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アリアルトの森で  作者: 麻戸 槊來
遭遇編
29/65

22.新しい物語



「―――で、未だに名前を呼べないでいると。

 あんたはどんな乙女思考なの?」


今時の幼児でもそれはないわ…っと、呟かれた友人の言葉に、咬み付きたいが咬みつけない。

確かにこの前、友人宅の隣家のマーサがジョンとキスしている姿を目撃したことがある。おまけに、マーサは5歳でジョンは3歳だ。それなのにお互いに結婚の意思は固めており、ご両親へのあいさつも済んでいるというのだから、大したものだ。


「…だってこれまでクマさん、クマさん呼んでいたのに。

 どの面下げて、ベルンハルト様なんて呼べっていうのよ」


「あんたの、その情けない面下げて呼んであげればいいじゃない。

 きっと喜ぶわよ」


ふんっとでも言うように、イルザはそっぽを向いて紅茶を一口飲んだ。

未だに、彼女は突然拉致された事を怒っているのだ。あれは私の意志ではないし、已むに已めない事情だったのだからそこまで怒らないでもいいと思うのに。今日だって彼女が好きなパンを持参して、心配させてしまったお詫びをしに来たのに。


「…えっと、心配掛けてごめんね?」


「いいわよ別に?

 あんたは、どうせ転んでもタダじゃ起きない事は分かっていたし」


そう言う彼女の言葉に何も言い返せない。

どうやら国王陛下は隊長の不正を暴くために、わざと私を拘束した事などに目を瞑っていたらしい。私を利用してはげ隊長を捕まえようとした事を謝罪してくれた国王陛下は、王宮薬師の件を取り下げてくれた。その代わり私はアリアルト王国の医療発展に向けて、協力は惜しまないと伝えてきた。


様々な知識が必要になる薬師という仕事は、人生の大半をかけて漸く一人前になれると言われる。例え薬についての調合書のような物があったとしても、作る人間のさじ加減で効果が代わってしまう事も多い。



そもそも私のように、街で薬を販売する事自体が珍しいのだ。

薬師とは医者の診断を聞き、個人の症状に合わせて調合するのが基本だから私のようなやり方は異端ともとれる。但し、私には両親から受けた薬師についての知識や経験。何より残して貰った調合書がある。これを見れば相当特殊なケースでもない限り、大抵の人間の症状を緩和する事が出来る。



また膨大な知識と経験が必要な薬師は、その難しさから目指す人間が少ないのが現状だ。本来は薬師が薬を作った方が楽なのに、医者が治療の傍ら薬を調合する為、医者一人にかかる負担が大き過ぎる。

医者にかかる負担を少しでも減らせれば、もっと多くの人を救えるだろう。その為にも風邪にはこれが、発熱にはこれが効くと言った基本的な薬を国中に広められればいいと私は考えている。



まぁこの案も両親が生前に言っていた物なのだが、今回の事を機に実現しそうなのだ。それもこれもクマさんという存在があったからこそ起こり得た事だろう。

助けに来てくれた事も含め、彼には本当に感謝している。何とか恩に報いりたいという気持ちもある。…だが、これはあまりにハードルが高すぎると思う。


「何がそんなに問題なのよ?いいじゃない」


「…だって、一緒にパーティーへ出席するなんて、この世間知らずが無謀すぎると思わない?」


今回の事件をきっかけに、クマさんはやはりアリアルト騎士団の隊長に就任することが決まった。


彼の冤罪を直ぐ晴らせなくて、不名誉な事態に陥らせてしまったからという理由で、この度新しい騎士団の隊長をお披露目するパーティーを、国王主催で執り行われるらしい。その際にダンスをするらしいのだけれど、ぜひ相手役を引き受けて欲しいと申し込まれたのだ。国王陛下もそれを聞いて乗り気らしく、謝罪の為にも「ドレスはこちらで用意する」などと恐れ多くも約束して下さった。



これで「ドレスがないから無理ですと」言って断ることが出来なくなってしまった。

国王陛下ご自身に会ってからその威厳に充てられてしまって、これまで以上に尊敬する思いが強まっていた。…のだが。「何をしてくれるんだこのおっさん!」と、文句を言いたくなってしまう。


「ダンスなんて、生まれてこの方した事がないのに」


今日も、忙しい時間を縫って明日に「逢いに来ると」クマさんに宣言されたため、一人でいるのは落ち着かずイルザに相談しに来たのだ。




ようやく穏やかな日常が戻ってくると思ったのに、これでは以前よりも動悸などが激しくなっている気がする。普段、思う存分惚気に付き合ってあげているというのに、イルザはそんな私を「うじうじしていて鬱陶しいっ!さっさと腹を括りなさいと」言って家から追い出した。

