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Tamer's Mythology  作者: 槻影
第一部:Tamer's Mythology

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13/121

第十二話:アリスは……行ってくれた……

 眩しい……


 直射日光が瞼の上から視覚を焼く。

 それを左手で遮り、目覚ましを止めようと腕を伸ばして、ようやくアムは自分が窮屈なソファの上に横になっている事に気づいた。

 いつもより倍は朦朧としている頭で、どうして自分がソファで眠っているのかぼけーっと考え、昨日起こった運命の分岐点とも言える出来事を思い出し、とっさにベッドの方を見る。


 よかった……いる。


 アムの部屋に唯一あるベッドが人の形に膨らんでいた。

 寝息一つ出していないが、静かに布団が上下している。アムはその光景に、安らかな気分で胸をなでおろした。

 目をつぶって、『恐怖』のスキルを今まで以上に時間をかけてしっかり最弱に設定し直し、ライフドレインがオフになっている事を確認する。アムはまだ力の制御があまりうまくないため、時間の経過で『恐怖』の強弱のスイッチが動いてしまい、度々周囲の人を怯えさせてしまうため、朝目が覚めたら設定し直すのを習慣にしていた。


 壁にかけてある備えつけの白い時計を確認すると、もうとっくにお昼を回っていた。いつも目覚ましが鳴る時間よりも二時間以上遅い。

 昨夜、フィルが「目覚ましなんてなくても勝手に目が覚めるから……」と、目覚ましのスイッチを止めていたことを思い出す。


 ……全く起きてないじゃないですか……


 呆れつつも、抜き足差足でフィルを起こさないように、備え付けられた洗面台に行くと、顔を洗い、髪にいつも以上に時間をかけて櫛を入れた。

 昨日の探索を思い返しながら髪を整え終える頃には、眠気はかけらも残っていない。

 レイスであり、ナイトメアであるアムのライフサイクルは夜型だ。だからこそ、いつも朝は眠気を我慢しながら行動していたが、今日は清々しいくらいに意識がはっきりしている。それはいつもよりも二時間多く睡眠をとったからだけではないだろう。

 寝巻き代わりに着ているローブを脱ぎ捨てようとして、今はマスターがいる事を思い出して丁寧にたたみ直し、大体いつも着ている女性探求者御用達の丈夫な布でできた黒緑のワンピースに腕を通しかけて、やっぱりいつも着ているのより二割程値段が高いちょっといい明るい色のワンピースにすることにする。ただの衣類ではなく、探求者がよく好んで使用する、実用本位の『装備』なので、大して可愛らしくもないがそれでも少しでもいい格好をしたかった。


 たっぷりいつもより三倍は時間をかけて身支度を終えると、そーっと寝室を覗き見る。

 フィルの様子は一時間前と何も変わらない。時計を見ると、後数時間程でギルドが閉まってしまう時間だった。昨夜アムの宿ーー『白銀の歯車』に帰還して、シャワーを軽く浴びて(当然別々だ)就寝したのが二十三時くらいだったから、優に十五時間は寝ている計算になる。


「あの……フィル、さん? 朝ですよ……?」


 このまま寝かせておいても恐らく叱られるだろう。アムは、そっと足音を忍ばせてベッドに近づいた。

 フィルは身動き一つせずに静かに寝ていた。掛け布団を頭から被って寝ているため、顔は見えない。ナイトメアの鋭い聴覚にはっきり聞こえる、緩やかな心臓の鼓動だけが、生きている事を示している。


