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アリアルトの森で  作者: 麻戸 槊來
踊りましょう編~番外~
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悋気はするまい

悋気(りんき):男女の間のやきもち。『新明解国語辞典』より引用。


恋人という地位を手に入れた今、名前ではない愛称で呼ばれることにさほど不満はなくなっていた。シュティラと交際する前は、男として見られていないのではないか。断りづらいから、逢ってくれるだけなのではないかと不安だった。

だからこそ、より名前で呼ばれることに重要性を見出していたし、異性と認識してもらう足がかりにできればと名前で呼ばれることに固執した。


まぁ、純粋におのれの名前を好いた女性に呼ばれたいという気持ちもあったが、時々、思い出したように口にされる自分の名前は…。まるで何か、特別なものになったようで意外と気に入っていた。


―――あんな光景を、見かけるまでは。






書類仕事に追われていると、いきなり荒々しく扉が開かれた。


「よお、ベルンハルト」


見回りに行ったはずのアドックスに肩を組まれて、眉を寄せる。この男が、ノックもなしに入ってくるのは珍しいことではない。こいつは気配が読めるのをいいことに、俺が一人で作業をしていたのを察したのだろう。

ほかの者は遣いに出していたり、別の仕事をさせている為、これ幸いとやってきたのは想像に難くない。……だが、仕事をおろそかにしているとなれば話は別だ。


「見回りはどうした」


アドックスは……剣の腕は確かなのだが、昔から通常任務を面倒だというきらいがある。俺など書類仕事に追われ、うらやましいくらいだというのに、見回りでいきいきしているのは、もめごとが起きた時くらいのものだ。

同期で、一緒に困難にも挑んできた仲間としては、もう少し上に言っても良かったと思うのだが…。何度となく起こしたもめごとや、貴族に嫌われた事で未だ前線に立たされている。時々共に酒を酌み交わす際にはそんな事を愚痴るが、本人は気にした様子も見せない。


「俺はペンより、剣を握っている方が性に合ってる」


そう…無理した風もなく語るこいつに、俺ら周囲の者の方がよっぽどやきもきさせられる。飲んでいるときと素面のときの言葉が一貫していることから見て、本心であろうことがわかる。


「だから、この始末書はベルンハルトにまかせるわ!」


なんて、しょうっちゅう問題を起こしては、人に押し付けようとするのも勘弁してほしいところなのだが。こいつが起こしたもめごとのせいで、何度下げたくもない頭を下げたかしれない。

アドックスが気に入らないいけ好かない人間など、たいてい俺自身も好きではないのだ。変なところで気が合う困った同期に、今日は何だとため息を吐く。


「そんな事よりも!お前にとって愛しの薬師ちゃんが、野郎とデートしていたけど仕事なんてしていていいのか?」


予想もしていなかった内容に、驚き眉を寄せる。

街を見まわるのは騎士として立派な仕事であるし、そんな事と言い捨てられることではないと常なら叱り飛ばしていたことだろう。……だが、聞き捨てならない言葉はそれだけじゃない。


「シュティラが…男、と?」


「嗚呼!そうそう、シュティラちゃんっ。今、女に人気の『白いクローバー亭』に入っていったから、急いで戻ってきたんだぞ?」


優しい友人をもってお前は幸せだなぁ~などと、ぬかすアドックスの胸倉を掴む。

騎士服をきちんと着こんでいる者などであれば、これで喉元が圧迫されて苦しいのだが。だらしなく着込んだこいつは、詰襟も無駄だと言わんばかりで「ぐえっ」とうめくにとどめた。


「それは、最近できた蜂蜜菓子が自慢の赤い屋根の店で間違いないかっ」


こんな形で俺に詰め寄られるとは考えていなかったのか、こいつには珍しく、目を白黒させている。出てくる言葉は要領を得ず、思わず舌打ちする。


「いや、何が自慢かはしらねぇよ!

