第六十二話:全ては僕の無能が原因だ
前回までのあらすじ:
アルデバランの大規模討伐任務の特別報酬で船のチケットを貰えることになったフィルは、出航日までの短い期間を使い、レイブンシティでの悔いを晴らす事にした。
ハイルとの契約を反故にし、スイをいじり白夜との約束を一方的に打ち切り、ギルドで機械種職員のメンテナンス作業を見学させてもらい知識欲を満たしたフィルは、夜中にも拘らずそのままエティの屋敷に突撃をかけていった。
「ま、まったく、今、何時だかわかっているのですか?」
「ああ、悪かったよ。でも……居ても立ってもいられなくてね」
予想通り、エティは夜間の急激な訪問にも快く対応してくれた。
エトランジュ・セントラルドールは律儀だ。生まれつき、膨大な性能を誇る機械魔術師への適性を持っていた彼女はそれ故に孤独で、しかし同時に人間関係に飢えている。
エティに限らず、似たような経歴を持つ探求者は極めて強力な力を持つ反面、精神的な部分で脆い事が多い。僕とは真逆と言えるかもしれない。
そして、それは手に入れようとしてもなかなか手に入らない得難い美徳であると同時に、彼女のような強力な存在がしばしばそれよりも弱き者に敗北する理由でもある。
就寝中だったのを慌てて着替えてでてきたのだろう。エティの格好は探求時に来ていくものとは異なり、私服だった。膝から下があらわになった、機械小人に合わせてデザインされた黒いワンピースは彼女の白い肌とコントラストになっていて、どこか艶めかしい。もう少し見た目の年齢が高かったら、探求者の男どもも彼女の事を放ってはおかないだろう。
だが、その整った双眸の下には――薄い化粧で誤魔化してはいるが、濃い隈が張り付いていた。
眠りが浅いのだろう。ここ最近は色々立て続けに起きているし、中には機械魔術師にしか解析できないものもある。
力には責任が伴う。本来自由なはずの探求者もその例にはもれないのだから、因果なものだ。
何気なく近づくと、一瞬身構え、しかしそれを解除するのがわかる。その目、表情からこちらに抱いている感情の一部がわかる。
警戒は――それなり。最初に会ってからまだそれほど経っていないが、仲がよくなったものだ。
といっても、僕はエティを拐かしに来たわけではない。もとより、不意を打ったとしても、僕とエティでは十回に十回、百回に百回、僕が負けるだろう。それも――彼女に傷一つつけられずに、だ。
強力なシステムに守られた彼女を真っ向から下すには、それ以上に強い力が必要だ。
黙り込み目を凝らして観察する僕に、エティが困惑したように眉を寄せる。
「? どうかしたのですか? 夜中いきなり起こしたと思ったら、急に黙って……」
「……いや、なんでもない」
強い力の差を感じる。一歩間違えれば、僕は彼女に殺されてしまうかもしれない。
だが、恐怖はなかった。この程度の状況、今まで何度も味わっている。根本的に性能が足りない僕が賭けられるのはいつだって命くらいなのだ。
「とりあえず、今日一日ギルドにいたせいでお腹がぺこぺこだ。何かない?」
「………………何しにきたのですか、貴方は」
エティはしばらくこちらを疑念の目で見ていたが、やがて呆れたように深々とため息をつき、肩の力を抜いた。
§
エティの屋敷は開発中の魔導機械や資料で埋まっていた。
スキルを使い生み出したのであろう装置や、試験的に作ったのであろう人型機械など、一見して興味を引くようなものが集まっている。本棚に適当に差されたり、床に放置された技術書を確認するだけでも幾らでも時間を潰せるだろう。
だが、反面ここで生活しているイメージがない。通った廊下や扉の空いている部屋はごく一部だったが、時折見える不自然に空いたスペースからは、僕が来てからの短時間で片付けをした跡が見え隠れしている。
もしかしたら脱ぎ捨てた服や下着、ゴミなどが散乱していたのかもしれない。研究大好きな魔術師の家というのはだいたいそういう物だ。
案内されたのは比較的物のないリビングだった。テーブルに椅子――物がない代わりに生活感もない。空気はどこか埃っぽく、食べ物の匂いも全く残っていない。
壁にかけられた時計を見て、更にエティが深々とため息をつく。
「食べたら……用事を言うのです」
「エティって料理とかできるの?」
「…………フィル、魔物使いのスレイブと違って、私のスレイブは食べ物を食べないのです」
一言一言力を込めてエティが言う。そんな事は知っている。
平然としていると、エティが少しだけバツが悪そうな表情をした。
「…………それに、スキルで、栄養カプセルを作れるのです。必要な栄養摂取が一瞬で済む優れもので、それだけで機械魔術師になる価値があると言わしめるものです」
それも知っている。食の楽しみと引き換えに極めて効率的に栄養を補給することを可能とするスキルだ。
そして、僕は実はそれを食べ飽きていた。
「良ければ……こんな夜に突然来たんだ。僕が作ろうか?」
そちらの方が都合がいい。
本心から出した言葉に、エティは一瞬逡巡の表情を浮かべ、すぐに首を横に振った。
「いえ……フィルは、一応お客様なのです。料理の機能は私のスレイブのドライに搭載しています。質は大したことありませんが、人間用の料理器具もありませんし、そちらに任せましょう」
