第六十四話:うまいこと言うな
かつて、恐ろしい企みを抱いた薬師がいた。
職にはそれぞれ長所がある。薬師は戦闘能力皆無だがその分、ポーションを製造・投与するスキルにおいては他の追随を許さない。
そして、彼らが持つ知識はきっと僕たちが想像するよりもずっと複雑怪奇だ。
彼らは有するスキルによりポーションの効果をある程度自由に操れる。機械魔術師は一騎当千だが、薬師は力の使い方次第で、街を容易く滅ぼせる。
これは――向き不向きだ。
そして、ポーションが最も強い効果を及ぼすのが、肉体に縛られる有機生命種だった。
だから、僕は彼らについて知識を学んだ。
強力な職は大抵、探知スキルを保持している。耐性を付与するスキルを持っている事もある。
機械魔術師のサーチスキルはあらゆる毒物を検知できる。だが、それだって――穴はある。
小夜の持つサーチスキルが、僕に使われていたアリスの憑依を見抜けなかったように、スキルは万能ではない。
かつて、恐ろしい企みを抱いた薬師がいた。
強力な術者だった男は自らのポーションをスキルにより強化し、水道に混ぜて広範囲にばらまいた。
大都市だった。多様な種族が生活していた。多様な職の持ち主がいた。だが、薬師の行いが露見するのにはとても長い時間がかかった。
手の甲に軽く口づけしたエティが頭を上げ、ワインを一口含み唇を湿らせる。
ほら――気づかない。
「こほん。それで、さっきの話の続きなのですが――」
エティが小さく咳払いをする。その頬は少しだけ火照っている。
だが、変わらない。ワインを含んでもエティの様子は全く変わらなかった。
その瞳には信頼の情があった。エトランジュ・セントラルドールは強力な術者だが、腹芸ができるようなタイプではない。
どうやらまだ手は伸びていないようだ。僕は小さく息をついた。
「…………どうかしましたか?」
「いや、なんでもない」
機械魔術師はパッシブスキルで常に自分を保護している。バイタルは常にチェックされ、奇襲だってまず通じない。
だから、毒物を盛られたら真っ先に気づく。
それが本当に――毒物ならば。
あらゆる状態異常は大きく二種類に分けられる。
すなわち、ネガティブとポジティブ。悪影響か、良い影響か。
機械魔術師のセンサーはあまりにも鋭敏だ。だから、彼女たちは通常、検知する情報を制限――フィルターをかけている。
彼らのサーチはネガティブな影響を真っ先に見破るが、ポジティブな影響は自然と見逃す。
それがサーチスキルの穴だ。そして、毒や状態異常に耐性を持つ高位種族が持つ穴である。
大抵の種族が持つ耐性は悪影響は排除するが良い影響は受け入れる。
薬師の行いが長く露見しなかったのは、撒いたポーションが『毒』ではなかったからだ。
だから、あらゆる職のサーチスキルをすり抜け、強力な種族の耐性を貫通した。
だから、影響範囲が広かったにもかかわらず、露見するのに時間がかかった。
薬師はそのポーションにより『味方』を増やし、革命を試みた。
唯一、その薬師にミスがあるとするのならばそれは、彼にはポーションに頼らない真の理解者がいなかったことだ。
エティは先程、この機械種から成る生態系を人工的に保つには大量の機械魔術師が必要だと言った。
逆に言えばそれは――術者の数さえ足りていれば、どうとでもなるという事。
僕がエティのワインに混ぜたのは――解毒剤だ。
アレンさんがくれた解毒剤。アリスが買っていったという媚薬――特殊な興奮剤『比翼の血』の解毒剤である。
解毒剤というのは基本的に後に飲むものだが、前に飲んでもまあ多少の効果はあるだろう。
『比翼の血』は強力なポーションだが、機械種には効かない。本来このような機械種の多い町で売るようなポピュラーな物ではない。
供給があるのは需要あってこそ。
アリスは僕を一度裏切ったが、薬を盛ったりはしない。だが、そういう手っ取り早い手段を使う者もいる。
ひっそりと何かをなそうとした場合、だいたい手口は限られている。栄光の積み方にノウハウがあるように――。
