第九話:片手剣なんだから盾くらい持てよ!
……大丈夫かな……
眼を真っ赤に腫らせたアムを見ながら、僕は心中でため息をついた。
レイスという種族は魂、精神体で構成されている。
そのため、精神状態が戦闘能力に直に影響するのだ。今のコンディションは正直……かなり悪い。
サファリから降りて、荒野を二人と一匹でゆっくり探索する。アリの姿はまだ見えないが、いつ見えてもおかしくない。
仕方ない、少しケアするか。
「アム、こっちにおいで」
「は、はい」
ただ声をかけただけで、ビクリと肩を震わせる。
指示通り僕のすぐ目の前に来たが、先ほどと比較して彼我の距離が明らかに離れていた。
「もっと近くに」
「……はい」
さらに近づかせる。
三十センチほど離れた所で、両肩に手を置いた。
真っ赤に腫れた眼。蒼白した肌。本来ならヴィータに恐怖を与える存在であるはずのレイスがこのザマだ。これじゃ無機生命種どころか、相性のいい有機生命種にさえ勝てはしない。
「アム、眼が腫れてるよ……」
「……ごめんなさい」
「何を怖がっている?」
「……ごめんなさい」
「何を謝っている?」
「……ごめんなさい」
……
言語が通じない。変な癖がつくかもしれないが、仕方ないな。迷っている時間もない。
僕は両手で掴んでいた肩を思い切りこっちに引き寄せた。
アムの身体が倒れこんでくる。それをしっかり抱き寄せる。
恐怖が身体を貫く。金髪が鼻孔をくすぐる。アムは、レイス特有の昏い匂いがした。
アムの小さな鼓動が身体全体で感じられる。
「え……」
背中を揺する。
レイスとの接し方のコツはたった一つだ。
レイスは大抵が一人ぼっちだ。その魂は負の属性に染まっており、善性霊体種、有機生命種はもちろん、元素精霊種にも幻想精霊種にも好まれない事が多い。無機生命種だけは特に悪性霊体種に対する好き嫌いはないようだがそれは無関心であって好きというわけでもない。
だからこそたった一つ。レイスに対する接し方は、『一人ではない』という事をいかに理解させるかにかかっている。
こういった場合に一番手っ取り早いのが抱きしめる事だ。異性に特に効力を発揮するため、僕は異性しかスレイブにしない。もちろん、他の魔物使いも大体がそうだ。
しばらく抱きしめていると、アムの所在なさ気にさまよっていた両手が僕の背中に回された。
首の皮一枚で繋がったか。
アムの精神が落ち着いていくのを感じる。脈拍が落ち着いていく。
すぐ目の前にある耳元で言い聞かせる。
「アム、落ち着いたか」
「はい……ありがとうございます」
「アム、君はもう一人じゃない。僕がアムのマスターだ。アムが僕のスレイブでいる限り、僕はアムを裏切ることはないし、勝手にどこか遠くに行ってしまう事もない。当然……捨てることもない」
「……くっ……うぅ……あ、ありがとう、ございます」
再び鼓動が高まる。鎖骨の部分に生暖かい感触が広がる。
サファリが、呆れたような、憐れむような眼で僕を見下ろしていた。
茶番、確かに茶番だがそれが重要なんだ。信頼を得るにはプロセスがいる。
契約の紋章を通して感じるアムの力は確かに、ケアする前と比べて遥かに上昇しているのだ。是が非もない。
十秒程抱きしめ、ようやく落ち着いたのを感じて、力を緩めた。
「アム、もう大丈夫だな?」
「はい、ありがとうございます」
「もう戦えるな?」
「はい、戦えます」
それは良かった。
「アム、『身体強化』と『精神強化』だ」
「……え!?」
契約により、アムが理解するよりも早くアムの身体が自身に身体強化と精神強化を掛ける。
僕の目には、数百メートルの距離まで迫ったモデルアントーー通称アリの姿がはっきりと映っていた。
サファリが敵の襲来をはっきりと言葉に出す。
「フィル、相手は二体のモデルアントだ。さっさと殲滅しないと仲間を呼ばれるぞ」
「わかってます! アム、奴らを殲滅しろ!」
「は、はい! 行きます!」
アムが敵に向き直り、腰から銅の剣を抜いた。
先ほどとは異なり、しっかりと足を地面につけており、重心もふらついていない。
良かった。さっさとケアする事を決めて。
「アム、奴らをこっちに近づけさせるな!」
彼我の距離およそ百メートル。
アムが僕の言葉に従い、身を低くしてアリに向かって疾走した。
想像より速い!
