第六十五話:食後のコーヒーがまだだった
ギルドは基本的に眠らない。探求者の仕事は昼夜問わないし、酒場だって併設されている。
だが、それは昼夜問わず賑わっている事を意味しない。
夜行性の種の探求者もいるが、大抵の種族は昼間に活動する。特にレイブンシティ近辺を縄張りにする機械種には疲労がなく昼夜問わず動き回っているし、大抵の種は夜闇を見通すセンサーを付属しているから、夜に敢えて挑む意味もないのだ。
ギルドの建物が存在する大通りは夜でも強力な街灯によって照らされていた。
反射を極力抑えた金属で出来た路面。灯りは強いが人通りが多いわけでもないから、その風景はどこか荒れ果てた野を見ているような寂寞とした印象を伴っていた。
歩いていると、どこからともなく無数の視線を感じた。
街灯の一部分。地面。花壇。建物の屋根の下。高度な魔導機械技術を使った監視カメラはもはやこの街にとって日常だ。
そういった機械による感情のない視線は鋭敏で感覚器官を持つ熟練の探求者でも感じづらい類のものである。
恐らく、視線は気の所為だろう。僕は思わずあまりにも臆病な自分を鼻で笑った。
脆弱な純人の感覚はともすると熟練の探求者のそれよりも敏感だが、熟練の探求者のそれと比較して誤検知も多い。
エティの家で時間を潰したおかげが、ギルドは静けさに包まれていた。
先程出た時はまだ人がいたが、ほとんどは帰ったのだろう。あるいは酒場にでも行っているのか。
大きな自動ドアをくぐり、レイブンシティにやってきてからすっかり慣れてしまったギルド内を歩く。
ギルドのロビーはひっそりと静まり返り、カウンターに数人の夜番の職員がついているのみだった。
併設された酒場の方から聞こえる賑わいもここからだと遠い。客がいないためか、何も表示されていない頭上の電光掲示板が物寂しい。
カウンターの方に行くと、職員の一人が目を瞬かせた。
小夜でも白夜でもないが、既にこのギルドの職員は全員顔見知りだ。
「フィル様。どうかなさいましたか?」
見開かれた双眸は器用な事にどこか不思議そうに僕を見ている。
先程副ギルドマスターのマクネスさんが疲れたように見送った探求者が戻ってきたのだ。そりゃそんな表情もするだろう。
「ちょっと大切な忘れ物があって。時間はかからない、入っていいかな?」
「忘れ物ですか。………………どうぞ」
職員が僅かな沈黙の後、足元からカードキーを取り出し渡してくれる。
機械人形は警備兵としては優秀だが杓子定規だ。SSSランク探求者はギルド規約に基づき絶大な信頼と優遇を受けている。僅かな間はそれを勘案した証だ。
礼を言いカードキーを受け取ると、遠慮なくカウンターの中に立ち入る。
建物の構造は既に完璧に頭の中に入っていた。昼間にマクネスさんの案内で入ったばかりだし、ギルドの構造というのはどこの街でも大きくは変わらない。
何度もカウンターの外から中を覗いてもいる。
オフィスの間を迷いなく歩く。客がいないせいか、職員の数も日中と比べてほとんどいない。
花の一つも飾られていないオフィスは酷く無機質だ。整然と並べられたコンピュータ端末を眺める。
レイブンシティのギルドは機械類の使用率が高い。王国では紙類での管理が主だったが、情報の多くは電子化されているのだろう。
僕もそういった機械の類には慣れているが、外部の人間がアクセスできないようになっているはずだ。
その場で立ち止まり、試しに手近な端末の電源スイッチを押してみる。
音もなく画面が表示され、スタートアップの画面が表示される。だが、パスワードを打ち込む欄などは出てこない。
機械人形や機械魔術師を認証するのにパスワードなんて必要ないのだ。
ほら見ろ、やっぱりアクセスできないようになってる。
期待などしていなかった。職員の一人がこちらに気づき、不思議そうに目を瞬かせる。カードキーを持ち上げ微笑みかけると、すぐに興味を失ったように視線を逸した。
敵に強く味方に甘いのは機械種の美徳であり弱点だ。
気を取り直すと、僕はまるでそれがあたかも当然のように、ギルドの中を進んでいった。
§
これまで様々な経験をしてきた僕が考えるに、優れた探求者の資質は二つある。
一つ目は――身体的な能力と才能。二つ目は――いざという時に踏み込む意志だ。
力と勇気とも言い換えられる。そのどちらが欠けても栄光は手に入らない。
カードキーを使い扉を開ける。
昼間、マクネスさんに案内された地下室には向かわない。地下室の扉を素通りし、ギルドの奥に向かう。
