第六十話:これは未練だ
頭の中、まるで脳の奥を針で刺されたような頭痛が思考を苛んでいた。肉体的なものではなく、きっと精神的な理由だろう。
僕は弱い。フィル・ガーデンと言う男の歴史に強かった時期は皆無である。
もちろんこれは一個体としての強さの話だ。魔物使いとしてある程度成長してからはパーティとしての強さは驚くほど上がったが結局の所、僕自身の強さは大して変わっておらず、故に僕は常にたった一人で戦う方法を考え続けてきた。
弱者の戦い方は良く知っている。
プライマリー・ヒューマンが自分よりも遥かに強大な者と戦おうとした時に最も必要な物は――速さだ。速さとはつまり、躊躇いのなさのことである。
弱いというのは選択肢の狭さを意味する。守りに入られたら負ける。その前に何もかもを破壊せねばならない。
実際の所、それはそれほど難しい事ではない。ずっと考えていたからだ。負けた時の事を。負けた時に、どうすべきかを。
必要なのは覚悟だけだった。自身の流儀に反する覚悟。そして今まで得た信頼を全て捨て去り、罪を背負う覚悟。
境界南は恐ろしい所だ……こんな短期間でまさか二回もしてやられるとは。
とは言っても、アリスの件は僕の責任が大きいのだがそれも含めて僕は所詮井の中の蛙だったということだろう。
曇り空を見上げ、頭痛をこらえながら歩きつづける。絶え間なく感じる視線は探求者のものか。黒髪黒目の魔物使い。本当に随分と有名になってしまったものだ。僕も人間だ、承認欲求がないわけではないが、こういった注目のされ方は本意ではない。
向かった先はギルドだった。準備は整っている。頭痛がひどいが手順は頭の中にある。
心残りは沢山あるが、時間が足りない。選ぶべきものはわかっていた。
たった二ヶ月。既に慣れ親しんだ巨大なギルドの建物に入る。無数の視線を身に受けながら、カウンターに向かう。
まるでブリザードのような冷たい眼差しの白夜が僕を迎えてくれた。
「……今更、何の御用ですか?」
胸が痛む。生き物でもなかなか浮かぶ機会のない強烈な感情が伝わってくる。悲しみ、怒り、期待外れに対する絶望に、少しの困惑。表情はほとんど変わっていないが、搭載された優れた『感情機構』が与えているのであろうその全てが伝わってくる。
僕はそれを飲み込み、力を込めて白夜を見上げた。
「小夜に会いたいんだ」
「……何故……」
白夜がぴくりと眉を動かす。
一番初め。この地に飛ばされギルドを訪れ一番初めに出会った女性型機械種。僕が名前をつけた。感傷的な言い方をさせてもらうと、これは未練だ。アムは連れて行くが、小夜は置いていかねばならない。いや、そうでなかったとしても、僕は会話をしなくてはならなかった。
小夜は白夜よりも更に――人間じみているから。
「最近会っていないからさ。検査とかでいなかっただろ?」
「……小夜は現在、検査中です。終了時刻は完全に未定です」
「立ち会いたい。説得するよ。マクネスに言えばいいかな?」
「…………」
白夜が僕の真意を読み取ろうとするかのような目をしている。綺麗なその虹彩に、疲れたような表情をする僕の顔が映っている。
数十億する船のチケットを用意してくれたのだ。一つの未練を遂げる事くらい許してくれるだろう。
§ § §
例えば、と。エトランジュ・セントラルドールは考える。
自分の強みは何なのか。
エトランジュはSS級に区分される探求者だ。魔術師としての力はいざしれず、力、富、名誉、全て高いレベルで持っている。特にエトランジュのつく『機械魔術師』というクラスは戦闘向けのクラスと言うよりもどちらかと言うと錬金術師など職人のクラスに近く、そのクラススキルにより生み出される数多の魔導機械は高額で取引される。
本来身につけるのが困難な機械魔術師というハイクラスを才能にまかせてほぼ網羅しているエトランジュには既に十代遊んでも余裕で暮らせるだけの富があった。そんなエトランジュが未だ探求者をやっているのはライフワーク、いわば暇つぶしだからだ。
SS級探求者の地位は得たがその地位にはまだ先がある。自分の力は未だ発展途上であり、機械魔術師としての魔導機械のクリエイトにも先がある。血湧き肉躍る冒険にも興味はあるし、もしかしたら今まで味わったことのない甘い甘い恋に落ちる事だって――もしかしたらありえるかもしれない。
例えば、と。エトランジュ・セントラルドールは考える。
自分の弱みは何なのか。