「あの……ギルド、しまっちゃいますけど……昨日色々やることがあるって……」


 全く起きる様子のないマスターの姿に、アムの脳裏にちょっとした悪い考えが浮かぶ。そして、もしいたらアムを止めていたはずのフィルの元スレイブもこの場にはいなかった。

 アムの手が布団の上端をつまむ。別に一気に剥ぎ取ったりするつもりはない。後で怒りを買うのが目に見えているからだ。

 だけど、ここまで寝坊しているのだから、少しだけ……少しだけ、寝顔くらい見ても罰はあたらないはず……

 その時、不機嫌そうな声が耳を打った。


「何……を、やってる」



******



 意識の覚醒はいつもまるで泥のように重く昏い。

 寝起きはいつも鬱屈だ。布団の重みが僕をここから逃すまいと押さえつける。

 意識は焼かれた灰のように朦朧としていて、何もかもがどうでも良くなってくる。

 自分が果たして寝ているのか起きているのか……それとも死んでいるのか、それすら定かではないこの状態が、僕はとてつもなく嫌いだった。が、それすらももはやどうでもいい。

 意識を覆い尽くすような揺蕩うその闇を表現する言葉を僕は物心ついた頃から知らず、脆弱な身体で七難八苦を乗り越え、経験を積んだ今もそれは何一つ変わらなかった。

 この圧倒的な絶望感ーー世界そのものが敵に回ってしまったような、無慈悲極まりない感覚と比べればSSS級レイスの『恐怖』さえ霞む。


 ふと、空が微かに動いた。何かが世界を壊そうとしているのだ。

 声を出そうとして、出ない事に気づく。喉はもはや言葉を出す方法すら忘れていた。


「何……を、やってる……」


 全力で喉の奥からひねり出した声は、しわがれ、かすれていた。

 頭が重い。瞼が重い。全身に泥がまとわりついているかのように億劫だ。


「え……フィルさん……? 起きた……んですか?」


 柔らかい壁を隔てて、声が聞こえる。女の声だ。僕の本能が、その声質を理屈なくレイスのものだと断定する。

 聞いたことがある声だ。誰だっけ……いや、そもそも、僕にレイスの知り合いなんて……いたか? いや、居たような気がする。

 ゆっくりと時間をかけて身体を回転させる。それだけで僕の身体が摩耗する。頭の奥が痛む。全身がだるかった。

 なんとか全力を使い、手首から先を布団の外に出す事に成功する。ひんやりとした空気が触れた。


「え? 握ればいいんですか? フィルさん?」


「うるさ……い」

 

 外から聞こえる声から守るように身体を丸める。なんとか出した手が引っ込んだ。

 意識を見えない手が奈落に引きずり込もうとしている。


「あ! また引っ込んだ……フィルさん、いいんですか? もう十五時ですよ? 色々やらなくちゃならない事があるって言ってたじゃないですか!」


「……いい」


「よくないですよ! ギルドでF級昇格試験も受けなくちゃならないし、それに新しい宿も探すって……」


「……明日やる」


「……本気ですか? 今日一日何もやらずに寝てるつもりですか? 時間を無駄にできないって昨日言ってたのに……」


「…………」


 うるさい……誰だっけ、この声……ああ、そうだ……ナイトメアだ……

 少し記憶が蘇る。うっすら靄がかかっているが、姿形が脳裏に浮かんでくる。くすんだ金髪、長い髪、墨色の瞳、整った相貌……の、スレイブ……


「フィールーさーん! おーきーてーくーだーさーいー! はーやーくーどーこーかーいーきーまーしょー」


 子供か!

