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アリアルトの森で  作者: 麻戸 槊來
踊りましょう編~番外~
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不測の事態

レスターのお株を回復する予定だったのに…何故こうなった。

基本、クマさん同様彼は残念な人なので、これが精一杯でした。


二言三言交わしたのちに、問答無用でクマさんを我が家のソファまで連れて行く。

今日は挙動不審という訳ではなかったが、出迎えて早々何かがおかしいと勘付いた。


会話をしている間にも何事か深く考え込み、己の思考にはまってもがき苦しんでいるように見えた。

彼が世間から身をひそめていた間にも時々見た光景だが、そういう時は決まってただ近くにいるようにしていた。


―――しかし、今回はこんな状態でわざわざ我が家にやってきたのだ。

自分一人ではどうすることもできないとわかり、来てくれたのだろう。無意識であろうとなかろうと、助けを求めていることだけはわかる。



普段は通さない居間に招いたことで、戸惑った様子が伝わってきたが気にしないでおく。

こんな時ばかりは、日頃から少々強引に彼を振り回していた自分を褒めたくなってしまう。何も説明しないことへ、あからさまに諦めた雰囲気が伝わってくるのはいただけないが。


「とりあえず、お茶でも淹れてきますからちょっと待っていてください」


今日は特別口が重い彼も、お茶を淹れている間に落ち着くだろうと踵を返す。

口を堅く閉じ、必要なこと以外は話さないのはまだよいとして。暖かいものでも飲んで、不自然の張りつめた空気を緩めてほしい。


―――しかし、予想外の反動で動きを止められた。

視界が傾き、このままでは倒れてしまうと体を強張らせた時は既に、私は彼に抱きとめられていた。


「なっ、危ないじゃないですかっ!」


すっぽりと彼の腕に収まった自身の体が、どうしようもなく恥ずかしかった。


これまで抱きしめられたことはあったし、恋人同士として際どい場面もあった。

けれどこんな風に自分と彼の差を思い知らされたことはない。今まで感じていたのはどちらかと言えば、『さすが騎士団の隊長をやっているだけある』というような認識だった。けれどこれは……彼を、異性だと認識したが故の戸惑いだ。目の前にある太い首や固い胸板を、いやに意識してしまう。


「ちょっ!」


バタバタと暴れて何とか逃れようとするこちらをあざ笑うかのように、背中に回された腕が緩むことはなかった。肩と腰に太い腕が回っているため、心の平穏のためにあけようとしたわずかな隙間すら得られない。




突然もたらされた衝撃にどうすればよいのかわからず暴れていたが、痛みを覚えない程度にきつく回された腕に動きを止めた。いろいろと納得のいかないことはあるけれど、仕方ないかと息を一つ吐く。


何も言葉を紡がなくても、私よりもよっぽど必死なクマさんの様子に気が付いたのだ。


「―――どうしたんですか?」


かすかに彼の体が震えているように思え、その背をさする。

こんなにクマさんが弱っているのは、見たことがない。彼の突然すぎる行動に文句を言うのは後にして、今はクマさんをこんな状態にしている原因を探ることにした。


ただ落ち込んでいるならば励ますし、話を聞く。言葉にし難いものを抱えているなら、傍にいる。それが私に現在できる最大のことだということは歯痒くもあるが、まぎれもない事実だ。




しばらく無言で抱きしめられ、すっぽりと収まる自分の体に耐えた。

彼が大柄だということも体格の差もわかっていたはずなのに、いざこうして足の間に入り腕を回されると何とも恥ずかしい。肩に置かれた顎のくすぐったさに身じろぎしたくなるのを何とかこらえ、彼が落ち着くのを待つ。