僕はちょっとアムの力を見なおした。
身体強化の力もあるんだろうが、ナイトメアの種族としての力が、アムを近接戦闘職並の身体能力に押し上げているのだ。
さっきギルドショップで立ち読みをして軽く勉強してきたが、モデルアントの能力はそれほど高くない。
D級であり、固く力も強いが個体として厄介な能力を持っているわけでもなく、自力で勝っていればまず負けない相手だ。
その程度の能力しか持たないモデルアントがD級に位置されているのは--高度な社会性を持ち、群れを作って行動するタイプの機械種だからである。
モデルアントは、自分の身が危険になると特殊な救助信号を発信するのだ。
一匹二匹に手こずっていると、十匹単位で仲間を呼ぶこいつらは中級者から上級者の関門とも言われているらしい。
「フィル、貴様は戦わないのか?」
「僕は戦闘職じゃないので……」
アムがアリと交差する。
横振りに振った銅の剣と巨大な顎が激突する。鈍器で固いものを殴ったような鈍い音が響く。
僕はちょっとだけ上げたアムの評価をまた元に戻した。
やっぱり銅の剣じゃ傷つけられないのか……そりゃそうだ。
アリはアムの攻撃に一瞬たたらを踏んだが、すぐに六脚の強靭な脚で復帰して、ぶん殴った直後、硬直しているアムに向かって顎を振り上げた。見たところ、無傷だ。そして無傷なのは顎で受け止めたせいだけじゃないだろう。
ぎりぎりの所でアムが地面を転がって避ける。だが、アリは一体ではない。二体だ。
転がった先に、足を振り上げたもう一体のアリがいる。
「おい、あれ、まずくないか……」
「わかってます! アム、『透過』!」
アムの身体が僕の指示に従い、一瞬で色が薄れる。
アリの脚がそこに向かって振り下ろされる……が、手応えがないのだろう。アムの身体は今物理干渉を受けない状態にある。
そのままの勢いで地面を転がり、攻撃範囲から逃れると、立ち上がった。
四つの複眼がアムの方を振り向く。
「サファリさん、救援電波は出ていますか?」
「出ていないな。雑魚だと思われてるんだろう」
「……ですよね」
聞いていた話と違うぞアム! Dランクくらい楽勝じゃないのか!?
大体装備が銅の剣一本って、冷静に考えてどうなんだよ! 片手剣なんだから盾くらい持てよ!
銅の剣を正眼に構え、ジリジリとアリに向かって間合いを測る。
勝機があるとすれば、アムの魔力がほとんど減っていない事だろう。そりゃそうだ。まだほとんどスキルを使ってないのだから。
「アム、『身体強化』!」
叫んだ瞬間、アリが二匹同時にアムに飛びかかった。
それをアムが銅の剣で迎え撃つ。アリの大きさはおよそ二メートル。アムより大きいせいか、同時に襲いかかっても互いの身体が邪魔でうまく連携が取れていない。
剣と顎が噛み合い、力比べになる。アムが不利だ。身体強化をかけてあるとはいえ、所詮は筋力に優れているわけでもない種族であるナイトメア、その膂力はそれほど高くない。
そして、力比べの決着がつくまで待ってくれる程敵は甘くない。
もう一匹のアリが背後から無防備なアムの背中に噛み付きにかかる。
「アム、右にジャンプ!」
アムの身体が僕の指示に従い右に跳ねてそれを躱す。
一匹目のアリの全重力をかけた顎が、もう一匹のアリの頭に激突して轟音を上げる。
勝手に身体が動いたことに驚いたのか、アムがこちらに視線を向ける。
おい、よそ見するなよ!
「アム、身体強化! そして全力で斬り伏せろ!」
「……まるでフィルが戦ってるみたいだな」
言わないでください。これも一種の魔物使いの戦い方なんです。
……いや、嘘です。こんなの魔物使いの戦い方じゃねー。
アムの身体が黒い身体強化の光で輝き、激突の衝撃で動きが止まっているアリの胴体……上半身に向けて思い切り剣を振り下ろした。
馬鹿! 胴体じゃなくて頭を狙え!
