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アリアルトの森で  作者: 麻戸 槊來
追いかけっこ編~番外~
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噂話

人はいつの時代も噂に惑わされてしまいますが、その中に真実は少ししか含まれておらず。大幅な脚色という肉付きや、真実のそぎ落としがなされているものです。


酒場で、隊員たちがひそひそと会話をしていた。

周囲に人は多かったが、こんなにうるさければ聞かれることはないだろうとずっと気になっていた噂を話題に挙げたのだ。


「おい知っているか?隊長が、例の薬師殿ともめたらしいぞ」


その噂はもっぱら彼らの上官のことであり、直接問いかけることができない話の真実を、何とか各自が仕入れた情報で探ろうとしているのだ。いろいろ上官に恋愛指南をしていた者をはじめ、直接話したことがない下の者までこの話題は気になる所だった。


少しでも隊長がおかしいとなれば、何かあったのではないかとハラハラし。

引いては己たちにも影響が出やしないかと、注意深く窺っているのだ。そのため、ここ最近では騎士たちが集い話しているなど、珍しい光景ではなくなった。


「それってあれだろ?ほかの女性にキスされたのを見られたって」


「どうやら、真っ赤になってにやけていたところを薬師殿に見られたらしい」


「あぁ?俺は薬師殿とキスしているところに、昔の女が乗り込んできて機嫌を損ねたと聞いたぞ」


さまざまな噂話が飛び交っている。街中で起きたことだというのに皆が皆、脚色を加え人に伝えていた為どれが真実かわからない。とりあえず、ベルンハルト隊長がキス絡みで薬師の機嫌を損ねたことは間違いなさそうだ。



―――年若い隊員でさえ恥ずかしくなる程、心乱された上官の様子に溜め息を零す。


仲がうまくいっている時はいいのだが、もめた時が問題なのだ。落ち込んだ時は必要な書類を片付ける速度が遅くなり、それが続けば自分たちも手伝いと称して駆り出される。


その上、隊長に少しでも訓練を付けてほしいと考えている人間は多いのに、まったく訓練へ顔を出さない……いや、正確には顔を出せない日々が続くのだ。

さすがに地獄の特訓を受けたいという怖いもの知らずはいないが、みな隊長が早く顔を出さないかとうずうずしている。


「薬師殿の機嫌が、できるだけ早く直ればいいのだが…」


ぽつりと一人が零した言葉に、皆で頷く。なにも、隊長が公私混同している訳ではないのだ。それ所か、多少忙しくても苛立っていても周りに当たり散らすことなく、冷静な判断を下す彼は理想の上官と言ってもいいかもしれない。

血の気の多い騎士たちの中では、珍しい部類の人間に入る。難を言えばあの強面の顔は恐ろしくあるが、例の薬師殿に不必要に近づかない限り直接的な害はない。


「俺たちが、直接仲を取り持つわけにもいかないしなぁ…」


……以前、薬師に会わせろと言った命知らずはひどい目に遭ったのだと、密かに騎士団内では恐れられている。


あの鬼のように機嫌の悪い隊長からの地獄の特訓は、瞬く間に広がりその場面を見ていない隊員たちにも注意を促された。



しかし何より効果的だったのは、その特別メニューをこなした後の隊員たちの様子だ。普段一線で戦っているものが、これまでにない疲労と焦燥を隠さずに力ない様子で歩くさまは亡霊もかくやという気味の悪さだった。おまけに隊長と会うたびに大きな体を縮こませ、恐怖の色を隠さずおびえるさまは、下手な忠告よりも雄弁に語っていた。


どちらかといえば奔放な部類に入る隊員たちも、その後数日は街へ繰り出す事もなく大人しかったという。それからは薬師との接触を極力避け、且つ街などで見かけたら遠目で見守るというスタンスが騎士団の中では新たなルールとして定められている。


「第一、誰が行くんだ?俺はそんな危険冒したくないぞ」


自分たちが何か余計な手出しをした時のことを思い浮かべ、敵を前にしても引く事のない屈強な男たちがぶるりと体を震わせた。ここ最近のベルンハルト隊長は何事か考え込んでいることが多く、心ここに非ずといった雰囲気だ。

