第二十話:自らの手を汚さなくてはいけないかもしれない
「あれあれあれ? アムちゃんじゃないか……久しぶりね」
「……お久しぶりです」
アネットさんの目の前まで連れてくるとさすがに観念したのか、居たたまれなさそうな表情で挨拶する。
アムの表情は暗いが、喧嘩しているような様子はない。
言うほど仲が悪いように見えない事を考えると、喧嘩したのはリンさんとなのだろう。
直感で嫌な予感がした。が、ここまで来た以上もう引く道は存在していない。
「彼女が僕のスレイブのアム……アム・ナイトメアです。どうやら顔見知りのようですね」
「えぇ、よく知ってるわ。最近は会ってなかったけど、以前までリンがよく連れてきていたから……そう、スレイブっていうのはアムちゃんだったんだねぇ……」
感心するようにアネットさんが僕を見る。
なんとなく状況が読めてきた。唇を舐めて湿らせる。
アネットさんの表情に険は特にない。これは、レイス種に対するプライマリーヒューマンの態度としてはあまり考えられない事だ。ただ単にアネットさんの度胸が凄い訳でもないだろう。
「ええ、どうやらアムのやつ、リンさんと喧嘩したみたいで……」
「フィルさん!?」
アムが短い悲鳴を上げる。
意外な台詞だったのか、アネットさんが目を丸くした。
「あらあら……そうなのかい? リンは何も言ってなかったけどね……何が原因で喧嘩したんだい?」
「そ……それは……」
「まぁ、当人同士に任せましょう。こういうのは当人同士で解決しないとどうにもなりませんから」
言いづらそうだったので、アネットさんを止める。
僕は口出すけどね。マスターだし。それに、魔物使いとレイスの喧嘩なんて面倒なものに決まっている。
僕の言葉の意図に気づいたのか、アネットさんが一度大きく頷いた。
「ふむ……そういうものかねぇ。まぁ、後でリンにも仲直りするように言っておくよ。これから一緒に住むんだしねえ」
「よろしくお願いします」
手短に挨拶を終えると、アネットさんの案内で階段を上った。
一階が食堂、二階以降が居住区になっているらしい。
二階は予想よりも広く、部屋も七個もあった。
「使ってない部屋は三つ程あるけど、何か希望があるかい?」
「そうですね……差支えなければできるだけ広い部屋だとありがたいです。魔物使い用の器具を置かなくちゃならないし、アムと二人で住むので……」
「ふむ……アムちゃん用の部屋は別にとってもいいんだよ? どうせ部屋は余ってるし……」
「いえ、一緒でいいです。魔物使いは可能な限りスレイブと一緒にいなくちゃならないので。アムもそれでいいね?」
「あ……はい。それでいいです」
アネットさんの提案はありがたい、が余計だ。
アムをスレイブにしてから三日がたつ。そろそろ物珍しさと初めての契約という新鮮さが抜ける頃合いだ。
これからが信頼関係を築く上で重要な期間になる。
現段階では十分すぎるくらい懐いているように見えるが、なるべく側についていてあげたい。
「魔物使いって大変なのねえ。うちの子は部屋を別々にしてたけど……」
「まぁ、魔物使いといっても方針は一種類じゃないので……」
特にマスターが女でスレイブが男の場合、親愛度を上げすぎると性的に襲われる可能性が高くなる。禁則事項はスレイブを守るためにあるものであって、マスターを守るためにあるものではないからだ。
だからといって、襲うななどという命令を出すわけにもいかない。信頼していないとはっきり言っているようなものだからだ。
この辺りのさじ加減をどうするのかも魔物使いとしての力量が試される所だったりする。部屋を別にしているということは、リンさんはきっとそういう方針なんだろう。
アネットさんが案内してくれたのは、一番奥の部屋だった。
広さはアムの今住んでいる部屋よりも若干狭いが、それでも二人が住むに十分な広さはあった。
南向きに大きな窓があり、陽の光が差し込んでいる。
ずいぶんと都合のいいことに、ベッドと本棚だけだが家具まであった。
部屋全体から微かな不思議な香りがする。
「ここが今余ってる部屋で一番大きな部屋だね。どうだい、なかなかいい部屋だろう?」
