前編<2>
上野・寛永寺は江戸城の東北…より、ややずれた位置にある。
江戸時代、そこは天海僧正が江戸の護りとして、東叡山として移したものといわれる。もともと、艮の護りは神田明神であったらしい。
「その裏鬼門には永田町にある山王日枝神社を置いて、江戸の風水を京都と同じようにしたらしいな」
上野公園を歩きながら、太一は、たまきにもわかるよう簡単に説明していく。
春休みの日曜日とあってか、まだ三部咲きの桜を眺めながらデートしている高校生や、親子連れがあちこちに見える。
一週間前、二人は千二百年ぶりに再会した。博雅は霊力を持って女として生まれ、晴明は霊力を持たず生まれた。
太一はたまきがその力に翻弄されぬよう、彼の知る知識を教授することにし、まずは、たまきが鬼を見るという上野に出かけてきたのだった。
話のオドロオドロしたのを除けば、デート中の美男美女カップルに見える。尤も、本人たちにはまったくその気は無さそうだが。
「天海っていや、あの怪物といわれた坊さんのことだろう?ホントかウソか知らんが明智光秀だとも言われてるそうじゃないか」
「ははは。明智説は俺にはなんとも言えんな。そういう意味もひっくるめて怪物と言われたんだろうが……。それだけではあるまいよ」
「それはそうだろうな。陰陽五行を自在にしたそうじゃないか、お前のように」
「……」
「なあ、晴明。面白いもんだな。魔除けとか祓いとかいった樹は桃だったのにな。なんで、桜になったんだろうな……」
たまきが言うのは桜の浄化作用のことだった。
「いや、博雅。桃は魔除けや厄祓いの樹だぞ。桜の浄化は、桜花の咲き方に由来するんだろうよ。」
太一の言葉に、ちょっと考える。咲き方、というよりは色のつき方が独特ではなかったか。
「樹の幹から色がつくられることか?」
「ああ。地下から桜色が幹を通り、末端の枝先に咲く花まで色を届けるのにどのくらいのエネルギーを使うんだろうな。その生命力に人は心を掴まれるのだろうよ」
太一は、桜を見上げ呟く。
「だけどな、博雅。忘れるな。生きている人間のエネルギーや、その力ほど強く美しいものはないのだ。まして、その中心にある”思い”がどれほどのものか、気づかぬ者のなんと多いことか……。
心気の方向は人の人生の方向だ。……知っているか? 人の脳はな、自分の可能性や希望を信じなくなったとき、あるいは、自分からあきらめたときに”滅び”のスイッチが入るんだそうだ」
「滅びのスイッチ?」
「簡単に言えば、その人間の血が途絶えていくということさ」
たまきは唸って腕組みをし、しばらく考えこんでいた。そして、ひとつ頷く。
「わかる気がする。地球という星の鼓動と、その上に生きる者の鼓動が重なるように、”生きる”という方向性がないものは排除されてしまうんだな…けど、それではあまりに可哀想だ……」
「――そうだな。しかし、人もまた何があっても、生きていかなくてはならんということかもしれん。強くなるためにな」
「強くなるためにか」
「強くなるためにだ」
しばらく、二人は思い思いの思索に浸りながら、ゆったりと歩いていた。
が、やにわに、たまきが小さく声を発してへたりこんでしまった。
「博雅! どうした?」
東京国立博物館を目前に、その先には徳川家の墓地があり、左手方向に寛永寺があるのだが……。
たまきの顔は蒼白になり小さく震えていた。
「晴明…何ともないか……? このあたり一帯の妖気を感じないか……?」
たまきの言葉に、青年は小首を傾げ何かを聞き取るような仕草でじっとしていたが、
「いや。多少寒気がするくらいだ。とにかく、今日は一旦帰ろう」
そう言ってたまきを立たせ、かばうように支えると急いでその場から立ち去った。
太一のマンションに戻った二人は、紅茶を前に、しばらく無言だった。
夕闇がせまり、遠くのビルの明かりが宙に浮かんでいるように見える。
「何故、お前がこの力を持って生まれなかったんだろうな……。お前なら、きっと昔のように自在に操るだろうに……」
たまきがぽつんと呟いた。
「重荷か、博雅?」
「――正直言うとな。持て余しておるよ。すべてが半透明に見えてくるようで怖くなる」
苦笑して、溜息と共に呟いたたまきに、太一はふわりと微笑した。
「……博雅、実を言うとな、あの雑誌の少女が俺の再誕なぞと言われて有頂天になっていたなら、檄を飛ばしてやろうと思うていた。しかし、その必要はなかった。俺としてはそれがお前で良かったと思うておるよ」
「――? 何故だ???」
「ふふっ。それはな、お前が博雅だからさ」
「わからんぞ。どういう意味だ????」
笑って答えない太一は、別のことを話し出した。
「……俺は土御門家の遠縁にあたる安倍家に生まれ、太一という名をつけられた」
「太一とは北極星の意味だったか?」
「そのとうり。……俺が今霊力を持っていないのは言うたな? にもかかわらず、厄介なことにな、憑かれ易い……というか、内包してしまう器を持っているのだ……今のお前にとって俺は諸刃の剣なのだよ」
白い、整った太一の顔を凝視して、しばらく絶句していたたまきは、かすれる声で訊いた
―――お前は、お前自身を護る術を何一つ持ってはいないのか、と―――。
青年の頷きに少女の相貌は更に白くなった。
「もし……憑かれたらどうなるのだ……?」
「さあ……? 死ぬまで鬼か蛇か」
「祓いはどうだ?」
「俺の意識が残っている間ならば、祓いもできよう。どうかな。やったことないからどうとも言えんな。これだけ覚えていてくれ。俺の器というのはな、ブラックホールみたいなシロモノなのだ。だから……もしも憑かれたら、お前が俺を楽にしてくれ」
「ど、どういう意味だ……」
「俺が狂ったなら、お前が俺を殺してくれ」
まっすぐな目が少女を捉えている。
青ざめ、ふるふると震えていた少女は一気に爆発した。
「できんっ!」
怒りが陽炎のように少女の体から噴き上げている。
悲しみと、切なさと、いろんなものがないまぜって、まるで、それがたまきの持つ”色”であるかのように輝いて――。
「俺にはお前を殺すなど、絶対にできん!! さっき、お前が言ったのだぞ、人は何があっても生きていかねばならんと、強くなるために生きるのだと、そう言ったのはお前ではないかっ! それは……もし、もしもだ、万万が一、お前が何かに憑かれ苦しんでいるのなら、この博雅がお前を楽にしてやる! しかしだ! 何の策も講じておらん今から、そんな約束はできん!」
仁王立ちの少女を見上げ、青年はしばらく黙っていた。
たまきは、今日あのままあそこを進んでいたら、この男はどうなっていたのか――そう思うと冷水を浴びたような心地がする。
冗談ではない。
あのときの妖気ときたら、とてつもなく強く禍々しいものだったのだ。
太一が何か言おうと口を開きかけたが、それは少女の強い口調に遮られた。
「どうすればいいのだ?」
「 ? 」
「お前を護る呪なり、法なりないのか?」
苦笑する青年を真っ直ぐ睨みつけ、たまきは厳然と言い放った。
「霊力があろうとなかろうと、お前は晴明だ」
「うん」
「では、この博雅が何とかするしかないではないか!」
また、しばらくの沈黙の後、太一は今度こそ破顔した。
やっぱり博雅だ、と呟いて――。