 布団の上から強く揺すられる。視界が揺れる。揺れが強くなる度に少しずつ記憶が蘇ってくる。

 シィラ。アリス。転移。レイブンシティ。ギルド。テスラ製ガイノイド。ナイトメア。スレイブ。

 ナイトメア……スレイブ……そう……名前は……アムだった。

 僕の……新しいスレイブ。大事な人。

 僕はなんとか全力を使い、もう一度手を布団の中から出す。


「また手だけ……一体どうしたらいいんですか? どうしたら満足なんですか?」


「頭……出す」


 なんとか喉の奥から声を出す。


「え? 頭? 頭って何ですか? どうすればいいんですか?」


「頭……撫でる」


「え? 撫でる? 私の頭を撫でたいんですか? 今? 髪梳かしたばかりなんですけど……頭を出せばいいんですね?」


 程なくして、手の平に髪の感触を感じた。

 僕は布団の中にもぐったまま、それを丁寧に撫でてやる。


「……アム、いいこだ……」


「え? な、な、何をいきなり……」


「契約して……よか……った」


「え? 待ってください! フィルさん、今何て……もう一度、もう一度言ってください! 今のもう一回!」


「契約して……よかった……」


「あ、また! 今の、嘘じゃないですよね?」


 アムの声のテンションが少しずつ上がっていく。

 僕の意識は少しずつ下がっていく。悪夢のような微睡みが僕の心を侵食していく。


「アム、いいこ……」


「えへへ……ま、まさかフィルさんが、そんなに私の事を褒めてくれるなんて……」


 心が闇に飲まれる前に、なんとか声を絞り出す。

 今の僕を救えるのは……アムしかいない。


「アム……昇格試験……まか……せた」


「え? 昇格試験? ギルドのF級昇格試験ですか? ……F級の昇格試験って、E級のモデルウルフの討伐とかその辺りですよ? 昨日見せてくれたあの分解ペンがあればフィルさん一人でもそう苦労しないと思いますが……アントを散々討伐しましたし……」


 違う。そうじゃないんだアム……

 なんとか意志を伝えるべく唇を動かす。


「……一人で……行ってきて……」


「……え? い、今、何て……」


「一人で……行ってきて……受けるって……約束……してる……から……」


「……私、一人で……? 受けてこいって?」


「そう……」


 数秒アムが静かになる。が、すぐに爆発したかのように叫んだ。それは、僕が初めてみたアムの怒りの感情だ。


「……ふざけないでください! ちゃんと起きて下さい! 二人で行きましょう! マスターですよね? 魔物使いですよね? これからの事を二人で決めていこうって……昨日言ったじゃないですか……」


 最後にアムの語尾のトーンが悲しげに下がる。

 魔物使いは信頼でできている。約束は可能な限り破りたくない。

 なんとか説得しようとするが、頭が全く働かない。思い浮かぶのは、金髪のアムではなく、前のスレイブ……銀髪のアリスだった。


「……アリスは……行ってくれた……」


「え!? アリス? ちょ……ねぇ、フィルさん! 誰ですか、アリスって!?」


 アムの雰囲気が怒り、悲しみから焦りに変わる。

 ぎりぎりでまだ口が動いた。答える。


「……前の……スレイブ……」


「え!? 今、前のスレイブって言いました!? まさか、昨日言っていた、私と同じレイスの、はぐれたっていうスレイブですか? アリスっていう名前なんですか? ねぇ、フィルさん。おーきーてー。もっとそのスレイブの事教えてくーだーさーいー」


 アリスの事……?

