第五十二話:僕はずっと考え続けている
フィルは弱いんだから人一倍考えなくては駄目だ。
至極もっともなその忠告を受けたのは果たしてもう何年前の事だっただろうか。
最初は何も考えなかった。その状態で、単身突入した迷宮で敗北しつつも死ななかった僕はとても運がよかったのだろう。
自分には出来るという根拠のない自信程恐ろしいものはない。
それ以来、僕はずっと考え続けている。どうすれば生きてこの世界を歩く事が出来るのかを。
弱さとはデメリットであり同時にメリットだ。
僕には心強い味方がいたが、それでも探索を続ける上であらゆる試練を乗り越えねばならなかった。
他の探求者が何も考えずに乗り越えられるような障害を僕はあらゆる手段を使い、計画を立てて乗り越えねばならなかった。
そして、その結果――今の僕がいる。
迷宮を探索する上で大切な要素のうちの一つは『立ち位置』である。編成順序である。予想出来ていない奇襲を受けた場合十中八九僕は死ぬ。
そういうスキルを持っていたアシュリーや、空間把握に強力な適性をもつ空間魔術師のアリスならば何があっても僕を瞬時に守れただろう。
だが、今随行しているメンバーはそれに一歩劣っていると言わざるを得ないし、何よりも僕を必死には守ってくれない。アシュリーたちは自らの命よりも僕を優先したが、今のメンバーにそれを期待するのは傲慢というものだ。
隣にエティを、後ろにハイルを、前にランドさんを歩かせる形で道中を進む。
上と下はもう自分で警戒するしかないが、どんな奇襲も大体は前兆があるものだ。そこからくるかもしれないとわかっていれば避ける事は難しくない。と思いたい。
最悪死ぬがまぁその時はその時だ。今僕が最も考えるべきなのはこの任務の成功なのだから。
死さえ覚悟すれば恐怖は消える。震えも緊張もない。恐怖とは未知からくるもの、全てをイメージして覚悟すれば恐怖は現実味を失う。
今回はスレイブはいないが、僕の感情の変化は周りに伝播する。避けねばならない。たとえランドさんが僕に代わって計画を立てて指揮を取ってくれてるといっても、僕が死んだら動揺は避けられまい。
攻撃音がどこからともなく反響し、耳に入ってくる。反面、僕達のグループの周囲にはそれほど魔物が寄ってきていない。露払いは予定通りまずまずの成功を見せているという事だ。
だが、共に歩いている僕の周りを固める極めて強力なメンバーの表情にはやや緊張が見えた。
特にその中でも、エティがそわそわと尋ねてくる。
「WHY……? ……どうして大きさ別の理由が効率を上げるためのものではない、と?」
「……」
簡単な理由だ。モデルアントのベースサイズは大体決まっている。
今回の討伐対象であるアルデバランや、かつてランドさんたちが討伐した皇帝蟻は別格のサイズだが、殆どのモデルアントのサイズは一番最初にアムと一緒に倒した最下級の蟻とそれほど変わらない。
そして、それの大きさは人間を囓れるくらいの大きさがあるのだ。
Lサイズのワーカーアントの大きさもそれと同じくらいである。
何故、そのサイズが規準のモデルアントの巣を作るのに、その半分程度の大きさのMサイズのワーカーはともかくとして、Sサイズのワーカーアントが必要となるだろうか。
それは――効率的ではないのだ。
そもそも、今いる蟻の巣を見ると分かる通り、モデルアントは広大な巣を作るように設計されている。そこまで細かい作業は必要ない。
もちろん、僕の疑問が的外れであって、他に何か考えも及ばない創造主の意図があるのかもしれないが、少なくともそれは最初の段階で僕に疑問を覚えさせる程度の違和感だった。
不要なはずの区分分け。尤も、違和感を覚えた点はそこだけではない。
もともとこの地は僕にとって不自然な土地だった。
エティの尋ねるWHYには答えずに続ける。
「縄張りが……決まっているんだ」
「……へ?」
「縄張りが決まっているんだ。蟻の巣にモデルクリーナーは出ないし、機神の祭壇にモデルアントが出たりもしない。線引が――ちゃんとされている」
「……何の話をしているのです?」
エティが訝しげな表情をする。
無視して言葉を続ける。もちろん、周囲の警戒も解かない。