それは部下からすれば心配でもあるのだが、わざわざ眠れる獅子…ならぬ眠れる大熊を起こしたくはない。



顔を突き合わせたまま、男たちは深いため息をつく。

常になく、深刻な顔ではなす彼らをちらちらと周囲がうかがっているのだが、適度に酔いのまわった隊員たちは気にすることもない。むしろ、頭のいたい問題に酒を煽るペースは上がる一方で、声もどんどん大きくなっていく。



そうなってくると彼らが何を真剣に話しているのか周囲にもわかり、例の隊長さんが恋人と喧嘩したことを憂いているのだと理解し各々の会話をはじめた。

誰かが「上官思いの隊員たちだ」と言えば、そうだそうだと周りも賛同し皆の注意はよそへ向かう。


周囲は初め、騎士たちが顔を突き詰めあまりに真剣な顔で話しているため、『何か争いが起こるのではないか』と聞き耳を立てていたのだ。けれど一変して平和な内容に、心配はなさそうだとほっと胸をなでおろしていた。






たびたび街で、強面の隊長さんが可愛らしい少女とじゃれているのを見かける住民たちは今更驚くことはない。それどころか隊員たち同様『根はやさしいが、顔が怖い』と恐れられる隊長さんの恋を、皆蔭ながら応援しているのだ。例の想い人とじゃれている隊長さんは、周囲の目から見てもほほえましく。


強張った顔も最近では、心なしか柔らかくなったと評判だった。


「隊長さんにも、ようやく本当の春が来たってことかねぇ」


「これまでと顔つきが違うからなぁ。

 今度こそうまくいって、嫁さんでも貰えれば俺らとしても嬉しい所さ」


好きずきに言葉をこぼす酒飲みのなか、外套を羽織った人間が一人、身を縮めていた。彼女はちょうど薬を卸しに来たところで、たまたま居合わせてしまったことを心の底で呪っていた。


顔を隠そうと小さな体をさらに縮める少女に、店主は申し訳なさそうに眉を下げた。


「何時もすまねぇな。今日は二日酔いに効く薬と、酔いを抑える薬を多めに頼む」


「は…はい」


比較的幼くみられる少女は、18歳と成人こそしているがこういう場所には出入りしにくい。いくら薬を受け渡しに来るためとはいえ、面倒は避けたいと頭から外套を羽織っていたのが裏目に出たのか、誰からも気づかれることなく『己の噂を耳にする』という居たたまれない状況に立たされていた。


この酒場にはさほど多く顔を出すわけではないのだが、そろそろ以前に卸した分が切れる頃だろうとやってきたのだ。




そんな彼女の事情を知っている古くからの知り合いである店主は、どれほど彼女が逃げ出したいと考えているかも察しがついた。

例のベルンハルト隊長が落ち込んでいるというから、はしたないと分かりながらも聞き耳を立てていたのに、思わぬ方向に転んだ話に彼女は動転していた。


ここまで自分たちの様子が周囲に注目されていたなんて、予想もしていなかったのだ。あまりの居た堪れなさに、一秒でも早くこの場を立ち去ってしまいたくなる。


「そ、それじゃあ…今日はこれで。ほ、他に、必要な薬はありませんか?」


「いや…しばらくは大丈夫そうだ。シュティ、」


「ちょっと!おじさんっ」


声を抑えてくれと叫ぶ彼女に、店主は『お前こそ注目浴びているがいいのか』と考えたが、何も言わない。何事かとこちらを見る客に、気にするなと苦笑を返し彼女に視線を戻した。


「あーうん。お前のとこの薬は、よく効くと人気でな。

 二日酔いにもならねぇから、客も以前より酒の進みがいいんだわ」


助かっていると笑う店主だったが、彼女の方はそんな事よりも早く帰りたいとそわそわしている。


「それは商売繁盛しているようで、何よりです。じゃ、じゃあ私はこれで!」


逃げるように走り去った小さな背中を見送りながら、店主は一人苦笑をもらした。

店主としては、彼女がカッとなると無茶をする所があるのは知っているため、何か衝動的にやらかしたのだろうと当たりを付けていた。



彼女はあまりの恥ずかしさに、この日からしばらく人前に出ることがなかった。



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