隊長の秘密
長い間、章が正しく表示されていない状態でした。
申し訳ありません。
俺の背中を、冷や汗がつーっと伝い落ちるのが分かった。
今目の前で起こったことを認めたくなくて、頭のなかでは何度もそんなことがある訳ないと否定するのだが…。それをあざ笑うかのように、俺は目を見開きその光景から目を逸らせない。瞬きすることすら許されず、はぁはぁと緊張から出たる息は荒く止まらない。
―――訓練中ですら、ここまで追い込まれることはないのではないだろうか?
ただ森に住む変わり者の薬師に会いに来ただけなのに、俺はそうまで思いはじめていた。こんなことなら、ベルンハルト隊長に急きょ確認したいことがあるからといって訪ねてくるのではなかった。
俺がどうしてこんな状況に追い込まれたのか説明するには、数時間前にさかのぼる。
ここのところ忙しかった隊長は、ことあるごとに森にすむ薬師のもとへ足を運んでおり、大方今日もそこだろうとは考えていた。だが「もしも会えたら嬉しい」などと考えながら彼の養母が経営している店に腹ごしらいをかねて訪れた俺は、驚くことを言われた。
「あらっ、あんたアリアルト騎士団のレスターだろ?
いつも贔屓にしてくれてありがとうねぇ」
「いえ、ここの料理は美味しいですから」
これは世辞ではなく、本心から出た言葉だ。
味がいい上に栄養バランスが考えられている料理は、他の店よりも量がおおく働き盛りの男たちに喜ばれている。この店は街の者にとどまらず、騎士の間でも人気があるのだ。
「そうかい?
そういえば、レスターは森にすむ可愛らしい薬師さんの事は知っているかい?」
一瞬、米神がひきつるような感覚を覚えたが、俺は得意のポーカーフェイスで乗り切った。
なにより、隊長の親族の方に失礼なことはできない。たとえ俺の天敵といっていい人間の話をされようとも。顔に笑みを張り付けた俺は、どうして彼女の事を知っているのかと問うてみて、後悔することになった。
なんと、隊長が彼女を養母に紹介したというのだ。まだ若い俺には分からないが、それは結婚の意思があると公言しているようなものではないのだろうか?驚く俺に更にとどめを刺す様に店主は続ける。
「あのベルンハルトのことだから、お嫁さんなんて一生もらえないんじゃないかと心配していたんだけれど。あの娘さんは、あの子にはもったいない程いい子だね」
それを聞いた俺は、早々に食事を平らげて森にある家へと向かったのだ。
✾ ✾ ✾ ✾ ✾ ✾ ✾ ✾
本当に『あこがれの隊長』があんな変わり者の娘と結婚するのか、どうしても確かめたくなった俺は、シュティラの家を訪ねた。
しかし、何度呼びかけても応答がなく物音一つしない。常だったら、面倒だという感情を前面に押しだしながらもすぐに迎え出てくれる住人が、その日に限って出てこなかった。
それにもかかわらず、家の中からは明らかに人がいる気配がする。
訝しんだ俺は、『もし泥棒などだったら大変だろう』と自分に言い聞かせて、家のなかの様子を確かめようと窓を探した。数度訪ねたことのある家だ。窓を見つけるのは容易かった。
昼だというのに閉ざされたカーテンの隙間から、警戒しつつもなかを覗き見て……俺は固まった。
そこには、どこか疲れたようにソファで眠り込むシュティラの姿と、これまで見たことがないような表情で彼女を見つけている隊長がいた。
……俺もそれなりに女性経験はあるし、なにもこれだけでは驚いたりしない。
驚いたのは、隊長の表情と行動だ。目元にクマの浮かんだ…お世辞にも綺麗とはいいがたい薬師を眺めながら、愛おしくてたまらないと言った様子で髪を梳いていたのだ。
あの真面目な隊長が無断で女性に触れ、いかつい表情をだらしなく崩しながら何度も何度もその大きな手で彼女の頭をなでている。こちらが照れてしまいそうなその光景に、彼の養母が言っていた話は近いうちに実現するのかもしれないと、俺はぼんやり考えていた。
尊敬する隊長の相手は、もっと落ち着きのある大人の女性が似合いだろうと考えていたため少し戸惑いはあるが、優先するべきは隊長の幸せだ。彼をあれほどまでに幸せに出来るのがシュティラしかいないというのならば、周りがどうこういう事でもない。
そんな諦めとも取れる感情を抱きながら踵を返そうとした俺は、再び凍りつかせることが起きて目を見開く。隊長がずっと撫でていた手を止め、ふっと身をかがめて彼女に近づいて行ったのだ。
「っっ!」
これは非常にやばい現場をおさえてしまった。
しっかり触れる瞬間を見たわけではないが、あの状況から言って隊長が彼女にキスしたのは間違いないであろう。
隊長に、そんな現場を見てしまったと知られても、不可抗力だったといえば許してもらえることだろう。―――だが、あの素直じゃないシュティラの事だ。
たとえ想いあっている相手だろうと、自分が知らぬうちにキスをされたと知れば、間違いなく怒り狂うことだろう。おまけに、そんな瞬間を天敵である俺が見ていたとなれば、羞恥から隊長にまで被害が及ばないとも限らない。
俺は滝のような汗を流しながら、そろそろとその場から立ち去った。
レスターは好き勝手いっておりますが、真実はクマさんのみが知っております。