脳内に叩き込んだマップは、ザブラクが洞窟内に生えるヒカリゴケを通じて確認して作成したものである。完全に記憶しているし、自分の歩幅も把握している。今どこを歩いているのかが僕には手に取るようにわかっていた。
ワーカーアントがいるので地図が多少変わっている可能性はあるが、短時間ではそこまで大きく変えられないしアルデバランの巨体は短時間で移動させられる程度の大きさではない。
万が一がないよう、斥候を前に放ってもいる。決戦の時は遠くはない。
「例えば、一匹の機械種がその縄張りを犯せば縄張りの主に総攻撃を受ける。荒野にたまに転がっている残骸はその成れの果てだ。だが、そもそもそういった事は殆ど発生しない。何故ならば、機械種も理解しているからだ。そこが別のモデルの機械種の縄張りであり立ち入ったら攻撃を受けると理解している。これは……とても不思議な事だ」
「んー、っていってもよお、フィル」
戦斧を握り、鼻を引くつかせ警戒しながら前を歩いていたガルドがそこで口を挟む。
納得のいっていない声だ。
「他の魔物――例えばゴブリンだって縄張りは理解してるし立ち入らねえように気をつけるだろ? モデルアントがそれをしてても不思議じゃねえ」
「ガルド……それは違う」
「……何が違うんだ?」
ガルドが立ち止まる。
空気を抜けて届いてくる戦闘音はますますその激しさを増している。
淀んだ空気のその中に、僕は確かにこちらに対する敵意を察知した。
アルデバランが、女王が、この僕を、敵を待ちわびている。自分より遙かに強力な相手が僕を求めている、その事実の何と甘美な事か。
僕はここだけの話――危険な探求が、未知に触れる危険な探求が大好きだった。
この心臓の鼓動は恋と同じだ。僕にその姿を――見せてくれ。
「そこが僕とランドさんたち、エティとハイル、この地の、機械種の蔓延るこの地の探求者と、グラエル王国で探求者となりそこで経験を積んだ僕との認識の違いだよ」
「それは――」
エティが声をあげかける。僕はそれに被せるように言った。
この、余りにも自然に機械種が生息するこの地に慣れすぎた探求者たちに、この地に来てから何度も自分に言い聞かせている事実を。
「機械種は――生き物じゃないんだよ。何者かが意志を持って生み出さなければ発生しないんだ」
だから、正確に言えば生息という言葉も誤っている。生き物ではない。その存在は生き物ではないのだ。
縄張りがあるのならばそうインプットされているということ。もしも生き物のようにたまにそれを犯して他の機械種に殺されるというのならば、そういう風にインプットされているということ。
たとえ今は工場で自動的に製造されていたとしても、最初は誰かが作った機械種だった。機械種はそういう種だ。
「世界でもこの地は稀有な地だ。他の土地で、ここまで大量の機械種が野生で棲息する場所は存在しない。だから僕はずっと昔から、一度はこの場所に来てみたいと思っていた。だって興味があるだろ? どんな著名な機械魔術師が、どういう理由でこんな場所を生み出して、どうやって維持しているのか」
だから、本来ならば来れないはずのこの地に転移されたのはある意味ラッキーだった。もしかしたらアリスが僕をここに転移させた理由は転移元の森から一番近いから地だからではなく、そのあたりの理由もあったのではないだろうか。
膨大なコストが必要だ。
レイブンシティ周辺の広大な荒野から、もともと生息していたはずの他種の魔物を追い出し機械種の縄張りにするのに、どれほどの時間とコストがかかるのか予想すらできない。
維持にも金銭が必要だ。機械種だって劣化するし、何よりも基本的にインプットされた事しかできない。短期間ならば難しくはないが、機械種が生息する地として北側にまで知れ渡るくらいの長い時間、環境が維持されている。
これは、生態系の改造である。しかも、無機生命種で改造するのは有機生命種で改造するよりも遙かに難しい。
この土地を最初に作ったものは間違いなく天才でそして――狂っている。
僕の言葉に、ガルドが眉をしかめて首をひねる。ランドさんの表情も感心したように頷いているが大きく変わってはいない。この言葉の意味がわかっていないのか。
エティだけが表情を変えた。唖然とした表情で、僕の顔を凝視する。
