嘘つき
町で薬を卸した帰りに、名前を呼ばれて立ち止まる。
常から考えると声が小さかったからわからなかったが、振り返ってみてクマさんだったのかと驚いた。
彼の声は部下に指示を出すことになれているからか、とてもよく通る。私を呼ぶときも大抵その調子であるため気づくのが遅れた。やけに緊張した面持ちと顔にあったその声は、何かにおびえているかのように力なかった。
つい、イルザが近くにいるのかときょろきょろあたりを見回すが、彼女におびえていたわけではないようだ。いやに切羽詰まったような印象を受け、しばらく逢わなかった間に何かあったのかと問いかける。
「どうかしたんですか?」
彼は隊長となり忙しく生活しているらしく、十日以上逢わないこともある。
ただ、そういったときは決まってクマさんが先に伝えてくれるので、今回はたまたま逢わなかったのかと軽く考えていた。こんなに神妙な顔をしているのは珍しく、こちらまで焦ってしまう。
「クマさん…?」
何かためらうように口を薄く開閉しては、目を躍らせている。
きょろきょろとせわしなく動くそれだが、一度も私の瞳と合わさることがない。
この前家へ来たときも早く帰ろうとしていたし、仕事が詰まっているのかもしれない。…それだけならいいが、もし国に関し良からぬことが起きていたらと考えぞっとする。
「あの、本当にどうしたんで、」
「すきだ」
突然彼が発した言葉に思考が止まった。
ドキドキと胸が高鳴り、顔に熱が昇って行くのが分かる。今なら、耳まで真っ赤に染まっているだろう自分の顔を容易に思い浮かべることができる。まっすぐ見つめてくるクマさんに対し、今度は私が挙動不審になってしまう。
「なっ、なんですか急に……」
幸い、周囲の人には彼の言葉を聞かれずに済んだようだが、険しい顔のクマさんと真っ赤になっているだろう私を不思議そうに眺め通り過ぎていく。真っ赤になりながら声をひっくり返している自分が恥ずかしい。
そもそも『どうしてこんな人が多い所でこんな話をするのか』と、八つ当たり混じりに思ったところで一つの仮説が浮かび固まった。
「今日は、何日でしたっけ?」
訝しげにふたたび告白を繰り返そうとする彼を遮り、問いかける。
これは私にとって非常に大事なことであるため、なんとしても譲れない。もし私の嫌な推測が正しければ最悪だし、ちょっとクマさんのことを嫌いになりそうだ。そうとまで考えたところで、私にとって最低な答えが返ってきて顔の熱が引いた。
「四つめの月の、はじめだが?」
つい最近イルザに教えてもらった他国の文化を、忘れられようはずもない。
彼は他国の文化にも詳しいようで、この頃ではイルザの彼氏とその手の話をする事もあるという。そんな人が、割とインパクトの強いこの日を知らないというのは考えにくい。
「―――ああ、そういう事ですか」
そもそも、こんな大衆の面前で告白などするわけがないのに、混乱して真に受けるなんて馬鹿みたいだ。冷静になるとともに、急激におのれの心が冷めていく。
「今日、そんなことを言うなんて案外悪趣味なんですね」
もし私がエイプリルフールというものを知らなければ、この人はどうするつもりなのだろうか?
先ほどとは一変して冷めたまなざしを向けるこちらに、クマさんは目に見えておどおどしている。この頃では情けないだの可哀相だのといった感情のほかに、ほんの少しかわいく思え始めていた挙動不審な様子も、今は憎しみすら沸き起こりそうだ。
確かに、素直じゃないせいで不快な思いをさせたこともあるだろうし、傷付けた事もあるかもしれない。―――それでも、こんな仕返しはあんまりだ。
いくら私でもつらいし、怒りを通り越して悲しみすら覚える。
「……ベルンハルトさんなんて、きらい」
ぼやけ始めた視界を無視して、思いっきり睨みつける。
つい先ほどまでおどおどしていた様子は一変して、ぽかーんと口を開けて呆けた表情をしている。何を言われた訳でもないが、その表情でさらに怒りをあおられた。こちらが投げかけた精いっぱいの虚勢すら軽くあしらわれたようで、虚しくなる。
「―――もう、いいです」
「しゅ、てぃら……?」
「いくら私が素直じゃないからって、何も今日そんなことを言わないでもいいじゃないですか!」
「何を言っているんだ?今日は……」
「嘘をついてもいい日なのでしょ?エイプリルフールのこと、ちゃんとイルザに教えてもらったんだからっ!」
「いや、俺は、ちがっ……」
「クマさんの馬鹿っ!」
思い切り叫んだあと、踵を返して走り出した。
今日は特別誰とも約束していなかったから、一刻も早くひとりになってしまいたかった。彼がエイプリルフールに参加するかは五分五分で、むしろ『今日がどういう日か知っていてもこちらが言った嘘を真に受けそうだ』と気軽に考えていた罰が当たったのだろうか?
