14.王宮薬師
今日も今日とて、レスターと言う名のわんちゃんはクマさんに会いに来た。
「…とんだ忠犬ぶりですね」
主人を待ち続けた某わんこも真っ青だろう。これで、もう少し目つきが柔らかくなりきゃんきゃん吠えなくなれば、少しは可愛く思えるかもしれないのに…。目の前に立つ青年を見上げて、じっくりと観察する。
「なんだ、何か用があるのか」
「…やっぱり無理か」
喧嘩口調のレスターを、可愛いと思える日が来るとはとても思えなかった。
むしろ私は、まるで『さっさとクマさんに会わせろ』と言わんばかりの態度に、眼前で扉を閉めてやったらどんな反応するか実験したら駄目かなぁー?という誘惑と戦っていた。
「…おい、副隊長はいらっしゃるのか?」
「ちょっと待って、今凄く素敵な誘惑にあらがっている所だから」
「はぁ?」
お前はただでさえ頭が悪いのに、更にねじを飛ばしたのか?と、何とも失礼なことを言うレスターを、どうして気遣ってやらなければいけないのか分からなくなってきた。ここは、何も言わずに扉を閉めてしまおう。
「……!?おい、副隊長が居らっしゃるのに、会わせないつもりかっ」
そっと扉を閉めだした私に、「一人占めするなんて、ずるいぞ!」とレスターが騒ぎ立てる。
予想もしていなかった言葉につい扉を閉める手を弱めてしまったら、バッと扉を開けられてしまった。しかめっ面のレスターが目の前でにらみを利かせているが、それ以上にさっきの発言が気にかかる。
「―――何ですか、一人占めって」
まるで子供のように、尊敬する存在を取られたくないっていう感情だろうか?
ここまで好かれるのも、少し怖い気がするな。クマさんは大変だぁと、他人事のような感想を抱く。
それにしても、このレスターは段々鼻が利くようになっている気がする。今日は、数日ぶりにクマさんがやって来ているのだ。
レスターがこうも定期的にやってくるため、クマさんは「シュティラを面倒な状況に巻き込んでしまって申し訳ない」と謝っていた。そして、そんなレスターの世話をする為に、クマさんはしぶしぶやってくるのだ。
私からしたら、不安定なクマさんを一人にさせておきたくなかったから彼が来てくれるのは嬉しい。でも、そのきっかけを作ったのがこの無礼なわんころと言うのが、どうも喜びきれない。
「…まぁ、どうぞ?念願のクマさんが今日はいますよ」
「本当かっ!」
私の『クマさん』呼びに反応する事もなく、レスターは家の奥へ入っていく。
彼が犬であったら、嬉しそうに尻尾をぶんぶんと振っている事だろう。
全く…躾のなっていないわんこだ。騎士団は何をしているのだ。
レスターの傍にいる時のクマさんが落ち着き過ぎていて、熊に見えなくなってきている。騎士団にいた時の癖が出るのか、クマさんは彼を前にするとしっかりしているように見える。蜂蜜を狙って、私と口論した人と同一人物だとはとても思えない。流石は元副隊長と言った所か。
嬉々とした様子のレスターに対して、クマさんは彼を見た瞬間いつも複雑な表情をする。
「おはようございますっ!副隊長」
「…おはようレスター、元気そうで何よりだ」
もしかしたら、クマさんは『副隊長』と呼ばれる度に何か思う所があるのかもしれない。私の友人であるイルザに『ベルンハルト様』と呼ばれていた時とは、何か様子が違う気がするのだ。
それから考えると、出会って間もないころ私が勝手に付けた『クマさん』という愛称で彼を呼んだ時は、何処か戸惑ったように苦笑していた。
厳つい顔をした副隊長と言う立場の彼を、『クマさん』などと言う何処か可愛らしい愛称で呼ぶ存在はいなかったのだろう。
…今考えても、イルザのいわれた通りちょっと無謀だったかもしれない。けれど、今更クマさんをベルンハルト様だなんて呼びたくないし、元副隊長と呼ぶのも少し違うだろう。
大体クマさん本人がどう考えているのか分からないのに、わざわざ呼び方を変えるのは不自然だ。
彼の心中を考えると色々浮かぶ思いはあるが、どれも真相を確かめる事が出来ないでいる。
自分の思考にとらわれている間にも、クマさんと態度の悪いわんちゃんの会話は続いていた。
この家の家主であるはずなのに、私の事はすっかり忘れ去られているようだ。
態度の悪いわんちゃんは目の前の副隊長に夢中だし、夢中になられているクマさんの方は、そんなわんちゃんの相手をするので精いっぱいの様だ。
