11.平凡な日常
足を怪我して数日後。
あれからクマさんは安静第一と言って、私に料理や家事をさせてくれなかった。
お昼の少し前ごろに毎日家に来ては、夕方近くに帰っていく。
流石に自分の服を洗うことや、自室の掃除をするくらいなら許してもらえたのだが、「無理をするなと」言って色々世話を焼いて貰った。当初は、彼を引きとめることを目的としてこんな事を言い出したので、若干の申し訳なさを感じていた。だがクマさんはとても大切な責務だというように、生真面目に世話を焼いてくれるので止めるきっかけを失っている。
「…クマさんは、出汁という概念を覚えたほうがいいと思います」
「…以後気をつけよう」
目の前に出されたのは、此処しばらくずっと用意されている料理だった。最初は、ただ焼いて塩胡椒を掛けただけの料理も、美味しいと食べていた。クマさんらしく肉中心の料理だったが、野菜を少し添えてくれるし、収納庫には魚もお米もあるから大丈夫だと思っていたのだ。
しかし、これはあまりに酷くないだろうか?私が多めに作った黒パンも食べ飽きたし、油気の多い物も飽きてしまった。
「今日のお昼は、ハニートーストにしませんか?」
私が教えますからと言葉を続けると、彼は目を光らせて「蜂蜜を使うのか?」と聞いてきた。確かに、彼の手料理では蜂蜜を使っている様子はなかった。これまで、好きだと言ってもあまり蜂蜜を食べる機会がなかったらしいクマさんは、嬉々として私の料理を褒めてくれた。
いざ蜂蜜を使おうと意識すれば、砂糖の代わりに使えばコクが出て美味しくなるので、私としては料理に使うことに戸惑いがなかった。ただ、蜂蜜によっては癖が強い物もあるので、好んで使うのは澄んだ色の物が多い。黒っぽい色の蜂蜜になると、香りが強かったりする事もあるのでそれは混ぜるよりも、そのままパンにかけたりした方が美味しい。
「はい、ではまずは食パンを用意しましょう」
その言葉を聞いたあと「ちょっと待っててくれっ」と言って、いそいそと材料を取りに部屋を出て行った。もちろん、パンのほかにもいくつか持ってきてもらう。
簡単な調味料だけなら台所にもあるのだけれど、かさばる物などは収納庫に入れてある。
「まず厚切りの食パンに少し切れ目を入れましょう。
その後にパンが焦げ付かない程度、カリカリになるように焼きましょう」
「焦がさないようにするのは、ちょっと難しいな」
「えぇそうかもしれませんが、美味しい蜂蜜を味わうためです」
「…頑張ろう」
嗚呼は言ったが、彼にはほかにやって欲しい作業がある為、途中で焼く作業は私が代わりにやることにした。クマさんに止められそうになったが、「これ位は大丈夫です」と言って、次の作業をお願いした。
「さぁではこの間に、付け合わせにする魚の揚げ物を作りましょう!」
「えっ、パンだけではだめなのか?」
「駄目ですよ。
クマさんが普段食べる量を考えたら、パンだけで足りる訳ないですし」
彼を満足させられるだけのパンの量を考えたら、恐ろしい事になる。今の状態では容易に街に買い出しに行く事も出来ないし、彼のお腹を満たすことを少しでも考えなければ。
「まずは、この前クマさんに頂いた魚を三枚におろして、食べやすい大きさに切って下さい」
「分かった」
一応、彼の隣りを陣取って五月蠅く指示を出そうと考えていたのだが、彼は意外な所で器用な一面を見せる。容易に魚をおろすと、次の段階である水気を取る作業にもう移っている。
「…上手いですね」
「昔はよく家の手伝いをしていたから、自然に覚えたんだ。―――君の反応は悪かったが、野外訓練などで作る俺の料理は評判が良かったんだぞ?」
そういうと、彼はどんどん私の指示に従ってテキパキと動いて行く。下味をつけた魚に片栗粉をつけ、慣れた様子で魚を揚げた。胡麻ペーストのタレを良く混ぜてもらったら出来上がりだ。冷めて硬くならないうちに、食べることにしよう。
「これでいいかな?」
「えぇ、パンの方もよさそうです。
こちらは最後に、スプーンひと掬い程度のバターを載せて、蜂蜜をかければ出来上がりです」
きっとクマさんに任せたのでは蜂蜜をかけ過ぎてしまうと思って、私がかけてからパンを渡した。一瞬もの言いたそうな顔をしたが、これ以上彼に蜂蜜を渡す気はない。
「物足りなかったら、他のパンを用意しますね」
