第五十七話:――企業秘密だよ
ここに来るのも何度目か。ギルド併設の酒場では昼間にも拘らず何人もの探求者がたむろしていた。
大規模討伐の報酬があったためだろう、中には僕の知る顔もあり、彼らは僕の姿を見るなり眉を顰めてコソコソと会話を交わしている。
不名誉なのかあるいはもしかしたら、名誉な事なのか。だが、確かに僕も、魔物が侵攻してくる探求者に恐れをなして自殺したなんて話を聞いたらその探求者に注目してしまうかもしれない。
ハイルに連れられるままに卓に座る。
僕はどちらかというと先手を打つことが多いので、こうして誘われて卓につくのは久しぶりだ。
ハイルは適当に飲み物を頼むと、僕に鋭い眼光を向けた。
いい目だ。暴力的で、しかし知性に溢れている。
ソロ専門の探求者――基本的に探求者は群れれば群れる程に生存率が上がる。人数が増えれば役割分担だってできる。たった一人で生き延びる事は多分パーティを組んでいる探求者が考えている以上に難しい。
僕が、最初に彼に邪険にされてそれでも彼を護衛として選んだのはそのあたりも考慮しての事である。馬鹿だったり無謀だったりしたら間違いなく生き残れないのだ。
彼らは自負も強いが同時に慧眼を持っている。
その視線から避けるように髪をかきあげるようにして額を押さえる。
隙間から向けた僕の視線を受けて、ハイルが口を開いた。最初に出て来た言葉は僕の不実を責めるものではなかった。
「フィル、てめえに聞きたい」
ハイルが僕の眼を真剣に覗き込む。凶悪な印象を与える三白眼。それはまさに獣の眼であった。
手持ち無沙汰に人差し指でとんとんとテーブルを叩く。
「俺とランド・グローリー――どちらが強い?」
彼らはプライドの塊だ。特に狩猟本能の強い獣人種はその戦闘能力を自らのアイデンティティとする。
ガルド然りランドさん然り。彼らは生粋の戦人で、何よりもそれを重んじる。
だから、彼らは僕を虫以下と評価する。彼らにとって僕の命に価値はなく、そして虫以下の戦闘能力しかな持たない故に僕に興味を示す。
僕の持っている『何か』を過剰評価するし、過剰評価されるように動いている。
僕は嘘をついていない。彼らが――勝手に勘違いしているだけだ。彼らの望むものなど僕が持っているわけがないのに。
「知らないよ。僕が知るわけないだろ、ハイル。僕は君とランドさん、どちらの能力も……この眼で見ていないんだから」
「む……」
僕は神ではない。予想はできるが、力を正確に比較するにはデータが必要だ。
机を叩くのをやめ、手をくみ交わした。眉を著しく顰め、唸るハイルに続ける。
「ベースは豹人より竜人の方が――ランドさんの方が上だ。だが探求者の持つ能力とは必ずしも生まれの種族によらない」
ついたクラス。経験。性格。修練度。すべてが影響する。勿論ベースも無視出来ないが、僕のようにひどく脆弱な種族に生まれない限り挽回できるチャンスがある。
ハイルは傍目から見れば敵意を抱いている様な表情で僕の言葉を聞いている。だが、この程度の事、彼ならば知っていたはずだ。
だから、ハイルは僕の話に乗ったのだ。未知なる敵との戦闘を経て自らをもう一段階高みに上げるために。
ハイルがぎりりと歯ぎしりをする。僕は彼が何かを言い出す前に先手を取った。
「だが、ハイル。僕は君が今よりも強くなる方法を知っている」
「……なんだと……?」
にやりと笑みを浮かべる。
「プライドを捨てるんだ。ハイル・フェイラー。何かを得るには何かを捨てなくてはならない」
「……どういう意味だ?」
彼は孤高だった。僕がいなかったとしたら、彼は大規模討伐でもソロを貫いただろう。それだけの力と経験と自負があった。彼はS級の探求者だ。それが、同じS級探求者のガルドではなくSS級のランドさんと自分を比較したあたりでその自尊心が垣間見える。