アレンさんに聞いても、客の名前は言わないだろう。アリスがそれを持っていった事を教えてくれたのは彼女が僕のスレイブだったからだ。
いや、教えてくれるかもしれないが――彼の安全を考えれば、聞くべきではない。
そもそも、僕には既に大体の予想がついていた。
目的を達したので、立ち上がり、伸びをする。
大丈夫、アルコールは少し入ったが、脳は熱を感じる程働いている。
「歓迎ありがとう。急に悪かったね……美味しかったよ」
「!? え? もう帰るのですか?」
エティが目を見開き、どこか不満げな声をあげる。
彼女に手が伸びていなかったのは、僕が既に街を出る準備をしていたからだろう。
だが、行動は全て監視されていると思っていい。相手は強大で用意周到だ。時間を与えればこちらが不利になる。
「悪いけど、これからやることがあるんだ。面倒な事はさっさと終わらせないと」
彼女を巻き込むつもりはない。戦いを選んだのは僕だ。だからこそ、終わらせるのも僕であるべきだった。
物でごちゃごちゃした廊下を通り、玄関まで見送ってもらう。スレイブのドライは引っ込んだまま戻ってこない。
エティは小さくため息をつくと、どこか拗ねたような口調で言う。
「全く……次は、いきなりドアをどんどん叩かないで、昼間に来るのです」
「ごめんごめん。悪かったよ。急に会話したくなったんだ」
エティが手を伸ばしかけ、一瞬動きを止めるが、思いきったようにそのまま僕の頬に振れる。
静かに輝く銀の瞳がじっと僕の目を見つめ、小さく笑った。
「しっかり、寝るのです、フィル。そんなに酷い隈を張り付けていたら、男前も台無しなのです」
「ああ、おやすみ、エティ。また……明日来るよ」
エティはそれ以上僕を見送る事なくこれ見よがしと欠伸をしてみせ、家に入っていった。
いい子だ。才気に溢れ、しかし傲慢ではない。
足りないのは――克服する経験だけだ。魔物に対する狩りではなく、明確な敵と戦う経験さえ積めば素晴らしい探索者になれるだろう。
頑丈そうな門を出ようとしたところで、ふと思いつき、振り返る。
光源は月とぼんやりした街灯だけで視界が酷く悪い。だが、僕は構わず声をかけた。
「素晴らしいマスターだよ。強く勤勉で自省を惜しまずおまけに人並みの倫理観も持っている。機械魔術師は偏屈な人が多いから、奇跡みたいなものだ。そしてついでに――とても優しい」
しばらく、答えはなかった。
スレイブとマスターは基本的に契約の紋章で繋がっているが、スレイブが機械種の場合は異なる。
魂に刻まれる契約魔法は魂なき無機生命種には効果がない。だが、命令権がないわけがない。
大抵の魔導機械は創造主に対し、彼らは忠実に命令を守る。そういう風に、作られている。
だが、同時に――いないわけがない。夜分にいきなり訪れ、おまけに主人が退席させるような客だ。
小さく物音がした。這うような音だ。家の影から、四つん這いになったエティのスレイブ――ドライが現れる。
木製の人形のような形をした機械種としては異質なスレイブだ。その顔には目も鼻も、感情を表現するような物は何もついていない。
木製の頭が滑らかに動き、僕を見上げる。
「言われるまでもなく、マスターはとても素晴らしい方です、フィル様。どうして私がいると? 貴方は気配察知能力を持たないでしょう」
「能力は……あるに越したことはないけど、なければないでなんとかなる。僕が気づいたのは、いて当然だからだよ」
会話を交わした回数は少ないが、一目見てわかった。
機械魔術師は大抵、自ら生み出した魔導機械をスレイブにする。故に、そのスレイブにはマスターの性格が如実に反映される。
エティを見ればドライの事はわかるし、ドライを見ればエティの事もわかる。
一見機械種に見えないのっぺりとした見た目は不気味だが、本質はそこにはない。
ドライのテーマは恐らく――感情だ。足すだけが表現の手法ではない。
