17.見えない罠
牢の前にいる頭がさみしい騎士姿の男を見て、私は眉間にしわを寄せた。
「……なんつった、このはげ親父」
小声で囁いてしまった言葉は、どうやら彼の耳には届かなかったようだ。しかし堪え切れずぎゅっと顔をしかめた私に、無礼なおっさんは高圧的な様子を崩さない。
「何だ?小娘、私に何か言いたい事があるのか?」
「いえ、貴方はどちら様なのかと…」
「ほう?私を知らないと言うのか…」
まぁ街から遠い森の中に住んでいたと言う変わり者だから、知らなくてもしょうが
ないのか?などと、またこいつは失礼なことを言っている。
あそこは街はずれとは言えそこまで田舎ではないし、ちょっと世間知らずな所があるとしたら、それは半ひきこもりな為だ!薬師なんて一人でする作業ばかりなのだから、しょうがないだろうっ。
つい、変な部分で憤りを覚えてしまう。…だって、あれは両親や知り合いが丹精込めて作ってくれた家なのだから、馬鹿にされる言われは一ミリもない。
―――少なくとも、こんな見ず知らずのおっさんに馬鹿にされたくはない。
大体、私はもう18歳であり成人している。そんな結婚適齢期と言っても過言ではない年齢の女性を小娘呼ばわりするのは、非常識という物だろう。きっとこいつは、私の残念な身長と童顔を見て言っている。絶対にそうに違いない。
随分偉そうにしているが、本当にこいつは誰なんだ?はげ親父は考え込む様子を見せ、結局先ほどの問いには答えてくれていない。誰か正体を教えてくれと呟いた瞬間、私に応えるかのようにはげ親父を呼ぶ声がした。
「隊長っ!」
「何だ?…騒がしい」
とっても聞き覚えのある声だと考えていたら、そこにはレスターが居た。
普段とは違って見える彼の様子に一瞬気を取られたが、目の前にいるのはあの『疑惑が山盛り』だと有名な、アリアルト騎士団の隊長殿だという事に驚く。
牢内の私に一瞬目線をよこしたレスターは、すぐさま顔をしかめて男に咬みついた。
「っどういう事ですか、隊長!
彼女の件は、私に任せて頂けると仰ったではないですか」
…んん?何やら雲行きが怪しそうだ。
レスターがきた事で、もしかしたら牢から出してもらえるのではないかと、期待して彼を見つめていたのだが。
それにしても、あのレスターが隊長へこんな風に意見できるとは驚きだ。これまで特に意識していなかったが、ひょっとしてレスターはいい所のボンボンなのか?前に一度、それなりに有名な家だと言っていたが、大して気にしていなかった為慌ててしまう。
そりゃあ貴族だろうとは思っていたが、精々下の方だと考えていたのに…。
彼をぞんざいに扱っていたのを思い出し、若干青ざめる。此処から出してもらえるのならば、レスターとはいえど天使さまに見える。
彼の御蔭で出られる事になったら、今後の扱いを変えてもいい。もちろん、彼が大好きなクマさんも貸し出す。存分にクマさんとわんこでじゃれあえばいい。
クマさんの機嫌が良くなるように、蜂蜜や鮭だって沢山提供する。
―――しかし、敵もさる者だった。
激しく詰め寄ったレスターを、隊長は小馬鹿にするように笑って戒めた。
「レスター隊員は何か勘違いしていないか?これまでは君の熱意に押されて猶予を与えてきたが、状況は変わったのだ」
私は此処で、初めて今まで彼に助けられていたのだと気がついた。情けない事だ。
「クマさんに会いたいが為に来ているのだろうと」考えて、疑っていなかった。
確かにクマさんの事は彼にとって重要だったのだろうが、それが全てではなかったという事だろう。驚く私を余所に、はげ隊長は言葉を続ける。
「何としても彼女を王宮薬師に招きたいと、国王陛下直々に仰っている。それにも関わらず、再三話しあう機会が欲しいという我々の意思すら無視されていた為、 少し手荒な対応に出ただけのこと」
これは別に罰しようとしている訳ではないから、直ぐに此処からは出させるよ。
そうぬけぬけと言った隊長を、信じられない思いで見つめる。
…この人は、いったい何を言っているのだ?