 頭の中でアリスの姿を思い浮かべる。思い出を思い浮かべようとする。……ダメだ、全く思い出せない。仕方なく覚えている事を脊髄反射的に出していく。


「……かわいい」


「え? かわいい? かわいいんですか? そのスレイブのこは?」


「……綺麗」


「綺麗!? 今度は綺麗!?」


「……強い」


「おまけに強いんですか? え……昨日の私と、どっちが強いですか? どっちが可愛いですか?」


 昨日見たアムも確かに強かったが、アリスの力は……突き抜けていた。

 他のスキルも使えるようになればさらに強さは段違いになるだろう。アムには一流の探求者になれるだけのポテンシャルがある。だが、それだけではアリスには及ばない。

 アムが原石の塊なら、アリスは研磨された極上の宝石のようなものだ。僕はあそこまで強力なレイスを……他に知らない。


「……アリス……」


「え!? 今、アリスって言いました? 言いましたよね? 何でですか? ねぇ、フィルさん。私に何が足りないんですか?」


「……優しさ」


「……優しさ? 優しさって何ですか? 私優しくないですか?」


 ダメだ、もう限界だ。

 僕は意識の限界の底。なんとか数センチ手を動かし、頭をさする。

 意識が落ちる。僕は落ちていく世界の中、なんとか言った。


「……昇級試験……よろしく……」



*****


 目が覚めたらもう外は真っ暗だった。

 室内は静かで、半端に開けられたカーテンの隙間から白い月の光が差し込んでいる。


「……今、何時だ……」


 朦朧とした意識の中、なんとかベッドの上に起き上がる。見覚えのない部屋に一瞬戸惑ったが、すぐにアムの部屋に泊めてもらっていた事を思い出した。

 ほとんど物が置いていない寂しい部屋だが、広さだけはかなりあった。ベッドを二つ置いても余裕なくらいだ。

 部屋が綺麗なのはアムの性格ではなく、恐らく宿の人が定期的に掃除するからだろう。あの子が掃除をするとは思えない。


 眠い……


 このままベッドの上にいたら二度寝してしまいそうだ。

 僕は極度の低血圧で、寝起きが非常によくない。目が覚めたら即行動しなければあっという間に睡魔に引きずり込まれるのだ。有名な薬師にわざわざ寝起きを良くするための薬を融通してもらっていたくらいだ。尤もそれは、僕の意志ではなくスレイブのススメによるものだったが。


 顔でも洗おうかと一歩立ち上がると、身体が思い切りふらついた。大きく揺れながらも何とか洗面台まで辿り着く。周りで僕を見ている人がいたら半分死にかけたゾンビのような……とでも言っていただろう。

 冷たい水で顔を洗うと、ようやく脳内を漂っていた靄が薄れてきた。

 洗面台の脇には、丁寧に畳まれた寝巻き代わりのローブが置かれていた。


 ……そういえば、アムはどこにいったんだろう?


 話し合った結果、ソファに寝ることになったはずだが、ソファにはいなかった。

 時計を見ると、もう十九時だった……十九時?

 部屋の片隅に置かれた時計を睨みつける。睨みつけても時間は十九時のままだ。昨日寝たのが二十三時だったから……二十時間は寝ている事になる。


「しまった……小夜さんと約束した昇級試験すっぽかした……」


 もうギルドは閉まっているだろう。

 痛恨のミスだった。いくら疲れていたとは言え……そんなのは言い訳にもならない。

 ギルドはもう閉まっているだろうか? 閉まっているんだろうな。

 窓口は十九時に閉まると言っていた。丁度今頃閉まっているだろう。


 ……急げば間に合うかな?


 昇格試験は受けられなくても、小夜さんも窓口が閉まってすぐに帰るとは限らない。謝罪くらいはできるかもしれない。

 五分で身支度を整え、走って階段を降りる。


「あ、えっと、フィルさんでしたっけ? こんばんは」


「ああ、アギさん。こんばんは」


 丁度カウンターに宿屋の従業員のアギさんが座っていた。

 昨日ここに転がり込む時に少し会話した、二十代半ばくらいの見た目の、ガイノイドだ。


「あ、アムがどこに行ったか知ってますか?」


「ああ、アムさん? なんか数時間前に泣きながら走って出て行きましたけど……」


「泣きながら……?」


 何があったんだろう?

 ちょっと考えたが、思い当たる節は何もない。

 心配になったが、冷静に考えてみると、出会ってから一日しかたっていないが、あの子は泣いてばかりいた気がする。


「……まぁ、アムは泣き虫なんで……出てくるついでにちょっと探してきます」


「はい。いってらっしゃいませ。……あ、夕食はどうしましょうか?」


「外で食べてくるので、大丈夫です」


「かしこまりました」


 宿から外に出る。

 太陽は完全に沈んでいたが、レイブンシティの町並みは明るかった。

 昨日サファリの上から眺めていて実感したが、レイブンシティの街の水準はグラエル王国王都よりも高い。

 黒い金属でできた道路に、そこかしこに規則正しく並べられた街灯が柔らかな光で照らしており、少なくともギルドまでの道のりでは、足元に注意する必要もなかった。周囲の生息種族の大部分が機械種であることもあるのだろうが、がちんがちんと大きな音を立てて歩く四脚の蜘蛛のような機械種が道路を何体も走っているのを見ると、SFの世界に来てしまったかのような錯覚すら覚える。

