チョコレートの日
ある意味甘いですが、登場人物たちは甘くありません。
前作は拍手内の話ですが、こちらは初お目見えです。
綺麗に飾り立てられたチョコレートを一つ、摘まんでかじりつく。口に広がる芳醇なカカオの香りと、まろやかなミルク。それからアクセントに飾られた彩り豊かな細かいドライフルーツが、ほどよい酸味を伝えてくる。
赤い果実は木苺を乾燥させたものだろうか?
これは真似してみたくなるほど、適度な歯触りと綺麗な色味に惹かれてしまう。チョコレートを材料とするには値段に抵抗があって無理だが、お菓子へドライフルーツを入れたら美味しいかもしれない。甘くなりがちなチョコレートをうまく抑えている所をみると、アイスに少し乗せても楽しめそうだ。
まぁ…ここまで少ない語録でいろいろ表現してみたが、何を言いたいのかといえば一言に尽きる。
「おいしい」
あえて付け加えるなら、食べれて幸せ。
もっと言うなら、御祝いごとがあるたびに祝いの品としてまた食べたい。ぜひとも食べたい。
これの為ならお金も貯めるし、少々無理することもいとわない。チョコレートが世に広まる前は、その色合いから『悪魔の菓子』と呼ばれていたというが、それも頷ける。これならば確かにチョコレートが手に入ると言われただけで、悪魔と契約をしてしまいそうだ。
そうでなくても、甘いしチョコレートを食べすぎてはいけないと思うのに止まらなくなる魔力を感じる。
「シュティラ…そろそろ話しを聞いてもらえるだろうか?」
「はぁ…口の中でチョコレートを転がすと、また違う幸せが訪れる……」
残していた半分を、今度は噛むのではなく転がして楽しむ。舌の温度により徐々に溶かされたそれは、素材の味を伝えてくる。舌の上に最後まで残るのはドライフルーツで、甘いチョコレートの味を酸味がリセットしてくれる。
「シュティラ…お願いだから戻ってきてくれ」
「もう!人の幸せな時間を邪魔するなんて、クマさんはなんて非道な事をするんですかっ」
納得がいかないと言った様子で、クマさんが恨みがましくこちらを見てくる。
一方私は、彼の態度が気に入らず眉を寄せた。何もそんな目で見なくてもいいと思う。口へ今まさにチョコレートを運ぼうとしている時にクマさんがやってきて、散々迷った挙句に、食欲よりも優先して出迎えてあげたのにと不満に思う。おまけにこれがレスターだったら、絶対に後回しだと断言できる。
「非道……はあんまりじゃないか?一個目までなら大人しくしていたが、流石に三個目までは待てなかったんだ」
クマさんはそういうが、私にしてみればチョコレートなんてめったに食べられるものではないし、イルザに今回貰い本当に嬉しかったのだ。だからついついお茶も出さずに、二種類あるチョコレートを両方堪能してしまった。
ばつが悪くて、すごすごと三個目に伸ばした手をひいた。
「それはすみません、お茶も出さずに」
「あっ、いや…お構いなく」
声をかけてから、お茶を用意しに向かう。先ほど自分の紅茶を用意した所だから、お湯は沸かしてある。簡単に淹れてチョコレートと共に彼へ勧めた。
あと数個しかないというなら話は別だが、太っ腹なイルザ様はなんと八個入りのチョコレートを下さったのだ。これだけの数があるなら、彼に一、二個分けてあげないこともない。
もしかしたら、彼もチョコレートを食べたくてそわそわしていたのかもしれない。どうしても我慢できなくて自分の欲望を優先してしまったたが、この幸福をおすそ分けしようと、クマさんにチョコレートを勧めるがどこか緊張した面持ちで、喜ぶことはなかった。
「今日はどうかしたんですか?」
彼は大体、訪問してすぐに要件を述べる。事前に約束をしていない場合は「これ、多く頂いたから」というおすそ分けや、「珍しい薬草をみつけたから」などという物が多い。
少し憮然とした表情のときは決まってライナルダさんが作った料理を持ってきてくれて、うかない彼の表情とは逆に、満面の笑みを返すのが恒例になっている。
そもそも、あんなにおいしい料理を食べられるのに、私のような素人の『手作りがいい』などどうかしていると思う。そっけない言葉には身内に対する照れのようなものも含まれているのだろうが、クマさんが変わっていることに変わりはない。
―――ただ、今回はそんな表情とは異なっている。
ライナルダさん関係ではない事は、ずっと手にもった物を私に差し出さない事からもわかる。だが、どうしてそんなに真剣な顔をしているのか、思い当たる節がなかった。チョコに対する未練を残しながらも、大人しく彼の言葉を待つ。
「その…ちょ…チョコレートはどうしたんだっ?」
真面目に用件を聞こうとした私に返ったのは、すっとんきょんな声と間抜けな内容だった。阿呆らしくなってしまい、もう一つチョコレートへ手をのばす。そんなこちらを見ながら、再び慌てた様子で手に持ったチョコを凝視している。
「……なんですか?
