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偽りの聖女と、悪役令嬢の最後の微笑み

作者: たっくん
掲載日:2026/05/11

王城の大広間は、祝宴ではなく断罪の熱気に包まれていた。


「リシェル・フォン・アルヴェイン! お前との婚約を、ここに破棄する!」


 王太子アレクシスの怒声が響く。


 貴族達がざわめき、民衆は歓声を上げた。


 その中央で、銀髪の令嬢――リシェルは静かに目を伏せていた。


「お前は聖女エレナに嫉妬し、数々の嫌がらせを行った。さらには彼女の祈りの儀式を妨害し、国を危険に晒した!」


「……」


「何か言い訳はあるか!」


 叫ぶ王太子の隣で、白い法衣に包まれた聖女エレナが悲しげに首を振る。


「アレクシス様……もう、よろしいのです。きっとリシェル様も苦しかったのですから……」


 その姿に、会場から感嘆の声が漏れた。


「なんとお優しい……」

「やはり真の聖女だ……」


 一方でリシェルへ向けられるのは、軽蔑の視線ばかり。


 悪役令嬢。

 傲慢な女。

 聖女を虐げた最低の女。


 誰もがそう信じていた。


 けれど。


「……言い訳、ですか」


 リシェルはゆっくり顔を上げた。


 その瞳は、不思議なほど穏やかだった。


「ございませんわ」


「なっ……!」


 あまりにもあっさり認めたことで、逆にアレクシスが言葉を詰まらせる。


「……では認めるのだな!」


「ええ」


 会場がどよめく。


 だがリシェルは続けた。


「ですが、一つだけ訂正を」


 静かな声だった。


 なのに、なぜか全員が息を呑む。


「私は、一度たりともエレナ様を憎んだことはございません」


「白々しい!」


 怒鳴ったのは側近の侯爵子息だった。


「貴様は聖女様の祈りの場を荒らしただろう!」


「ええ。止めました」


「ほら見ろ!」


「――死んでしまわれますもの」


 空気が凍った。


「……え?」


 エレナの肩がびくりと震える。


 リシェルは彼女を見つめた。


「奇跡を起こすたびに、命を削られていたのでしょう?」


「っ……!」


 エレナの顔色が変わる。


 アレクシスが困惑したように彼女を見る。


「エレナ……? どういうことだ?」


「ち、違います……!」


 だがその声は、明らかに震えていた。


 リシェルは静かに目を細める。


「最初に倒れたのは、一年前の大干ばつ。二度目は疫病。そして三度目は北方の魔獣災害……違いますか?」


「やめて……!」


「聖女の奇跡は万能ではない。生命力を燃やして発動する禁術。だから私は止めていたのです」


 ざわり、と会場が揺れた。


 貴族達の視線が、一斉にエレナへ向く。


「う、嘘です……!」

「聖女様……?」


 エレナは唇を震わせた。


「だって……だって皆が望むから……!」


 ぽろり、と涙が落ちる。


「聖女なら救えるって……! 私が祈れば皆が笑顔になるって……!」


 王国は彼女を神格化した。


 誰も彼女自身を見なかった。


 “聖女”という偶像だけを求めた。


「だから私は……!」


「だから、あなたを悪者にした」


 リシェルが静かに言う。


「……!」


「私があなたを妨害しているように見せれば、あなたは祈らなくて済む日ができると思ったのです」


 誰も言葉を発せなかった。


 アレクシスだけが、呆然と立ち尽くしている。


「……そんな……」


 彼は思い返していた。


 いつもリシェルは、エレナの儀式の日にだけ現れていた。


 冷たい言葉を吐き。

 無理やり退出させ。

 時には怒鳴ってでも止めていた。


 最低な女だと思っていた。


 だが。


 あれは。


 全部。


「……守って、いたのか……?」


「今さらですわ」


 リシェルは小さく笑った。


 その笑みに、アレクシスの胸が強く痛む。


 昔、彼女はよく笑っていた。


 花畑で。

 紅茶を飲みながら。

 くだらない話をして。


 だがいつからだろう。


 自分は“聖女”ばかりを見るようになった。


「リシェル……私は……」


「ですが、もう終わりです」


 彼女は遮った。


