第六十六話:最初からわかっていたんだ
レイブンシティ周辺に存在するのは荒野だ。
生息する魔導機械により汚染された大地には植物すらほとんどとなく、どこまでも寂寞とした大地が続いている。
時折存在する人工的な建物は魔導機械の魔物が自己生成のために生み出した工場だ。かつてこの地が生命溢れる地だった時の事を記憶している者は既に存在しない。
その荒野の中でも、特別強力なA級以上の魔導機械が縄張りとする一角に、先日までは存在しなかった山が出来上がっていた。
いや――正確には、山ではない。
それは、残骸だった。まるで山のようにうず高く積まれた魔導機械の残骸。
その頂点に、アリス・ナイトウォーカーは腰を下ろし、脚をぶらぶらさせながらぼんやりと視線を宙にさまよわせていた。
月明かりのみが生命のない大地を照らしている。
すぐ目の前に、一辺が百メートルもある大きな建物があった。金属製の建物だ。丸みを帯びた屋根。奇妙な外観はどこか近未来的な印象を抱かせる。
中からは絶え間なく激しい金属音が響いていた。
この地域にはそこかしこに放置された廃工場が存在するが、この建物はそうではない。
建物の中にあるのは、複雑怪奇に広がる三次元の迷宮だ。
天井近くに見える煙突から吐き出される絶え間ない排気。内部にはその一部が蔓延し、脚を踏み入れたものをただそれだけで蝕む。
【螺子帝宮】。
それは、近辺のギルドでD級認定されたつまらない迷宮だった。
内部には特に貴重な資源を落とす魔導機械がいるわけでもなく、最奥まで踏破しても目の前に広がるのは奇妙な機械に吐き出し続けられる大量の螺子という、不可思議な迷宮である。
その癖、その周囲はA級の魔導機械が縄張りにしていて、大抵の探求者では踏み入ることすら難しい。
最近、訪れる者がいないというのも納得の場所だ。
そして、アリスがその迷宮の目の前にやってきたのも、迷宮それ自体が目的ではない。
アリスの目的は、この近辺を縄張りにしている、強力で、故に大量生産が利かない魔導機械だった。
魔導機械にも種類がある。
この地を縄張りにしている魔導機械は侵入者を高度なセンサーで察知し、すぐに襲いかかってくる。
魔導機械達は久方ぶりの侵入者にも劇的な反応を見せた。
その結果は、アリスの下にある。
恐らく、ただ縄張りにしているわけではない。迷宮に近づく者を攻撃するように仕込まれていたのだろう。
大量の螺子は恐らく、規格化された魔導機械の部品だ。いくら増殖能力を持つ魔導機械でも、材料がなければ生産はできない。
驚くほど強力な魔物が守っている時点で、何かあると考えるのは自然な事だ。
恐らくこの地で生み出された螺子はひっそりと運ばれ、新たな魔物を生み出しているのだろう。周囲には他にも似たような迷宮が幾つもある。
だが、そんな事、アリスは欠片も興味がなかった。
この地の魔物が滅びようが栄えようがそんな事、アリスには何の関係もない。
まるで雪崩のようにアリスに襲いかかってきた魔導機械も既に切れている。これではマスターの指示を達成することができない。
だが、それもいい。アリス・ナイトウォーカーは月の魔物だ。
天を見上げるその表情は仮にそれを見る者がいたとしたら、悲鳴をあげてしまうくらいに美しい。
ぽつりとアリスが呟く。
「……そう。もう関係ないの」
アリスの肉体には傷一つなかった。
さらさらと風になびく銀の髪。エプロンドレスからすっと伸びた手足。その透き通るような肌には傷一つなく、その衣装にもほつれの一つもない。
だが、決してそれは、アリス・ナイトウォーカーが無傷である事を意味しない。
外見はともかく、アリスの内側はぼろぼろだ。