身体強化を受け、且つ最も威力の高い振り下ろしが、アリの強靭な鎧を打つ。
高い金属音が響く。
さしもの頑丈な甲殻も、一撃に耐え切れなかったのか罅が入る。
だが、代償は大きい。
「剣、折れたな……」
「折れましたね……」
アムの膂力に耐え切れず、ぶち折れた銅の剣の刀身がぐるぐる回転して荒野に刺さる。
信じられないものでも見るかの表情で、半分程の長さになってしまった相棒を見るアム。隙だらけだ。
「アム、バックステップで距離をとれ!」
アムの身体が一飛びで数メートル後ろに後退る。
アリがゆっくりと身体を起こした。
一体のアリは、胴体に罅がはいっているが、行動に支障はないようで、複眼が静かに不気味にアムを見ていた。
もう一体ーー片方のアリの攻撃をモロに食らった個体はもっと重症だ。顎が取れ、複眼も片方が破壊されてバチバチと火花を散らしている。知覚領域が大分狭まっているはずだ。
同士討ちの方がダメージを受けてるなんて……何てできない子なんだ、アムは……
ギョロリと片方しかない複眼がこちらを見た。やや眼に赤い光が宿っている。その瞬間僕は、確かにただの機械種のアリから怒りの感情を感じた。
胴体に罅がはいっているアリがアムに襲いかかる。
もう片方のアリが、こちらに向かって、昆虫特有の動きで侵攻を開始した。狙われてる。
「おい、フィル。大丈夫か? あのアリ、ターゲットを変えたようだが……」
「大丈夫じゃないです……」
はぁ……どうするんだよこれ。
それに気づいたアムが悲鳴を上げる。
「フィルさん、逃げて!」
「自分の方に集中しろ! こっちはなんとかする!」
アリの速度はそう早くない。見たところド素人のアムでも二体相手にぎりぎり対抗できる程度の動きだ。
前情報の通り、脅威は救援信号であって、能力値はそう高くないらしい。
「おい、本当に大丈夫なのか? 貴様、見たところ丸腰だが……」
「いえ、さすがに丸腰じゃ戦場にこないですよ……」
アムを信頼しているとはいえ、さすがに実力の分からないスレイブであの装備。
ましてや初戦、実力の過剰申告、過少申告など起こって当然--
久しぶりの直接の戦闘に震える手足を叱咤する。
僕は一度深呼吸をして呼吸を落ち着かせると、ベルトにナイフの代わりに差していた、購入したばかりの武器を取り出した。
「おいおい、本気か? それは武器じゃないだろ……」
「武器ですよ。立派な。特に機械種相手だと役に立つ……」
こちらに向かって疾走するアリに向けて、分解ペンを向けた。
遠くから見ている分にはなかなか実感がわかなかったが、さすがにD級、十メートル程度しか離れていない距離になると、その迫力は圧巻だ。
脚が地を撃つたびに跳ねる土埃、ぎらぎらと輝く真っ赤な眼。
ひしひしと伝わる殺意に、鼻をつく独特の金属臭。
五メートルほどまでに近づくのを待って、こちらも疾走を開始する。サファリを巻き込むわけにはいかない。そういう契約だからだ。
大きい。やはり規格外に大きい。それに、僕は元々昆虫が嫌いなんだ。嫌悪感がある。
アリの一番の武器は大顎だと言われているが、脆弱なプライマリーヒューマンの身からすると一番脅威なのはその大きさだ。噛み付かれるまでもなく、その大きさで弾き飛ばされればそれだけで戦闘不能のダメージを受けかねない。
僕は一メートルまで近づいた瞬間に、分解ペンのスイッチを入れてアリの眉間に向かってダーツの要領で投げつけた。
「モード信号麻痺!」
ペン先から発生した三センチ程の小さな光の針が、アリの眉間に完璧にヒットする。
アリの巨体がそれだけであっけなく崩れた。慣性の法則で運動エネルギーを保持したまま向かってくる巨体をサイドステップでぎりぎり躱す。あぶねえ。これが一番危険だったんだ。
アリは三メートルほど滑って、その場で停止した。手足がぴくぴく痙攣しているが、全身に信号を送る中枢に麻痺を食らって動けるわけがない。
パンパンと外套についた土埃を払い、実体の針ではないので、刺さらず地面に落ちた分解ペンを拾う。
そのまま、唖然とした様子で痙攣しているアリを見ているサファリの元に戻った。
「フィル、貴様、何をした……」
「中枢を麻痺させただけです。分解ペンの機能でね。一箇所しかない命令信号の発信機構が麻痺すればどんな機械種も動けません。まぁ麻痺させただけなのでもちろんまだ死んでませんが……」
「馬鹿な……機械種だぞ? 多くのヴィータとは違って、中枢は頭にあるとは限らないんだぞ? もし脚にあったらどうしてたんだ」
下らない事をいうサファリを笑い飛ばす。
「こっちは命がけなんですよ? 当たり前の事ですが、その辺の事前調査は万全です。モデルアントについては全て……頭に入れてきました」