 もう一生分の機械種を見たような気すらしてくる。

 逆に、夜の闇を光が侵食しているため、レイスの類はほとんど見られなかった。夜でも闇の少ないこの街は闇を好むレイスにとってさぞ住みづらいだろう。


 そんな他愛もない事を考えて歩いて行くと、二十分程でギルドについた。

 併設された酒場の窓から賑やかな声が聞こえる。酒場は今日も盛況らしい。この辺りは、王国もこの機械種の街も何一つ変わらない。アルコールの前にはどんな種族も……馬鹿になるのだ。


 自動ドアを開けて、中に入る。


 酒場の方は、昨日よりも大分賑やかだった。どうやら大きなクランが貸しきっているらしい。百席以上ある座席のほとんどが埋まっている。

 クランというのは、複数人の探求者が集まって作るグループの事を指す。常に複数人で行動する探求者はパーティと呼ばれるが、それが更に大きくなったものだと考えるとわかりやすい。数は力であり、その仕事のほとんどが命の危機と隣合わせである探求者に取っては群れを作るのは当然の選択だったのだろう。情報の収集、スキルの共有、必要なパーティメンバーの募集、どれをとってもより大きな群れを作ったほうが効率がいい。


 後で混ぜてもらおうかな……是非南側の探求者にお話を聞きたい。


 後ろ髪を引かれるような思いをしながら、カウンターの方に向かう。

 カウンターの前には、二つの人影があった。

 小夜さんと、ボロボロになってるアムがいた。

 ……一体何があったんだろう。丈夫な布でできているはずの探求者用の服はあちこちがまるで熊と戦ってきたかのように解れ、昨日までは傷一つなかった頬には一筋の傷ができていて、うっすらと血が滲んでいる。

 アムが強く音を立ててカウンターを手で叩く。

 まくし立てるように言う。カウンターの上のトレイには、何から灰色のパイプのような金属片が大量に置かれている。


「何でダメなんですか!? ちゃんと討伐証明の翼を取ってきたじゃないですか!」


 対する小夜さんも、アムに負けず劣らず目の前の残骸を突き返し、どこかイライラしているような声で答える。


「ですから……D206モデルファルコンの討伐証明は確かに翼ですが、全体の八割の形を残していないと、証明として認められないと言ってるんです! アムさんが持ってきたのは、どう見てもばらばらじゃないですか! 別に私は、アムさんが嫌いで言ってるんじゃないですよ? そういうギルドの規定なんです!」


「ギルドの規定? じゃーなんですか? もう一度狩ってこいと? 大体いくら大きいとは言え、あの速さで飛ぶ鳥を翼を壊さずに採集するなんてできるわけがないじゃないですか! おかしいですよ!」


 アムが食い下がる。


「それができてこそのE級探求者なんですよ! 大体、こんなばらばらじゃ本当にファルコンの翼かもわからないじゃないですか! どこかの鉄くずを集めてきただけなんじゃないですか? そもそも、元高ランクのフィルさんがいるならまだしも、元F級に上がったばかりの探求者だったアムさんが一人でファルコンを狩れるわけが……」


「あ、酷い……私はそんなことーー」


 発端は分からないが、会話の流れから、大体の展開は読めた。

 アムが持ってきたファルコンとやらの討伐証明が、バラバラになっていて認められない、と。


 くだらない。


 まだ半分くらい眠っている靄のかかった頭で判断する。

 説得もせずに食い下がるアムもアムだし、小夜さんもただバラバラの討伐証明を持ってきただけでアムの実力を貶める発言をするなんて、らしくない。まー大体理由はわかっているし、どっちかというとうちの子が悪いのだが。