エナジードレインで生命を簒奪できない魔導機械を力づくで、大量に撃退したのだ。ましてや、ここに来るまでも、アリスは強力な名前付きの魔導機械を何体か倒している。
もともと枯渇しかけていた生命は既に最低限を残し使い尽くし、その力は万全時の数パーセントしか残っていない。
だが、多大なる犠牲を払いアリスをそこまで追い詰めたところで――魔導機械はぴたりと現れなくなった。
空間魔術を使い周囲一帯を調査したが、近くに魔導機械の気配はない。
全滅させたわけではない。感情の薄い魔導機械が、アリスに恐れをなしたわけもない。
それで、萎えてしまった。
アリスはフィル・ガーデンの最高傑作。最強の剣だ。命令があればなんだって切り刻もう。
だが、襲いかかってこない感情も生命もない魔導機械はいくらなんでもつまらなすぎる。
「御主人様は……まるで猟犬」
歌うような声が夜の荒野に流れる。
恐れたのは、魔導機械ではない。恐れたのはきっと、この、一見、野生に見える魔導機械を統率している上位存在だ。
上位存在が、フィル・ガーデンを恐れた。敵対する事を諦めた。
理由はなんでもいい。あまりにも、労力が見合わないと思ったのか、あるいはその歪なあり方に無意識に恐怖を感じたのか――ともかく、近くいなくなってくれるのならばしばらくは身を潜めようと、判断したのだ。
故に、それ以上アリスを襲うのをやめた。
それはあまりにも合理的な判断だ。
クイーンアント、アルデバラン。あの、長きに亘りこの地に一つの脅威として存在してきたモデルアントの女王は情報を取られると判断した瞬間、自死を強制された。
ここまで広範囲の生態系を人の手で維持しようとするのならばそれは、合理なくして成り立たない。
しかし、フィル・ガーデンは必ずしも合理で動かない。
彼は探求者として完璧だ。肉体こそ最弱だが、彼は敗北を、死を、怖れない。
情報を集め、慎重に慎重を重ね、しかし、いざという時には、アリスの御主人様はアクセルを踏み込んでしまうのだ。
きっと、アシュリーは苦労しただろうと、今更になって思う。
最も弱い御主人様が、たとえ勝算があったとしても、危険に飛び込むというのは、従者として耐え難い事だったはずだ。
だが、同時に――フィルがそういう気質でなかったら、アリスと出会う事もなかった。
彼はきっと、退屈に殺されるくらいなら死を選ぶ。
果たしてそんな選択を平然とできる者が、狂っていないと言えるだろうか?
そこまで考えたところで、アリスは空間収納から以前薬屋で購入した『比翼の血』を取り出した。
しげしげとその瓶を月明かりに透かす。
中身が見えない漆黒の瓶は、月光を完全に遮り、その表面はアリスの表情を映しだしている。
§ § §
レイブンシティのギルドマスター室に入るのは、今思えば初めてだった。
乾いた足音だけが人のいない通路に反響していた。マクネスさんが先行して部屋に入り、明かりをつける。
冒険者ギルドのギルドマスターというのは、周辺一帯のギルドを取り仕切る責任者であり、相応の権力者だ。
応接室を兼ねた広々とした執務室には巨大な椅子やトロフィー、貴重な武具などが飾られていて、オフィスとは違い機械類のような物は見られない。
壁は金属製で分厚く、音を通さないのだろう。部屋を見回した僕に、マクネスさんが言い訳するように言う。
「私が、実質的に取り仕切ってるんだ。カイエンは腕利きだが、機械類を操るのには適していない」
「まぁ、そうだろうね」
アルデバラン討伐後に一度顔をあわせただけだが、ギルドマスターのカイエンさんは並外れた巨体だった。
三メートル近い体躯。間違いなく戦士に向いた種族である。彼がコンピュータをちまちま操る姿はなかなかイメージしづらい。