だが、既にハイルは僕に迎合した。妥協した。最初は忌避感があっても……人は慣れる生き物だ。
聞く構えを見せるハイルに頭を寄せる。ぎらぎらと輝く刃のような眼、底知れぬ欲望を思わせる眼を見る。
「『明けの戦鎚』に入り、教えを請うんだ、ハイル・フェイラー。それだけで君はいずれ彼らを越える事ができる」
クランは群れだ。群れには群れの利点がある。そこにはノウハウがあり、共に研鑽できる仲間もいる。
彼はソロでS級探求者まで這い上がってきた。一人で得るものはあらかた持っているだろう、それは以前ギルドの修練所でみた槍捌きから見てもわかる。ならば残りのピースを埋めればいい。
そして、以前はどうなっていたか知らないが、恐らくそんな事考えもしなかっただろうが、僕に付き従っていたハイルをランドさんは受け入れるはずだ。
予想外の言葉だったのだろう、ハイルが瞠目する。険しい口調で言葉を出しかける。
「それは――」
「ハイル。君が一番強く求めるものはなんだ。それ以外のすべてを捨ててでも手に入れたい物はなんだ? あるはずだ。それなくして探求者は――強くなれない。ハイル、君は強い。だから僕は知り合いではなく君を選んだ。一つだけとても重要な事を教えてあげよう」
押し切る。ハイルが口を挟む間もなく続ける。
彼は見た。感じた。僕の姿を。やり方を。そして、それに従う己のライバルだと認めるランドさん達の姿を。
僕は自らの唇をぺろりと舐め取り、真剣な低い声で囁いた。秘密を打ち明けるかのような口調で。
「栄光の積み方には――コツがある」
「ッ……それは――」
「これ以上は言えない。君も探求者だ、自分で見つけてこそ価値のあるものだってある。大丈夫、君ならできる。もしもハイルが今持っている目標を達成出来たのならばそれを次の縁とするといい」
姿勢を変え、頭を遠のける。そこでちょうどいいことに飲み物が運ばれてきた。
アルコール度数が軽めの酒だ。以前、大規模討伐の前に彼と分かち合った勝利の名を持つ酒とは比べるべくもない。
瓶をあけ、ハイルのグラスにそれを注ぐ。透明度の高い琥珀色の液体からうっすらと酒精が香る。
ハイルがそのグラスにゆっくりとした手つきで触れる。触れて、一度息を呑み込むと、乾いた声で語り始めた。
「俺は強え。今まで槍の一本で如何なる戦場も駆け抜け、あらゆる魔物をぶっ殺してきた。死にかけた事も何度もあるが、その全てを乗り越えた。最初は仲間がいた事もあったが――すぐにそいつらは俺についてこれなくなった」
「ああ」
才能の差。練度の差。情熱の差。それはよくあるパーティ崩壊の要因の一つだ。
ハイルが続ける。透明な視線を空中に彷徨わせながら。
「だが、俺は――戦う前から対象が自ら死を選んだ事なんて……ねぇ。聞いたこともねえ。恐らくそれはあのランド・グローリーも――ここ周辺では最強を誇るクランのマスターでさえ、そんな経験はないだろう」
それは、ないだろう。魔物が自死を選ぶなどめったにあるような事ではない。ない、が……恐らく今回の事象はハイルが予想しているようなものとは異なる。
アルデバランは僕を恐怖していたわけではない。
かつて、セイル達と攻略した『黒鉄の墓標』、そこで戦ったクリーナーロード、ワードナー。
彼は彼我の実力差を知って尚、人語を解する程に高い知性を持っていて尚、果敢に立ち向かってきた。あれこそが本来のあり方だ。
僕には戦わずして死を選ぶ理由が理解できない、が――。
「フィル・ガーデン。てめえはさっき、何かを得るには何かを捨てる必要があると言ったな?」
「ああ」
この世界で何も犠牲にせずに得られるものなんて存在しない。
勝利は代価を要求する。そして、ハイルが僕に問いかけた。