「本当にいい部屋ですね……」
窓から外を見下ろす。通りを走る機械種の姿がよく見えた。
室内は使っていなくても掃除はしているようで、特に今日から住むのに不自由はなさそうだ。
「ここは私の娘……リンの妹が昔使っていた部屋でねぇ……修行のために出て行ってしまったから、今は使ってないんだが、掃除は欠かしていないんだよ」
「なるほど……いいんですか? そんな部屋貸してしまって」
「いいんだよ。人が住んでいないと部屋も寂れるからね」
アネットさんが寂しそうに言った。
最長でも一年くらいしかここにいる予定はないし、本人がそういうのならば是非もない。
しかし、修行のため、か……。
姉のリンさんが探求者である以上、妹もその可能性が高い。
ただの定食屋のおばちゃんかと思ったら、ずいぶん優秀な子供がいるようだ。もしかしたら既に野垂れ死んでいる可能性もあるが。
しかし本棚はともかく、ベッドまで借りてしまうのはいまいちだな……
別に僕は全く気にならないが、妹とやらが帰ってきた時への心証に影響がでる。獣人程ではないが、プライマリーヒューマンにも縄張り意識というものがあるのだ。
部屋借りておいて何なんだが、最後の一線だけは守らないと……
アネットさんにもう一度確認した。
「しかし、ベッドまで使ってしまっていいんですか? 娘さんの家具なんですよね? アムならともかく、僕男なんですが……」
「構わないよ。もう二年も帰ってきてないんだ、自業自得ってものさ。……でもそうだねぇ。アムちゃんと二人で住むんならもう一つベッドが必要だねぇ」
「そうですね、今あるそれはアムが使う事にして……もう一つベッドを置くとなると……」
部屋の配置を考える。
確かに広い部屋だけど、二つベッドを置くと若干手狭になるかもしれない。
魔物使いの『箱庭』を構成するための道具を配置すれば、さらに部屋は狭くなる。
狭いとストレスが溜まりやすいから、可能ならば別の部屋で『箱庭』を構成してこの部屋は居住区に徹するのがベストだ。
アネットさんに追加でお願いする。
「魔物使い用の道具を置きたいんですが、もしよろしければもう一部屋貸していただけませんか?」
「ああ、構わないよ。どうせ部屋は余っているんだ」
「ありがとうございます」
ベッドも余りがあるということだったので、それをアムに運ばせた。
大きさも重さもかなりあるが、アムの腕力はそれを悠々と超える。
逆に大きさがあるので、持ちにくそうだ。重量は全くハードルになっている様子はない。
細身で僕よりも頭一つ分小さいアムが軽々と持ち上げているのを見ると、自分の力のなさにほとほとため息が出てくる。
他にも、家具はそこそこ余っているそうだったので、椅子やテーブルなど必要最低限のものはありがたく借りる事にした。探求者にとって、金はいくらあっても足りないのだ。
アネットさんは料理の仕込みがあるらしく、一通りの説明を終えると一階に降りていった。
一息ついてベッドの上に座る。
ずっと静かだったアムがそれを見計らったように抗議してきた。
「フィルさん……本当に此処に住むんですか? やっぱりやめたほうが……」
「ここに住むのは決定だ、アムの意見を聞くつもりはないよ。いい部屋じゃないか。日当たりもいいし」
「そりゃ日当たりは良さそうですけど……」
「何が不満なの? 僕を納得させられるなら考えなくもないけど?」
「不満……いえ、別に不満なんて……ないですけど……」
アムが不満気に言葉を落とす。
それを慰めるように頬を撫でてやった。
基本的にマスターの方が上位の立場にいるため、コミュニケーションはちゃんと取ってやらないとスレイブのストレスは溜まり続けてしまう。
無論、スレイブ側の言い分を全て聞き入れるわけにもいかないが、少なくとも努力を怠ってはならない。
魔物使いの心得その3
スレイブのメンタルケアはマスターとしての当然の責務です。
コミュニケーションは頻繁に取ってあげてください。中には口下手で自分の中に不満を貯めこむタイプのスレイブもいます。面倒くさいという言葉は心の中に仕舞って鍵を掛け、笑顔でスレイブに接しましょう。
