ。なあ、セーラの嬢ちゃん。あんた、ラドルフ・グラーデンって知ってるか?」
ザブラクの言葉に、一瞬戸惑ったがセーラが大きく頷く。
「ええ、知ってるわ。有名人だもの。プリーストの名前よね。ラドルフ・グラーデン。エルフのハイプリーストで、最上級の付与魔術である聖者の晩餐まで極めた超一級の治癒魔術師にして世界でも稀有な……」
セーラが呆然と口を開けたまま止まる。
ザブラクがにやりと笑みを作った。
続きの台詞を口の中で転がした。
「SSS級の探求者……そうか……そういうことね……」
「そうだ。お嬢ちゃんは知ってるだろうよお。だが、俺は、知らねえ。断じて知らねえ。ラドルフ・グラーデンなんて名前知らねえし、姿も知らねえ。見たことも聞いたこともねえ。……なぁ、ランドの旦那よお。情報屋の使い方、間違えちゃいねえかあ? 確かに、シィラなんてマイナーな名前、この街でも俺しか知らねえだろうよお。だが、一般人が知ってて情報屋が知らねえ情報なんて腐る程あるんだぜえ?」
「なるほど……確かにそれは……盲点だったな。蛇の道は蛇という事か……」
「情報屋としちゃあいい客だがよお。足を使って情報収集する手間を惜しんじゃいけねえぜえ? なぁ、知は時に、血よりも重いんだぜえ? さぁ、俺も、久しぶりの客で疲れちまったわ。ちょっと一服したい。お帰り願おうかねえ」
「……一服って、ずっと吸ってるじゃない……まぁ、助かったわ。また来るわ」
一度大きく輪っか状の煙を吐き出し、奇声を上げた。
「おうよ、またいつでもお越しください、お客様あああああああ! かっかっかっか! 金を落とさなくたって、美人なら大歓迎だよおおお!!」
……何あれ? 奇々怪々なんてものじゃないじゃないの? エントって皆あんなんなのかしら?
精神的疲労に頭を抑えながら、扉を閉めかける。
その寸前、エントの最後の哄笑が扉の隙間から聞こえた。
「かーっかっかっかっかっか! フィル・ガーデンの情報、見つかる事を祈ってるぜえええええええええ!?」
扉が締り、ガチャンとカンヌキのかかる音がした。
三人、顔を見合わせる。
「……名前、言ってない……ですよね? ガルドさんもランドさんも」
「ああ……ファーストネームだけなら言ったかもしれねえが、フルネームは言ってないな。間違いねえ」
さすがのガルドも疲れたのか、一、二時間程度ならば巨大な戦斧を振り回しても疲労を見せないその相貌にも明確に疲労が見えた。エレメンタルの種族スキルにはないはずだが、エナジードレインでも使ってるのだろうか?
「つまり……そういうことなんだろう」
蛇の道は蛇。
魔物使いについて一番知っているのは……そう、同じクラスである魔物使いに他ならない。
そんな当たり前と言えば当たり前の事に気付かなかった自分が情けない。
ザブラクが直接言えなかった以上もうほとんど答えが出ているが、念のため頭の中で魔物使いのリストを探しながら、ランドが深くため息をついた。




