第五部
__あれ、私死ぬのかな?
買い物の帰り道に居眠り運転の車にはねられたカノンは薄れていく意識の中、夜空の赤い月にある人の顔が見えた。
__あの人、私の初恋の人だ。魔法学校に居たときの私の先輩。
体が動かない。
__まだ死ねない。死にたくない。
カノンの意思に反して、意識は少しずつ闇の中へと引きずり込まれていった。
「失礼いたします」
レイと俺は玄関で礼儀の正しそうな女性を出迎えた。彼女は、東洋の島国から来た、『巫女さん』と呼ばれる仕事をしている人らしい。俺にはよく分からないが……
「あー、散らかっているけど上がってくれ」
レイは何時も通りの態度で接している。こいつのこういう所は流石だなと毎回思う。ちょっと口に出しては言えないけど。
「春日野さん。そこらへんの椅子に座ってて。お茶を入れてくる。紅茶でいいか」
出来れば緑茶をいただければ……あと、なるべく椿と下の名前で呼んでいただけませんか。堅苦しいのは苦手ですので」
そう言って椿さんは椅子の上にちょこんと座った。正座で。
「あの、足痛くなりませんか?」
「はい、大丈夫です今までも座るときはいつも正座だったもので……今ではこの座り方以外だとなんだか落ち着かないんですよ」
「へー、そうですか。慣れみたいなものなんでしょうね」
「そうですね。トーマさんもやってみたらどうですか?」
「あ、なら少しだけ……」
俺も椅子に正座した。あれ、意外と痛い。なれない座り方で足に少し違和感を覚える。だめだ、もう足が痺れてきた。
「あの~」
「……」
「あのお~」
「……」
「大丈夫ですか?」
俺の表情の微妙な変化と返事が無いことに不安を覚えたのか、椿さんが心配そうに声をかけてきた。
大丈夫じゃありません。痛いです。ものっすごく。痛すぎて足をくずせません。つまり負の循環。
「おいトーマぁ。茶ぁ入ったから取りに来ーい」
レイが俺を呼んだ。最悪のタイミングで。
「あ、私が行かせていただきます」
俺を気遣ってくれたのか椿さんはレイの声がしたほうに向かった。罪悪感。スミマセン。ありがとうございます。
「なにやらせてんだてめえっ」
とたんレイのドロップキックが顔の右側面に入った。激痛。主に正座の崩れた足に。
「レ、レイさん。トーマさんは正座して足が痺れていて……元はといえば私のせいですし」
「呼ばれたら足が無かろうが死んでいようが這ってでも来なきゃいけねぇんだよ。それが漢だろうが」
無茶言うな。それに俺は男だ。って言うかレイがなんかいつも以上に苛々している気がする。
「はぁ、呆れた。まあいいや。椿さん。いきなりだけど今日呼んだ理由説明していいか」
いきなり本題に入ったな。でも、そういえば俺もレイから聞いていない。何なんだろう。
「ここ最近さ、幽霊の気配がするんだ。というわけで、除霊よろしく」
……またなんか突拍子も無いことを……
「はい。先ほどから気になっていましたが、トーマさんの背中に憑いていますよ」
……えっ?
「な、トーマ。いるだろ。どーせお前はまた『突拍子も無いこと言い出した』なんて思ってたんだろうが」
まあ、確かに。
「それにお前、いま椿さんの言葉を聞くまでは完全に疑ってただろ」
今も疑ってる。信じられない。しかも俺の背中に憑いている?
「悪い霊ではないようですが。すぐ除霊するのもかわいそうなんでまずは皆さんの目に見えるようにして話でも聞いてみましょうか。カノンという名前の子の霊です」
……カノン。どこかで聞いたことあるような。
椿さんは巫女服の袖からよく分からない文字のかかれた札を取り出し、俺のほうへ向けた。先ほどまでの落ち着いた様子からは全く想像もできないほどの殺気を放っている。俺の背後の幽霊にむけられているのは分かるけど、正直怖いです。
椿さんの手で一瞬だけ札が強い光を放った。俺は恐る恐る背後を振りかえる。
……何も居ない。目に見えないままなのだろうか。
「ト、トトトーマ。頭の上……」
上?
首を傾け上を見てみる。白の中にイチゴの模様。その周りをひらひらした服が囲っている。
微妙に。ほんの少しだけど暗い。昼間にカーテンを閉めたような感じ。
理解した。
俺はむんずと頭の上に載っているものを思い切りつかむと、そのまま引き摺り下ろした。
「きゃっ」
小動物のような高めの声。
「いったーい。ひどいよ~」
かわいい女の子が地面にしりもちをつき、目に涙をためてこちらを見ている。その女の子は椿さんの方に目をやると一瞬だけびくっとなった。
「な……なんで椿がココに?」
「なんでも何もないの。あなたが化けて出てきたから退治しに」
「ちょ……」
「あのー……」
レイが二人の間に口を挟む。
「どういうことでしょう?今の会話を聞いていると二人とも知り合いらしいけど、説明していただけませんか?」
「あ、はい。分かりました。えーっとですね、この子はカノンっていいます。私の幼馴染なんですど」
幼馴染か。レイと俺に似たような関係だな。
「私のほうが五つ上で、私たちは魔法学校に通ってたこともあるんですよ」
ますます似たような関係だな。
「先週この子、事故で死んでしまいまして、葬式を挙げたばっかりなんです」
葬式って……ええ?