コミュニケーションを怠ってストレスを溜めすぎると体調を壊してますます面倒なことになったりします。最悪逃げ出します。
それでも面倒だと感じた場合は、マスターとスレイブの相性がよくありません。新しいスレイブを見つけたほうが無難でしょう。
「でもフィルさん、この部屋何かおかしな香りがしませんか?」
撫でられて少し落ち着いたのか、アムがふと話題を変えるようにそんなことを言った。
匂いのありかをたどってあちこちを見回すが、出処がわからないのか首をかしげる。
「ああ、フェル・ソウルの香りだね。燻して使う薬草の一種だよ。錬金術士がよく使用する薬草だから、多分リンさんの妹さんは錬金術士だったんだろうね。ほら、天井にも複数の輪っか状の染みがついてるだろ? あれは錬金術士が使用する鍋魔法の跡だよ」
天井に染み付いた灰色の染みを指さす。
他にも本棚に残された本のタイトルだったり、床についた僅かな三脚の跡だったり、そこかしこに前住民の残り香があった。
プライマリーヒューマンは基礎能力が低いので、魔力の使用量が他と比べて少ない錬金術士になる事は決して珍しい事ではない。
「そんなのあるんですね……しかしフィルさん……詳しいですね」
「クラスの特徴知らないといざという時に困るからね」
「そういうものなんですね……」
そしてそれは同時に、ただの--まだ強力な武器を手に入れていなかった時の名残でもあった。若かりし頃に染み付いた習性はそう簡単に消えない。
しばらくそのまま他愛のない話をしていたが、アムがある程度リラックスするのを見計らって本題に入る事にした。
こういうのは早ければ早い程いいのだ。
少し慣れたように力を抜いていたアムの目を見る。
僕が何を言いたいのか直感したのか、アムの表情が少し緊張に強張った。
「アム、リンさんとは何が理由で喧嘩したんだ?」
「……言いたくありません。フィルさんには関係ないですよね?」
逃げようとするアムの肩を捕まえる。そう簡単に離してはやらない。
逃げたい時に逃さない、近づきたい時に近づけない。その方が状況が好転することだってある。
諭すように声を穏やかに落とす。
「関係ない。そう、関係ないし興味もない。だけど僕はアムのマスターだし、ここに住む以上は顔を合わせる機会もあるだろ? それがもし、アムのためになるんだったら何だってやるし、やる義務がある。それとも、僕には……言いたくない?」
「……命令すればいいじゃないですか。私をここに連れてきた時みたいに」
「命令はそういう事に使うもんじゃないんだよ」
「……今更ですね」
時と場合による。スキルは便利だが、使う必要がない、使うまでもない時にスキルを使ってしまうのは、魔物使いとしても探求者としても失格だ。
そっぽを向くアムの頭を撫でる。さらさらの髪だ。
契約の紋章を通して柔らかい悲しみの感情が伝わってくる。
それを飲み込んだ。黙ったまま、一分程髪を撫で続ける。時計の針の音だけがやけにうるさく聞こえた。
アムがぽつりと呟いた。
「フィルさん、契約の事、覚えてます?」
「ああ」
「なら……契約の権利を行使します。私を抱きしめてください」
「ああ」
アムの細い身体を思い切り抱きしめる。
人間より数度低いひんやりとした体温と、薄い胸から伝わってくる心臓の鼓動。
レイス特有の『恐怖』さえ、全く気にならない。
契約を通じて脈々と感じ取れる感情が、僕の頭の中を突き抜けた。
同時にアムと会ってからの三日間、見聞きした体験が僕の中でバラバラになり再構築される。
ああ、なるほどなぁ。
となると、うん。やっぱり面倒なことになりそうだ。
アムの深く沈んだ声が耳をくすぐる。
「フィルさん、リンは……一月程前まで私のパートナーだったんです」
「……」
なんとなく勘づいたが、何も言わずにアムに続きを促す。
こういった場合は話すだけ話してもらったほうがいい。今後のためにも。
「リンは、私が探求者になったばかりの頃、レイスだったせいで誰の助けも得られなかった頃に声を掛けてくれた唯一の人だったんです。リンも探求者になったばかりで、フィルさんみたいに色々知らなかったけど、私は誰かが側にいてくれるだけでとても心強くて、それまで誰も側にいてくれなかったから、とても楽しかった」