別に大した問題ではないのだけれど、せっかく出してあげたお茶が一口も飲まれず冷めるのは忍びない。それに、そろそろクマさんも助けて欲しそうな顔になってきたから、わんちゃんの関心を少し逸らせてあげようと声をかけた。
「…レスターは、はじめ私に用があってきたはずなのに。最早クマさんに会いたいがために、来ているでしょう?」
きっと、『副隊長に会いに来て何が悪いっ』とでも返ってくると考えていたのに、レスターは何も答えない。
私を王宮薬師に勧誘するため、「話だけでも聞いてくれ」と城に無理やり連れて行かれそうになった頃が懐かしいくらいだ。クマさんに叱られたのが堪えたのか、クマさん以外はどうでもよくなったのか…。
普段の態度を見ていれば、後者の気がしてならない。私の考えを余所に、レスターは普段から考えられないほど冷静で落ち着いた眼差しで私をみてきた。
「な、何…?」
「曲がりなりにも、俺はいつも一度城に来てくれと、頼んでいるはずだが?」
「うっ」
確かに、レスターはクマさんにじゃれついた帰り際、思い出したように王宮薬師の話を持ち出していた。しかし、あまりにやる気の感じないその様を、本気であるとは感じなかったのだ。
それに、どちらかと言うと私よりも国外追放になっているクマさんの方に、レスターは城に赴いて欲しいらしい。私よりも事情を知っているだろう男がそういうのだから、『一度、やっぱり城に戻ってみればどうですか?』とクマさんに勧めているのだが、へたっと耳を下げて、くたりとした情けない様子のクマさんが後に残っただけだった。
こんな屈強な体の厳つい顔した成人男性がヘタレとか、笑えない。
クマさんに対して失礼な事を考えていたのが分かったのか、レスターは少し厳しい顔をしながら、次の言葉を発した。
「そろそろ本気で、上の人間はお前を城の専属にしようとしているから気をつけた方がいいぞ」
微かに心配した様子を滲ませながら言ったレスターの様子を、意外に思いながら見つめた。
私のことなんてどうでも好さそうなのに、結構気にかけてくれていたようだ。
尤も、今回改めて聞いてみなければ、教えてくれなかっただろうが。…そういえば、クマさんには王宮薬師に誘われている事を伝えた事は一度もなかったが、どう反応するだろうか?ふっと彼に視線を向けるが、予想していたよりもクマさんは驚いた様子を見せない。
「あれ?王宮薬師の話をした事はなかったのに、クマさんは驚かないんですね」
「―――嗚呼、いや…」
そんな何処か煮え切らない反応に首を傾げる。もしかして、現在アリアルト王国では全体的に医療を発展させようと王宮薬師を増やす動きがあるのだろうか?
それであったら、騎士団の副隊長という立場の人が知っていても不思議はない。
なにせ、目に見える形で傷を負うのは最前線で戦っている彼らなのだから。
騎士は、戦争だけではなく訓練や日常生活でも傷を負いやすい。警備や町で起きた揉めごとなどの収拾をするのも彼らが担っている仕事だから、外傷でいえば彼らが一番多いだろう。
―――もしも、本当に国を挙げて医療の発達を望んでいるのならば、私は国の求めに応じたほうがいいのだろうか?
「…クマさんは、」
咄嗟に、思いついた考えをクマさんに話そうとして、口を閉ざす。これがもし現実のものだとしても、そう易々と国の考えを一般市民に話すことが出来る訳がないだろう。
そうではないとしても、もしこの事が関係して彼が国外追放などという罰を下されたのだとしたら、それはそれで明かすことが出来ないだろう。
国の宰相などはおろか、国王にすら明かそうとしなかった事を土足で踏み入るような真似はできないし、するべきではない。もしもこれが私の単なる考え過ぎに他ならなくても、相談もしない方が賢明かもしれない。
「…何か、悩みでもあるのか?」
「…いいえ、大丈夫です。もしもどうしても自分では解決できそうになかったら、後で相談だけでも乗ってくれますか?」
クマさんの気遣ってくれているのが分かる優しい眼差しが嬉しくて、私はそう言って頼んでおいた。すると、クマさんは何も聞かずに頷き「一人で無理はするんじゃないぞ? いつでも相談してきなさいと」言って、頭を軽く撫でてくれた。