チョコがほしいなら食べてもいいですって、勧めているじゃないですか」
「いやっ…そうではなくってな?」
「イルザからもらったんですが、とっても美味しいのでよければどうぞ」
「このチョコレートは、イルザさんからの物か…」
考え深そうに呟き、じぃぃっと包みに入ったチョコを凝視した。クマさんはいつの頃からか、イルザのことを敬称をつけて呼んでいる。以前に脅されたから怯えているのか、はたまた彼女から新たな圧力がかかったのか分からない。
イルザは根っからの商売人で顔も広く、人の懐に入るすべも心得ている。そんな彼女が私のうかがい知れないところで、どんな風に脅したかなど知りたくはないので、深く追求したことはない。
―――ただ、一度だけ問いかけたことがある。
「どうしてクマさんは、イルザに対して丁寧な話し方をするんですか?
私に対しては普通に話しているのに…」
比較的堂々としているクマさんは、どんな時に彼女と会おうとも緊張しており、下手なことをやらかさないように警戒しているようにすら見える。そんな何気ない疑問だったのだが、彼は遠い目をしてひとつ呟いた。
「イルザさんには、お世話になっているし……何より。敵に回してはいけない気がする」
その言葉がすべてを物語っているように感じ、深く聞き出そうとは思えなかった。強いて言うなら彼のことよりも、アリアルト騎士団の隊長殿に一目置かれているイルザが怖い。
これ以来クマさんがイルザに一目置いていることは知っていたがこんな風に苦悩している姿は珍しい。そもそもチョコレート相手に何を苦悩しているのか不明だが、クマさんの考えは読めないことが多いので無駄に思案しないようにしている。所詮考えるだけ無駄という物だ。
「チョコレートに何かあるんですか?」
『恨みがあるのか』と聞かなかったのは、私なりの気遣いだ。熟考している様子のクマさんの眼差しはきつく、握りしめている籠はみしみしと嫌な音を立てている。
「あっ…の、だな……?」
「はい」
「実はこれを…」
今まで大切そうに抱えていた籠を開くと、そこからは独特の甘い香りがしてつい覗き込んだ。
「チョコレートだぁ」
イルザからもらったものは一口サイズの可愛らしいものだったが、クマさんがもっていた籠には飾り気のない板状のものがいくつも納められていた。それなりの量があり、数日はチョコレートを味わえそうだ。
「も…もしかして、これは……」
わざわざ、こんな所までクマさんがチョコレートを見せびらかしに来たとは考えにくい。普段の流れからいうと、もしや…自惚れかも知れないけれど。
「おすそわけ…とかですか?」
「あぁ。
叔母が大量に仕入れた流れで、格安で売ってもらえたから持ってきたんだが…」
こんな上等なチョコレートがあるなら不要だな、などと手を引っ込めようとしているのを、これまでにない瞬発力を発揮してとめた。
「何言っているんですかっ!ありがたく頂きますっ」
「だが、勢いでこんなに買ってしまったし」
「むしろありがたいですっ」
「チョコレートを食べすぎると、よくないと聞くし……」
何とか目の前にある物を手に入れようと言葉を連ねるが、クマさんはすっかり困り顔になっている。こんな状態では、いつ『他の奴に、譲ることにする』などと言いだしかねない。焦った挙句、頭をフル回転させた私は一つの結論に至った。
「そうだっ!量が多いなら私がチョコレートを使ってお菓子を作りますから、半分はクマさんがもって帰ればいいんですよ」
少し図々しいかと思ったが、これならば私もチョコレートを使った贅沢なお菓子を作ることが出来るし、むざむざと人の手に移るのを見届けないで済む。日頃食べすぎないように気にはしているが、私だって女の子。甘い物が手に入るチャンスを逃したくない。
「幸いまだ昼前ですし、この量を使い切ることはできます!作りおわってみて、量が多かったらイルザやライナルダさんにおすそ分けしてもいいし。保存がきく物も作ります」
これだけチョコレートに囲まれるのは、滅多にないとほくほくしてしまう。
まずは温めたミルクへチョコを刻んで入れた、ホットチョコレート。本当はここにマシュマロを入れればおいしいと聞いた事があるけれど、家にはないので次の機会で試そうと心に決める。
チョコレートケーキなんて素敵だし、濃厚なブラウニーもときめく。チョコをそのまま味わおうと思えば、トリュフなんてのもいいかもしれない。
「嗚呼…レシピを考えるだけで、涎が出そう……」
「シュティラは、そんなにチョコレートが好きだったのか」
若干、口元をひきつらせながら言うクマさんに、怒って返した。
自分がこれだけの量のチョコを持ってきておきながら、甘いものにときめく私を否定するなんて許さない。
「ちがいますよ。ただ、この時期になると無性にチョコレートの甘さが恋しくなってしまうんです」
過去にも何度か食べたことはあるが、自ら買うよりもおすそ分けをされるほうが多い。自分一人で食べるには少し戸惑われる値段だし、つい食べ過ぎてしまうから注意が必要なのだ。そんな中で、クマさんの優しさには本当に頭が下がる。
こちらは彼の気持ちに応え、精一杯お菓子を作るのみだ。
「今日はパンの中にチョコレートを練り込んで、それをお昼にしましょうか?」
「数日後には、チョコまみれになっていそうな思考回路だな…」
チョコレートへかける私の熱意に押され気味の彼をおいて、私はどんどんとチョコを材料として消費していった。その反面クマさんは「ただチョコレートを渡して喜んでほしかっただけなのに、エライことになった」とがっくり肩を落としていた。
今回のことで分かったのは『いくらクマさんでも、甘いものを食べ続けるのには限度がある』という事だった。




