おめかし
拍手内の話になります。今回も一話のみですが、自分的にはちょっと気に入っていたり…?
この頃、事あるごとにイルザにクマさんとのことを注意されている気がする。
今日もせっかく薬を下した帰りに彼女の家へ寄ったというのに、話題は今ここにいない彼のことだった。広く綺麗な居間に通されお茶菓子を楽しんでいたのに、説教交じりの言葉にうんざりする。
自分も大概煮えきらなくて、必死に彼氏を口説き落とした彼女としては見ていてイライラするのかもしれないが。さすがに、顔を合わせるたびに「はっきりしろ」と言われるといやになる。クマさんにすらここまで強く言われたことはないというのに…いや、強く言われないことを幸いに甘えているから怒られているのか。
こちらの気持ちを読んだかのようなタイミングの良さで、イルザは口にする。
「あまり焦らしていると、隊長さんだってずっと待ってくれているとは、限らないのよ。あれで人気があるのだから」
白い目でみられて、思わず何か言い返そうと口を開いたが何も浮かばなかった。
こちらの気も知らず言われっぱなしでは悔しいと思うが、次々と浮かぶ単語は言い訳じみていてどれも気に入らない。口を尖らせ黙り込んだ。
彼女の家をでて帰る道すがら。
今一番聞きたくない声が聞こえてきて、おそるおそる首をめぐらした。先ほど散々はっきりしろと忠告してきたイルザは、「煮え切らないのは自信がないからいけないのよ!」などといって、私に化粧を施してきた。慣れないことに嫌だと抵抗し、何とか口紅だけに収めてもらえたが…。どうにも気恥ずかしくて、人に見られないようにそそくさ帰ろうとしていた時のことだった。
「シュティラ!」
街の謙遜のなかでもよく通る声をもとに振り返るが、不愉快な感情が胸に押し寄せ眉間へしわを集める。少し前に感じていた羞恥など、一瞬で吹き飛んでしまった。振り向いたそこにはクマさんだけではなく、身綺麗な格好をした女性がいた。
「あっ…じゃ、じゃあ私はこれで」
「嗚呼、ご丁寧にどうもありがとう。気を付けて帰ってくれ」
よく見ればクマさんと話していた女性は、パン屋の看板娘と評判のいい娘さんだった。
彼女は私と一つか二つしか違わないはずなのに落ち着いていて、とても大人っぽく
見える。
背も少し高いので、大柄な彼と並んでいると…とてもバランスがよく見えた。
こんな光景をみた今では、少し紅を引いただけでおめかしだ何だと騒いでいた自分が馬鹿みたいだ。
うっすら頬を染めた彼女はかわいらしく、クマさんに好意を持っている人間が多いというのは本当なのだと初めて実感した。これまでは噂を聞くばかりで、今まで彼が女性と親しげに話しているのを見たことがなかったのだ。
去っていく後姿すら、姿勢がよくて綺麗に見える女性をじっと見送る。
「どうかしたのか?」
憧れと…何とも表現しにくい感情を抱えているこちらの気も知らずに、クマさんはのんきな声をかけてくる。そちらから声をかけてきておいて、どうしたなんて質問は間違っていないかと視線をあわせる。
「……何か御用ですか?」
「いや―――。あれ?今日は、珍しく紅をさしているんだな」
さも驚いたというように指摘され、非常にばつが悪い。
普段、いくら仕事の邪魔になるからと言って、着飾ることを放棄している身としては、ジクジクと見えない部分が痛みだす。ふっと落とした視界に入ったのは、短くてろくに整えていない指先で。先ほどの娘は、いつも可愛く髪を結いあげているのだからひどい違いだ。
「可愛らしい色だな。よく似合っている」
以前も聞いたような言い回しに、社交辞令だとわかっているが悔しくなる。本当はもっと赤みの強いものがよかったのに、「シュティラにはこちらの方が似合うのよ」なんていわれ、桃色のものを塗られた。落ち着いた印象の強い先ほどの女性とは対極の子供っぽい自分に嫌気がさす。
むかむかと自分でもよくわからない怒りがこみあげてきて、黙り込んだ所である悪戯を思いきほくそ笑む。
「あの、ちょっと屈んでもらえますか?」
「ん?どうかしたのか」
「いいからお願いします」
疑問を顔に張り付けたまま、屈んでくれた彼の首元を思いっきり引っ張った。
騎士団の正装をきっちり着込んだ彼は、詰襟のせいで喉が圧迫されたのか苦しそうな声を上げたが、今の私には関係のないことだ。先ほどよりもさらに近づいた額めがけ、顔を押し付ける。少し離れてみると、そこにはくっきりと紅が唇の形で残っていた。
クマさんの顔に桃色のそんな痕は非常に似合わなくて、あまりの間抜け面に少しは気分が晴れた。呆けたまま動かない彼をそのままに、私はにやりと悪い笑みを浮かべてその場を去った。
✾ ✾ ✾ ✾ ✾ ✾ ✾ ✾
思考が止まり、どうすればいいのかわからないままシュティラの背を見送った。
いきなり胸ぐらをつかまれた時は、『何かまた無礼なことをして怒らせたのか?』と冷やりとしたが、それとは対極にあるような額の感触に混乱してしまう。
くすくすと笑われるのに耐えられず、そそくさとその場から早足で歩き去った。
王宮に戻るまではどんなに笑われようとも額をぬぐうことができず、門をくぐったところでようやく一息ついた。
そんな俺を見て、たまたま擦れ違ったレスターが突飛な声を上げる。
「うわっ!隊長どうしましたその顔っ」
焦るレスターの声を背に、恐る恐る鏡をのぞきこむ。
珍しく紅を引いていたシュティラは、感触のみならず痕まで残していったようだ。くっきりと残されたそれは、髪を下した状態でも目立ちそうだ。
さすがにこれをそのままにしておくわけにはいかないと、ハンカチでふき取る。
少しもったいなく思いながらもふき取ったそれは、簡単に落ちたにもかかわらず、まだ感触が残っているような気がする。
「それは、いつもの薬師にもらったものですか?」
ふと、レスターに言われて腕に視線を下すと、ハンカチを持っているのとは逆の手でパンを抱えていたのに気付く。あまりにもされたことが衝撃的過ぎて、ずっと握っていたらしい。シュティラと話す前に、以前酔っ払いに絡まれているところを助けた娘さんにもらったものなのだが、すっかり忘れていた。
「―――嗚呼、これはシュティラからではなくて以前助けた娘さんからだ。皆さんでどうぞとのことだから分けて食え」
まだ温かさのあるそれを、ぐいっと彼に押し付ける。
「おぉ!これ、美味しいと街で評判のパンですよ」
「……そうか」
食べ物のことでレスターが喜んだ声を上げているのは珍しいが、どうにも意識が額へ向かう。少し一人になってゆっくり考えようと足をすすめた。
「あ、あれ?隊長は食べないんですかっ」
気もそぞろになった俺は、話しかけてくる声にこたえることもできず、ずっと額に触れた感触の意味を考えていた。
パンが温かいのは、出来たてを娘さんが『ベルンハルト隊長に』食べてほしいと持ってきたから(有名店だから大変)とか。女性と話しているときに、わざわざシュティラへ声をかけてしまうのは褒められた行為ではないだとか。彼は色々わかっていないから、クマさんなんです。