「―――この間の任務で、」


「はい」


背をさする手を止め、小さな音でも聞き逃すことのないように息をひそめる。

目の前にとまった蝶を眺めているような気分で、かすかな吐息でも邪魔させたくなかったのだ。


「部下に…、怪我をさせてしまったんだ」


「……そう、ですか」


「もっと気を配り、……俺が見ていてやれば、」


いや、そもそも少々強引に作戦を進めたから…などと、一人彼は懺悔する。

クマさんはこちらに答えを求めてはおらず、自分の至らなさをひたすら悔いているようだった。怪我の様態を聞くと、幸いしばらく休めば大丈夫なようだ。今後に残るようなものでもないという。


珍しい弱音に、彼もだいぶ疲れているのだろうとわかる。

なんでもない普段も行っている盗賊の討伐。油断していたわけでは決してないが、心のどこかでさほど難しくない任務だという驕りがあったと。



下手をすれば、怪我をしていたのはクマさんだったかもしれないのだ。


そうわかってしまえば、私の胸にも複雑な感情が芽生えるのを抑えられない。

……それはとても不謹慎なことかもしれないが、危ない目にあったのが彼ではないことにほっとしてしまう。きっと私には到底想像もつかないような大変な任務があり、つらいことも経験しているのだろう。


そんなクマさんにどんな言葉をかけたとしても、慰めにすらならない気がして抱きしめる腕の力を強めた。



落ち込んでいる彼には決して口にできない感情を抱え、私はただクマさんが落ち着くのを待っていた。






✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾






腕の包帯をみて、舌打ちをする。

仰々しく巻かれたこれの、無言の意思に気付くからなおのこと苛立たしい。大した怪我ではなくて二、三日休めば治るはずなのに、これをした王宮医師によれば安静第一だということで訓練まで休まされてしまった。


ご丁寧に処方された王宮薬師からの薬は、香りを嗅ぐだけでもうんざりとする。

確かに効果はあるのだが、なにせ味が悪すぎる。飲みやすいようにと粉状にされているはずのそれは、水で流しこもうにも喉に張り付いて咽ることも一度や二度ではない。

以前に飲んだ味を思い出して眉をひそめた俺に、治りが遅くなると脅かしてきた王宮薬師をつい睨み付けてしまうほどには遠慮願いたい味だ。



つらつらと王宮薬師に対する愚痴を、浮かべていた罰が当たったのかもしれない。

突如後ろから衝撃を受けて、危うく前のめりに倒れる所だった。


「なっ!」


後ろを振り向いて初めて、己が背中に蹴りを入れられたのだと気付いたときには剣へ手をやっていた。だが、怪我をしているのは利き手であり、包帯をした腕でそんなことをしても威嚇にすらならなかったのだろう。


俺を蹴った当人は、怒りも冷めやらないという様子で肩を怒らせていた。


「おっまえ!」


女がなんてことするんだだとか、それ以前に人の背中を突然蹴るとは何ということだとか不満はいろいろあったが、最後に会った日のことを思い出して声が尻すぼみになってしまう。

もしかして、あの時のことをまだ怒っているのかと危惧する気持ちと、さすがにこの扱いはないのではないかという文句が胸を渦巻く。


「この前……」


怒りを殺し切れていない声に、びくりと肩を震わせる。

想像以上に怒っている薬師の様子と、もう一つ浮かんだ可能性に冷や汗が流れた。いくらこの女がしたことが許せないとはいえ、理由もなくそんなことをする人間ではないことくらいわかっている。


「夜勤明けなのに、無理に任務へ参加したあげく怪我したんですってねぇ?」


「……っ」


やはり、悪い予感は当たってしまったようだ。

自分のミスにより任務中に怪我を負い、通常任務に支障が出ているという事ですら恥ずべきことなのに。よりによって、自分の浅慮さが招いた自業自得としか言えないということまで、知られてしまっているようだ。


