掌編 ハチミツ強奪大作戦
今日も、彼女が用意してくれた料理に舌鼓を打つ。
彼女の作るものはどれもおいしいのだが、やはり蜂蜜の味を感じ取ると頬が和らぐ。香りが鼻をくすぐり、舌があの味を感知するたびに顔が緩むのだから、これは最早本能と言ってもいいかもしれない。こんな事だからシュティラに『クマさん』などと呼ばれるのだとしても、好きなものはしょうがない。
「そういえば、前から聞きたかったんですけれど…」
改まった様子で目を合わせてきたシュティラに、驚き緊張してしまう。
真剣な眼差しで見つめてくる彼女が、何を言わんとしているのかわからない。
……分からないのだが、どこか嫌な予感がして何を言うつもりなのかと瞳を見つめながら、慎重に先を促す。
「クマさんって…」
「あ…嗚呼」
のどが渇き、相槌を打つのもうまくいかずに唇を湿らせた。一方目のまえにいる彼女は、こちらのそんな様子に気づいた様子はない。もしかしたら何事か気づいているかもしれないが、指摘する気はないようだ。
じぃっと瞳を合わせた後に、ゆっくり口を開いた。
「蜂蜜を自分で採ったことありますか?」
予想していたような物とは全く異なる言葉が出てきて、俺はその場に膝をついた。
訓練中にもこんな体勢はここしばらくとっていないのに、拍子抜けした体はこうでもしなければ支えられそうになかった。地へ這いつくばるという屈辱的な体勢に唇をかみしめながら、のろのろと体を起こす。
「なんなんだ突然」
「いえ、私と会うまではどうやって蜂蜜を手に入れていたのかなぁと、疑問に思いまして」
何てことなさそうにそういうと、スプーンを滑らした。今日のデザートはグレープフルーツのゼリーで、中身をくりぬいた皮を器にしているものだった。上に飾りとして、ひと房ずつ綺麗に皮をむき並べてあるのを見ると『よくこんな繊細かつ手の込んだことができるものだ』と、感心してしまう。
しかし、彼女に言わせると「火付け石を使っている方が、よっぽど凄くて大変そう」ということらしい。これも慣れと適材適所という事なのかもしれない。
「それで、どうなんです?」
シュティラの言葉は問いかけるものだったのに、その口調は明らかに俺が蜂蜜を採ったことがある前提の言い方に思えた。それを否定できればいいのだが、情けない話、嘘は得意ではないし否定する資格も持ち合わせていない。
「……ある」
「やっぱりクマさんは、予想を裏切りませんね」
呆れられなかっただけ良いと思わなければいけないのかもしれないが…。なんとも生ぬるいまなざしを送られ居たたまれなくなる。
「いやっ…でも、あれは本当に小さかったころの話で……」
「養蜂をしているところなんてそう多くはないですし、森にある蜂の巣を狙ったのでしょう?」
まるで、動物が餌をとる時のような表現だが、盗んだなどと言われない分まだ良いのかもしれない。己の情けない過去を言い当てられ、黙り込んだ。どうにも彼女といると、昔の記憶が呼び起される。いい思い出も勿論あるのだが、叫び喚いてしまいたいほどの思い出もある。
「いくら好物だと言っても、人が丹精込めて育てたものをクマさんが盗む訳ない事くらいわかりますよ」
「そ…そうか、」
「蜂の巣を狙った結果、どうでした?」
「んんっ?」
「何、声ひっくり返しているんですか」
呆れた様子の彼女からお茶を受け取り、ごくごく飲み干す。
蜂蜜欲しさに巣を突っついたはいいが、大量の蜂に襲われ大変だった。家に帰れば養母に怒られ、痛みと痒さに数日間ずっと苦しんだ。何よりつらかったのが、手足が腫れてまともに自分のことすらできなくなったことだ。
そんな俺を見て、養母は嬉々として面倒を見てくれた。着替えを手伝ったり、飯を食わせてくれたり…。うまく動けなかったのは一日だけだったが、今でもトラウマになっている。
一度食べた蜂蜜の味が忘れられずにとった行動だったのだが、あの日以降、蜂蜜を自分で採ろうとすることはなくなった。
「私も何度か巣の近くを通って刺されたことがありますけれど、大量の蜂となると想像を絶するものですね…」
「あれは恐ろしかった…」
「よっぽど酷い目にあったんですね…」
彼女が言っているのとは意味が異なるが、恐ろしかったことに変わりはない。つい青ざめて腕をさすると、シュティラは話を打ち切ってくれた。その後「蜂に刺されて辛そうにしている熊なんて、見てみたい…」などと呟いていたことは―――。全く、これっぽっちも聞いていない。