まだぴくぴくと動いているアリの目の前に立つ。
真っ赤な瞳がこちらを虚ろに見ていた。
分解ペンのモードを切り替える。
「モード切除」
ペン先から、五センチほどの光の刃が発生した。
麻痺は、死後も動き続ける特殊な機関を持つ機械種の動きを阻害させる機能
切除はその名の通り、各部位を速やかに切断し、貴重な資源だけを奪い取るための機能。
硬い装甲を持つ機械種のために研がれた光の刃だ。
リーチこそ短いものの、その切断力は銅の剣の比ではない。
アリの思考回路--チップは頭部の下--前胸背板の下に存在する。
キュロキュロと駆動系の妙な音が聞こえる。
ぴくぴくと痙攣する顎の下を潜り、前胸背板に光の刃を突き立てた。
装甲を四角く切り抜き、四方のチップを取り出す。もちろん、生存している機械種の体内には莫大な魔力子のエネルギーが循環しているが、魔力子に侵されるなんて無様を犯さないように事前に絶魔体でできている手袋をはめている。これも分解ペンと合わせてギルドショップで購入してきたものだ。
脳みそに値するチップを抜かれたアリは、悲鳴を上げることもなく完全に停止した。崩れ落ちるアリに潰されないように慌ててアリの下から出る。
討伐証明であるアンテナは後で切り取ればいいだろう。
パンパンと手を払って、念のため、こちらを見ているサファリさんに確認した。
「やれやれ、割に合わないな……あ、サファリさん。救援信号って出てないですよね?」
「……出てないな。一撃で麻痺したからそんな暇ないはずだ」
「よかった……いくら雑魚でも大量に出てきたらさすがに勝てませんから」
てか、もうやりたくない。
今更ながら心臓がばくばく音をたててなっている。
「さて、問題は……アムか……」
必死になって折れた銅の剣で応戦しているアムを見る。
幸いなことに、身体能力で優っているため、折れた銅の剣でも余裕がありそうだ。もともとDランクのアリとBランクのナイトメアでは種族の自力に違いがあるわけだし。
「フィルの方がもしかしたら強いんじゃないか?」
「いえ、今回は相手が良かったんですよ……と思いたい」
へっぽこだなー。
隙を見て銅の剣で装甲をガンガン殴りつけているが、効果はなさそうだ。そりゃそうだ。銅の剣より装甲の方が硬いのだから。
あ、足を滑らせて転けた。
「アム、『透過』」
ぎりぎりで透過したアムの身体をアリの脚が通り過ぎる。
「てかあれですね。あの子は事前準備が足りないんですよ……大体なんで装備が銅の剣なんだか……」
「全くだな。むしろこれまでどうやって生きてきたのかそっちの方が謎だ」
「多分ポテンシャルはあると思うんですよね……ナイトメアだし……あ、ちょっと助けてきます」
呆れたような表情でアムを見ているサファリを尻目に、小走りで救援に向かう。
アムはこっちに向かってきた僕を見て、悲鳴をあげた。
「フィルさん! 危ないです! 後少しで倒せるので待っててください!」
「後少しって……どのくらいだよ」
腰から分解ペンを抜いて、再びスイッチを入れる。
「モード拘束」
一時的に信号の疎通を阻害し、動きを妨害する機能を起動する。
麻痺よりも効果は低いが、その分リーチが長い、
十センチ程の光の帯を放射するそれを、アリの右後ろ脚に向けて投げつけた。
アムにのみ意識が向いていたアリは、避ける余地もなくその光を受ける。
一時的に信号を分断された脚から力が抜け、アリの体勢が崩れた。
アムがその隙を逃さず、銅の剣を頭に向けて振り下ろす。
僕はそれを横目に、腰からもう一本の分解ペンを抜いた。
「モード拘束」
今度は左後ろ脚に向けてそれを投げる。うまいことヒットし、再び体勢が崩れる。
基本的にアリの身体的構造は、後ろ足が機動力の要だ。それが二本麻痺した状態では本来の機動力の半分も出せないだろう。
銅の剣がアリの頭部を撃つ音がしたが、気にしない。
腰からもう一本の分解ペンを抜く。
「何本持ってるんだ、フィル……」
いつの間にか近くにきていたサファリが呆れた声を上げる。
アリの死骸をしっかり引きずって持って来ているあたり、サファリは抜け目がない。
「……一応予備を入れて三十本程……」
「……多いな」
「命かかってるので……」
ずらーっとベルトにまわしていつでも抜けるように装備している分解ペンを見せる。
ちなみに一本五十万するので、これだけで一千と五百万がとんだ。分解ペンを一度にこんなに沢山買う人は初めてだとレジの職員が驚いていた。
僕はサファリの眼をしっかり見て、はっきりともう一度言ってやった。
「命かかってるので……」
「……そうか」
「遊びじゃ……ないので」
「……ああ……」
頭を思い切り撃たれても全くダメージを受けていないアリを眺めながら、僕は新しい分解ペンを抜いた。