 俺はお前みたいな、甘味狂じゃねぇんだからっ」


あって嫁さんに付き合う位だなどと、どさくさに紛れて惚気てみせるアドックスの制服をつかむ腕を、少し強めた。


「おっ、お前死ぬっ…って……」


まるでひっくり返された虫のように、うごうご手足を動かす男に笑って見せる。


「馬鹿いうな。弓飛び交う戦いの中を、一人指示を無視して飛び出していった男が、こんなもので死ぬわけないだろう」


「こえぇよっ!そんなこと笑っていうな!っていうか、この前チケットをやった時は気にするな…なんて言っていたくせに、やっぱり根に持っていたのかよっ」


「そんな事はない。たとえ見ることができなかったとはいえ、あの観劇のチケットはなかなか手に入らない物だったからな」


「そこまでわかっていて、持ってったのかよ!お蔭で嫁さんに怒られた…じゃなくて、こんな所で部下いびって遊んでいるひまねぇだろうが、隊長さんよぉ!」


てめぇの女に手ぇ出されて、黙っている気かと言われて、はたと気づく。

確かに、シュティラの事は信じているが、何か事件や厄介ごとに巻き込まれているなら、こんな奴に構っている暇はない。早く状況を確認しなければと、手を離す。


俺とさほどガタイは変わらないはずなのに、どすんと思いっきり座り込む音がして少し締めすぎたかと反省する。

扉を出る直前に残った書類整理を頼むと「やっぱり根にもってやがったな!」などと吠える声が聞こえた。






急いで街へ走る傍ら、普段とは異なるまなざしを向けられていることに気付く。

耳を傾けてみると、『白いクローバー亭』やシュティラの名が拾えるため、彼女が男と一緒にいるのは間違いなさそうだ。どのような事情か分からないが、少なくとも周囲は俺たちのことに好意的なようだと唇をゆがめる。ところどころに聞こえる「お嬢ちゃんを離しちゃだめだぞっ」という言葉を深読みしないように気を付けながら、『白いクローバー亭』の扉を開けた。


「だから、イーロが何かしたんじゃないの?」


愛らしい声が耳を震わせ、思わず動きを止める。


「なんだよ、シュティラは自分が恋人とうまくいっているからって、適当なこと言ってるだろう」


「なっ、違うわよ!」


可愛らしく頬を染め、男を見つめる彼女に嵐のような感覚をうけた。

始めに来たのは、なぜそんな可愛らしい表情を他の男に向けるのかという嫉妬。次は男と二人きりで軽々しく会っている彼女の無防備さに怒りを覚え、最後には全てが煮詰まったような……男へ向ける憎悪が明白になった。


「―――シュティラ」


ゆっくり、席を縫いながら彼女のもとへ近づく。

どうしてこんな所にいるのかとのんきに驚く彼女に対し、俺が怒りをたたえているのに気付いたのか、共にいた男はびくりと肩を震わせる。


知らず任務中のように男を見定めていたようで、ひきつっていく顔を目の端に収めながら鼻で笑う。こちらが挨拶したのにもかかわらず、俺を前にして言葉も出ないようだ。


「あれ?今日は見回りの予定じゃなかったのに、逢えましたね!」


「嗚呼、ちょっと同僚の代わりに見回りすることになってな」


「そうなんですか」


これまでであれば、もっとつれない様子だったのに…。

少し様子の可笑しくなった男に気付くこともなく、俺だけを見てくれる彼女に優越感を覚える。これで知らない男と、二人っきりで出かけていたことに対する不満は薄れた。


「じゃあ、ゆっくりはできないですか?

 本当は、ホワイトクローバーのパイが美味しくて、一緒に食べたいと思っていたところなんですけど……」


言われてみてみると、スティック状のそれは何層にもパイ生地をかさねた菓子で、食べ歩きにも向いてそうなものだった。この独特の甘い香りを嗅ぐと、つい彼女を思い出さずにはいられない。

これを食べながら、彼女も俺の事を思い出してくれていたのかと思えば、今度この店へ彼女を連れてこようと予定していた狙いが潰れたことも、水に流そうという気になった。


しかし、これのどこがホワイトクローバーなのか分からない。形は棒状だし、色も一般的な焼き菓子と変わらない。耳にした話で、この店にちなんだ菓子が人気だと言われていたので、一番人気の物とはまた異なる商品を選んだのかと問えばそれもまた違うという。一人首をかしげていると、シュティラはにこりと笑って説明してくれる。


「これは、ホワイトクローバーの蜂蜜を使っているんです。

 はい、食べかけですけど…どうぞ」


「嗚呼」


差し出されたそれに、食らいつく。ホワイトクローバーの蜂蜜なんて予想もつかなかったが、それはなかなか美味かった。


「ね?クマさんなら興味を引かれるだろうと思って、絶対お持ち帰りしようと心に決めていたんですよ」


そんな風に愛しい恋人に言われて、胸ときめかさない人間がいるのならお目にかかりたい。

こんな事を言われたら、当初から気にかかっていたことすら何てことないと許してしまいそうになるが…。それでは、何故。なおのこと、どうして彼女は俺に対して当初からずっと変わらない形を貫くのだろうという、不満とも悲しみともいえない感情が湧き上がってくる。