エトランジュはSS級に区分される探求者だ。だが力だけならば更に上の存在がいるし、自身が有機生命種であるが故に悪性霊体種とは相性が悪い。天才だがまだ若いため経験が浅いし、精神的な揺さぶりを受けると動揺するという弱点がある。強力なスキルは持っているが燃費は悪いし時にはそれすら使う間もなく敗北する事だってあるだろう。
そして――容姿。仕事一筋ではあったがエトランジュも年頃の女の子だ、お洒落にだって興味はある。髪だって多少は整えているし兵装の見た目にも気を使っている。若干ボーイッシュな格好ではあるがエトランジュはそれを気に入っていたし、特に見せる相手がいないのだが――下着だって可愛らしいのを選んで付けている。機械魔術師のパッシブスキルは強力であり、肌は白くシミひとつ、傷一つない。自分で見てもそれなりのものだと自負していたが、機械小人という種族故の弊害もあった。
まず背が低い。純粋な小人種と比較するとずっと大きいが、純人と比較すれば平均以下になる。エトランジュは同種の女性の中ではかなり背の高い方だがそれだって百四十五センチしかないし、体重も三十キロくらいしかない。そして何より――胸だ。
エトランジュの胸は小さい。確実にあるのだが自身の小さな手の平に簡単に収まるくらいに小さい。
エトランジュの体型はグラマラスとは程遠い。引き締まっている所は引き締まっているしそれはそれで健康美と呼べるのだが、凹凸が絶対的に足りていない。もともとピグミーとはそんなものであり長年気にしてこなかったが、もしも他種族の女性と一人の男性を取り合うとするのならばそれは、戦力不足と言えるだろう。
でもそれだって対象の性的嗜好次第だ。大きいのが好きな人もいれば小さいのが好きな人もいる。
「でも……フィルは多分そういうの気にしないです……」
先日胸を触られたことを思い出し、顔を真っ赤にしながらエトランジュが呟く。
ラボでデスクに肘を付きながら呟くエトランジュに、今まで夢想する様子を見守っていたドライが尋ねた。
「何言ってるんですか、マスター……」
「あー……ドライ。勝つ方法を考えていたのです」
「勝つ……方法?」
エトランジュは何事にも真剣で取り組む性格だ。
今までだってそうしてきた。仕事も、勉強も。だから恋においても当然そうする。
机に乗っていた部品を全て端に寄せ、ペンを手に取る。机から落ちた部品をドライがかがみ込みうやうやしい動作で取り上げた。
ペンを手の平でくるくる回しながらエトランジュが口を開く。疲労と寝不足で目の下には隈が出来ていたが、その動作は機敏だ。
「……フィルの周りには女の子が多いのです。魔物使いの性質からすればその選択は十分ありえる話ですが、問題はその懐柔方法としてフィルが恋愛を使っているという点にあるのです」
「それはそれは……」
「フィルはプロですからもちろん侍従に対して恋愛感情なんて欠片も持っていないはずです。でも、スレイブの方はどうだかわかりません。如何にマスターといえ、スレイブの心を完璧には……操れませんから。って言うか、見た感じではあれはもうアウトなのです」
「それはそれは……」
穏やかなドライの相槌。
困惑しているような見守っているようなその声にエトランジュの言葉に熱が入っていく。
ペンが指先でくるくる回っていた。それをしっかり目で追いながら、脳内は考え事でいっぱいだ。
「ということは、私がフィルと……そ……添い遂げる、には、フィルのスレイブを蹴散らさなければ、いけないという事になるのです。後…………フィルの周りにはスレイブ以外でもいっぱい女の子がいますし、それも考慮の上で攻略していかないといけないのです……もうッ! もうッ! もうッ!」
「それだけ聞くとろくでなしですね」
ドライのつっこみにややエトランジュの表情から興奮が引く。頭に冷静さが戻ってくる。
「そう……なのです。フィルは……ろくでなしなのです。だから、ライバルもいっぱいで心を繋ぎ止めるのは大変なのです。でも、勝ち目は十分にある……はずなのです」
回していたペンを止める。そのキャップを外すと、覆いかぶさるようにして机に文字を書き始めた。
要素をつらつらと描いていく。ドライがなかなかないマスターのその様子をただ黙って待機している。
ある程度書き上げると、エトランジュが身体を起こし、ペンのお尻でテーブルをとんとんと叩いた。
胸を張って自らのスレイブに視線を向ける。
「まず第一に……私はお金があるのです」