 僕は、言い争うのに夢中になっていて全くこちらに気づいていないアムの頭に、後ろからチョップを食らわせた。


「痛っ……何するんで……え? フィル……さん?」


「おはよう、アム。全く、何やってるんだよ……」


 アムはまるで幽霊でも見るかのような目をこちらに向けていた。

 失礼な子だった。いくら電灯がほとんど落ちていて薄暗いとはいえ……

 続いて、突然の乱入者に固まっている小夜さんの眼をしっかりと見据える。


「こんばんは、小夜さん。アムが何か粗相をしましたか?」


「……フィルさん……いえ、そんな事は……」


 どこか気まずそうに、小夜さんが言いよどんだ。

 カウンターの上に置かれたトレイを見る。灰色の金属のパイプのような薄い板が大量に置かれている。


「フィルさん、酷いんですよ……私が頑張ってモデルファルコンを討伐して来たのに、そこのギルドの人が認めてくれないんですよ……」


 アムが半ば僕にすがりつきながら、小夜さんを指さす。


「……ギルドの規定では、八割以上原型を残していない、討伐証明部位はそれが本当に討伐対象のものなのか真偽が判別できないため、討伐証明として認められません」


 小夜さんが事務的な口調で言い返した。なるほど、言い分は小夜さんが正しい。

 僕は数センチ程のいくつかの薄い板をひっくり返して見る。曲げようと試みようとするが、まるでカミソリのように固く、全く曲がる気配はない。

 僕は一度頷くと、小夜さんを見た。


「なるほど……確かに原型はとどめていません。だけど小夜さん、これがモデルファルコンの翼だってわかりますよね?」


「……え?」


 アムが情けない声を上げる。

 小夜さんがぴくりと眉を上げた。


「ギルドの職員……特に討伐証明の鑑定までやってる職員の真偽眼は並じゃない。特に機械種の職員ならば、それ専用のスキルを積んでいるんでしょう? 粉々になっているわけでもないし、バラバラにはなっているけど、羽毛の一枚一枚は判別できる。頭の中で組み立てて討伐証明をモデリングする事なんて簡単ですよね? 小夜さんなら」


 小夜さんはしばらく黙っていたが、静かに唇を開いた。


「確かに……それは可能です……」


「え!? さっきと言ってる事が違……」


 ギャーギャー騒ぐアムの頭をチョップして黙らせる。

 違う? そりゃ違うだろう。こちらが話している事が違うのだから、向こうの回答も違っていて当然だ。


「それを踏まえて教えて下さい。これはD206モデルファルコンの翼で間違いない、そうですよね?」


 小夜さんの眼の中、奥底までを見通すつもりで見つめる。

 しばらく居心地が悪そうにしていたが、視線を外し時計を見て、依頼検索用のタブレットを見て、トレイを見て、もう一度僕の眼を見て言った。


「……はい、間違いなく、モデルファルコンの翼です。……原型が残ってないですけど」


 言い訳するように小夜さんが付け足した。

 その言葉に、胸中で胸をなでおろした。

 よかった……アムが嘘をついたわけじゃなかった。僕はそもそもD206モデルファルコンというものを見たことがない。機械種の数は他の種と比べても比較にならないくらい種類が豊富だからだ。同じモデルドッグでも、型番によって姿形が全く違ったりする。それらを全て網羅するなんてーー専門のメカニックでもなければ難しい。

 僕は続けて交渉する。


「ギルドの規定は確かに原型を八割残す事です。ですが、それは実際に依頼を受けた探求者が本当に対象を倒したのか確認するためです。その本筋は討伐できたか否かにあり、そして……その判定は最終的には現場の者に裁量権がある。違いますか?」


「……確かに……フィルさんの言うとおりです。依頼の達成・非達成の裁量は……私にあります」


 ギルドの職員は皆エリートだ。特にギルドの職員の裁量権は他の職種とは比べ物にならないくらいに強い。百戦錬磨の探求者を相手に一歩も引かない彼女らは間違いなく純粋なエリートなのだ。