言葉はきつい癖に、何時も通りお菓子を持たせる事は忘れないというのは、彼女らしいと苦笑する。何だかんだで、名前を呼ぶこともパーティーに出席する事もまったく問題は解決されていないのだけれど、彼女と話した事で気分は落ち着いた。


甘いお菓子の香りを楽しみながら、私は一人家路を急いだ。








「やぁ!今日は、この前欲しいと言っていたハーブを持ってきたぞ」


「…こんにちは」


誰ですか貴方は?と此処で聞いたら、クマさんは泣いてしまうかもしれないので、敢えて口をつぐむ。―――にしても、隊長になってからのクマさんは変に明るくなった気がするのは、気のせいだろうか?


これまでの煮え切らない姿が好きな訳ではないが、あまりに発する言葉が今までと異なるため違和感を覚える。やぁって…この人、普段じゃ絶対言わないだろうに。何処か無理をしているのが分かるが、どうしてこんなにもぎこちないのか分からない。



ハーブと言えば聞こえはいいが、これは薬草で株ごとというのも色気がない。流石私たちという所か?これは今後、家の庭で他の薬草とともに植えることにしよう。


「有難うございます」


そう言って、心なしほほ笑みながら薬草を受け取ると、何故かクマさんまで嬉しそうに笑った。

この何ともむずがゆい交流が苦手で、笑顔の彼から視線をそらして用意していた籠を取りに部屋へ戻る。今日は、クマさんがずっと寝ぐらにしていた洞穴に荷物を取りに行くと言うので、久しぶりに川近くで食事を取ろうと約束していたのだ。




クマさんの為に大量に作った食事が入った籠を、すんなりと彼に奪われた。

その動きは自然過ぎて、キョトンとする事しか出来なかった。そして暫く経ってから「ありがとうございますと」彼にお礼を言うのだ。


これまでヘタレと彼を呼んでいたけれど、こういう何げない動作に彼の優しさを感じる。―――そして『クマさんの癖に、女慣れしていそう…』という感想を私は抱くのだ。



本当にただのヘタレなら、相手に気を使わせないように上手く荷物を持つなど出来ないだろう。私は基本的に蜂蜜大好き!クマさんっしか知らないけれど、泣かせた女の…など噂されている位だから、それなりに手慣れてはいるのだろうけれど。


「シュティラ…前回ダンスの申し込みに対する答えは、考えてくれたかい?」


森を歩いている間に聞かれた言葉に、思わず黙り込む。さっきから、クマさんに片手をひっぱられているから歩きにくい事この上ない。…第一、何も言わずにそういう事をするのは卑怯だと思います。


「…あと、出来たらこれからも君の作る物を、定期的にでもいいから一緒に食べさせてくれたら嬉しいのだが」


卑怯な上に、クマさんは要求が多い。

私だって偶には他人が作る料理を食べたいし、楽だってしたい。


「それで、もし良かったら…嫌だったら、全然断ってくれてもいいのだが。

 …俺の養母にあってくれないか?」


君に世話になったと話したら、お礼をしたいから連れて来いと言われて…などと言っているクマさんに驚いて、思わず下に向けていた顔を上にあげた。私の位置からクマさんの顔は見えないけれど、耳がわずかに赤くなっているのが分かった。


お礼と言われても、私はただ森にいたクマさんに餌付けしていただけの話なのだが。流石にご家族の方にそんな事は言えないから、口を引き結んで言葉を返さなかった。


生真面目なクマさんの事だから、此処でそんな事を言ったらそのまま伝えかねない。何も私が言わないことに不安を覚えたのだろう。クマさんは私の顔を覗き込むように体を屈めてくる。


「……シュティラ?」


そわそわ落ち着かない様子のクマさんには悪いが、頭の許容を超えてしまった様で上手く言われた言葉を理解する事が出来ない。

一連の言葉を集約すると、何やらとんでもない事を言われている気がするのだが、気のせいだろうか?これでは、まるで……。まるでクマさんと私が特別な関係であるような会話に聞こえると思うのだが―――。


「いきなりは無理か…ただ、俺の気持ちだけは覚えていてくれ」


そう優しく頭を撫でたクマさんに、少しだけときめいてしまったのは内緒にしておこうと思う。




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