「……え?」


「わたくしも、疲れてしまいました」


 その言葉は、妙に静かだった。


 そして。


 ふらり、と。


 リシェルの身体が揺れた。


「リシェル!?」


 アレクシスが駆け寄る。


 白い手袋に、赤い雫が落ちた。


「血……!?」


 リシェルの口元から、鮮血が流れていた。


 会場が悲鳴に包まれる。


「な、なぜ……!」


「……代償、ですわ」


 彼女は苦しそうに微笑む。


「本来、聖女一人では足りませんでしたから」


「……何を言っている」


「奇跡の負荷を、わたくしが肩代わりしておりましたの」


 その瞬間。


 エレナが崩れ落ちた。


「ごめんなさい……!」


 泣き叫ぶ。


「私一人じゃ耐えられなかった……! リシェル様が魔力を分けてくださってたの……!」


 静寂。


 絶望のような沈黙。


 アレクシスの顔から血の気が引いていく。


「……そんな……」


 自分は。


 命を削って国を守っていた婚約者を。


 断罪したのか。


「医者を呼べ!! 今すぐ!!」


 叫ぶ。


 だがリシェルは、ゆっくり首を横に振った。


「もう……遅いのです」


「黙れ! 死ぬな!!」


 初めてだった。


 王太子ではなく、一人の男として取り乱した。


 リシェルは少しだけ目を見開き――そして、ふっと微笑む。


 とても。


 とても穏やかに。


「……その顔を、最後に見られて……よかった」


「やめろ……」


「アレクシス様」


 昔のような呼び方だった。


「あなたは、優しい方です」


「違う……!」


「だから、どうか……」


 彼女の身体から、力が抜けていく。


「今度こそ、大切なものを……見失わないで――」


 その手が、落ちた。


 王城に。


 誰かの嗚咽だけが響いていた。


リシェル・フォン・アルヴェインの死から、一年が経った。


 王都の冬は静かだった。


 かつて“聖女”を称える歓声で満ちていた広場も、今ではどこか重たい空気に包まれている。


 王太子アレクシスは、執務室の窓から雪を眺めていた。


「……また、ここか」


 側近が困ったように息を吐く。


 机の上には、山のような書類。


 だがアレクシスは、それらに一切目を通していなかった。


 視線の先にあるのは、一輪の白い花。


 リシェルが好きだった花だった。


「殿下。そろそろ公務へ」


「……ああ」


 返事はした。


 だが立ち上がれない。


 あの日以来。


 彼はずっと、“最後の笑顔”に囚われていた。


『その顔を、最後に見られてよかった』


 なぜ。


 どうして。


 彼女は最後まで、自分を責めなかったのか。


 むしろ救うように笑った。


 その優しさが、何より苦しかった。


「……私は、愚かだった」


 ぽつりと呟く。


 側近は何も答えない。


 もう誰も、否定できなかった。


 リシェルの死後、真実は次々と明らかになった。


 干ばつを止めた奇跡。

 疫病を抑えた結界。

 北方の魔獣災害。


 そのすべてに、リシェルの魔力供給記録が残されていた。


 しかも匿名で。


 彼女は功績を一切語らなかった。


 ただ国を守り。


 聖女を守り。


 そして“悪役令嬢”として死んだ。


 民衆は手のひらを返した。


『本当の聖女だった』

『なぜ処刑した』

『王家は彼女を殺した』


 王城には毎日のように抗議文が届いた。


 そして。


 最も壊れたのは、エレナだった。


「……お食事を、また残されたそうです」


 側近が小さく言う。


「そうか」


 聖女エレナは、今や祈りを行えなくなっていた。


 いや。


 正確には、祈れない。


 奇跡を起こそうとするたび、思い出すのだ。


 自分の代わりに命を削っていた少女を。


『私は、一度たりともエレナ様を憎んだことはございません』


 その言葉を。


 エレナは毎晩、泣きながら思い出していた。


「……殿下」


「なんだ」


「本日は、命日です」


 アレクシスの指先が止まる。


「墓前へ向かわれますか」


「……当然だ」


 彼は立ち上がった。


 白い外套を羽織り、雪の降る外へ出る。


