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後編<1>

 清めと護りの法に、反閇へんばい――兎歩うほ――というものがある。北斗七星の形や八卦の意味を込めた歩行呪術だ。

たまきは、翌日から学校の帰りに太一のマンションに寄り、これを体得しようと試みた。

マンションもろともバリアを張ってやるっ! との強き誓願のもとに、毎日元気に通ってくる。

昔のように酒を酌み交わせないのがつまらんとは、二人の共通の言葉だった。



 「たまきお姉さま」

校門を出かかったところで呼び止められ、たまきは振り向いた。

長い黒髪の女の子が小さな包みを持って立っていた。

一年生のバッジが制服の襟にとめてある。

「なにかな?」

優しく訊くと、少女は持っていた包みを両手で差し出した。

「あの、これっ、よろしかったら召し上がって下さい…っ」

「……ありがとう。そなた、名はなんと言うのだ?」

「はいっ、若月綾子と申しますっ!」

「そうか。ありがたく頂戴する、綾子殿。気をつけて帰られよ」

にっこり笑うと、少女は頬を染め、

「はいっ! ありがとうございますっ! あの、お姉さま」

「ん?」

「今、あの……大学生の方とお付き合いしていると聞きました……。とても、素敵な方ですとか。あの、私、お姉さまとその方がお幸せになるよう応援しておりますっ!」

もう見ているこっちが恥ずかしくなるくらい真っ赤になりながら言うと、深く一礼して走り去ってしまった。

その場にぽつねんと残されたたまきは怪訝に呟いた。

「大学生とお付き合い……? 晴明のことか? ……お幸せにとはどういう意味だ?」


 その後、太一のマンションへ行ってこの一件を話して聞かせると、青年は大ウケにウケてしばらく笑いが止まらなかった。


 今日もまた夜が更けていく。

新宿のオフィスビルの明かりもほとんど消えて、空は地上のネオンの反射でぼんやりと明るいのみ。

キッチンから声がかかる。

「博雅、今日はもう遅い。泊まっていくか?」

「おう。すまん。そうさせてもらう。あ、電話貸してくれ。一応家に連絡しておかねば、母上が心配しよう。一応女子高生だしな」

その言葉にぶーっ! という吹き出す音と、次いで朗らかな大爆笑(?)がおこった。

おい、晴明! とたまきが憮然とした声をあげる。

ダイニングにひょこっと顔を見せた青年は、くすくす笑って詫びた。

「すまん。忘れていた。つい、昔のように思ってしまってな」

「まあ、俺もそうだが……。………なあ、晴明」

「ん?」

「その…こないだは、怒鳴って悪かったな。考えたんだが……あの時、お前わざとあんなことを言ったんだろう? 俺がこの霊力を持て余していると言ったから……」

「……」

「結果的に、今はそうでもないと思っておるよ。俺が術や霊力そのものを磨けばその分効果的に使えるわけだしな。感謝している」

黙っていた太一は、軽く肩をすくめてみせ、にやりと笑って言った。

「礼は式神のひとつも使えるようになってから言ってくれ」

「…………。そうだな」

たまきもまた、にやりと笑い返すと受話器をあげた。



 ここのところの娘の別人ぶりに、家の者は非常に心配し、否、当惑し、今夜の外泊の許可を得るのも一苦労だった。

確かに、今まで可愛らしく「お父さん」「お母さん」と呼んでいたものが、ある日いきなり「父上」「母上」などとドスの効いた声で呼ばれれば何事かと思うだろう。

気の毒というよりほかない。

 