部屋の外から、以前、蟻の女王を討伐する前に行った会議で一度だけ見た記憶のあるスレイブが現れ、うやうやしい動作で礼をした。
見た目はどこか洗練されていないが、エティ程の機械魔術師が生み出したものだ、性能については最低限の物は持っているはずだ。
機械種の作る料理というのも気になるし、断る理由も浮かばない。頷くと、ドライは会釈し、静かに退室していった。
現れる前もいなくなった今も、気配が全く感じられない。恐ろしい隠形だ。もしかしたらここがエティの工場だからなのもあるかもしれないが、普通ではない。
ドライの去っていったほうを凝視している僕に、エティが小さな声で尋ねてくる。
「…………フィル、ちなみにお酒などは飲みますか? 話にも依ると思うのですが、いい貰い物があるのです」
「……そうだね、貰おうか。…………判断力は多少落ちるかもしれないけど、いつだって余裕は大切だ」
どこかよそよそしい雰囲気で卓を囲む。
家に入れてもらった時から薄々感じていたが、エティの様子は共に【機蟲の陣容】に挑んだ時とは明らかに違っている。視線を感じたので目と目をあわせると、まるで恥じ入るように瞳を伏せた。
§
この帝都でやり残した悔いは全てなくなった。僕がエトランジュの元を訪れたのは、僕がこのレイブンシティを去る前に全てを終わらせるためだ。
本来だったらもっとスマートな策があるはずだったのだが、何はともあれ時間がない。
全ては僕の無能が原因だ。
正直に言おう。証拠は――ない。そこまで低い可能性ではないが、全ては推測の域を出ておらず、何もかもが見当違いである可能性もある。
だが、それでも――僕は多少なりとも関係してしまった。SSSランクのプライドに賭け、ここで手を引くという選択肢はなかった。
たとえどれほど低い確率であったとしても――それに賭けるのは探求者の性とも言える。
雑談している間に眠気が冷めたのか、最初はどこかぎこちなかったエティも、打ち解け笑顔が見え始める。
ドライの作った料理に舌鼓を打ちつつ話を聞く。ドライの作成したのは煮込み料理だった。味付けは少し濃く、繊細さにはかけていたが食べるのには不足はない。
「監視機械の作成も、もう少しで完了しそうなのです。時間が掛かってしまいましたが――設計図データにロックがかかっていて……」
「ああ、問題ないよ」
もうそういう問題ではなくなってしまった。たとえ今からスキルを使って調査をしたとしても、船が出る前に証拠が見つかる可能性は限りなく低い。
今思えば、全てのタイミングが一拍遅れているようにも思える。
僕の反応に違和感を覚えたのか、エティがいつもより少しだけ高い声で話を変えた。
「そ、そういえば、【機蟲の陣容】の中で話していた事なんですが――覚えていますか?」
「……ああ」
蟻により掘られた巣の探索中、この地の機械種の生態系について私見を述べたのは記憶に新しい。あれには雑談ではなく、示威行為としての意味もあった。
あの時の僕は、まだアルデバランの自死を知らず、勝負はついていないと思っていた。
冒険中に口が軽く、少しだけ勇猛になってしまうのは僕の癖だ。
エティが少しだけ楽しそうに言う。
「あれから考えてみたのですが……フィルの推測は、少しだけ面白い――現実感はありませんが、ロマンがあると思うのです」
ロマン、か。言い得て妙だ。
生態系を改竄し機械種のみの生息を可能とするには凄まじい執念と多大な労力がいる。エティ程の卓越した才を持ってしてもそう簡単になしえない、現実味のない夢――まさしくロマンだ。
「僕も同意だな」
コストに反してあまりにも実利が薄い。まさしく壮大な夢だ。
僕がエティと違うのは、エティがそれをありえないと考えているのとは逆に、僕はその推測をほぼ百%確信している点だろう。
ちゃんとした食事を取るのは久しぶりなのか、エティの表情はリラックスしていた。嬉しそうな笑みを浮かべながら尋ねてくる。
「フィルは、例えばもしもそれをなした術者が存在するとするのならば、どんな人物だと思いますか?」
「機械魔術師だ。それ以外にこれだけ高度で多様性に富んだ機械種を生み出す事はできない」
だから、ここに来たのだ。優秀な機械魔術師であるエティの元に。
レイブンシティ近辺の生態系は歪だ。機械種による不自然な自然を維持するには機械魔術師によるチューニングが必要だ。
証拠がないのならば、全て潰してしまえばいい。乱暴な話だし被害者も出るが、そういう手もありうる。
「……そんなの、当然なのです。何しろ、全ての機械種の元を生み出したのは、機械魔術師ですから――」
エティがくすりと笑い、こちらを見る。僕も笑いかけてやる。
最低で、最高の気分だった。ひりつくような緊張感。この感覚をエティは感じていないだろう。
そして、エティはまだ酒が入っているわけでもないのに頬を染める。
「そろそろ、お酒でも開けますか? 最近色々悩む事が多かったので……ちょうどいいのです」
「ああ。そうだね。僕ももうこの街を出る。お別れ会というわけではないけど、ちょうどいいかもしれない」
僕はエティのお誘いに唇の端を持ち上げ、小さく頷いた。
長らく更新が滞り申し訳ない。次はもう少し早めに投稿できるようにします。
(皆、前回までの話覚えてるかな?)