「……つ、つまり、フィルはこう言っているのですか? この辺りの機械種が闊歩する土地は何某かの存在が生み出したもので――縄張りも全て事前に設定されていたものだ、と」
「エティも気づいていたんじゃないか?」
人造物が多すぎる。機神の祭壇は明らかに高度な技術で生み出されていた。モデルクリーナーが生息されていた洞窟にも扉がついていたし、銅の葉をつける樹なんて自然に出来る訳がない。
ここは箱庭だ。膨大な時間とリソースを消費して生み出された機械種の楽園。
命を持っているのは荒野に存在する三つの街に住む、機械種の討伐を生業にしている探求者のみ。
冷や汗でもかいたのか、エティの前髪が額に張り付いていた。それに構わずに、エティが早口で呟く。
その表情の変化に、ようやくランドさんたちの表情が怪訝に変わる。
彼らは戦士であり、エティも戦士だが同時に魔術師であり研究者でもある。これは、その違いである。
「気づかなかった……いえ、不自然である事には気づいていたのです。ですが、それは私にとって――さしたる問題ではなかった。気づかなかったのではなく……考えようとしていなかった。ですが、そう考えると……明らかにおかしい」
その時、突如エティの隣の壁が崩壊した。
Lサイズのワーカーアントだ。特殊なスキルで地面や壁を掘り進め、崩壊を防ぐためにそれ固定する能力をもつワーカーは同時に、固定を無効化する力も持っている。
奇襲だった。壁の中からではソナーを基底にした機械魔術師の探知スキルは通じない。
尖った刃のような顎がエティの首を狙う。それに対してエティは焦ることなく、無意識のような自然な動作で手の平を向けた。
ノータイムでその手の平から紫電が走り、雷撃が未だ体の半分が壁の中にあるワーカーを打ちつける。牛のような大きさな機械種が一瞬浮き、そのまま穴の向こうに消える。弱点である雷、その生死など議論するに値しない。
轟音がダンジョンを揺らし、すぐに静寂が戻る。あっけに取られる面々の視線を完全にスルーし、エティが僕だけを見て言った。
たった今襲ってきた機械種に対して、その意識は欠片も向けられていない。
「フィル。絶対に……無理だと思うのです。この地には既に三百年近く機械種が生息しているとされているのです。いくら年を取らない機械種でもその長い期間を数を増やしながら生き延びるのは――『不可能』」
「……」
「私がやれといっても、恐らく無理なのですよ。どのような優秀な機械魔術師の手による機械種でもいずれ劣化し対策を立てられ滅ぶ。何よりも機械魔術師の技術は年々発展しているのです、数百年前の機械魔術師の生み出した技術は既に歴史を語る上でしか使われず、人型の機械種向けに高い性能の自律思考回路が現れたのもここ最近の話で――たとえ私を超える天才機械魔術師が三百年前に自己進化の機構を組み込んだ機械種を生み出したとしても……淘汰されないわけがない。そう……」
そこで一息入れる。
エティは信じがたいものでも見るかのような眼をしていたし、その声が述べるのは否定だけだったが、その声には滲み出す好奇心、興奮があった。
そして、エティが静かな耳障りのいいしっとりとした声で囁く。
「フィル、貴方のスレイブの――夜を往く者が機神の祭壇で大暴れして圧倒的な破壊を振りまいた時のように」
僕はその問いに、疑問形ではなかったがその問いかけに、ただ一言笑って答えた。
「……そうだね」
決して言うべきではないだろう。
僕は初めエトランジュ・セントラルドールの事をその関係者として疑っていたという事を。
僕は運命に過度な期待をしていない。必要なものは自分から動いて集める質だったし、自ら近寄ってきたエティは僕にとって些か都合が良すぎた。たとえあの時はこの地でどうこうするつもりはなかったとしても、一見その辺にいる村人にしか見えない僕に接近してきたエティは余りにも怪しすぎた。
だが今は分かっている。
エティには無理だ。絶対に無理だ。才能はあっても彼女には欲望が足りない。あるいは人が良すぎるとでも言うべきか。
大事を成すにはいつだって奈落のような、全てを呑み込むような、怖気の奔るような、強烈な欲望が必要とされる。