アムの言葉に、かつてアリスと初めて会った時の事が思い出される。孤高ではなく、単純な孤独。単純な力だけならプライマリーヒューマンよりも遥かに高いが、レイスの境遇はそれを上回る不遇である事が多い。
レイスの中には光とか温もりに飢えている者も少なくないのだ。
「二人でペアを組んで、経験も知識もなくて、スキルとかもあまり使えなかったけど、私達はそれなりに依頼をこなしました。私が前衛でリンが後衛。貧乏だったけど武器とか道具も揃えて、宿も同じ宿の二人部屋を取ったりして、ああ、家族ってこういうものなのかなー、だなんて思ったりして……あはは、種族も違うのに可笑しいですよね……」
「種族の差なんて……微々たる差だよ」
「……フィルさんが言うと妙に説得力があるんですが……少なくとも私はその時に初めて友達ができました。けれど……探求者としてランクも上がって、それなりに金銭的にも余裕ができて、まだまだ実力的には低かったですけど、少しずつ手応えを感じ始めた頃……リンが私に言ったんです」
アムの声が震えていた。
面倒だなーとか思いながら震えている身体を強く抱きしめる。
「……契約を結ぼう、か」
「はい。その時まで……私、全然知らなかったんですけど……リンは魔物使いでした」
「スレイブは連れていなかった?」
「はい。連れていなかったです……少なくともその時は。アネットさんもその時はそれらしい事を何も言ってなかったから、多分本当にいなかったんだと思います」
スレイブを連れていない魔物使い。間違いなく半人前だ。
契約したスレイブの数が多くなればなるほど円滑に関係を築くのが難しくなる性質上、魔物使いの中にはより強いスレイブと契約できるまでは普通の探求者として行動するものもいる。
が、それでも一年もあれば自分にあったスレイブを見つける。一人では何もできないからだ。魔物使いのスキルはスレイブにのみ作用するものが大半なので、複数クラスを持っている優秀な探求者でも無い限り一人ではその実力の半分も出せない。
そして同時に、探求者としてあまりにも物を知らなかったアムがスレイブについては妙に知識を持っていた理由がわかった。スレイブって何ですか? とか聞きそうなものなのに。
アムが話を続ける。
「それで説明を聞いたんですが……正直全然わからなかったんです。ちょっと不安だったけどでも、初めての友達だったし、それで喜んでくれるならいいかなって。で、いざ契約を試みたんですけど……」
「……成功しなかった、のか」
肩にアムの顎がぶつかる。首肯したのだろう。
「はい。呪文は……フィルさんが唱えたものと同じものだったと思います。魔力も……フィルさんの三倍はありました。リンはフィルさんとは違って、後衛で魔術師ができるくらい才能があったので」
「うっさいな」
いいんだよ僕は。魔力なんてなくても……スレイブがいるんだから。
アムの空笑いが虚しく響く。
「あはは……。でも、不思議なことに何回やっても、それこそリンが倒れるくらい魔法を使っても……契約に成功しませんでした。魔法を使う度になんだか私の頭も痛くなって、紋章を刻もうとする手も凄く痛くなるし、やめようって言ったんです。今までのままでもいいんじゃないかって。そしたら、リンが言ったんです」
一拍置いて、アムが吐き出すように言った。
「契約が成功しないのは私がリンを信頼していないせいだってっ!」
語尾に涙が混じる。首筋に冷たい雫が落ちた。
紛れも無い初心者、なりたての魔物使いだ。
言いたい気持ちはわからなくもないが、契約を結ぶ上で相手に不信感を抱かせることだけは……避けなくてはいけない。
魔力も足りていて、アムが痛みを感じている以上、契約魔法は確実に起動している。
直接の原因はリンの言う『信頼の不足』で間違いない。
だが、それは決して被契約側であるアムの責任ではなく、信頼を得られなかった、十分にコミュニケーションをかわせなかったリンの責任だ。最初にしっかりとアムが理解できるようになるまでちゃんと契約について会話するべきだった。