どうやら警備は薄いようだ。ギルドに押し入る者など想定していないのだろう。
部屋を調べる時には奥から調べるのがコツだ。逃げる時に距離が短くて済むし、使わないものは大抵奥の部屋にある。
順番に扉を開けていき、僕が辿り着いたのは古い書庫だった。
明かりをつけ、中に入る。
古い紙の匂い。保存されているのはこの地で活動するギルドの記録だ。それはつまり、この地で起こった出来事の記録でもある。
探求者ギルドは決して無能ではない。
海千山千の探求者達を束ね一般人との橋渡しをする組織。境界線を跨ぎ、各町に存在するほど組織が発展しているのには理由がある。
エティは、僕が抱いたこの地の奇妙な生物分布の裏には機械魔術師がいるという意見に対して、面白い考えだと言った。
だが、その程度の事を、僕程度が気づくような事を、探求者達を統率し強者や異変に敏感なギルドが気付いていないわけがないのだ。
『比翼の血』についてはまた別としても、だんまりを決め込んでいるのには理由がある。
かがみ込み、下の棚から順番に書類を確認していく。
機械種ほどではないが、処理速度にはそれなりの自信がある。
古い書庫には一目見て膨大な数の資料が存在していたが、こっちはプロだ。欲しい情報がどこにあるのか、当たりをつけるのは難しくない。
すぐに欲しい情報は見つかった。
機械種の縄張りの広げ方。新たに見つかったダンジョンの情報。探求者達が倒した魔導機械のレポートに、魔導機械の成長の軌跡。
如何にしてこの街が今のような状況に陥ったのか。
恐らくここに保存されているのは整理する前の情報なのだろう。雑多で分かりづらい膨大な情報をまとめ頭の中で組み替えていく。
視界が明滅し目眩を感じるが、すぐに収まる。憑依の繋がりを通じて回復してくれたのだろう。
酒が少し入っているが、僕は冷静だ。集中するに従い、脳を働かせる感覚が恐ろしい快感に変わっていく。
一種のトランス状態といえるだろうか。目で追う一行一行の文字からこの地を生み出した者の情熱が、その腕前が伝わってくる。
慎重に、しかし大胆に。
その手管はまさしく――敵に相応しい。
と、その時、ふと背後から肩を軽く叩かれた。
「何か……面白いものは見つかったかい? フィル」
「ああ、一杯コーヒーでも貰えるかな。食後のコーヒーがまだだった」
肩を叩いたのは、副ギルドマスターのマクネスさんだった。背後には漆黒の鎧に身を包んだ大柄な魔導人形――スレイブを伴っている。
その表情は先程僕を見送った時とは違い、酷く険しかったが、僕の返答を聞くと、困惑したように眉を歪める。
「困ったな、君は侵入者だ。嘘をつき、カードキーを掠め取った。なぜそんなに平然としている? 言っておくが、ここは立ち入り禁止だよ」
平然としているのは見つかる事も覚悟の上だったからだ。
そもそも、見つからないわけがないのだ。僕はカードキーを口先で借りたが、口止めはしていない。いくらSSS探求者が信頼されていても、職員にとっての上位者はマクネスさんだ。
端末の電源だって入れたし、扉の開閉だって管理しているだろう。機械魔術師は大なり小なり偏執的な側面がある。
マクネスさんはしばらくじっと僕を見ていたが、すぐに諦めたように肩を下げた。演技派である。
「全く、あの情報屋といい、こう言ってはなんなんだが――SSSランクってのは本当に手を焼く。たまに頭の中を覗きたくなるよ。話は……ギルドマスター室で聞こう。ギルドの情報だ、こちらで協力できる事もあるだろう」
そこで、ふと思い出したように言う。
「それよりも、フィル。酷い顔をしている。最近随分動き回っているらしいじゃないか。体調にも気をつけるべきだ、回復してあげるよ」
マクネスさんが手の平をこちらに向け、スキルを発動する。身体の中を奇妙な感触が駆け巡る。
機械魔術師の回復スキルは身体の状況を細かくモニターし、悪影響を及ぼすものを全てを除去する最上級の代物だ。機械種に効果抜群だが、その他の種族に対しても過不足なく作用する。
傷はもちろん、腫瘍だろうが病気だろうが毒などの異常だろうが、精神的なストレスだろうが――『比翼の血』などの必ずしも悪影響と呼べないものは弾かないが、それ以外には大体効果がある。もちろん、悪性霊体種の憑依にだって。
まるで水で体内を洗い流されたような気分だ。再び背を向けるマクネスさんに聞く。
「何かに憑かれていたみたいだった?」
「それは…………ああ、その通りだ。こう言うのもどうかと思うけど、君は正気じゃない」
マクネスさんが一瞬詰まり、しかしすぐに毅然とした声で言う。




