収穫祭
街で見慣れない騎士の正装をしたクマさんを見て、これ幸いと近づいた。
目の前に見つけた彼を捕まえ、私は教わったばかりの呪文をとなえる。
「クマさん、とりっく・おあ・とりーと!」
キョトンとした顔のクマさんに満足し、にんまりと私は笑みを浮かべた。
「鳥食うか、トリートメントするか?」
「何でそうなるんですかっ」
「違うのか?」
ただこの呪文をしらないだけなのか、私の発音をダメ出ししているのか判断できないクマさんの返しに、地団太を踏む。イルザに異国の言葉を教えてもらい、必死に練習したのにこの様だ。
「はっ、これはもしかして、かの有名なご飯にする?お風呂にする?
それとも、わ…」
「違いますからっ」
私は怒りの声から悲鳴にかえて、彼の言葉を遮った。
どうして鳥をたべるか髪を洗うかきかれただけで、そこまで曲解できるのか分からない。―――いや、勿論そんなことを聞いてはいないのだけれど。
そうか、残念だ…などといって簡単に引いたところをみると、クマさんなりのジョークだったらしい。
最近のクマさんは、変に積極的なため非常にこまる。扱いづらくなったクマさんに対する意趣返しができると思ったのに、初めからつまずいてしまった。
「お菓子くれないと、悪戯するぞって言ったんです」
「嗚呼、trick or treatといったのか」
聞きなれない呪文を聞いたような気分で、私はすこしのあいだ思考を止めた。
今聞こえたことを必死に理解しようとくりかえすうちに出た、衝撃的な答えに絶句する。
「どうしたシュティラ?口が開きっぱなしだぞ」
そんなことを言いながら口へ放りこまれたものに二重の衝撃をうけた。
ふわりと口のなかを満たす甘みは、私の記憶が正しければ有名店の『天使の卵』だ。
蜂蜜と麦芽糖を熟成させ、極限までほそくのばしてふんわりと仕上げてある。
それを幾重にも重ねて、なかにナッツなどを包んである他では真似できない逸品だ。
珍しい食感と優しい口どけのこのお菓子は、少しお高いにもかかわらず貴族だけにとどまらず庶民の間でも人気がある。買いたくても簡単には手に入らず、たまたまイルザが頂いたものを一度だけ食べさせてもらえた時から、ずっとまた食べたいと思っていたのだ。
それを今、私はいとも簡単に一口で食べ尽くしてしまった。
「っっ!」
「うまいか?もらい物なんだが、あまりに美味しかったから一つシュティラにも食べさせたいともってきたんだ」
「おっ…美味しいですぅ……」
うっぅぅ~口にだせない嘆きを必死に押し殺す。
どうせ食べさせてくれるならゆっくり味わいたかったし、クマさんになら悪戯できると思ったのに…。予想外の事態がつづき、悔しいやら美味しいやらで頭のなかが大変だ。
「シュティラの負けね」
くすくすとした笑い声が聞こえ、後ろを振り向くとそこには妖艶な悪魔がいた。
「あっ、痛い!」
まるで巨大なホークのような形の三本爪の黒い武器で頭をこずかれ、痛いうえに帽子がずれた。涙目で彼女を睨みつけるが、てんで効いた様子はない。イルザは、赤々とかがやく唇を妖しく歪め、私に笑いかけてくる。
「悪魔なんて失礼ね。今日の私は、かわいい小悪魔よ」
小悪魔なんて恐れ多くて呼べやしない。むしろいうなら、「大魔王さまー」ぐらい言っておきたい邪悪さだ。
「あら、わざわざシュティラの分まで衣装を用意してあげたのに、そんなことを言うの?」
「これは、イルザが一人で仮装するのが嫌だから着させただけでしょうっ?」
私には断じて、こんな趣味はないのだとクマさんに向けて訴えるが、どこかぼぉーっとした様子で、しっかり聞いているのか分からない。
「…やけに可愛らしい服装をしていると思ったら、それは魔女だったのか」
「えっ、そうじゃなければなんだと思っていたんですか!?」
「新しい、仕事着かと…」
「それもいいわね。普段のシュティラをみていたら、魔女ってやっぱり似合うのよ」
私の判断は正しかったわっなどと、きゃいきゃいはしゃいでいるイルザにため息を
こぼす。
今日は収穫感謝祭のため、街中はオレンジ色のカボチャや怪物たちで埋め尽くされている。この祭りに便乗して商売する人も多いため、自然と活気づいている。
商家の娘であるイルザも類にもれず、普段は置いていないハロウィン用の小物を販売している。子どもたちが可愛く仮装しているなか、私たち二人は嫌に目立つ。たしかに時々黒一色で身を包んでいる人や大きな飾りをつけている大人もいる。
しかし、私たちのようにしっかり仮装している人間は商売人のなかでも少ないため目立つのだ。
「もうっ、いつまでクマさんは見ているんですかっ?そんなに変ですか!」
やけにじぃーっと見つめてくる視線に耐えかねて、私は照れ隠しにクマさんを威嚇する。
いい年してこんな格好していると馬鹿にしたければ、早くそうしてくれればいいのに。黙って見つめられていると居た堪れなくてしょうがない。大きなとがった帽子や、無意味にもたされた箒は人々の注目を集めて、私にとっては嬉しくない事この上ない。
「派手な格好しているって、ばかにしているんでしょう!」
「いや、本当に似合っているし、かわいいぞ?」
「ぎゃあっー!」
先ほどはさらりと聞き流したのに、真顔で返されると流石に無視できなくなる。
こちらは羞恥心でどうにかなりそうなのに、なにをこのクマさんは追い打ちをかけて下さっているのだ。