「ねぇ、フィルさん。教えてください。私が悪いんですか!? ねぇ、私は本気で思ったんですよ? リンのスレイブになってもいいって! 信頼してたし、思ったし、だから何度も何度も凄い痛い契約魔法に耐えたのに!」
契約魔法は抵抗が残っていれば残っている程……強く痛む。
リンは、アムが痛がった時点で契約を諦めるべきだった。しっかりと時間をかけて信頼の基盤を築き直して、再度契約を試みるべきだった。
慟哭するアムの背中を擦る。
「でも……フィルさん。それだけじゃ……ないんです。私がその言葉に驚いて、思わずリンの手を取ったら……リンが悲鳴を上げて逃げたんです……私、びっくりして、『恐怖』のスキルの制御が外れてしまって……でも、あのリンの眼は、友人を、半年間一緒に冒険した時のパートナーを見る眼じゃありませんでした。……そう、まるで……」
アムが一際大きな泣き声を上げた。
「--まるで……化け物でも見るかのような眼だったんですよッ!!」
がたがた震えるアムの身体を一層強く抱きしめる。アムの震えが少しずつ収まっていく。
プライマリーヒューマンの初めてのスレイブとしてレイスは適していない。
僕には、突発的に素の『恐怖』に触れて悲鳴を上げたリンの気持ちもわかるし、それに絶望したアムの気持ちもわかる。
これは……そう、単純なすれ違いだ。
リンがもう少し経験を積んでいたら契約は成功していただろうし、アムがもう少し知識を持っていたらその事実を飲み込めていただろう。
ぐずるアムの鼓動が収まるのを待って、僕はアムに聞いた。
「それで、アムはリンとは仲直りしたい? 初めての友達なんだろ? どうしても無理というなら、ここから出て行っても構わないよ」
そう、大事なのは過去ではなく未来。大事なのはここからだ。
アムの話を聞く限りでは、このままここに住むのはまずい。間違いなく僕らの今後の生活に影響が出るし、感情を直に反映するレイスの能力に甚大な障害をもたらすだろう。今は大丈夫でも遠くない未来に。
僕はこの才能を使い物にならなくしてはならない、義務がある。
喧嘩の原因は単純なすれ違いだが、リン側にもアム側にも傷を残している。
アムが仲直りできる余地がないと言うのならば、僕はアネットさんに頭を下げてここを出るべきだ。
別に宿はここだけじゃないし、まだ一泊もしていないのだから今すぐにでも出ていける。
後は小夜やランドさん達との縁は切れるかもしれないが、拠点を別の街に変えるだけだ。別に街はレイブンシティだけじゃないのだから。
アムが僕の言葉に一度身体を震わせる。
「……出て行く事になったら、フィルさんが困るんですよね?」
「僕はアムがどうしたいのか聞いてるんだよ」
大事なのは僕の意志なんかではない。アムの意志が重要だ。僕が何を言った所で、それは蛇足でしか無い。
しばらく黙っていたが、アムはようやくポツリと言った。
「……仲直り……できますかね?」
「できるよ。簡単にね。……さ、涙を拭いて」
意志を確かめたので、僕はアムの身体を離した。
喧嘩の原因はよくあるすれ違いであり、これまた魔物使いにはよくある話なので丸く治める事は簡単だ。
だが、僕の予想では……そう、面倒事がもう一つあるはずだった。
もしかしたら僕は久しぶりに自らの手を汚さなくてはいけないかもしれない。
勿論、そんな様子を表に出さない。スレイブが不安になるような感情を表に出してはいけない。それが必要になるその時までは。
折れそうになる心を奮い立たせる。
鬼種について楽しく語り合う予定だったのに、それどころじゃなさそうだ。
がんばれフィル。負けるなフィル。お前なら楽勝だ、フィル・ガーデン。
これも……そう、全てはアム……自分のスレイブのためなのだ。これも僕の仕事なのだ。
ゆっくりと深呼吸をして、丹田に力を込める。
泣きはらして眼が真っ赤になっているアムの肩に手を置いた。
引きつりそうになる表情を我慢し、無理やり満面の笑顔を作って宣言する。
「まー……見てなよ。僕が……真の魔物使いの力という奴を見せてあげるよ」
「……その台詞、やめませんか?」
僕の言葉に、アムがちょっと怯えていた。