「ならば……てめえが捨てたものはなんだ?」
多分僕はこの地であった如何なる探求者とも異なる。北とか南だとか、脆弱な種族だとか関係なしに。
僕だって迷う。悲しむし怒るし笑う。誤る事だってあるし、恐怖する事だってある。疲労すれば倒れるし致命傷を負えば死ぬ。
僕は彼らと何ら変わらない。たった一点――その覚悟を除けば。
勝利のために、栄光のために全てを捨てた。
だが、たった一つ。たった一つの言葉で捨てたそれを表現するのならばそれは――。
ハイルがじっと僕の言葉を待っている。僕はそれに笑みで返した。
人差し指を立て、唇の前に持ってくる。
「――企業秘密だよ」
「……そうか」
ハイルは特にそれに文句を言うことなく、グラスの中身を一気に煽った。まるで今までの全てを飲み干すかのように、
甲高い音を立ててテーブルの上にそれを置くと、緩慢な動作で立ち上がる。
「フィル・ガーデン。一応聞くが、俺はまだ必要か?」
「いや、もういらない。申し訳ないが、契約はここで終わりだ」
僕の言葉に、ハイルが表情を歪めた。面白くなさそうな表情で鼻を鳴らす。
「ふん。ならば、今回の件は……貸しにしておくぜ」
貸しか。大きな貸しではあるが……、
軽く頷くが、ハイルは既に後ろを向いていた。得難い資質を持った槍士が一言最後に声を上げる。
「てめえに魔王の名はもったいねえ。あばよ、化物。二度と会わねえ事を祈ってるぜ」
「ありがとう、本当に助かった。そしてさようなら、ハイル。まだしばらくはこの地にいるはずだけど……またいつか会える日が来る事を祈ってるよ」
戦士と魔術師。勇者と愚者。僕と彼は恐らく決して分かり合えない資質を持っている。故に僕と彼は協力関係を築けた。
僕が捨てたもの。それは――倫理だ。
僕は栄光を得るために人の理さえも踏みにじる事を、あらゆる方法を使うことを選んだ。それが、僕が悪辣たる悪性霊体種を惹きつける事ができる理由だ。
僕が未だSSS級探求者の地位にあるのは少しだけバランスを取っているから、それだけの理由にすぎない。
ハイルがいなくなるのを待って立ち上がる。結局グラスに口をつけることはなかった。
さて、せめて護衛のいなくなった僕の身を狙って――襲ってきてくれればいいのだが。
§ § §
「マスター、少し……根を詰めすぎでは……?」
聞き慣れたスレイブ――ドライのあげた音声に、エトランジュはようやく顔をあげた。
視界を揺らす目眩に嘆息し、掛けられた時計に視線をむける。その時刻はすでに作業開始から十二時間が経過したことを示している。
手を動かしている間は何も考えずに済む。エトランジュは特に動揺した時は、ただ何も考えずに魔導機械の開発や研究に没頭する事にしていた。
それでも半日近くただ何も考えずに作業をすることなど殆どない。
つまり、それは今回の出来事が深くエトランジュの心に楔のように食い込んでいる事を意味している。
「いつの間に……こんな時間に」
テーブルに巻き散らかされている部品類を見て、もう一度ため息をつく。
手の平は握りっぱなしだった工具の跡が赤くついていた。
エトランジュは機械魔術師だ。機械魔術師はあらゆる能力が上昇するし、エトランジュはそもそも没頭すると疲れを感じないタイプだが、一旦作業から離れた今では腕に、足に残る疲労がはっきりとわかった。
黙ったまま、くっきりと残る跡を揉みほぐすエトランジュの側に、ドライが入れたばかりのコーヒーを置く。
「少し休まれた方がよろしいのでは? 大規模討伐から帰還してからずっと作業をされているようですが……」
エトランジュの構築したスレイブ――ドライはその球体関節人形のような見た目に反して、人の感情を汲み取る機構が組み込まれていた。その声にある明確な心配の感情を感じ取り、コップの中の水面をじっと覗いていたエトランジュが小さく微笑みを浮かべた。