「化けて出ないか心配していたんですけど、案の定……」
そこはまたあえてうれしいところじゃないのかな。
「で、成仏をしようと思うんだ」
椿さんにこってり説教されたカノンは正座で俺たちのほうを向き直ると泣き目で言った。
「幽霊って、よく言われるみたいに心残りがあって成仏できないのよ。だから協力してあげてね」
椿さんはにっこり笑うと俺とレイのほうを向き直った。
「心残りか。現世に未練が残るくらいのものだろ。いったいなんなんだ」
レイがカノンの前に立ち、慰めるように頭をなでる。
「トーマと……スしたい」
カノンはぼそりとつぶやいた。
「ん、何したいんだ?」
「キスしたい」
はああああああああああああああああああああああああ?
「トーマ私が魔法学校居たときに始めて好きになた人なんだよ。死ぬ前に一回くらいキスした言って思うのは当然でしょ」
何でそうなるんだよ、って言うか、こんな子居たっけな?
「ダメだぁーー」
レイが叫ぶような大声で否定する。俺はどちらにも何も言えない。
「なんでよ?」
カノンが口を尖らせる。
「ダメなものはダメだダメって言ったらダメなんだこれがこの世の真理だあきらめろー」
「なぁーっ」
ぴりぴりする二人の間に椿さんが割って入り込んだ。
「お二人とも大事なこと忘れていませんか?幽霊ですよ。実体がありません。大丈夫です」
「それは大丈夫だもん」
カノンが自信満々に暗くなった空を指差す。
「今夜は満月でしょ。この地には満月の晩にピンク色のウサギが一匹だけ卵を産みに来るの」
ウサギは哺乳類です。
「そのウサギは卵を産むときに痛みに耐えかねて涙を流すのよ」
非常識な。ウミガメじゃあるまいに。
「そのウサギの涙に触れると幽霊は実体化できるって言う伝説が幽霊たちの間ではやってるのをここに来るまでの間に聞いたの」
噂かよ。
「だから、協力してくれれば私は成仏できるの」
椿さんは表情をくずさないがレイはなにか怪訝そうな顔をしている。それはそうだろうな。
椿さんが俺とレイに小さく耳打ちしてきた。
「協力してあげてください。そんなウサギが居ないって事が分かればあきらめて成仏すると思いますから」
「ったく、仕方ねえな」
レイが不満そうに背伸びをする。
「いたーーー!」
黄色い声が上がる。カノンだ。指差す先にはピンクのウサギが店の前で涙を流して卵を産んでいた。
「ほんとにいたんだな……」
俺は呆然とその姿を見つめた。椿さんとレイも驚きを隠せていないらしく、口が開きっぱなしになっている。
ただ一人カノンだけは窓から飛び出してウサギを捕まえると涙に触った。その瞬間、カノンはぼんやりとした光に包まれた。
「わ、わあっ……」
手を二、三度握ると近くに生えていた木に触る。
「うわぁっ」
満面の笑みで俺のほうに向かってきた。
「やったやったやったー。ほんとになれた。キスしてー」
「ちょ待て」
俺はあわててカノンから離れる。
「なんで逃げるのよー」
「なんで追ってくるんだー」
少し離れたところでレイと椿さんがゆっくりお茶を飲んでいた。レイももうすっかり疲れてしまったらしい。
「なあ椿さん。もうほっといていいかな」
「いいんじゃないでしょうか。本人がよければ。あ、あとあなたはいいんですか?」
「もういいよ。疲れた」
「でもあれ……」
椿さんは俺を追うカノンのほうを向き直る。
「男ですよ」
…………は?
「もういいんじゃねえかな」
レイは勝手なことを言っている。よくねえよ。
その瞬間、俺の記憶の中で何かがつながった。
魔法学校で同じ部活の後輩だった男の子のカノンの顔が浮かぶ。
後ろを振り返ると、なんとなく当時の面影が残ったカノンの顔が迫ってくる。
「悪霊たいさーん」
追いかけっこは結局朝まで続いた。疲れた。いろいろな意味で。
「じゃあ私、帰りますね」
椿さんはあくびをしながら店から出て行った。
「お前はいいのか? もう朝だぞ」
レイはカノンに問いかける。
「実体化しちゃったからもう朝になっても消えないし」
笑いながら言うと俺のほうを振るかえる。ということは……。
「キスしてー」
当分消えてくれそうもない。