「いきなりそれですか」
「フィルも財産はあるでしょうが、私の財産は多分それを超えているのです。なんなら今ある魔導機械を売り飛ばしてもいいのです。これはアリスやアム……他のメンバーにはないメリットと言えるでしょう」
「ダメ男に引っかかる女みたいになってますが……」
ドライの突っ込みをスルーしてエトランジュが続ける。もともと、どちらかと言うとこの説明は自分の中で整理する意味が強い。
「フィルはお金の使い方が荒らそうなので……私ならば支援してあげられるのです」
壁にかけられている超一級兵装――機神を見上げる。見た目はただの服だがあらゆる防御兵装を凌駕する最強の鎧の一つだ。これだけで数百億――他にも持っている無数の魔導機械を売却すればエトランジュの財産はSSS級探求者を超える物になる。そしてエトランジュにはそれを全て消費する覚悟があった。
そんなことはまずありえないだろうが、無一文になってももう一度稼げばいいだけだ。
計算を終了し一度頷くと、次の項目に移る。
「第二に……私には力があるのです。フィル本人は弱いので、私の機械魔術師としての力はフィルの役に立つのです。アリスの能力も強力ですが、空間魔術師と機械魔術師ならば汎用性もクラスとしてのランクもこちらが上……なのです」
分野は違えど、同じ魔術師職。アリスに敗北したあの日から勉強した事もあり、エトランジュにはある程度の知識があった。
時と場合によるが、その両者で力を比べるのならば戦闘力という面では後者に軍配が上がるだろう。それくらいに機械魔術師というクラスは希少でそして――強力だ。
アリスに不覚を取ったのは純粋な種族相性と準備不足のためであり、準備万端ならば五分以上の勝負ができる自信がある。
真剣な表情でつらつらと優位性を挙げるエトランジュに、ドライが根本的な事を訪ねた。
「しかし、マスター。そもそもフィル様はそのような要素を恋愛相手に求めるでしょうか?」
「それは……」
もっともな言葉にエトランジュの目が初めて不安げに伏せられた。
わからない。エトランジュに恋愛経験はない。恋愛感情を抱いたことすら。
優秀だったエトランジュは相手にも同様の性能を求める。仲間にも、そして伴侶にも。
エトランジュ程のスキルがあれば知性を持つ機械種すら生み出せるので孤独を感じたことすらなかった。
昔はそれでも幸せだと思っていた。でも今は……わからない。
得体の知れない焦燥。モヤモヤした何かが今も冷静な思考を乱している。
数日間ぶっつづけて監視用の魔導機械を作っていたが、合間合間の休憩ですら殆ど眠れていない。
「で、でも、嫌われてはいないはずなのです……多分、ですが」
誤解が発端とはいえ、もう何度もキスだってしている。
美醜の感覚に差異はないはずだ。いくらなんでも嫌悪感を抱かれていたらキスなんてしてこないだろう。少なくともエトランジュの常識ではそれは最低でも親愛を抱いている相手にするものだ。
機械魔術師の主従関係は魔物使いとはまた異なる。特にマスターが創造主だった場合、主従関係は絶対だ。
いつもと比べて濁った瞳で頭を抱えるエトランジュに、ドライが小さく尋ねた。
「マスター、一体フィル様のどこが気に入ったのですか?」
その問いにエトランジュ顔をあげる。
身体は重く、その表情にははっきり疲労が見えていたが、機械魔術師のスキルによる補正によりまだ身体は動いた。
数秒間ぼーっと空中を眺め、思い出したようにエトランジュが答えた。
「目……なのです」
魔物使いはペテン師だ。スレイブという他人を自由自在に操るためには深い知識と何より自身の感情を制御するための能力がいる。
その目は自分よりも遥かに色々見ていた目だった。絶望も希望も。何もかも。
目は口程に物を言うとされるが、まさにそれを見ただけでエトランジュは――その全てが欲しくなった。
ドライが数秒黙る。ドライには表情がない。感覚は備えているが目も口も耳も、その感情を示すものはない。だが、その時の声にはぞっとするような感情が確かに込められていた。
「マスター。僭越ながら――このままではマスターは恐らく不幸になります。破滅する可能性もある」
自分の生み出したスレイブの放った本来想定していない言葉。
それに対してエトランジュにはニッコリと微笑み、断言した。
「覚悟の上……なのです」
だいぶ久し振りで申し訳ないです。寝かせてました。
次は半年も空けないように、頑張ります。