「あ、そうだ、渡すものがあるのだ」

「 ? 」

たまきの鞄の中から出てきたのは、可愛らしくラッピングされた数々の小さな包みや小箱。手紙までが出てきて、青年があっけにとられ、

「……このかわいらしいラッピングの数々はなんだ……?」

そう訊けば、少女はあっけらかんとして言ったものだ。

「ああ、それな。最近、何故だかよく下級生にもらうのだ。さっき話した子がくれたのは、その青い包み紙のやつだ。食べてもいいぞ。みんななかなか料理上手だ」

「ふうん……」

なんか違うと彼は思ったが、口には出さなかった。

しばらく鞄をゴソゴソやっていた少女は、ようやく目的のものを取り出して、ほい、と太一に手渡した。

小さな、守り袋のようだった。

「今の俺にはこれしかできん。呪符もまともには扱えん。だけど、霊力を込めて書くことはできる」

それは、十センチ四方の白い和紙に、俗に言う”セーマン”が描かれたものであった。

かつて、彼自身が使っていた護符。

友の思いに、はからずも胸をつかれる。

「博雅……」

「なに、かつては俺もお前の護符にまもられたのだ。今の俺が描いて役に立つなら、何枚でも描くさ」

「ありがとう」

太一は護符を両手で包み込んだ。

その日も反閇の法は遅くまで続いたのだった。




 闇だ。

漆黒の闇。墨で塗りつぶしたように、どこまでも黒い空間がとりまいている。

彼女…否、彼はこの色を知っていた。かつて闇とよばれた本来の色を……。今自分をとりまいているこの闇はまさにそれであった。

 闇から、さまざまなモノが生まれた。

鬼と呼ばれたり、妖怪とよばれたものたち。当然、光からも生まれたものは限りなく存在する。だから、人は本能的に闇に恐怖する。

人の心の鬼が形になる、唯一の、その色を。

 だが、彼は恐怖にとらわれることはなかった。

それこそ、あの闇夜に聳え立つ羅城門へ玄象という琵琶を求め、単身行った男だ。豪胆さは、ひとの倍はあるのだろう。

あのときは、こんな霊力などこれっぽっちもなかったのだ。ただ、楽が好きだった。

そして、安倍晴明が親友だった。

今は自分に霊力がある。

博雅はふと思った。

――人の魂というのは、いったいどれほどのものを秘めているのだろう、と。

奇しくも友人が言った、生きている人の魂ほど強く、美しいものはないのだという言葉。自分にも親友にも、また、誰にでも魂の中に秘め伏された力があるのだ。

昔、楽を嗜んだからといって、今、藤原たまきが無理にすることもない。今の自分が出せている最大限でいい。そうであればこそ、今世に生きる価値も楽しみもあろうというものだ。

そう、ぼんやりと思ったとき。

『……殿……』

『みな……さどの……』

(――ん? 誰だ?)

『源博雅殿』

(おっ!)

ぼうっと、闇に浮かんだ白い炎。それが、ゆっくりと人の形へと変わった。

白い衣を着た老僧が、彼へ深々と一礼した。

『お初にお目にかかる。わしは慈眼と申す』

(…………)

『ちと、お頼みしたき義があり参った次第…。お聞き入れ下されようか、源殿?』

面妖な坊さんが現れたものだと、彼は慎重に言葉を選んだ。

(それは……内容を聞いてみねば、いかんとも言いがたいが、老師……?)

『おう。いかにも。いかにもじゃよ源殿』

老僧はからからと笑った。

まったく、面妖も面妖。面妖すぎる。この慈眼という僧、なんとなく、覚えがあるような、ないような……。

博雅の記憶だけでは、まったく思い当たらない名前であった。

当然である。

『実はの、源殿。源殿も感じたであろうが、上野のことじゃて』

(うっ……。また上野か)

うんざりとして、上を仰ぐ。



『城の護りとして結界を――桜のことじゃが、張っておいたんじゃが、どうも最近、妙なモノが出入りしおりましての。日に日に強うなる。わしが見たトコ、結界の一つが破れたらしゅうて……あの寺に居る者も、いまーだに気がついとらんですじゃ。――で、しょうことなし、関係のない源殿にお願いに参ったという次第ですじゃ』

博雅は腕組みしてうーん、と唸った。

結界だの、妙なものだの、こういうことは晴明に頼んでほしいものだ。

そして、はた、と思い至る。

(老師、ちと尋ねたいが)

『なんなりと』

(江戸は風水で開拓したと聞いたのだが)

『いかにも。時の権力者を栄えさせるために。江戸という土地はまあ、人間が住むにはヒドイ土地で……。川が暴れてびちょびちょだわ、すぐ水に浸かるわ、やっとこさ水が引いたかと思えば草ぼうぼうだわで、そらあ、たいへんな土地じゃったです』

(ほう)

『んで、しょうことなし、利根川をあっちのほうへ流してやって、川を分散させて城を”くるわ”にしたと……』

(ふむふむ)

『それから丑寅うしとらの方へ言霊の法によって寺を置きましてな。未申の方に神社を持ってきて、押さえられている、というとこですかの』

(ほう、すごいな)

『……ですが、一つ落とし穴がありましてな』

(落とし穴……?)

首を傾げる博雅に、慈眼は深く頷いた。

『人の心というものの確固たる存在の、不確定要素のことですじゃ』

(???????)

『それもこれも、艮であるが故じゃて……』

(???????)



―――老僧によればこうであった。

寺社で大晦日に、艮の方角へ向かって読経、祈りがささげられるのは、「うしとら」という方位が十二支でいえば、丑寅――丑は十二月、寅は一月を示し「艮」は丁度その継ぎ目にあたる。つまり、終わりと始まりの瞬間といえば、わかりやすかろうか。

仏教では、釈迦の成道がこの刻限であり、また、三世諸仏の成道の刻限でもある。山海経(中国古代の神話・地理書)では、鬼が集まるというので、「鬼門」と呼ばれるようになったらしい。その中国で忌み嫌われる方角・時としての「鬼門」という言葉は後に仏教に取り入れられたようだ。

 なるほど、考えてみれば鬼の通り道にしては、家々の東北――つまり鬼門にあたるところは、必ず清潔に保たれ、家の隅にあたる場合には、大概、上水道の水道栓が設置されている。

また、対角線上にある未申の方角もまた、植物を植えるなどして垣根をつくったりもしている。

鬼の道が美しく保たれている、というのが博雅あたりの感覚では不釣合いに思われるのだが、それは本来の丑寅の意味が、後から入ってきた「鬼門」という名の中にちゃんと残っているからであろう。



 ともかく、艮を特別意識するのは、そういう土台があったからである。

本来、神聖な場に妖気が沈滞しているというのは、やはり、ただごとではないのだ。

(うーん)

気にかかるのは、魑魅魍魎を内包してしまう器を持つ晴明にこれを相談すべきかどうかだ。相談すれば、必ず一緒に来るだろう。

己が護りもどこまで効くものか見当もつかない。

博雅にはこれがいちばん恐ろしいのだ。

(これは、やはり……一人でやるしかなかろう……)

博雅は腹を決めた。

(なんとかしてみよう)

『おお! よしなに! よしなに、な、源殿』

老僧は嬉しそうに手を打ち、頭を下げてふわりと消えた。






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