少し手荒な対応どころか、名乗った時点でアリアルト騎士団の人間に拘束されて、まるで罪人の様に此処まで連れてこられたのだ。
説明なんて殆どありはしなかったし、国王の意思である勅命だったなんて全く聞か
されていなかった。信じられない思いでレスターをみると、苦虫を噛み潰したよう
な表情をしている。これは…本当に勅命であったのだろう。
流石に、私だって勅命だと知らされていたら此処までごねていなかった。
例え城に直接赴かなければいけなくても、話を聞く位しようとしていただろう。
最悪、どうしても納得できなかったら国を出るなり対応していた。
どうして…どうして?レスターが教えてくれなかった理由が分からなくて、つい彼をきつく睨みつける。だが、彼から出てきた答えは予想外の物だった。
「それは…すみません、俺が故意に勅命だとシュティラさんにお伝えしていなかったのです。唯、どうしても王宮薬師になって欲しいから、一度話だけでも聞きに 来てくれと言っていたのです」
「それは不可解だな?
どうしてレスター隊員はそのような事をしようとしたのかな?」
「っ彼女の両親は、国一番の薬師であるにもかかわらず、王宮薬師になるように通告した途端に家族で行方をくらませたと聞いていたからです。―――勅命だと聞けば、無理にでも話を進めると勘違いして、消息を絶たれてしまう危険もある。もしそんな事になったら、国の損失に…」
「結構。その判断は、些か独断的すぎるかもしれんな。しかし、幼い時とは言え彼女は実際に姿をくらませた過去がある。そんな人間を信用するには値しなかった。
違うかね?」
隊長の言葉にレスターは何も答えなかったけれど、反論できないであろう事は私自身が一番分かっていた。
後々どうなるか分からないとはいえ、国にとって有益な人間であるにも関わらず逃げる恐れのある存在を一時的に拘束した。それが隊長の筋書きなのだろう。旅をしていた理由は初めて知ったが、私もレスターも上手くしてやられた。
これでは、所詮何を訴えても私…もしくはレスターの過失だと言われるのが関の山だ。きっと実力行使に出て、牢にぶち込むなど行き過ぎな行動を指示したのはこのはげ隊長だろうに、訴えは聞き届けられないだろう。…私はどうやら、引き際を間違ってしまったようだ。
もう少し早く城に赴いていれば、まだマシな状況だったかもしれないのに。
私側の過失を責められてしまえば、王宮薬師になる件も断りにくくなる。
勅命を無視し続けた上に、王宮薬師になることすらも断れば、謀反を疑われても文句言えない。レスターの言葉を借りるのならば、『国の損失』まで言われているのだ。私の両親はそれなりに知られている薬師であったとしても、私はさほど力も知識も持ち合わせていない。
この年齢にしてはだいぶ場数は踏んでいるであろうが、初対面の人間に小娘と呼ばれるのにはそれなりに理由があるのだ。
薬師は基本、患者の症状に合わせて対応することが求められる。合併症を起こしていないか、薬に対するアレルギーを持っていないか見分けなければいけない。
医療が発展していないこの国では、それを見分けるのは医者と薬師の仕事だ。
そういう細かい変化を見逃さないためには、経験が必要になる。下手な医師にすれば、私のような小娘は薬師と呼ぶのすらおこがましいと言われてもおかしくない。
まだまだ努力している段階で、王宮に仕えるなどもってのほかだ。
それだと言うのに、随分周囲は買い被ってくれているようだ。
だがそんな認識をされているのが、何よりの問題なのだ。それこそ、クマさんなんかよりもよっぽどきちんとした理由が作られてしまった。元より、私が王宮薬師にならないで済む確率だって五分五分だったのに、更に確率は狭まった。
外堀を、どんどん埋められているのを感じる。
少しでもあちらの有利に働くように、私は上手くこのはげ隊長の掌で踊らされているのだろう。見えない力に、無理やり操られている感覚に吐き気がする。意思を無視されて、信念を捻じ曲げられて…私はこれから、いったいどうなるのだろう。
必ずしも、王宮薬師になることが悪い方に繋がるとは限らないが…。こんな騙し打ちのような方法を取られても信じられる程、私はお人よしではない。そりゃあ、私が王宮薬師になる事でアリアルト王国の医療が少しでも発達するのなら嬉しいけれど、結果が良ければ過程なんてどうでもいいとは思えない。
このまま嫌々王宮薬師になった所で、果たして私はきちんと役目を果たせるのだろうか…?そんな不安を抱えたまま、レスターと隊長が去っていくのを眺めていた。




