新たな試練、導入中
前作は初お目見えですが、こちらは拍手内の話になります。
街を巡回していたところで、後ろから突然に声をかけられびくりと肩を震わせた。
「レ、スター!」
相手はそんな俺の様子を気にすることもなくなれなれしく話しかけてくる。こんなことなら仲間と一緒に店内へ入ればよかった。巡回は大抵二、三人で行っており、今も狭い店内に屈強な男が幾人もいれば邪魔だろうと俺だけ先にでてきたところだった。
久しぶりだと声をかけられたが、俺としてはもうひと月くらいは会いたくなかった。
錆びた金属がぎこちなく動くように首を回すと、そこには―――。
「誰もいない」
「ちょっと!あんたケンカ売っているのっ」
体を反転させ視線を下げると、嫌な予感は当たり例の薬師が目を吊り上げていた。
現実を直視したくなくて何とか抗おうとしていたが、不幸な現実は変わらないらしい。ここ最近は彼女と遭遇しない様に街で見かけてもすぐ踵を返していたのだが、今日は逃げきれなかったみたいだ。
お気に入りの食堂にすら行かないようにしていたというのに、悔しさにためいきを禁じ得ない。
「あんた人のコンプレックスを馬鹿にした挙句、顔見てためいき吐くとはいい度胸しているわね…」
怒りをたたえた薬師をみて、ようやく己の失態に青ざめた。ここは簡単に挨拶を交わしてあしらうのが正解だったのに、つい何時のとおり振る舞ってしまった。
ギャーギャー文句を言う彼女に脂汗が浮かぶ。
「ちょっ、今のは俺が悪かった…」
「『今のは』ですって?言い合いするきっかけは、大抵あんたが作るじゃない!」
「そんな事はないだろうっ!」
言われた言葉は流石に許容できず、言いかえした。
出来る限り静かに事を終わらせようと考えていたことも忘れ、普段通り言い合いをする。ぽんぽんと言葉を繰り出す彼女に押されぬよう己も返す。頭のまわる薬師との会話では、下手に言いよどめば負けてしまう。
「―――こんな所で声を張り上げ、何をしてるんだ」
白熱する俺たちを止めたのは、そんな冷静な声だった。何時かの時のように、さぁぁっと血の気が引くのを感じた。
つい最近それを味わった時は仲間がいたが、今は同情するような眼差しを向けてくる奴がいるだけだ。店でもめていた連中へ注意し終えた隊長は、後ろで何を言うでもなく眺めてくる。
仏頂面をさらす隊長は不機嫌というよりも、つまらなそうに見える。隊長の後ろに見える同僚は、『ご愁傷様』と言わんばかりの顔だ。それはまるで、これから俺が隊長に絞られること前提のようで冷や汗が止まらない。
「あっ、クマさんがいる」
焦るこちらの気など知らずに、目の前の少女はとことこと間抜けな音がしそうな様子でベルンハルト隊長に駆け寄った。
それをみて満更でもなかったのか、隊長はわずかに表情を和らげポンッと一つ頭
をなでた。なでられた側である薬師は何が起こったのか分からなかったみたいだが、少し軽くなった雰囲気にようやく詰めていた息を吐く。
かるく言葉を交わしていたかと思うと、ごそごそ籠を漁り何かを手渡す。
「これ、今日クマさんに逢えるか分からなかったんですが持ってきてよかった。
イルザに渡したものの、おすそ分けですがどうぞ」
「はちみつ入りのクッキーか?」
ベルンハルト隊長の言葉で、ようやくこの甘い香りが蜂蜜だとわかった。嬉しそうなその顔は、好物をもらった以上の理由があるだろう。ふんわりとした菓子の香り同様に、表情が崩れていく。
「以前の貝殻の形は好評だったので、今度は熊の形にチャレンジしてみました!」
「可愛いし、上手く焼けている」
さっそく包みを開いた隊長の手にあるクッキーは、たしかにうっすら色づく程度で焦げた様子もなかった。
大きな手に摘ままれたそれは、隊長のいうとおりこの薬師が作ったとは思えない程とても可愛らしく微笑んでいた。サクサクと耳触りのいい音も聞こえる。横で命知らずの同僚が「共食いだ…」などとささやいたのを軽く殴ってだまらせ、二人を見守る。
一口で終わってしまいそうなそれを、ゆっくり味わいながら食べていた。
ベルンハルト隊長は基本的にそうなのだが、彼女と食事をするとき心の底からその時間を楽しんでいるように見える。騎士団内では自然と時間に追われることが多いうえに、隊長となってからはさらに忙しさが増した気がする。そんな中で食事を楽しめる訳もなく、薬師といるときが唯一気兼ねせずにいられるのかもしれない。
忙しい彼の心が安らいでいるなら我々隊員にとっても喜ばしいことだが、ずっと憧れ続けてきた身としては悔しく思う部分もある。―――そんな風にひねくれた考えを持っていた罰が、当たったのかもしれない。
「一人分は少ないけど、レスターたちもよかったらどうぞ?」
薬師がもう一つ取り出した包みは、明らかに隊長の手にあるものより大きかった。
声をかけられただけでも勘弁してほしいのに、そんなものを貰ったらどうなるか分からない。刹那にして、前回の悪夢がよみがえる。
「いっや…あの、そんな我々なんぞに、もったいないです!」
その言葉を皮切りに、矢継ぎ早にあわてて遠慮する。
機嫌のよかった隊長の雰囲気が、一気に零度まで冷がった感触がする。顔を見ることも恐ろしく、同僚と情けなく視線を泳がした。彼女を見つめすぎても怒られそうだし、顔を合わせないのも礼を失する行為だ。
どちらに転んでも辛い状況に、俺たちはいい言葉が浮かばず有難くクッキーを頂くことになった。
「おっ、美味しいです…」
「ほ…ほんとうに……」
わずかにピリピリした空気に耐えながら食べたクッキーは、美味しいはずなのに全く嬉しくなかった。