 城外れの丘。


 そこには、小さな墓があった。


 豪華な霊廟ではない。


 リシェル自身が生前望んでいた、“静かな場所”。


 墓石の前には、すでに花が置かれていた。


 民衆だろう。


 今でも毎日のように誰かが訪れる。


 アレクシスは膝をついた。


「……リシェル」


 返事はない。


 当たり前だ。


 もう、彼女はいない。


「私は結局……最後まで、お前に何も返せなかった」


 雪が肩に積もる。


「お前は私を守っていたのに……私は、お前を信じなかった」


 声が震える。


「……会いたい」


 情けない言葉だった。


 王太子としてではない。


 一人の男としての後悔。


「もう一度だけでいい。謝りたい……」


 その時だった。


「でしたら、生きているうちに謝るべきでしたね」


 静かな声がした。


 アレクシスの目が見開かれる。


 振り返る。


 そこに立っていたのは――


 銀髪の女性だった。


「……え……?」


 息が止まる。


 白いマフラー。

 見慣れた青い瞳。

 静かな微笑み。


「リ……シェル……?」


「お久しぶりです、アレクシス様」


 彼は立ち上がろうとして、雪に足を取られた。


「な、ぜ……」


「生きていますわ」


 あまりにも普通に言う。


「処刑されたはずじゃ……」


「されておりません」


「だ、だが!」


「あの後、辺境へ運ばれましたの。医師達が必死に治療してくださいました」


 アレクシスは言葉を失った。


「……夢、ではないのか」


「夢ではありません」


 リシェルは少し困ったように笑う。


 その笑顔は、一年前より柔らかかった。


「本当は、このまま姿を見せないつもりでした」


「……なら、なぜ」


「エレナ様に頼まれたのです」


「エレナが?」


「『あの人は、一生自分を許さないから』と」


 アレクシスは顔を歪めた。


「許されるはずがない……!」


「そうでしょうか」


「私はお前を……!」


「ですが」


 リシェルは静かに遮る。


「私は、あなたを恨んでおりません」


 まただ。


 また彼女は。


 責めない。


「どうしてだ……!」


 アレクシスの声が震える。


「どうして、お前はそんな顔で笑えるんだ!」


 リシェルは少しだけ空を見上げた。


 白い雪が舞う。


「……疲れていたのです」


「……」


「誰かに必要とされ続けることも。期待され続けることも」


 彼女は小さく息を吐く。


「だから今は、少し自由になれて……案外、悪くありませんの」


 その表情は穏やかだった。


 王都にいた頃より。


 ずっと。


「……戻ってきては、くれないのか」


 絞り出すような声。


 リシェルは少しだけ目を伏せた。


「申し訳ありません」


 優しい断りだった。


「私はもう、“悪役令嬢”でも、“公爵令嬢”でもなく、一人の人間として生きてみたいのです」


 アレクシスは何も言えなかった。


 引き止める資格がない。


 それくらい、わかっていた。


「……そうか」


「はい」


 沈黙。


 雪だけが静かに降っている。


 やがてリシェルは、一歩下がった。


「では、そろそろ」


「……待ってくれ」


 彼女が振り返る。


 アレクシスは深く頭を下げた。


 王太子が。

 未来の王が。


 雪の中で、ただ一人の女性へ。


「……すまなかった」


 長い沈黙の後。


 リシェルは小さく笑った。


「はい」


 それだけだった。


 許すとも。

 許さないとも言わない。


 けれど。


 その微笑みは。


 一年前の“最後の微笑み”より、少しだけ温かかった。

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― 新着の感想 ―
面白い。面白いのですが少し疑問が。 王城の大広間での断罪に貴族がいるのは解るのですが、民衆が何故いるのだろう。 それと、王子に看取られていたのでは? というか、聖女の変わりに生命を削り魔力を与えすぎて…
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