「なんで…それをっ、」


どこに向けていいのかわからない苛立ちと、己の浅はかさから声を荒げた。


「イルザの話術と、薬師の情報網を舐めるんじゃないわよ」


ふんっと鼻で嘲り笑われ、以前に見た噂の女性を思い出す。

この薬師の友人は、騎士団内でも元々人気があり知っていた。最近でこそ恋人がいることや、隊長の知り合いということで懸想する者は減った。

だが、美人の彼女に話しかけられてしまえば、口の堅いはずの同僚たちも容易に口を開いたことだろう。


……一部の、腹が立つほど陽気な奴らに、こんな事実を知られているとは思いたくない。

前回騎士団の中でささやかれている『地獄の特訓』も、あいつらの日ごろの行いが悪すぎるから巻き込まれたようなものだ。もしも奴らにばれているとなれば一大事だった。あいつらから広まり、こんな呆れた失態を隊長に知られたくはない。


目の前の薬師にも口止めしなければと視線をやったところで、顔にぶつかった物に息を止める。


「何を焦っているのよ!あんたが目指しているのは、ちょっと無理しただけで叶えられるようなものじゃないでしょうがっ」


失態に続く失態に、顔が熱くなるのを感じた。

考え込んでいたせいで、一般人の投げるものすら避けられなかったことや、自分のミスを隠そうとしか考えていなかった己が恥ずかしかった。


夜勤明けなのにもかかわらず、本来禁止されている早朝訓練に無断で参加して。

そのうえ、任務へも無理やり同行させてもらった。同僚たちがどんどん力をつけ、重要な任務に就いているという事実に焦りを隠せなかったのだ。

そんな中で負った怪我をみて「お前さんはいい機会だ。ゆっくり休みなさい」などと医者に言われ、簡単な訓練にすら参加できなくなりイライラを隠せずにいた。

そうしたら悪いことは重なり、「そんな状態で役になんて立つか」と書類仕事すらできず家へ帰されてしまった。


下手に同僚たちに戒められたことより、周囲に迷惑をかけこうして一般人に窘められている現実が堪えた。


「クマさんは意外と打たれ弱いんだから、余分な心配かけさせてるんじゃないわよっ!」


「隊長が…」


心配してくださっているのは分かっていたが、同じくらい呆れられているものだと考えていた。休みを取るように言われたときも、てっきり頭を冷やせと遠まわしに怒られているのだと信じて疑わずにいたのだ。


どんどんと下がっていく視界の中に、先ほど投げられたものが入り持ち上げた。


「これは…」


「それ、王宮薬師に処方されたものがあるとは思ったけど、一応薬だから」


傷を負うと熱が出ることもあるため、解熱薬だという。これは純粋にありがたい。

以前にもらった彼女の薬は、悔しいことに味まで配慮されており飲みやすいものだった。決して苦くない訳ではないのだが、喉に張り付くひりひりとした苦味がないだけ我慢できる。

騎士の中でも人気があるため、俺が飲みきれずとも無駄になることはないだろう。


「一般的な薬草を使っているから問題ないとは思うけど、飲むなら念のため王宮薬師に相談してから飲みなさいよ」


苦味を抑えて作ったからよければ飲みなさいと、彼女は背を向けた。

言葉を残して立ち去ろうとする背中に、いろいろな感情を抑えてただ感謝を伝える。


「あ、ありがとなっ!」


薬の味を少しでも考慮して作っているなど、何ともうれしいし、薬師の言葉は胸に響いた。隊長に要らぬ心配をかけさせてしまったという情報も、無駄なプライドを捨てきっちり謝罪するきっかけになりありがたい。

あらゆる意味を込めたお礼の一言に、その背は振り向くことなく片手をあげて応えて見せる。


それはあまりに男前なしぐさで、いっそすがすがしい気分で見送った。




クマさんの仕事柄少々無理があるかとも思いましたが、お許しいただけると嬉しいです。きっと情報機関がしっかりしていない場所でも、軽々しくこういう話を人にはできないでしょうが……。疲労のあまり起こした奇行ということで。

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