真面目なクマさんがめったに見せないお茶目心からでた行動かもしれないが、選んだ言葉が悪かった。よりにもよって嘘をついてもいい日に「好きだ」なんて、酷すぎる。
これまで友人や幼馴染にすら面と向かって『嫌い』と言われたこともないのに、気安く触れられたくない繊細な感情を抱いている相手にそんなことを伝えられるとは思わなかった。
「クマさんなんて嫌い」
嘘をついてもいい日にこんな言葉をいうなど非常に複雑だが、きっと今日という日を知らない街の人からしたら何時もの喧嘩の一環か何かだと思ってくれるだろう。グイッと目元をぬぐい、走るスピードを速めた。
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ぐるぐると彼女の言葉が頭を巡り立ちすくんでいた。
俺の言葉のどこに怒りをあおるポイントがあったのか、悪趣味とはどういう意味かと答えの出ない問いをずっと繰り返している。
シュティラのあとを追いかけることも立ち去ることもできずにその場にとどまっていると、傷ついた俺をあざ笑うかのように軽やかな声が話しかけてきた。
「あら、ベルンハルト様。そのように間抜け面でどういたしましたの?」
目の前まで来たシュティラの友人に何と言って返せばいいのかわからずに、ただただ困り顔で見つめ返すことしかできない。まともに言葉一つ返せぬ俺にしびれを切らし、様子をうかがっていたらしい店の主人がイルザさんへ耳打ちする。
シュティラへ想いを伝えることに気を取られて忘れていたが、ここは仮にも街中であり店の前だった。今更気づいた状況に申し訳なくなり、店の前から退く。こんな大男が店の前にいたのでは商売の邪魔になるだろう。いったい自分がどれだけ立ち尽くしていたかはわからないが、ここにいては迷惑だろうと歩き出す。
やけに重たく感じる足は、指の先ほどしかない石にもつまずきよろめいた。
動いたはいいが覇気なく歩いていた俺は、ほんの少しクッと腕を引かれた感覚にも驚きふりかえった。
「―――もしかして、ベルンハルト様はエイプリルフールを知らなかったのですか?」
シュティラと交わした会話をきいたというイルザさんは、いかに俺の間が悪かったのかと懇々と聞かせてくれた。
「どうしてよりにもよって今日、告白なんてするんですか」
「……すみません」
「おまけにこーんな街中で人の多いなか言われてしまえば、シュティラじゃなくても悪い冗談だと疑いたくなりますよ」
「……面目ない」
雰囲気をつくらないどころか、時も場所も考えていなかった。
ホワイトデーが過ぎたあの日に改めて告白しようと決めたはいいが、ずっと仕事が片付かず顔すら見れない日々が続いていた。人知れず焦りを募らせていた俺は、ここぞという時に散々受けていたレクチャーを頭の隅に追いやってしまったのだ。
女性を口説くときは雰囲気が大切だと誰に聞いても声をそろえていたのに、知らなかったとはいえ最悪な場面を作り出してしまったらしい。
「シュティラに……きらわれて、しまった…だろう、か?」
優しい彼女を怒らせてしまったことは、疑いようもない事実として目の前にある。だが何より、怒りに染まる表情とは裏腹に目元に浮かんでいた涙が気にかかる。ひどく傷つけてしまったのではないか?面白半分にこんな場所であんな告白をして、シュティラを辱めようとしたのだと思われてやしないか…。
彼女に嫌われ信頼をなくすのも怖いが、悲しませるのはもっとつらい。
どうしてこんな大切な時に周囲が見えなくなるのだと、己を殴り飛ばしてしまいたい。鬱々と沈んでいく思考とともに、目線も下を向き顔をあげていられなくなる。
「ベルンハルト様の間の悪さと直情的な性格は横に置いておくとして。シュティラは『嫌い』だと言ったんですよね?」
とどめを刺すと言わんばかりの言葉に、顔だけではなく頭すら下がる。
子どものころから努力して、姿勢だけでもぴんと伸ばしていたつもりだったが、今は力なく弱虫な過去の己が顔を覗かせそうで恐ろしい。
「ベルンハルト様?これは大切なことなので答えてもらわなければ困ります」
「……はい」
自分の口で、シュティラから言われた言葉を繰り返すのは抵抗があり頷くにとどめた。
無神経な俺に対する苛立ちからでた言葉だとしても、あの言葉には破壊力があった。これまでイルザさんの底知れぬ人柄を恐ろしく感じていたが、シュティラから貰った否定的な言葉に今更ながら落ち込んでしまう。
「今日は嘘をついてもいい日です。そんな日に「好きだ」と言われてあの娘もだいぶ混乱したことでしょう」
「……そうですね。まったく、知らなかったとはいえ己が情けな、」
「ベルンハルト様の告白に対して、シュティラは嫌いだと返したんです。いくら素直じゃなくとも、真剣な告白にそんな暴言を吐いてかえすほどあの子の性格は歪んでいませんわ」
「―――何が仰りたいのです」
期待しそうになる己に待ったをかける。彼女を傷つけた分際で、いくらなんでも都合がよすぎるだろうと思うのだが、早まる鼓動を抑えることはできなかった。微かな希望にでもすがりたくて、祈るような気持ちで次の言葉を待つ。
「少しは自信を持ってもいいんじゃありませんか?貴方が考えているよりも、シュティラは『クマさん』を大切な存在だと認識していますよ」
それをきいた途端、シュティラの家めがけて走り出した。
呆けていた時間が長かったのか、森へ入った時はすでにシュティラは自身の家に立てこもりまともに話をできる状態ではなかった。数日通い詰めて漸く「嘘ではなかった」のだと誤解を解けた時にはほっとしたが、結局告白はうやむやにされて終わってしまった。
あれから数日たった後でも、「嫌い」というのがやけになって出た言葉か反対の意味をあらわすのかはわからないが…。ほんの少しだけシュティラとの仲が近づいた気がした。
不定期に番外編を書くと宣言した時から、二人がくっつくときの話ができています。…ただ、そこにたどり着くにはまだ早い気がしているので、クマさんをいじめているのではなく段階を踏んでいるだけです。
作者は彼のことを嫌ってはいませんと、ここに宣言しておきます。