「いえ……手を動かしていた方が――気が楽なのです」
「……大規模討伐の件ですか」
ドライに目も鼻も口もなかったが、もしも人と同じような表情を浮かべる事が出来たのならば、怪訝な表情をしていただろう。
大規模討伐において、ドライの役割は露払いと遊撃だった。高価な部品をコレでもかと積んだエトランジュのハンドメイド品であるドライは機動力に優れ、生き物ではないが故に隠密性に優れる。蟻の巣ではその力を遺憾なく発揮し、何体もの蟻を仕留めている。
が、だからこそ、クエスト終了の瞬間をドライは見ていなかった。
女王の間の光景について聞いていたが、それだけでは己のマスターの態度は説明がつかない。
「……何かあったのですか?」
「……面白い事を……教えてもらったのです」
エトランジュが角砂糖を二つつまみ、コーヒーの中に落とす。ティースプーンでゆっくりとそれをかき混ぜる。
大規模討伐依頼、灰王の零落。難易度はともかく、間違いなくそれはエトランジュが今までこなした中でも最も記憶に残るものだった。
冷たい空気。暗闇に響くフィルの言葉。襲いかかってくる機械種に反響する戦闘音。
そして、女王の間にあった――惨劇。
頭を失ったアルデバランと積み重なった高位のモデルアントの――屍。
そして何よりも――それを見下ろしている目。
語る言葉も面白かった。研究者として興味深かったし、自分の考えてもいなかった内容だった。帰ったら少し調べてみようかなと思った。
だが、その探索で心に残ったことをたった一つ述べるのならばそれは――
心臓がどくんと鼓動し、とっさに胸を押さえる。だが、押さえた所で動悸が止まる気配はない。
頭に血が巡りくらくらとした、自分の血液の流れる音が聞こえてくるかのようだ。コーヒーの中に映る自分はまるで夢でも見ているかのような表情をしている。
ふと気づくと、ドライが側によっていた。恭しい口調でエトランジュに窺いを立ててくる。
「大丈夫ですか? マスター」
スレイブに心配を掛けたことなどなかった。
エトランジュは常に聡明であろうとしていたし、ドライはエトランジュが手ずから生み出したスレイブだ。基本的にソロで動くエトランジュにとって、頼りになる存在ではあってもそれは自分の武器でしかない。
いつも通り、大丈夫だと言おうと口を開きかけ、その寸前に脳内に浮かぶ。
フィル・ガーデンとそのスレイブの姿が。
気がついたらドライの方を見上げていた。エトランジュを見下ろすドライの表情。目も鼻も口も、表情を示すような物が何一つついていなくても、自らのスレイブの考えていることなどわかる。
唇を開く。桜色の唇から漏れ出たのは今までのエトランジュならば、たとえ思っていたとしても決して言わなかった言葉だった。
「ドライ……私……とんでもないろくでなしに――恋……しちゃった、のです……」
薄々感づいていた。ただ深く考えたく――理解したくなかっただけで。
目を閉じればその顔が浮かぶ。近づけば鼓動が早まり、触れられただけで途方もない喜びが思考を焼く。
エトランジュはそれが不幸なことだと理解していた。
あれは奈落だ。女王蟻の死骸を見下ろすフィル・ガーデンの表情。呆然自失としたその表情は嘘ではない。予想外の事態に何もかもを取り払われたその瞬間に現れた表情こそが彼の素に他ならない。
暗闇を反射する漆黒の虹彩。何もかもを吸い込み逃がさない奈落を思わせる瞳。
偶然見ていたから気づいた。恐らくすぐ後ろからついてきていたハイルもそれに気づいてはいなかったはずだ。
すぐに隠れてしまったが、いつも飄々としているフィルの瞳に浮かんでいたその感情は確かに――敗北者が、放心した人間が浮かべるはずのない――強烈な『殺意』だった。




