9:渇仰……強く憧れ慕うこと
「破壊が雑だ。効率も、速度も、何も計算できていない。何より――その立ち振る舞い、ひどく下品だ。今の魔王というのは、この程度のなり損ないでも務まるのか? いや務まらない」
「き、貴様ァァァ。万死ッ! 万死に値する、人間風情がぁぁぁッ!!」
上空のヴォルグが激昂する。その怒りに呼応するように、真紅のドラゴンの全身から黒の炎が噴き出した。大気が熱膨張を起こし、周囲の空気がメラメラと歪む。
「思い知れ、下等生物。我が怒りは天を焼き、我が炎は地を溶かす。街ごと、消し飛ばしてやる」
ヴォルグが両手を掲げる。一点に凝縮される魔力。それは先ほどリナを絶望させた火球の、十倍を優に超える質量。上空の雲は熱波で消え、空が真っ赤に染まっていた。
でかいだけの火球。故に一般人の死は免れられない。
その瞬間、ゼルの脳裏にリナの声が響き渡る。『この街には、まだ逃げ遅れた人がいるのよッ』
彼女の傲慢ながらもその信念を貫き通す儚さ。それはゼルの心を少し混乱させた。
「小娘。この街で避難できていない人の数と、おおよその居場所を言え」
「え、えぇ……。ど、どういうこと、そんなの今すぐには――」
「時間の無駄だな。一人くらい逃しても知らないからな」
ゼルが瞳を閉じる。脳内には街全域の立体マップが構築され、瓦礫の下の生存者の鼓動、泣き叫ぶ子供、震える犬。そして空を埋めるワイバーンたちの殺気。
「バラルガ、後始末の準備をしておけ」
ゼルは大通りにいるバラルガへ伝えた。魔王の血により繊細になっている意思疎通は、瞬時にバラルガに意図を理解させた。
「御意、主。……十秒でしょうか。足りますか?」
「余る」
――刹那。世界の時間は、ゼル・アルヴァルト一人を除いて静止した。
【残り10秒】 ゼルが消えた。一歩目。炎に包まれた民家の中。逃げ遅れた老夫婦の襟を掴み、一瞬で街の外の安全圏へ。
【残り9秒】 二歩目、三歩目。大通りで転倒した馬車の下で泣く幼い少女。その隣の一匹の飼い犬。まとめて街の外へ。
【残り7秒】 移動と同時に、ゼルは空を見上げた。空を埋め尽くすワイバーン。『アドヴァント・カスケート』ゼルの周囲に数千の斬撃が出現する。
【残り5秒】 逃げ遅れた負傷者、合計47名。ゼルは一人、また一人と、瓦礫に挟まった足を切り離すのではなく、瓦礫の座標をズラして引き抜く。
【残り1.5秒】 空を舞っていたワイバーンたちが、一斉に細切れの肉塊へと変わった。
【残り1秒】 ゼルは元の位置へと戻った。乱れた髪を指先で整え、深く息を吐く。
上空から、ワイバーンの緑色の血しぶきが降り注いだ。
「な、な……っ。何が、起こって」
リナは絶句する。彼女の目には、ゼルが一瞬だけブレたようにしか見えなかった。だが、視界の隅で燃えていた民家からは人が消え、聞こえていた悲鳴は消え、空は不自然なほど静かになっている。
「さあ、片付け終わった」
「死ねッ! 塵すら残さず消え去れェェ!」
「逃げて……っ!! アンタでも」
リナの悲鳴のような叫び。だがゼルは動かない。
この程度で逃げる? 父が命をかけて守り、俺が継いだ玉座。それをこんな三流に。
「教育してやる。真の魔王が抱かせる絶望というやつを」
ゼルが右手を、無造作に掲げる。
「『開門』」
火球は巨大な紫の門へ入り、消滅した。
「な、なんだと……」
ヴォルグが目を見開いたその直後。
「は? なぜ、背後に――ッ!?」
自分自身の全力魔法。ヴォルグの背後からゼロ距離で吐き出された。
真紅のドラゴンが絶叫と共に焼き尽くされ、鱗が剥がれ肉が焦げる。ヴォルグは自らの炎に身を焼かれながら、地上へと叩きつけられた。大通りの中央には巨大なクレーターができる。そこに、黒焦げになり、手足が不自然な方向に曲がったヴォルグがいた。
「……」
ゼルはゆっくりとヴォルグを歩み寄り、踏みつけた。
「が、はっ……き、さま……なんだ」
ヴォルグは、憎悪と恐怖が混じり合った視線を向ける。
「Fランク冒険者のゼル。そして実名、ゼル・アルヴァルトだ」
「か……そんな、わけが……。アルヴァルトの血は、数日前、我だけに」
「そうだな。お前が父上の命日と共に逃げ去ったのも、お前がカスだということ俺は知っている。だが、残念ながら、父上の命日の後に生きていたのはお前だけじゃない。この通り俺が生きている」
「死に際にひとつ、教えてやる」
顔を踏みつけていた足に、魔力が少しづつ溜まっていく。
「魔王の席は、既に埋まっている。……分をわきまえろ、癡者が」
リナは膝をついたまま、屋根の上からその光景を凝視していた。
す、すごい。あんな簡単に……。
なぜか――絶対的な暴力に、目が離せないほどの面白さを覚えていた。
「……ふん。父上もなぜこんな出来損ないを四天王に選んだのか。わからない」
ゼルは靴についた汚れを払い、バラルガに向きなおった、
「行くぞ。これ以上騒ぎが大きくなると、宿の主人が逃げ出すかもしれん」
「はっ! 流石でございます、主。……しかし、あの小娘。完全に骨抜きにされているようですが」
バラルガがニヤリと笑ってリナを指差す。
「放っておけ。ただの一般人だったろ? お前の勘は外れた」
その背中を見つめるリナの視線は、鮮明に焼き付いて離れない。
強さこそが正義……。私の家では、それがすべてだった。でも、こんなの……。
リナの家系は代々武門の家柄だ。力ある者は尊く、力なき者は守られるべき弱者。彼女にとって強さとは憧れ、また超えるべき壁でだった。だが目の前の男が振る舞った力は、彼女の知る強者のそれとは次元が違う。遠ざかっていくその背中が、あまりにも孤高で、あまりにも静かで。このまま彼が行ってしまったら、二度と手が届かない場所へ消えてしまう――そんな正体不明の焦燥が、リナの足を突き動かした。
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