急に黙り込んで、不機嫌になったこちらに気付いたのだろう。

おろおろしているシュティラの腕をつかみ、ずっと大人しく気配を消していた男へ少し多めの金を渡して店を出た。


「クマさん……?」


不安そうに眉を下げ、可哀想な程にうろたえている彼女を裏路地へ引きずり込む。

普段であれば、物騒な裏路地など進んで入らないのだが、手っ取り早く人目を避けるにはもってこいの場所だ。シュティラを壁際に追い詰め、逃げられないよう視線をあわした。


「シュティラ?さっきの男は、誰なんだ」


まず気になっていたことを問いかけると、そんな事かと安堵したのがわかる。

確かにどんな知り合いなのかと気になる所だったが、これは本題ではない。幼馴染で久しぶりに会ったのだと言われて、そうかと頷く。ここでそれなら仕方がないと言えるほど、俺はできた人間ではない。所詮、年下の彼女に振り回される、哀れな男だ。いまさらこんな程度の醜態晒したところで構うものか。


「―――それじゃあ、どうしてその『ただの幼馴染』は普通に名を呼び、恋人であるはずの俺は愛称なんだ?」


それこそ、何度問いかけたかしれない疑問だ。一度は、名前を呼ぶのが照れくさいのだろうと、諦めた。初めて名前を呼んでもらい喜ぶ俺に負けず劣らず、彼女の顔も赤かったし。それから、数度だけ思い出したように名前を呼んでくれたからそれで充分だとさえ思っていたのだ。


しかし、それがどうだ。

ただの幼馴染とはいえ、他の男の名前は呼んで、どうして俺の名だけは呼んでくれない。人からデートだと誤解されるような行動をとった事よりも、彼女を喜ばそうと計画していたのに邪魔されるよりも。それが何より気に食わなかった。


「だ、だって……」


じっと見つめているうちに、みるみる赤くなっていく顔を内心驚きつつ見守る。

彼女を相手取るとどうしても、騎士として鍛えてきたような技術を役立てることはできない。それは交渉術や、精神を落ち着かせるものなのだが、シュティラがかかわるとどうもうまくいかないのだ。


今だって彼女に顔を見られれば、どうしてそこで赤くなるのか疑問に感じている事がバレてしまうだろう。


「シュティラ?」


名前を呼んだだけで、分かりやすく体を震わせるその様は小動物を思わせる。普段だったらかわいそうに思うはずなのに、今日はなぜか……ここまで俺の言葉に反応してくれるのかと、嬉しくなってしまいそうで目をそらす。これではまるで、変な趣味があるようではないかと、慌てて言葉の先を求める。


「だって、こ…こ恋人なんて、これまでいたことないし。ベ……ベルンハルトさんなんて名前を呼ぶのが、無性に恥ずかしいんだから、しょうがないじゃないですかっ!」


「えっ?」


「分かっていますよ、名前くらいで情けないって!でも、自分でもわけ分からないくらい恥ずかしいんだから、しょうがないじゃないですかっ」


うがぁぁ!と言った様子で、噛みつくように威嚇されるが、予想もしていなかった可愛い告白に頬が緩む。思わず抱きしめ「痛い」だの「苦しい」だの文句を貰い、バンバン背中をたたかれたがちっとも痛くない。


むしろ恋人である『自分の名前』だから呼ぶのが恥ずかしいだの言われ、先ほどの言葉を『理屈抜きで好きだ』と意訳した俺には、心臓をそのまま掴まれた衝撃の方がよっぽど強かった。


「そんなに怒らないでもいいじゃない…。私だって、早く慣れようと心の中では、ちゃんと呼ぶ練習しているもの」


「っっ!」


あまりの可愛らしさに、悶絶する勢いで腕のなかの愛しい存在を抱きしめる。

こんなことを言われてしまえば、名前を呼んでくれないと拗ねている自分がひどく馬鹿らしく思えた。そんなことを気にしてぎこちない状態が続くくらいなら、こうして彼女を抱きしめている方が遥かに有意義だ。


「シュティラ好きだ!」


「っぎゃあぁぁぁ!」


また何か、この人変なことを言っているぅ!などと、失礼なことを言う彼女の首筋へキスする。そうすれば、途端にシュティラは大人しくなり笑みを殺しきれない。ジタバタと暴れて腕から逃れようとしていたのが嘘のように、きゅっと体を縮める彼女は、なんと可愛いことだろうか。




そんな幸福感に包まれた俺は、まだその後に起こることなど予想もできずにいた。

まさかこの時、たまたま横を通りかかった知人に抱擁シーンを見られており、街の住人にシュティラが冷やかされることも。それが原因で、しばらくの間まともに口をきいてくれなくなることも、知らないのであった。



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