「…有難う、美味しいよ」
パンに蜂蜜を絡め、美味しそうに食べている彼にほっとする。イルザには『いくら蜂蜜が他の物より太りにくいからと言っても、甘い物を取り過ぎだ』と言われたが、彼の嬉しそうな表情を見ているとつい食べさせてあげたくなるのだ。その証拠に、魚にかけたタレも蜂蜜が少しだけ入っている。
「あっ、魚もちゃんと揚がっていて美味しいですよ」
「うん、君の教えてくれた通りに出来たようだ」
ただしイルザの忠告を真摯に受け止め、お茶は紅茶中心から緑茶に変更した。
紅茶はストレートで飲めば問題ないのだが、クマさんはどうしても蜂蜜を入れたがる。今日の食事には合わなかったから紅茶にしたが、彼と一緒のメニューをとっていたら、私の方が先に太ってしまいそうだ。
仮にも彼の素性は分かった事だし、わざわざ動けないほど太らせる必要はなくなったと信じたい。
どうせなら、凶器になりそうな爪でも切らせてしまおうか…。
「……クマさんの爪、家事をするのには向いていませんよね」
「……?嗚呼、確かにそうかもしれないな。森で暮らす時間が長いと、早々爪など伸びなかったから失念していた」
どうして突然そんな話を持ち出したのか分からないと言った表情をしているが、私にとっては結構大切なことだったりする。今日を機に品数を増やしてもらえるのならば、そろそろ生野菜なども食べたい。
折角、家の周囲では少ないとはいえ野菜を育てているのだし、生で味わっても十分なほどの質を保っているのだから利用しない手はないだろう。生ものを扱うシェフの手が、不潔と言うのは勘弁してほしい。
私の母は材料などにもこだわる人で、生前に独自の調合で肥料を作り出してしまった。その肥料を使い、良く手入れを施した土で作った野菜は、生で食べてもかなり美味しい。まだまだ品種などについての研究をされていないこのアリアルト王国では、生のままで食べる事の出来る野菜は限られている。
大体、渋かったり癖が強すぎたりして、「調理した方が美味しい」という意見が国民の共通した意見だ。
裕福な他国では、随分と品種改良なども進んでいるようだが、この国にそんな余裕などない。大した名産などもなく、あるとしたら広大な自然だけだ。
他国との関係も何とかバランスを保っている様子なので、過大評価ではなく、本当に副隊長であったベルンハルトさんは重要な人だったのだ。
戦いの最前線にいつも出るのはベルンハルトさんで、おもな指揮は彼がとっていたと言っても過言ではないらしい。本来、戦いの指揮を執るのは隊長の役目であり、副隊長はそれを補佐する役目のはずだ。
そして、交渉事や肝心要となる部分では隊長が出陣するものであるはずだ。
それなのに、大した実力も人望もない現在の隊長はそれが出来ないため、副隊長のベルンハルトさんの不在に此処まで皆が危惧しているのだ。
何故そんな人間が隊長に慣れたのかと、国民の大半が疑問に思っている。
なかには「昔に怪我をした為、大切な場面でしか出てこないのだ」という噂もあるし、「金に物を言わせてその座を得た」と言われたりもしている。
けれど、アリアルト騎士団内で隊長に対して反抗する動きもないと言うし、それなりに実力はあるのだろうと言う考えに集約されている。
「―――どうして」
「………?」
思わずこぼれてしまった言葉に苦笑し、不思議そうなクマさんには「何でもない」と返す。きっと鍛練などに励んでいた騎士隊時代は、爪を切る機会も少なかったのかもしれない。手をよく使っていたら自然と日常生活でも磨かれていくものだし。
ふとした拍子に、どうしてこの人は必要とされている場所があるにもかかわらず、こんな場所で小娘の世話を焼いているのかと考えてしまう事がある。
自分が引き留めておきながら、言う事ではないと思うけれど…。何処か後ろ向きな彼をこのまま一人にしておくのならば、多少情けないきっかけかもしれないけれど、ゆっくり心を休めてくれればいいと思う。また再び前を見て戦えるほど、此処で力を養ってくれればいい。
―――彼が前を向く為の手伝いなら、喜んでするから。だから今は、
「…あとで、爪切り貸しますね」
「有難う」
少しでも彼が望むような、穏やかな日々を。
クマさんはそんな私の気持ちに応える様に、わずかに笑みを浮かべた。