「え……じゃあ八割とか関係な……むぐっ」


 アムが何か喚こうとしたので口を塞いだ。

 この程度、ギルド規定を読んだことがあるなら常識だ。

 僕がアムに上げた登録の褒賞品であるアイテムの中にも入っていたマニュアルに全て書いてあったはずだった。後で隅から隅まで読ませよう。暗記させよう。


「小夜さん、アムはもう僕のスレイブです。ついこの間までは確かにF級の箸にも棒にもかからないただの弱小探求者だったかもしれない……だけど、今のアムならD級機械種くらい簡単に倒すだけの力はある。僕が保証します」


「……何か傷だらけですけど」


「僕がいなかったので」


 マスターがいない時のスレイブなんて、種のないスイカみたいなもんだ。特にアムのように種族ランクだけで生き延びてきたスレイブには重要である。

 小夜さんは僕の言葉にしばらく悩んでいたが、


「……分かりました。私、小夜の権限で討伐証明として認めましょう。フィルさん、お疲れ様でした」


「ありがとうございます」


「え……ちょっと待って、納得いかにゃ!」


 余計な事を言う前に抱きしめて、手で口を塞いだ。

 小夜さんが先ほどの言い争いが嘘のように微笑むと、一枚のギルドカードを渡してくる。

 ギルドカードの色は深い藍色ーーEランクの証だった。

 何もしていないのに、一日でGランクからEランクに上がっていた。一個飛ばしだ。


「あれ? 二個も昇格してる?」


「アムさんが代わりに受講しましたので……Eランクおめでとうございます。褒賞品は、『安らぎの翼』になります。フィルさんはご存知だと思いますが、速度に1の補正効果がある魔道具です」


 小夜さんが、一つの翼を模した意匠が施されているアミュレットを差し出してきた。

 懐かしいな……探求者は大体この辺で初めて日常で使うものとは違った魔道具と言うものに触れ、その便利さに驚くのだ。

 1程度速度が上がっただけでは僕の身体能力ではどうにもならないし、手首に邪魔なものをつけているといざという時困るので、その場でアムにつけてやる。アムはいきなりの行動に一瞬目が点になったが、すぐに満面の笑みになってアミュレットを撫でた。


「ありがとうございます! フィルさん! ……でも、いいんですか? 魔道具なんて、高価なのに……」


「構わないよ。アムが強くなってくれた方が嬉しいし」


 それにその魔道具は高価ではない。効果も高くないし、E級になったらギルドから配られるからだ。杖で言うならば見習い魔導師の杖、剣で言えば銅の剣程度くらいの価値しかない。魔道具自体が他の装備と違って高価なので、銅の剣の十倍くらいはするが……

 アムは感極まったようぴょんぴょん飛び跳ねて喜びの意を示し、宣言する。


「あ……ありがとうございます! これからも……頑張ります!」


「ああ、僕が寝ている間にちゃんと稼ぐんだよ?」


「そ、それはちょっと……」


 僕の言葉に、アムが少し後退った。

 もちろん冗談だ。こんなへっぽこスレイブをそんな一人で働かせるほど僕は鬼畜じゃない。最低でも一人前になるまでは面倒を見るつもりだった。もっとも、今日一人でE級昇格試験まで合格してみせた所を見ると、一人前になれる日はそう遠くはないはずだ。探求者はE級から一人前と言われているので、アムも戦闘能力的にはもう一人前と言える。足りないのは戦闘以外の知識や常識だけだ。


「フィルさん、そろそろカウンターを閉めますが、何か他に御用はありますか?」


 時刻は既に二十時を回っている。二日連続で遅くまで仕事させてしまって、申し訳なかった。

 そうだな……小夜さんには大分お世話になっている。このへんで一度借りを精算しておくのもいいかな。


「えっと……この後一緒に酒場で食事でもどうですか? お世話になってるお礼もしたいし……」


「え……? そんな……お気になさらず……ただ仕事をしているだけですので」


「それじゃー僕が納得行かないんですよ。もしこの後用事がなければ、ですが……」


「そうですね……」


 小夜さんは少し迷ったようだったが、小さく首を縦に振った。

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