小夜や白夜のような正統派のアプローチとは違い、エティは敢えて何もつけない事により、感情を示そうとした。
だからドライは必要以上の感情を持ち、先程は命令もないのに僕を止めようとした。
ここから示される答えはたった一つ――。
「エティは寂しい子だ。しっかり見張って守ってあげるんだ。もっとも、言われるまでもないかもしれないけど……」
ドライの顔には目がないが、その視線が僕に向いているのがわかる。得体の知れないプレッシャーを感じる。
エティは僕とは違い強いが甘さがある。だが、ドライはその事をよく理解している。
それは僕が結んだものとは違う、スレイブとマスターの関係の一つだ。
そして、ドライはゆっくりと立ち上がると、言った。
「フィル様。貴方は先程――マスターは強く勤勉で倫理観を持ち、優しいと仰りました」
「ああ。言ったね」
「ですが……僭越ながら、私はもう一つだけマスターの性質を存じております」
着せられた執事が着用するような燕尾服。ドライがきっぱりと言う。
「マスターはどうやら――見る目がないようです。良い夜を、フィル様」
予想外の言葉に目を丸くする僕に、ドライは敬々しく礼をすると、家の中に入っていった。
ぱたんと扉が閉まる音を聞き、ようやく目を瞬かせる。
「なるほど……うまいこと言うなあ」
さすがエティが作っただけの事はある。いいコンビだ。
大きく伸びをすると、僕は次の目的地に向かう事にした。
§
「ドライ、どこに行ってたのですか?」
「少々――見送りを」
エトランジュの言葉に、ドライはしっかりそちらを向いて短く返した。
いきなり夜に起こされたにもかかわらず、マスターはどこか機嫌が良さそうだった。
柔らかい表情を見ていると、ドライは己に組み込まれた特製の感情機構が蠢くのを感じる。
機械種が愛情など抱くわけもないが、それはもしかしたら庇護欲とでも呼ぶべきものなのかもしれない。
ここ数日は調査などで寝る間も惜しんでいたせいで、マスターは体調が悪い。
薄い化粧で隠しているが目の下の隈は隠しきれていないし、恐らくその事にフィル・ガーデンは気付いていたはずだった。
「失礼な事はしなかったですか?」
「もちろんです」
「それなら、いいのです」
その声にドライを疑っている様子はない。
主はドライよりもはるかに強力な能力を持ち、聡明だ。だが、人をほとんど疑わない。力がある故に危険に疎い。
「明日もありますし、私は、もう寝ます。後は任せたのです」
「かしこまりました」
エトランジュが大きく伸びをして、鼻歌を歌いながら部屋を出る。寝室に向かったのだろう。
食器を片付けるついでに、ドライは搭載されたサーチのスキルを使用した。
戦闘スキルこそ機械魔術師に劣るが、情報処理は機械種の得意分野だ。飲みきったグラスから返ってきた結果に、一瞬だけ硬直する。
しばらく沈黙していたが、小さく呟いた。
「本当に……見る目がない」
本当に救われない、と、ドライは作られた知能で思う。
エトランジュ・セントラルドールほど素晴らしい女性はいない。あの男の言う通りだ。真面目で聡明で情に厚い。
助力を請えば間違いなく力を貸していたはずなのに、あの男は何も言わなかった。それもマスターを慮ってではなく、恐らく自分の都合で、だ。
エトランジュは気付いていないが、あの男が抱いていた感情は強い戦意だった。
あの男は疲れ切ったマスターよりも弱いくせに、死に惹かれている。
エトランジュの抱いた好意を知りつつも何も思わない男。
感情を受け流し、利用すらしない男。そして、そんな男に絆されてしまったマスターは本当に見る目がない。
守ってやれと、言われた。そんな事言われるまでもない。それこそが作られたものの存在理由。
フィル・ガーデンは最後にまた明日来ると言った。あれはきっと、保険だ。
多分、明日来られなかったら――死んでいるという事だろう。マスターはその事を知ったら何と言うだろうか。
食器を片付け、何も残らないようにしっかり洗い流した。