一緒にキテレツな服装をしている友人に言われるならまだしも、ピシッと騎士服を着こなした彼に褒められるとどうしていいか分からなくなる。
褒められればそりゃあ悪い気はしないはずなのだが、自分が望んで着たものではなく、激しくはずかしいと感じている服装を褒められてもモニョモニョと何とも言い表しがたい感情が沸き起こる。
私はとりあえず表現しようのない感情を悲鳴にかえて、思いっきりイルザに頭を殴られることになった。
「うるさい上に、店の前でいちゃつかれたら商売の邪魔。
せめて端のほうでやって頂戴」
「もう、脱いでもいぃぃぃ~?」
「これからが書き入れ時なのに、駄目に決まっているでしょう。…それにしても、やけに隊長さんは発音がいいんですね?」
「嗚呼、アリアルト騎士団にもいろいろなところの出身の者がいるし、遠方する事もあるから覚えたんだ。必要に迫られておぼえた言葉だから、正式な場ではあまり使えないが日常会話ぐらいなら何とか」
「あら、十分きれいな発音でしたよ」
まあ、私のダーリンには敵いませんけどねと、つけたされた言葉は絶対に余分だと思う。イルザの恋人は自称言語学者で、異国から古代のもう廃れた誰も知らないような言葉を研究している。運よくそれが仕事に結び付いたからいいものの、正直イルザの手助けがなければいまだにフラフラ世捨て人のように旅してまわっていただろう。
―――まぁ、何が言いたいかといえば、そんな言語好き…。下手をすれば言語中毒とまでいえる人間と比べるなというところだ。
「まぁ、なんだかんだでシュティラの悪戯は阻止されちゃったけれどね」
「うっ…」
「何よ『天使の卵』をもらっておいて不満だというの?美味しかったんでしょう?」
そう聞かれた言葉に、素直にうなずき「美味しかった」と返さない訳にはいかなかった。それほどおいしかったのだ。
たまたまもらったにしては上等すぎる物をいただいてしまって、満足していないなど言えるわけがない。まだ口のなかには上品な甘さと香ばしいナッツの香りが残っている。
つい名残惜しくて唇をひと舐めしたら、かすかに蜂蜜の細かい糸が残っていたのか、わずかに甘さを感じてさらにもう一口欲しくなる。
「私は先に戻っているから、すぐに来てよ?」
微かに唇に笑みをのせながら、黒いゴテゴテしたワンピースに全身を包んだ小悪魔さまは仕事にもどって行った。
「『天使の卵』…本当においしかったです」
思わぬ幸運に感謝し、クマさんにお礼を言った。
あんな美味しい物をもらったら、私だったら即食べきってしまいそうだ。この御礼に今度好きなものを作ってあげようと心に決め、仕事に戻ろうと身を翻した私の手を、なぜかギュっと捕まれた。
「クマさん…?」
「trick or treat」
「えっ」
考えてもいなかった事態に体を固めた。
クマさんに仕掛ける悪戯は山のように企んでいたのに、自分がやられる立場になるとは考えていなかった。そもそも、クマさんがお菓子を持っていた時点で私の計画はダダ崩れで、今頃はクマさんの間抜け面を拝んでいるはずだったのに…。
人生とは本当に何があるかわからない。
「シュティラ?お菓子をくれないなら、悪戯するぞ??」
獲物をいたぶる肉食獣のような滅多にない表情を見せられ、私の思考は真っ白になった。店に戻ればお菓子の一つや二つ簡単に見つかるのに、いつの間にか捕まれた腕がはずれるようすはない。
「やっ、やだなぁクマさんったら。そんなにお腹が減っているなら、ライナルダさんの食堂に行けばいいじゃないですかぁ」
あははっと、渇いた笑いが口から零れる。
クマさんの叔母様が経営している食堂は、男性に人気である上に最近ではスイーツもメニューに加えているらしい。以前にもまして忙しくなったはずなのに、クマさんの叔母様であるライナルダさんは一度クマさんに連れられて挨拶して以降、私のために少し時間を割いては会話をしてくれる。
「そう……それだ」
「ほら、お腹減っていたんでしょうっ?」
ひっくり返った声を気にすることなく、必死に言葉を重ねた。
だが、今日のくまさんは一味違う。
「叔母のことは名前でよんでいるのに、俺の名は一度しかよんでくれていない」
「そんなこと、ハロウィンとは関係ありませんよっ」
どさくさ紛れで何を言い出すのかと思えば、どうしてこんなときにそんな話をもち出されなければいけないのか分からない。
「そうだな…今日はハロウィンだ」
「何をいまさら、」
言っているのだと、いつも通り憎まれ口をたたこうと思いはするのに、冷や汗が流れてしょうがない。
私は彼に顔を寄せられて、ジリジリと壁際まで追い込まれていた。
「それではハロウィンの流儀に沿うとしようか?
たしか、お菓子をもらえないなら悪戯していいんだよな…」
最後一人言のようにつぶやかれたそれは、こちらに確認をとるようなものではないため、余計に戸惑う。 並々ならぬ雰囲気に嫌な予感がしてしょうがない。
「く、くくくクマさんっ?」
「ベルンハルトだよ、シュティラ」
普段はかすれているだの馬鹿にしている声が間近できこえ、熱い唇が耳に触れたところで、私は限界をむかえた。
「ぎっ、ぎゃああぁあ!」
耳にキスするなんて、恋人同士でも早々やらないであろうことを、こんな往来でしでかす彼の気持ちがわからない。 何をするんだこの変態っ!と、罵りたいのに言葉は一つも浮かんではこず、私は一目散に逃げだした。
クマさんが、「少しは異性として意識してくれているのか」とつぶやいたことなどとは知らずに。