「で、そのギルドマスターはどこに?」
本来、副ギルドマスターがギルドマスター室を勝手に使うというのはありえない。副ギルドマスターはあくまでナンバー2なのだ。
僕の問いに、マクネスさんが唇の端を持ち上げ、笑みを浮かべる。
「………もう夜中だ。カイエンは帰ったよ。必要なら呼ぶが――」
「いや、そういう事なら構わないよ」
「……ふむ、そうか」
一瞬訝しげな表情を作り、マクネスさんが僕の先程の要求通りにコーヒーを入れてくれる。
この部屋に慣れているのか、それとも日頃から片腕を務めているせいか、その動きは淀みない。
二人分のコーヒーを置くと、マクネスさんは対面に座り魔導機械のタブレット端末を取り出した。後ろに漆黒の鎧を纏ったスレイブが護衛のようにつく。
間違いなく、戦闘用だ。未だ僕は彼のスレイブが言葉を放つのを見たことがない。
戦士に言葉はいらない。かつて機械種の兵士を生み出した諸国を恐怖に陥れた国が出した言葉だ。
いや――そもそも、小夜や白夜のように感情表現豊かな個体の方が珍しいのだ。僕は中身も見ず、カップに口をつけた。
目が覚めるような苦味ががつんと意識に衝撃を与えてくる。
目を瞬かせる僕に、マクネスさんが尋ねる。
「何を考えている?」
よかれ悪しかれ、スレイブはマスターの影響を受ける。
それが、機械魔術師が持つスレイブのような、マスターにより『物理的』に生み出された存在ならば尚更だ。
以前マクネスさんは、自分を製造を得意とする機械魔術師だと言った。
スレイブは鏡。命令もないのに僕を監視していたドライはエティの思想を十二分に反映していた。
ならば、物言わぬ兵隊のようなスレイブが示すマスターとはどのような存在なのか?
目を見開き、マクネスさんを見る。その表情は、突然知人が侵入してきた者として、ごく自然なものだった。
小さくため息をつく。降参だ。見事な腕前だ。僕は仕方なしに笑みを浮かべ、言った。
「マクネス・ヘンゼルトン。君が…………この地の王だ」
「…………!?」
唐突な宣告を受けて尚、その表情の変化は最小だった。その眉が一瞬訝しげに顰められ、すぐに思案げな表情に変わる。
心臓が高揚に強くなっている。痛い程の静寂が一瞬、部屋を満たす。
「それは……どういう意味だ?」
「言葉の通りだ。君が、この近辺の生態系を維持している。魔物も、迷宮も――」
そしてもちろん、探求者も。
マクネスさんが苛立たしげにコーヒーカップをテーブルに置き、腕を組む。向けられた双眸はひたすらに静かだ。
彼は理知的だ。どれほど失礼な事を言われても激高したりしない。
機械魔術師。その高度な知性は、密度の高い脳は、今この瞬間もまるでコンピュータのように回転しているのだろう。
「馬鹿馬鹿しい。SSS級ってのは、想像力も豊かのようだ。そこまで言うなら、証拠はあるだろうね?」
「ないよ」
「…………」
予想外だったのか、その双眸が大きく見開かれる。
証拠はない。だから、必死になって探していた。その尻尾を掴もうと、正しい道筋を求めていた。
だが、もういい。時間がない。
紛れもなく僕の負けである。確固たる証拠もなく打って出るなど、無能もいいところだ。
かつてアムは僕にアリスの悪行を推理してみせたが、あの見事な推理とは比較にもならない。
隠蔽も、立ち回りも、彼は完璧だった。不自然な点もゼロではなかったが、疑いの域を出なかった。
だが、アムに負けるのは癪だが、僕は探偵ではないのだ。
「証拠はない。貴方の隠蔽は完璧だ。だけどさ、そもそも――この地の環境を維持するには……ギルドの力が必要不可欠なんだよ。実は、最初からわかっていたんだ。機械種による歪な生態系を知った瞬間からね」




